月のたび

日々の日記

人の一生は一瞬

2017-12-29 18:56:27 | 今日の出来事(重要性低)


先日見た景色は、私が2,3歳の幼児期に遊びに行った風景そのままだった。そこを眺めたときに、急に昔のことが思い出された。

あれからもう40年前後経とうとしている。そこで思うのは、親切なおじさん、おばさん、友人などの記憶だ。それが、今なおあったことに驚いて写真をとった。

人にとって大事なものは、自分の中にある気がする。

本当の幸せは求めて得られるものではない、というのは本当だ。

今日は佳子様の誕生日という。23歳。もう、あっという間すぎて、時間の早さに、いろいろ思い出す。

けれど、幸せを求めるならば、今を大事にしよう。

セックスは、男性の女性に対する嫌がらせ

2017-12-28 22:53:25 | ひとこと言わせて!
私はアダルトビデオをよく見てしまうけれど、今夜見終わって余韻に浸っていると、急に、

  女性は誰しも、セックスさせられて嫌がってるのかもな。

と思い始めた。だって、世間じゃみんな言ってること。フェミニストみたいな権利系の人とか、特に若い女性とか。

  早く気づけよ❗オレ。

そうなると、ますます男性は女性から疎まれる存在になるがな。それに反対する声も皆無なので、みんなとっくにわかっていて、当たり前すぎる真実なので敢えて言わないことになってるってことだろう。

そこで思うのは、私はもうAVを見なくていいってことだ。嫌でしてる行為ならば、見てて楽しくないもの。ちょうどレズ行為のAVは女の子にとってやりにくいって感想を知ってから、楽しく見れなくなったのと同じで敬遠するようになる。

それはそれで、そのように、世間は回る。

仕事おさめの登山

2017-12-24 19:52:21 | 今日の出来事(重要性低)


今日は近くの山へ登山に行った。

12月はちゃんと休日に休めているので充実している。

一人歩いていると、いろんなことを自然と考える。そういう思考を促すための登山である。去年は忙しくて無理だったようだが、おととしは、山じゃなく、ひたすら歩いた記憶がある。いずれにせよ、リフレッシュできるし、おもしろい。

冬なので、防寒具を着込んで歩いているうちに、暑くなって背中は汗ばんできて、不快になったが、出発時間が遅れたため、不快でもせっせと先を急いだ。

それで、いろんな写真をキンドルに収めてきた。この次はだれかを誘おう。毎年の恒例行事にしよう。

明日は年末登山の日

2017-12-23 22:22:00 | 今日の出来事(重要性低)
今日は天皇誕生日で、ニュースみて知ったが、一般参賀の参加者がかなり居たということだ。

『なんだあ、予約とか不要で参加できるのか、じゃあ来年行ってみよう』って思った。

私と同じように考える国民が、来年はもっと押し寄せるだろうな。こういうことは、思うに、大事なことだよ。なぜだろうな。自分がいま生きているのは、なぜ、どういう力や因果によってなのか、っておもったり、考えたりすることに、国民が意味を求めているのだろう。

近年、特に、拉致問題を見ても思うが、自分から関心を持って、活動に協力的な国民が多くなってきたという。

草の根の意識がだんだん変わってきたのだろう。そして、その根底には不安が漠然とあるのじゃないかな。生きる不安みたいのが。だれもが、生きる糧を、心の支えを欲しいのだろう。物質で豊かになっても、満たされないものがある。

世間のテレビ等が騒ぐどうでもいいニュースに振り回されて、何の関係もない庶民が、ニュースで扱われる人たちを悪者にしたり、カッコいいことばっかり言う人を応援したり、そういうのがあまり好きじゃない私は、嫌いなニュースや評論家などについて決して意見しないことにしている。だって、そういうのって、卑怯だもの。

誰だって好感を持てない人物はいるものだ。けれど、そういう嫌いな相手だからと言って、匿名の立場からあげつらってばかりだと、いつか大きいブーメランが返ってくるものでしょ。それを、私たちは今、野党の政治家やテレビや新聞の反日団体の成れの果て、を見ていて反面教師にしなくてはならないはずだよ。批判ばかりじゃダメなんだ。誰かの失敗を糧にして、自分の身を正さないと、本当の幸せは手にはいらない。

自分を自分で変えることができなくちゃ、他の誰かから、無理やり押さえつけられるしかないんだ。それじゃあ、自主独立の自由の生き方はできない。

そう思ったときにね、この国の国民が少しづつ、天皇陛下や拉致問題に関心を示し始めたってことの意味は、国民が自分の考えでようやく動き始めたってことであって、これは大衆の意識が高くなっていくってことであるから、我ながら、すごい国民だし、すごい時代を生きていると思う。

話はそれるが、今年の年末のしごとは、去年ほど忙しくならずに、かといって、暇すぎることもなく、ホドホドに充実した師走を過ごしている。年末のランニングもできてハッピーだ。けれど、いろいろ買い物したので、お金が少ない・・・。そんな感じだけど、ちゃんと休みはとる。でないと、仕事のいいアイデア等思いつかないから。

そこで、明日は地元の山へ登山。山頂で、お湯を持っていき、フリーズドライのお汁粉を食べるのが今からちょっとした楽しみ。アウトドアのガスコンロがあればもっといいけど、次回(来年夏ごろ)までに買っておこう。

ではではおやすみなさい。

年末大掃除

2017-12-20 21:43:55 | 今日の出来事(重要性低)


今日は知り合いの紹介で隣町のお年寄り宅の大掃除に行きました。

家に入るともう隣町の空気が漂っている。私が幼い時から祖母の家に出入りしていた時の風情が、今でもどことなく残っているのである。

そうして、今日は終日あたたかい冬の日に照らされて、掃除に励んだ。

働いている間、なかなか手入れの行き届いたお宅であり、そんなに汚れていないのに、どうしてお掃除を依頼するのかなど考えた。

そこで思うに、年末の大掃除をしないと、やっぱり正月が来ないのだろう。

今の家はなるべく手入れの手間を省いた、簡単な住まいが好まれるし、そういうのがリフォームの宣伝文句になったりする。

けれど、やっぱり、たとえ汚れていなくても、せっせと大掃除をすることが、いい新年を迎えるために、大事なのではないか。今日の掃除中に、何とはなしにそう思えてきた。

おそらく、そのように日本人が昔から、行ってきた習慣や伝統っていうのは、現代人の私から見て、無駄とか、無駄じゃないとか以上の何かの値打ちがあるのではないかと、思う。

それは、二階の窓からその町の風景が遠くまで見渡せて、そして、何十年も同じようなその町それぞれのライフスタイルが微妙にあり、その町の住人が生きている、大げさに言えば歴史の積み重ねみたいなのを今なお受け継いでいる。そう思うと、やっぱり、年末の大掃除は大事なんじゃないか、と普段はそんな平凡じみたこと決して思わない自分がそう思えた。

そして、そこのおばさんはお年寄りなのによくしゃべる大変元気な方で、近所の知り合いの方々にもう幾人も紹介してくれて、良い一日が過ごせた。明日も頑張る。ではごきげんよう。

この冬初めてのランニング

2017-12-10 19:29:33 | 今日の出来事(重要性低)


今日の日曜日は忙しい12月なのに休めた!来週の日曜も休めるといい。

そこで、ひさびさのドライブへ、いつものコースでゆっくり行く。目的の温泉に到着するとすぐにランニングウェアに着替えて、2時間のランニングへGO。

もうすっかり冬景色となった田舎の風景の中を、できるだけ路地を通って、ゆっくりと走るのが楽しい。

高校の時に長距離走をしていたのだが、はや20年以上過ぎると、体力がない。というか、一番足りないのは脚部の筋力で、スタミナはあるのに、2時間以上走り続けると、脚部が固くなるような感じでしびれるような気がするので、とてもフルマラソンは走れない。

脚の筋肉が続かないのである。これは昨年のフルマラソンの練習の時には気づかなかった事実だ。昨年の練習では、700mくらいのインターバルトレーニングばかりやっていたため、本番のマラソンでは、最初の5キロ10キロくらいは余裕綽々で調子づいてたものの、ぶっつけ本番のフルマラソンのため、15キロくらいから遅れ始めて、情けないことに脚が上がらなくなってしまった。

そうなると、なんというか、泣けてくる。今までは、早い人だったのが、足が上がらずに限界を感じつつ走っているときの情けない感じがものすごく切に迫って、何度も泣いた。それはそれは、「できない」ってことが、何より身にこたえることだと、しみじみ思いました。それは、速く走れたときの感動以上に、どうしても走れないときの切なさの方が、私には胸に迫るのでした。それが去年のフルマラソンでわかったことだ。

そうして、今年、というか来年のフルマラソンは出場しないことに。お金がかかるのと、練習に時間がかかることが理由。

だって、2時間以上走らないと、フルマラソン用の筋力が鍛えられないもの。そんなの練習に時間かかりすぎだよ。

けれど、実際のランニングは習慣として続けたい。

なぜって、いざって時のために、人生は何があるかわからぬものだから。藤原てい『流れる星は生きている』を読むといつも思う。乳児を背負って、二人の子の手を引いて、南朝鮮まで必死で歩いた母親の偉大さ、ああいうのは、二度と繰り返してはいけない悲劇だが、二度と繰り返しちゃならないことでも、起きるときは起きるものですからね。だから、平素からの身体の鍛錬って怠ってはならないの。命ある限りはね。

それでも、今日の山梨の田舎の町並みはそれは楽しかった。寒いが休日らしい陽があたたかく町並みを包んでいて、古いお寺や神社や大木や山は紅葉の最中で指はかじかんだが、2時間のランニングから戻ってそのままそこの温泉に浸かり、大広間で横になりたいところを、昼時で混雑しているためにできずに車内にやむを得ず戻った。仮眠したかったな…。(こういうの書くと歳とったなと思う)

でもこういう息抜きが大事だと思っているし、とても良い一日に感謝です。ありがとう。来週もランニングしたいなあ。ではでは

休まず働いてよかった

2017-12-09 22:05:19 | しみじみ(滋)


今日午前中は庭園の落ち葉拾い。朝は寒かったが、日が上がるにつれてあたたかな陽気に。

普段なら忙しい12月だが、今年は営業してないので、仕事はチラホラだけど、それでも「やや間に合わない」程度の忙しさです。

そこで、コンビニでお昼を買い、私だけのくつろぎの休憩場所でお昼にした。山は自然に紅葉の最中だった。

そして、考えた。午後は仕事にしようか、休んでドライブでもいこうかと。

結局、前から言われてた年末のお墓の掃除をした。依頼人によると、「あるとても有名な人物の子孫らしい」といわれて、それは名前はここで言えないが、中国史で例えれば、劉備玄徳とか諸葛亮並みの知名度ナンバーワンの人物なのだ。言えないのが残念だが、本当かどうか、真偽は不明なのだけど、そんな人のお墓かもしれないもののお掃除をできるなんて、光栄なことだ。密かに誇らしい思いだ。そこで、もともと日本史に詳しくないので、この際、アマゾンのキンドルで伝記を注文した。

いつも頼まれる方だし、お中元とお歳暮もわざわざ送り届けて下さるので、今回はいくつもある墓石のすべてを、午後の半日を使って、草取りしたり、タワシでよく擦って、コケのような汚れをできるだけ洗い落した。まあ、本当をいうと、儲けにはならないくらいの金額で請けているのだけど、「こういうことがきっかけで、なにかいいことあるといい」っていうプラス思考に徹するようにしている。キンドルで伝記を読むのもそういうきっかけの一つだ。

それに、実際、掃除してみて、本当に良かったと思ったよ。中途半端に、この土曜の午後をドライブで過ごすよりは、たとえ稼ぎは少なくとも、誰かのために働くというのは、まず自分にとって利益になると思う。心が輝くような、淡くて言いにくいけど、それでもちゃんと感じる快感というようなのを感じることができるよ。それは、なんといっても、「実際にやってみないとわからない快さ」としか言いようがない。

そして、仕事において、この感じが一番大事な部分だと思う。

それでね、今晩、このブログ書いて思うのは、やっぱりそれが大事だし、それを大事にすれば、いずれ幸せになれる、いやもうすでに幸せで、それがだんだん他の人にも伝わって広がるだろうということを思う。

先日のお返しと、目が輝くこと

2017-12-08 21:03:24 | 今日の出来事(重要性低)
先日、仕事のトラブルでお世話になった仕事仲間の先輩に今日、お返しっぽいことを、少ししてきた。

あと、今日は天気が雨が降らずに、仕事が助かった。仕事先のおばさんとの話が面白かった。話をするときに、相手の目って大切だと思った。そのおばさんは、仕事中、いい目をしていたから。私にはとてもいい印象が残った。こういう人は得だと思う。相手によく覚えてもらえるから。

目つきというのを、誰に対しても、よく思われ、幸せでいるために、どのように工夫すればいいのだろうか。

大切なのは、『いつも自分の心に正直であること』だと思う。

思っていることを正直に、行動するとか、口に出したり、出さなくても、ありのままの思いで仕事をすることが、人から評価される一番の近道だと思う。

これは、普段から思っていることだが、今この瞬間に思いついたことでもある。

そういうふうに、生きていれば、いつも人からいい評価をしてもらえる気がする。かといって、別にそんなにいい評判をもらえないかもしてない。でも、いいじゃないか、とも思う。すくなことも、目が輝いてくることは確かだと思う。