つむじ風

世の中のこと、あれこれ。
見たこと、聞いたこと、思ったこと。

わたしたちが孤児だったころ

2018年03月28日 18時06分38秒 | Review

 カズオ・イシグロ(入江真佐子訳)/ハヤカワepi文庫

 2006年3月31日初版、2017年10月16日第11刷。主人公クリストファー・バンクスはケンブリッジ大を卒業し、ロンドン社交界に出入りする探偵である。彼には幼少の頃両親が突然失踪し、孤児になったという経験がある。この「両親の失踪」を自らのアイデンティティに関わる重要な問題(原因)として捉え、追求にかかる。最終章の「わたしたちのようなものにとっては、~」は、この物語の全てを語っているように思う。「わたしたちのようなもの」とは主人公やジェニファーのように本当の孤児であると同時に一人でも思いを追求することを最優先してやまない孤高の人、人間の本質、その「姿」を探し続ける求道の人が思い浮かぶ。社会悪はあまりに強大で、個人の力が及ぶのは微々たるものだが、その中にあって最善をつくそうとすることは何と勇ましく孤独なことだろう。

 フィリップおじさんの口から語られた「真実」は何と痛切でおぞましい事だろう。自らの出自において多少なりとも自信をもっていたアイデンティティがまさに崩れ落ちるような衝撃が伝わってくる。これもまた人間の本質の一面である。
 香港の修道院(保護施設)で母のダイアナを見つけたときの印象が、何故か鴎外の「山椒大夫」、厨子王の母との再会を思い出してしまった。

 あのくねくねと続く丘の道、所々の道端にはヒースが咲いている。重く垂れこめた雲、薄暗いロンドンの街。「ジキル博士とハイド氏」は前衛的だけど、カズオ・イシグロの作品には確かに陰鬱なイギリス文学の臭いがする。

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偉大なる、しゅららぼん

2018年03月23日 20時22分40秒 | Review

万城目 学/集英社文庫

 2013年12月20日初版。「しゅららぼん」は、「あれ」が人間に与えた二つの音、つまり日出家のゲップの音と棗家のオナラの音だというから、人を小馬鹿にしている。いや、狂信的な事を持ち出さないだけマシか。「あれ」とは何だ「あれ」とは。私が思うに「あれ」は昔から古い沼、湖にお住まいになっておられる「竜神様」に違いない。バンカラのホルモー、漱石張りの鹿男、そしてファンタジックなマドレーヌ婦人、ここに来てアニメチックな「しゅららぼん」ときたもんだ。

 琵琶湖といい、八郎潟といい「湖の民」というものに何か特別な思いがあるのか、何か気に入った民話、伝承でも参考にしたのだろうか。しかし、竹生島への湖水分割はモーゼの出エジプト記そのままだったな、などと思いながら読んでしまった。
 著者の作品に殺人事とホラー、ゾンビは登場しない。常にそこらにおわすはずの八百万の神々を念頭にした、極めて日本的な創造の世界である。バンパイヤ、ドラキュラと違って、馴染み深く違和感なく受け入れられる。そればかりか、懐かしくさえ思えてしまうから不思議だ。582pに及ぶ壮大で馬鹿々々しくもファンタジックな物語だった。

 ちょっと気になることは、著者の作品が当初に比較して、視覚、聴覚、幻覚的な面で徐々に過激になってきてはいないだろうか。いらぬ心配とは思うのだけれども。

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かのこちゃんとマドレーヌ婦人

2018年03月14日 18時08分17秒 | Review

万城目 学/文庫

 2013年1月25日初版、2013年5月20日第3刷。神社の秋祭りで、参道の夜店の二人、この楽し気な描写はなかなかのものだ。と、思っていたら最後に種明かし、何とマドレーヌ婦人が二回目の「猫股」ですずちゃんのお父さんに化けていたのだという。この幸せなゴム風船、タンポポの綿帽子のようなおとぎ話風物語は、あの無骨な「ホルモー」とは一線を画す。繊細な、それでいて別離を涙しながらも乗り越える健気さ、生命力が感じられる。

 「ホルモー」、「鹿男」からコロッと変わって、同じ作家とは思えないこの器用さに驚く。著者の作家としての幅の広さがわかろうというものだ。最初は、猫がしゃべる訳だから、また「鹿男」ならぬ、バカバカしい話かと思いながら読み進んでいくと、一期一会を何気ない日常に取り入れ、生きとし生けるものの万象を純粋な目線でとらえることでこんな風に物語ることが出来るとは。「かのこちゃんとマドレーヌ婦人」、なるほどね。


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鹿男あをによし

2018年03月09日 15時53分21秒 | Review

 万城目 学/幻冬舎文庫
 2010年4月10日初版、2011年7月25日第6刷。剣道の試合など、小説で読むことはめったにないが、なかなか新鮮で迫力もあり、殺陣やアクションにつながる面白さがあった。著者は剣道経験者なんだなぁと。

 何もかもが殺人事件が起きないと気が済まない昨今の小説の中で、こんな清々しい作品はまれだと思う。その源泉は主人公の「おれ」であり、ヒロインの「堀田イト」だろう。著者の作品は「鴨川ホルモー」に続いて二冊目となるが、あの奇妙な作風はどうなるのかという興味があって、つい続編を読んでしまった。そこにはホルモーの主人公と同様に飄々と生きる「おれ」があった。

 鹿、狐、鼠がしゃべるという馬鹿々々しいところはあまり真剣に考えずに、その向こうの歴史的な背景や神話的な話が実に面白い。そこは、彼らは神の使いであり、神に仕えるものであり、どう考えても真っ当であり、それに比べて人間の何事も忘れっぽく、非力なくせにあさましくしかも強欲という性格が浮き彫りになってしまう。この哀愁漂う馬鹿々々しい愛すべき生き物が著者の作品の原動力になっているようだ。

 研究室に通う大学院生が、ひょんなことから女子高の教師になる。ここまではよい。しかし、それが鹿男になり、卑弥呼の銅鏡(三角縁三神三獣鏡)に至ってしまう話の飛躍した筋書きには呆気に取られる。箸墓古墳のことは、浅見さんの「箸墓幻想」で予備知識があり、初耳ではなかったが、いつかこの悠久の地、奈良をめぐる旅をしてみたいものだと思わせる作品だった。


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鴨川ホルモー

2018年03月07日 21時53分39秒 | Review

万城目 学/角川文庫

 2009年2月25日初版のデビュー作。鬼の姿が見えるようになってからの非現実、姿が見えなくなってからの現実、落差を感じないシームレスな連続性。古い京都であれば、それも有りかなと思ってしまう小説ならではの青春グラフィティー。結局のところ、主人公の片思い(女の鼻に魅惑されるフェチ?)と、思わぬところで出現する彼女との出会いが本音か。
 話としては、本当にたわけたバカバカしい話なんだけれども、いや、現代の若者が普段感じることのない、あまたおわすはずの八百万の神々に対して敬意をもって少なからず理解しようとしている姿こそが本音であろうか。
 何事にも消極的で、すぐに諦め、自分に対する自信もなく人を信じることもできない。情けない自分を脱ぎ捨てることこそがゲーム・ホルモーの本旨なのかもしれない。

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会計天国

2018年03月01日 17時12分14秒 | Review

―ビジネス戦略ノベルシリーズ―
 竹内謙礼/青木寿幸/PHP文庫

 2013年9月17日初版、2016年9月12日第20刷。「アパレルブランドの会社」「フィギュア製作販売会社」「食品加工会社」「建材販売会社」「若き実業家」それぞれを例にとり、現状の分析と改善策を探る。分析は主に「財務諸表/財務三表」を使う。「財務諸表」は誰でも知っているし、作成した方も多いだろう。しかし、その分析は本当にできているのかといえば、極めて怪しい。損益分岐点にしてもキャッシュ・フローにしても、多くはただ作成してみただけ、ではないだろうか。確かに運用中は忙しくて「財務諸表」にじっくり向き合うこともままならない。作るのが精いっぱいということもあるだろう。しかし、先に分析手法(意味、考え方)を理解していたら、かなり違った見方が出来、違った結果になったのでは、と今更ながら思う。それは、会社というものの性質であり、必然の目的からくるもので、右往左往の暗中模索ではなく、分析結果から明確に「こうあるべし」と言ってくれるのが非常に安心できるし、納得できる。必要、不必要に関わらず、興味の有無に関わらず20年早く読みたかった。

 参考事例はなかなかリアルでちょっとナマナマしい部分もあるが、自分で作成し苦闘した方(身に覚えのある方)にとっては非常に参考になる、納得できる一冊だと思う。仕事をする人にブラックではなく、真っ当なあるべき姿・方向性を示し、自信を与えてくれるのではないだろうか。


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