月のたび

日々の日記

今あるしあわせ

2018-10-22 22:00:03 | 気遣い心配り思いやりのトレーニング
今日、大叔母がすい臓がんだというのを聞いた。それで苦しんでいるって。

幼いころから、面倒見てくれて、お正月にはお年玉をくれた大事な方だ。

そんな大変なことがわかってから、私は自分のことを考えてしまった。

今の日常生活にいろいろ不安不満があるけど、それでも自分はまだ幸せだと気が付いた。

幸せとは何か、このごろ思う。

幸せは、誰かに聞いてもらいたいことの中にあると、このごろ思う。それと、誰かに対する思いやりの気持ち。

誰かと話をしていて、いい気持になれるのは、いつも、過ぎた昔の話を聞いている時だ。

どこ出身だとか、どこに住んでいて、どうだったとか、そういう話ができる相手って、本当に大事だな。

もちろん、嫌なことは不満なことはそれぞれ、いろいろあるだろう。

幸せだったときがあって、それがいつまでも続いてほしいと誰でも思う。けれど、時間が過ぎていって、幸せじゃなくなったとしても、それからが勝負の分かれ目だと思うのよ。幸せじゃなくなっても、意識高めにして、自分で自分に洗脳して、幸せだと思い込むようにする。そういうの何よりも大事と思う。

わかってほしいこと

2018-10-09 22:35:44 | 気遣い心配り思いやりのトレーニング

久しぶりの投稿。

昨日の仕事は懐かしい方にお会いした。

5年くらい前に仕事をいただいて、見た目はおっかない、いかつい方だが、話してみると、何かしらいい感じ。

言ってみれば、『無心のこころ』を感じる相手だ。

○さんは、男性で70歳になったそうで、相撲が好きで、若いころは県内で何度も優勝したという。体を鍛えていて、70とは思えない恰幅のよい強そうな印象だった。

それでも、久々に会ってみると、懐かしさにこころ惹かれる。それが不思議だ。

5年ぶりに会うお客様なんて、ざらにあるのに、○さんに限って、いい印象を感じるのは、『こころ』のおかげで、しかも無心だからだろう。

あれから、温和だったお父様はなくなり、お母さまは施設に入ったという。

それで思い出したのが、過年亡くなった菅原文太さんの言葉だ。(若い頃は強くなりたいと思っていたけど、歳を取ってみると、弱くてもいい生き方はできることがわかった。)みたいなこと、言ってて、屈強な体躯の○さんが、私にはあんなに親切な言葉をかけて下さるのか、思うに、純粋な思いやりや親切心を大事にしているためだろうと。

そういうのは、とっても大事だと思う。

人はいくら強くなっても、台無しになってしまうようなことってあるよ。で、そうなった時に、もう元には戻らない過去を償うには、若い人たちに、いい言葉を与えたくなるだろう。

歳をとったら、もう若返りはできない。そのときに、若い人に代わりにわかってほしいことがある。そういうのがあるんだろうな、とかおもった。

一緒にいて気持ちの良い人

2018-04-09 22:28:35 | 気遣い心配り思いやりのトレーニング

今の私の悩みは、いっしょにいて気持ちの良い人じゃなさそうだってことだ。ちょっとかたくるしいし、気遣いが足りない。自分でもはっきりわかる。

なのに、どうすればいいのか、わからない。

何か人を不安にさせる冷たさ、みたいのがある気がする。

これではいけないので、少し勇気を出して、些細なところから、人に話すようにしてみた(昨日と今日)。それでいいのかどうか、まずとにかくやってみている。

けれど「最後に勝つ」っていう目標があって、時間をかけても、精一杯、最後までやり抜く自分であるには、今なにくそって思ってやるぜ。

思うに、こういうのは、何か目標を持ち、一生懸命やっていれば、いつかは道が開けると思う。中村元先生の言っていた、「与える」こと。私の場合は、自分自身を相手に与え、自分の言葉を与えるということだろう。わかっていても、難しい。けど、やる。よろしく。

では寝ます。おやすみなさい。

自分のことは、自分でやりたいように生きる

2018-03-25 16:52:23 | 気遣い心配り思いやりのトレーニング


今日は施設にいる祖母の面会に行ってきた。

入居して半年ほどになるだろうか。

一時期病気になって、体調不良だったそうだが、実際会うと元気そうだった。

言葉がよくわからなかったけど、言わんとすることはわかった。

わかるのは、さすがに積極的で前向きな祖母の人柄だ。できなくても、わかってもらおうとする熱意みたいのが、自分よりも立派だ。昔の人ほど生命力が強そうだ。

あと、別れ際に、いつものことだが、ちゃんと挨拶をする。それも、確かに祖母だった。

けれど、なるべくなら、長年暮らした家で歳を取ってほしいものだ。

人間の自由というのは、命と同じくらいに尊いものだと思うからだ。たとえ、毎日がマンネリの連続だとしても、自分の選んだ生き方で好きなように生きられるのは、何物よりも大切だ。歳をとっても同じことだ。人間らしい生き方ってそういうものだと思う。

それで、私はそんな祖母に何をいいたかったのか、その場で考えた。その時に、まずは落ち着くことだ。呼吸を深く、ゆっくりすれば、安心する。その状態で、心に浮かんだことを、何でもいいので口にすると、会話ってうまくいく。

この会話のコツを、忙しくなったり、焦ったりしてると、つい忘れちゃうんだよな。今年は、少し油断すると、些細な原因から、よくないことが起きそうな気がするので、会話には特に気を付けるようにしている。

来週は花見に行く。電車で目的地まで行き、そこからさらに長距離歩いて、写真を撮ってくるので楽しみ。

雪の日に旧友に会う

2018-03-21 22:24:58 | 気遣い心配り思いやりのトレーニング


今日は10年ぶりくらいに大学の友人に会いに行った。

20年前、一緒にマレーシア旅行に行ったことがあり、今では毎年年賀状のやりとりだけだったので、仕事が落ち着いたこの時期に連絡して、会いに行った。

大学の友人にあうと、当時の自分に戻ったような錯覚になるし、高校の部活動の同級生に再会すると、当時の付き合いそのままで、話ができる。中学の同窓会は、また同じく悪餓鬼に戻ったようになる。

付き合いをいつまでも続けるのは大事なこと。

そうして今日の大学の友人とは、乃木坂の国立新美術館に行きました。

いつもの床屋でいつもの人に少ない髪をととのえてもらい、待ち合わせの場所で再会する。

とっても寒い日だった。なので浜離宮庭園に行く予定を変更して、かねて興味のあったモダンアートに初めてチャレンジ。

モネ、セザンヌ、ゴッホも見た。良かった。無料の展示も良かった。マンガみたいな、アニメのようなアートって、実は『こういうのが見たかった』みたいな、ヘソ曲がりの自分にとって、真に心に響くような、そういうものが、凄かった。それが無料で見られて、友人と長話もできて、とてもいい雨と雪で寒い一日だった。

帰りは一人電車に乗り、弁当食べてると、学生後のいろんな出来事を思い出して、あれもあった、あのときはこうだった、あいつはああだった、みたいなことが、次から次へと思い出されて、やっぱり自分は幸せだと思った。同時に今ある人が今後幸せになってもらいたい。だから私からなるべく連絡をとる。