乗った後の景色

電車・気動車・バスに乗ることが好きな乗りマニアによる旅行雑ネタブログです。

バスで千葉の豚駅弁

2015-08-29 | 千葉県
 バスの停留所が並ぶ千葉駅東口ロータリーからやや離れたところに中・長距離のバスが発着する21番停留所があります。


 千葉駅弁の「トンかつ弁当」や「菜の花弁当」は時々なんとなく食べたくなるのですが113系がなくなってからはどうも千葉発の鈍行で駅弁を開けたくなる感じがしません。そこでそういえばしずてつジャストラインなど「バス弁」を売り出しているくらいだし、と思いつきバスで食べることにしたというわけです。乗った日東交通・日東館山バス・ちばシティバスが共同運行する南総里見号の白浜・野島崎行は県内で完結しているので高速バスにしてはややローカルな感じの路線ですが時間は終点まで2時間16分もかかります。駅弁を食べるためだけにそこまで行ってしまうと帰りが大変なので千葉駅から乗った場合最初に降車できる停留所の木更津羽鳥野バスストップで降りることにしました。それでも所要時間は47分あり弁当を食べるには十分です。


 駅弁を食べ終えてひと眠りしたら館山自動車道の路肩にある木更津羽鳥野バスストップに着きました。まだ先が長いバスを見送って館山自動車道を跨ぐ陸橋に上がると日東交通の羽鳥野バスストップ前停留所が見えます。つまり「羽鳥野バスストップ前バス停」というわけで意味がかぶることになりちょっと面白い気がしました。


 陸橋から館山自動車道の千葉方を見下ろすとこんな感じです。


 この辺りはいわゆるニュータウンで内房線まではやや遠いものの木更津羽鳥野バスストップを利用すれば東京駅や千葉駅、羽田空港に直接出ることができるので意外な便利さがあります。特に何かあてがあって来たわけでもないので付近をキョロキョロし付近の緑に埋もれているような羽鳥野公園をちょっと見物することにしました。


 公園内に置かれた平成16年の区画整理記念碑を見ると「’平成バブル’崩壊後の苦難を乗り越え」という一文が目につきました。


 近くの大型スーパーマーケットは房総半島南部でよく見かける「おどや」です。ここの駐車場前にある羽鳥野6丁目停留所で木更津駅行きの日東バスに乗りました。


 バスは区画整理された町をぐるぐる回ってから木更津駅に向かいます。内房線に突き当たって国道127号に入ったのち君津市内ではなく木更津市内にある君津中央病院に寄るのでちょっと面白く感じたりも。昔の君津郡や君津支庁などと同様に大きく指す地名ということなのでしょう。


 国道16号にぶつかる桜井交差点でなんとなく味のある番号標識「おにぎり」が2個見えました。ちょっとだけ16号を走るとほどなく木更津駅東口に到着します。


 跨線橋に上がると久留里線の気動車E130が見えます。考えてみれば前回久留里線に乗ったのはキハ30やタブレットが生きていたこの時でその後全然久留里線に乗っていません。今回も素通りなので我ながら薄情モノです。


 西口に出るとかつてそごうだった建物(現アクア木更津)がやや寂しい雰囲気で立っている一方鴨川やアクアライン経由のバスとともにイオンモール行きのバスが出る停留所が見え栄枯盛衰を感じてしまいます。


 西口に出た理由は土産にかつて駅弁業者だった浜屋でバーベキュー弁当を買うためです。


 で帰京する段になるのですがアクアライン経由のバスは色々出ているのでどれにするかちょっと迷います。今回は東口に戻ってフェリー時代からの伝統を受け継ぐ(?)川崎駅行きとしました。臨港バスや川崎市バスをちょっと見物してから帰宅し夕食にバーベキュー弁当を食べると昼のトンかつ弁当に続き豚の(元)駅弁が続くことになりましたがそれはそれでオツなものです。考えてみれば千葉県の駅弁というと無くなってしまった成田駅のとんかつ弁当やたまに安房鴨川駅で売られていた豚肉の弁当(記憶が不確かで名前が出てきません。)と豚ばかり思い出してしまいます。どれも比較的安価で手に取りやすかったからかもしれません。


 というわけでバスで駅弁となると邪道かもしれませんがまずは楽しめた半日でした。
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等13の実験運行

2015-08-28 | 東京都
 今月3日から来年1月29日まで等々力操車所と梅ヶ丘駅を結ぶ等13という路線が世田谷区と東急バスにより実験運行されるというので乗ってみることにしました。まず名物の(?)長距離路線東98も発着する等々力操車所に行くと等13(画像の右のバス)が発車を待っています。


 大井町線等々力駅最寄の停留所は1つ先の等々力です。等々力駅から等々力停留所に向かう道には実験運行の旨と停留所の場所の案内が立てられていたので敬意を表し等々力から乗ることにしました。


 便数は日中8往復(運行は平日のみ・土休日運休)と少な目ですが車内の路線図にちゃんと路線が描かれていて実験運行ながら扱いは立派です。


 ただほとんどの区間は既存の等11(等々力操車所~祖師ヶ谷大蔵駅)と並走し等13単独の区間は弦巻一丁目~梅ヶ丘駅のみです。この区間は今年の3月14日に開通した道路補助154号線を主に経由するもので、世田谷線世田谷駅脇の踏切を渡るとそのまま北上するのではなく一旦世田谷区民会館に寄り道してから梅ヶ丘駅に向かいます。


 新しく開通した道路が主だけにとりたてて狭隘区間もなく、等々力から約30分で梅ヶ丘駅に着きました。等13の停留所は小田急バスが発着する小さな駅前ロータリーの外側にあり、乗降を済ませるとロータリーに入らずすぐに等々力操車所に戻って行きます。


 なお等々力と同様に梅ヶ丘駅前にも実験運行の旨と停留所の場所の案内が立てられていました。


 世田谷ナンバーの上には実験運行の旨表示されなかなか頼もしい感じがします。せっかくの新規路線ですからよい実験結果が出て欲しいものです。
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調布の戦争展をハシゴ

2015-08-27 | 東京都
 唐突ですが京王相模原線京王多摩川駅のカーブしたホームはなかなかの迫力がありますね。


 京王多摩川には昔のように遊園地やプールこそないものの京王閣競輪場や「京王フローラルガーデンアンジェ」があり多摩川と合わせてなんとなく行楽地っぽい雰囲気があります。


 駅前に出るとちょうど調布市のコミュニティバスがやって来ました。さすが水木しげる氏が名誉市民の調布市だけありゲゲゲの鬼太郎が描かれています。


 京王多摩川に足を運んだ理由は調布市郷土資料館で「調布市民と戦争」という企画展(2015年7月22日~9月6日)を見るためです。最も興味が湧いたのは京王線金子駅(現つつじヶ丘駅)で出征兵士が送られる写真で、映画やドラマのシーンにありがちな蒸機列車のホームで日の丸持ってバンザーイ、というイメージとは異なり京王線の小さな単行電車なのは当然と言えば当然ではあるもののちょっと意外な感じがしたりも。乗りもの関係だとほかに調布飛行場の土地が収用される時の文書がありました。


 展示を見終えたら相模原線に沿って調布駅方面に歩いて行きます。ちょっと空が広く見える場所があるのはうれしいものです。


 調布駅の地下化は2012年でもう3年経ちますから早いものですね。そういえば相模原線が地下駅へもぐるところを見るのは初めてです。


 地上は一部が駐車場に使われているくらいでまだここが相模原線の跡だとわかりました。


 一応地下の調布駅の画像を貼っておきます。下りホームから前方を見たもので左が相模原線、右の先に見える地上の明かりは八王子方面への出口です。


 さてこの日はもう一つ目当てがありました。「調布市文化会館たづくり」で行われている「水木しげるの戦争と新聞報道展」(2015年8月6日~9月13日)というものです。鬼太郎バスのみならずこんな展示が行なわれるのですからこれまたさすがですね。調布市文化会館たづくりは相模原線沿いにあり郷土資料館から相模原線を見物しつつハシゴしやすい場所なので助かります。


 展示を見終えて外に出ると復刻色の京王バスが見られました。こうなるとバスに乗りたくなります。


 なので調布駅南口のバスターミナルに出てバスに乗り調布の戦争展のハシゴを終えました。


 ともあれのんきに乗り鉄乗りバスできる平和が一番だなあとしみじみ思うばかりです。
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ホープ軒前バス停

2015-08-14 | 東京都
 ちょっとだけ都バスに乗ろうと目黒駅を出ると旧都電目黒車庫・都バス目黒営業所の跡地が見えます。支所、分駐所と徐々に格下げされ廃止は2005年ですからもうひと昔になります。跡地は高層マンションになるとかで工事中でした。都電都バスと地べたを走る公共交通の衰退に足並みを揃えるかの如く地べたを歩く気になれない街が増え地べたというものがずいぶんゼイタクになってしまった気がします。


 目黒駅前で乗るのは千駄ヶ谷駅行きの黒77です。今回はモトがとれるギリギリ程度の予定ですがバスのみの一日乗車券を買いました。


 終点の千駄ヶ谷駅に近い明治公園停留所は合流する早81がなんだか鉄道の方向別同ホーム乗り換えに似ている気がして乗り換えたくなるものがあります。今回は「乗りバス」というよりここで「乗り換える」ことが主な目的です。この停留所は24時間ラーメンが立ち食いできる有名店ホープ軒の真ん前にあってなんだか駅構内の立ち食いそばのようにも見えいよいよ勝手な駅気分が盛り上がります。黒77も早81もこれが首都のバスかと思うくらいバスの便数が少な目なので乗り継ぎ時間をつぶす意味からも頼りになる存在です。


 バス通りの向かいを見ると取り壊された国立競技場と明治公園の間の道がふさがっていてさてどうなるやら状態になっていました。目黒営業所跡に続き虚しさばかりが感じられます。


 黒77と同ホーム(?)で早81をつかまえて四谷四丁目で降りると副名称の(大木戸)が見えました。ここは甲州街道の江戸の出入口にあたり江戸時代に大木戸があった場所です。


 新宿行きの品97に乗り換えるため道路を渡って向かい側の停留所を見ると新しくなっていて大木戸の文字はありませんでした。


 最後は品97で伊勢丹と丸井の前にある新宿追分に出ます。これも大木戸のように昔の甲州街道を思い起こさせる停留所名ですね。丸井には持参者が割引サービスを受けられる近隣諸国のカードが掲示されていました。最近はこの手の割引をする店が増えていますからそれだけ多くのお得意様が近隣諸国からやって来るのでしょう。


 中国の銀聯カードや韓国のロッテカードなどに混じって台湾の乗りバスでお世話になる悠遊卡も入っていました。交通カードの悠遊卡の図を東京で見る機会が増えているのはちょっと面白く感じます。もし日本がバブルの頃にスイカやパスモがあったら海外でこのように見ることがあったでしょうか。


 という具合に一日乗車券のモトがとれるギリギリ、それも近場しか乗らなかったのでちょっともったいない気がしました。こういう乗り方になるとゾーン制とか乗り継ぎ無料だったらいいのにと思ってしまいます。
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国境(?)の横浜市バス折返場

2015-08-11 | 神奈川県
 横浜市営バスに乗りたくなり日本大通り駅県庁前で市電保存館行きの21系統をつかまえました。市電保存館行きと言っても市電代替系統ではないのですが元町の先で昔の市電専用トンネルをくぐるのはちょっとうれしいものです。


 終点の市電保存館停留所に到着しました。滝頭営業所に隣接する市電保存館の前には錆びた架線柱が立っています。説明を見ると神奈川新町に立っていたもので根元の穴は横浜大空襲(1945年5月29日)の被弾跡とあり苦労人というか苦労物という感じです。


 市電保存館は市バスの一日乗車券か地下鉄市バス共通の一日乗車券を持っていくと100円の入場料が50円に割引されます。既に何度か来ているので7両の保存車をざっと見て歩くと車内に「国威発揚と市電」という掲示があり空襲の跡を見た後だからか生々しく感じられました。


 さて市電保存館の見物を軽めにすませてバスの路線図を拡げると103系統の終点根岸台が目につきました。21系統の通る道からひと停だけ離れて終点になっている様子はなんとなくそそられます。そういえばまだ行ったことがないと気づき寄って行こうとまた21系統に乗って根岸台の隣にあたる旭台停留所まで戻るとバス通りに面してちょっと変わった消防署がありました。よく見ると米軍の施設とあります。


 旭台から根岸台までの道路は日本側(?)住宅と米軍の敷地に挟まれているのでなんだか国境のようでした。


 5分と歩かずに根岸台停留所です。


 バスの折返場は米軍側にあります。


 折返場のすぐ隣が米軍の敷地に入る門です。


 だいたい納得したところで横浜駅行きの103系統に乗りました。この系統は市電3系統の走っていたルートを根岸台まで伸ばした代替路線です。しばらく走ると市電の終点だった山元町(左の画像)を通り、市電がある頃から撮影ポイントとして有名だった打越橋(右の画像・道路橋)をくぐります。この辺りは迫力のある坂道なので釣り掛けの市電で登ってみたかったなあとしみじみ思ってしまいました。そういえば打越橋を渡る狭隘路線の11系統はかつて市バスだったのが神奈中になってしまったので橋の上下の路線に同じ一日乗車券では乗れずちょっと残念です。


 という具合に市電の名残と折返場と国境(?)をハシゴしながらの横浜市バス乗りバスを終えました。
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