つむじ風

世の中のこと、あれこれ。
見たこと、聞いたこと、思ったこと。

さらば深川

2013年08月30日 23時08分37秒 | Review

髪結い伊三次捕物余話3
宇江佐真理/文春文庫

 今回の「さらば深川」には以下の5編が収録されている。
・因果堀・・・増蔵と巾着切りお絹の話し
・ただ遠い空・・・弥兵衛とおこなの話し
・竹とんぼ、ひらりと飛べ・・・美濃屋のおりうと娘おふく(お文)、そしておさとの話し
・護持院ヶ原・・・幻術使いの岸和田鏡泉の話し
・さらば深川・・・伊勢屋忠兵衛とお文の決着

 いずれも「男と女」の話しで、それ以外の何ものでもない。ただ、幼なじみだったり若い頃だったり、年取ってからの昔の行動に対する気掛かりだったり、それがどうして良いか判らない現実の中で改めて決断を迫られる悲哀な話しである。人というのはつくづく因果なものだと思う。

 そんな中で、唯一「護持院ヶ原」は著者にしては珍しくホラーである。まあ、悪くはないが上手いとも言えない。誰しも最初はこんなものかとも思う。本来「ホラー体質」の作家であればここで異才を発揮する場面なのかも知れないが。世の中には「磨けば光る」というものもある。ただ、今までの流れからして、ここでいきなりホラーモノに切り替わるのはいかがなものかと思う。著者が言うようにシリーズ物はこの辺(マンネリ化)が辛いところだが、「変化」はあったのだから、これでヨシとしようではないか。「磨けば光る」からといって、今後伊三次捕物余話がホラー小説になることは望まない。たまにお試し版でたまに出て来る分には構わない。

 伊三次捕物余話は「つくづく因果なもの」をいかに取り込み、すくい上げ、仕立てるかに掛かっている。やはりこの辺を徹底的に磨き上げるしかないだろう。それが「宇江佐真理」という作家の真骨頂なのだから。

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紫紺のつばめ

2013年08月29日 21時07分29秒 | Review

ー髪結い伊三次捕物余話2ー
 宇江佐真理/文春文庫

 髪結い伊三次捕物余話の第二弾(2002年1月10日)、「幻の声」の発表から6年が経っている。続きは無しかと思ったところでの第二弾。相変わらずのタッチで、その雰囲気は少しも変わっていない。この文庫には、以下の5話が収録されている。
・紫紺のつばめ
・ひで
・菜の花の戦ぐ岸辺
・鳥瞰図
・摩利支天横丁の月

 どの話しも哀歓募るよいものばかりだった。 伊三次と文吉の関係は、相変わらず進歩が無いが、二人の取り巻きの変化は大きい。事件もそこそこあった。終いには伊三次が被疑者になってしまう。売られた喧嘩ではないが、信頼の無さに落胆し、同心の手先稼業から足をあらうことになってしまう。ますますカネのない伊三次だが、意地もある。

 若き日の二人の思いを映すように川岸に群生する満開の菜の花が咲く情景、信じて待っている菊弥の姿が花の黄色に染まり何とも哀しい。思い通りにならない、不条理な、理不尽な人生を、あるがままに慈しみ温かく見守る著者の視点がある。それが色彩豊かな情景を生んでいるように思う。ちなみに菜の花の花言葉は「小さな幸せ」なのだが。

 「文庫のためのあとがき」で、著者は「私は伊三次とともに現れた小説家なので、伊三次とともに自分の幕引きもしたいと考えている」とのこと。どうやらライフワークにするらしい。その後も順当に書き続け、髪結い伊三次捕物余話シリーズは「幻の声」から数えて現在7冊ほどになっているようだ。第三弾は「さらば深川」。著者の江戸への思い入れは一向に醒める兆しがない。

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パクリ・盗作スキャンダル事件史

2013年08月26日 10時29分58秒 | Review

 別冊宝島編集部 編/宝島SUGOI文庫

 この本は2009年1月1日に発行された物で、対象範囲が作詞、作曲から文芸、絵画までコピペは実に幅広いことから9人で分担している。話の内容は古い物から比較的最近の物まで収録されており、なかなか興味深いものがある。およそ、著作権なるものが出現したことで問題がやたら複雑になった。昔から「贋作」のたぐいは存在した訳だが、そうでなくても良い物便利な物はその特徴を模倣して同じ利便性を求めてきた。更にそれを少しでも「より良い物」に工夫してきたのがそもそも人間の文化なのである。「アルタミラ洞窟の壁画」ではないが、それをオリジナルとパクリに区別するのは、かなり難しいということだ。逆につくづく人の造るものはコピペの文化だということが判る。現実には誰が見ても判るような明白なものばかりではない。限りなくグレーなものもあまたあふれている。

 人間は、石器時代からこのかたほとんど進歩がないと言われている。もともと、あらゆる生命体自体がDNAのコピーである。ただ、ほんの少しだけ突然変異的なオリジナリティが伴っているものの、大部分がコピペなのだ。そもそも、人間の文化は僅かばかりのオリジナリティを永々積み上げ、積み重ねて来た結果の更新文化なのである。

  そんな訳で本来、訴えて損害賠償を請求するというのは実におかしなことなのだが、とは言え、例えそれが、娯楽であり、パロディであっても、アイデアの源泉となった原作者の努力を無視するというわけにもいかない。特に現代、相当の時間と労力を注ぎ込んで作り上げたものを一瞬にして何の苦労もなくコピペできることを考えれば原作者の保護も必要不可欠と考えるのもやむを得ない。元が無ければコピペも出来ない訳で、そこは厳然としている。原作者にはやはり敬意を表しなければならないのだろう。敬意だけでは食っていけないので、この場合の何等かの取り決めはやはり必要だろうと思う。それがこの文化における礼儀というものではないだろうか。ただこの問題には、著作権者が訴えなければ盗作にはならない、という「救い」のような事情もある。

 「黒澤明vsNHK」(175p)ではないが、著作権の保護が新しい文化を生む助けにならず、逆にその進歩を妨げることになるとしたら、それは本末転倒というものだ。昨今、著作権の保護期間を50年から70年に延長するべく、検討がなされているらしい。しかし、これは明らかに原作者本人ではなくその遺族に係る問題である。著作権本来の意味からも、それは原作者個人の権利であって、死亡と同時に消滅するべきものなのではないだろうか。

 パクリと言われないための十ヶ条
 (「パクリ・盗作スキャンダル事件史」の中からパクリ)
1.出典を明記してリンクする。
2.借り物部分がどこからどこまでかを明記する。
3.借りた部分は勝手に修正しない。
4.借りた物よりも自分の言葉を多くする。
5.全文転載ではなく、必要な部分だけ使う。
6.画像は許可を得て使おう。
7.TV画面キャプチャ画像、音楽、動画は危険。
8.利用可能と明記された物を活用する。
9.有名人の顔写真を使うのは避けよう。
0.本の表紙やCDジャケットはAmazon経由で。

 「盗作、コピペ」とは何なんだろうか。出展を明らかにせよとは言うけれど、ド素人から見て、誰がどの部分で著作権を持っているか等そんなこと判りはしない。借り物の借り物ってこともある。今書いている文章だって、どこぞの本に誰ぞがそっくり書いているかもしれないのだ。申し訳ないが、そんなことをいちいち気にしていたら書けるものも書けなくなってしまうではないか、とド素人は思うのだが。

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いつか友よ

2013年08月25日 13時17分27秒 | Review

 北方謙三/集英社文庫

 「ガラスの獅子」「友よ、静かに瞑れ」に続き北方謙三の作品をもう少し読んでみたくて、手に取ったのがこれ。これは挑戦シリーズの最終巻(5)で、本来なら1から読むべきだが、まあ硬いことは抜きにして、いきなり挑戦してみた。主人公は水野竜一、今回の「ハードボイルド」のツールは何と「テグス」だった。テグスというのは釣り糸のこと。その他にナイフも使う。どうやら北方謙三は「ナイフや釣り」が手に馴染んだツールらしい。

 読んだ感想としては、舞台が外国(カナダ)であることもあって、なんとなく地に足が付かないような不自然さがあり、気になった(最初から読めばそんなことはないのかも知れないが)。まるで、翻訳物を読んでいるような気分にさえなってしまうのだ。その意味では「友よ、静かに瞑れ」の方がはるかに面白かったように思う。ただ、沖田の用心棒である示現流 上村との戦いだけは、なかなか迫力あるものだった。

 「挑戦」については、著者の思いであって、まあ読者には関係ないことかも知れないが、小説家も長くやっていればいろいろ考えるようで、ハードボイルドは勿論だが、歴史小説(平安、南北朝、江戸)、剣豪モノ、中国史、近代史、エッセイ、児童書まで本当にいろいろ「挑戦」しているらしい。シリーズモノもかなり書いている。しかし真骨頂はやはりハードボイルドなのだろうと思うが、何が不満なのか、何が書き尽くせないのか判らないが黙々と書き続けてその作品は今や山のようになっている。昔書いたものが、自分の作品であることを忘れてしまうのではないかと思うくらいに量産している作家だ。(忘れちゃいないよ、と言うかも知れないが)

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指名解雇

2013年08月19日 11時20分47秒 | Review

 清水 一行/角川文庫

 著者の作品は既に2年ほど前になるが「銀行恐喝/2011/07/06」で既にお目に掛かっている。その時はあまり気にもしなかったのだが、今回の作品を読んで、なるほど清水さんは現実社会の歪み、不条理といったものをテーマにして書く作家なのかと改めて理解した。そう言えば前回の「銀行恐喝」も確かに。このような作家を、現代では「経済小説作家」と言っているらしい。「社会派」などと言うのはあまりにも古臭いようで。

 今回の「指名解雇」は、収録している5作品の内の、最初の短編のお題である。
・指名解雇・沈黙の男
・ハイビスカスの戯れ
・変節列島
・緑発を打て
 いずれも、現実社会の中の事象が背景となっているので、リアルさが伴ってちょっと迫るものがある。ハードボイルドとは違った面白さであることは間違いないだろう。ただ、この短編集には「尻切れトンボ、物足りなさ、フラストレーション」がある。この先は、と思ったところで終わってしまう訳で、何ともやりきれない。まあどの作家もそうだが、これは短編特有の性質なのかもしれない。その後は「どうぞ、ご自分で創造、展開してください」ということになるのだろうか。この文庫本は1991年10月25日の発行の初版本。「銀行恐喝」は1999年9月の発刊だから、この短編集の方が8年ほど古いことになるが、銀行や企業に対する著者の視点は常に一貫していたようだ。

 いやしかし1931年生まれの歴史を地で行くような人だから、小説もさりながらご本人の歴史も相当なモノで、多くの作品は激動の時代を生き抜いて来たその紆余曲折の証しなのかなと思った。

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友よ、静かに瞑れ

2013年08月18日 10時24分40秒 | Review

 北方謙三/角川文庫

 北方謙三の作品は2011年12月に「ガラスの獅子」でお目に掛かっている。あの時は、主人公(野崎)がナイフ男と戦うシーンが印象的だったが、今回はちょっと趣が異なる。単なるバイオレンスというよりも、もう少し人間臭いように思う。発刊の年代からすると、

「友よ、静かに瞑れ」(1985年/角川文庫) 38歳のとき
「ガラスの獅子」(1999年/光文社文庫) 52歳のとき

 の順で、今回の作品の方が15年ほど古い作品と言うことになる。「人間臭い」は青臭いとまで言わないけれども、若かりし頃の作品ということになるのかもしれない。

 北方謙三はさすがに学生作家として在学中にデビューしたこともあり、その作品は山ほどあるが、「友よ、静かに瞑れ」から「ガラスの獅子」に至まで、その「ハードボイルド」の表現力に磨きが掛かったのかといえば、確かにそういう面もあるが、どちらかというと当初からその才覚が作品に反映されていたと言った方が正しいように思う。そう考えれば「ハードボイルド小説の旗手」として一躍人気作家となったのも頷ける。

 今回の作品に「釣り」の蘊蓄は登場しなかったが、ハードボイルドのツールとしては「木刀」というか「剣術」と「車」が登場する。作家というのは話しのテーマ毎に何かしらツールを考えなければならないようで、著者の趣味などとは関係なく、体験しなければ得られない、単なる取材では得られないような状況を表現するのはどれだけ大変なことだろうと(つい余計なお世話を)考えてしまった。

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深川恋物語

2013年08月13日 11時45分50秒 | Review

 宇江佐真理/集英社文庫

 著者の作品を読むのは「幻の声-髪結い伊三次捕物余話」に次いで2回目。「江戸の風景、人情、風俗」の描写が良くて他の作品を読んでみたいと思っていた。その典型のような作品が「深川恋物語」だろうか。この文庫には六つの短編が収録されている。いずれも甲乙付けがたく面白い。あとは個人的な好みの問題かと思う。何故、函館生まれの著者が函館を語るならともかく、こうも江戸に詳しいのか。というより、どうして「江戸の風景、人情、風俗」の描写がこうも上手いのか不思議な気がする。とは言っても、それは小説の中の話しであって、そう思わせるところが「上手い」訳で、本当の江戸文化とは異なるのかもしれないが、それはそれである。江戸モノを書く作家は本当にあまた居る訳だが、そんな中でも傑出しているのではないであろうか。
 あまりにも理解しがたい表現は控えて、できるだけ優しく、しかし内容を損なうことなく情景を作り上げるところはまさに「現代的」だと思う。

 当方の女房も函館出身で、「宇江佐真理」という函館出身の作家が居ると紹介した。プロフィールを見て、彼女の兄姉は著者と同年代、同じ市内で生活していたことを知る。多少なりともプロフィールで紹介されている以外のこともあるようだ。前段の「幻の声」を読んで、やはり「江戸の風景、人情、風俗」の描写が気に入って、「深川恋物語」を探してきたのは彼女である。彼女もかなりの本好きで、ランダムにいろいろな作家を読んでいるが、「宇江佐真理」は読んだことが無かったらしい。そして「深川恋物語」を一気読み。今までTVドラマで涙を流すことはあっても、本を読んで涙が出ることはなかったとのことだが、この「深川恋物語」を読んで涙が出たというのである(感情移入も甚だしいが)。

 かく言う私も一気読み。しかしたかが作り話で「涙する」なんて、そんなことは有り得ないが、それでも六つ目の作品の「狐拳」ではさすがにちょっと来た。「はッ、はッ、はッ。よッ、よッ、よッ」。母娘が心おきなく皆の前で「狐拳」を競う情景が鮮やかに甦ってしまったのだ。

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骸の街

2013年08月09日 11時53分48秒 | Review

 勝目 梓/勁文社ノベルス

 「骸の街」は2002年1月10日発刊の比較的新しい(でも10年は過ぎているが)作品。著者は70歳になっている。勝目作品にお目に掛かるのは、これで「花言葉は死」に次ぐ2度目だ。この間、真骨頂のバイオレンスと官能表現は何等劣化することなく、むしろ無駄が無くなって単純にして鋭く磨かれたように思う。

 勝目作品の基本となるのは「男と女」だが、この作品もこの基本路線は変わらない。この作品の主人公の男は森 健、そして女は浅倉夏子である。勿論、何の得意技があるヒーローでもヒロインでもない。しかし、舞台は常に官能とバイオレンスであることに変わりはないが、「生きる」ということへの執着というか、正面切って向き合う覚悟のようなものがあり、捨て身になることで「生きる」ことに真剣になれる、或いは「生きる希望」が得られるといったような人間が持つ弱さと強さの両面を捉えようという労作なのだ。そこは、例え「男の妄想だ」などと言われようとも、あくまでも「男と女」であり人間研究なのだ。その意味で勝目作品には官能表現もバイオレンスも欠かせない構成要素なのだろう。

 勝目作品の面白さは、現実にはなかなか有り得ないが、しかし、ひょっとしたらあるかも、と思わせるような設定の中で話しを展開させる「瀬戸際技法」、そしていつのまにか「バイオレンスと官能」の勝目ワールドへ引っ張り込むところにあるようだ。

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非常線

2013年08月04日 11時53分15秒 | Review

 松浪和夫/講談社文庫

 主人公は渋谷生活安全課の金谷勇二刑事(警部)、ひょんな事から同僚の鹿島進刑事殺害の容疑者になってしまう。孤立無援の中、接見に来た弁護士の中上喜市を人質にして何とか警察の捜査の手から逃れることに成功する。警察が組織を上げて追ってくる。勿論、弁護士や金谷のフィアンセ鈴木増美は金谷の理解者だが、警察官の中には「同僚殺し」に疑念を抱く者も現れる。本庁捜査一課主任刑事の新山康広、生活安全課麻薬対策係の森 享介、そして管理官の豊川 治だ。

 多分、これから金谷刑事を中心にしてこの理解者達が活躍することになるのだろう。もしかして、事件の根源は「警察内部」に??、そんな予感をまき散らしながら話しは進んでいく(―に違いない)。結論は「外交特権(特別便)を使ったコカインの国内持ち込み」が、今回の事件の背後にある全てだった。しかもこの密売組織の主犯格はあろうことか警察のキャリア組が占める内閣情報調査室(内調)の調査官だったのだ。

 ほとんど、最初から最後まで逃亡の連続活劇である。その緊張感の連続がたまらない。この小説の面白さは、584Pageに及ぶ長編であるにも関わらず、途中弛緩することもなく最後まで引っ張り続けるところにあるのではないだろうか。ただ「いずみと葉子ママ」のところだけは、何の伏線もなく、以降に出番も無い。かなり突飛というか、場違いのような気がする設定だった。

 著者は1965年の福島県生まれ。大学卒業後、銀行に勤務したものの2年ほどで退職。その後、文筆生活に入る。しかし福島の自宅だから食うに困らないのか、とにかく作品の数がやたら少ない。デビュー作以下、
 1992年 エノラゲイ撃墜指令
 1997年 摘出
 1998年 非常線、ということで、20代のデビューでありながら何でもこなす。というより、小説家も得意不得意というか、これを書かせたら真骨頂というものがあるはず。しかし、書いている本人も読者も、とにかく作品が出来てからの話しであって、作品無しには何とも語れない。で、謀略モノ、医療モノ、警察モノという風に落ち着き所なく、まあ「書いてみたけど、どうよ」てなもので作家自身も手探りだったのかもしれない。手応えあってか、その後はどうやら警察モノに落ち着いたようだ。「非常線」はその警察モノの最初の作品である。

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