乗った後の景色

電車・気動車・バスに乗ることが好きな乗りマニアによる旅行雑ネタブログです。

ポーランドとチェコにまたがる街チェシン

2016-09-17 | ポーランド
 ポーランド・チェコ・スロバキアの3国が接する地点からポーランドとチェコの国境を北にたどって行くとチェシン(ポーランド語Cieszyn/チェコ語Tesin/ドイツ語Teschen・テッシェン)という街を通ります。通るというのはものの例えではなく実際に国境が街の中を通っているので、言い換えると2つの国にまたがる街ということになりなんだか面白そうに思え行ってみることにしました。
 ひとつながりの街の中に引かれているだけのことはありチェシンの位置するシレジア地方の国境は力関係がいくたびも変わった結果ですが、今はチェコもポーランドもシェンゲン圏で出入りは自由ですから特に何か準備していくという必要もありません。ちなみに以前別の場所で国境を見物したら検問の跡なんかはありましたけれども使われなくなって寂れていました。

 チェシンにはポーランド側からもチェコ側からも鉄道が伸びていてそれぞれの側に駅があります。このうち本数が多く便利なチェコ側のチェスキー・チェシン(Cesky Tesin)駅で降りたところ駅名がチェコ語とポーランド語で表示されているのが見えさすが2つの国に跨る街の玄関らしいと感心しました。チェスキーは「チェコの」という意味なのでチェスキー・チェシンはチェコのチェシンというわけですがこれはチェコ側の街の名前でもあります。駅を出ると街角の「駅前通り」の表記も2言語なのが目に入りました。(上がチェコ語・下がポーランド語)


 どうということもない街中の通りという感じの駅前通りを400mくらい歩くともう国境です。この辺りの国境は街の中を流れているオルシェ川(Olse)で橋を渡るとポーランドということになります。ポーランド側の街の名前は「ポーランドの」のようなオマケはつかずただのチェシン(Cieszyn)です。


 国境の標識は日本の市町村境のものよりも地味なくらいです。ポーランド語だとオルザ川(Olza)のオルシェ川に降りてみると遊歩道が整備されたキレイなごく普通の街の川という感じで特に国境らしさは感じられません。


 どちらもシェンゲン圏でEU内ながらユーロ圏ではないのでチェコはコルナ、ポーランドはズウォティと通貨が異なりこれは国境を越えたことを感じさせられます。ポーランド側の市場ではコルナが通用し両方の値段が表示されていました。


 チェシンの街の中心にあたる広場はポーランド側にあります。いかにもヨーロッパ旧市街の広場という感じのゆったりした雰囲気です。


 チェシンの観光名所は塔のある高台だというので登ってみたところパラパラと人の流れがあるのでその動きに乗っかっていくとBracki Browarというビール醸造所に着きました。ケースで買う人が入れ代わり立ち代わりするなかなかの繁盛ぶりです。


 こうなると飲むことになりますがああ美味しかったというところで塔があることを思い出しました。高いところに登る前にビールを飲んであとがつらいというのは以前ベルギーで懲りたはずなのですがまたもやってしまいどうも進歩がありません。


 飲んだ足でひいひい登ると高台の上に立つ塔だけあり川をはさんで左がポーランド、右がチェコという街の様子がよく見えなんだか単に高くて眺めがいいという以上にトクした気がします。


 ビール後の塔登りでくたびれ歩いての見物はもういいやという気分になったのでポーランド側にあるチェシン駅でチェコに行く国際列車に乗ることにしました。(国際列車や駅の話と画像はこちらにもあります。)ちゃんと出札口もろもろがある立派なチェスキー・チェシン駅に対しこちらは駅舎はあっても閉鎖されている無人駅なのでややさびしい雰囲気です。
 やがてチェコからやって来た国際列車の折り返しに乗るとチェシンの街を北側を迂回し国境のオルザ/オルシェ川を渡ってチェスキー・チェシンまでたったひと駅・5分ほどとあっという間に振り出しに戻ります。


 というわけでひとつの街で2つの国をいっぺんに見物できなんだかトクした気分です。
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ポーランド・チェコ国境見物

2013-05-22 | ポーランド
 だいぶ前になりますが昨年の秋にポーランドとチェコが接するシレジア地方の地図を見ていたらなんとなく国境を越える国際列車に乗ってみようという気になりました。そのときに目についたのがにあるポーランドのハウプキ(Chalupki)とオーデル川を挟んで向かい合うチェコのボフミン(Bohumin)にかけての国境路線です。その路線に「乗った」話はこちらに公開しましたが、その国境付近を散歩するのも楽しかったので以下その時の様子を思い出してみます。

 見物の始まりはポーランド側からポーランド鉄道の釣り掛け電車に乗ってハウプキを通り着いたボフミン駅です。

 立派な駅舎の中では車輪に羽根が生えた装飾がいくつも目に付きました。ここを通る路線(ウィーン~クラクフ)を作ったフェルディナンド皇帝北部鉄道(Kaiser Ferdinands Nordbahn)の社章でしょうか。

 現在ポーランドとチェコが接しているこの辺りの国境はその鉄道が通ったころ(1847年)プロイセンとオーストリアの境でした。上述の国際列車が走ってきたポーランド側の路線はプロイセンのヴィルヘルム鉄道(Wilhelmsbahn)が建設したもので1848年にボフミンに達しています。話が逸れますが羽根に車輪といえば日本でも南海の昔の社章がそうでしたがこの発想はどこが元祖でどう広まったのかちょっと興味が湧くところです。
 この駅を出発しようというところでチェコのおカネがないことに気づきます。どちらもEUとシェンゲン協定の中ながら通貨がユーロではない国なので油断していました。島国の民としてはさすが国境越えとどこか風流(?)な気もしなくはないのですがこのあとすぐポーランドに戻る予定なので面倒は面倒です。駅舎内でキョロキョロしたら両替所があったので5ユーロだけチェココルナに両替しました。

 駅前に出るとバス停があります。ここから乗るのは国境ギリギリチェコ側のオーデル川沿いにある町「スターリーボフミン(Stary Bohumin)」というところまでのバス(555系統)です。「スターリー」は古いという意味で日本の地名っぽくすると「元ボフミン」という感じでしょうか。南にボフミン駅ができて駅周辺の方がにぎわうようになり寂れたという流れのようです。


 バスに乗ると10分くらいでスターリーボフミンに着きました。バスが折り返す広場が町の中心でそこを商店などが囲んでいます。あまり賑わいはないものの悪くない雰囲気です。この広場に面したカフェで少し休み、残った(チェコの)小銭をその辺の商店で飲み物やお菓子に使い切ってから国境越えに向かいます。


 国境越えというとなんとなく大仰な感じですがオーデル川にかかる橋を渡るだけですから全然大したことはありません。


 国境を越え渡りきったポーランド側にはそれなりに大きい検問所があったものの何のチェックもなくフリーパスです。ところでオーデル川の国境と言えばポーランド・ドイツ国境(いわゆる「オーデル・ナイセ線」)が有名ですが、それよりずっと上流のここでポーランド・チェコ国境にもなっているとはこの訪問まで知りませんでした。なのでちょっとトクした(?)気分になります。


 検問を越えハウプキの町を歩き出すとすぐに両替の看板が目に付き、その先右手に小さなバスターミナルが見えたので寄るとRaciborz、Wodzislawといった近郊の町に向かう路線が発着しているとありました。


 静かな町を歩いていくと間もなくボフミン行きの国際列車に乗ったとき既に通ったハウプキ駅に到着です。スターリーボフミンからここまで1km半くらいですから大したことはありませんでした。


 ハウプキ駅からはまた列車に乗って北上するのですが、乗る前にもうちょっと散歩することにします。この辺りの国境はオーデル川に沿うだけではなく川から逸れて「地べた」の上にのびる国境もあるので見に行くことにしました。場所はハウプキ駅北方の踏切(路線バスの通る並木道)を東に渡り、そのままずっと歩いていくだけです。踏切から約700m進むと歩いている並木道の左側が急に国境になります。


 上の並木道にぶつかってくる国境を正面から見たところで、左がポーランド、右の畑側がチェコです。国境を示す標石があるくらいで柵などはありません。


 さらに進むと道を挟んでお向かいさんが外国という面白い状況です。

 チェコ側のお宅をのぞくと庭にチェコ側を示す標石が見え一応国境の主張はしています。


 という辺りで乗る列車の時間が迫ってきたのでハウプキ駅に戻りました。あまり国境らしさが感じられないのは行き来自由で気合入れて国境を示す必要がないからでしょうか。物騒なタネになる、というかそもそも物騒の結果というかが国境というものですけれど、どこもこのくらいのんびりしていて欲しいものだとしみじみ思いました。
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ソハチェフの軽便鉄道博物館

2012-10-27 | ポーランド
 ワルシャワ西郊のソハチェフ(Sochaczew)に軽便鉄道博物館があります。ここは普段展示している車両とともに動態保存車も持っていて春~秋のシーズンの週末を中心に保存運行をしているという施設です。運行日ではない日に行ったため「乗る」ことはできなかったのですが展示車両をざっと見物したので少々触れておきます。

 ソハチェフの近郊には著名な観光地「ショパンの生家」があるので先にそちらを見物してからハシゴするかたちで軽便鉄道博物館に足を運びました。
(ショパンの生家に行った話はこちらをご覧下さい。)
 ソハチェフ駅前には蒸機が置かれていてそれ自体博物館の看板みたいなものですが、よく見るとヘッドマークのように「博物館まで200m」と書かれた案内板がついていましたからこの蒸機は実は大きな「案内板の取り付け具」と言えるかもしれません。

 そのソハチェフ駅から正面方向にまっすぐ歩いていくと確かに200mくらいですぐに博物館に着きます。入口の門に窓口がありそこで入場券を買いました。


 敷地の外からも見える建物は敷地内から入れ、駅舎内の様子や資料を展示する場になっています。


 出て改めて敷地を見ると展示車両が広がっていてなかなか壮観です。


 蒸機と客車・貨車はもちろん、鉄道馬車、クルマのような事業用車、クルマのタイヤを軌道用に換えたもの(これはナローではなく標準軌のようでしたが)と多彩な車両が見られます。




 またここの路線は非電化ながら電気機関車の展示もありました。



 という具合に意外に規模が大きく展示車両は時々手入れがされている様子がうかがえ悪くない印象です。ワルシャワから足を延ばしやすい位置にありショパンの生家とハシゴができ、展示車両数が多く運転日なら片道1時間15分も乗れる、となかなかの好条件揃いですからワルシャワ訪問の機会があったら一考に値する施設だと思います。
(博物館公式サイト)
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ショパンの生家

2012-10-26 | ポーランド
 ワルシャワ西郊にショパンの生家があるというので行ってみることにしました。
 ショパンの生家の最寄り駅はソハチェフ(Sochaczew)です。今回は近郊電車の鈍行に乗って行きましたが、停車駅の少ない長距離の客車列車も停まります。
 このソハチェフに行く列車のワルシャワでの乗り場は2つあり、前者の近郊電車はワルシャワ・シルドミエシチェ駅(Warszawa Srodmiescie)から、後者はワルシャワ中央駅からなので注意が必要です。両駅ともに地下駅で隣接してはいるものの行き来にはちょっと歩きますから事前にどちらから出る列車を利用するか時刻表で確認してくとムダがありません。なおワルシャワからソハチェフまでの所要時間は近郊電車で1時間前後・長距離列車で40分弱です。


 というわけで着いたソハチェフ駅の駅舎はこの通りなかなかシャレていてます。


 駅前にはすぐバス乗り場が広がり、片隅の売店でバスの乗車券を販売していました。車内でも乗る時に買うことができますがこの売店で事前に買っておく方が多少安く済みます。(いずれの切符も車内の改札機で自己改札が必要)


 ショパンの生家の最寄バス停(Zelazowa Wola/ジェラゾヴァ・ヴォラ)に行くバスは6系統です。本数が少ないので事前に時刻表をチェックしておくことをオススメします。

 この6系統に乗り込んでかぶりついていると軽便鉄道のレールと併走するのが見えました。ソハチェフには軽便鉄道博物館(公式サイト)があり保存運行もされているので運転日を狙って両者のハシゴをするのもオツでしょう。

 乗ること20分でジェラゾヴァ・ヴォラに着きました。


 降りたらバスの進む方向にそのまま進むとT字路があり、その一角がショパンの生家です。T字路には「ホテルショパン」なんて看板もあって「らしい」感じがありました。


 門はありますが一般の入口はそこではなく隣接する建物から入ります。これは土産物やCDの売場やレストランが入る建物で、一旦ここに入って切符を買いまた出てショパンの生家の「建物」に向かうという手順です。


 敷地は大変広くまたよく整備されていて「ショパン生家公園」とでもいった方がいいような感じでした。


 普通の公園と違うのは敷地のあちこちにスピーカーが置かれていることで、ここからずっとショパンの曲が流されているのはちょっとやり過ぎというのかなんか落ち着きません。


 「ショパンの生家」はごくあっさりとした建物でした。


 中の展示もごくあっさり目です。


 一応中をぐるっと回ったので敷地を出て改めて周りを見ると大きな駐車場と土産物売場が並んでいます。停まっている観光バスの数はなかなか多く日本からの団体さんも来ていて盛況でした。


 駐車場の先は広っぱが広がり馬が放されています。また多分わざわざ茅葺だか草葺にしているらしきキレイな家があってゼイタクな雰囲気です。


 あとは草っ原にショパン生家の敷地内から続く川があってだだっ広くただの田舎という感じですが、(私の勝手な思い込みの)ポーランドらしいというかショパンが生まれそうな(?)というか、ともあれなんとなく敷地内よりも納得できてしまう風景でした。


 また上述のT字路の「一本足」側に歩いていくとショパン生家の敷地内を流れる川を渡る橋があり、整備された敷地側と、整備されていない側を見比べることができます。この辺だとなんとなくでも昔を偲べるでしょうか。




 というわけでショパンの生家を見に来たのかその辺のただの広っぱを見に来たのか微妙ですが、なんとなく納得できたような気分になったところで6系統のバスに乗ってソハチェフ駅に戻りました。ソハチェフ駅に着いたあとは軽便鉄道博物館に行きましたが、長くなったのでその話は次回とします。
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