つむじ風

世の中のこと、あれこれ。
見たこと、聞いたこと、思ったこと。

運の総量

2009年09月30日 14時41分01秒 | Weblog
 「人生、いろいろ」は純一郎さんがおっしゃった言葉が耳新しい。昨日のTVで巨泉さんが「人生の運の総量はみな等しい」ということを信じている、といったような話しをしていた。「運の総量」とは、なかなか面白い言葉だと思う。つまり人生において「運、不運」は均衡しているというのである。その結果、次のようなことが考えられる。
 1.著名なアーチストが短命なのは幸運や才能に恵まれ過ぎたからである。
 2.幸運を使いすぎると、あとは不運しか残っていない。
 3.子どもの頃不運だった人は、残りの人生は幸運に恵まれる。

 つまりは「幸福と不幸の総量は等しい」から、ということなのだ。そう言われると、確かに信じたくなるような、納得したくなるような理屈ではある。この話しと同様に「禍福はあざなえる縄の如し」という言葉がある。「人生の運の総量はみな等しい」が現代版とすると、こちらは国宝級の古典版で南越列伝の「史記」にある。調べてみると「因禍爲福。成敗之轉、譬若糾墨。」と書き、「禍に因りて福と為す。成敗の転ずること、譬えば糾える 墨の若し」(わざわいによりてふくとなす。せいはいのてんずること、たとえばあざなえるぼくのごとし)と読む。実はその要約版のようなものであった。「幸福と不幸は、より合わせた縄のように交互にやってくる」という意味で、その考え方は現代版と変わらない。

 「幸、不幸」のみならず「運、不運」さえも何とか理屈を付けて納得しようとするのは今も昔も変わらない「人生」の悩みである。このような悩みを一気に解決するのが「人間万事塞翁が馬」(じんかんばんじさいおうがうま)で、意味としては同じようなものだが「人間、良いこともあれば悪いこともある。だから、あまり不幸にくよくよするな、幸せに浮かれるな」という教訓として知られている。「塞の国の翁さんの行動」を見習え、ということなのだ。簡単に計ることの出来ない「運の総量」はともかくとして、さらに一歩進めて積極的に人生を明るくする極め付け「笑う門には福来たる」を実践し、何かと厳しい世の中を打開したいものだ。
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疑心暗鬼の虜

2009年09月24日 23時33分18秒 | Weblog

 9月11日、HTV打ち上げ成功の報を聞いて、日本国民は実のところホッとしていると思う。なにせ、大金を注ぎ込んでの事業であるだけに、失敗したら税金がすっ飛んで行くのは明らかだから。しかし、この成功を別の意味で解釈するのが北朝鮮だ。

 「9月22日17時20分配信/時事通信」によれば、北朝鮮の朝鮮中央通信は22日、日本が無人貨物船の宇宙ステーション補給機(HTV)を搭載したH2Bロケットを11日に打ち上げたことについて、「宇宙空間での軍事的優位で軍事大国化を実現しようとする日本の犯罪的策動」と非難。そして、「日本の宇宙兵器システムの開発策動が大型化段階でさらに本格的に推進されていることを示す極めて危険な事態」と主張。その上で、国連安保理は「われわれの合法的なロケット発射だけを問題視している」と決め付け、日本の宇宙開発に関しても「阻止させるための強い措置」を取るよう求めた、というのである。

 日本には「核武装論者」や「再軍備論者」が少なからず居ることは確かだ。しかし、大方の人間は「非核武装」であり「非再軍備」の方向を向いていると思っている。北朝鮮が言うような「宇宙空間での軍事的優位」を目論んだり「軍事大国化を実現」しようなどと思っている訳ではない。それは日本国民の総意ではない。ただ、そう思っている輩も一部に居るのは確かなので、北朝鮮ならずとも、そのようなリスクは確かにある。今回のHTVは科学技術の研究目的ではあるが、軍事目的への転用は難しくないと思われる。その意味では「HTVの大型化」は、使い方を誤れば確かに「極めて危険」なものである。故に、原子力発電所でもHTV打ち上げでも、徹底的な情報公開と国際査察を受け入れて、あらぬ誤解を生むことのないように努めているのである。

 北朝鮮も同様に国際査察を受け入れ、海外メディアも受け入れて情報公開することで、テロ国家として非難されることもなくなると思われる。しかし、そこが出来そうもない部分である。北朝鮮が発射したロケットは、当の北朝鮮を除いて世界中「合法的なロケット発射」などと思っている国は1つもないだろう。疑心暗鬼にとりつかれた北朝鮮、今更ながらこの先が思いやられる。

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海水の酸性化

2009年09月17日 07時57分45秒 | Weblog

 二酸化炭素は、気体の状態では「炭酸ガス」であり、固体では「ドライアイス」とも呼ばれているものである。水溶液では「炭酸」或いは「炭酸水」とも言う。この物質の性質は「常温常圧では無色無臭の気体。-56.6℃で液体となり、-79℃で固体(ドライアイス)となる。水に比較的よく溶け、水溶液(炭酸)は弱酸性を示す」。二酸化炭素は環境中にごくありふれた物質であり、人間にとって有毒性が問題となることはない。しかし、空気中の二酸化炭素濃度が3~4% を超えると頭痛・めまい・吐き気などを催し、7%を超えると数分で意識を失う。通常の環境で「7%を超える」などということはあり得ないが、この状態が継続すると麻酔作用による呼吸中枢の抑制のため呼吸が停止してしまう。また、植物が光合成によって二酸化炭素を吸収することはよく知られている。

 1気圧下で空気中の二酸化炭素濃度が増すと、地球の表面積で約7割を占める海洋は、確実にその影響を受ける。先にその性質で記述した通り「水に比較的よく溶け、水溶液(炭酸)は弱酸性を示す」ため、空気中の二酸化炭素のおよそ半分は海洋に吸収され、その結果、海水は酸性化するのである。通常、海水はpH8.15の「弱アルカリ」である。いや、これも長い間pH8.15であった、と言うべきであろう。それが産業革命以降、海のpHは低下傾向にあり、現状は、今世紀末には7.8まで酸性化すると予測されているのである。今後、300年以内に海水のCO2濃度は2,000ppmまで上昇し、pH値は7.33まで下がる(酸性化する)とされている。

 2009年2月24日、世界26ヵ国、155人の海洋学者らが各国政府に地球温暖化対策の強化などを呼び掛ける緊急宣言をまとめた。科学者の宣言は、近年、海水の酸性化が急速に進んでいることを示すデータが得られていると指摘。今のペースでCO2濃度の上昇が続けば、今世紀末には海水の酸性度が十八世紀の産業革命前の三倍に達し、多くの海洋生物がその影響を受けると警告した。実は、先進国は「京都議定書によって設定された、2012年までに1990年のレベルに対して平均5%を削減する」などという穏やかな目標を遙かに超えた二酸化炭素の排出削減を実行しなければならなくなると予測されているのである。

 海水に含まれるCO2濃度は遙か昔から380ppmであった。それが近年既に400ppmに急上昇している。この濃度が500ppmを超え、海水温度が5.4度以上上昇した場合、この時サンゴ礁は崩壊し、海洋生物の半分は消失するという予測もある。周囲を海に囲まれた日本は、今まで海の幸を存分に享受してきた。アジアのサンゴ礁漁場は10億人分の漁獲量を提供し、その経済的収入総額は300億米ドルを超えると言われている。しかし、わたしたちはこれを失うことになるかもしれない。

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ターニングポイント

2009年09月15日 11時21分18秒 | Weblog

 環境問題については、いろいろな意見がある。温暖化といっても、過去にも同様のことは起きている。干ばつや水害も、いま始まったことではない。単なる「自然現象」であり、温室効果ガスなど全く無関係な話しである。更には、投資対効果として、環境対策に投じる費用よりも、災害を補償する費用のほうがはるかに安い。故に、資本を環境対策に投じるなどというのは無駄以外の何ものでもない、等である。確かにスケールが大きすぎて簡単に確認することもできないのがこの問題である。実のところ私も、これは「単なる思い違い」で「取り越し苦労」だと考えたい。

 一連の環境問題は、「人の活動が原因」なのか「自然現象」なのか、一体何を見たらいいのだろう。1つは「気温の上昇」が上げられる。更に気温上昇に関連して「海面の上昇」がある。もう1つは大気の「二酸化炭素濃度」の問題であり、これと関連して「海水の酸性化」がある。これら全てのデータが示唆している方向を考えると、とても「自然現象」だとは思えないだけでなく、近未来において、どのような事態が待っているのかさえ見当も付かないのである。ただ途方もない「悪い予感」がするだけである。

 IPCC(Intergovernmental Panel on Climate Change)の第4次評価報告書には、次のような報告がある。「二酸化炭素の大気中の濃度は過去数百年にわたって280ppm程度で推移していたが18世紀半ばから上昇を始め、特にここ数十年で急激に増加している」更に、この原因は「動力などに石炭や石油が大量に使われるようになったため」であると断言している。

 二酸化炭素(CO2)は左目盛りで、赤の線で示されている。いくら微小な単位のppm(百万分の1)といえども、この跳ね上がり様はただ事ではない。変化点(Turning Point)は丁度250年前、大量輸送・大量生産が始まった産業革命の時期に一致する。これを見てもまだ、「自然現象」だ、などと言えるのだろうか。

                      

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削減目標25%とは

2009年09月13日 09時42分35秒 | Weblog
 民主党の「温暖化ガス削減目標25%」について、神戸商工会議所の水越浩士会頭(神戸製鋼所相談役)は7日、「荒唐無稽もいいところだ」と批判し、更に「国益に反するのは間違いなく、(国内では)生産活動ができなくなる」、「この案を推進すれば生産拠点の海外移転が加速する」などとのたまわったらしい。また、新日本製鉄の三村明夫会長も「地球温暖化対策というのは、環境対策ではなく、総合的な経済政策の一環として出されるべき」などと述べている。また「他の主要排出国と歩調を合わせるべき」とも言っている。さらに、他のアメリカや中国など大量排出国が削減しなければ、排出量全体に占める割合が4.4%の日本だけが少しくらい削減しても何の影響もないという意見もある。

 「削減目標25%」は「荒唐無稽」でもなんでもない。「国益に反する」などと言っているが、ではこのまま温暖化ガスを出し続けて、他の国が海に沈むのは「国益」なのか。砂漠化や自然災害が多発して害を被るのが国益なのか。「生産拠点の海外移転が加速」することを心配しているが、海外とて温暖化ガスの削減は避けられない。地球上何処へ行っても同じ事であり、温暖化ガスを排出する道義的責任は免れない。この問題はカンペキな「環境問題」であり、無関係とは言わないが、経済問題でも政治問題でもない。それは問題のスリ替えというヤツに他ならない。「他の主要排出国」と歩調を合わせるというが、それで大幅削減が出来るのか。また、そのようなことでリーダーシップが取れるのか。リーダーシップなど、どうでも良いが、そんな話しをしているうちに、北極の氷は溶けて無くなるだろう。そもそも、出来ない算段ばかりして、出来る算段をしようとしないのが今の経済界の連中だ。大量生産、大量消費を繰り返し、資源の浪費を重ねてきた日本が言えることではないし、そのような主張をしても、誰も聞いてはくれないだろう(アメリカは聞いてくれるかも)。もし4.4%の日本が削減することで世界が動くならそれは結構なことではないか。それが「影響力」というものだ。

 確かにこの削減目標は、簡単ではない。全ての産業において従来方法の延長では、解決策は見つからないだろう。否応なしに相当のパラダイムシフトをしなければならないだろう。産業構造が一変するくらいの変化を必要とするかもしれない。しかし、そうしなければ「地球の維持」が難しくなっているのだとしたら、いくら出来ない算段をしても意味がないのである。

 民主党の削減目標25%とは、旧政権の削減目標と最終的には同じである。次のグラフを見て欲しい。アソー政権では2050年「少なくとも60%、出来れば80%くらいまで削減したい」などとやる気のない(消極的な)見解を示していたが、それを「80%」を見据えた上で2020年「25%」と言ったまでで、最終目標の80%に向かって、直線上にあることは確かだ。ただ、その実行過程で「問題を先送り」したアソー政権(赤)と、あまりに素直なハトヤマ政権(青)の違いである。

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公報には載らない話し

2009年09月12日 13時56分53秒 | Weblog
 最高裁判所裁判官国民審査は、8%程度の評価しか受けておらず、実のところは無審査に等しいことが判った訳だが、少なくとも50%以上の実質評価を受けるためには、現状の「公報」のありかたを改善する必要があるだろう。このような形式的な審査を継続するのだとしたら、それは全く無意味な資源の無駄遣いというものではないだろうか。

 何で今更とは思うが、最高裁の判事について、公報に載っていない(載っていても意味不明な)話しについて紹介したいと思う。勿論、内容における判断は有権者にお任せしたいと思う。

櫻井 龍子
 九州大学法学部卒、国家公務員採用上級甲種試験(区分・法律)に合格して労働省入省。「御殿場事件」では、冤罪の可能性がきわめて強く指摘されている。科学的合理性を無視し、被告の上告を棄却して有罪を確定させた人物。
竹内 行夫
 京都大学法学部を出て、国家公務員採用上級試験甲種(経済職)に合格し外務省入省。北米局長、総合外交政策局長、駐インドネシア大使などを歴任。小泉政権下で、「田中真紀子」騒動で前任事務次官が更迭され、駐インドネシア大使から事務次官に就任した。次官在任中には、日米同盟を固守、米国の対イラク攻撃に支持を表明した人物。ブッシュのイラク戦争支持や自衛隊のイラク派兵を決定し、実際に実行した外務行政の責任者。意に沿わぬ者は権力を行使して退官させたり辞任させたりしている。典型的な官僚で、イラク戦争に反対した天木直人駐レバノン大使を辞任させた際「君は組織の枠を踏み外してしまったんだよ」と批判したとされている。その後、麻生政権下で最高裁の裁判官に天下りした。法学部を出たというだけで司法試験も受けたことがないという人物。
涌井 紀夫
 京都大学法学部卒業、司法修習生から以降国内裁判所で判事補、参事官、判事、局長、所長、長官を歴任。「南京事件研究書」で賠償を確定。在外被爆者に初の国家賠償が確定した判決。「住基ネット」を合憲とした判決がある。「衆議院定数訴訟で「一票の格差が2.17倍」あっても「合憲」とした」ことが知られている。今回の審査結果で、ただ一人500万票以上の「×」を受けた人物。
那須 弘平
 東京大学法学部卒業、弁護士出身。「参院選における一票の格差が憲法に違反するか」で「合憲」など選挙関係で3件。公立小学校の音楽専科教諭に「君が代」伴奏を命ずることが憲法19条で定める思想良心の自由に反するか、で「合憲」とした。「反マル生闘争」によって懲戒免職となった旧全逓組合員に対する、懲戒免職処分取り消しを下した東京高裁判決を支持。上告不受理を決定。和歌山のカレー事件では控訴を棄却した判事。小田急線痴漢冤罪事件では逆転無罪の判決。
田原 睦夫
 京都大学法学部卒業、司法修習生から弁護士。衆議院定数訴訟「一票の格差が2.17倍」あっても合憲とした。小田急線痴漢冤罪事件で田原(裁判長)と堀籠幸男判事が有罪としたが、他の3人が無罪を主張し、逆転無罪判決となる。

 判決は合議なので「小田急線痴漢事件」や「衆議院定数訴訟」のように裁判長の判断と異なる判決になる場合もある。しかし、責任の所在を明確にする上では、その事案の責任はやはり「裁判長」にあるだろう。最高裁の判事或いは裁判長と言えども、努力家もいれば横滑りや天下りも居るわけで、決して「仙人」のような人ばかりではない。感情的になったり、我を通したりもする。三権分立と言いながらも、時の政権の様子伺いをしてみたり、おべんちゃらを使ったり。しかし、そんな連中に「有罪」等と決めつけられた日には、人生これ以上の最悪はない。
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国民審査 8%の仲間入り

2009年09月08日 12時21分18秒 | Weblog
 地味な話しなので今一つ盛り上がらないが、今回の国民審査(08/30)で「罷免」される裁判官は一人も出なかった。有効票数66,961,060票に対して、50%以上の「×」が無ければ自動的に信任される。ただ一人5百万(5,176,090)票を越えた「×」の涌井 紀夫裁判官でさえ9.5%なので、50%など余程のことがなければ「罷免」は、あり得ない。過去、「罷免」となった裁判官が皆無なのは納得できる。

 今回、この審査について気になったのは「×」の票数である。最小でも宮川 光治裁判官の4,014,158票で、それ以下が無い。つまり何が何だか判らないが、とにかく「×」だということで、およそ4百万人の方々が全員に「×」を付けたと思われる点である。いろいろな意味で何某かの「怒り」はあるが、差し向ける対象が判らず、かなり消極的な寂しい判断をしてしまった、といったところか。これも1つの判断と言えなくもないが。

 また、信任票も涌井 紀夫裁判官の61,763,059票が最低で、これ以下は無い。つまり、投票した92.2%の方が白紙(「×」が1つも無い)で投票したのである。1つも「×」を付けることが出来なかった、と言った方が正しいかも知れない。これまた1つの判断と言えばそれまでだが、楽観的過ぎて無責任そのもののようにも思われる。白紙が自動的に「信任」となる現行の方法にも問題があるのかもしれないが。

 結局、多少なりとも「判断」を下したのは8%以下の方々ということになる。かく言う自分も普段から「最高裁判決」に注目している訳でもなく、「公報」を見て初めて「審査があるのか」と思う程度である。ましてや、どの裁判官がどんな判決を下したかなど知るよしもない。グジャグジャと書かれた「公報」を見ても、サッパリ判らないのが実情だ。このような「投票」を「審査」と称して選挙の度に繰り返してきたことを考えると、どうも合点が行かない。

 で、今回あるBlogで、この「審査」のことが取り上げられているのを拝見した。そこで裁判官の名前をKey Wordにして調べてみると、「公報」とは全く違った面の情報がドドッと出て来た。なるほど、これを見てしまったからには「判断」させてもらうしかない、ということで今回は8%の仲間入りをした訳である。Netには個人的なものや、いろいろな組織の立場から見た評価が載っているから、そこは自分の判断すべきところだが、「公報」よりはズッとマシというものだ。
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政局グッズ

2009年09月05日 17時45分14秒 | Weblog

 ご近所の方が「こんなのがあった」ということで、お裾分けで戴いたのがコレ。最初は、製造元も成分表も無く、何となく怪しげな雰囲気で、美味しそうにも見えないので「変なモノだな」と思ったが、何でも、バスツアー(はとバス?)で国会へ行った時、売店で買ったのだとのこと。Netによれば衆議院第2議員会館の地下2階にある土産店「おかめ堂」で販売しているらしい。ここで納得、あぁ、これが時々Newsに出て来る国会議事堂土産の「グッズ」か、と。

 中央には鳩山だから「鳩」、「鳩山民主」のゴロを合わせて「鳩山民衆」という安直なデザイン。何故、饅頭でなくてサブレーなのか、まあ細かいことはさておき、直江兼続よろしく「愛」に「友」をちょこっとあしらって、持論の「友愛」を掲げたかたちでお出ましになったという訳だ。でも顔の絵は全く似ていないな。シェラブさんの方がよほど、似ていると思うのだが。で、コーナーに配置の「緑の出目頭」は何かというと、これがどうも「宇宙人」らしい。包装の下側には「一皮むけた「宇宙人」を見て欲しい」と書いてあるのだ。

 包装を開けて見ると、サブレー(クッキー)が1枚入っている。当然、その形は「ハト」だ。でも、それだけを見ると「ハト」というより「ヒヨコ」のイメージ。紅茶かコーヒーに添えて、サクッと戴くのがよろしいでしょう。(かなり、甘いです!)

 このグッズは6月に新発売されたらしい。売上をググッと急激に伸ばしたところで選挙となった。それまでは、自民キャラクター8割のグッズだったが、今頃は売れ残っているか、在庫処分で大安売り、又は賞味期限切れで廃棄になっているかも知れないな。販売元の「喜多村」では「民主党が政権を取れば、新しい形の商品も検討していきたい」と意気込んでいたから、今頃は大忙しのことだろう。昨日(4日)の新聞によれば近々、新商品「祝 政権交代紅白饅頭」が出るらしい。新商品「政権防衛 太郎ちゃん饅頭」を企画していた別の業者は、「結果を重く受け止める」と反省しきりとか。

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発電装置の寿命

2009年09月03日 11時18分05秒 | Weblog

 どんな装置でも寿命というものがあって、製造から廃棄までのライフサイクルで、その稼働結果から「生産効率」的な数値としてこれを計ることができる。発電装置では2つの方法がよく使われているらしい。その1つで、発電装置を製造する際に発生させたCO2を、発電装置がその装置寿命中に稼働した発電量で割る「ライフサイクル比」という考え方がある。結果の数値が小さければ小さいほど、よりCO2の発生が少なくて済む、という指針になっている。装置としての稼働効率、生産効率も高いということになる。

 勿論、発電装置製造中に発生するCO2は少ないに越したことはない。また、発電量が大きければ大きいほど生産効率が高くなり、発電装置の寿命は長ければ長いほどより効果的となる。ここで注意すべきは「発電装置製造の過程で排出されたCO2」であって、運転中に排出したCO2は含まない。あくまでも「発電装置の寿命比」である。従って「より簡単な装置で効率よく発電させ、これを長持ちさせること」が、最も重要となる。この「計り」をもって、各種発電装置を見ると、業界のDataによれば以下のようになるらしい。

 石炭、石油、LNGなど化石燃料を使う発電装置は運転中も最悪だが、発電装置としてもCO2排出量は寿命の割りに大きいということになる。原子力発電は、とても大がかりな発電装置だが、意外にもCO2排出量が小さい。小さいと言うより装置として寿命が長く、発電量が大きいことで、その数値が小さくなっている。さすがに風力、地熱、水力には及ばないが、太陽光発電よりもCO2排出量が少ないらしい。この辺が低炭素という意味で支持される理由の1つになっていると思われるが、しかし放射性廃棄物を考えれば、とても手放しで喜べるものではない。

 このグラフの太陽光発電のCO2排出量は53.4(g/kWh)ということで作成されている。これは日本の計測値29~78(g)の平均を取った値と思われる。EUでは25~32(g)という報告もあるらしい。また、近い将来(2020年くらいには)15(g)くらいに出来るだろうという予測もある。15(g)ともなれば、水力、地熱並みのCO2排出量となる。太陽光発電は他の発電方法に比べてこの先改善の余地がある発展途上の技術であり、その分期待も大きい。太陽光発電装置は「製造過程で大量のCO2を排出」することもなく、勿論放射能も出ない。装置を廃棄する場合のリサイクル率も、かなり良いらしい。

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