つむじ風

世の中のこと、あれこれ。
見たこと、聞いたこと、思ったこと。

原子炉「マークⅠ」

2011年04月28日 10時14分40秒 | Weblog

「朝日 ザ・コラム(山中 季広/NewYork支局長)」から

 福島原発は別名「マークⅠ」というタイプで、開発したのはアメリカのGE(ゼネラルエレクトリック)である。1960年代に実用化されたもので敦賀は70年03月に、福島は1971年03月に創業を開始した。このタイプは合計32基が今も世界中で運転中である。しかし原発で言えば草生期、今となっては初期型の古いタイプということになる。

 この原発の「格納容器があまりに小さく、水素が大量発生すれば容器が耐えられない」という弱点は1972年にはもう指摘されていた。更にまた「冷却機能が失われると、格納容器は内部からの負荷に耐えきれず破壊してしまう」という点も1975年には既に判明している。このような弱点は、その後の原発で改善されているものの、既に運転中のものは「補強、改良」といった間に合わせで済ませている。要するに原発は「一旦動き出したら止められない」ものらしい。

 勿論、今回の事故は地震と津波が原因である。福島原発が他のタイプであれば、どんな災害となったかなど知るよしもない。しかし、マークⅠがその弱点を露呈したことは確かである。かつて、GE社内でこのマークⅠの欠陥をめぐり抗議の辞職をしたエンジニアも居たという。そんな「マークⅠを全面禁止」の淵から救ったのがJ・ヘンドリー博士という人物である。

 J・ヘンドリー博士の「哲学」によれば「火でも蒸気でも石炭でも、人類は革新的技術を手に入れる度、痛ましい事故に見舞われた。それでも我々はそれを克服して前進してきたのだ。福島の悲劇も又例外ではない」と。そう言われると確かにそうなのだが、廃棄物や汚染物質の始末、放射性物質の飛散、廃炉処理とどれをとっても簡単ではない。それに伴う犠牲もまた半端ではない。我々は博士が言うように、本当にこの難事を克服して、前進することが出来るのだろうか。

 1970年代、その頃の日本と言えば明らかに原発後進国。GEの指導の元、丸ごとすべてを受け入れるしか手がなかった。地震大国で、しかも周囲を海に囲まれ津波という厄介もある。そんな実情に関係なく日本のメーカーはGEの下請けとして長い間やってきた。しかし、今後のエネルギー不足問題を解消するためにも、今回の犠牲を取り戻すためにも、このままいつまでも下請けを続けるわけにはいかないだろう。

 「もの作り日本」として、H2ロケットエンジンがそうであったように、原発も又同様に日本の厳しい実情に合った高性能で超小型、しかも高い安全性を備えたものを自力で開発する必要があるのではないだろうか。

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測定不能

2011年04月24日 13時15分48秒 | Weblog

 ものごとには誕生(始め)と終末(終わり)がある。誕生から終末の間は時々刻々と変化し続けて、止まることはない。原子炉をいかに強固に作ったとしてもこの摂理には従わねばならない。とすれば、必ず壊れることを前提にしなければならない。その意味で、安全であることを前提にするのは極めておかしいということになる。

 今回の事故から改めて基本的な考え方の違いを認識せざるを得ない。スリーマイル島やチェルノブイリの事故から学ぶべきこと、それはこのことだったのではないだろうか。

 一般的にものごとを考えるときに、その認識の有無に関わらず「人の寿命」を尺度にしている。およそ100年という単位である。この範囲におけるものごとの終始は計画することもできれば実行することもできる。修正することもできるだろう。即ち、人の意志が届く範囲であり制御可能な範囲なのである。

 ところが、放射性物質のように100年を越えて影響を及ぼす事態が発生したとき、人はその尺度で測ることが出来なくなる。人の寿命を遙かに超えた、この宇宙的な時間の問題に対し、修復することも出来なければ、責任を負うことも出来ない。過去の歴史として漫然と忘却の淵に追いやるのみなのである。ましてやこんなことを次世代に託すなど、無責任以外のなにものでもない。

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被曝線量

2011年04月21日 18時19分28秒 | Weblog

 2011/04/21毎日新聞Webに被曝線量の解りやすい比較図があった。それを参考にしてザッと並べると次のようになる。(単位:mSv)

0.05 胸部X線集団検診(1回)
0.19 飛行機で東京~NewYork間往復
1.0 一般人の年間被曝限度
2.4 自然被曝(世界平均)
6.9 CT検査(1回)
20 「計画避難」地域の年間被曝線量
50  原発作業員等の年間被曝限度
100 発癌の影響が出始める
173~180 3号機の作業員(退院)の被曝量
250 事故対策に当たる作業員の(今回)特例基準
500 リンパ球の減少
1000 吐き気等の症状が出る
   2号機の地下汚染水は1000以上
3000~4000 約50%が死亡
6000~7000 これ以上の線量では99%死亡
6000~20000 JOC事故で死亡した作業員の被曝量

 ところで、国際放射線防護委員会(ICRP)というものがあって、この委員会の勧告よれば、緊急時の作業従事者の被曝線量限度として、500~1,000mSvを勧告している。更には、「情報を知らされた志願者による救命活動」は線量制限なし、その他の緊急救助活動は500mSvを限度とするとしている。

 この委員会は「無慈悲で、人権を無視している」などとは思わない。これは原発の事故についてそのリスクを承知した上で最終事態において取らねばならない対策を認識しているからである。「最悪はここまでしなければならないことを覚悟しておく必要がある」ということを指している。日本はこれまで「通常時50mSv、緊急時100mSv」という基準であった。より厳しい基準であることに何も異論はない。しかし安全を強調するあまり「原発に対するリスク」を忘れ最終的にそれを負う「覚悟」もなかったように思う。

 日本の原発における平均被曝線量は1991~2005年のデータで1人当たり年間1.0~1.4mSvと、上限の50mSvをはるかに下回り、一般人の年間限度をわずかに超える程度で推移してきた。普段の仕事ではμSvが被曝線量の単位となっていた。今回の基準変更は、作業者にしてみれば、被曝線量の単位がいきなりμSvから1,000倍のmSvに変わることを意味する。

 3月15日、政府は同原発で事故対策にあたる作業員に限り、被曝限度を従来の計100mSvから250mSvにする規則の特例を定めた。3月17日には自衛隊員や警察官、消防隊員など公務員に対する限度も同様に引き上げた。このとき「情報を知らされた志願者による救命活動」は線量制限なし、その他の緊急救助活動は500mSv以下」という国際放射線防護委員会の勧告を初めて本気で検討したらしい。(今回は「時期尚早」としてこの勧告を見送ったようだが)

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HeathとErica

2011年04月20日 14時39分08秒 | Weblog

 ヒースといえばイギリス、ブロンテ姉妹の小説にも出て来るあのヒースだ。「J・エア」や「嵐が丘」を読んでいた頃に何故かヒースのイメージが焼き付いた。どんな植物なんだろうと、思いながら。

 玄関の横に植えた植物はエリカという。色は数種類あるようだが、これは薄いピンク色。
最初は小さかったが、数年して1メートル以上になった。毎年少しづつ生長する。剪定も適当で環境も良いとは言えない。しかし、居心地は悪くないようで、丈夫に育っている。
この花は寒い冬の最中に咲き出す。このころ咲く花が少ないのでいやでも目立つ。時には雪が降って枝が折れそうなくらい垂れ下がるが、それでも頑張るのがエリカだ。寒さには相当強いようだ。


 
 後で知ったことだが、エリカの別名はヒースだという。そうなんだ、これがあのヒースなのか。イングリッシュガーデンに似合う植物だと思った。確かにね。ヒースは、いつのまにか我が家のシンボルツリーになってしまった。今年は寒さが長引いたためか未だ散る気配もない。毎年この花が咲く度に「もうすぐ春だな」と思うシーズンツリーでもある。

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原発対抗策

2011年04月19日 09時03分48秒 | Weblog

 随分以前に「地熱発電」について調べたことがある。システムとしては結構大がかりで、今の所水蒸気でタービンを回す原理は原発と同じだ。但し、「核燃料棒、原子炉、使用済み燃料棒、プール」といったものはない。代わりに3,000m級の深い井戸が複数必要となる。いつご機嫌斜めとなるか判らない「山の神」を相手にするようなものだから、「安全性、安定性」という点では相当不安があるように思えた。しかし、今回の原発事故で考えた。気難しい「山の神」とも付き合わねばならないのかも知れないと。

 「地熱発電」はCO2排出ではかなりの優等生だが地震にはめっぽう弱い。どんな強固な設備を作ったとしても「山の神」の前では紙くず同然かもしれない。しかしそれは原発とて同じ事だ。原発と大きく異なる点は、例え設備がどんな壊れ方をしても決して「放射能」を出さないことだ。立地の条件は原発とさほど変わらない。設置できるところは極めて限られ、どこでもOKという訳にはいかない。しかし、放射能や廃棄物処理、汚染水などのこと、最終的には廃炉のことを考えればそれほど困難とも思えない。なぜなら日本は世界が認める火山大国なのだから。

 連続して得られるエネルギーは波力、風力、太陽光と比較しても圧倒的に有利である。ひょっとしたら水力並みかもしれない。豪雨、渇水などの気象条件を考えれば水力よりも優位にあるかも知れない。何の資源もない日本としては、原発が避けて通れない課題だとしても、「地熱発電」についてはもっと真剣に検討する余地があるのではないだろうか。

 1966年、岩手県松尾村の松川地熱発電所(23,500kW)から始まって日本には既に18か所の地熱発電所がある。しかし日本最大の大分県九重町の八丁原地熱発電所でさえ11万kWで、建設費用の割りには発電量が小さい。すべての地熱発電所から得られる電力を合計(53万kW)しても、原発1基分にも満たないという現実もある。

 しかし、最初の商用稼働した松川地熱発電所は40年を越えて今も現役で稼働している。また1977年完成の八丁原発電所は新しいバイナリー発電方式を採用している。少しづつ新しい技術が導入され、より優れた発電方式や小型化が進んでいる。そして地熱発電は、何よりもベース電源として使用できるということが重要だ。

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現物合わせ

2011年04月17日 13時12分22秒 | Weblog

 今まで日本には「食品中の放射能に関する基準」が無かった。但し、輸入する食品については370(Bq/kg)以下という基準を設けていた。370(Bq/kg)の根拠はチェルノブイリ原子力発電所事故に係る輸入食品中の(セシウム134とセシウム137をあわせた)放射能濃度暫定限度である。これはICRP(国際放射線防護委員会)勧告にある放射性降下物の核種分析結果に対応したものである。基準設定以降、日本はこれを越える食品については「輸入を拒否」して来たのである。

 今回の福島原発事故後、(3月17日)国(厚生労働省医薬食品局食品安全部)が、新たに決めた食品に関する放射能濃度の基準値は、
セシウム137
 牛乳・乳製品          200(Bq/kg)
 野菜類               500(Bq/kg)
 穀類                500(Bq/kg)
 肉・卵・魚・その他       500(Bq/kg)
ヨウ素131
 牛乳・乳製品           300(Bq/kg)
 野菜類(根菜、芋類を除く)2,000(Bq/kg)
というもので、暫定とは言え随分と大幅に緩和したものである。

 人間、生きていくために不可欠な「水」についてはどうか。
日本には食品同様、放射能に関する飲料水の基準がなく、これまで世界保健機関(WHO)の水道水質ガイドラインを遵守してきた。その値はセシウム、ヨウ素共に10(Bq/l)以下である。これはこれで良いと思うのだが、今回はこれも見直しの対象となり、新たに以下のように設定された。
ヨウ素
 成人  300(Bq/kg)
 乳幼児 100(Bq/kg)
セシウム
 成人  200(Bq/kg)
 乳幼児 100(Bq/kg)
 (※100(Bq/kg)を越えるものは乳児用調製粉乳及び直接飲用に供する乳に使用しないこと)という但し書きがあるものの、これまた法外な大幅緩和である。

 このような基準を私が知る業界では昔から「現物合わせ」という。他のことなら「現物合わせ」も悪くない。しかし、食品に限ってそのような基準の策定は、全く信用を欠く以外の何ものでもない。他の国が日本の産品を「輸入を拒否」したり、制限したりするのは風評でも何でもない。むしろ当然のことではないだろうか。

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2011年04月15日 23時38分50秒 | Weblog

 4月15日昼下がり、風は強めだがお天気は上々。ここは花見と洒落込んだ。車で15分ほどのところ、成瀬は恩田川沿いの桜並木です。ここの所ちょっと暖かくなったかなと思ったら、それもつかの間、桜はもう満開をとうに過ぎておりました。

 大方の桜は既に散っておりましたが、数本の遅咲きがまだ残っておりました。暖かい午後の日差しを受けながら花びらが雪のように舞っております。川面には花びらが積もって大理石のようです。

 どちらかというと花より団子の方ですが、今回は団子もお茶のセットもなしです。体育館の駐車場に車を置いて、吹上橋から川下に歩き出します。少し行くと都橋。ここから先は神奈川になるのでしょうか。都橋を渡って川の向かい側へ移ります。今度は逆の方向から桜を眺めながら吹上橋の方へ戻ります。吹上橋は渡らずにそのまま川上へ歩きます。ゆっくりと。成瀬中央橋を過ぎて更に先へ歩きます。ここにも橋があるのですが失念しました。桜並木はどこまで続くのでしょうか。橋の上から川上を眺めると、遙か彼方まで続いているようです。
この橋を渡って会下山公園側へ移ります。そして今来た道を対岸に眺めながら戻ると体育館です。

 既に半袖姿でジョギングをする人、散歩する人、ベンチで話し込む人、そして桜を眺める人、川の流れのように、ゆったりと流れるような時間です。

 彼の地でも「花見」が行われるようです。明けない夜がないように今年も春がやってきたことに気が付いてくれたらいいと思う。そして顔を上げることが出来ればいいと思う。

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海を汚したのは誰?

2011年04月10日 13時52分34秒 | Weblog

 4月6日、高濃度に放射能で汚染された水がようやく止まった。毎日500t少なくとも3週間は流出したであろう。他にもまだ漏れがあるかも知れない。更にはタンク(集中廃棄物処理施設)にある低レベル汚染水(約1万t)も同時に放出している。低レベルと言えども国が定める基準の最大約100倍だという。高濃度の汚染水にあっては基準の1億倍を越えるらしい。

 漏れた(或いは放出した)汚染水は海へ流出し拡散した。「低レベルの汚染水だから問題ない」「広い海だから薄まって害がない」・・・???いつから我々はこのような考え方を容認出来るようになったのだろう。

 世界のどの国よりも、どの地域よりも海からの恩恵を受けてきたというのに、この独りよがりで傲慢な考え方には疑問を抱かざるを得ない。津波や地震があったとしても海からの豊かな恵は余りあるものだろう。ましてや海は我々だけのものではない。それを「薄まるから害がない」などと言ってよいのだろうか。

 自己都合を最優先する公共認識の低い国民性は今更指摘するまでもないが、ここに至ってはその認識欠如(自戒を込めて)に唖然とする他はない。

 海は生命の起源、恐怖や畏れも与えるけれど、乾いた心を癒し明日に生きる勇気や希望も与えてくれる。人類にとってそんなかけがえのない海を汚したのは誰?


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PowerMeter

2011年04月08日 21時30分55秒 | Weblog

 何気にBlogを見ていたら、「東電の電力使用状況」なるBlog Parts(左図)があったので、ちょっと付けてみることにした。リアルタイムとまでは行かないが毎時で自動表示する。この内のいくらかは自分が使っているのだと思えば、示された数値にも現実味が出て来るというものだ。しかし、この余裕の無さはむなしい。
そこで我が家の過去4年間の平均消費電力をグラフにしてみた。



 このグラフから察するに、世間の事情とは必ずしも一致しないかもしれないが、計画停電は7月までは不要かと思われる。しかし、8月、9月の酷暑はどうやって乗り切ればいいのだろう。対策として思いつくのは水枕くらいのものか。こうなったら熱中症で倒れるか、果ては干物にでもなる覚悟で臨まねばなるまいな。

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パンドラの箱

2011年04月05日 10時15分19秒 | Weblog

 「パンドラの箱」というものがある。ギリシャ神話に出て来るあれだ。実在のものかどうかはともかく、この箱には「災厄」が詰まっている。「開けてはいけないもの」、「禍いをもたらすために触れてはいけないもの」を意味する慣用句としても「パンドラの箱」という言葉が使われる。でもそれは昔の人が災いを一括して閉じこめておきたいという希望的な思いから、作られた箱だと思いたい。

 プルトニウムを書いている最中に、ひょっとして原子炉というのは人類にとって「Pandoraの箱」じゃあるまいなと。そう、開けると「ありとあらゆる災いが飛び出してくる」あれは、原子炉のことを言っているじゃないのか?、原子炉にはヨウ素、セシウム、プルトニウムは言うに及ばず100種類を越える放射性物質が詰まっている。以来、どうしても原子炉がパンドラの箱のように思えて仕方がない。仕方がないのだから仕方がない。「パンドラの箱」についてあちこちの記事を見ていると、当初、実は「箱」ではなく「壺」だったという話しもある。尚更「原子炉」が「壺」に見えてきた。

 そもそも「元素」というものは、字が示すように根源的な素(もと)であって、地球誕生以来存在するものだ。いわば「神が造り給うたもの」なのだが、プルトニウムだけは(自然界にも少しは存在するらしいが)唯一、人が作った「元素」である。つまり、プルトニウムは神が行うべき仕事の領域に人間が割り込んで行った「創造」である。このようなものを作ってもよかったのかどうか、今となっては「神のみぞ知る」だ。

 プルトニウムが1940年に発見されて5年後には早くも「核兵器」として長崎で応用された。以降、プルトニウムは作り続けられて核兵器として世界中に拡散した。核軍縮により「核兵器」は少なからず解体されたがそれでもプルトニウムだけは簡単に「解体、消滅」させることが出来ない。やむなく多くのプルトニウムは「消滅」することのない「禍」の元として、現在も「壺」に閉じこめフタをして保管されている。プルトニウムの元素記号「Pu」は、英語で「糞」を意味する俗語「Poo」に通じる。全く持って「臭い物にはフタ」とはこのことだ。

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