明日も早く起きる。
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今が仕事の少ないシーズン。
これまでなんとか上手にやってこれたようであり、上手くいってないようでもある。
営業すれば、仕事は向こうからやってくる。けれど、同時にいくつもの仕事が重なるので、きめ細かい対応ができにくい。
かといって、この暇な時期を無駄にすると、怠け癖がつきそうで怖い。仕方なく道具のメンテナンスや片付けをしているが、中途半端である。
こういうときこそ、仕事の「やる気」が大事になると思う。わかってるけど、ちょっと味気ない。どうしたものか。けれど、このままでは絶対に駄目。向上しないもの。いつまでも同じことを繰り返せば、成長はしない。
自分のやる気に頼るしかないよ!
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今週末は百草園に行ってきた。写真もたくさん撮ってきた。
自宅を7時ころ出て、電車を乗り継いで約半日かかる。剪定が下手な自分は、参考書を買って修行中だが、それだと、どうもうまくいかないことに気が付き、積極的に庭園に出かけ、徒歩で歩いて、木姿のよしあしやポイントを、すこしでも参考にできればいいと思い、今年は、そういうことに、時間を使っている。
もとは、学生時代の先輩の下宿がこの付近にあって、泊めてもらった思い出がある。もう、二十年以上前のことだ。夜アパートに着き、それから夜中話をした。
あの当時も今も中身は全然変わってない私。ただ齢をとってしまった。
再びここに来るとは思ってなかった。今日は一人カメラを携えて、百草園の梅まつりで写真を熱心に撮った。
それから歩いて高幡不動駅まで行って帰った。
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今日は樹木の伐採の仕事。
堰堤に自然に生えた大木が陰を作るので、暖かくなる前に切り倒せとのこと。
そこで、私の出番。もう、大自然の川の流れに濡れないように長靴着用でバシャバシャやった。
いつのまにか、こういう仕事スタイルが出来上がっている。これが自分らしさ、ってことかな。
けれど、どんな仕事でも予習復習は、絶対必要だ。
この仕事を昨日した時、予習不足のため、予定位置に倒木させることができず、旧水道管をぶち折ってしまい、そのため、昨晩お客さんに謝罪。まあ、水道工事業なので、必要なら、修理可能だが、予習不足のせいで、余計な仕事を増やしてしまった。
思えば今年は災難続き。これが厄年のせいなのか。新しいことにチャレンジするよりも、今年はじっととどまって、自己を深める年にするほうがよいかもと感じる出来事が多い。
それでも、無事に一日過ごせたし、仕事もはかどった。いつのまにか、花粉症は気にならなくなってた。よかった。
今日はほぼ家にいて、パソコンいじりしていた。
来週末のハイキングコースを決めた。事前に下調べしたり、予定を組んだりするのが、もともと苦手だが、来週の週末がたのしくなるなら、面倒でもやってみた。実際、今日の予定のコースを歩いてみて、どうだったか、わかるだろう。天気がいいといい。
ほぼ毎日、仕事で車に乗るし、気分転換もドライブが多いし、ランニングにも車を使う。
けれど、このごろ、運転するのが、当たり前になりすぎて、漫然とぼんやり車に乗るようになりがちなので、発想を変えて、車なしで、電車やバスで出かけることに変えてみようと思っている。そうすれば、新しい発見があるかもしれない。実際に、車で通りすぎるよりも、歩いてみて発見することが多い。昨日の昼のフランス料理屋もその一つで、来週のコースに含めて、下調べも終わり、今から楽しみ。
それに、ネットで調べた結果、美術館も見つかったので、時間があれば、行ける。いろんなことわかったので、来週の週末を楽しみにして、平日はよく働けそうである。
楽しく過ごせそうな工夫ができたので、今日は満足でした。
来週末のハイキングコースを決めた。事前に下調べしたり、予定を組んだりするのが、もともと苦手だが、来週の週末がたのしくなるなら、面倒でもやってみた。実際、今日の予定のコースを歩いてみて、どうだったか、わかるだろう。天気がいいといい。
ほぼ毎日、仕事で車に乗るし、気分転換もドライブが多いし、ランニングにも車を使う。
けれど、このごろ、運転するのが、当たり前になりすぎて、漫然とぼんやり車に乗るようになりがちなので、発想を変えて、車なしで、電車やバスで出かけることに変えてみようと思っている。そうすれば、新しい発見があるかもしれない。実際に、車で通りすぎるよりも、歩いてみて発見することが多い。昨日の昼のフランス料理屋もその一つで、来週のコースに含めて、下調べも終わり、今から楽しみ。
それに、ネットで調べた結果、美術館も見つかったので、時間があれば、行ける。いろんなことわかったので、来週の週末を楽しみにして、平日はよく働けそうである。
楽しく過ごせそうな工夫ができたので、今日は満足でした。
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仕事で庭の木を剪定してくれというのが多い。
けれど、私がやるとどうも上手ではない。
なぜだろう?
結局、いい剪定の見本を見ていないからだ。
身近に接するために、一応、旧東海道を歩いて、古寺や民家の庭を見て参考にするように、歩いて見てみることにした。
そうするには、休日でないとダメだ。心おきなく、すがすがしく観察できないからだ。そこで今日は10キロほど歩いてみた。
午前中はいい天気に恵まれたが、午後から突風にまみれた。初めて歩く土地なので目新しいものばかりだが、悠長に歩いているのは私だけで、車がやたら多い。
けれど、車上から眺めて通り過ぎるのとは違い、珍しいお店や変わった構えの家など、観察すると面白い。歩きながら、やたらに写真を撮った。
思うに、いい休日を過ごすには、平日によく働くことだ。平日の仕事を頑張ればそれだけ、休日が楽しく過ごせると思う。そのためには、ちゃんと休めるようにしないといけないわけで、仕事を背負込みがちなのを、これから改善したいところだ。
でも、今週はインフルエンザの影響やら、確定申告やらで、メインの仕事はやや抑えた。来週から営業するよ。営業すると、忙しくなるのがわかってきたから、もっとうまく働かないとダメなのに、どうなることか。募集してる求人は問い合わせが皆無で、このままだと、去年の二の舞で、自分一人だけ忙しい状態を、ずっと続ける羽目になるから、どうかして、いい人を連れてこないとね。
けれど、いい休日を過ごせた。今度は、今日歩いたルート上で気になったお店を調べてよさそうなら次回行ってみたいと思った。
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先日見た景色は、私が2,3歳の幼児期に遊びに行った風景そのままだった。そこを眺めたときに、急に昔のことが思い出された。
あれからもう40年前後経とうとしている。そこで思うのは、親切なおじさん、おばさん、友人などの記憶だ。それが、今なおあったことに驚いて写真をとった。
人にとって大事なものは、自分の中にある気がする。
本当の幸せは求めて得られるものではない、というのは本当だ。
今日は佳子様の誕生日という。23歳。もう、あっという間すぎて、時間の早さに、いろいろ思い出す。
けれど、幸せを求めるならば、今を大事にしよう。
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今日は近くの山へ登山に行った。
12月はちゃんと休日に休めているので充実している。
一人歩いていると、いろんなことを自然と考える。そういう思考を促すための登山である。去年は忙しくて無理だったようだが、おととしは、山じゃなく、ひたすら歩いた記憶がある。いずれにせよ、リフレッシュできるし、おもしろい。
冬なので、防寒具を着込んで歩いているうちに、暑くなって背中は汗ばんできて、不快になったが、出発時間が遅れたため、不快でもせっせと先を急いだ。
それで、いろんな写真をキンドルに収めてきた。この次はだれかを誘おう。毎年の恒例行事にしよう。
今日は天皇誕生日で、ニュースみて知ったが、一般参賀の参加者がかなり居たということだ。
『なんだあ、予約とか不要で参加できるのか、じゃあ来年行ってみよう』って思った。
私と同じように考える国民が、来年はもっと押し寄せるだろうな。こういうことは、思うに、大事なことだよ。なぜだろうな。自分がいま生きているのは、なぜ、どういう力や因果によってなのか、っておもったり、考えたりすることに、国民が意味を求めているのだろう。
近年、特に、拉致問題を見ても思うが、自分から関心を持って、活動に協力的な国民が多くなってきたという。
草の根の意識がだんだん変わってきたのだろう。そして、その根底には不安が漠然とあるのじゃないかな。生きる不安みたいのが。だれもが、生きる糧を、心の支えを欲しいのだろう。物質で豊かになっても、満たされないものがある。
世間のテレビ等が騒ぐどうでもいいニュースに振り回されて、何の関係もない庶民が、ニュースで扱われる人たちを悪者にしたり、カッコいいことばっかり言う人を応援したり、そういうのがあまり好きじゃない私は、嫌いなニュースや評論家などについて決して意見しないことにしている。だって、そういうのって、卑怯だもの。
誰だって好感を持てない人物はいるものだ。けれど、そういう嫌いな相手だからと言って、匿名の立場からあげつらってばかりだと、いつか大きいブーメランが返ってくるものでしょ。それを、私たちは今、野党の政治家やテレビや新聞の反日団体の成れの果て、を見ていて反面教師にしなくてはならないはずだよ。批判ばかりじゃダメなんだ。誰かの失敗を糧にして、自分の身を正さないと、本当の幸せは手にはいらない。
自分を自分で変えることができなくちゃ、他の誰かから、無理やり押さえつけられるしかないんだ。それじゃあ、自主独立の自由の生き方はできない。
そう思ったときにね、この国の国民が少しづつ、天皇陛下や拉致問題に関心を示し始めたってことの意味は、国民が自分の考えでようやく動き始めたってことであって、これは大衆の意識が高くなっていくってことであるから、我ながら、すごい国民だし、すごい時代を生きていると思う。
話はそれるが、今年の年末のしごとは、去年ほど忙しくならずに、かといって、暇すぎることもなく、ホドホドに充実した師走を過ごしている。年末のランニングもできてハッピーだ。けれど、いろいろ買い物したので、お金が少ない・・・。そんな感じだけど、ちゃんと休みはとる。でないと、仕事のいいアイデア等思いつかないから。
そこで、明日は地元の山へ登山。山頂で、お湯を持っていき、フリーズドライのお汁粉を食べるのが今からちょっとした楽しみ。アウトドアのガスコンロがあればもっといいけど、次回(来年夏ごろ)までに買っておこう。
ではではおやすみなさい。
『なんだあ、予約とか不要で参加できるのか、じゃあ来年行ってみよう』って思った。
私と同じように考える国民が、来年はもっと押し寄せるだろうな。こういうことは、思うに、大事なことだよ。なぜだろうな。自分がいま生きているのは、なぜ、どういう力や因果によってなのか、っておもったり、考えたりすることに、国民が意味を求めているのだろう。
近年、特に、拉致問題を見ても思うが、自分から関心を持って、活動に協力的な国民が多くなってきたという。
草の根の意識がだんだん変わってきたのだろう。そして、その根底には不安が漠然とあるのじゃないかな。生きる不安みたいのが。だれもが、生きる糧を、心の支えを欲しいのだろう。物質で豊かになっても、満たされないものがある。
世間のテレビ等が騒ぐどうでもいいニュースに振り回されて、何の関係もない庶民が、ニュースで扱われる人たちを悪者にしたり、カッコいいことばっかり言う人を応援したり、そういうのがあまり好きじゃない私は、嫌いなニュースや評論家などについて決して意見しないことにしている。だって、そういうのって、卑怯だもの。
誰だって好感を持てない人物はいるものだ。けれど、そういう嫌いな相手だからと言って、匿名の立場からあげつらってばかりだと、いつか大きいブーメランが返ってくるものでしょ。それを、私たちは今、野党の政治家やテレビや新聞の反日団体の成れの果て、を見ていて反面教師にしなくてはならないはずだよ。批判ばかりじゃダメなんだ。誰かの失敗を糧にして、自分の身を正さないと、本当の幸せは手にはいらない。
自分を自分で変えることができなくちゃ、他の誰かから、無理やり押さえつけられるしかないんだ。それじゃあ、自主独立の自由の生き方はできない。
そう思ったときにね、この国の国民が少しづつ、天皇陛下や拉致問題に関心を示し始めたってことの意味は、国民が自分の考えでようやく動き始めたってことであって、これは大衆の意識が高くなっていくってことであるから、我ながら、すごい国民だし、すごい時代を生きていると思う。
話はそれるが、今年の年末のしごとは、去年ほど忙しくならずに、かといって、暇すぎることもなく、ホドホドに充実した師走を過ごしている。年末のランニングもできてハッピーだ。けれど、いろいろ買い物したので、お金が少ない・・・。そんな感じだけど、ちゃんと休みはとる。でないと、仕事のいいアイデア等思いつかないから。
そこで、明日は地元の山へ登山。山頂で、お湯を持っていき、フリーズドライのお汁粉を食べるのが今からちょっとした楽しみ。アウトドアのガスコンロがあればもっといいけど、次回(来年夏ごろ)までに買っておこう。
ではではおやすみなさい。
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今日は知り合いの紹介で隣町のお年寄り宅の大掃除に行きました。
家に入るともう隣町の空気が漂っている。私が幼い時から祖母の家に出入りしていた時の風情が、今でもどことなく残っているのである。
そうして、今日は終日あたたかい冬の日に照らされて、掃除に励んだ。
働いている間、なかなか手入れの行き届いたお宅であり、そんなに汚れていないのに、どうしてお掃除を依頼するのかなど考えた。
そこで思うに、年末の大掃除をしないと、やっぱり正月が来ないのだろう。
今の家はなるべく手入れの手間を省いた、簡単な住まいが好まれるし、そういうのがリフォームの宣伝文句になったりする。
けれど、やっぱり、たとえ汚れていなくても、せっせと大掃除をすることが、いい新年を迎えるために、大事なのではないか。今日の掃除中に、何とはなしにそう思えてきた。
おそらく、そのように日本人が昔から、行ってきた習慣や伝統っていうのは、現代人の私から見て、無駄とか、無駄じゃないとか以上の何かの値打ちがあるのではないかと、思う。
それは、二階の窓からその町の風景が遠くまで見渡せて、そして、何十年も同じようなその町それぞれのライフスタイルが微妙にあり、その町の住人が生きている、大げさに言えば歴史の積み重ねみたいなのを今なお受け継いでいる。そう思うと、やっぱり、年末の大掃除は大事なんじゃないか、と普段はそんな平凡じみたこと決して思わない自分がそう思えた。
そして、そこのおばさんはお年寄りなのによくしゃべる大変元気な方で、近所の知り合いの方々にもう幾人も紹介してくれて、良い一日が過ごせた。明日も頑張る。ではごきげんよう。