つむじ風

世の中のこと、あれこれ。
見たこと、聞いたこと、思ったこと。

熱波

2016年06月30日 22時51分19秒 | Review

今野 敏/角川春樹事務所

 2004年8月18日初版。著者の作品は「義闘」「山嵐」「欠落」「邀撃捜査」そして最近読んだ「パラレル」と続く。著者の作品は「警察モノ、伝奇モノ、武闘モノ」の3本柱と思われるが、今回の話しはちょっと違う。3本柱を少しずつ取り込んで仕上げた、新しいジャンル、「熱血モノ」である。「こんな話しも書けるんだぞ」と言いたげな。3本柱はすっかり成りを潜めた感じだが、それはそれでなかなか面白かった。
 話しは、お題が示すように、沖縄という地域を背景にしている訳だが、主人公ならずともその地域が抱えている問題、人々の思い、空気の熱さが伝わってくるような気がして、その意味でも新鮮で臨場感ある作品だったと思う。主人公・磯貝竜一の今後の活躍が書けるものかどうか、更なる展開が出来るかどうか、そこは難しい課題だが、思わず期待してしまうのは読者の勝手というものだ。

 ただ、ジャズグループの各メンバーが物々しく登場するものの(この話の中に割り込ませるのは難しかったと思われるが)何の活躍もしないのはいささか残念だった。今回の話しでは確かにそうなのだが、実は次の展開の布石だった、なんてことはないだろうな。



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美濃路殺人事件

2016年06月26日 22時03分21秒 | Review

内田康夫/角川文庫

 1997年10月25日初版、2011年2月20日第13刷。美濃路=美濃紙ということで、伝統の和紙をからめての話し。伝統と言へども後継者も少なく最盛期に比べれば細りに細って凋落の一途を辿り、存在すること自体不思議なくらいといった按配、それが多くの伝統工芸の現状であるらしい。

 物語の視点は、その和紙の製作者が上り詰めた匠の技の中に、他の追随を許さない至高の技があることを紹介する。殺人事件の結論は「見る人が見れば解かる」所から、例によって一見して迷宮入りしそうな事件が解決へと向かっていく。

 モノ作りを極める人々の努力と、それを理解できない現代人の悲しさが、残照のように心の中に広がってしまう。和紙作りの奥深さにからめてもう一ひねり、二ひねりあれば、よかったように思うのだが、ネタが無かったようで・・・。

 例によって今回の浅見さんのお相手は行方不明になった月岡和夫の娘・三喜子(相当の美人らしい)。そして、愚直なまでに一辺倒な刑事役は愛知県警本部捜査一課 鈴木司郎警部ということで、サスペンスに不可欠な「意外性」もあまり感じなかったのが残念。まあ、244pとコンパクトなので、短編みたいなものなんだけどね。



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飛躍

2016年06月23日 22時47分59秒 | Review

―交代寄合伊那衆異聞―
佐伯 泰英/講談社文庫

 2015年9月15日初版。「交代寄合伊那衆異聞」シリーズ23巻の最終章完結編。ヒーローは座光寺藤之助為清。信州伊那谷、山吹領の旗本座光寺家当主ということになっている。時は幕末動乱期、こんなスケールの大きな話は初めて読むような気がしたが、既に以前に9巻目「御暇」でお目に掛かっていた。まあ2012年11月16日なので4年も昔のことだからパッと思い出さないのは無理もないが、当時「御暇」を読んで、それが23巻のシリーズになるとはとても想像出来なかった。

 このシリーズを読みたいと思って手に取った訳ではないから、最終章に当たったからといって文句の言いようもないが、とにかく読んでみると、先ずその爽快さ、スケールの大きさ、視点の高さに驚く。そして、どこが史実で、どの辺がフィクションなのか、調べてみたくなる。まあ、史実をうまく活用しての話しということになると思うが、この際それは置いておくことにする。

 座光寺家当主に代々受け継がれてきた務めは「首斬安堵」という秘命。将軍の御首を敵に奪われるリスク回避の役職である。僅かにそれを知るのは幕臣の下総佐倉藩、陣内嘉右衛門(年寄目付)ただ一人。考えてみると何とも時代がかった妙な風習というか因習としか思えないものだが、しかし、幕末ともなれば、時代の波に押されてそんな秘命も意味不明なものとなる。237p(中)、主人公藤之助と陣内嘉右衛門との会話は、今だ眠りの中に居る者と覚醒した者以上の違いがある。そしてどちらも、それが解かっているだけに今更互いの道を変える事はできない。片や希望であり飛躍であるのに対し、片や崩壊であり沈没であることを深くイメージさせる。

 著者はあとがきで「活字本時代の最後の小説家」になることを危惧し、現代テクノロジーには今ひとつ信が置けないという。そう思うのは著者だけではないと思うが、人は常々混沌の世界に生きているのかもしれないと思うことは度々ある。「交代寄合伊那衆異聞」、いつか全巻通して読んでみたいものだ。


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お祓い師

2016年06月20日 10時59分02秒 | Weblog

 丁度、今野 敏さんの「パラレル」を読み終わった日、職場の同僚から妙な話を聞いた。同僚の山田さんは6月9日から4日間、お休みを取り、出身の奄美大島へ飛行機で帰省した。嫁さんも同郷の人で久々の楽しい里帰りということで、ここまではよくある話しである。

 奄美大島に着くと、今回は義理の弟(嫁さんの弟)の所に世話になり、その日は積もる話で盛り上がり、楽しい夕べを過ごしたようだ。翌日(10日)は幼馴染を訪ね、島の景気や暮らしを尋ねたりしてあっという間に時間が過ぎてしまったようだ。明日(11日)にはもう上京しなければならない。翌日の午後、楽しかったひと時を思い返しながら二人で空港へ向かった時のことである。

 二人が空港に着いたとたん、何故か山田さんの右足に丁度足が吊ったような強烈な痛みが走り、その場にへたり込んでしまったのである。元々左足は腱が弱くあまり無理が出来ない持病があるところに持ってきて、今度は右足である。嫁さんが備え付けの車椅子を借りてきてそれを使って何とか空港の外に出て、そのまま救急車で病院へ直行するはめになってしまったのである。

 病院では触診及びレントゲン等で外科的障害ではないことを確認し、マッサージと湿布、テーピング処置をしてもらった。しかし、痛みは一向に退かず、松葉杖でも歩けない状態に。
 あまりの突然なことに困り果て、介護師をしている友人に電話して、状況を説明、何かしらよい方法はないものかと助けを求めたのである。友人も仕事の関係上足腰が不調になることもあり、どうしても治らないときは医者ではないがマッサージや整体もやる、接骨院を訪ねるということだった。そこでよければということであったが、勿論山田さんはワラにもすがる思いで紹介してもらうことにした。

 友人の肩を借り付き添われてその接骨院を訪ねてみると、接骨院の主はすでに玄関の前に出て出迎えてくれたのだが、その時独り言のように「また、変なのを連れて来やがって」と言ったようなのだ。山田さんはそれを小耳に挟んで、随分失礼な奴だな、と思ったそうである。それでも痛みには逆らえず、主の指示に従ってともかく友人と一緒に院内に上がり込んだのである。院内は、格別どうということもないところだったが、主の指示で床にうつ伏せになり、触診と軽いマッサージを受けたという。

 それで、「痛みは無いはずだから、立ってみよ」と言われ、恐る恐る立ってみると、多少痛みはあるものの付き添い無しで立てるではないか。今度は立ったりしゃがんだりしてみるように指示があり、これもやってみたが、どうもない。まったく信じ難い状況である。

 それから、どうにか歩けそうなので礼を言って接骨院から一歩出るとまた、急激な痛みが沸き起こって来るのである。院に入ると収まるらしい。主は「やはり、そうか」と言って、山田さんを再度床にうつ伏せにして何かお祓いのようなことをしたらしい。一体どういうことなのか、主に聞いてみたところ、どうも良くない所に近づいたことで「悪いものに足を撫でられたのだ」という。
 良くない所と言われても心当たりもないが、山田さんは空港へ行く途中で道に面して斎場があったのを思い出し、主にその旨説明したところ、多分そこだろうとのことであった。人は「気」が弱くなると、邪悪なものが寄ってくるのだそうで、中には獲り憑くこともあるのだとか。

 その後、痛みは少し残るものの歩行には問題ないようで、ようやく友人と一緒に院を出ることが出来た。友人によると、今まで何度か来ているが、玄関に出迎えてくれたことは一度もなく、戸口で声を掛けると、中から戸を開けて入るよう指示があるのが通常なのだそうな。山田さんは友人が先に電話で予約を入れてくれたものとばかり思っていたが、そのようなことはしなかったという。

 また、「また、変なのを連れて来やがって」と言ったのは、山田さんのことではなく、山田さんに憑いて来たものが主には見えたのではないだろうか、と。12日(日)の夜、山田さんはやっとの思いで、どうにか東京に帰って来ることが出来たのである。そして13日(月)、山田さんは職場で右足をさすりサロンパスを塗りながら、昨日のにわかにはとても信じ難い出来事を大真面目に語ってくれたのである。

 厄年で厄を祓うのは、年齢によって「気」が弱まる頃を見計らって邪悪なものを祓うという意味が、葬儀などに出席して帰ってきたとき、家の玄関前で塩を振るのは憑いて来たかもしれない邪悪なものを祓うという意味があるのかもしれない。健康で、何も問題が無いときは、とても信じられたものではない。いや山田さんのように自ら体験しても尚信じ難いらしいが、実は現世の我々には知り得ない魑魅魍魎の世界が、そこかしこにパックリ口を開けているのかもしれない。ただ、見えないだけで、、、。

 最悪の場合は、鬼龍光一(鬼道衆)、安倍孝景(奥州勢)の両氏にお願いして、お祓いをしてもらうしかないだろうな。それにしても、接骨院の主はいったい何者なんだろう。



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パラレル

2016年06月18日 21時22分09秒 | Review

今野 敏/中公文庫

 2006年5月25日初版、2015年5月15日第15刷。著者の作品は、今まで「義闘」「山嵐」「欠落」「邀撃捜査」と読んできたが、今回の「パラレル」は、最初に読んだ「義闘」にかなり似た作品である。竜門整体院 竜門光一が美崎整体院 美崎照人になったり、麻布街道覇者が相州連合になったりするものの警察、暴走族、武術の達人といった話しの構成も良く似ている。著者のイメージとして武術の達人はどうしても整体師でなければならないらしい。

 パラレルというお題は3件の連続的に起きた殺人事件について、捜査が進むにつれて、実は全く相関のない並行して起きた個別の事件であるところから付けられている。解説によると、この作品は特別なようで、いくつかのシリーズ中の主な登場人物が全て集合するという大サービスなのだそうな。

著者の作品は、警察モノ、伝奇モノ、武闘モノの三つを柱としており、そのいずれか或いはミックスということになる。なるほど、いままで読んだものの中でも「パラレル」は伝奇色の濃い作品であるように思う。古武術などはともかく、遂にはお祓い師まで登場する。ほとんどオカルト風になってしまうのだが、確かに超娯楽小説である。

 もう一つの特徴は「少年犯罪」に対する悲哀である。多くの作品で暴走族風の少年たちが出てくる。どんな形にしろ、著者にとって「少年犯罪」は悩ましい社会現象であり、いつも気に掛かる心の痛みでもあるようだ。



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忍びの旗

2016年06月13日 11時39分43秒 | Review

池波正太郎/新潮社文庫

 1983年9月25日初版、2013年6月25日第59刷。いきなり三方原の合戦(徳川と武田)シーンから始まる637pの長編大作。そして敗走する家康を狙う忍者(武田方)の前に、それを阻止する忍者(徳川方)が現れる。武田方忍者は飯田彦蔵、徳川方忍者は小杉重六、全てはこの戦いから始まる。

 折りしも大河ドラマは「真田丸」だが、ちょうど同じ時代の裏の舞台(忍びの世界)ということになる。最後「真田丸」は大阪の陣までかもしれないが、「忍びの旗」は、もう少し後の時代までの話である。思いがけず、視点を変えて同じ時代、同じ歴史を立体的に見ることが出来る。

 秀吉が采配したにも関わらず、それを無視して北条が真田の名胡桃城を争奪したことで、北条或いは小田原城の行く末が決まってしまう。リーダーの判断がこれほど重大な結果になるという場面は歴史上でも珍しいように思う。放漫であったり過信であったり依存であったり、それは企業経営とよく似ている。関東の覇者、東夷の最期である。

 時代小説の忍者モノといったら変幻自在の術を駆使するスーパーアクションと決まっているようなものだが、著者の忍者モノは一味二味違ったものとなっている。冷血で使命に忠実な忍者ではなく(作中で言えば)「あたたかい人の血が胸の奥底ふかく通っている」忍者なのだ。そんなこともあってか、殺傷場面はほとんど出てこない。

 早い話が、「甲賀忍者・上田源五郎」の半生である。敵対する忍者同士が同じ屋根の下で暮らし、情報の争奪戦を繰り返す。それでも互いの信頼があって、ついに親の敵であるはずの主の娘婿になってしまう。最後には忍者としての生き方を捨て、人としての在り方に心の拠り所を求めてゆくという話しである。勿論、「忍者の掟」に脱退や時効はないから、主人公が自らその掟に従うという「忍びの者」らしい結末が何とも哀しい。


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限界捜査

2016年06月05日 22時22分50秒 | Review

安東能明/詳伝社文庫

 2016年3月20日初版、同年4月15日第二刷。著者の作品は初めて読む。主人公の「疋田 務係長(警部補)」は、「疋田 務シリーズ」にもなっているが、「~捜査」というタイトルで「生活安全特捜隊シリーズ」の中の一冊でもある。比較的警察モノが多い。

 「64」に続いて警察小説の花形「捜査一課」ではない、地道な捜査の見本のような生活安全課を背景にした小説。BBコンビが主役ではあるけれども、決してヒーローではない。生活感丸出しのドラマである。結構な長編だが、それは生活安全課の地道さを物語っているようでもある。

 目立たない(陽の当たらない)所に所属する人は必ず居る。どんな組織でもそのような場所は必ずある。そんな所に光を当て、人々の営みとして喜びも悲しみも表に出す。出世街道から外れ、おいしい所は常に持って行かれ、残っているのは黒子役ばかり。単なる正義感だけではとても遣り切れない。そんな中で生活安全課は地域社会との接触面であり、地元を良く知るのは自分達を於いて他に無いという自負もあるが、腐らず、矜持を持ち続けることの難しさは判る気がする。

 逆に花形を「してやったり」とすることで、新しい面白さが生まれるのかもしれない。「帰ってよし」「戻ってよし」「そこはもういい」そういわれた後の脱力感を跳ね返す意地が、BBコンビを支えている。




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