月のたび

日々の日記

演出されたものではないもの

2014-10-14 21:19:11 | ひとこと言わせて!
お元気ですか?久しぶりの投稿です!

このごろ、またブログを書きたくなってきましたよ。

ちょっといいニュースは紗倉まなさんがトヨタ系のサイトでコラム書いたってことがうれしい。

なぜか、新しいことが始まるみたいで。

それまで私は紗倉まなさんかわいいと思っていたけど、かわいい割に世間じゃ認めてくれない、みたいなところが、納得できなかった。

けれど、彼女のツイッター見たりしてると、頑張ってるのがわかるから、応援したくなるし、そういうのって、私自身のことよりも、彼女の成功のほうが大切に思えたりする時がある。

それは、相手が一生懸命な心が伝わってくるからだと思う。だから、それを感じると私は応援したくなる。かわいいしね。

けれど、私は鈴村あいりさんも大好きで、何がいいかって言うと、アダルトビデオのようなエッチな、いやらしい行為、じゃないところで見せる、純粋なふつうである中に宿る素直さだとか誠実さ、というものが垣間見えると、それだけでとっても嬉しくなります。

たとえば、普通に自分の布団を敷いたり、シーツを整えたり、というような、なんでもない所作が、普通の女の子であるのを気づかせてくれる、そしてなおかつ、控えめで、度が過ぎることがないような性格の良さ。これは、期待しすぎだね。スマン。

けれど、そういう普通であることが、私たちにとって、一番の感動じゃないか。今の時代のテレビでは決して見かけない裏表のない性格のよさとか、カメラの前で粋がったりしないところ。けっこう猥褻なアダルトビデオも嗜む私ではあるけど、どれが一番気持ち良いオナニーできるかって観点でAV収集始めたにしても、モザイクの濃淡からはじまり、無修正はいいのか、よくないのか、普段身近にいてなおかつかわいい女子のコスチュームがそそるとか、いや、女子を引き立てるのは男優の演技なのかもしれず、かといって、けど、だましたりするのは外道だと思うし、などなど、考えてみればきりがないの。結局は私の頭の中の欲望の塊であって、欲望の渦に我を忘れてパンツずらしシコシコしてる瞬間に、何とはなしに普通の女の子であるのを発見したりすると、よくわからないけど、私の心が軽くなっていたりするの。

だから、結局、AV見てるのに関心は、次第に女の子のありのままの姿に向かってしまって、「きれいな女のセックス見たい!」なんてのは、結構どうでもよく、屈託ない笑顔がいつまでも爽やかに思い出されたりする。ていうか、逆に「いつでもセックスできるような関係」になればすぐさまそんな性欲消えてくものだよな。そもそも性欲に振り回されるのって、面倒臭いし、我が事ながら腹立たしいのだ。そうしてセックスレスになって、仕事のほうが楽しくなるんだろうよ。

でも、そう思うと、昔々何不自由ない恵まれた生活をしていたお釈迦様が、いままで住んでたお城を飛び出して、きれいな嫁さんや子供や財産を投げ捨てるようにして、修行生活をして、そこまでして、なぜ人は生きてるのかみたいな理由を探しに行ったことって、もうそれが、心の大切さを教えてると思うんです。

心の持ち方一つで、幸せをかんじたり、その反対だったり、人はするってことで、それが、たとえば、鈴村あいりさんなら、生まれてきてから今に至るまで、幸せなことばかりじゃあない、当然、多くの悲しいことや恵まれないこと、辛いこと、惨めなことに巻き込まれて、勝手に、向こうからそういう不運不幸がやってきて襲いかかってきても、それでも、「後には幸せな時が来る」と信じていたからこその、今の美しさなんだと思う。

そんな風に思います。