どうもよく解らないのだが、日本の保守派について、ちょっと勉強してみた。
自民党は1955年、自由党と日本民主党が合同して成立した党である。この合同によって「異なる政治的志向をもつ集団が併存」することになった。
「軽武装・経済国家を目指す吉田の路線」と「国粋的志向をより強く持つ岸の路線」である。
「吉田路線」は「軍事力よりはむしろ経済力を重んじ、日米安保体制の下、自由な経済活動を重視」、「岸路線」は「日本の独立を強く求め、自主憲法の制定を主張、安保改定では米国に対してより対等な関係を求めた」。そして、この違いの中で「保守本流」と呼ばれたのは「吉田路線」に他ならない。戦後、自民党はこの「保守本流」と「保守傍流」を包含継続してきたと言える。
岸信介から安倍晋三に至る自民党右派は、神道系右翼である「日本会議」や反共反日集団である「統一教会」まで選挙に動員する極端な存在になった。今世紀になると、吉田茂から池田勇人や宮沢喜一を経て岸田文雄にいたる「保守本流」を押しのけて主流になっていったのである。
「吉田路線」を継承、池田勇人から大平正芳へとつながる派閥は「宏池会」。「岸路線」を継承、岸信介から福田赳夫につながる派閥は「清和会(清和政策研究会)」に受け継がれた。
両派閥の中間に、吉田の愛弟子でありながら、岸の実弟でもあった佐藤栄作の派閥に起源を持つ、田中角栄から竹下登へと引き継がれた(後の)「経世会」の流れがある。
「経世会と宏池会の連合」の時代
背景にあったのは経済成長と冷戦体制。しかし1989年の冷戦終焉によって状況が大きく転換した。バブル経済の崩壊を経て経済成長の時代は終わる。アメリカの軍事的支援を自動的に期待できた時代は終わり、日本は独自の安全保障政策を求められるようになった。この間、経世会が分裂し、宏池会の存在感が次第に低下したこともある。米国の軍事的支援の下、経済に専念することができた戦後日本の「保守本流」の時代は、その「大前提」の崩壊によって終わりを迎えたのである。その結果、2000年以降、森喜朗、小泉純一郎、安倍晋三、福田康夫と清和会出身の首相が続くことになる。
安倍内閣は「北朝鮮による拉致問題」「中国の軍事的・経済的大国化」から民主党内閣下で醸成された「中国への警戒姿勢」を継承し「南シナ海が『中国の湖』になる」という認識をもとに、「アジアの民主主義的な安全保障ダイヤモンド」構想を提起する。以降、「『自由、民主主義、人権、法の支配』といった普遍的価値意識の擁護」の対外政策を徹底して展開することになる。中国との軋轢の先行体験から「中国への警戒姿勢」は「自由で開かれたインド・太平洋」構想を生み、提起したことは米国の対中強硬姿勢を実質上、先取りするものでもあった。これが「自由主義世界」における主要な政治指導者として認知、評価されることになったのである。総理辞任表明に際しては、各国の政治指導者から、惜別と称賛の言葉が送られた。こうした惜別と称賛の言葉とともに退場する日本の政治指導者は、過去には類がないという。
民主党時代の「中国に対する警戒」を世界に向かって警鐘したのが、偶然だったか何か目論見があったかは判らない。例え偶然であってもその評価は変わらないだろう。しかし、国内においては「森友学園問題」「加計学園問題」「桜を見る会」と、さんざんで、数多ある不祥事に対して前向きに責任をもって説明したことは一度も無い。更には「統一教会との関係」である。実際のところ外面は良いけれど、その政治的手腕は「安倍のマスク」程度のものだったのではないだろうか。
清和会の領袖は安倍晋三であった。清和会=安倍派である。そして清和会には多くの「統一教会関係者」が居る。つまり、清和会(安倍派)は、
・日本会議(神道系右翼団体)
・勝共連合(反共政治組織)
・統一教会(カルト宗教団体) によって今も支えられているのである。
これが日本の政治家の真の「保守派」の姿なのである。
自民党の中で「保守本流」と同じ釜の飯を食うのは嫌だと見えて、2020年に保守系議員が「保守団結の会」設立した。安倍晋三はこの会の「顧問」を務めていたが、2022年8月、会は安倍晋三を「永久顧問」に祀り上げたらしい。何を考えているのかサッパリ判らない。