つむじ風

世の中のこと、あれこれ。
見たこと、聞いたこと、思ったこと。

非情の標的

2017年08月30日 23時46分21秒 | Review

 大藪春彦/光文社文庫

 1996年1月20日初版。著者の作品は「復讐の弾道」「青春は屍を越えて」に続く3冊目。やはり、TVで見たデビュー作「野獣死すべし」のインパクトが大きいのか、そのイメージを捨てきれない。「非情の標的」はデビュー作から10年後の作品である。著者には「復讐シリーズ」「掟シリーズ」等あるようだが、この作品は「復讐シリーズ」に含まれるらしい。

 肉体に起きた問題「撃たれたり、切られたり、刺されたり」に対して平然と対処する姿(描写)が独特である。頼れるものは己だけという徹底した孤高精神で、一旦行動を起こすと、「銃、ナイフ、車」というツールはともかく、肉体的な不死身さは誇張としても、その前に立ち塞がる全ての障害を払いのけて突き進むというアグレッシブなヒーローである。

 あらゆる困難を排して、善悪の範疇を超えて立ち向かうヒーローだが、時折見せる冷酷さ、敵対するもの達への容赦の無い攻撃、何ものにも組みしない孤高さは、弟に対する情緒的な思いを考えると、何となく矛盾する、例え小説の中であっても。

 著者が師と仰いだハメットの代表作「血の収穫」「マルタの鷹」「ガラスの鍵」「影なき男」等、機会があったら是非読んでみたいものだ。


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聖域侵犯

2017年08月25日 22時32分29秒 | Review

―警視庁公安部・青山 望―
 濱 嘉之/文春文庫

 2016年8月10日初版。「警視庁情報官」「オメガ」に続く3冊目。この作品は副題の通り「警視庁公安部・青山 望」シリーズになっており、文春文庫8作中の最新作に当たる。
三分の一まで読み進んで、特別インパクトも無かったように思う。新間の「心臓発作」も盛り上がりに欠けてしまった。主人公は出てきたものの、主人公たる片鱗が見えない。盛り上げようとするのは判るけれども背景や説明が多いのかな。これからが本領発揮かと・・・・。
210pまでジワジワ下調べは進むものの大きな展開なし。ここから藤中、大和田、龍、青山の4人が出揃う訳だが、どうも「お互い協力し合って」は判るが今ひとつだ。

 結局、殺人事件としては新間敬一郎ただ一人が被害者。その結果、日本、米国、中国、ロシアそれぞれの悪い奴らの相関関係が見えてくる。話しは質量ともに「公安の情報」に終始する。
同期4人組は出来すぎだが、やはり青山のAIのようなデータ量が、この作品の読みどころなのだろうが、もう少し人間らしい面を書いてもいいのではないかと思う。
他、実際のサミットにかこつけて「土、水、空気」の問題にしても、それに絡んだ農水省汚職にしてもこの辺は現実的で結構恐ろしい。

 伊勢神宮は二度ほど鳥居をくぐったことがあるが、著者が描写するほどではないにしても、確かに、喧騒から逃れて静寂な悠久の時を感じることができるであろう場所である。もし、身軽に訪れることが出来るのであれば、四季折々の伊勢神宮を体験してみたいと思う。そんな魅力ある聖地である。この際、賞味期限切れの「〇福」だけは遠慮したいと思うが。


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国境

2017年08月20日 13時02分04秒 | Review

黒川博行/文春文庫

 2014年12月10日初版、2015年9月25日第七刷(上、下)。いきなり名古屋空港から北朝鮮へ、何でまた?というところから始まる今回の「国境」。同行するのは二宮、桑原の二人に平壌に詳しい柳井明寿。ヤクザ相手に詐欺を働いた趙成根(木村真哉)が北朝鮮・平壌に逃げ込んだことから始まる追跡劇らしい。北朝鮮の状況がやたら詳しい。というより、小説家特有の「今見てきた」かのような描写で押しまくる。北朝鮮の体制、歴史的背景、庶民の現状、どれを取ってもリアルな、生々しい描写が延々と連続する。いつもながら、二宮、桑原コンビは絶好調だ。平壌では寸での所で、趙成根(木村真哉)に逃げられて、2回目のアタックで羅津・先鋒を訪れる。訪れるといっても半端な方法ではない。ここまでが「上」の話し。

 「下」では、なんとか趙成根(木村真哉)を捕まえたものの、現地ガイドの李さんと桑原が豆満江で・・。いや、あの悪運の強い奴がそんなはずはない。続編の「破門」では桑原は健在だった。どこかで現れるに違いない。それにしても、豊田商事の残党、石井利夫(=許文輔)の正体が実は朝鮮労働党外交部の幹部だという設定には主人公の二宮ならずとも本当に驚いた。この意外性にはビックリ(黒川さんやりますなあ)。ということで、今回の詐欺事件の黒幕を探す二宮の追及が始まる。

 しかし、二蝶会の若頭(嶋田和夫)は、また詐欺にあったようだ。前回読んだ(作品順では後になるが)の「破門」でも映画の投資話でやられているのに、よほど人がいいと見える。なかなか懲りない人らしい。最後詐欺事件も落着して、二宮は忘年会をするという桑原の誘いに嫌々応じてキャバクラ「パルタガス」に行ってみると何とそこには李さんが、、。二度ビックリだ。この設定がたまらない。

直木賞受賞の「破門」も確かに面白かったが、自分としては「国境」の方がエンターテイメントとして優れているように思う。藤原伊織さんが解説で言っているように「笑いを噛みしめつつ、休むことなく最後までページをめくらせる力を持つ小説」だから困った。


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2017年08月15日 23時03分39秒 | Review

―捜査一課・澤村慶司―
堂場瞬一/角川文庫

 2013年11月25日、初版。著者の作品は久々に読む。既読の「偽装、謀略、波紋、逸脱、闇夜、複合捜査」等に続くサスペンス。シリーズ「捜査一課・澤村慶司」では「逸脱」に続く2冊目となる。シリーズ最初の「逸脱」は2013年に読んだが、すでに4年も経っていることを考えると捜査一課の澤村刑事も年をとっただろうな、と思う。この間、昇進の機会もあって警部にでもなっただろうか。などとつまらないことを考えながら読み始めた。日向毅雄、自己中の変な奴が最初に出てくる。副題が「捜査一課・澤村慶司」なので、ヒーローが出てこないなんてことはないはずだが、と不審に思ったが、それでもなかなか出てこない。そのうち日向毅雄の高校同窓、井沢真菜という女が出てくる。なんだか怪しげな雰囲気になってくる。どうも、身の上話しの殺人は冗談ではないらしい。しかし、ここに来ても尚、澤村慶司は出てこない。普通は刑事が先に出てくるはずなのに、、。と思っていると、160p、第二部でやっとお出ましになった。

 この作品の中では主人公であるはずの澤村慶司より日向設郎、井沢真菜の印象がかなり強い。その二人の出会いはかなり唐突であったけれども、二人が犯した殺人は相互に理解しあえるどころか、日向設郎は井沢真菜により深い心の闇があることに気づくのである。

 人を欺き、騙し叩きのめすことは出来ても、巨大な壁となって立ちはだかる人知を超えた自然相手では何の意味も無くねじ伏せられる。真菜は最後まで判断を誤ってしまった。「心の中が空」といいながら自己中心的な恣意的世界から遂に逃れることが出来なかった。「どんなに(努力しても)意識しても変えられない物はある」ことも事実だ。しかし、真菜は、通常でない典型的なタイプ、倫理観、罪悪感、価値観、歩み寄ろうとしても近づくことのない何かが欠落した人間性を感じる。著者はこんな人間を描きたかったのかな。



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箸墓幻想

2017年08月12日 20時34分48秒 | Review

―浅見光彦シリーズ88―
 内田康夫/角川文庫

 2004年10月25日初版、2011年11月20日第10刷。いや今回は「旅と歴史」そのもの。「大和路の歴史探訪の旅、古代史ロマン」である。日本の古代史の霧に包まれた部分が、よりはっきり見えてきたように思う。矛盾した言い方だが、解かった部分、判らない部分がハッキリしたということである。それにかこつけてのミステリー。盗掘した鏡「画文帯神獣鏡」の軌跡、顛末まで「呪い」とまでは言わないが人の欲望は限りない。トラウマから逃れられないからこそ呪われている人間なのだろう。河野美砂緒、いづみの母娘は何とも(病的であるが故に)痛々しい。

 元・考古学研究所所長の小池拓郎の本棚を見て浅見が「ミステリーのような軟弱な本」は無いと評しているが、著者がそんなことを書くのはあまりにもへりくだり過ぎではないだろうか。確かに「堅い本」ではないのだが、「旅と歴史」そしてミステリーというエンターテイメントは(目は疲れるが)肩の凝らない気分転換に最適だと思う。それを読んでいる読者は「軟弱な本」と言われても一体どうしたらいいのか判らなくなる。まあ、著者一流の謙遜だとは思うが。

 「箸墓」が倭迹迹日百襲姫の墓、倭迹迹日百襲姫=卑弥呼?という話しは初めて知った。今まで新聞などに載ったと思うのだが、まったく印象にも、記憶にもない。その意味でも「旅と歴史」は有効で、肝心のミステリーはすっかりうっちゃって、大和三山や「三輪山の日の出、二上山の落日」をこの目で実際に見てみたいと思ったのは確かである。
 現在、日本の古代史は約3万年前(群馬県の岩宿遺跡=先土器時代)まで遡ることができるらしい。四大文明のそれには全く及ばないが、それでも邪馬台国や卑弥呼は日本の有史ルーツとしてこれからも魅惑を失わないだろう。



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破門

2017年08月10日 10時43分13秒 | Review

 黒川博行/角川文庫

 2016年11月25日初版。「疫病神」から始まってシリーズ5作目の「破門」、この後に最新の「喧嘩」が続く。中の2~4も続けて読みたかったが機会がなかった。「破門」はようやくの直木賞受賞作。これほどリアルで痛快、かつ哀愁漂う男の世界は無いと思う。桑原保彦は相変わらずイケイケで、とうとう「破門」になってしまった。何ともこの世界も不条理に満ち満ちている。

 今回は、小清水隆夫という元Vシネのプロデューサーによる映画制作の投資話し。未公開株式や株式投資の詐欺は現実にもよくある話しだが、「映画制作の投資話し」は珍しい。確かに映画も水以上に水物なのかも知れない。この「投資話し」は本物だったのか、偽物だったのか。本当のことは今更判らない。ただ、この話しを利用して投資に参画したものから残りの債務を取ろうとしたヤクザがいた。これに利用された爺(小清水)もとんでもない奴だが、この債務から逃れようとする桑原も、今回ばかりは必死の状況。

 二宮は相変わらず傍観者だが、巻き込まれてもただでは起きない。心の中で「この疫病神め!」と罵りながらも適所で意外な活躍をする。二宮と桑原の関係は、信頼でもなければ理解でもない。何とも不思議な関係で、互いに全く信用しておらず、しかし妙なところで裏切らない。互いに相手を「疫病神」だと思いながらも、ここ一番、利用価値があると思ってしまうから面白い。エンターテイメント性の優れた作品とはこういうものをいうのだろう。

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天城峠殺人事件

2017年08月06日 10時46分17秒 | Review

―浅見光彦シリーズ07―
 内田康夫/光文社文庫

 1985年9月15日初版、1990年12月30日第23刷。100冊以上を考えれば、ほぼ初期の頃の作品。「長編推理小説」とはあるものの、245pしかない短編に毛の生えたようなものである。とは言え、内容はなかなか凝っており、天城峠と白石峠の殺人トリックがよく出来ている。読み終わって、やはり長編だったように思ってしまうから不思議だ。そして、主人公「浅見光彦」も何となく初々しく新鮮な気がする。同じ33歳を通してはいるが、最後の方(100冊以降)ではやはりそれなりの年齢が感じられる。それは著者の書き慣れということもあるかもしれないが、絶対的な時間の経過からするとそれも自然のような気がする。

 小林章夫の人に言えない鎮魂の旅、魂の帰巣、そして本望、推理小説として古い手毬歌、手品原理の活用、そして、一度の欺きが更にそれ以上の欺きを必要とする雪達磨式悪循環の殺人劇。
 ボタンを掛け違える可能性は誰にでもある。しかしその瞬間に、その後の人生の全てが決まってしまう恐ろしさがある。小林章夫もそう、武上清作もそうだった。推理小説としての面白さも去ることながら、人生の哀歓というにはあまりにも深刻な結果を招く。最後のチキンレースもどきは、光彦の武士の情けとも受け取れる結末だった。

 鮎川哲也さんの「解説」がなかなか面白い。自費出版の「死者の木霊」が本屋さんに積まれていた頃の話は珍しいし、その頃の著者の活動も窺い知ることが出来る。今となっては貴重なものだ。

 

 

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黄泉から来た女

2017年08月04日 11時37分25秒 | Review

―浅見光彦シリーズ111―

 2014年2月1日初版。シリーズとしては最後の方の作品。ここに来て光彦もとうとう自動車電話をやめて携帯電話に替えたようだ。車は相変わらずソアラだが。
 今回の話しの舞台は、山形県鶴岡市手向が中心、それに京都府宮津市、千葉県八千代市が関係する。出羽三山(月山、羽黒山、湯殿山)周辺の描写が「旅と歴史」らしい。

・数十年前、修験道場の死亡事故、死体遺棄
・不倫密会を見られての衝動的殺人(水死) 前川美貴5
・羽黒山 大成坊の娘     畦田美重子
・羽黒山 天照坊の女将    桟敷真由美

 と、こんな按配で事件が起きる。事の起こりは、湯殿山 月宮坊、安田宗作の宿坊乗っ取りという陰謀から始まる。それに身をもって同調した妹の桟敷(安田)真由美もすごい。自分の意志であるだけにカッコウの「托卵」にも負けてない。女たらしの自己中男、神澤政幸がこれに加わり、計画は着々進んでゆくかに見えたのだが。

 470p「六根清浄」を唱えても、人間の穢れの本質は変わらない

 人間らしいといえば、確かにそうなのだが、だからといって現状に甘んじては世の中が成り立たない。自らの不足を自覚しつつ、次の高みを目指して粉骨砕身、頑張るのも人間の姿だろうと思う。ところで「黄泉から来た女」とは、誰のことを言っているのだろう。やはり、当の昔に亡くなったはずの桟敷徳子(生き写し、娘の神代静香)を指しているに違いない。しかし、それは羽黒山、天照坊の女将に限っての認識なのだが。

 そもそも、湯殿山の地滑り跡から出てきた人骨、これが全ての発端。「真実に背を向けて、おのれ自身の醜悪さを隠蔽し続けた」結果であると気が付くまでに、随分長い修行が必要だったようだ。それにしても神澤という男は、なんて奴だと思う。「恥知らず」という言葉は神澤のためにあるに違いない。


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皇女の霊柩

2017年08月02日 21時03分51秒 | Review

―浅見光彦シリーズ76―
 内田康夫/講談社文庫

 2014年10月15日初版。東京品川と馬籠宿、妻籠宿が舞台、入れ替わりの殺人事件。いくつかの密室(トリック)型殺人と考古学という隔絶世界の話し。皇女は中山道(馬籠宿、妻籠宿)を通った和宮のこと。直接の関係は無いものの、もしもの時の霊柩を用意したという一件をからめたストーリー。結果的には「霊柩」よりも、増上寺、徳川家の墓から出た副葬品の乾板写真「烏帽子の直垂の男」の方がはるかにミステリアスだと思う。こちらも「霊柩」には違いないが。

 婿養子であることに不満があったとしても、それは自らが招いた結果であって誰の責任でもない。研究者といえども、仕事をせずに名誉だけで席を暖め続けることは許されない。適時に仕事の成果を出してこその研究者である。「皇女の霊柩」に副葬された写真の存在は歴史を覆すほどの、考古学上の発見につながるものであった。自己中心的な怠け者の学者にとって、喉から手が出るほど、どんな不正をしてでも、人を殺してでも欲しかったに違いない。

 中山道の妻籠宿は30年ほど前だろうか、一度訪れたことがある。宿は著者の描写の通りである。そこで私は並んだ土産物店のひとつから檜材の下駄を調達した。その下駄は今も健在で、夏の一時期、大切に使っている。そして下駄を履く度に、あの時代劇のセットのような妻籠の宿を思い出している。こんな形で妻籠宿に再会できるとは思わなかった。


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