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アジアのデジタル化の波に日本は低迷

2024-07-24 12:59:20 | 世界の不思議・出来事
『米グーグル(Google)のデータ、ベトナムのデジタル経済成長率、2年連続で東南アジアトップ』VietJO記事。
ベトナムのデジタル経済成長率は2022年に+28%を記録。2023年は+19%に減速したものの、依然として高水準を保っており、GDP成長率の3.5倍に相当する、と発表。ベトナムのデジタル経済は、2030年までに現在の11倍の規模に膨らみ、現時点における年間GDPの半分に相当する2200億USD(約34兆5000億円)に達する可能性があると予想、と発表。日本を相当なスピードで追い上げ、既に追い越しているベトナムの経済成長率は今後も大いに期待できる。日本の政策からは全く見えない「デジタル化」成長だ。


情報を握る強さを知る幕末『岩倉具視』

2024-07-24 08:04:54 | 歴史から学ぶ
下級公家の岩倉具視が最後には右大臣まで上り詰めた秘訣は、5年に及ぶ蟄居生活時代に朝廷、幕府双方の機密文章も含めた最新の動向情報を収集し分析、文にて多くの関係者に寄与(政権交代への影響力を与えた)、情報の知恵袋的存在が大きかった、と言う。手入れ(現在の賄賂)も然り、公家内での親族のコネを優先利用し、偽勅・偽錦旗などを作り、摂関制度等を蹴散らし王政復興を盛り上げるなど波乱な人生を生き抜いた岩亀・ヤモリ(岩倉具視のあだ名)的存在だった。現代でも「情報通」は先手必勝に必須だということだ。
『岩倉具視』永井路子
「概要」岩倉は孝明天皇毒殺の首謀者なのか――「尊王攘夷」「佐幕」といった言葉を剥きながら、新たな岩倉像を立ち上げた永井文学の神髄
岩倉具視(あだ名岩亀・ヤモリ・1825年生まれ)
    家格が低く家録は庶流で50石、下級の小公家
    ここ一発の目の付け所は良いが勝礼には恵まれていない
    義理の兄中御門経之が後年具視を救う
    仁孝天皇の時の関白鷹司雅道の弟子となる(その後久我建通から岩倉に手入で継がれる)
    具視の妹堀河紀子は孝明天皇の側近となり後年手助けする
    「手入」(賄賂)はこの時代の社交辞令的行いで公家でも乱用されていた
    「朝廷・幕府」共に情報を速やかに入手し戦略を立てていた「岩倉具視関係文書」
    5年間の戸袋生活中でも情報網から機密文章・最新の情報から文章・計画を立てた
    気管支炎から発熱(食道がん)で死去、59歳
ー岩倉具視 孝明天皇下での公家社会に復帰・主導権を握り始める「政体変革」
    中御門、大原重篤らによる政略・権謀(岩倉の赦免求めた)の嘆願(岩倉の計画図)
    中川宮とは決別対抗、辞表を出すが、孝明天皇は中御門、大原らに閉門を出す
    孝明天皇の毒殺説があるが実際は急性ヒ素中毒と推定された(紀子の疑惑説もある)
    大久保を惹きつけ薩摩久光を抱き込んだ事(久光は左大臣に任命)
    偽勅・偽錦旗など立て続けに朝廷を盾に諸藩を抑える(王政復興公家政権の変革も同時)
    小御所会議(慶喜欠席)で・参与・右大臣に、摂関制度を蹴散らし支配体制を築く
    版籍奉還・廃藩置県(郡県制)藩財政(10分の1国庫、3分の1知事、3分の1家臣)
    新政府は軍隊統制を優先させる(藩から兵士を徴兵)
    遣欧米使節団10ヶ月の予定を1年10ヶ月の使節、具視は特命全権大使となる
徳川幕府
    譜代には権力を与え、外様には富を、一門には血の優位性(幕政には関与させない)
    御三家尾張、紀伊には大納言、そして水戸には中納言(将軍家は右大臣、左大臣肩書)
    大藩の加賀前田には参議(宰相)、他の大名には近衛中将、少将など
    形式的には幕府が申請して朝廷が辞令を出す方式
ー幕末
    長州藩の反乱(永井雅楽による開国・貿易・富の蓄積・軍事増強など計画が後に採用)
    公武合体(徳川家茂へ和宮嫁入り・島津久光・岩倉が同行)とで修好通商条約
    公家社会の権力闘争が複雑化し三条実朝、二条、九条、鷹司も入り乱れた
    長州藩と薩摩藩との外国艦隊対決で「攘夷」は無くなり友好関係を築く