つむじ風

世の中のこと、あれこれ。
見たこと、聞いたこと、思ったこと。

スルジェ

2024年09月02日 12時03分13秒 | Review

Sub Title「―ネパールと日本で生きた女性―」
平尾和雄/旅行人 2001年5月1日初版

 この本には、前回読んだ「ヒマラヤ・スルジェ館物語」より、少し詳しく改めて嫁の「スルジェ」さんを中心にした(著者の視点から見た)話に仕立てている。二人の関係をここまで赤裸々に描写するのも珍しく、なかなか書けるものではない。前署との重複を極力避けて、未だ前署では触れてなかった数々のエピソードで埋められている。中でも大きなウエイトを占めるのは病死の「スルジェ」さんのことだが、「多田保彦の自殺」もなかなか衝撃的なことだった。

 特に病死の「スルジェ」さんの形相は身に覚えのあるものだった。小生の女房も胃がんで、発見時には既にステージⅣ。外科手術は不能となり、あらゆる抗がん剤治療を試みたがその甲斐も無く、二年後にこの世を去った。
「スルジェ」さんは、最初の食道がんは外科手術で何とか克服したものの、その後乳がん、肝硬変を患いクモ膜下出血で帰らぬ人となった。余命を宣告された人の気持ちはなかなか理解し難いけれども、残された著者の気持ちは共有・共感できるものだった。

1989年から99年までの10年間は比較的さらりと流しているが、実際、こんな風に美しく書けるものなのかと思うところもある。しかし「スルジェ」さんが残してくれた有形無形のものが、今となっては著者を助けてくれているのではないだろうか、とも思う一冊だった。

1972年1月15日 名古屋港から乗船出発(著者25歳)
   インド、ネパール、カトマンズ、ポカラ、タトパニ村
1980年秋 タトパニ村の「スルジェ館」閉める。
   著者、単身日本へ帰国
1981年夏 著者、スルジェを迎えにネパール・ポカラへ
   信州の一軒家を経て練馬のアパートへ引っ越し
1982年 スルジェ → ネパール・ポカラへ
   ポカラで「スルジェ館」復活
1983年春 著者ポカラへ
1987年12月 スルジェ → 日本へ
   食道がん、乳がん、肝硬変、クモ膜下出血
1999年10月30日 スルジェデヴィさん(52歳)他界
2001年1月 遺骨を持ってネパール・タトパニ村へ


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ヒマラヤ・スルジェ館物語

2024年06月17日 14時39分35秒 | Review

平尾和雄/講談社 1981年5月30日初版

 ネパール、首都カトマンズの西の町ポカラからは天気が良ければダウラギリ、アンナプルナ、マナスルが見えるかも知れない。ポカラの側を流れるカリガンダキ川上流、ダウラギリとアンナプルナの谷筋にタトパニという村がある。そこで宿屋を営んでいるのが主人公で、平尾和雄・スルジェ夫妻の話しである。
この谷筋の村は、チベット岩塩の交易路であり、ヒンズー教徒の聖地(ムクティナート)への巡礼路でもあるらしいが、とにかくえらい山の中で、この街道を行くには徒歩以外に方法はないらしい。カトマンズとポカラ間にバスが通うようになったのは著者が訪れるほんの1か月前だったと言うから、その山奥度がどんなものか想像できる。
場所が場所だけに訪れる人も其々超個性的で、書き物のネタには困らない。

ガラ村とタトパニ村のこと、スルジェの一族、茶屋から宿屋へ、ハッシシ・大麻、ヒッピー、文無しトム、バラモン行者(ヒマラヤの聖者)、スルジェの母サスの弔い、聖地ムクティナート、インディラと和尚、ロミラと正太郎、そして結婚式、オランダ人ヘルミナ、健次と竹笛、フランス系カナダ人ドミニク。

 単に「変わっている」「珍しい」という事だけではない。なぜ人は旅をするのか、旅をしなければならないのか、何を求めて旅しているのかを地で行っているような話である。
あの時代、多くの若者が世界に飛び出して行った。忘れていた「ヒッピー」という言葉も懐かしい。それもそのはず、自分と年齢が4~5歳と違わないのだから。
あの頃は、世界の何処かに「それ」があるのでは、と思っていた。だから、それを探しに「旅人」をやっていたように思う。万難を排して(全てのしがらみを投げ捨てて)後先考えずに飛び出したように思う。そんな時代の一つのドキュメンタリーである。
「健次と竹笛」、健次が著者に宛てた手紙の中で「それが何だったのか、大方忘れてしまいました。たいしたもんじゃなかったわけです。“自我”というやつかな。」というくだりがあるけれども、それはやはり自分探しの旅だったのだろうと思う。自分が「存在」することの意味を問う旅だったのだろうと思う。

この本を読むことになったのは、実はあるyoutubeを見たからで、そこに紹介されていたからである。ケンイチロウは実は漫画本愛読家なのだが、Youtubeのお題「ヒマラヤの花嫁」にもあるように、(漫画本以外では数少ない)著者の熱烈なファンなのだとか。

さーちゃんの日常「ヒマラヤの花嫁」- Tamaken kitchen
https://www.youtube.com/channel/UCJBYUUv5h8HU5BB73ebEQbg

「ケンイチロウ」は名古屋出身の日本人、嫁の「さーちゃん(サムジャナ)」はネパール人で、ネパールのポカラ近郊のサランコットという村の出身。ある意味著者と同じような環境にある。
現在は日本で暮らしているが、かつてケンイチロウも「旅人」だったのだ。
著者が第一世代の「旅人」であるとしたら、ケンイチロウは第二世代の「旅人」になるのかもしれないが、旅する人の本質は少しも変わっていないような気がする。

この本の「スルジェ館」にまつわる話には実は前後があって、以下の順になる。
・ヒマラヤの花嫁
・ヒマラヤ・スルジェ館物語
・スルジェ ―ネパールと日本で生きた女性―

本当は順に読みたかったのだが、最初の「ヒマラヤの花嫁」が入手できず、話が前後することになってしまった。ちなみにスルジェはネパール語で「太陽、日神」という意味。





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コンバット

2023年12月10日 17時23分16秒 | Review

 youtubeで懐かしいTVドラマ「コンバット」を見掛けた。TVで見たのは高校生の頃だっただろうか、60年以上昔のことである。今更ではあるが、
「コンバット」は原文では「Combat!」と感嘆符が付く。そして、

主演はヘンリー少尉   「Rick Jason」
   サンダース軍曹  「Vic Morrow」である。この二人は、

「Starring Rick Jason And Vic Morrow」であったり「Starring Vic Morrow And Rick Jason」と入れ替わったりする。さすがに152話もやれば、斬新さや新鮮さはやはり薄れてくる。これを防止するために「Guest Satr」によってストーリーに新風を吹き込むという仕組みだ。
随分長く放送していたように思うが、全部で152話あるらしい。

1962年(S37)から1967年(S42)まで、US ABC TVで放送されたもので、日本では(私が見た)TBSや後にはNHK BSでも放送されたらしい。当初はモノクロ画像であったが、128話から「Combat! in color」、即ちカラー化される。現代のような高精細画像ではないけれど、やはりモノクロよりは情報量が多く、リアリティも増している。モノクロも悪くはないけれど。

 第二次大戦が終わったのが1945年、その3年後(1948年)朝鮮戦争が始まった。そして1953年の休戦協定以来今日に至る。「コンバット」は僅かその11年後(1964年)から作られたドラマである。米国にとって第二次大戦の疲弊は、未だ完全に癒えていなかったに違いない。

戦争モノではあるけれど、背景が「戦争」であって、話の中身は「人間ドラマ」だ。それが152話という長寿のドラマになったのだと思われる。よく見ると同じ場面が繰り返し使われている。製作費用の節約だろうか、それ程気になる訳ではないが、所謂「使い回し」である。

第1話のノルマンディー上陸以来、フランスでの作戦が主になるが、時系列、或いは史実との関係性はドラマの性格上あまり重視していない。生死の極度の緊張の中にあって、人間の本質が顕著になりやすいことは実に納得のいく話だが、そこには喜怒哀楽だけでなくあらゆる不条理が潜んでいる。それがこのドラマの狙いだったのだろう。

 鉄拳制裁

日本の軍隊モノと言えば誇張はあるかもしれないが「鉄拳制裁」は付きものである。
兵隊として来たからには戦闘拒否や敵前逃亡は許されない。しかし「コンバット」ではどうか。叱責、激励は多々あるし、仲間内の喧嘩騒ぎは珍しくもないが、そんな中でサンダース軍曹が暴力に訴えたのは152話の内「ならず者部隊」と「恥知らず」の二つであったように思う。あらゆる不条理、無理難題の命令であっても「ベストを尽くす」のが軍曹である。しかし、自己都合によって部下や仲間を危険にさらす者には、さすがに我慢がならなかったのだろう。何かに付けて威張り散らし、殴る蹴るが常套手段の帝国軍人とは大違いである。

 ドローンとミサイル

「コンバット」では小銃、手榴弾、機関銃、戦車と大砲が主な兵器である。勿論、戦闘機や爆撃機も健在であるが、60年後の現代でもこれらは重要な兵器であることに変わりはない。
戦争がある度に新兵器が登場すると言われているが、現代の戦争で登場したのがドローンとミサイルである。これにはGPSも無関係ではない。確かに当初の目的は軍事的な利用であったかもしれないが、以前から精確な位置情報を得るために商業利用されて来たものである。その意味でGPSは今回の戦争による新兵器ではないものの、ドローンやミサイルには必要不可欠な技術であろう。商業衛星や農業機械、或いは物流、運輸、通信といった民生品が兵器に「転用」されるのは、ICも含めて60年前と比べてはるかに高い比率になっていると思われる。

 安全と幸福を求めて

より良い生活と幸福を求めて科学技術は発達して来たはずである。しかし人々はどれだけ幸せになれたであろうか。「戦争」は破壊と殺戮そのものである。地上には今も一億個以上の地雷が敷設されており、日本の総人口に相当する人々が着の身着のまま流民(難民)となって世界を彷徨っている。発達した科学技術の恩恵は何処にも見当たらない。それが目の前の現実である。

 歴史による教訓

 アフガニスタンやウクライナ、ミャンマー、パレスチナなどのNewsを見るにつけ、
「人間は歴史から何も学んでいない」と思う。

これが152話を一気見しての観想であった。


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絵が殺した

2023年01月05日 16時12分46秒 | Review

黒川博行/角川文庫

 2020年4月25日初版(2004年9月、創元推理文庫から)
吉永誠一刑事と小沢慎一刑事のコンビ、得意の「ボケとツッコミ」のコンビである。それにしても、運転免許を持たない刑事というのは本当に珍しい。おそらく既読の小説の中で初めてではなかろうか。作品の中身を書いてしまうと「ネタばらし」になるのだが、要するに、美術業界と切っても切れない贋作の問題とそれに巻き込まれた個人の復讐という設定で話が展開する。「贋作集団の元締め」を追うのは警察だけではなかったのである。

 大方途中で犯人の見当が付くものだけど、今回の作品では306pまで判らなかった。刑事たちの地道な長い努力の継続が遂に目標に「辿り着いた」瞬間だった。かと言って「社会派」小説というわけではないけれども、魑魅魍魎的なこの業界の恐ろしさ、「人間の業」のような部分が見える作品だったように思う。考えてみれば金融業界にしろ不動産業界にしろ、あるいは食品業界にしろ偽装や不正は一向に無くならない。荒唐無稽だったはずの話しは、いつしか限りなくリアルさを増して、読者を引きずり込んでしまう。

 世の中に何となく閉塞感が漂い、暗い空気が流れだしている。そんなとき今回のような何となく明るい、モヤモヤを吹き飛ばすような作品を読みたくなってしまう。著者がそこのところを意識しているかどうかは判らないけれども、構想から練りに練った作品に違いない。黒川作品を読んで、心の均衡を保つことが出来るのであれば、こんな良薬は他にない。



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暗闇のセレナーデ

2023年01月03日 16時21分45秒 | Review

黒川博行/角川文庫

 2022年10月25日初版。(2006年3月の創元推理文庫から)
デビューから3作、単行本が1985年発表だというから結構古い。
まだ、いろいろ試行錯誤していた時期だったかもしれない。いや当初は「ミステリーもの」「本格推理もの」を目指していたのかもしれない。さすが元美術の先生、絵画だけでなく彫刻やその加工工程など技術的なことだけでなく、業界事情や関係者の思考などには詳しいはずだ。黒川作品には、比較的「美術もの」が多いように思うが、それは美術に対する憧憬というよりも職業的なものなのかもしれない。
「ドライアイスで密室を作る」「粘土槽に死体を隠す」「シリコンラバーで指紋を偽装」など、特有のミステリー構築がある。

 女子大生二人の「ボケとツッコミ」には、後々の作品に続く面白さが既に埋蔵されているように思う。金銭名誉に無頓着で、純粋に表現したい欲求だけで生きている「芸術家」の姿は、ある意味世俗で生きているものの(実現不可能な)強い憧れである。後日の「アウトローもの」の作品を思えば、「初期はこんな作風だったのか」と興味深い。この「ボケとツッコミ」は黒川作品のテンポの良さ、軽快さ、それでいてミステリーという面白さの基本を成しているように思う。黒川ファンは、より洗礼された「ボケとツッコミ」で益々面白い作品を今後も期待してしまうのではないだろうか。




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八号古墳に消えて

2022年12月31日 16時55分51秒 | Review

黒川博行/角川文庫

 2021年10月25日初版(2004年1月、創元推理文庫から)。
久々の黒川作品。今回は狭い考古学界に渦巻く魑魅魍魎に立ち向かう刑事コンビの話しである。相変わらずのボケとツッコミ。しかし亀田刑事の創造的な分析力には鋭いものがある。そしてそれを怒りながらも「聞く耳を持つ」相棒の黒木刑事がまた素晴らしい。シリーズとしては四作目だが、「黒マメコンビ」はこの作で最後になっているらしい。肩の凝らない「ボケとツッコミ」も楽しいが、せっかく徐々に存在感を増してきた「黒マメコンビ」なのに、残念なことだ。

 313p「冷徹、傲岸、狡猾、狭量、そして執拗」これが学者の本性かと思えばゾッとするが、別に学者の世界に限ったことでは無い。どんな組織にも、どんな社会にも潜在する人間の「持病」のようなものだ。そこに「博愛、謙虚、公明、寛大そして穏便」も併存するから面白い。喜怒哀楽である。

 黒川作品の中に古墳が出てくるのはとても珍しいように思う。古墳を背景にした作品が多いのは、やはり「浅見光彦シリーズ」ではないだろうか。今回の「八号古墳に消えて」にも登場する「306p古事記」や「111p箸墓」の話は、作品とは別に私の中では既に定着したイメージとなっている。そんな話が作品の中でどう料理されるかもまた興味深いところだ。



 

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日本の保守派(自民党)

2022年08月30日 18時45分46秒 | Weblog

 どうもよく解らないのだが、日本の保守派について、ちょっと勉強してみた。

自民党は1955年、自由党と日本民主党が合同して成立した党である。この合同によって「異なる政治的志向をもつ集団が併存」することになった。
「軽武装・経済国家を目指す吉田の路線」と「国粋的志向をより強く持つ岸の路線」である。
「吉田路線」は「軍事力よりはむしろ経済力を重んじ、日米安保体制の下、自由な経済活動を重視」、「岸路線」は「日本の独立を強く求め、自主憲法の制定を主張、安保改定では米国に対してより対等な関係を求めた」。そして、この違いの中で「保守本流」と呼ばれたのは「吉田路線」に他ならない。戦後、自民党はこの「保守本流」と「保守傍流」を包含継続してきたと言える。

 岸信介から安倍晋三に至る自民党右派は、神道系右翼である「日本会議」や反共反日集団である「統一教会」まで選挙に動員する極端な存在になった。今世紀になると、吉田茂から池田勇人や宮沢喜一を経て岸田文雄にいたる「保守本流」を押しのけて主流になっていったのである。
「吉田路線」を継承、池田勇人から大平正芳へとつながる派閥は「宏池会」。「岸路線」を継承、岸信介から福田赳夫につながる派閥は「清和会(清和政策研究会)」に受け継がれた。
 両派閥の中間に、吉田の愛弟子でありながら、岸の実弟でもあった佐藤栄作の派閥に起源を持つ、田中角栄から竹下登へと引き継がれた(後の)「経世会」の流れがある。

「経世会と宏池会の連合」の時代
背景にあったのは経済成長と冷戦体制。しかし1989年の冷戦終焉によって状況が大きく転換した。バブル経済の崩壊を経て経済成長の時代は終わる。アメリカの軍事的支援を自動的に期待できた時代は終わり、日本は独自の安全保障政策を求められるようになった。この間、経世会が分裂し、宏池会の存在感が次第に低下したこともある。米国の軍事的支援の下、経済に専念することができた戦後日本の「保守本流」の時代は、その「大前提」の崩壊によって終わりを迎えたのである。その結果、2000年以降、森喜朗、小泉純一郎、安倍晋三、福田康夫と清和会出身の首相が続くことになる。

 安倍内閣は「北朝鮮による拉致問題」「中国の軍事的・経済的大国化」から民主党内閣下で醸成された「中国への警戒姿勢」を継承し「南シナ海が『中国の湖』になる」という認識をもとに、「アジアの民主主義的な安全保障ダイヤモンド」構想を提起する。以降、「『自由、民主主義、人権、法の支配』といった普遍的価値意識の擁護」の対外政策を徹底して展開することになる。中国との軋轢の先行体験から「中国への警戒姿勢」は「自由で開かれたインド・太平洋」構想を生み、提起したことは米国の対中強硬姿勢を実質上、先取りするものでもあった。これが「自由主義世界」における主要な政治指導者として認知、評価されることになったのである。総理辞任表明に際しては、各国の政治指導者から、惜別と称賛の言葉が送られた。こうした惜別と称賛の言葉とともに退場する日本の政治指導者は、過去には類がないという。

 民主党時代の「中国に対する警戒」を世界に向かって警鐘したのが、偶然だったか何か目論見があったかは判らない。例え偶然であってもその評価は変わらないだろう。しかし、国内においては「森友学園問題」「加計学園問題」「桜を見る会」と、さんざんで、数多ある不祥事に対して前向きに責任をもって説明したことは一度も無い。更には「統一教会との関係」である。実際のところ外面は良いけれど、その政治的手腕は「安倍のマスク」程度のものだったのではないだろうか。

 清和会の領袖は安倍晋三であった。清和会=安倍派である。そして清和会には多くの「統一教会関係者」が居る。つまり、清和会(安倍派)は、

・日本会議(神道系右翼団体)
・勝共連合(反共政治組織)
・統一教会(カルト宗教団体)  によって今も支えられているのである。

これが日本の政治家の真の「保守派」の姿なのである。

 自民党の中で「保守本流」と同じ釜の飯を食うのは嫌だと見えて、2020年に保守系議員が「保守団結の会」設立した。安倍晋三はこの会の「顧問」を務めていたが、2022年8月、会は安倍晋三を「永久顧問」に祀り上げたらしい。何を考えているのかサッパリ判らない。


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ウクライナ

2022年08月23日 14時16分18秒 | Weblog

 2022年2月24日、突然「ロシアがウクライナに侵攻」というNewsが飛び込んできた。確かに数日前からロシアが侵攻の準備をしているというNewsはあったが、世界はただの脅しと思って眺めていたような気がする。当のウクライナでさえ、そう思っていたのではないだろうか。

 それが、いきなり現実となって、「ウクライナって何処よ」「日本と何か関係があるのか?」と改めて地図を眺めるような事態になった。確かにユーラシア大陸の中央あたり、ロシアと国境を接している東欧と呼ばれている遠い国だった。周辺にはあまり馴染みのないラトビア、リトアニア、ベラルーシ、スロバキア、ポーランド、モルドバ、ルーマニア、ブルガリア、アルメニア、ジョージアなどの国々がある。(かつて、ソビエト共和国の「共和国」は15もあった)

 歴史をたどれば、陸続きであるためか、昔から西から東へ、東から西へ、いろいろな民族が行ったり来たりした。大国と大国の谷間にあって、その度に民族自決は吹き飛び、国土は荒れ果て、人々は逃げ惑ってきたという悲しい歴史だ。大国の盛衰に翻弄されてきた国だとも言える。コサック民族は勇猛果敢ではあったが、帝国を持たず貴族でもなかったため、ポーランド王国に割譲されたことも、或いはロシア帝国の支配を受けて先兵として消耗させられたこともあった。ドイツ帝国、ハンガリー帝国、ロシア帝国の戦場となったこともある。内戦もあった。国名も「小ロシア=ウクライナの蔑称」と呼ばれた時代から何度も変わった。

 今のウクライナの年寄りに忘れることの出来ない苦難はソビエト連邦下の「2度の大飢饉」ではないだろうか。ロシア革命(1917年)以降、1921~22年及び1932年~33年、ソビエト社会主義の「農業の集団化政策」によって400万人から1000万人が餓死したとされている。このソビエト社会主義の仕打ちは今も語り継がれているに違いない。

 昔、中学生か高校生の頃、歴史の教科書の中で「白系ロシア」という言葉があった。ロシアに白系とか赤系とか黒系とかあるのだろうか。今頃になって「白系ロシア」って何だったのだろうと調べてみた。「=ロシア革命(1917年)後、国外に脱出、亡命した人のこと」らしい。主にソビエト政府による弾圧、迫害がひどかったウクライナ、ポーランド、ユダヤ系の人々だという。

とても紛らわしいことだが、
「小ロシア」はウクライナの蔑称だった。「白ロシア」は現在のベラルーシのこと。軍隊で言えば、赤軍はソビエト軍(革命派)、白軍はロシア軍(帝政派)、緑軍はウクライナのゲリラを中心とする軍、黒軍は無政府主義者の軍ということになっているらしい。

 ロシア革命(1917年)を機に、日本へ逃れてきた亡命ロシア人(白系ロシア人)が日本で暮らすようになり、その数は1918年時点で7,251 人ほどになった。だが、日本社会の偏見などでなかなかなじめず、1930年に3,587 人、1936年には1,294人と激減した。その後第二次世界大戦が始まったため、ほとんどがオーストラリアや米国などへ移住したり、ソ連へ帰国したりし、日本に留まったロシア人はごくわずかとなったようだ。外人は一律に「鬼畜米英」「露助」の時代である。ファシズムが台頭し、とても安心して生活できる国ではなかったと思われる。今回のロシア侵攻によって避難してきたウクライナ人は現在1,700人余り。やっとの思いで極東の日本にやってきた訳だが、凡そ100年前にも同じロシアの政策によって祖先たちが日本に逃れたことを知るウクライナ人は少ないかもしれない。

 文化も言語も習慣も異なる極東の島国、一見「縁も所縁もない」ように見えるかもしれないが、凡そ100年前、ウクライナ(白系ロシア)の人々が日本に残したものがある。例えば、

〇マルキャン・ボリシコ
 革命後日本に亡命してきた白系ロシア人(ウクライナ人)の一人である。
日本の伝統芸、大相撲の横綱大鵬の父である。

〇ヴィクトル・コンスタンチーノヴィチ・スタルヒン(須田 博)
 ロシア革命(1917年)以降、革命政府(共産主義政府)から迫害され、中国ハルピンを経由して1925年、日本に亡命した一家の息子である。
後に巨人軍の300勝投手となり、数々の偉業を球界に残し、野球殿堂入りした。北海道旭川にはその功績を記念した「スタルヒン球場」がある。しかし、日本国籍帰化申請は何故か受理されず生涯無国籍だったと言われている。

〇マカール・ゴンチャロフ
 1923年に神戸市北野でチョコレートの製造販売を開始した白系ロシア人の菓子職人。洋菓子「ゴンチャロフ」の創始者である。

〇フョードル・ドミトリエヴィチ・モロゾフ
 1924年に米・シアトルを離れ日本の神戸へ移住してきた白系ロシア人の実業家。洋菓子「モロゾフ」の創業期の経営者である。経営を巡って対立があり、屈辱的な妥協を強いられたとも言われている。

〇エマニュエル・メッテル
 大阪フィルハーモニック・オーケストラの指揮者、「関西音楽界の父」と言われている。朝比奈隆を育て、服部良一、貴志康一らに強い影響を与えた。芦屋浜の文化ハウスでは、山田耕筰や近衛秀麿、竹中郁、小磯良平ら日本の音楽家や芸術家らも訪れ、交流を持っていたと言われている。詩吟と浪曲しか無かった日本にとって、全く新しい音楽文化であったに違いない。

 そこには、外人は一律に「鬼畜米英」「露助」の時代でありながらも一生懸命生きた白系ロシア人(ロシア人やウクライナ人)の足跡がある。函館や横浜、神戸の外人墓地には今も「白系ロシア人」達が眠っているだろう。その意味では白系ロシア人にとって日本は「縁も所縁もある」ところだ。

 避難してきたウクライナの人々が、特に年配のおばさん達が胸に手を当てて頭を下げる姿を見る時、長い筆舌尽くし難い厳しい歴史を思い起こさせる。(若い人はさすがに「現代っ子」なのだが)
 先人たちの残した有形無形の文化は、日本の文化に溶け込み、今もその輝きを少しも失ってはいない。現代日本は決して暮らしやすいとは言えない部分も多々あると思うが、100年前の先人達に思いを馳せ、どうか自信を持って、誇りを持って暮らして欲しいと思う。この先のことは本当に解らないけれども、家や財産を失い、仕事も失って途方に暮れても、ひたむきに生きる、そんな人々に私は心からエールを送りたいと思う。

ウクライナ国歌「ウクライナは滅びず」
 世界には「国歌」は数多有るけれど、多くは国威発揚、国民を鼓舞するものが実に多い。しかしウクライナの国歌はどうだろう。その曲を最初に聞いた時「何と悲哀に満ちた曲」「悲しげな曲」だろう、と思った。そう思うのは私だけだろうか。その意味では日本の「君が代」も負けてはいない。荘厳ではあるが、何だか暗くてとてつもなく陰気な曲である。そこには民族主義的な精神性、「ニオイ」があるように思う。文化的背景や地政学的状況は全く異なるけれども、もしかしたら日本とウクライナはその精神性に共通するものがあるのかもしれない、と密かに思っている。


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カルト教団

2022年08月12日 19時56分54秒 | Weblog

 改めて、カルト教団について考えてみた。カルト教団と目される宗教的な組織は、世界中どこの国にも存在する。アメリカにもロシアにも、フランスにも韓国にも。ブラジルにはキリスト教聖書の個人的な解釈(好きなように解釈すること)によって千以上のカルト教団があるのだという。

 大きな流れとして、天変地異、未曽有の災害、貧困などの社会不安が生じたとき、雨後の筍のようにカルトが出現するという歴史的経緯(社会的現象)がある。そして時にこのカルトは、信者を心理操作し虐待したり、無償労働を強いたり、高額献金を課したり、法外な金額で物を売りつけたりする。中には、隔離された場所で共同生活を営み、閉鎖的集団を形成し、しばしば反社会的行動に走る。遂には何百人もの集団自殺に誘導したりすることもある。
 実際、各国政府は自国のカルト集団(新興宗教)に対して、その教義や活動に目を光らせ、気を使い、対応に難儀している様子がある。故に反社会的行動を常に警戒し、違法な行為は厳しく処罰しているというのが実情だろう。

宗教とカルト教団の違いは、
  〇宗教は「人生に模範と力を与えてくれる」はずの存在。
  〇カルト教団は「信仰心を悪用して悪事を働く」者の集団。

教会(Church)/(セクト)Sect/(カルト)Cultにはこんな定義がある。
  〇正統的キリスト教:教会(church)
  〇その分派:セクト(sect)
  〇異端的または異教的小集団:カルト(cult)

カルトの定義
 第一に導師やグルと呼んだり、自ら救世主を名のるカリスマ的教祖をもつこと。
 第二にマインドコントロールといわれる心理操作の様々なテクニックを用いて入信させること。それは洗脳の一種で、信徒は自覚のないまま、主義、考え方、世界観を根本的に変えてしまう。
 第三に外部世界から隔離された場所で共同生活を営み、閉鎖的集団を形成し、そこからしばしば反社会的行動に走る。
 第四に神秘的、魔術的な儀礼を実践し、教義は異端的、宗教的折衷主義的である。

 また、当初は真っ当な教義を掲げ、穏健な宗教活動であったものが、時間と共に変質・変貌してしまうのもカルトの特徴の一つなのかもしれない。いくらカリスマ的な教祖であっても、人間である限り不死身では居られない。

 日本にも社会を震撼させた「オーム真理教事件」があったことは記憶に新しい。麻原彰晃もグルと呼ばれた時代があった。統一教会も御多分に漏れず、文鮮明も「再臨主」とか「国家のメシア」を名乗っている。

 現在の不幸は「先祖の因縁」、「先祖が地獄で苦しんでいる」「死者の霊が地獄で苦しんでいる」等と不安に陥れ、「このままではあなたも地獄に堕ちる」「霊界の一番下に落ちる」などと言葉巧みに脅迫し、「夫や子供に災いがある」と恫喝する。そして「供養が必要」とか「家族を災いから守るため」等と偽り高額な献金を要求する詐欺集団である。

 「“エバ国”日本が資金調達し“アダム国”韓国に捧げる」とか「韓国の怨讐となった国」等というふざけた教義を掲げ、法外な金額で高麗人参等の健康食品を売りつけ、更には「聖本」や「壺、印鑑、数珠、多宝塔」等を買わせている。
「共同結婚式」や「先祖供養・霊肉祝福」等の儀礼は「世界平和」や「家族第一主義」を語る偽装である。反共思想は保守派政治家を利用するための方便であり詭弁に過ぎない。統一教会は、キリスト教正統派からは異端視されており、世界からはカルト教団と目され警戒されている組織である。

世界のカルト教団と目される十指のうち、三つが韓国人の教祖である。
 李萬熙の「新天地イエス教会」
 文亨進の「米サンクチュアリ教会」
 文鮮明の「統一教会」

 文亨進は(統一教会教祖)文鮮明の息子、父親の後継者争いで分派独立した。活動の主な舞台はアメリカで、勿論独立の資金源は日本の「高額献金・霊感商法」である。「米サンクチュアリ教会」は聞いたことが無いかもしれないが、熱烈なトランプ(前)大統領を支持する保守的な集団の一つで、「銃を携帯して礼拝や集会に集まり、反LGBTQを唱える」集団として知られている。

 李萬熙は韓国に拠点を置く「新天地イエス教会」の教祖で、日本ではあまり知られていないと思うが、「忠実な信者のふりをして他の教会に侵入し、新天地イエス協会の教えを植え付けて教会を乗っ取る」という戦術(布教)手段を取ることで知られる。先年、コロナ感染の警告を無視して教会への参拝を実行し、多数の信者が集団感染したという事件があった。

 朝鮮人には有史以来、強大な隣国である中国と日本に侵略され続け、属国にされ続けてきたことによる隣国への「恨」がある。繊細で傷つきやすく、勝ち気で自尊心の強い朝鮮人は、自らの力のなさに目を向けるのではなく、外部に対する被害妄想を持ち続け、朝鮮が歴史上受け続けてきた不正・不幸に対して、「真の償いと心からの謝罪」がない限り、「恨」を抱き続けるという「恨」の哲学が根底にある。

 単一民族という民族の血統の純粋性を誇る一方、他国に虐げられ続けてきたという歴然たる事実が国民精神の奥底に潜み、果てしない「恨」を生み、朝鮮人の集団的性格となっていると言われている。この「朝鮮人の集団的性格」を考えれば慰安婦問題、徴用工訴訟問題もまた同根と思われる。
全く、韓国という国は怨恨が渦巻くカルトの巣窟のような国である。

2022/08/13 一部追加

 

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信教の自由

2022年08月05日 19時16分36秒 | Weblog

 改めて「信教の自由」について考えてみた。今まで見たこと、聞いたこと、経験したことも含めて、「宗教の本質」「憲法が示す理念」そして「現実」を。

【宗教】
 宗教は信じる人のためのものであって、信じない人には何の役にも立たない。むしろそれは目の前に立ち塞がる障害であり、自己を抑制する不自由でさえある。
単に「世界平和」や「心の安寧」、「無病息災」を願うことは宗教ではない。宗教の根幹にあるものは「布教」である。布教だけが宗教を成立させる唯一の手段である。どんな本尊でありどんな教義なのか等ということは、二の次、三の次のことである。
従って、布教の無い宗教の存立というものはあり得ない。

【布教】
 以上のような理由から、宗教にとって「布教」というのは避けて通ることの出来ない死活の問題であり、テーマであり、目標となっている。そのための本尊であり教義なのだとも言える。
故に世の中の宗教的な活動は、全て必ず「布教」を伴うものである。
「布教」によって獲得した「信者」は、何の疑いも無く信じるが故に「活動を無償で提供し、高額献金を行い、聖本を購入する」人になる。さらなる「布教」活動もその一環である。
あらゆる宗教団体(組織)はこのような「信者」の有形無形の奉仕によって支えられ、生き延びているのである。まるで「ネズミ講」のような話だが、これが宗教の本質であるとも言えるだろう。

 「布教」活動は研究会、サークル活動、バザー等、集会、講演会等あらゆる手段(偽装)を用いて勧誘する。時に拉致、誘拐まがいのことさえもいとわない。一旦信者となれば、生活の中のあらゆる時間と行動を制約し、拘束する。脱退しようとすれば、組織を上げて全力で阻止しようとする。なぜならそれは宗教にとって「死活の生命線」だからである。

 精神的な孤独、不安や悩みは誰しも解決したいもの。しかし彼らはそこを突いて入り込んでくる。いかにも「不安や悩み」を解決できる唯一の存在であるかのように語りつつ。そして、振り返って見れば「不安や悩み」は一時的な逃避はあっても、何も解決されていないのだ。それどころか状況は更に悪化し、身動き取れなくなっている自分を見ることになるのである。

【信教の自由】
日本国憲法 第二十条
1.信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。
いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
2.何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
3.国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

【洗脳】
 宗教は一種の「洗脳」だと思う。勿論、信者本人にいくら説明したところで、悲しいかな簡単には納得してもらえない。だからこそ「洗脳」なのである。今更説明するまでもないことだが、日本国憲法は、宗教の「信じる/信じない」自由を保証している。同時に宗教が「布教によって人々を洗脳すること」をも“信教の自由”としてこれを保証している(禁じてはいない)のである。

 “信教の自由”は決して「洗脳」などという精神的、心理的状況までは微塵も把握していないし考慮もしていない。ここに見えるのは、個々の人格が既に高い独立性を確立しており、その判断に委ねるという、性善的期待があるだけである。「自由」はあくまでも高尚で、故に厳しく、いかに恐ろしいものであるかが解る条文である。

しかし、そんな完成された人間は何処にも見当たらない。悲しいことに、不完全な人間が「票と支援」欲しさに右往左往し、恣意的な政治活動(あらゆる権益獲得)に邁進奔走するという姿ばかりが見えてしまうのが現実である。




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