ぼちぼち虫干しが始まる 2009-07-20 23:59:22 | おまつり大好き! 梅雨が明けていれば、良かったのだけれど、気まぐれはどうしようもない。 それでも、お祭りのための大切な「だんじり」「七福神」のために、小玉町では一足早く「虫干し」 「楼車(だんじり)蔵」 「七福神」が乗る船?なんて呼べばいいんだろう? 小玉町のM自治会長さんに所用で連絡をとったら、「今日は虫干しで集議所に・・・」 慌てて出かけたものの、後の祭(笑) 蔵の中では、大型扇風機が回ってた(笑) 肝心の虫干しの様子は、開放された「蔵」だけ・・・ « 曇り・晴れ そして豪雨 | トップ | あたごさんの準備のその前に »
2 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 おお、恥ずかしい (くノ一) 2009-07-21 17:38:35 七福神様がお乗りになる船は「宝船」でした(笑)なんだ、そういえば最近まで「タカラブネ」っていうお菓子やさんがあったな・・・違うってお菓子屋さんじゃなくって夷(恵比寿)・大黒・毘沙門天・弁財天・福禄寿・寿老人・布袋の七神が乗る船=宝船 ですね。小玉町さんからお叱りを受けそうだ 返信する 素朴な疑問を (くノ一) 2009-07-22 12:49:35 祭バカ(ごめんね)さんにしてしまった。「なんで小玉町さんが『七福神』なの?」その友人は、やっぱりすごい!ちゃんと答えを返してくれました。「なんで三之町筋が鬼町なの?、、という疑問とよく似ています。実際の所は、真の要因は、判らないんじゃないかなぁ・・・寛延年間に、葵祭の練り物である七福神をまねて、当時住んでおられた、絵師によって始められたとか・・・(絵師:高井五兵衛) 七福神は、西町の武者車(ガタガタ人形)とか、と同じ「練り物」であり、鬼行列と同じ風流(ふりゅう)行列として存在していた様です。七福神は、行列だけでなく、踊りも伝承した、いわゆる、、「練り物の渡し物」だったようです。本町、二之町筋が、練り物からだんじりに変っていったと考えられていまして、、そのきっかけとなった時期が、菅公850年祭あたりとされているようですな・・・ 鬼行列は言い方を変えれば、おまつり初期の練り物を、変る事なく伝承してきた結果であると言えましょう」と。『上野天神祭:総合調査報告書』には、もう少し詳しく書かれているのですが、友人の言葉の方がわかり易かったので、ご参考までに。 返信する 規約違反等の連絡 コメントを投稿 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
なんだ、そういえば最近まで「タカラブネ」っていうお菓子やさんがあったな・・・違うって
お菓子屋さんじゃなくって
夷(恵比寿)・大黒・毘沙門天・弁財天・福禄寿・寿老人・布袋の七神が乗る船=宝船 ですね。
小玉町さんからお叱りを受けそうだ
「なんで小玉町さんが『七福神』なの?」
その友人は、やっぱりすごい!
ちゃんと答えを返してくれました。
「なんで三之町筋が鬼町なの?、、という疑問とよく似ています。
実際の所は、真の要因は、判らないんじゃないかなぁ・・・
寛延年間に、葵祭の練り物である七福神をまねて、当時住んでおられた、絵師によって始められたとか・・・(絵師:高井五兵衛)
七福神は、西町の武者車(ガタガタ人形)とか、と同じ「練り物」であり、鬼行列と同じ風流(ふりゅう)行列として存在していた様です。七福神は、行列だけでなく、踊りも伝承した、いわゆる、、「練り物の渡し物」だったようです。
本町、二之町筋が、練り物からだんじりに変っていったと考えられていまして、、そのきっかけとなった時期が、菅公850年祭あたりと
されているようですな・・・
鬼行列は言い方を変えれば、おまつり初期の練り物を、変る事なく伝承してきた結果であると言えましょう」と。
『上野天神祭:総合調査報告書』には、もう少し詳しく書かれているのですが、友人の言葉の方がわかり易かったので、ご参考までに。