つむじ風

世の中のこと、あれこれ。
見たこと、聞いたこと、思ったこと。

ノルウェイの森

2018年09月30日 16時27分09秒 | Review

村上春樹/講談社文庫

上1991年4月15日初版、1991年10月1日第6刷
下1991年4月15日初版、1991年11月18日第7刷

 著者には前年五月「色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年」でお目にかかり、最近、「パン屋再襲撃」で再びお目にかかった。この作品で三度目ということになる。
 主人公渡辺 徹は37歳、ドイツ・ハンブルク空港にボーイング747で着陸したばかり、機中のBGM「ノルウェイの森」でいきなり17年前のことがフラッシュバック。1969年の秋、もうすぐ20歳、草原の風景、直子の野井戸の話し・・・。そしてさらに戻って18歳の頃から話は始まる。37歳にして何故この時なのか、それともビートルズの「ノルウェイの森」が原因なのか、私には判らない。帯にある「永遠の名作」がどの辺にあるのか、私には判らないけれども、少なくともいくつかの点でインパクトがあった。

 この作品に登場する人達は何故か多くが自殺する。著者は自殺に憧れがあるのか。更に多くが精神を病んだ人である。著者はそのへんに何かしら執着があるようで、健全で正直に誠意をもって対応するのが主人公である。向こうの世界を理解しようと努めるが、健全なものにとっては、やはり理解を超えたところにあるようで、現実から抜け出すことは出来ない。そんな自分を抱えながら37まで生きてきたということだろう。

 作中「死は生の対極にあるのではなく、我々の生のうちに潜んでいるもの」というフレーズはよくわかる。であるが故に、性的シーンを考えてみて、その営みは生の原点になり得ることだと改めて思う。その気になれば、男と女の絆、無償の献身、命懸けの生への第一歩に成り得ることは確かだろう。但し、それが必ず真の意味のあるものに出来るかどうかは判らないけれども。



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2018年09月28日 19時45分13秒 | Review

横山秀夫/徳間文庫

 2005年4月15日初版、2015年6月20日第25刷。著者には「第三の時効」「64」「陰の季節」「動機」などで既にお目にかかっており、安心して読める。
D県警本部鑑識課(似顔絵書き)出身の巡査、主人公の平野瑞穂が悪戦苦闘しながら「似顔絵書き」をきっかけに事件に関わるという作品群、一話毎に短編風にまとめられている。

・魔女狩り
・訣別の春
・疑惑のデッサン
・共犯者
・心の銃口

 いずれも主人公の特技「似顔絵書き」に関わって話が展開する。鑑識課から広報室、電話相談室、捜査一課とめまぐるしく職場を異動する。いずれの話しも新鮮で面白い。話のはこびに無理のないところがいい。それぞれのEndingが何とも泣けるではないか。丁寧に作られており完成度が高い。
 解説者が言うように、主人公に対して、読者に「主役でなくてもいいから、頑張っている彼女の姿を、もう一度見てみたいものである」という感情を抱かせるに充分な作品群だった。
「見たい」、そう、目に見えるのだ、正義感、真実への渇望、この二つが。

 数は少ないが女性が主人公の警察モノが最近時々お目にかかる。「朽ちないサクラ」の森口 泉、「警視庁鑑識課」シリーズの松原 唯、ちょっと変わったところで「トツカン」の鈴宮深樹など、バリバリの最前線(捜査一課)などではなく、ちょっと脇のところで冷静に事の成り行きを見つめる第三者の目線とでも言えばいいのだろうか、女性特有の真面目さと継続的な努力の積み上げによって、華々しい(嘘っぽい)活躍のウラに隠された現実が見えてくる。


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のぼうの城

2018年09月21日 14時36分07秒 | Review

和田 竜/小学館文庫
 上・2010年10月11日初版、2012年12月2日第16刷。
 下・2010年10月11日初版
 これまた著者の作品は初めて読む、フィクションのような時代小説。忍城という城をめぐり、立てこもる受け手と攻める寄せ手の駆け引きが先ず面白い。いかにも戦国時代風だし、情報伝達の不備もそれらしい。時は1590年(天正18年)、絶大な権力を手中にした豊臣秀吉がその力にモノ言わせて関東へ攻め上ってくる場面、関東の覇者北条方の本拠地、小田原城をめぐる攻防である。忍城というのは百以上ある北条配下の支城の一つに過ぎないのだが、思わぬところで関東武士(坂東武者)の意地を見せることになってしまった。(・・なってしまった。つまり、当初そんなつもりは無かったのだが)

 長きにわたり関東に根を下ろしていた北条家、百年以上続く名家であるが故に油断し、飽満で、無策な体質がすっかり身に付き、さしたる抵抗もなく秀吉にギブアップするという醜態を演じた北条家。その最中から話は始まる。信長が若いころ「うつけ」と言われていたそうだが、ここにも「でくのぼう」と呼ばれていた人物がいる。略して「のぼう」である。領民は多少の親しみ、或いは軽蔑を込めて「のぼう様」と呼んでいたらしい。忍城城主の息子長親の話しである。祖父は豪気な坂東武者の端くれだが、孫はとんだノンポリということになっている。

 北条家の行く末に希望が持てず先読みして秀吉方に付くことに決めた成田家一族。内通者を使って秀吉に不戦を申し入れたのだが、肝心の臨時城代、成田長親が突如「戦う」と宣言してしまう。そして、誰もが「無血開城」になると思っていたのだが、「ガチンコ勝負」になってしまった、という実話に基づく話なのだから面白くない訳がない。敵の総大将は石田三成、忍城・成田勢との戦いであった。

「のぼう様」は最後まで、その「何者か」を明かすことはなかった。それが残念と言えば残念であるが、それを読者にゆだねるのはこの手の作品の常套手段、断言しない奥ゆかしさなのだろう。

本作品で登場する甲斐姫のこと
 実はこの甲斐姫というのは、「のぼう様」にも決して劣らない相当の女傑であったらしい。ちょっと調べてみたが、いくつも豪快な話が残っており、彼女の生涯は「のぼう様」より面白いかもしれないと密かに思う。著者にお願いしたいのだが、せっかくここまで資料があるのだから、甲斐姫を中心にしてひとつ書いてみてはどうか。いや是非お願いしたい。

 現在、舞台になった忍城(浮き城)は、その痕跡もないという。現存しているのであれば、関東武士(坂東武者)のメッカになっていたであろうに、全く残念な話しである。

 ところでこの歴史小説の書き方、スタイルは何処かで見たような気がしていたが、最後に思い出した。そう、池波正太郎さんの歴史小説である。歴史小説はかく在るべきという訳でもないだろうが、この講談調が懐かしかった。


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黄泉がえり

2018年09月13日 13時17分49秒 | Review

梶尾真治/新潮文庫

 2002年12月1日初版、2003年4月30日第15刷。著者の作品は初めて読む。実業はGSチェーン店の経営者、これを兼務して小説書き。後、作家業一本に絞ったらしい。
 お題からして、ちょっとホラーなモノかと思って、少なからず心をときめかせ読んでみた。最初はなかなかそれらしいものが出てこない。熊本市の人々の淡々とした日常が続くのだが、そこにひょっこり「お富さん」が。まさしく「死んだはずだよ、お富さん」だ。

 そもそも著者はSF作品が多いようで、その雰囲気がそこかしこに漂う。さらにまたグロテスクモノも書くようで、その片鱗がこの作品でも披露されている。
 熊本を訪れたことはないが、著者はオール熊本(生まれ、育ち、在住)で、郷土愛ということもあるかも知れない。舞台は熊本市を中心にして展開するが、以外にも四季の変化や風景、人々の風情といった描写が少ない。古来、土地の伝説、伝承といったようなものも本格的には出てこない。逆に地元の人にとってはあまりに日常過ぎて目耳に入らないのかもしれない。

 あれこれ怪奇な表現はある。出現(黄泉がえり)、171p表裏一体の人面体、263p二人の声によるホーミー、癒しの力、第三エネルギー(パワー)、透明消失。SFもあり、グロテスクもある。宗教的でさえもある。吸収と放出を繰り返しながら永遠に漂い続けるエネルギーは著者の死生観でもあるだろうか。

 一番の読みどころは、歌手のマーチンの出現から消失まで。その間の、
中岡秀哉・優一兄弟、児島雅人の家族、相楽周平・玲子の家族 のことだろう。ヒーロー、ヒロインとは縁のない普通の家族の話しなのだが、悲喜こもごも、あざなえる縄のように禍福がやって来る、人生そのものだ。一歩先は何もわからないけれども、希望と共に懸命に生きる人々の姿だった。

「泣けるリアルホラー、一大巨編」  ・・なるほど納得。

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優しくって少し ばか

2018年09月07日 23時45分43秒 | Review

原田宗典/集英社文庫

 1990年1月25日初版、1996年12月11日第30刷。著者の作品は初めて読む。この作品は以降の著者の作品群の原型になっているものらしい。以下6編を収録した短編集。

・優しくって少し ばか
・西洋風林檎ワイン煮
・雑司ヶ谷へ
・海へ行こう、と男は
・ポール・ニザンを残して
・テーブルの上の過去

 いずれの作品にも、理解できないもの(女性の不可解さ)の不気味さ、生きることの不可解さ、生きていること自体の不気味さ、といったものが基本的なテーマになっている。最初の作品を90pくらいまで読んで、ダラダラとくだらない、面白くもない、もう辞めようとか思っていた。これは著者の策略かもしれないが、句読点がないから余計に締まりが無く、キレが悪い。ダラダラ感が増す。

 果たして、ここまでどこが面白いのか全くわからない。突然の女の友人からの電話で、90p~話が急展開し始める。これは完全に男と女の違い、理想論と現実論だ。著者はこれが書きたかったのか。

「西洋風林檎ワイン煮」で本題に入り、以降、ジワジワと強烈なインパクトを読者の想像力に打ち込んで終わる。強烈な臭い、靴の脱ぎ方、リンゴのワイン煮、石鹸の減り方、車のこと、すべてのことが示唆する先には、、、かなりホラー的要素の強い作品だった。1点に注目させる手法は、そうA・ヒッチコックのカメラワークを思い起こさせるものがある。

 特に、それは男の立場から考えたホラーだと思える(女も、自分自身同意できる方も居るかもしれないが)。そこには理解し難い女の不可解さがあり、関わるにつれてそれは不気味さにもなってくることへの恐怖が感じられる。
 男にとって恋愛は確固たるものではなく、何かしら曖昧模糊としたものであって、それが具体的に結果、或いは結論となるのは、確かに生や死に直面したときにしかないのかもしれない。

「生は死の恐怖によってのみ現実感を持つ」
「曖昧な恋愛は中絶という死に直面して、生の不気味さを生々しく提示する」

 というのが印象的。


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ルビイ

2018年09月06日 12時51分08秒 | Review

―女性秘匿捜査官・原麻希―
吉川英梨/宝島社文庫

 2013年7月18日初版。 著者の作品は初めて読む。
この作品は、一見カルト的犯罪の話しのように始まるが、
・体制権力への不信感
・本分を忘れた階級闘争への批判
・仕事人間の夫婦関係・家族の在り方
・犯人の娘と自分の娘を登場させての教育問題、家庭問題 等々
何が何だか判らない。

 ザックリ、犯罪、テロ行為を画策する極悪危険人物(日浦弘行)、それと心のどこかでつながっている主人公警部補・原 麻希。最後の最後、日浦の告白によって明らかになる真実。
 猟奇的殺人の不気味さを引きずりながらも焦点を絞らせないストーリー展開が目的か。どうもストーリーが混雑していて(日浦の告白はあるものの)スッキリしない作品だった。

 困ったのは主人公の名前。「原 麻希」までは良かったのだが、「ハラ マキ」とカナにすると、どうも「腹巻」になってしまい、最後までこのイメージが付きまとって難儀した。次からは、もう少しゴロを考えた名前にしてほしい。


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特殊清掃会社

2018年09月05日 11時31分05秒 | Review

竹澤光生/角川文庫

 

 2013825日初版。元は「死体があった部屋から見えること」中岡隆 を大幅加筆修正、再構成、改題、著者名まで変更し、文庫化したものらしい。竹澤を中心に、林、元木、越智、佐藤等メンバーが取り組む特殊清掃の仕事を業務日誌風にまとめたもの。

 

スタートは「汚物部屋」「ゴミ屋敷」から始まったが、本書のテーマはズバリ「孤独死」であると思う。それはマルトクといって、この会社では特殊な清掃を指している。話はドキュメンタリーというかるポタージュというか、スタッフ以外の登場人物は仮名ではあるものの現実の話しと言うことになる。

大阪にある実在の会社であり、「竹澤を中心に、林、元木、越智、佐藤等メンバー」は全て実在する人達である。Netで見てみると「セントワークス」は同名他社があり、相互に関連があるのかどうかは判らないが、後株のセントワークス(株)は全国展開する介護関係の会社で、著作の特殊清掃会社は前株の(株)セントワークスである。

 

 読んでみて、一言で「悲惨」以外の何物でもない。犬や猫、鳥などが死んでもたいしたことはない。図体のデカイ牛や馬はどうだ。それとて人に飼われているものであれば、まったく大したことにはならない。しかし、人間はどうだ。人権を主張しプライバシーを守らんがために、こんなことになるとは。本書はこの「悲惨」をできるだけ事務的に淡々と書いているが、思うことは、社会のシステムとして、この「悲惨」を回避する方法、手段はないものだろうかと。

 

 2030年~2040年、悲惨な孤独死は「特殊」から、新聞にも載らない、ニュースにもならない、「普通」のことになるということである。8050問題とも言われているようだが、どうやら年齢的に、その一部始終を見届けることになるらしい。

これを読んで思い出すのは、さだまさし著作の「アントキノイノチ」だが、勿論、「特殊清掃会社」小説ではないから脚色、修飾されていない分だけ尚更リアルさがキツイものとなっている。


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孤狼の血

2018年09月03日 09時37分36秒 | Review

柚月裕子/角川文庫

 2017年8月25日初版、2018年4月5日第13刷。プロローグで最初から広島弁でガツンと来る。前回「朽ちないサクラ」でお目にかかり、かなり驚いたわけだけれども、今回この作品で更に驚いた。いくら映画「県警対組織暴力」を下敷きにしたとはいえ、いくら「仁義なき戦い」シリーズを見たとはいえ、それだけではとても書けない内容だと思うのだが・・・。

 あのあっけらかんとしたパーソナリティのどこにこんな作品をひねり出す力があるのか、本当はゴーストライターが居るのでは、或いは単なる別人か?と思えてしまうくらい、何か大きな勘違いをしているような気分になって来る。
 誰でも驚くことの一つに、これが女性作家によるものだということがある。べつに作品を男女で区別するつもりは全くないが、女性作家がここまで書いてしまっては、男性作家は立場が無いのでは、と心配になる。

 この作品は、著者が狙っていたかどうかはともかく、警察と暴力団の瀬戸際(攻めぎ合い)を実にリアルに描いている。ミイラ取りがミイラになる、虎穴に入らずんば虎子を得ず、強いては飼い犬に手を噛まれるのである。純粋な正義は個々の人格の内にあり、決して組織や階級が作り出すものではない。公的権力を背景にしたあらゆる欲望の実現も、組織を背景にした暴力もその罪に違いはない。

 この作品には続編にあたる「凶犬の目」が近々出るらしく、お目にかかるのが実に楽しみである。孤狼の血を受け継いだ日岡秀一刑事のその後がとても気になる。

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パン屋再襲撃

2018年09月02日 16時46分03秒 | Review

村上春樹/文春文庫

 1989年4月10日初版、1992年6月25日第7刷。著者の作品は昨年5月に「色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年」を読んで以来になる。今回の「パン屋再襲撃」は作品としては初期の頃のものになるのだろうか。

 短編集には違いないが、登場人物に「渡辺 昇」という共通項がある。「渡辺 昇」は同一人物ではなく、ただ名前のみが共通しているという、あまり共通しない共通性がある。終いには行方不明になってしまった猫の名前が「ワタナベ・ノボル」だった。つまり、「渡辺 昇」をいろいろな形で登場させてみるという試行錯誤集である。

 何となく退廃的な臭いのする作品集で、そのことだけが一貫している。ミステリーやサスペンスとは違う、唯心論的なリアリズムが作品全体を覆っている。随分以前にはそんな作品を好んで読んでいた時期もあったが、今は少し違う。文芸作品はやはりエンターテイメント性が重要で、不可欠だとさえ思っている。読ませるからには読者を引き込み、盛り上げ、叩き付ける衝撃を与えなければならないと思うからだ。「面白くない」作品は誰も読まないという単純な結論である。例えそれがどれほど優れた文学的作品であったとしても、である。その意味で、この短編集は「長い物語の一部」であるような、或いは「あまりにも短編過ぎて」、「面白さ」というものに欠けているように思う。

 

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義民が駆ける

2018年09月01日 23時46分36秒 | Review

藤沢周平/講談社文庫

 1998年9月15日初版、2006年12月1日第20刷。読み始めるとそのスケールの大きさ、次から次へ出て来る登場人物の多い事、話の筋が見えずに困ってしまうのだが、読み終えてから著者のあとがきでやっと作品のねらいが判る始末であった。

 著者は「歴史の真実」について、この作品のあとがきで次のようなことを言っている。「醒めている者もおり、酔っている者もいた。中味は複雑で、奇怪でさえある。このように一面的でない複雑さの総和が、むしろ歴史の真実であることを、このむかしの“義民”の群れが示しているように思われる」つまり、「歴史」というものは一面をとらえては、それは「正しくもあり、誤りでもある」と。

 この話は天保年間(1831~1845)、「天保一揆」或いは「天保義民」などと呼ばれ「羽州荘内領民の藩主国替え阻止騒ぎ」として実際にあった事件を基にしている。時は老中首座水野忠邦が提唱する「天保の改革」の時代(1830~1843)。ことごとく失敗に終わった「天保の改革」だが、そんな中で起きた一つの事件である。

 著者の作品でよく登場する「海坂藩」は有名な架空の「藩」なのだが、主に武士の悲哀をテーマにしているのとはちょっと異なる。「義民が駆ける」は史実に基づく歴史小説であり、そこに「武士の悲哀」はないが、「計算高い百姓」「運動を支援する商人」「保身と威信に奔走する武士」が分け隔てることなく「一面的でない複雑さの総和」として描かれている。しかし、この壮大な計画、ある意味軍事的ともいえる当時の情報戦、常識を破る戦略は半端ではない。片や349p「手垢に汚れた変わり映へしない日々に戻る」はずが、今はそれが「眩しく光りかがやく日々」に見える、という運動に関わった百姓たちの保守的心情もよく判る。

 解説(川村 湊)では「義民」たちが駆け巡る集団のパワー、ダイナミックな歴史の群像を主体とすることで、剣豪、英雄、権力者しか活躍しない歴史・時代小説の「限界」を超えていると評しているが、確かに史実に基づく読み物として、中心人物を固定したものとは違った面白さがある。


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