つむじ風

世の中のこと、あれこれ。
見たこと、聞いたこと、思ったこと。

姫路・城崎温泉殺人怪道

2018年04月29日 15時41分50秒 | Review

―私立探偵・小仏太郎―
 梓 林太郎/実業之日本社文庫

 2016年12月15日初版。とにかく登場人物が多い。小出しにいつまでも新人が出てくる。話に詰まると新人が出てくるような按配だ。多いから悪いということでもないが、相関関係が今一つ希薄な感じになってしまう。汚れ仕事を一手に引き受ける前田比左彦も印象が薄い。何故そのような人間になったのか背景、生い立ち等を設けた方が立体的でリアルになるように思う。3~4件の殺人事件がある訳だが、その重大性があまり伝わってこない。当初の深町久里子の娘・彩香に至ってはこれまた不思議というより他にない。少なくとも3人は殺した犯人が脅すだけで手放すことはあり得ないだろう。長編のわりに不徹底な殺人怪道だったように思う。
 彩香は月光莊の女将・和世の指示で姉・昭絵が女将をやっている夢乃屋旅館に匿われていた。これを推測したのが主人公の小仏だが、探偵らしいところはここだけか。イソの突っ込みも今一つだ。

 良かったところは、何度か出てくる城崎温泉風景と姫路城の描写だろうか。一度行ってみたいと思うのは確かである。

 2015年に「北アルプスから来た刑事」でお目にかかって以来の作品だが、前作の方がはるかに面白かったように思う。しかし、前作でも「「殺人」という行為の重さが軽視されているような気がしてならない」という思いを抱いたことは、著者の作品に一貫して流れる考え方なのかもしれない。

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研修医純情物語

2018年04月21日 23時33分21秒 | Review

―先生と呼ばないで―
川渕圭一/幻冬舎文庫

 2011年2月10日初版。著者は本物の医者で、話のネタは実際の現場から集めたもの。実経験に基くものである。確かにそれは著者の目から見ての話しなのだが、医者の仕事は実に大変なものだということがよくわかる。これでは人間が多少ひねくれても仕方がないとさえ思えてしまう。こんな現場の中で毎日「死」に向かい合って過ごさねばならない仕事は他にないだろう。ノンフィクションでもありドキュメンタリーでもあり、医療の本質論でもある。

 人は死の直前まで自分が死ぬことは考えない。考えられないように出来ている。それが生きる者の定めである。故に何が何でも生きようとするのだが、それが諦めねばならない時がいちばん辛い。患者に寄り添う医師も同様に違いない。

 永田町のHotel New Japanの火災は今も記憶に残る事件だった。その後、こんな人生を歩んでいる人が居るとは。真に人生とは判らないものだ。よくサラリーマンを辞めて、再スタートに挑戦したものだと感心するし、驚嘆もする。頑固一徹「ただ一つのこと」、「患者のための医療」を貫き頑張る著者に精いっぱいのエールを送りたい。

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プリンセス・トヨトミ

2018年04月18日 13時31分43秒 | Review

 万城目 学/文春文庫

 2011年4月10日初版、2011年5月10日第三刷。あとがきで判ったことだが、この作品は著者の「ふるさと」を舞台にした創作らしい。大阪人にとって、秀吉がどのような位置付けにあるのか、よくわかるような気がする。他人にとっては「そんなアホな」であり「信じられない」ことになるのかもしれないが、そんな一言ではとても片づけられない、語らずとも永々と継がれてきた心の支えのようなものが脈々と流れているのだろう。

「鴨川ホルモー」「鹿男あをによし」「かのこちゃんとマドレーヌ婦人」「偉大なる、しゅららぼん」と読んできたが、その中でも「プリンセス・トヨトミ」はあまりに故郷に対する思い入れが強すぎて、小説としての本筋がどうも弱いような気がする。面白さという点では「鹿男」のほうがはるかに勝っていた。しかしそれは、やはり大阪人を本当のところで理解できないよそ者故の感覚なのかもしれない。

 会計検査院という設定はよいが、旭や真田大輔、ミラクル鳥居の人格設定が面白みに欠けるのである。これはやはり、大阪贔屓の性ではないだろうか。ただし、大阪城が大阪人にとって、心の安定、重心、安心であることは良くわかる。毎日それを眺めながら、暮らしてきた人々の気持ちの中にデンと居座ることで、この地で暮らし何かしら関わって来たその末裔であることの自覚、伝統、結束、誇りといったようなものが伝わってくる。例えそれが鉄筋コンクリート製になってしまったとしても、大阪人にとってその価値は変わらないようだ。


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物語のおわり

2018年04月15日 09時54分19秒 | Review

 湊 かなえ/朝日文庫

 2018年1月30日初版。「告白」を読んで以降、久々の著者の作品。最初の「物語のおわり」を読んで、こんな終わり方ってあるか?と茫然自失、そのフラストレーションは相当なものであった。湊さんも、嫌な書き方をするもんだねぇと。しかし、次の章を読むと例の原稿がひょっこり出てくる。成る程ね。こんな書き方もありだなぁと。短編風でありながら「空の遠方」で全てがつながっている長編。実に面白かった。例によって結論は無しか、と思ったがしっかり結末があって良かった。舞台は山陰のとある山に囲まれた小さな町ではなく、大方北海道を舞台にしている。理由はおそらく、遠いところ、広くて雄大なところ、空が大きくて、ちょっと走ったくらいでは動じない景色が必要だったのかもしれない。

 作家になりたい、写真家になりたい、脚本家になりたい、特殊造形家になりたいと、人の夢は果てしない。しかし「今できる最善策を、自分がラクになるためでなく、相手のために考えるべき」なのだろう。たとえそれが、いずれ己の才能に見切りをつける時がやってくるとしても、後々夢を断念した後悔をしないために。

 一つの題材「空の遠方」を取って、著者は上下左右、四方八方からこれを料理している。決して自慢ということでなく、たった一つの題材であってもこれだけ書けるのだぞ、と言っているような。モノ書きとして創造性豊かにこんなにも自由に書けるものなのかと、恐れ入る。

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遠い山なみの光

2018年04月02日 11時14分04秒 | Review

 カズオ・イシグロ(小野寺 健 訳)/ハヤカワepi文庫

 2001年9月15日初版、2017年12月25日第19刷。1994年、先行した本のタイトルは「女たちの遠い夏」だったらしい。主人公は今イギリスで暮らしている。まだ結婚したばかりの頃の長崎での暮らしと、近くに住んでいた佐知子という女とその娘万里子との出会いを回想する。数週間という短い間だったかもしれないが、その心象風景が走馬灯のように思い出される。今にして佐知子の心模様に思いを寄せる。その後の己の人生が、気が付いてみると佐知子と同じように選択したことに必然と諦念を覚えながら。そしてそれは今、ロンドンで一人暮らす娘のニキに受け継がれようとしている。これは失敗を恐れながらも、幾度も苦汁をなめながらも諦めきれない女の人生を賭けた幸せ探しなのだろうか。カール・ブッセの「山の彼方の空遠く 幸い住むと人のいう」を思い出す。

 通常、翻訳モノはどうも日本語の細かいニュアンス、間合いが伝わってこない。しかしこの作品はそれを感じさせない。英文で書かれた原書からこれを読み取ったとしたら、その翻訳の巧みさは相当なものだと思う。しかし、解説によれば、日本語の会話がいかに巧みで滑らかに流れるようであっても、これはあくまでも英文学であって、「これは日本文学ではない」と。著者は、日本語はほとんど判らない、ということだが、また一方では「この小説によってわれわれの心は狭い日本からようやく解放された」と言う。大げさではあるが、英語で日本文学を書くようなものだから確かにグローバルであるには違いない。

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