1.著名なアーチストが短命なのは幸運や才能に恵まれ過ぎたからである。
2.幸運を使いすぎると、あとは不運しか残っていない。
3.子どもの頃不運だった人は、残りの人生は幸運に恵まれる。
つまりは「幸福と不幸の総量は等しい」から、ということなのだ。そう言われると、確かに信じたくなるような、納得したくなるような理屈ではある。この話しと同様に「禍福はあざなえる縄の如し」という言葉がある。「人生の運の総量はみな等しい」が現代版とすると、こちらは国宝級の古典版で南越列伝の「史記」にある。調べてみると「因禍爲福。成敗之轉、譬若糾墨。」と書き、「禍に因りて福と為す。成敗の転ずること、譬えば糾える 墨の若し」(わざわいによりてふくとなす。せいはいのてんずること、たとえばあざなえるぼくのごとし)と読む。実はその要約版のようなものであった。「幸福と不幸は、より合わせた縄のように交互にやってくる」という意味で、その考え方は現代版と変わらない。
「幸、不幸」のみならず「運、不運」さえも何とか理屈を付けて納得しようとするのは今も昔も変わらない「人生」の悩みである。このような悩みを一気に解決するのが「人間万事塞翁が馬」(じんかんばんじさいおうがうま)で、意味としては同じようなものだが「人間、良いこともあれば悪いこともある。だから、あまり不幸にくよくよするな、幸せに浮かれるな」という教訓として知られている。「塞の国の翁さんの行動」を見習え、ということなのだ。簡単に計ることの出来ない「運の総量」はともかくとして、さらに一歩進めて積極的に人生を明るくする極め付け「笑う門には福来たる」を実践し、何かと厳しい世の中を打開したいものだ。