つむじ風

世の中のこと、あれこれ。
見たこと、聞いたこと、思ったこと。

熱欲

2017年09月29日 22時36分20秒 | Review

―刑事・鳴沢 了シリーズ―
 堂場瞬一/中公文庫

 2005年6月25日初版、2008年12月5日第14刷。このシリーズは「疑装」で既にお目にかかっているが、不連続に「熱欲」になってしまった。鳴沢刑事のイメージは、スーパーアクションがあるわけでもなく、特別な推理や予見があるわけでもない、結構地道なものである。通常、この手の小説では派手な展開やアクションが付き物なのだが、それが無いだけになかなか盛り上がらない。しかし、現実にはそうしたもので、静かにジワジワと進んで行くものなのだろう。それが、著者が考えるリアリティなのだと思う。この静かなリアリティは作品全体に貫かれている印象がある。

 また、478pに及ぶ長編でありながら、今回の死亡人は川村兄弟、大沢利二の三人だけで、この手の小説としては極めて少ない。通常、やたら死人だらけになってしまうが、そんなところにも著者の考えるサスペンスのあるべき姿があるようだ。それに主人公の人間臭いところ、結構堅物で生真面目なところが魅力なのかもしれない。

 「ランクルがガレージに突っ込む」という場面がある。ここだけは違和感がある。前段何の説明も無くあまりに唐突に。内藤七海刑事が監視している場面、少なくともランクルが突っ込む具体的なシーンがあっても良かったのではないかと思う。

 主人公鳴沢刑事は青山署の生活安全課を経験することで、人間として幅の広がり、人の痛みを知る成長があったと思われる。次の作品では、刑事課に戻るようだが、きっと一皮むけたベテラン刑事として登場するに違いない。

・内藤優美との関係はこれで終わりか
・内藤七海はワンを捕らえることが出来るか
・鳴沢を待ち受けている次なる事件は

 いろいろと気になることはある。それにしても、鳴沢刑事が女のために花を買う?
それは全編通して珍しいことだ。


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代償

2017年09月27日 19時02分04秒 | Review

伊岡 瞬/角川文庫

 2016年5月25日初版、2017年5月15日第16刷。主人公の子供の頃の純で弱気で真面目に対比するように、達也という同級生の心の中に棲む計算高く狡猾で残酷な人物像をジワジワと上手く描いている。主人公の弱気は読んでる方もつらくなるのだが、諸田寿人の存在は随分主人公を助け、勇気づけるものだった。「よく生き延びた」の一言である。いじめ、虐待を通り越している。よく、達也とつるまなかったなと思う。それ程、純情で一途な主人公である。そんな主人公にも心の中にくすぶり続ける「灰」がある。その様子が本当によく書けていると思う。

 一度として己の行為、行動を省みない「悪の権化」として描かれている達也は、なかなかしぶとくしたたかなもの。主人公の真逆の極みに居るような人物だが、何と言っても気色の悪さでは道子をおいて他に無い。「おわり」が近づくにつれて、最終的にどうまとめるのかがとても気になったが、一応安心できる結末だった。なかなかの断罪だったと思う。著者の「根っからの悪を書いてみたかった」という目論見は成功したのではないだろうか。しかし、「何故、そんなモンスターが生まれたのか」という必要だが意味の無い問いと、確かなことは「達也」だけではない―――ということ。これがまた薄ら寒い。



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喪われた道

2017年09月17日 21時05分30秒 | Review

―浅見光彦シリーズ50―
 内田康夫/祥伝社文庫

 1996年2月20日初版、1999年4月20日第15刷。自作解説によれば、この作品以降「~殺人事件」というミステリー特有のお題が少なくなったらしい。それは良いことだと思う。火サス、土ワイで毎週々々殺人事件ばかりあってたまるかと思うのは私だけではないだろう。しかし、「ミステリーは良くも悪くもエンターテイメントであり、それ以上でもそれ以下でもない。まずは面白くなければならない」というのは「文芸」云々以前の基本中の基本であろう。

 また、著者独自の小説作法にはいつもながら驚く。自分の作品を「軟弱だとか、文章力がないだとか、特段のトリックや工夫もないとか」自虐的に謙遜しているが、それで100冊を超えるシリーズが書けるのだから恐れ入る。今回の「喪われた道」は著者の「虚無僧を書いてみたかった」というねらい通りの作品だったように思う。小雨降る中を「道」を求めて往く虚無僧の姿がとても強く印象に残る作品だった。虚無僧の宗派が普化宗であることも初めて知った。堀を埋めて、後は井野さんに全てを託すのは内田流の武士の情けか、これはシリーズのエンディングスタイルでもある。

 最後、終戦記念日の正午、旭滝の前で五人の虚無僧が尺八で「滝落之曲」を演奏する場面は、二人の聴衆の他に作品を読んだ多くの読者が共にその「こだま」を聞いたに違いない。何とも厳粛で且つ悲哀あふれる場面だった。


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歌舞伎町ダムド

2017年09月06日 23時15分38秒 | Review

誉田哲也/中公文庫

 2017年2月25日初版。著者の作品は「歌舞伎町セブン」から始まって「ソウルケイジ」「ストロベリーナイト」と読んできたが、「歌舞伎町ダムド」は最初の「歌舞伎町セブン」の続編らしい。7人のメンバーもほぼ変わらない。何だかすっかり「必殺仕置き人」的なスタイルになっている。シリーズとしては、「ジウⅠ、ジウⅡ、ジウⅢ、歌舞伎町セブン、歌舞伎町ダムド、硝子の太陽Nノワール」の順になるのだろうか。セブンシリーズというわけではないらしい。

 お題の通り、今回はダムドと呼ばれるN中毒でホームレス。ホームレス仲間のトム、死体処理屋のシンちゃんが仲間だ。オドロオドロシイ殺人場面で幕をあける。ダムドはジウを崇めその後継者を自認する殺人趣味の狂人である。最終的には、ミサキに「いいだろう。受けて立ってやる。どっちが強いか。とことんまで試してやろうじゃないか」と挑まれ、「このチンカス、ジウを語るな」といわれてしまうのだが、このへんがショボイ。

 もうひとつの流れは、「新世界秩序」という組織、「歌舞伎町セブン」ではこんな組織が出てきたかどうかすっかり忘れてしまったが、結局「セブン」を取り込もうとして失敗し、手塚正樹によって持ち出された「怪しげなリスト」も奪還ならず、逆に弱みを握られてしまうことになる。ながい間消息不明だった人質同然のミサキの息子も居場所が判り、安堵するという按配。

 ちょっと面白かったのは、「新世界秩序」に染まらず、かといって「セブン」にも味方しない頑固一徹の「東 弘樹警部補(新宿署刑事課捜査一課強行犯の係長)」の存在。かなりドタバタの話しが、東 警部補の存在によって、緊迫感、緊張感が増すという仕組みだ。今後の展開としては、やはり「歌舞伎町セブン」と「新世界秩序」の戦いということになるのだろうか。その際、東 警部補はどんな役割を与えられるのだろう。


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イモータル

2017年09月01日 22時15分00秒 | Review

萩 耿介/中公文庫

 2014年11月25日初版、2017年1月15日第9刷。作品は2012年発表だから比較的新しい。古代インドの「智慧」をめぐる現代に至るまでの壮大なドラマである。哲学、それも東洋の、身分制度に抑圧された苦悩と不条理の中から生まれた、至高の極地ともいうべき人間の在り様の話し。

 一介のサラリーマン滝川 隆が、大学を中退してインドで消息を絶った兄と残された「智慧の書」をめぐって、自らもインドを訪ねる思考の旅である。その過程でヒンドゥー教の聖典に思考的価値を見出し、ペルシャ語に翻訳編集したムガル帝国の悲劇の皇子ダーラー・シラー。変遷を経て、このペルシャ語「智慧の書」に出会い、人生最後の仕事としてラティン語翻訳に臨んだのがフランス革命下のパリ、王立図書館司書A・デュペロンであった。こうして、「智慧の書」は引き継がれてゆく。
 A・デュペロンが立ち寄った古道具屋で出版して間もない自分の本を発見、そこにA・ショーペンハウアー少年が現れて本を買うことになる話は、面白い「引継ぎ」方だと思う。そんな風に言われると「意志と表象としての世界」は何かしら東洋的な匂いがしてくるではないか。

 ここで言う「智慧の書」は古代インド(ヒンドゥー教)の聖典の翻訳版だが、精神の探究者であるチベット人がつみあげてきた智慧の書「チベット死者の書」というものがあり、また、キリスト教聖書の中にも旧約聖書続編で「知恵の書」があるらしい。人々の「知恵」に関する探求は大昔から並々ならぬものがあるようだ。


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