つむじ風

世の中のこと、あれこれ。
見たこと、聞いたこと、思ったこと。

深尾くれない

2014年01月31日 18時31分39秒 | Review

 宇江佐 真理/新潮社文庫

 2005年10月1日初版、作品番号19。「あやめ横丁の人々」に続く作品。著者の作品には二つの流れがある。市井モノと伝記モノである。伝記モノは実在の人物をモデルにして市井モノで鍛えた手法で作り上げる。「作り上げる」などと言ったらいかにもインチキっぽく聞こえるが、そうではなくて心情豊かに具体化(イメージ化)するのである。数行の史実であっても、一冊の本になるらしい。(勿論、取材はするだろうが)

 書き出しから言って、いつものように進むので、どんな(おとぎ)話しになるのかと思っていると、何となくやけに生々しい。それもそのはず、「深尾角馬」は実在の人物であった。数行だがウィキペディアにも江戸時代の剣客、雖井蛙流平法の創始者としてその名前が載っている。また、別のWeb Siteには「角馬は牡丹の栽培も好んだというが、妥協を好まぬ性格で、娘の恋愛のこじれから相手方の親子を斬殺し、それがもとで切腹した」といった記事もある。或いは「豪農、息子、自分の娘を斬殺」したという記事もある。

 角馬のような(お堅い)人物は江戸時代だけでなく、明治になってからも結構居る。いや、現代にも少なからず居るように思う。武士の矜持と言ってしまえばそれまでだが、士農工商という身分制度があれども、目標を見失った武士の実態は哀れさを伴った寂寥感が漂うばかりだ。角馬は会社から疎まれ、家に帰れば女房から疎まれる老練サラリーマンのように映るのは私だけだろうか。ここで突然フラッシュバックするのは吉野 弘の「祝婚歌」。角馬のような自分を戒めて願望する歌に他ならない。もし角馬が「祝婚歌」を読んでいたら、事件は起きなかったかも知れない。しかし、そのときは雖井蛙流平法もその名を残すことも無かったかも。

 著者の作品にしては「壮絶」。「斬られ権佐」も「壮絶」だったが、まだ見守ってくれる「あさみ」の存在があるだけましである。「深尾くれない」は孤高の「壮絶」としか言いようが無い。ただ、剣豪と言われるような境地にある人物は得てしてこういうものなのかも知れないな。

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オメガ

2014年01月29日 11時48分59秒 | Review

 濱 嘉之/講談社文庫

 2013年6月14日初版。警視庁内に秘かに設けられた「諜報課」。通称オメガと言うあたりはちょっと漫画チックだが、話しの筋はなかなか面白い。韓国人、中国人が読めば多少ムッとするところもあるかもしれない。が、しかし、これだけ極端であることで痛快になる。そんなことは有り得ないだけ気楽に読めるというものだ。「諜報課」の主な主人公は、
 榊 冴子・・・・バイリンガルエリート
 土田正隆・・・サイバーエキスパート
 岡林 剛・・・武術と拳銃の達人
ということになっている。

 それぞれの特技を生かして仕掛ける攻撃がまた奇抜である。敵方は北朝鮮や中国のワルだけではない。既得権益を狙う国会議員やその配下、悪い奴は何処にでも居る。それをなぎ倒しながらまさしく正義を貫く勧善懲悪痛快アクションだ。作風は小説というより劇画風で007も顔負けのツールが多々登場する。しかし、重火器はともかくコンピュータ関連についてはもう少しリアルに迫って欲しかったな。

 濱 嘉之さんの作品は「警視庁情報官/ハニートラップ」でお目に掛かって以来二回目となる。どうやら警察モノが大好きなようで、国家権力を象徴する体制の代表として勧善懲悪を期待しているようだ。警察出身者は身内に甘いね。

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あやめ横丁の人々

2014年01月27日 11時52分19秒 | Review

 宇江佐 真理/講談社文庫

 2006年3月15日初版、2007年2月1日第三刷、作品番号18。「斬られ権佐」から1年、他の作品もあってよくこんな長編が書けるものだと先ずは感心する。ストーリーは違うけれども、なんとなく「雷桜」を思い出させる作品だった。

 紀籐家の三男坊愼之介が、とにかく逃げ込んでくる。何かをやらかしたらしい。でも、この「あやめ横丁」は牢獄でもなければ寄せ場でもない。しかし、周囲は堀で囲まれた天然(人造)の檻のような横丁だった。自身番の監視の下、宇治屋の下宿人となった愼之介が、自分の状況も含めて横丁の人々の諸事情を徐々に知っていくことになる。

 「あやめ横丁」の人々との関わりの中で、いやが上にもすべての虚飾を捨て去って裸の愼之介になってゆく。そして「もう人生、終わった」と覚悟を決めていた愼之介だったが、家督を継いだはずの兄の急死によって思い掛けず紀籐家を継ぐことになるのである。喜んでいいのかどうか微妙な所だが、愼之介にも親孝行する機会がやっと訪れたようだ。久々のHappy End(?)だった。

 しかし、「あやめ横丁」は著者が「おとぎ話」と言うように、火事によって忽然と姿を消すのである。愼之介の「あやめ横丁」での暮らしは、あれは夢、幻だったのか?と愼之介も読者も思うに違いない。著者の思う壺である。現実であったことの証しは、思い掛けず愼之介が先生を勤めた手習い所に集まる子供達の成長した姿だった。(うまいこと纏めるもんだねぇ)

 本編以外に、面白かったのは、「文庫のためのあとがき」で著者自身が「一編のおとぎ話」と言っているのに、解説で氏家幹人(歴史学者)さんが真面目に考証しているのだ。結論としては「そのような場所はありえないと断言するのも躊躇われる」らしい。

 文章から「あやめ横丁」を地図にしてみた。著者が予め作成したであろう地図とは一致しないかも知れないが、まあ支障のない程度にはそこそこ出来ていると思う。これで愼之介の動きも解りやすいというものだ。これから「あやめ横丁」を読む方の何某かの参考になればと思う。




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お陀仏坂

2014年01月20日 11時40分45秒 | Review

 ―父子十手捕物日記(6)―

 鈴木 英治/徳間文庫 2006年6月15日初版、2007年4月5日4刷。「鳥かご」に続く六冊目の作品。ずんと飛ばしてシリーズ13の「さまよう人」を読んだ限り、文之介の周辺の話しはそれ程進んでいない。「捕物日記」はこんな調子で延々進んでいくらしい。このシリーズは十八作に及ぶ。著者はシリーズ大好き人間で、書くもの書くもの皆シリーズになってしまう。既に十本程のシリーズがある。「父子十手捕物日記」も「郷四郎 無言殺剣」もそんなシリーズ中の作品の一つである。

 ここのところ府内で頻繁に出没する盗賊。何の証拠の残さずに、何人かすら解らない。打つ手無しの番所である。隠居の父、丈右衛門によれば十年ほど前に似たような事件があり、追い詰めたものの後一歩のところで取り逃がしてしまったという。「向川岸の喜太夫」と呼んでいたらしい。果たして「向川岸の喜太夫」の再来なのか、というところから今回の物語は始まる。

 喜太夫一味が仕掛ける相場取引、金貸しといった欲に絡んだ仕掛けで、賭にはまる人間(雅吉)の心理がなかなか絶妙だ。転げ落ちる「お陀仏坂」とはよく言ったものだ。また、この話しには鹿戸吾市という同僚同心も絡む。父、丈右衛門の失策となった事件、その原因、そして今回の横領事件。その裏にはとんでもない顛末があった。まるでサラリーマン社会の縮図のような話しで、同僚、先輩、上司には、悪びれず恥ずかしくもなく、吾市のような人間も必ず居るのである。そしてそれは人間の一面でもある。それでも付き合って行かなければならない。それが、社会なのだと(著者は)言いたいのもかも知れない。

 今回も例の「落とし穴」が登場する。今度は行徳河岸の近くの原っぱということで、近所の子供達が作った「落とし穴」である。さすがに喜太夫一味がこの「落とし穴」に落ちることは無かったが、やはり文之介の殺陣の舞台になっている。鈴木さんはどうしても「落とし穴」が忘れられないらしい。剣技にあまり自信のない文之介だが、実践で場数を踏むに従って強くなり、今回は喜太夫一味十数人相手に大活躍する。ところで、いつも沈着冷静な勇七は、実は捕縄を使った投げ縄の達人だった。・・・何時の間に。

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凶盗

2014年01月19日 17時39分32秒 | Review

 ―まろほし銀次捕物帳―
 鳥羽 亮/徳間文庫

 2010年7月15日初版。完全な捕り物小説。勿論、主人公は岡っ引きの「銀次親分」さん。手先の松吉と一緒に江戸の町を縦横無尽に探索する。「まろほし銀次捕物帳」は13冊ほどあり、うち「凶盗」は12作目の作品である。勧善懲悪の時代小説で、その辺がはっきりしている分、「水戸黄門」である。それが面白いか面白くないかは個人の好みかと思う。

 今回の話しは「雲右衛門一味」という盗人集団(7人)との戦いである。証拠を残さないことで、有名な、御上の面目も丸つぶれの宿敵である。銀次と行動を共にする「神道無念流の達人 向井籐三郎」が居る。銀次は主人公だが、むやみに強く、天下無敵ではない。肝心な時は向井籐三郎が助っ人するのである。(時代物のよくあるパターン)
 雲右衛門一味の最後は、何ともあっけない幕切れだが、浪人古賀弥九郎と向井籐三郎の勝負はちょっと圧巻。鳥羽さんは剣道の有段者で、その影響もあるのだろう、手に汗の一場面である。

 ところで、銀次が使う武器「まろほし」って何?
Netで調べてみると、俗に言うカラクリ十手というものだそうで、妙な恰好の折り畳み式十手なのだ。一角流十手術というのが有名で、現在も神道夢想流杖術に併伝されているとのこと。これを自由に使いこなすのはなかなか難しそうだ。下手をすると自分が怪我しそうな武具だね。

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斬られ権佐

2014年01月17日 17時10分44秒 | Review

 宇江佐 真理/集英社文庫

 2009年7月11日第5刷。(初版は2005年4月25日)作品番号16、比較的初期のもので、「涙堂(琴女癸酉日記)」に続く作品。一冊モノでなかなかの力作。いろいろな感想はあると思うが、「哀しいHappy End」とでも言おうか、人生の縮図のような作品。力作「雷桜」から2年、著者の筆が冴え渡った自信の一作と言えるのではないだろうか。主人公「権佐」は最後に残念ながら亡くなってしまうが、妻のあさみ、娘のお蘭の健気な生活によってHappy Endな気持ちになる。何とも泣かせる一冊であった。

 こうして読んでくると、著者はどうも「女の味方」のようで、男は飾りのような存在に思えてくる。菊井数馬にしても主人公の権佐、弟の弥須にしても、麦倉洞海にしても、どうも存在感がちょっと軽い。主人公ではないはずの、あさみや娘のお蘭、母のおまさなど、各編の登場人物を含めて女性の方が、はるかにリアルで存在感があるように思うのは依怙贔屓というものだろうか。

 イメージとして似ている作品に「泣きの銀次」がある。まだ最初の作品しか読んでないが、続きが何とも楽しみである。勿論、「斬られ権佐」とは登場人物もあらすじも異なる。「斬られ権佐」は読み切りだが、銀次は続き物で三作まで発行されている作品だ。しかし、銀次も権佐もなんとなく似ている。特に捕り物に対する心情的な場面はよく似ているのではないだろうか。この辺は、苦境に立たされた人々への理解、「悪」に対する寛容さ、「慈悲」のようなものを感じるのだが。

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涙堂

2014年01月13日 12時03分53秒 | Review

 ―琴女癸酉日記―
 宇江佐 真理/講談社文庫

 2009年11月25日第8刷。作品番号15、比較的初期のもので、「おぅねぇすてぃ」「甘露梅」「さんだらぼっち/伊三次」に続く作品。単行本は2002年3月に出版されているようで、はや10年も経つようだが、何故かいささかの古さも感じられない。副題にあるように、北町奉行所臨時廻り同心の高岡靫負(ゆきえ)の妻「琴」が主人公。要するに「琴の日記」である。息子が二人居るが、長男は父親の後を継いで定廻り同心に、次男は絵師になる。三人の娘はそれぞれ例繰方、隠密廻り、与力など御上の仕事についているところに嫁いでいる。琴の夫高岡靫負は突然何者かに斬られて殺されている。家族はその死因に納得していない。そんな背景を持ったところから始まる。

 健之丞(長男)、神谷九十郎(ゆきの夫)、木田幾太郎(あやの夫)、坪内杢之助(りやの夫)と絵師の賀太郎で内輪の探索が始まる。捕り物のようで、そうでもない。もっと日々の江戸市井の表情があふれている。それには末っ子の絵師賀太郎の存在が欠かせない。例によって通油町という町の住人になったような気分で読み進む。

 侍の妻であった「琴」が町人の暮らしに馴染んでゆく、その気持ちの変遷が読者と共にある。その辺が著者の真骨頂なのだが、それにしても、この二人のことは非常に対照的だ。従姉の乃江と元手先の伊十である。昔、羨望を持って見ていた乃江の姿が何とも哀しい。それに対し、夫の手先であった、どうも油断のならない伊十だが、それは見掛けとは違っていた。「遠い親戚よりも近くの他人」ではないが、その思いに報いるように伊十を看取る「琴」の気持ちはよく解るような気がする。結局、汁粉屋伊十は何て幸せな奴だったのだろうと思う訳である。

 「琴」には、二人の幼なじみが居る。三省堂(絵草紙屋)藤倉屋の伝兵衛と町医者の江場清順である。各々それぞれの家族があり人生がある。そしてそれぞれに悩ましい問題や苦労がある。しかし、無理して矜持を立てたり、変な隠し立てをせずに言いたいことを言い喜びも悲しみも分かち合うところが、何とも言えない。人生そんな風に生きていけたらいいのだが。

 解説で縄田一男さんが、小説について言っている。「畢竟、小説とは、人がどう生きどう死んだかを描くものであり、小説に描かれているのは目に見えぬもの、即ち、人の思いであると」なるほど、この辺が宮部みゆきさんとの違いなのかな。

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<完本>初ものがたり

2014年01月12日 10時11分34秒 | Review

 宮部 みゆき/PHP文芸文庫

 2013年7月30日初版、岡っ引きの茂七が主人公、下っ引きの糸吉、権三のトリオが江戸は深川の事件解決に活躍する。通常のいわゆる捕り物とはひと味違って、市井の生活に重点を置く。
・醤油問屋「野崎屋」音次郎のお勢殺し
・岩見銀山による五人の子供殺しと呉服屋「尾張屋」の娘おゆう
・棒手振り魚屋の角次郎・おせんの娘おはると伊勢屋の娘(双子)の秘密
・朝太郎、清次郎兄弟の確執とおりん
・河内屋の手代松太郎の心変わりとおさとの思い
・お夏の尋ね人清一の父(角田七右衛門)への遺恨
・深川元町の蕎麦屋「葵屋」の娘おさとに対する糸吉(手先)の恋
・めでたいはずの福寿草を使ったおきち毒殺の真相
・小間物屋「松井屋」の身代継承、喜八郎、寿八郎兄弟と姉のお末の秘密

 そこで、全編貫くのは三好屋(雑穀問屋)の倅長助、「日道」と名乗り予言を語る子供と富岡橋のたもとで屋台「稲荷鮨屋」を営む、地元のヤクザも手を出さない正体不明の親父である。これが少しずつ、ほんの少しずつ正体を表していく。だから、話しとしては一話で終わる話と連続する話しが一緒に組み込まれているのである。このような構成形式もそれなりの名前があるのだとは思うが、それがまた実にうまくできている。収録された作品は再構成されたもので、最初の発刊は1995年だそうだから19年程前になる。今回、地図やイラストも追加されたようで、これがまた楽しい。

 著者の作品は今までに2011/12/30「あやし」という短編集を読んだことがあるだけで、作品の傾向を云々することはとても出来ないが、解説によれば476p「人は他人からの優しさを求めるより、どれほど貧しく、傷ついていても、人に優しくする方が幸福になれる」というテーマ(人生の基本的な考え方)があるということで、全編にそんな考え方が伝わってくるような気がする。同じ時代小説作家として、どうしても宇江佐さんと比べてしまうのだが、宮部さんは宇江佐さんより11歳若い。しかしこれが作品の上ではそれほど差があるようにも思えない。宮部さんはオールマイティで時代物も現代物も書くかなり器用な作家らしい。現代っ子と言えばそれまでだが、その意味で宇江佐さんは確かに団塊世代である。このことが作品の中にどんなかたちで現れてくるのか注目しながら読むのもまた面白いかもしれない。

 ちなみに、「日道」は中程で種明かし、しかし「見えるときもある」と含みを残す。「稲荷鮨屋」の親父は結局最後まで正体不明で終わり、「完本」と言いながら続編に含みを残した。いつか機会が有れば続きを、と思っているのかもしれない。

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江戸の秘恋

2014年01月10日 15時23分50秒 | Review

―時代小説傑作選―
 大野 由美子編/徳間文庫

 2004年10月15日初版「時代小説傑作選」ということで、時代小説作家10人の短編作品を収録したもの。387pで少し厚めとはいえ、10人10編ともなれば、1つの作品はかなり小粒。何と言うべきか、短編過ぎて欲求不満の集大成みたいな具合である。このように異なる作家の作品を収録した形式(詩文などの作品を主に)をアンソロジーというらしいが、「時代小説の恋愛(悲哀)モノ」限定で、作家の特徴が色濃く出ている作品ということになるのだろうか。また、たくさんの作品の中から何故これを選んだのかということについてだが、解説によれば、つまり「恋」は人間の根本的な理屈抜きの感情、「江戸時代の恋に生きる人間の息吹」が感じられる象徴的な作品を、ということらしい。

 先ず、Topは「不忍池暮色」で大御所の池波正太郎。伊太郎とお孝の密会シーンや、お清が兄弥吉のお孝殺しを覗き見てしまう所など、さすが絶妙にリアルなイメージが迫ってくる。しかし、これだけでは池波正太郎作品を語ることは出来ないだろう。編者が思う池波正太郎らしさとは、どの辺にあるのだろうか。なるほど「卑小さゆえに愛しい人間像」ねぇ。

二番目、「橋を渡って」の北原亜以子作品。男と女の行き違いというやつで、コミュニケーション不足が招く「別れ」である。何がそれほど悪いという訳でもないものの、思いを受け止めてくれない切なさがうまく書けていると思う。「女にかまけていたら、、、」ねぇ。

三番目、「耐える女」の佐藤雅美作品。何ともまあ、関わりたくもない痴話ですね。小説としても、あまり面白くないと思うが、選者の大野さんによれば、「女の執念のすさまじさ」を書くのが売りなんだとか、それに主人公「拝郷鏡三郎」は「縮尻鏡三郎」と言って、無理難題を解決するシリーズになっているらしい。

四番目、「水の蛍」の澤田ふじ子作品。宮地村、頭百姓要助の娘八重、魚伝(小料理屋)ではお蔦で通している。郡奉行下役の関根小十郎とお蔦の話し。小十郎は小十郎で、お蔦はお蔦でなかなか不条理な話しである。そんな二人が出逢ったものだからハッピーエンドな訳もなく、不条理の極みである。著者は「女のせつない情感」が売りらしいが、小十郎の無念さ、お蔦の絶望感は「人間の美しい感情をより美しく抽出」しているということになるようだ。

五番目、「ただ一度、一度だけ」の南條範夫作品。離れに住む浪人塙武助(矢田五郎右衛門助武)と、五助の女房おとしの話し。「ただ一度、一度だけ」は、武助のとっておきの口説き文句である。「おとし」の心境の変化が読み処であるらしい。「矢田五郎右衛門助武」は実在の人物で、赤穂浪士四十七士の一人である。とすれば「冥土の土産に、一度だけ」というのももっともらしく、理解できなくもない。

六番目、「新道の女」の泡坂妻夫作品。「新道の女」は嵯峨山流師匠の白蝶の弟子で美音のこと。美音(実は男)は下総は久地藩の藩医深見竹仙である。そしてその夫千之助(実は女)は久地藩の先手組与力荒井八七八の妻きぬであった。この二人の出会が運命を変える。いろいろな人物が出て来て一見複雑なのだが、駆け落ちする二人の心境とは、このようなものなのかもしれない。

七番目、「因果堀」の宇江佐真理作品。この傑作選のために書かれた短編かと思ったが、読んでみると「髪結い伊三次捕物余話」の中の一編だった。「すっ転びのお絹」こと巾着切りのお絹とは、何と十手を預かる増蔵の、とっくに忘れたはずの昔の女房だった。この顛末は悲恋である。伊三次の「いい女でしたね」という一言が「お絹の一途な思い」のすべてを語っている。

八番目、「雨の道行坂」の南原幹雄作品。これまた何と申しましょうか、「おまち」の思い切りは相当なもの。女の一途さと度胸の良さである。「雪之屋」に未練はない。「大事な仕事をなしとげたことで、孝右衛門への義理もすんだ」ということだが、今まで積み上げてきたすべてをなげうって飛び出す「おまち」の心境はなかなか計り知れないものがある。この辺が選者のたくらみか。

九番目、「出会茶屋」の白石一郎作品。深川の金太楼(女将のお品)に勤めるおまちと小藩藩士の土橋市太夫。ひょんな事から知り合い、上野広小路(不忍池)の出合茶屋「喜仙」で密会する仲となる。ところが、突然おまちが卒中に。慌てた土橋市太夫のその後の顛末。「喜仙」の主仙蔵(=竹蔵)と金太楼の女将のお品によって作り出される「しっぺ返し」。人間、岐路に立ったときの取捨選択は大事なんだね。

十番目、「母子かづら」の長井路子作品。不条理と解っていても、人は時としてそれを選択してしまう。「だから、人は美しく、愛しい」とはいうものの、「奇妙な重苦しさ」は変わらない。「お前もまた、そういう運命に旅立たなければならなかったのだね」と否応なしに納得したぬいであった。

 どれが、良かったか。それは、個人的な好みの問題だし、作品によっても相当異なるから、ここであれこれ比較して言うのは止しておく。ただ、やはり短編、或いは作品の一部ともなれば、どうしても「この後はどうなるのだろう」と考えてしまう。その辺は編集者の(これをきっかけにして読ませようという)企てなのかもしれないが、やはりあまりにも短すぎて「不満」が残る読書だったということだけはモノ申したい。

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無言殺剣 火縄の寺

2014年01月06日 11時14分47秒 | Review

 鈴木 英治/中公文庫

 この本の前段には「大名討ち」という話しがあるようで、その続きである。「久世の殿様、豊広」を討ってから、その依頼主の井上収二郎に(口封じで)狙われて、返り討ちにした後から、この物語は始まる。そもそも、主人公は「音無黙兵衛」というふざけた名前で、一言もしゃべらない。ではこの無口の主人公の代わりに誰が喋るのかと言えば、古河のヤクザ郡兵衛一家の末息子伊之助である。伊之助がいつから黙兵衛と一緒に居るのかよく解らないが、とにかくこの二人は一心同体で動き回る。黙兵衛のテレパシーは何故か伊之助だけよく聞こえるのである。 

 今回は、古河から江戸へ出て来て、伊之助と黙兵衛は善照寺を隠れ家にして江戸に潜伏。伊之助は二人の兄がやっかいになっている辰蔵一家を訪ねてみる。当初から「草」と称する黙兵衛達を付け狙う忍者が登場する。頭は鵜殿陣三丞、博造、弥吉といった連中で、この草を放っているのは荒垣外記という使い手であった。

 井上収二郎の家臣達も黙兵衛達を追っている。収二郎の妻おひさ(父・千宏屋河右衛門)を筆頭に杉浦、渡辺、江原、高木、長井といった家臣が続く。香西寺という廃寺に仕掛けを作り、黙兵衛達を誘い込む作戦を立てる。しかし、大方黙兵衛に見破られ、火縄も活躍することなく大敗してしまう。さらに、辰蔵一家の裏切りがあってから、国に帰ることになった伊之助の二人の兄。しかし、伊之助の予感は当たり、隠れ家(善照寺)が草の知るところとなる。善照寺の戦いは第二のクライマックスで、お題の「火縄の寺/香西寺」より、こちら(善照寺)の方がよほど迫力がある。

 「無言殺剣 火縄の寺」は、「郷四郎 無言殺剣シリーズ」と言って10冊ほど書いている中の、「大名討ち」に続く2冊目の作品である。鈴木さんはどうも、廃寺の仕掛けが好きなようで、境内に誘い込んだら出られないように塀を高くして、更に「落とし穴」を作るというのが定番であるらしい。今回はそれに火縄銃が登場して来るが、実の所全く安心して読んでいる。というのは、主人公は無傷で必ず勝つことになっているからである。その辺がちょっと勧善懲悪で甘いところなのだが。

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