とパレスチナのことは、その典型かもしれない。どちらに味方する訳でもないし、
正しいとか、誤りだとかいうつもりもない。しかし、矛盾を感じることは禁じ得ない。
何故かと言えば、イスラエル人1人の死亡に対してパレスチナ人100人が亡くな
っているからである。それも天災や事故ではなくて、完全に人為的に。
そもそも国家が行う行為は「その罪を問わない」という不文律自体がおかしな話
だと思うのだが、今回も、例え五百人殺しても千人殺しても、ご多分にもれず誰も
「殺人罪」に問われないのである。
本来、ハマスがロケット弾を飛ばして、数人のケガ人や死亡者が出たとしても、
それは「地域紛争」なのだから、当然あり得ること。この機に乗じて過激な行為に
出る急進派はどこにでも居るのである。そのような輩は、地道に犯罪者として捜
査追求すればよいことなのではないだろうか。それを100倍にして無差別に殺人
行為を繰り返すのは異常としか思えない。
平和ボケの日本でも、希にロケット弾が飛ぶことがある。運悪くこのロケット弾
に当たってしまったとしても、そのために過激派もろとも100人を無差別に殺傷す
るなどということはあり得ない。
日本の花火大会も希に事故が起きて死傷者が出ることがある。ハマスのロケ
ット弾は、単に注意を引くためのこの花火大会と大差ないのではないだろうか。
それに対してイスラエルが行う植民政策、壁建設、無差別空爆などを見る限り、
この「地域紛争」を解決しようなどという意図は汲み取れない。むしろ、この機に
乗じて領土拡大を狙っているとしか思えない。そして、現在行われている空爆や
攻撃は、国家間の戦争などというものではなく、単なる弱い者イジメにしか見え
てこないのである。また、このような行為を正当化し、影で支えているのがアメリ
カである。そして「触らぬ神にたたり無し」か「馬の耳に念仏」か、知らんぷりを決
め込んでいるのが日本なのだから、何とも言いようがない。
昔から戦争は矛盾だらけで苦汁をなめるのは庶民だけと相場は決まっているが、
このような紛争は、人の命も含めて、ありとあらゆる資源を浪費、消耗するだけで
ある。この不況の中、喜んでいるはアメリカの軍事産業くらいのものだろう。
背景には、独自の宗教観に支えられた人種差別があるとも言われている。かつ
て、世界をさまよっていた「流浪の民」は、その苦しみを知っているはずなのに。