Sengoku1985

何故、私は鉄道を撮り続けるのか?

Kyusyu Railway Company#25

2014-06-04 | 鉄道写真


 その後、暫く九州から遠ざかっていましたが、平成20年春、遂に島原鉄道島原南線が廃止となることが決まり、併せキハ20形が全廃となるとのことで、2月の連休に諫早まで行きました。


 最初は、訪問前日の諫早から。ツートンのキハ2016(手前)2013(奥)の2両が、通常運用に就きます(写真)。



 翌朝は、JRから。同時期に廃止となった「あかつき」です(写真)。これに乗車することを後から思いつきましたが、その時には既に満席、遂に乗車は叶いませんでした。



 「あかつき」客車の方向幕(写真)。もう、これも見ることが出来ません。



 続いて、南島原へ。首都圏色のキハ2008(写真)。最期の時です。



 続いて現行キハ2501と並ぶ、キハ2003(写真)。島鉄急行色です。



 トロッコ「島鉄ハッピートレイン」用に、黄色の塗装となっている、キハ2011です(写真)。この列車も廃止でした。



 間もなくキハ2018(手前)2019(奥)の編成が、加津佐方面からやって来ます(写真)。最後の活躍です。



 そして、加津佐へ。島鉄急行色のキハ2003、2006の編成に乗車しました(写真)。



 加津佐到着(写真)。給油施設もありました。



 車内の様子(写真)。懐かしい固定クロスのボックスシートです。


 そして3月末日で島原鉄道は部分廃止、同時にこれら旧式車は全廃となり、一部が湊線等などに移動しましたが、大半は解体されたようで、悲しいです。


 最終日3月31日に合わせ、前後バス車中泊のツアーもあり、今なら絶対に行ったでしょうが、事情により残念でした。


 旧式気動車のサンクチュアリ、島原南線は、廃止されてしまいました。残念ですが、島鉄の経営もあり、仕方なかったのでしょう。もう二度と、取り戻すことは出来ません。せめて、少しでも永く、記憶に残って欲しいですね。


 それでは、次回をお楽しみに。

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Kyusyu Railway Company#24

2014-06-03 | 鉄道写真


 先回は長崎で終わっているので、今回は長崎から。九州で一番利用者数が多い私鉄は、「西鉄」では無く、「長崎市電」であることはあまり知られていません。1回100円という低額な利用料金も理由の一つ。その全線を巡りました。蛍茶屋も車庫ですが、メインの車庫は浦上(写真)。各種車輌が停まっています。



 続いては、島原鉄道。またしても南島原でヘタッてしまいました。キハ2013と2016、朱のツートンが並びます(写真)。



 続いて行ったのは、現在は「貝塚線」と名を変えた、西鉄「宮地岳線」。千早の再開発でJRとの乗り換えも改善、便利になったものの、結局西鉄新宮以遠は廃止となりました。


 その、部分廃止前の終点、津屋崎の終点標識です(写真)。



 ちょうど305他が停まります(写真)。西鉄の雑多な旧式車が多数集まっていましたが、部分廃止で余剰、廃車となったのでしょう。残念。


 末端の各駅は、少々年配の女性委託社員が駅を整備していましたが、廃止でさぞ無念だったでしょう。察するに余りあります。


 そして鳥栖まで戻り、「なは」と「あかつき」の併合を見て、乗車し、帰宅しました。


 普通乗車券なら何万円だろう、と震え上がりますが、当時はまだ周遊券がありました。今は代わるきっぷが九州では無く、期待したいところです。


 それでは、次回をお楽しみに。

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Kyusyu Railway Company#23

2014-06-02 | 鉄道写真


 門司での儀式を終えた私は、再び小倉へ。さっきは反対ホームにいたFm-5編成に、乗車しました(写真)。中は、ロングシートに改造済みでした。



 そして続いて、行橋へ。行橋からは、「へいちく線」(平成筑豊鉄道)に乗車(写真)。筑豊炭田の運炭のために開通した、国鉄線の一部を引き継ぎ開業した第三セクター、一部では複線非電化区間で走るレールバスもありましたが、今は軽快気動車です。



 支線もありますが、本線の端、直方へ。直方から筑豊直方まで歩こう、と思ったのが躓きの始め。果てしなく歩き、本当は国鉄をオーバークロスしたい高架設計の、筑豊直方に到着(写真)。筑豊電鉄です。ラッピング車、3008が停まります。



 単純に乗り鉄では面白くない。そこで、車庫のある楠橋で、下車。3車体式の2000形、2005が停まります(写真)。



 その手前には、3000形オリジナル、3001が停まります(写真)。


 筑豊電鉄、及び西鉄北九州市内線は、インターアーバンとして設計された関係で、国鉄線をオーバークロスする準備を折尾等でもしていますが、遂に夢叶うこと無く終わっています。



 そして黒崎まで戻り、「折尾のとりめし」を購入し、博多へ。丁度ホームには、「ゆふいんの森Ⅱ世」が停まっていました(写真)。「ゆふいんの森」、Ⅰ世はキハ65改造車、Ⅱ世はキハ200と同じ足回りの新製車です。どちらも優雅な欧風気動車、これも「水戸岡デザイン」です。



 そして、長崎へ。国鉄色に戻された、キハ66 1です(写真)。キハ66・67は、筑豊方面体質改善のための新製車、交流電源が50Hzで、60Hz設計のクーラーがフルパワーにならないそうです。



 今日の最後は、「白いかもめ」885系、SM2編成です(写真)。現在は「白いソニック」と共通運用です。


 九州を一周してから長崎へ、などと、普通乗車券では幾ら掛かるか想像も出来ませんが、当時はまだ「周遊券」があり、それほど大きな金額にはなりませんでした。しかし利用者減で廃止、代わるきっぷもなく、残念です。


 それでは、次回をお楽しみに。

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Kyusyu Railway Company#22

2014-06-01 | 鉄道写真


 その晩は滞在先の小倉のホテルに戻り、翌朝再び門司へ。丁度415系Fm-5編成(交直流一般色)が、門司港方面ホームに入ります(写真)。



 そして本題の「富士・はやぶさ」へ。EF81 410牽引下り「富士・はやぶさ」が、関門トンネルを越え、門司駅に入線します(写真)。



 EF81を早々に切り離し、ED76 92が、「はやぶさ」を牽引すべく接近(写真)。連結後、出発します。



 続いて浮気を。EF81 453牽引貨物列車が、関門トンネルに向け走ります(写真)。同機の所属は、富山か、門司か、一定しませんね。



 そして残された客車にED76 70が連結され、「富士」の発車を待ちます(写真)。定時に出発しました。


 併合時と比べ、切り離したり、繋いだり、というのが少ないのが分割時です。その点面白味は少ないですが、今では残っておらず、貴重です。動画はありませんが、記録する機材があり、幸せでした。


 それでは、次回をお楽しみに。

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