つむじ風

世の中のこと、あれこれ。
見たこと、聞いたこと、思ったこと。

エネルギー(上) 

2013年10月27日 10時28分55秒 | Review

 黒木 亮/講談社文庫

 先ず、最初の感想は「世の中、すごい人が居るもんだ」ということである。そのスケールの大きさは半端じゃない。地域といい金額といい通常では経験しがたいグローバルな舞台で話しは展開する。さすがに総合商社の話しである。こんな話しが書ける人も居るのだと感嘆する。始終カネの話しが出て来るわけだが、いくら仕事とはいえ、まるで桁が違っているわけだから、違う「円」の話しかと思うくらいの差があるように思う。私の経験では、唯一自宅購入の不動産取引をした時に感じた記憶が甦る。それは、数千万円の話しだったが、銀行で契約時に目の前を右から左に通り過ぎて行ったものだった。金額が大きくなると、人間どうしても細かい額はどうでもよくなってしまい、数万円のことで細かいことは言わなくなる。彼らは常に億単位の話しをしているのであって、数百万円のことなどに目もくれない。金銭感覚が麻痺する仕事である。

 主人公は金沢明彦、五井商事の燃料本部の社員である。金沢は著者本人であると思われる。金沢の目を通して語られる官僚の代表十文字一は、いかにも日本の官僚の権化のような男である。そのいやらしさ、姑息さ、欲深さ、権力へしがみつく貧相さといった全てが象徴される。陳久霖は、これまた中国企業を代表するような性格を現しているから面白い。尊大で厚顔無恥、貪欲で飽くことを知らない。さてさて、金沢とともにサハリンBの行方はどうなるのだろう。そしていずれ対決するであろう妹とし子との関係は。十文字一や亀岡吾郎のその後の顛末も気になる。秋月修二の事業は果たして成功するのだろうか。陳久霖の対決も見ものだ(いや読み物だった)。

 都市銀行、証券会社、総合商社、国際協調融資、各種ファイナンス、プロジェクトを23年にわたって仕事をしてきた経験が生きる小説である。全般ドキュメンタリーのようなタッチで、随分リアルである。架空部分がうまく織り込まれており、ついつい事実かと思ってしまう。「上中下」の3巻になっているようで、なかなかの立派な長編大作である。

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ひとつ灯せ

2013年10月24日 21時53分14秒 | Review

―大江戸怪奇譚―
 宇江佐真理/文春文庫

 山城河岸平野屋の主清兵衛が主人公、友人の山下町蝋燭問屋の主伊勢屋甚助に誘われて「話しの会」なるものに加わることになる。二人を含めた「話しの会」のメンバーは七人。そこで出て来る奇妙な話しの数々。身の回りに起きる奇妙な出来事。それは「人の心が作り出す魑魅魍魎」の話しだった。てな具合に宇江佐ホラーは始まる。

 「ひとつ灯せ」も「卵のふわふわ」と同じ中長編モノ。生に対する執着から、死に対する畏れ、恐怖、覚悟といったものへ心の変遷が魑魅魍魎とともに語られる。巷にあふれるおふざけホラーとは一線を画し、とぼけたホラーもあるが、そこは宇江佐流の細やかな江戸庶民の情緒をふんだんに取り込んだ哀歓を込めた作品となっている。

 宇江佐流ホラーについては、既に「ほら吹き茂平」で読んでいるが、全編通してのものは、この本が初めてである。勿論、小説家にとってホラー作品の得手不得手はあるだろうが、まるでコロッとスタイルが変わるということはない。思うに、やはり「髪結い伊三次」の基本を外さずにホラーに挑戦しているといったような按配である。宮部みゆきの作品の中にも(「あやし」等)同様のソフトホラーがある。同じ女性小説家、同じ時代小説において何がどう違うのか、各々の独自性、持ち味といったものを楽しみながら読むのも読書家の秘かな喜びというものなのではないだろうか。

 「話しの会」のメンバーは、各々の運命に黙々と従った。和菓子屋の龍野屋利兵衛は鬱病が悪化して亡くなった。私塾の儒者中沢慧風は請われて遠地へ移っていった。町医者の山田玄沢は、ちょっと無沙汰をするうちにすっかり認知症になってしまった。一中節の師匠おはんは首をくくって自害した。そして、何かにつけて助けてくれた友人の蝋燭問屋伊勢屋の甚助は、突然心筋梗塞で亡くなった。北町奉行所に勤める例繰方同心反町譲之輔は、最後の勤めに励んでいる。あれほど生きることに執着し、死を畏れていた主人公平野屋の清兵衛も、最後には「生あるものはいずれ死ぬ」という摂理を(強制や諦めということでなく)自然体で受け入れたようだ。これを「悟り」というかどうかは別にして、人生のうつろい、はかなさ、あやうさ、心許なさを余すことなく書いている。これが「宇江佐流ホラー」なのだと納得する。

 「ひとつ灯せ~」・・・・「ええい!」

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大江戸切絵図

2013年10月20日 18時09分45秒 | Weblog

 時代小説の背景は大方が江戸時代で、その文化の圧倒的優位性は今も衰えを知らない。ところで、小説は読むものの、そこに出て来る地理的な位置関係がなかなかつかめない。そこで、適当な地図はないものかと探ってみた。世の時代小説家達は、どんな地図を参考にしているのだろうかという思いもあるが、直接聞くという訳にもいかないので、Netで探してみた。

 またよく散見する「切絵図」とは、どんな絵図を言うのだろうか。図を見る限り、特に切り貼りしているようには見えないのだが??、という疑問がふと湧いた。で、例によってNetで「切絵図」を検索すると、Yahoo!百科事典(日本大百科全書/小学館)で以下のような解説があった。
http://100.yahoo.co.jp/detail/%E5%88%87%E7%B5%B5%E5%9B%B3/

 なるほど、「切絵図」は区分地図であって、特に「切り貼り」している訳ではないらしい。時代と共にその出来具合(分割数など)を追ってみると、
1670 江戸大絵図/5分割
1769 新編江戸安見図鑑/17分割
1755 吉文字屋版/8分割
1851 近吾堂版/30分割
1863 尾張屋版/31分割
1852 平野屋版/40分割
 というようなことで、「切絵図」作りの試行錯誤、苦戦の跡が伺える。

 一般に江戸切絵図とは、登場した順番に吉文字屋板、近吾堂板、尾張屋板、平野屋板の四種類を指すようで、江戸全体をカバーしたのは近吾堂板と尾張屋板。特に有名なものもこの二つなのだとか。平野屋版は方位重視で、意気込んで40分割としたが、実際は3枚ほどの発刊に止まったらしい。尾張屋板は浮世絵版画の技術を最大限に活かした多色摺りの華やかな図面が特徴となっており、おおいに江戸庶民の人気を得ていたらしい。

 近吾堂版、尾張屋版、平野屋版の発刊は「切絵図」の全盛期となるのだが、はや時は幕末、この後「尾張屋は、激動する歴史に向かって最後の江戸の姿を焼き付けるかのように、慶応から明治初年にかけてのわずか3年間に、たてつづけに28種35回もの切絵図の重版を世に出した後、江戸地図の舞台から忽然と消えていきます。」と、復刻版を手がけている岩橋美術のTop Pageで解説されている。

 もともと、神社仏閣はもとより旗本の上屋敷、中屋敷、下屋敷など武家屋敷を表すのが大きな目的でもあったから、幕藩体制が崩壊してその意味がなくなった訳で、「忽然と消え」るのも無理はない。しかし、尾張屋さんが最後に奮闘、発刊してくれたおかげで大方の「切絵図」が「江戸切絵図と言えば尾張屋版」というくらいに現存しており、今も我々を何かと楽しませてくれる貴重な資料となっているのは事実である。時代小説には欠かせないツールになっているのは勿論のことである。

◎ 人文社復刻版/江戸(切絵図)
 人文社の復刻版「切絵図」は紙ベースで愛用されていたようだが、残念ながら会社は2013年8月に(約2億7千万円の負債を抱えて)事業・業務を停止した。gooの「古地図」は人文社の協力を得て江戸(切絵図)として、Web版を掲載している。
http://map.goo.ne.jp/history/area_top.html
「嘉永・慶応 江戸切絵図/人文社」あたりがベースになっているのではないかと思うが、切絵図は30分割で、各区分を選択するとその詳細が表示される。表示画面の小さいのが残念だが拡大縮小も充分で、切絵図としての雰囲気もしっかり残しているところが良い。現代地図との比較も簡単で、いにしえを訪ねるような場合は非常に役立つに違いない。

◎ 岩橋美術Web page
 本来の原図に準じた復刻版で切絵図を見たいという方は、これが良いだろう。岩橋美術では尾張屋版32図の全てを復刻している。ただしそれは(紙ベース)地図という性格上かなり大振りとなることを覚悟しなければならない。
http://www.iwabi.jp/index.html
このWeb Pageでも、各図のView画面が用意されているが、詳細まで見ることは難しい。それよりも、「版行年一覧」というPageがあり、各図の発行履歴が興味深い。

◎ 江戸切絵図/国立国会図書館デジタル化資料
 国立国会図書館には28図の原図(尾張屋版)が所蔵されている。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1286255?tocOpened=1
PDFで保存もできる。自前印刷も可能だが、A4版では詳細判読が難しい。DownloadしたPDF版を拡大参照するよりも、Web画面を直接拡大した方が詳細明瞭である。

◎ 須原屋茂兵衛版/江戸大絵図
 安政六年(1859-1860)須原屋茂兵衛版ということで、16分割Web版がある。http://onjweb.com/netbakumaz/edomap/edomap.html
基本的には、旗本の(上、中、下)屋敷の表記が中心だが、町名、屋敷名の検索機能もある。地図上のマウスポインターで地域名、御門名、橋名等がガイドされる仕組みもあるようだ。但し、400%に拡大しても鮮明なので、見易さの点では素晴らしいが、文字の表示が本来の毛筆体からゴシック体になっているのがちょっと残念だ。堀や川の名前がまだ掲載されていないようだが、Web Pageは製作進行中(発展途上)のようで、今後にも期待できる。本所、深川付近の地図は、時代小説作家の宮部みゆき「宮部みゆき全小説ガイドブック/洋泉社」でも紹介されたらしい。

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卵のふわふわ

2013年10月17日 12時39分19秒 | Review

ー八丁堀食い物草紙・江戸前でもなしー
 宇江佐真理/講談社文庫

 臨時廻り同心の椙田忠右衛門・ふでの夫婦、そして同居している隠密廻り同心の息子正一郎・のぶの夫婦、ときどき訪ねてくる幇間の桜川今助。江戸、八丁堀の町屋に囲まれた岡崎町の組屋敷で暮らす二組の夫婦の物語だ。主人公は若奥さんののぶさん。この本は2007年7月13日初版なので比較的新しい作品である。ただ、講談社ではこの「卵のふわふわ」の前に4冊ほど出ているので、またもや新旧逆に読むことになりそうだ。

 で、宇江佐さんの作品は「髪結い伊三次」以外、短編が多いのだが、「卵のふわふわ」はめずらしく長編(中編?)小説である。「卵のふわふわ」なんて、変なお題だなと思っていたが、なるほど「ふわふわ」は、各々世代夫婦の心模様を言っているようで、なんとなく納得した。その他にもいろいろな夫婦(或いは男と女)が出て来るが、やはりどれも「ふわふわ」で、この心模様は現代にあっても全く変わらない。このことは宇江佐さんが時代小説を書く上での根本的な動機でもあるだろう。

 「たまごふわふわ」は「仙台下向日記」「東海道中膝栗毛」などにも登場するらしい。静岡県袋井市観光協会が町おこしとして「たまごふわふわ」に目をつけ、これを当時の文献をもとに再現販売しているらしい。いま流行のB級グルメである。ん~、食べてみたい!

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片蔭焦がす

2013年10月14日 10時05分48秒 | Review

-返り忠兵衛 江戸見聞10-
 芝村凉也/双葉文庫

 2013年7月14日初版の10冊目。久々の筧さんの登場です。
・八相斬の衝撃
 浅井さん、「八相斬」を携えてやっと江戸に帰ってきたようです。
 浅井さんの挨拶で忠兵衛すっかりヘコんでしまいました。
・伏流水
 あれこれ複雑なことになってきました。
 小多喜組の跡目相続問題で悩む隠居兎角との出会い。
・おみちの縁談
 八百屋の倅伊与太の嫁に。
 浅井さん、隠居の兎角を助っ人する。
・魔手再び
 今度は朝太郎がおみちを狙ってきた。
・自ら選ぶ道
 伊与太とおみち、健三と勝弥(お美禰)で今回はHappy End。
 しかし御前は紗智と国元へ、凶賊天名の鬼六はいよいよ江戸へ出て来るか。
 そして州崎屋の籐七は、神原を助っ人にしていよいよ賭に出るか。

 10冊目を数えても一向に終わりが見えない「返り忠兵衛」だった。

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ほら吹き茂平

2013年10月13日 22時55分04秒 | Review

 宇江佐真理/祥伝社文庫

 2013年7月30日初版で読む。以下6編が集録されている。
・ほら吹き茂平 大工の棟梁茂平、お春、息子の小平次、その妻お久など、
 共に暮らす家族の日々のはなし。
・千寿庵つれづれ 本所小梅村の千寿庵、そこの尼僧真銅浮風の話し。
 庵主様はちょっとホラー。
・金棒引き 佐兵衛の妻おこうが主人公。
 菓子屋「吉野屋」の佐兵衛と佃煮屋「川越屋」の新兵衛の寄り合い。
 季節めぐる世間の噂話し。
・せっかち丹治 丹治、おせん夫婦とその娘おきよのこと。
 六兵衛店の店子そろっての引っ越し、銀太郎、おきよの祝言。
・妻恋村から 「千寿庵つれづれ」から続く。
 上州吾妻郡鎌原村の長次のこと。
 浅間山の噴火と鎌原村の人々の苦悩。
・律儀な男 大伝馬町一丁目「富田屋」の四代目市兵衛の話し。
 留蔵とその女房のおさだのこと。

 この本はかなり新しい。この本の前に祥伝社文庫では「十日えびす」「おぅねぇすてぃ」などが既に出ているからまたもや新旧逆に遡って読むことになったかもしれない。「千寿庵つれづれ」「妻恋村から」のように連続すると、読み難くなってしまうのだが、多くは短編集なので、あまり気にせず読んでみたいと思う。
 相変わらずのタッチで「江戸庶民の暮らし」を丁寧に描く。裏店、そして店子達、これこそ本当に「江戸市井の情景」なのだろうと思う。昔の人々の懸命な暮らしが誇らしく嬉しくもあり、そして辛くてもの悲しい。

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桜花をみた

2013年10月10日 15時42分01秒 | Review

 宇江佐真理/文春文庫

 2007年6月10日初版で読む。以下5編が集録されている。
・桜花をみた 伊勢屋の手代英助の秘密、お久美との祝言。
 遠山の金さん(遠山金四郎、遠山左衛門尉景元)の隠し子の話し。
・別れ雲 筆屋「宝山堂」の娘おれんと若い絵師の吉川鯛蔵(歌川国直)。
 おれんの夫卯之吉とのより戻し。
・酔いもせず 画狂人北斎とその娘お栄、夫の南澤等明との離縁。
 お栄の実兄富之助、弟の多吉郎のこと。そして英泉(善次郎)のこと。
・夷酋列像 蠣崎波響(蠣崎将監広年=松前家の五男金助)の生涯。
 蝦夷乙名11名の肖像画と松前藩の降格移封から復領まで。
 絵を描くこと、藩政に関わること、家臣としての責任。
・シクシピリカ 煙草屋の奉公人元吉の蝦夷ヶ島に賭ける夢と冒険。

 本としては比較的新しいが、「別れ雲」「酔いもせず」の初稿は「幻の声」以前に書いたものということなので、そこそこ古い。「夷酋列像」「シクシピリカ」は同じ背景(松前藩の変遷)のもので、視点が内からと外からの違いがある。宇江佐作品もここまで読んでくると、およそその世界がわかる。根幹となるのはやはり「髪結い伊三次」。そして、枝葉として書ききれなかった隙間を埋めるように短編集がある。画狂人北斎の娘お栄さんや菊川英泉(善次郎)は「おちゃっぴい」にも登場する。登場人物は枝葉のように伸び出てくるから面白い。あの登場人物は今頃(その後)どうして居るだろうというものをうまく取り込んでいる。

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復讐の弾道

2013年10月09日 12時46分14秒 | Review

 大藪 春彦/角川文庫

 1935年2月22日生まれ、1996年2月26日(61歳)没。主な作品は「野獣死すべし」、「蘇える金狼」、「汚れた英雄」など。いずれも映画化されており、「野獣死すべし」、「蘇える金狼」は松田優作のはまり役で、今までのヤクザモノ、警察モノとは違う強烈なインパクトを持った作品だったことを覚えている。そんなことがあってか大藪作品を読むのは初めてだと思うが、そんな気は全くしない。

 「復讐の弾道」の主人公は羽山貴次、兄誠一の自殺に疑念を持ち、その周辺を調べる内に復讐の鬼と化して、一人巨大企業東和コンツェルンに戦いを挑んでゆく。主人公は決してヒーローではない。つまり「毒には毒を以て制す」なのだが勧善懲悪でもない。かといって社会派小説とも違う。解説でも語られているが、決して社会的に是認されることのない自爆的反骨の怒りのようなものによって突き動かされている小説である。あらゆる権力や体制、組織といったものへの絶対的な不信、憎悪、嫌悪が根底にある。同じハードボイルドでもかなり反社会的な側面があるように思われるが、それが大藪小説の特徴なのだろう。

 銃、ナイフ、車(飛行機、ヨットなど乗り物を含めて)といったようなモノに対して浅からぬ憧憬をもっていた。大藪作品から「銃、ナイフ、車」を取ったら何も残らないと皮肉を言われることもあったらしい。しかし、その作品群は並みのハードボイルドとは違う、何ものにも組みしない異端、孤高の叫びだと思う。この本は1973年10月30日初版の、1977年8月30日8刷発刊本である。すでに40年も前のものであるが、それほど古さは感じない。

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おちゃっぴい

2013年10月06日 22時31分51秒 | Review

-江戸前浮世気質-
 宇江佐真理/文春文庫

 前回読んだ「神田八つ下がり」は徳間文庫、今回の「おちゃっぴい」は文春文庫である。文春文庫の方は「2003年5月刊、徳間文庫の二次文庫」ということで、やはり先に徳間文庫で「おちゃっぴい」が発刊されているらしい。同じ文庫本なのだが、2社で発刊することもあるらしい。復刻版ということなら判るが、このようなことは珍しいのではないだろうか。
 ということで「おちゃっぴい」は2011年1月10日初版の文春文庫版で読むことになった。以下6編が集録されている。

・町入能
 甚助店の住人が千代田のお城で開かれる「能」見物。
 花井久四郎・みゆき夫婦の甚助店暮らし、そして裏店との別れ。
・おちゃっぴい
 浅草の札差「駿河屋」の娘お吉と筧惣之進、絵師の菊川英泉の話し。
 蔵前小町と呼ばれたいお吉は「おてんば娘=おちゃっぴい」。
・れていても
 薬種屋「丁子屋」の菊次郎とおかねとの縁談、町医者佐竹桂順とお龍の話し。
・概ね、よい女房
 甚助店の新しい住人実相寺泉右衛門とおすまのこと。
・驚きの、また喜びの
 十手持ちの伊勢蔵の娘小夏と鳶の龍吉のこと。
・あんちゃん
 伏せておいたなりた屋の放蕩息子安太郎(おかねの兄)のこと。

「町入能」の続きは本書の「概ね、よい女房」へ。
「れていても」の続きは本書の「あんちゃん」へ。
「驚きの、また喜びの」はこれで終わって、再び「身は姫じゃ」から。
「あんちゃん」の続きは「神田堀八つ下がり」へ続く。

 本来、「おちゃっぴい」と「神田八つ下がり」は徳間文庫版が最初で、一応登場人物の関係から続き物のような関係にある。かといって完全な続き物という訳でもないので、どちらから読んでも構わないような気もするが、できれば「おちゃっぴい」、「神田八つ下がり」と読み進んだ方がスムーズである。本書では「おちゃっぴい」も良かったし「驚きの、また喜びの」も良かったな。

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神田八つ下がり

2013年10月03日 19時00分32秒 | Review

-河岸の夕映え-
 宇江佐真理/徳間文庫

  2005年6月15日発刊の初版。以下の6編が集録されている。著者の文庫本は大方文春文庫なのだが、これは何故か徳間文庫である。

・どやの嬶(御厩河岸) 神田須田町の和泉屋の娘おちえと舟宿「川藤」のお内儀のこと。
・浮かれ節(竈河岸) 幕府小普請組、三土路保胤の暮らし。
・身は姫じゃ(佐久間河岸) 和泉橋の橋の下の姫(敏子)と伊勢蔵・おちか夫婦の話し。
・百舌(本所・一つ目河岸) 藩校「稽古館」の教官を退いて江戸で暮らす
 横川柳平と津軽の常盤村で 暮らす実姉おひさのこと。
・愛想づかし(行徳河岸) 居酒屋に勤める出戻りのお幾と魚河岸で人足として
 働く(三枝屋の息子)旬介との暮らし、そして二人の別れ。
・神田堀八つ下がり(浜町河岸) 貧乏旗本の冷や飯食い青沼伝四郎とその将来を
 心配する薬種屋「丁子屋」の菊次郎、町医者佐竹桂順の話し。

 ここに集録された6編は、すべて「河岸」を背景にしている。河岸にちなんだ小品とでも言うのだろうか。江戸は運河(堀)の町なので、他の作品でも何かにつけて「河岸」は出てくる。従って特別に珍しい訳ではないが、著者にとって、何某かのこだわりがあったのだろう。

 自分の我が儘、思い違い、勘違い、期待や羨望、情けなさ、悔しさ、惨めさなど、人生がいかにままならないものなのか、じっくり読み聞かせる話しだった。一話一話が形容し難い作品なのだが、「どやの嬶」では何不自由なく我が儘に育ったおちえが舟宿「川藤」のお内儀の胸の内を知り、自らを振り返える。そして覚悟を決める成長過程が何とも言えない。「浮かれ節」など、閑職サラリーマンを彷彿させるような身動きままならない話しだった。そこで鬱になったところで、「身は姫じゃ」でほのぼのした話しが入る。「百舌」では思いもよらない周囲の人々の思いが今頃になって身に染みてくる。「愛想づかし」の「お幾」は何とも哀れだった。

 「神田八つ下がり」は、実は「おちゃっぴい―江戸前浮世気質―」の続編なんだとか、物語として続き物ということではないようだが、同じ登場人物がいるという点で、続編もどきになっているようだ。それを知っていたら「おちゃっぴい」を先に読んだものを、ちょっと残念なことをした。

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