乗った後の景色

電車・気動車・バスに乗ることが好きな乗りマニアによる旅行雑ネタブログです。

浅川伯教・巧兄弟資料館

2016-10-23 | 山梨県
 朝鮮半島に縁の深い浅川伯教・巧兄弟の資料館が2人の生地の山梨県北杜市にあるというので行ってみることにしました。
 そこまでのバスが出る中央本線の長坂駅で降りると駅舎にそば屋、タクシーの事務所、地元産品の売店が並びなんとなく安心感があります。


 ここのそば屋は小淵沢の駅弁業者丸政によるもので麺はそば・うどんに加え黄そば(中華麺)も選べるのが面白いところです。中華麺の駅そばというと他には姫路駅で食べたのを思い出すくらいですがいずれにしてもなかなか悪くない気がします。


 お腹が落ち着いたら駅前で北杜市の市民バスに乗りました。山梨県もこの辺りは八ヶ岳に近いイメージですが富士山もなかなかキレイです。


 長坂駅から10分ちょっとの高根総合支所で降り西の長坂駅側に少し戻ると「浅川伯教・巧兄弟資料館」があります。韓国語も書かれた案内柱を見て「生涯学習センター」の建物に入ると白磁を表現した大きなモニュメントが置かれていました。


 図書館などが入る生涯学習センターの一角が資料館です。資料館のパンフレットには「北杜市高根町に生まれ、八ヶ岳南麓の自然風土に学び日本の植民地統治下の朝鮮半島に渡り朝鮮工芸の美に惹かれた兄弟の人と業績を紹介。日韓友好親善の情報発信基地でありたい。」とありました。朝鮮風に作られた入口から資料館に入ると浅川兄弟の足跡とともに朝鮮の陶磁器や民俗を紹介する展示が並んでいます。


 浅川兄弟の功績を以下パンフレットから抜き書きしておきます。
(兄、伯教の功績)朝鮮の美術工芸品に魅了され、大正2年(1913)朝鮮半島に渡る。教職のかたわら、朝鮮陶磁器産地の窯跡調査に専念、その窯跡数は700箇所におよぶ。陶磁器の時代的変遷を明らかにした研究成果は、朝鮮陶磁史の基本文献として今日に至っている。
(弟、巧の功績)兄を慕って大正3年(1914)朝鮮半島に渡り、朝鮮総督府林業試験所に勤務。「自然法に帰せ」の考えの下に山野の緑化に取り組むとともに、朝鮮文化を愛し、朝鮮民族美術館を計画する。朝鮮の人々を愛し、愛され、木工芸の価値を見出し、名著「朝鮮の膳」を発表する。


 ひと通り資料館を見たあと兄弟の生家跡周辺まで歩いても大したことはなさそうなので行ってみることにしました。大きな八ヶ岳を見ながら歩くのは気持ちの良いものです。


 生家跡には兄弟を記念したものはないのですが少し離れたところに「浅川伯教・巧兄弟生誕の地」と書かれた記念碑があり資料館同様に案内柱が立っています。


 浅川家の墓所に行くと韓国焼酎とマッコルリが供えられていました。


 という具合に見て回ったら資料館があるだけでなく縁のある場所には看板や案内柱が立ち浅川兄弟が偲べるようよく整備されているので感心しました。
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フジサン特急とトーマスランド号

2016-01-30 | 山梨県
 今月は2度富士急に乗りに行きました。1度目に乗ったのは引退が近いフジサン特急用の元国鉄・JR165系というか元パノラマエクスプレスアルプスの2000系です。この車両の顔は展望室付に改造された側とそうでない側が全く異なり、展望室ではない大月方の顔はライトが四角くなったくらいのごく地味な165系顔なので種別幕の「特急」という字が何だかウソのように見えてしまいました。
 みみっちいことを考えると富士急の運賃は乗った大月→富士山の23.6㎞で1020円、同距離のJR東日本幹線運賃が410円からすると倍以上です。しかもフジサン特急(自由席)に乗るにはさらに特急料金が300円かかるのでなんたる高さかと思ってしまいますが、もしJRで急行として乗るとすると急行券550円とグリーン料金1030円が加算されることになり富士急で乗る方が安いとも考えられ実はおトクなのかもしれません。また乗りこむと座席は通路より高くなっていて短足の私には広すぎて落ち着かないくらいのピッチがあるのでとりあえず納得できるところではあります。惜しむらくは名鉄パノラマカーや小田急ロマンスカーのように展望室が電動車ではなく「クロ」という点で、展望より音をとって乗るのは「モロ」にしました。


 165系には何度もお世話になったもののフジサン特急に乗るのは初めてなので初乗りと乗り納めが同時ということになります。大月を出るとずっと登り坂でモーターの音は聴こえていることが多いのですが何せ急カーブの多い単線だけにあまりスピードが出ずいまいち急行形っぽい感じがしません。一方で内装は生半可な特急よりゆったりした「ロ」ですから組み合わせの面白さというようなものがあります。元富士吉田駅の富士山駅で降りてスイッチバックし河口湖に向かうところを見送りながらなるほどこんな車両だったのかと納得しました。


 と元165系のフジサン特急初乗り・乗り納めをしたら今度は別の車両にも乗りたくなったので日を改めて大月駅に行きました。京王5000系塗色の1200形の鈍行に乗ろうとしたら2000系引退を盛り上げるマークが掲示されています。


 車内でキョロキョロするとスピーカーに京王帝都電鉄のイニシャルKTRが見えました。またスイスのマッターホルン・ゴッタルド鉄道と姉妹関係にある旨掲示があるのを見ると台湾の平渓線と江ノ電のように片方の使用済み乗車券でもう片方にタダで乗れる乗車券の相互利用制度のようなおトクなキャンペーンでも始めてくれないものかと思ったりもするところです。


 10分ほど乗って中央道と並ぶ禾生で降り赤坂方面にしばらく歩いて行くと小さい踏切の脇に「山もとうどん」という「吉田のうどん」を出す店があります。本格的な(?)乗り鉄の前にここでまず腹ごしらえをしておこうというわけですが硬く食べ応えのあるうどんの大盛にしたらお腹いっぱいになりなんだか昼寝でもしたくなってしまいました。


 腹ごなしを兼ねて電車を見ながら赤坂駅まで歩いて行くことにします。途中見たフジサン特急は白が基調なので雪が似合う気がしました。


 赤坂駅の近くまで来ると踏切脇にラーメン店があります。自家製麺に化学調味料不使用という看板が目立っているのを見たら気になりうどんを食べて間がないのに衝動的に入ってしまいました。上品であっさりしたラーメンだったので無事美味しく食べられましたがお腹はまたキツくなります。


 うどんとラーメンのハシゴが済んだら赤坂駅で富士急唯一の生え抜きの電車5000形に乗りました。5000形は2両・1編成だけと数が少ないためなかなか当たらずかなり前に一度乗っただけだったので改めて乗っておこうと思ったわけです。現在5000形は富士急ハイランド内にある「きかんしゃトーマス」がテーマの「トーマスランド」に合わせ「トーマスランド号」に改装され時刻表に運用が載っているので簡単につかまえられます。車内を見ると乗務員室後部に「電車でGO!」のようなお子様向けの運転ごっこ席が用意され記念撮影用に帽子まで置かれている芸の細かさにまず感心させられました。


 浮かれた雰囲気にはなっているもののもともとボックスシート主体の2扉という車両なのでゆったり乗れます。途中見えた下吉田の駅名標に他の駅にもある英中韓表示に加えタイ語も並ぶのでなぜだろうと思ったらこの近所からの富士山の眺めがタイ人観光客に人気なのだそうです。


 終点の河口湖に着くと隣には元JR205系が停まっていました。これはあまり好みじゃないのでこればっかになったらヤダなあと思ってしまいますがさて今後どうなるのでしょうか。


 側線で休んでいた新旧のフジサン特急(新しい方は元小田急側「あさぎり」の20000形・RSE)と元JR側「あさぎり」の371系を見て駅前に出ると今度は保存車のモ1形が見え、と続き様々な車両が見られることに改めて感心しつつ高速バスで帰京しました。
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山梨交通の廃軌道見物

2015-04-29 | 山梨県
 甲府に行ってきました。駅前の百貨店の「山交」は山形交通の略ではなくもちろん山梨交通の方です。前世代の標準塗色(上)もなかなか見られなくなり国際興業グループらしさが前面に出た緑系(下)標準塗色が定着しているはずですが、全面広告のバスがあったりそもそも行き交うバスの数が減っていたりで「山交は緑」という感覚がなかなか身につきません。


 一方郡内の雄、国中では外様の富士急も広告塗装だったりするうえ行先に表示されている「富士山駅」も一体どこなんだかよくわからないような大雑把な駅名なのでどこから来てどこに行くんだかわかってはいてもよくわからないようなヘンな気分になりました。こうなると成田空港からはるばるやって来る千葉交通やウィラーの停留所を見る方が素性がわかりやすくてホッとしたりもします。


 さて今回の目的は1962年に廃止された山梨交通の電車の跡の見物です。路線の愛称は「ボロ電」ですが開業が1930年なので走っていたのは30年ちょっととボロと言われる程の歴史もないような気がします。あるいはそう呼びたくなるような施設や走りっぷりだったのでしょうか。
 この廃線跡で気になったのは軌道跡が廃軌道と呼ばれる道路になってバス通りのごく近くを併走していることです。両者の分岐・合流点からは離れたところでなるべく接近していそうなところを見物しようと地図を見て下八幡停留所付近(下の画像)に寄ったところ、ガソリンスタンドの1ブロック分だけ間に挟み2つの道路が一度に見られました。(画像は甲府方面を見たところ。左がバス通り・右が廃軌道。)どちらも上下1車線ずつのあまり広くない道路です。


 この並走する2つの道路は共に山梨県道5号線で、見ていてその近さから京急とJR東日本、あるいは山陽とJR西日本の並走区間を思い出してしまいました。しかもさらに同じく県道5号線を名乗る上下2車線ずつのバイパスが南に離れたところに作られているのでこれは方向別複々線というのかむしろ新幹線みたいに思えて来たり、という具合に同じ名前の県道が3つ併走しているのですから面白いものです。
 軌道跡と言うより道路見物のあとは十五所経由鰍沢営業所行きの山交バスにしばらく乗ります。富士川の上流にあたる釜無川を渡ったのちしばらく電車のルートから離れ近道の十五所を経由。小笠原付近からまた電車のルートと並走するようになるとほどなく富士川町に入り長沢火の見停留所で降りました。


 火の見櫓からそう遠くない廃軌道脇の利根川公園内にかつて山梨交通で走っていた電車が保存されています。


 この車両は1948年から使われた戦後派です。山交の廃線後上田丸子電鉄(現上田電鉄のルーツ)に移り丸子線で使われていたものの1969年に丸子線も廃止、さらに江ノ電に移って活躍し1986年の廃車後現在地に「里帰り」するというなかなか大変な経歴を持っています。だいぶ江ノ電らしくなっている顔を見て、同様に江ノ電に移って江ノ電顔に改造され廃車後は東急世田谷線宮の坂駅前に里帰り、という似たような経歴を持つ東急80形の保存車を思い出しました。


 保存車両を見たあとはせっかくなので歩いていける程度の距離にある増穂小学校を見に行きます。目当てはここに保存されている藤村式建築と呼ばれる擬洋風の建物です。その前に新しそうな胸像があるので誰かと見たら増穂小学校に通った経歴を持つという石橋湛山でした。台座に目を移すと「先生は自由主義 平和主義の立場を堅持し 小日本主義の主張を貫いた言論人であり 山梨県が生んだ唯一人の総理大臣であります」という具合です。昨年生誕130周年を記念して設置したことも書かれていました。


 増穂小学校からそう遠くない電車の終点甲斐青柳駅跡を見てから帰途につくことにします。ここは廃線後山交バスの折返場として使われていた時期もあったそうですが今は富士川町営バスが通るのみとなり台湾料理店とその駐車場のオマケという感じで停留所(停留所名は町民会館)とベンチ、上屋がややさびしく見えました。停留所の裏を見ると以前の山交の標準的な体裁の時刻表が見えそれを流用したものとわかり、こうなると電車というよりバスの名残を見に来たような気もしたりです。


 町営バスは山交(タウンコーチ)が運行していてコミバスにありがちな小さい車両ではないのでかなり山交バスっぽい気分で乗れます。これで身延線の市川大門駅に出て甲府に戻り帰京しました。
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