一国一城の主になった気分
『伊賀上野城…さて、そのお城(お城と言うと、皆さんが天守閣を想像されると思いますが、本当は、天守閣を含め、外掘含めの城郭全てを「お城」と呼ぶのだと、現伊賀上野城城内家老・福井健二さんのお話です)の見所には、先ず高石垣があります。
藤堂高虎が当日斬新な技術を持って作ったそれは、同じく同氏が縄張り(設計)した江戸城、徳川時代(現在)の大阪城と同じ構造で、日本一高い十五間の石垣です。
現在の天守閣は、
3層で、昭和10年に建造されました。
産業の繁栄を祈念し、正しくは伊賀文化産業城と言い、通称伊賀上野城もしくは白鳳城と、...
他の見所として、豊臣時代、筒井氏の天守基台、
そしてご存じの伊賀流忍術博物館(通称忍者屋敷)、松尾芭蕉の旅姿を形取った俳聖殿、現存する藩校として貴重な崇廣堂があります。外掘は明治時代に埋められましたが、そこに掛けられていた京口橋の擬宝珠(ぎぼし)が残っており、城内に展示されています。』(赤梟さんから大和乃侍・徳丸さんに直伝の解説より)
南方面、いわゆる「中心市街地」とよばれるところ。
やや南西方面、
西方面、すぐそこに「上野高校第2グラウンド」、部活動中。
「俳聖殿」、芭蕉さんの笠を模している屋根、檜皮葺でございます。
小田町の旧家の家並み。
もうすぐ、春・・・
明るい春になればいいなぁ
もうすぐ「桜」が咲きます。上野公園も桃色に染まりますよ~~
参考、Google検索にて「福井健二講演・中世の城館解説より『花垣地区のお城』」
『伊賀上野城…さて、そのお城(お城と言うと、皆さんが天守閣を想像されると思いますが、本当は、天守閣を含め、外掘含めの城郭全てを「お城」と呼ぶのだと、現伊賀上野城城内家老・福井健二さんのお話です)の見所には、先ず高石垣があります。
藤堂高虎が当日斬新な技術を持って作ったそれは、同じく同氏が縄張り(設計)した江戸城、徳川時代(現在)の大阪城と同じ構造で、日本一高い十五間の石垣です。
現在の天守閣は、
3層で、昭和10年に建造されました。
産業の繁栄を祈念し、正しくは伊賀文化産業城と言い、通称伊賀上野城もしくは白鳳城と、...
他の見所として、豊臣時代、筒井氏の天守基台、
そしてご存じの伊賀流忍術博物館(通称忍者屋敷)、松尾芭蕉の旅姿を形取った俳聖殿、現存する藩校として貴重な崇廣堂があります。外掘は明治時代に埋められましたが、そこに掛けられていた京口橋の擬宝珠(ぎぼし)が残っており、城内に展示されています。』(赤梟さんから大和乃侍・徳丸さんに直伝の解説より)
南方面、いわゆる「中心市街地」とよばれるところ。
やや南西方面、
西方面、すぐそこに「上野高校第2グラウンド」、部活動中。
「俳聖殿」、芭蕉さんの笠を模している屋根、檜皮葺でございます。
小田町の旧家の家並み。
もうすぐ、春・・・
明るい春になればいいなぁ
もうすぐ「桜」が咲きます。上野公園も桃色に染まりますよ~~
参考、Google検索にて「福井健二講演・中世の城館解説より『花垣地区のお城』」