つむじ風

世の中のこと、あれこれ。
見たこと、聞いたこと、思ったこと。

奇想、天を動かす

2017年01月29日 21時31分19秒 | Review

島田荘司/光文社文庫

 1993年3月20日初版。いきなり北海道、札沼線の夜行列車の中、ピエロの自殺(?)、かと思ったら京成電車、浅草行きの電車の中、ハーモニカを吹く老人、この老人が浅草仲見世の乾物屋の女主人をナイフで刺し殺してしまった。一体、何の話が始まるのかと、、、。

 社会派推理小説は松本清張のいくつかの作品、森村誠一、小杉健治、島田荘司と続くようだが、この作品を読んで、本物の社会派推理小説というものに触れたような気がする。

 社会的或いは歴史的な問題、矛盾、不条理といったものを基本にして、「それでいいのか」と読者の人間性に訴える問題提起は決して軽いものではない。特にその問題の多くは現在に於いても未解決のものが多く、解決の糸口さえ見出せないでいる。いや、歴史を重ねるにしたがい、人間の活動は益々罪深くなっていくような気さえしてくる。激動の狭間に巻き込まれ、忘却の渕に追いやられた呂泰永老人の後姿が何とも悲しい。吉敷刑事がその悲惨な人生に少しでも光を当てることができたことは「人の優しさ」というものであろうか、それとも罪の深さに懺悔したものであろうか。

 主人公の吉敷刑事は派手なアクションや殺陣はないけれども、ジワジワと真実に迫ることが読者にとっても共感できる。更に、実在の人物をモデルにしている部分もあるようで、つい架空であることを忘れさせる面白さがある。しかし、警察組織の中にあっては主人公の立ち位置は難しい。

 吉敷刑事の同僚の中村主任が解説する吉原のくだりはなかなか面白い。時代小説を読んでも、なかなかこのようなリアルな説明に出会うことはない。ちょっと立場が変われば、こんな視点になるのかと思いながら楽しめた部分でもある。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一匹竜の刑事

2017年01月25日 15時35分07秒 | Review

―顔のない刑事・決死行―
太田蘭三/角川文庫

 2011年1月25日初版。著者の作品には4人(釣部渓三郎、蟹沢警部補、相馬刑事、香月功部長刑事)のヒーローが居るのだそうだが、本作品の香月功部長刑事だけが非現実的スーパーヒーローなのだろうか。本作品は「顔のない刑事、尾瀬の墓標、赤い渓谷」に次ぐ4作目、シリーズが進むにつれてそのスーパーヒーローぶり(逸脱ぶり)が激しくなっているようだ。いわゆる現実離れした話し、ということになるが。

 著者は山歩きが好きで、よく訪れているようだが、「あとがき」でも書いているようにリアルな描写である。随分昔に登った奥多摩駅-鴨沢-堂所-ヘリポート-雲取山荘-ブナ坂-七つ石山-高丸山-鷹の巣山の縦走を思い出す。清里駅から赤岳、富山駅から薬師岳など、その描写がリアルであるだけにこのフィクションとの融合は効果的だ。これがなければ、結構つまらないものになってしまうのかもしれない。確かに「虚実の皮膜論」とは言い得て妙である。

 「顔のない刑事」というのは、覆面をしたり、人に顔を見せないということではなく、単に「警察手帳」を持たない刑事というだけで、あえてお題にするようなことではないようにも思える。シリーズを最初から読んでいないので、今のところ著者の真意、意図は判らないが。

 警察は、犯罪の対極にある。その組織や法律、象徴的な職種(刑事)を描き、犯罪と対峙させることで、ストーリーをより立体的に象徴的に浮かび上がらせることができる。その辺の出来、不出来が作品の評価を分けるところなのだろう。警察小説の「さきがけ」は、横山秀夫、藤原審爾の作品に遡るらしい。以降、佐々木 譲、今野 敏、陽堂瞬一、誉田哲也と続くようだが、この辺の作品は既にお目にかかっている。いつか、「さきがけ」作品にも是非お目にかかりたいと思う。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雪まろげ

2017年01月22日 21時34分35秒 | Review

―古手屋喜十為事覚え―
宇江佐真理/新潮文庫

 2017年5月1日初版。古手屋喜十はシリーズ2作目、同心の手先としては伊三次と同じだが、その性格、人物造形はキッチリ異なる。主人公の嫁であるおそめとお文もまた同様に異なる。同じような背景の生活者であって、つい似てしまいがちのところをクッキリと描ききるのは、やはり著者ならではのすばらしい所だと思う。1作目の「古手屋喜十 為事覚え」を読んだのは2014年8月31日だったからそれから3年が経つ。北町奉行所の隠密廻り同心、上遠野平蔵との腐れ縁も健在だ。

 今回の作品で、「落葉踏み締める」では喜三郎店のうのと6人の子供達の話から始まるが、肝心の主人公喜十がなかなか登場しない。本を間違えたかなと思っていると、この章の最後の方にやっと登場する。ここまで読んで、凡そ著者の目論見(構想)が読めたような気がする。
 最終章「再びの秋」で、やはりねぇと納得する。本来、ここから面白くなるところなのかもしれないが、喜十の続編(捨吉の兄弟、姉妹のその後)を読むことが出来ないのが本当に残念に思う。この先にどんな構想が練られていたのか、今となっては聞いてみる事も叶わぬ夢となってしまった。




 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

毒猿

2017年01月20日 14時47分53秒 | Review

大沢在昌/光文社文庫

 1998年8月20日初版、2009年3月25日26刷。シリーズ2作目ともなると、つい力んでしまったり、なかなか難しいものだと思う。解説者が言うように、「二匹目のドジョウは非常に調理が難しい」のは想像できる。しかし、そこは過去の試行錯誤が生きている。話しが崩れることもなく、期待を裏切らなかった。登場人物の造形も、なかなかである。

 警察小説の、大方は刑事役が主人公なのだが、いろいろなスタイルや主人公に対する期待があると思う。このシリーズで著書が主人公に秘めるイメージとは、どんなものか。それが、425p「法や国家のためでなく、自分が自分に望む警官としてのあるべき姿のために」ということで、明らかになる。この一徹な気構え、倫理観こそ主人公「鮫島」の生きる推進力なのだ。
 主体性を持って生き抜くことの難しい現代社会にあって、心の中のどこかで「鮫島」の生き方に共感するものがあるのかもしれない。

 この後「屍蘭」「無間人形」「炎蛹」「氷舞」「風化水脈」「灰夜」「狼花」「絆回廊」と続くわけだが、回を重ねるごとに面白くなるという話しもある。「炎蛹」「風化水脈」は既に読んでいるので、残るは6冊なのだが、実に楽しみである。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新宿鮫

2017年01月19日 18時14分55秒 | Review

大沢在昌/光文社文庫

 1997年8月20日初版、2005年11月10日29刷。著者の作家デビューは1979年、この作品は1997年が初版なので、この間18年がある。「烙印の森」から始まって「涙はふくな、凍るまで」「砂の狩人」「影絵の騎士」「らんぼう」と読み継いできた。新宿鮫シリーズは、前後して「炎蛹」「風化水脈」を先に読んでいるので、その出だしはどんな作品なのか気になっていたが、どうやらその機会がやってきたようだ。

 「新宿鮫」を読んでみて思うことは、「新宿鮫」以前の大沢作品は、「新宿鮫」を書くための前座、あるいは試行作品のようにも思えてくる。本人は真剣な試行錯誤であったかもしれないが、書道家が筆の良し悪し、馴染み具合、書き具合をいろいろ試してみるような。そしてここにきて集大成となったような作品である。長編でありながら、中だるみすることもなく一気にラストシーンを迎える面白さがある。

 登場人物の配置、ストーリー展開、いずれも無駄が無い。かといって主人公は超人的ヒーローという訳でもない。曖昧で不確かな中で絶妙なバランスを掴んでいるように思う。この感覚が維持される限り、「新宿鮫」シリーズは生き延びるのではないだろうか。その後、TVドラマ化されたものは見ていないが、ここにきて是非見てみたいような気もする。この不条理で矛盾に満ちた、それでいて泥臭い至高の正義をどんな風に描いたのか。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昨日みた夢

2017年01月16日 11時54分49秒 | Review

―口入れ屋おふく―
宇江佐真理/角川文庫

 2016年10月25日初版。江戸時代の派遣社員(主人公:おふく)、その派遣先で見た諸々の世間の事情、そしてその結末。表の見た目、裏の事情、世間の出来事と自分の事情を織り込みながら話は黙々と進む。背景や登場人物、表面的なことは時代掛っているが、これはそのまま現代でも変わらない。いやむしろ現代の方がより悲惨な出来事が多いのではないだろうか。時代というフィルターを使って少しソフトに軟らかく表現しているだけである。宇江佐式市井小説の典型的スタイルである。
 おふくが勤める派遣会社は「きまり屋」。しかし、なかなか都合よくはきまらない。そこに主人公の出番がある。この名前もいかにもその時代に在りそうな感じもする。しかし、よく考えてみるとこれは現代的な(時代小説作家の)機知であろう。

 この作品にかなり似ているスタイルとして「家政婦は見た」がある。これを参考にしたかどうか判らないが、構成(仕組み)としては同じであるように思う。ただ、時代小説であることで、よりシンプルに生活する人間の哀歓が伝わってくるようにも思う。「家政婦は見た」と違う点は、主人公おふくが出くわす難儀な問題を乗り越えて、涙を流しながらも徐々に成長していく所である。
 その意味では、伊三次に次ぐシリーズになることを期待された作品でもあった。「続き」が無いことを考えると本当に寂しい限りである。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする