つむじ風

世の中のこと、あれこれ。
見たこと、聞いたこと、思ったこと。

伊香保殺人事件

2019年04月30日 22時47分54秒 | Review

内田康夫/講談社文庫

 2003年6月15日初版、2008年2月27日第3刷。シリーズNo.41。榛名山は上毛三山(赤城山、榛名山、妙義山)の1つ。上毛は上野国(群馬県)のこと。榛名山は古く山岳信仰の対象になっており、伊香保温泉も古い。かなり昔に隣の赤城山、黒檜山(1,828m)を訪れたことがある。榛名山と同じようにカルデラ湖の大沼がある。残念ながら伊香保にも雲台寺にも行ったことはないけれど、赤城山のことを思い出しながら懐かしく読んだ。伊香保温泉の情景描写では硫黄の臭いまで伝わって来るような臨場感がある。これだから「旅情ミステリー」はやめられない。

 推理小説によく採用される「記憶喪失」モノというほどではないけれども、子供の頃あまりにも衝撃的な出来事が心理的に記憶を閉じ込めるというような現実回避現象をうまく利用して、主人公「三之宮由佳」の生い立ちを隠している。それが大人になり受け入れ可能になって解放され、現実を直視することで人生の何たるかを知ることになる。
 人生において「禍福は糾える縄」と例えるが「日なた道と日かげ道」はもっと悲しい運命的なものがある。どうしてそんな選択をしてしまうのか、ある者は日なた日なたへと歩くのに、ある者は日かげ日かげへ歩いてしまう。まるで故意に運の悪い選択を繰り返しているような人も居る。人は「全て自己責任だ」というけれど、大戸夫婦を思うと、例え小説でも他に道は無かったのかと悲しくなる。

 いつも自作解説なのに、珍しく別の方が解説している。旅情ミステリーは「一冊で二度美味しい」ではなく「一冊で二度楽しめる」と評価するのに賛同したい。

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歌わない笛

2019年04月28日 14時40分46秒 | Review

内田康夫/光文社文庫

 2004年3月20日初版、2007年12月20日第五刷。シリーズNo.65。室口雄吾の愛人に惚れた政治家・笹倉正直が、その愛人を嫁にすることで、室口との関係が出来る。しかし、その愛人には意中の別の相手が居た。それが今回の真犯人である。そこには大学誘致という利権がからむ計画があった。賛成、反対の各陣営の利権をめぐる切り崩し、思惑、私欲、裏切り、介入飛び交う中での事件であった。

 どんな天才といえども年は取る。いずれは後輩に道を譲らねばならない時が必ずやってくる。一世風靡の派手さが大きいほど、それを失ったときの侘しさは、台頭する若い才能を見るにつけ、耐え難いものがあるだろう。三原智之と本沢千恵子はそれを端的に物語る象徴的な悲しい対比だった。

 三原と克子の関係が希薄で、「推理」するより他無いが、いかにも推理小説らしい作品だった。仕掛にも無理が無く、話の流れの唐突さも目立たない、推理のくどさもない。

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熊野古道殺人事件

2019年04月27日 21時21分21秒 | Review

内田康夫/角川文庫

 2010年4月25日初版。シリーズNo.54。今回は軽井沢在の作家(内田)が全編にわたり登場した。いつもは遠慮がちにチョロッと出るだけだが、主人公の浅見を差し置いて丸出しである。「殺人事件」の話しとしては些か不謹慎的な軽快さで話は進む。「旅と歴史」では和歌山の熊野本宮大社を中心にしてソアラで走りに走る。

 熊野本宮大社は、北側から和歌山線JR橋本近くのR371龍神街道で日高川に沿って南へ降りるルート、半島西側の岩崎からR311(中辺路)で北東へ上るルート、半島東側の新宮(熊野川河口)から熊野川に沿ってR168を西北へ上るルートの3本がある。いずれも相当の長時間、山の中、渓谷を行くロングドライブのルートである。熊野古道というのはその中のR311のルートを指すらしい。

 岳野春信・妙子(小百合)の話しと清姫の話しがダブって「女の一途」が恐ろしいということになったが、考えてみると内田も松岡も浅見も皆男ばかり、完全に男の側からの共通認識だった。最後に、小百合にチキンレースを仕掛けられて、内田は(ローンを完済したばかりの)浅見のソアラをあろうことか大破させてしまうというおまけが付いた。なかなかのエンターテイメントだった。

 今回の著者の「怒り」は宗教観についてである。補陀落渡海という宗教行事について、或いは入水往生、即身成仏などの厭世的、消極的な考え方に対する疑問が爆発、「死んで花実が咲くものか」であった。

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志摩半島殺人事件

2019年04月24日 10時41分18秒 | Review

内田康夫/光文社文庫

 1997年12月20日初版、2005年12月30日第12刷。シリーズNo.25。今回は志摩半島の美しい風景と共に人生の機微をサスペンス風に描いている。なかなか難しい問題作になっている。決してひがみとかではなく、世の中ほど不公平なものはない。理不尽、不条理、不公平の塊のようなものである。勧善懲悪なんてものは恥ずかしいし、白々しいと思ってしまうのは著者だけではない。

目には目を、敵討ち、ではなく「憎むべきは犯罪者」。
「犯罪者の人権」「何の罪もない人の人権」これは同じ「人権」なのか。
犯罪を犯すことで、犯罪者は「人権」失ったのでは?
「法が裁きえない犯罪者を法に代わって裁いた者を、どうして裁くことができようか」
そして「犯人は罰せられなければならない・・・か?」

 正義観、倫理観、人間観というもの。いろいろなものを突き付ける作品だったように思う。怒りそして苦悩する浅見光彦の姿が目に浮かぶようだ。一服の清涼感は海女志望の高校生、岩崎夏海くらいのものだろうか。


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死命

2019年04月21日 11時58分17秒 | Review

薬丸 岳/文春文庫

 2014年11月10日初版。著者には昨年7月に「逃走」という作品でお目に掛かっている。本格的なサスペンス作家であると認識している。にもかかわらず、サスペンスとは何の関係もないような学生時代のボランティアサークル仲間とその後の状況説明で始まったストーリーだが、76p意表を突いていきなり警察小説に変貌する。連続殺人の犯人は最初から判っており、その意味で多くのサスペンスとは違う作りである。主人公の一人である蒼井 凌刑事からすれば充分サスペンスなのだが、それにしても追うもの、追われるものが二人して末期のがん患者というのは随分変わった設定をしたものである。
 人生の最大のテーマはその「死生観」だという。その意味で二人の中心人物が、その死に直面して総括する状況描写は何とも苦い場面である。

 最後まで二人の主人公の視点で終わる訳だが、とても「安らかな気持ちで」とはいかない。とても「思い残すことも無く」ともいかない。やはり、わずかな怖れと小さな満足を抱えながら煩悩の大海の中で溺れ死んでゆくというのが人間の真の姿なのだろうか。

 作品の出来とは関係ないが、作中蒼井刑事が、亡くなった妻を思い出すシーンがある。
92p「お前の人生は満足のいくものだったのか。夫に対して不満はなかったのか」
183p「死ぬってどういうことなんだ。教えてくれ」

 妻に先立たれた大方の男が一度は(いや、何度も)思うことである。全くもって人生というのは辛いものだと身に沁みて思う。


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日光殺人事件

2019年04月19日 14時11分26秒 | Review

内田康夫/講談社文庫

 2012年10月16日初版、シリーズNo.22。出だし、天海僧正=明智光秀?の話しのはずが、いつの間にか智秋一族の内紛の話しになってしまい、最初の「旅と歴史」のネタ話し、本旨は忘れたのではと心配になったが、最後にチョロッと出て終わり。天海僧正=明智光秀は本旨ではなかったようだ。

 当初の叔父(次郎)の死亡原因は相変わらず不明のままだが、牧場長の妻と牧場の古参従業員が共謀犯人とは、随分現実的な結果になったものだ。今回のマドンナは智秋家の孫娘、朝子だったが、結局最後まで「お嬢さん」の域を出なかったようだ。牧場は4人も突然手が無くなったことになる。「お嬢さん」はこれからが大変だ。とても乗馬を楽しんでいる場合じゃないな。

 「旅と歴史」の編集者に春日一行という人物が登場する。今まで読んだ作品の中では常に藤田編集長だったのだが、春日一行はこの作品にだけ登場したものらしい。性格は藤田のそれに酷似しているのだが、編集者との付き合いというものはいつもこうしたものらしい。

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若狭殺人事件

2019年04月17日 12時45分05秒 | Review

内田康夫/講談社文庫

 2011年10月14日初版。シリーズNo.55、東京と福井県若狭で起こった殺人事件を追って、例によって浅見光彦が奮闘する。今回は特に若狭という土地に暮らす人々の何とも言えない暖かさを感じないわけにはいかない。三方湖という風光明媚な土地柄もあるかもしれないが、それだけではない何かがあるような気がする。是非にも訪れたい場所の一つである。

 この作品のストーリーはシリーズの中で比較的よく使われるもので、大きく目立った特徴は無い。作品の中で、時々出て来る「社会に対する視点」は、推理作家として賛否両論あるらしいが、著者の人と成りを知る上で、私は賛成である。少なくとも無関心ではないことが好ましく思う。確かにあまり押しつけがましく書くと鼻に付くかもしれないが、「怒り」は大切だと思う。

 終幕は、このシリーズでこれまたよく使われる「武士の情け」である。確かに警察でもなく検事でも裁判官でもない浅見光彦だから、このような終わり方は妥当なのかもしれないが、「武士の情け」は著者の美学なのだそうな。人生の究極のテーマである死生観を常に見据えながら「自らの尊厳を主張し演出しえた」と思うことができるとしたら、それは幸せなことである。

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火の粉

2019年04月10日 14時39分46秒 | Review

雫井脩介/幻冬舎文庫

 2004年8月5日初版、2016年4月1日、第32刷。565pという文庫本としては三冊分もあろうかという大作。常に上から目線で他人事のようにものを見る世間ズレした裁判官、そして冤罪風の容疑者(武内)、サスペンス風な雰囲気はどこにもない平凡な風景が展開する。的場一家殺人事件は平凡とは言えないが、しかし、確たる証拠もなく、法に照らして無罪と判じたのだが、有罪とすれば一家三人殺害は死刑であり、この差は大きい。神のごとく一人の人間を死に追いやることの苦痛に耐えられず、裁判官を辞めてしまう。検事に「いざという時決断できない性格」と見透かされるが、最後にあらゆる社会的衣装(地位、権力、名誉、立場等々)をかなぐり捨てた生身の裸の人間が、容疑者(武内)によって引き出される。容疑者の人格変貌もさることながら、この作品の面白さはこの辺にあるように思われる。神聖かつ孤高の裁判官の人間性である。「据わりの悪い身軽さ」を感じながら、しかし、意気消沈し、憔悴するでもなく、妙な安堵感さえ感じる「傷害致死」の判決であった。

 しかし、無罪と判じた容疑者(武内)が隣に引っ越してきた時の背筋を這うような冷気はこの作品が一気にサスペンスであることを深く印象付けた場面であった。また、武内真伍という人物が、池本 享の言うような印象に、なかなか簡単に辿り着かない(結び付かない)ところが、実にうまく読者の心理を読んでいる。すっかり著者に術中に嵌ってしまい、実に久々のサスペンスらしいサスペンスだった。


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我が家のヒミツ

2019年04月05日 10時23分15秒 | Review

誉田英朗/集英社文庫

 2018年6月30日初版。2012年12月「邪魔(上、下)」でお目に掛かっているが、それ以降、前後作「最悪」「無理」等はまだお目に掛かる機会が無い。「我が家のヒミツ」は短編集だが、どの作品も苦くて悲哀のある家族の姿が描かれている。中にはHappy Endかと思われるものもあるが、単純にそうとも言えない。

・虫歯とピアニスト
・政雄の秋
・アンナの十二月
・手紙に乗せて
・妊婦と隣人
・妻と選挙

 「正雄の秋」など、サラリーマンにとって、どのような印象に写るだろうか。既に経験し乗り越えたものにしか判らない哀愁が漂う。誰しもいつかやって来るサラリーマンの行く末なのだが「世を恨まず、人を恨まず、そして腐らず」乗り越えるのは簡単ではない。人生とはかくも悲しいものなのかと改めて思う。「アンナの十二月」もまたこれに劣らない。「男は甲斐性を比べられたら立場が無い」である。常に上には上があるのであって、比較するものに事欠かない。それが世の中だと分っていても、である。しかし、大人の分別ということでなく、「デリカシーのない人」にはなりたくないものだ。

 この短編集の中でちょっとだけ異色な作品は「妊婦と隣人」だろうか。妊婦の不安な心情と現実の不自然さを対比させたサスペンス風の面白い作品だった。何故ここに収録することにしたのかは不明だが、重苦しい雰囲気をちょっと癒やすための策だったのかもしれない。

 「我が家のヒミツ」には他に「我が家の問題」「家日和」があり、これを大塚家の三部作と言うらしい。


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妖しの華

2019年04月03日 13時40分43秒 | Review

誉田哲也/文春文庫

 2010年11月10日初版。著者の作品は今までに「歌舞伎町ダムド」「歌舞伎町セブン」「ソウルケイジ」「ストロベリーナイト」等とお目にかかり、これに続く5作目となる。「妖しの華」は本格的なデビュー作であったらしい。この作品は警察モノでもないし、ファンタジックでもホラーモノでもない。サスペンスであるような、ちょっと違うような、アクションモノというほどでもない。その辺のところの狙いはあったのだろうか。ちょっとグロなエンターテイメント性は持っているのだが、何とも難しい。

 この作品では吸血鬼が登場する。光に弱いことはご多分にもれない。出自はルーマニアではなく鹿児島のとある山奥の闇神一族が暮らす村だという。それが何故東京にということはともかく、仲間と共に人間界でひっそりと暮らしていたが、「暴力団の抗争」を囮にした一族の追手が迫り、巻き込まれ、仲間を殺され思わぬ事態に。以降の大量殺人につながってゆく。多少グロテスクな部分はあるものの、極端なアクションに頼ることもなく話は比較的淡々と進む。

 主人公の紅鈴は、その実態は掟破りの吸血鬼という裏の顔があるのだが、非常に魅力的に描かれている。その分だけ、吸血鬼としての翻弄された運命が辛い。3年後、この静謐は破られ、主人公は命懸けでこの事態収拾を図るのだが・・・。今更ながら村の長が言った「掟」の意味が浮上する。

 この作品における警察(井岡、富山)の存在が、かなり重要な役割を果たしているように思う。もし、これが無ければ散漫で漠然としたものになってしまうかもしれない。井岡の存在がストーリーをグッと締めて、「もう一人のヒーロー」になる可能性をうかがわせる。

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