つむじ風

世の中のこと、あれこれ。
見たこと、聞いたこと、思ったこと。

三匹のおっさん

2012年11月21日 21時05分34秒 | Review

有川 浩/文春文庫

 「浩」は「ひろし」ではなく「ひろ」と読み、先ずは女性の作家だ。最初は男だと思っていたから、読み始めた頃なんとなく男としては角がないというか、無骨な感じがしない何気にソフトな文章だなと思っていた。読み終えてからNetで調べると、なんと女性だったというわけである。

 1972年6月の高知県生まれ。関西在住で、主婦の傍ら、2003年「塩の街」でデビュー。何故か「自衛隊」、「図書館」に憧憬が深く(?)その関連のテーマ作がたくさんあるが、当初は「恋愛小説作家」だったらしい。ライトノベルを中心とした日本の文庫レーベルで「電撃文庫」いうものがある。電撃小説大賞はライトノベルの新人賞としては最難関とされており、いわばライトノベル作家の登竜門なのだそうだが、有川はその「電撃文庫」出身作家で、内々では「姉さん」などと呼ばれているらしい。

 「三匹のおっさん」は単行本で2009年の作。つまり37才の時の作品ということになる。どこでどのようにしてこの目線を手に入れたのか、なかなかのものである。主人公は別にして清田の妻「芳江」あたりの目線になっているのかもしれないが、それにしても相当な年季の入った目線である。

 物語の作りも良くできている。この手のモノをある程度数を読むと判ることだが、あまり現実から飛躍すると面白くない。現実との絶妙な距離感が限りなくリアリティを生む。なんとなく時代小説を読んでいるような錯覚があるのは自分だけだろうか。

 「三匹のおっさん」、つまり清田清一、立花重雄、有村則夫の3人だけの活躍であれば単に(いじわる婆さんよろしく)痛快活劇的なものになるが、その他に主人公並みに出て来るのが清田の孫の祐希君。祐希と則夫の娘早苗が入ることで青春恋愛ものにもなっている。自分、息子、孫の三世代、世代間カルチャーの激突も面白い。

 2012/03「三匹のおっさん ふたたび」が出ているようなので、いずれ探してみようと思う。いや、久々に面白い作品だった。

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御暇

2012年11月16日 12時58分46秒 | Review

―交代寄合伊那衆異聞―
佐伯 泰英/講談社文庫

 「御暇」は「おひま」ではなく「おいとま」と読む。読み方を誤るとえらく異なった意味合いになってしまうが、そこは時代物、難しい言い回しはやむなし。さて、この物語はスーパーヒーロー「座光寺 藤之助為清」の活躍を物語るもの。時代は幕末、舞台は長崎から江戸という設定だ。「藤之助」のスーパー振りはかなり飛んでいるので言うに及ばずだが、この時代に登場させた「座光寺 藤之助」や「高島 玲奈」以外は、時代に即したもの。うまく調整している。もっともらしく勝 麟太郎(海舟)も登場する。

 佐伯さんは昔、3年ほどスペインに滞在していたことがあるらしい。それで現代モノ、闘牛モノを書いていたが、これがまたサッパリ売れず、編集者から時代モノを勧められたのが切っ掛けらしい。編集者の「廃業勧告」だったとも言われているが、とにかく時代モノが売れて、何とか復活したという話しである。NHKのドラマ「『陽炎の辻~居眠り磐音」の原作者でもある。以降、時代モノ1本に絞って集中して書いているらしい。「御暇」も「交代寄合伊那衆異聞」シリーズの9番目の作品ということで比較的新しい。

 同じ時代モノでも、どちらかというと「痛快時代小説」的で、藤沢周平のような意味深なものではない。佐伯ファンによれば、この(有り得ない)「痛快」さが面白いらしい。同じ「痛快」でも芝村 凉也の作風とはかなり違う。芝村 凉也は痛快で、しかもかなりリアルだ。そこがまた面白いところなのだが。

 佐伯さんは写真家でもある。下記URLは写真を多用した美しいWeb pageだ。佐伯ファンにとっては「お気に入り」どころではないかもしれないが、先ずはご覧あれ。

 http://www.saeki-bunko.jp/index.html

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告白

2012年11月11日 12時32分54秒 | Review

 湊 かなえ/双葉文庫

 「告白」は著者のデビュー作。漫画化、映画化もされているようだ。小説の創作手法としては、めずらしくもないのかもしれないが、1つの事件に登場する人物に順に主人公になってもらってその視点で事件を観る。「立場が変われば見方も変わる」で事件を立体的に表現する。それぞれ、当事者しか知り得ない真実を交えながらスリリングに展開するという手法だ。著者は登場人物の性格付けや展開過程など、かなり厳格に、綿密に、キッチリ構成してから創作にとりかかるタイプらしい。几帳面というか、緻密というか。

 しかし、結果として「その人物がどういう人間なのか」は結局最後まで判らない。著者は「登場人物の性格付け」はするものの、最後まで断定しない。映画化した中島哲也監督インタビューの中で、監督が「それが人間のおもしろ哀しいところ」と言っているが、この小説に貫かれた主張があるとすれば、人生の「哀歓」でもなく「悲哀」でもない、この言葉以外にないように思う。

 大学卒業後アパレルメーカーに就職し、青年海外協力隊隊員としてトンガに2年間赴任、その後淡路島の高校で家庭科の非常勤講師に就いている。かなり変わった経歴だが、勇気、行動力、意志貫徹はかなりのものだ。著者は30代の若い作家(ステファニー・メイヤーと同じ主婦作家)なので、これから面白い作品をまだまだ創作してくれるかもしれないという期待が持てる。インタビューで5年後(2014年)に目指す姿として、「まず、作家であり続ける。そして『告白』が代表作でないようにしたい」と話したそうだが、どうやらその目論見も達成出来そうな気配だ。

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コンビニの功罪

2012年11月05日 07時45分45秒 | Weblog

 いろいろな街を訪問して思うこと、それは次のようなことだ。ちょっとした有名な通りや街は全国にいろいろと存在する。しかし、そんな多くの街には必ず、大手のコンビニがある。或いは全国展開するフランチャイズの店がある。セブンイレブン、ローソン、ファミリーマート、ミニストップ、マクドナルド、ミスタードーナッツ、スタバ、等々、、。これらの店は、本当にこの町に必要なのだろうか。

 外から訪問するものにとって、折角遠くまで来たにもかかわらず、自分の住む所にもある店がまったく同じように存在するのは極めて興ざめというものである。それなら、何もわざわざ遠くまで来る必要などどこにも無いのだから。このことは特に温泉や観光的な要素の強い街では尚更のことである。多くは資本力にものを言わせて、何故か一等地の前面に出店している。このような汎用な店が観光地、或いは個性を売りにする名店街に出て来ること自体考えてみれば不思議なことだ。まるで、せっかくの個性を帳消しにするようなものではないのだろうか。このことについて地元の人々はどのように感じているのだろうか。まさか、出店を要請したわけではあるまい。

 ふるさと名産、地方特産とか言うけれど、行ってみたら何のことはない大手のコンビニだらけ、では面白くも何もない。少しくらいの品揃えの違いはあるかも知れないが、店構えといい看板といい、対応といい99%近所のコンビニと変わらない。このような店のメリットは、全国何処へ行っても品質は同じで、安心して買い物ができる点にある。しかし、だからといって観光地の前面に出て来ても何の「名物」にもならない。旅人は「何処にでもある店」を見に訪れるわけではない。逆に、そこにしかない店を探し求めてやってくるのだ。

 確かに、地元の人にとって「コンビニ」が便利と思うのは誰にも止められることではない。しかし、もしそうであるとするならばこのような「コンビニ」は、表通りではなく裏の方の目立たないところで、地元の人々に愛される「コンビニ」を目指すべきではないだろうか。人通りの多い所に出店すれば、確かに入店する確率も高くなるかもしれない。しかし決して愛されるコンビニにはなれないだろう。そしていつのまにか「日本の観光地は何処へ行っても同じ」というレッテルが貼られ廃れてしまう。客には海外へ行くという手もあるのだから。

 実際、自分のところだけ良ければ、他はどうでもいいように見えるのだけれども、代表格のセブンイレブンの井阪さん、ローソンの新浪さん、その辺のところの戦略はどうなのよ?

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トワイライトⅡ(下)

2012年11月04日 17時38分27秒 | Review

ステファニー・メイヤー/小原 亜美(訳)/ヴィレッジブックス
Twilight/Stephenie Meyer

 我が書庫(文庫)にはめったにないことだが、珍しいことに「トワイライトⅡ」は何故か上、下が揃っている。ヴァンパイアのエドワードとの恋愛小説で終わるのかと思いきや、「ヴォルトゥーリ一族」というヴァンパイアの元締めのようなのが出て来て、話しがドンドン広がってゆく。一向に話しが終息する気配が無い。調べてみると、文庫本は1からⅣまであり、それぞれ「上、下」があるので、最終章を加えると9冊にもなる長編らしい。

 S・メイヤーは、この作品でデビューしたが、その後も順調にベストセラーを出しているようだ。売れているのは西欧圏(キリスト文化圏)が主である。確かに、話しをあまり飛躍させず、日常から僅かに距離を置くやりかたは絶妙だ。そして17歳の娘が「白馬に乗った王子様?」を待つ心境がやはり共感を呼んでいるのだろう。しかし、そんな小説は過去にも山とあるはず。どうしてこのヴァンパイアものがそんなに売れるのか、どうも合点が行かない。

 主人公のベラはS・メイヤー自身に他ならない。つまり17歳の頃のメイヤーの経験と記憶、そして夢想を物語にしているものと思われる。何故って、描かれているベラの性格や行動、能力や観察力は、運動音痴も含めてS・メイヤーそのものだから。

 トワイライトⅡの(上、下)はこうして読んだわけだけれども、続いてⅢ、Ⅳと読み進みますか?と問われれば、「遠慮しておきます」と言うしかない。当文庫にはこの続きが置かれていないことを幸いに。

 追記(2012/11/07)
 それにしても、上の巻で「エドワードの秘密を白日の下にさらす」ところで終わったのに、その続きが一向に出て来ない。今か今かと思っているうちに終わってしまった。いくら話しが切り替わるとはいえ、どうも様子がおかしいと思ってよくよく見たら、最初に読んだのは「トワイライト(上)」で、続いて読んだのが「トワイライトⅡ(下)」、つまり、「トワイライト(下)」と「トワイライトⅡ(上)」を飛ばしてしまったということだった。我がランダム文庫に、そんな都合良く上下がセットになっているなんてことは普通には有り得ないことなのに、ついうっかり喜んでしまったのがいけなかったようだ。それにしても、なんとなく読めるというところがすごい。

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