乗った後の景色

電車・気動車・バスに乗ることが好きな乗りマニアによる旅行雑ネタブログです。

はだしのゲン扉絵展

2017-10-30 | 広島県
 (前回のつづきです。)
 「松山・広島割引きっぷ」で着いた松山でひとしきり楽しんだ後は高速船で広島へと向かいます。

 高速船が発着する松山観光港には伊予鉄高浜線で行くことにし、せっかくなので途中の三津にちょっと寄りました。この辺りのお好み焼きを三津浜焼きと称して宣伝しているので一度食べてみようというわけです。とりあえず三津駅にほど近い日の出というお店に入り勝手がわからないのでオススメという「台付肉玉油」というなんだかいろいろ入っていそうなもののうどん版(台付は麺入りの意味で中華そばも選択可)を頼みました。生地はとても薄く肉は牛肉で麺が主役という組み合わせは面白いだけでなくなかなかイケます。


 三津駅に戻り高浜線で高浜駅に出るとすぐに松山観光港行きの連絡バスが接続していて便利です。ただ松山観光港から乗る高速船は広島港行きながら残念なことに「松山・広島割引きっぷ」では呉港までしか乗れず呉線に乗り換えねばなりません。面倒ですが呉からは呉線で広島に出ることになります。


 広島に行くときはたいてい電車に乗ってばかりですが今回は久々に平和公園に入って平和記念資料館に寄りました。目的は12月まで行われる予定とある「はだしのゲン扉絵展」です。週刊少年ジャンプ連載時の扉絵の展示に加え著者の中沢啓治氏のインタビューも流されていてこれも視聴できます。


 久々に平和公園に入ったのでいつか見ようと思っていた韓国人原爆犠牲者慰霊碑も見に行きました。由来書きには「原爆投下により、2万余名の韓国人が一瞬にしてその尊い人命を奪われた。広島市民20万犠牲者の1割にも及ぶ韓国人死没者は決して黙過できる数字ではない。」とあります。


 広電で江波線に向かうと横川への8号線に大阪と京都の車両が入っていました。江波線沿線には原爆投下時の中沢啓治氏の家があったので「はだしのゲン」の舞台にもなったゆかりの路線ということになります。また江波線と平和大通りが交差する辺りにある「解放運動無名戦士之碑」中の名簿には中沢啓治氏の父中沢晴海氏が名を連ねているそうですからこれもゆかりのある場所です。


 中沢啓治氏つながりで著書の「カープ誕生物語」の像を見たくなりマツダスタジアムにも行きました。登場人物像の周りには広電提供の被爆敷石やレールも使われています。広島駅からマツダスタジアムに行く途中にはカープにちなんだという赤いローソンが見られました。


 被爆敷石やレールといえば今回被爆電車の651号に久しぶりに乗ったところ英語を話していた大荷物の観光客らしきグループがこの車両の由来書きに気づき驚いて写真を撮っていました。由来書きの被爆時の状況説明は英文だと車内で亡くなった方の人数等が具体的に書かれている一方日本文は市役所付近を運行中に被爆したという程度にとどめられています。


 広島ではどうしても電車ばかり乗ってしまいますが広電バスにも少しだけ乗りました。6号線で江波トンネルをくぐった先の江波栄町で降ります。


 バスを使ったのは江波栄町のすぐ近くにある陽気というラーメン店に行くためです。天気が悪い日に温かいラーメンを食べたらなんだかホッとしました。


 という具合に広島に行って帰って来るとまた行きたくなるのでもう少し広島空港が広島の街中に近ければLCCで行きやすいのにとちょっと思ったりもするところです。それはさておくとして路面電車の存在感がある広島と松山をハシゴしたら東京あるいは首都圏近辺にもあればなあと改めて大変うらやましくなりました。
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サンライズ出雲・瀬戸のモハネ

2015-03-15 | 広島県
(前回のつづきです。)
 宮島口であなごを食べたら徐々に東京に向かいます。駅に入ると見えたお酒の看板は料理酒がさりげなくお椀だったりする楽しいデザインで「KK」も渋く、バックの黄色が偶然にも電車の色と合っていて面白く感じました。


 広島から新幹線で岡山に出ます。絵では颯爽と駆ける500系の前にこだまに落ちぶれた500系が停まっているとちょっとさびしい感じです。


 駅構内の掲示を見ると山陽新幹線40周年PRはいいとして、高齢者の交通安全ポスターに犬養毅が登場し「話せばわかる」というのはわかるようなわからないようなところがあります。


 岡山で乗るのはサンライズ出雲・瀬戸です。ホームに出ると連結シーンにわらわらと人が群がっていて私も負けずに群がります。


 今回サンライズにした理由はまだ285系のモハネすなわち電動車に乗ったことがなかったからで、客車寝台列車陥落の余波でこっちに注目が集まる前にと思ったわけです。ソロ上段をとったところかなりの狭さでウナギの寝床いやアナゴのたたりかと思う一方、よくここまで詰めてあるものだとむしろ面白く感じました。しかしこれでは非常時の脱出は難しそうです。となると当然非常用の窓破壊ハンマーがあるだろうと思ったのですがなぜか見あたりませんでした。
 右に並べたのは以前乗ったサンライズツイン(こっちは「サ」ロハネ)の画像です。これもB寝台ながら体感的にはかなり広い気がしました。とするとケチらずサンライズツインの1人分と同額のモハネのシングルにしてもよかったかもしれません。


 上段にしたからかモハネでも時折ごく小さくインバータ音が聞こえるのみです。そこそこ眠れ「おはよう放送」に起こされたら広島で買っておいた駅弁「しゃもじかきめし」を開けて朝食にしました。食堂車やビュッフェはおろか車販もないのはちとわびしいものがあります。


 横浜を過ぎときどき京急を見えるようになり多摩川を渡り、と馴染みの車窓になりあわてて部屋を片付けていると東京に到着しました。明るくなってから見るとだいぶくたびれているのが目立ちます。


 というわけで急行「きたぐに」に乗ったとき以来の寝台電車になったのですが、古くても静かだった583系のモハネよりもさらに静かに思えうまく設計されているものだと感心しました。
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広電のドイツ・ハノーバー電車

2015-03-14 | 広島県
 ドイツ・ハノーバーから来た電車に乗るため広島に行きました。この電車は高知のオーストリア電車ポーランド・ビトムの電車と同様にドイツの戦時設計の影響を受けた車両なので一度乗り比べておきたかったからです。(画像はここにもあります。)無事乗れたのはさておき、今は江波~横川にこんな新しい連接車が来るのか、とそっちも感心しました。


 それどころか影の薄い枝線という印象の白島線からも連接車が出て来たりするのでいよいよびっくりです。頭の中が更新されていないのがバレますが。


 でもまあ乗りたい連接車と言えばやっぱりこういう釣り掛けです。八丁堀に立っていると白島線往復中の元大阪市電もやって来て落ち着いた色とスタイルがいいなあと乗ってみたりします。


 ところで台湾で初めて莒光號を見たときこの連接車を思い出してしまったっけ、ということを思い出したので並べてみます。こうして見ると帯のカーブと二つ目玉しか似てないなそもそも電車と機関車だし色も違うし、なのですが。隣の「大阪顔」で思い出したけどピンク帯の阪堺電車を足したらもっと似るかも、という意味不明なことを考えたのでさらに並べてみます。


 元京都市電は瀬戸内海を挟んで松山でも元気なので頼もしい限りです。


 広電標準色をまとった生え抜きの車両は意外に少ないので新鮮に見えます。


 相生橋に行ったら原爆ドームは工事中で長崎バスの姿が見えたりしました。広島に長崎といえば市内をぶらついていたら「被爆国首相よ八月六日九日を人類総ザンゲの日として休日に制定せよ」という小さな札が貼ってある玄関先を何度か見かけたので、冗談ではなく本当に海の日だの山の日が祝日になっちゃうような国だから次はたぶん川の日とかじゃないかなあ、過去は水に流して、などと思ったりです。


 市内での乗り鉄にだいたい満足したら宮島口に向かいます。特に用もないものの広電・松大汽船の一日乗車乗船券を持っていたので船にも乗らないともったいない気がしてしまいとりあえず宮島まで往復しました。もう夕方になり宮島ですることといったら土産にもみじまんじゅうを買うくらいのものです。買ったら匂うのかシカによこせと(?)服を噛まれました。


 宮島口に足をのばした理由はあなごめしです。宮島から本土(?)に戻ったら駅弁のあなごめしの「うえの」に寄りました。弁当販売のみならず食堂もあって食べていけます。席についたらあなごの白焼きにひとくちお酒なぞいかがという内容の誘惑が目の前に見え、しかたなくあなごめしを「小」にして白焼きと酒も頼みました。くやしいけどお店の思う壺です。


(次回に続きます。)
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