つむじ風

世の中のこと、あれこれ。
見たこと、聞いたこと、思ったこと。

津和野殺人事件

2015年01月30日 17時54分39秒 | Weblog
 内田康夫/光文社文庫

 1988年10月20日初版、1994年11月20日43冊。今回の話しは「旅情ミステリー」の見本のような作品。山陰の小京都「津和野」を多様な角度からたっぷり味わう旅情豊かなストーリーになっている。毎回そんなに殺人事件ばかり起こってたまるものかとも思うが、それを割り引けば、本当に旅情豊かな作品で、「津和野」に行ってみたいという欲求に駆られる読者も多いのではないだろうか。「津和野」の歴史的な背景や、その時々の為政者達のことが走馬灯のように表れては消えてゆく。

 特に、明治維新(御一新)に掛かる宗教史上最大の混乱については読み応えのあるものだった。自然発生的八百万の神々が、天皇を中心にした王政復古、中央集権に誘導されていく過程がよく判る。その「精神的な絶対服従の仕組み」は、極端に言えば「オーム真理教」のそれとさほど変わらない。そのことによって極めて短期間に「御一新」を実現することが出来たものの、近未来には大きな禍根を残すことになる。そしてそれは今をもってしても完全に解決したとは言い難い。そもそもの遠因が「津和野」にあったとは!

 54pに、浅見光彦の事件捜査に対するエネルギー源についての自己分析がある。それは「世の中には警察の察知できないまま、「完全犯罪」に終わっている事件が、無数にあるような気さえする」ためで、故に「警察を出し抜く楽しさ」があると書いている。事件に抗することは難しいけれど、隠された真実を見出すこと、本当の動機を推し量ることは出来るという人間探求が源泉の小説なのだ。


白鳥殺人事件

2015年01月25日 17時37分41秒 | Review
 内田康夫/光文社文庫

 1989年2月20日初版、1992年2月20日21冊。導入はまずます、例によって今回も浅見光彦の活躍。ただ、お題のように「白鳥」などというから、そのイメージからしてどんな話の展開になるのか興味津々だったのだが、「白鳥の」は鳥の白鳥から始まって、列車名、人名、地名そして曲名へとたどる。このあたりは、ちょっとわざとらしいというか、押し付けがましいというか、こじ付けが過ぎると言うか、いかにも推理小説的なのだが、いつものことながらつい面白く読んでしまう。

 しかし、同人誌「蓑の会」の名簿にたどり着くあたりは、クライマックスだろうか。リアリティあふれる話の展開だった。これで九割方怪盗X団のメンバーが割れてしまう。読者としては「今回の話しはこれでお終い」といったような按配で、あとは種明かし(暴露)の章となる。

 いつものことだが、浅見光彦の事件はハッピィエンドに終わらない。今回も芹沢玲子が「何れ嫌が上にも直面しなければならない現実」を示唆して終わる。解説で、郷原宏さんがうまいことを言っている。読者は「現実の重さと拮抗するだけの小説的なリアリティを求める」。だからそのバランス感覚が大切なのだと。つまり「現実の重さと拮抗」すればするほど面白いということになる。・・・確かに。
しかし、この解説はちょっと褒め過ぎじゃないの!!






ギャロップ

2015年01月19日 11時58分42秒 | Review
 飯星景子/角川文庫

 1991年9月25日初版。第一話・平成元年10月29日の天皇賞、東京競馬場から始まって、京都・エリザベス女王杯、京都・マイルチャンピオンシップ、東京・ジャパンカップ、阪神・桜花賞、東京・日本ダービー、ぐるり回って第七話・平成2年6月27日の大井記念、大井競馬場まで。登場人物はいつも異なり、それなりに異なる話になっているが、背景がいつも“競馬場”であるために、どうも同じようなイメージの話になってしまう。七話、短編なのでなかなか乗るに乗れないということもある。

 作家という割には作品がほとんど無い。役者、或いはタレントというべきかもしれない。かつて著者には「統一協会」の話や「オウム」の話も飛び交っていたようだが、作家と言うのは何でもやってみる人達だから、そういうこともあるかもしれない。がしかし、それが肥やしにならなければ何の意味も無い。「わたしたちの競馬、そして恋」・・・ね。

 解説は競馬に憧憬の深い伊集院 静さんが書いているが、伊集院さんの競馬はオヤジ競馬、飯星さんのはギャル競馬、競馬の魅力はそれぞれである。「名馬オグリキャップの描写」は飯星さんに対する伊集院さんの心からのエール。しかし、その実現(ゴール)ははるか先のようにも思える。人生ままならないものだ。私は競馬をやらないが、株よりは人間的か。「誰のために走るでもなく、一生懸命に走ってさ」というのは解かる気がする。


ポーの話

2015年01月18日 18時54分28秒 | Review
 いしいしんじ/新潮社文庫
 
 2008年10月1日初版、2011年5月20日の2刷。かなり変わった作品。推理小説でもなければ時代小説でもない。どちらかというとちょっと小汚いファンタスティックな作品。だからと言って子供向けの作品と言う訳ではない。人によっては難解と言えるかもしれない。最近ではとんとお目に掛からない類のものだ。何でもこの作品は三島由紀夫賞候補になったこともあるとか。

 とにかくいろいろなものが登場する。「ポー」自体が人物なのか、河童なのかウナギなのか、はたまた天使なのか判らないけれども、うなぎ女、天気売り、メリーゴーランド、ひまし油、犬じじ、子供(犬)、少年、埋め屋の亭主と女房、うみうし娘など。いずれも現実離れした個性の持ち主で、主人公ポーとの関わりの中で登場する。主人公ポーが持つ生活感はおそらく著者の生活感と同じ。世の中がこんな風に見えているのかも。
 一貫していることは、413p「見えない相手を、揺れてる透明な水の中に、思いえがけることが素敵。目の前に、くっきり見えているものしか信じられなくなるのが、いちばんつまらないし、いちばん悲しい」という唯心論的志向だ。

 ポーの素直で純粋な目を通して俗世間を見ることで、その裏に隠れた「大切なモノ」が見えてくるような仕組みがある。本当の悲しみ、本当の償い、本当の絆、本当の思い。

 この作品は「川」がとても重要な役割となっている。雨が降り、やがて川を形成し、上流から下流へ流れ下り、やがて海へ流れ込む。しかし、海では盛んに水が蒸発し雲となって山の方へ流れてゆく。まるで輪廻転生であるかのように。そんな暗示がある。ところで、モチーフとしての「川」はやはり隅田川か、それとも木津川か大和川か。いや、やはり万代池なのかな。