つむじ風

世の中のこと、あれこれ。
見たこと、聞いたこと、思ったこと。

山嵐

2015年08月30日 11時23分15秒 | Review

 今野 敏/集英社文庫

 小説として読み始めたが、講道館の加納治五郎が出てきたので、これは実話系の小説なのかと改めて考え直して読んだ。柔道に特段の思い入れがある訳ではないが、加納治五郎くらいは承知している。ということは、主人公の「志田四郎、保科四郎、西郷四郎」は本物か?

読み終わってから「志田四郎、保科四郎、西郷四郎」を調べてみた。講道館四天王の一人で本物だった。この本に記載はないが、小説「姿三四郎」のモデルとなった人物らしい。つまりお題は姿三四郎の「山嵐」であり、「小説・西郷四郎」ということである。著者の作品ジャンルはかなり幅広く、中でも以前読んだ「義闘―渋谷署強行犯係―」といった警察モノが多い。そんな中で「伝記」的作品は比較的珍しい。

 時代も時代、会津藩士の誇り、武士のプライド、廃藩置県、そして時代の荒波の中を悩みながら迷いながら懸命に生きる姿がある。人間臭いスポコン小説とでも言ったらよいのか、技の切れもあって爽やかそのものである。

 圧巻は時代小説でいう殺陣に相当する試合、これが話の随所に配置されてなかなかの迫力である。そんな中でも会津藩に伝わる秘伝の「大東流合気道柔術」継承の場面、大陸で李書文と戦う場面の二つが印象に残る。そもそもこの秘伝のところは西郷四郎本人が何か(文書で)残した訳ではなく、今も「謎」とされている部分で、故にいかにも「秘伝」らしい。著者もまた道場を経営する武道家の一人であることから、その殺陣(?)の迫力はリアリティに富み文句無くすばらしい。

 天才的な柔道家としてのサクセスストーリーとはちょっと異なる。希望を持って上京したが学力や身体的条件で夢叶わず失意のうちに沈む。それでも投げやりにならなかったのは、やはり会津藩士の誇りだろうか、またその誇りゆえに講道館の四天王を辞めてまで「馬賊」の夢を追う孤高の男のロマンがある。単なる「山嵐」という技の完成の話ではない。おそらくこの辺が「姿三四郎」と異なる点ではなかろうか。




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殺しのトライアングル

2015年08月29日 10時38分35秒 | Review

 十津川警部シリーズ
 西村京太郎/ハルキ文庫

 2001年5月18日初版。困ったもので、十津川警部と言えばどうしても愛川欽也さんを連想してしまう。定着したといえばそれまでだが、本で読んでみると多少の違和感も無いではない。

人探し
その1 三木めぐみ(22)、父・豊広(銀行員)、母・治子   国立市
    沼田警察署水上町交番 青木巡査長
その2 山西ひろみ(21)、父・康成
    長野県警察署草津町交番 井上巡査、土井巡査長
その3 広瀬(山口)香織(23)、姉・千鶴
    渋川警察署 伊香保町交番 白井巡査

 いずれも東京からの旅行者で、女の一人旅。それが何故か「水上、草津、伊香保」で行方知れずとなる。「水上、草津、伊香保」の三点がトライアングルということらしい。結末が解かってしまえば何のこともないのだが、こじつけが過ぎてリアリティに欠ける。サスペンスの面白さは「さも有りそうな」ことにあると思うから、その意味では「まさしく作りものである」ように見えてしまうのは残念という他はない。この辺は好き勝手なことを言う評論家とは違って、シリーズモノの難しさということになるのかもしれないが、それにしてももう少しミステリアスな部分が欲しかった。大袈裟な「殺しのトライアングル」なんてお題ではあったのだが。


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ノボさん

2015年08月28日 17時55分49秒 | Review

 伊集院 静/講談社

 2013年11月21日初版、2013年12月9日第二刷。Sub Titleが「小説 正岡子規と夏目漱石」。日本文学の黎明期に名を残している人がたくさん登場する。最初は「ノボさん」から始まる。なにやら漱石の「三四郎」のような雰囲気で話が展開してゆく。実際、私は正岡子規の作品にほぼ触れたことが無いので、「ノボさん」≠「正岡子規」であり、まったく新しいイメージを持って読み出した。自分としては、読み進むにつれて「ノボさん」=「正岡子規」になってゆくところが実に新鮮だった。

 この作品を読むと、日本文学の黎明期が正岡子規を中心にして形成されたようなイメージになるが、それは満更誤りでもないような気がする。この頃の正岡子規を中心にした人々の関係がよく解かる。それが故に逆に等身大の正岡子規という人物を前後左右から立体的に際立たせることになっている。但し、あくまでも「小説」であるから、イメージに誤解があるかもしれないが、これほど正岡子規を身近に感じたことはない。

 正岡子規と同じようにベースボールに夢中になり、小説を書くことに憧れ、羨望した著者だからこれが書けたような気もするし、正岡子規の心情にもより深く寄り添うことが出来たのではないだろうかとも想像する。俳句の世界を我武者羅に真直ぐに走り続けた正岡子規。まだまだやりたいことがたくさんあったであろう彼が前のめりに亡くなったのは明治35年9月19日の未明、36歳の初秋であった。上京してベースボールに興じる二十歳の正岡子規が16年後にこんなことになるのを想像することは出来ない。

夏目金之助(漱石)
森 林太郎(鴎外)
高浜 清(虚子)
藤野 潔(古白)
与謝野(鳳)晶子
正岡 升(子規)・・・・ノボさん


 

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犯罪のオモテと裏

2015年08月15日 10時47分34秒 | Review

 牧 義行/テレビ朝日

 1995年12月18日初版。ヤメ検を地でゆく弁護士が著者。15年間の検事生活とその後の弁護士生活からオモテに出た部分とその裏の部分を振り返る。「ヤメ検の回想録」のようなもの。実の所事件そのものを詳細に解説しているわけではない。どちらかといえば要点解説的なものである。そして常々感じることは本人(著者)の視点、考え方、そしてあるべき姿(こうあるべき)である。

 押し付けがましいというえばそんな気がしないでもないのだが、善良なる市民感覚としては大方賛同できる内容ではある。人が人を裁くという矛盾というか不条理の深刻さが窺われる。ただ、世の中奇異なことが多く「何でそんなことが?」ということに対して矛盾を感じながらも法律家としてその解釈に努めるところが興味深い。

・法治国家における超法規的措置
・勝新太郎事件
・松本サリン事件
・豊田商事永野会長刺殺事件、オーム幹部村井刺殺事件
・オーム事件

・罰金は物価スライドしない=裁判の長期化は被告の得
・無期懲役=14~15年で出所する
・スパイ罪(内乱罪、外患誘致罪)は(人を殺さなくても)死刑になる

 それなりに年齢を重ね世の中を見てきた当方として、今更ながらそれは「検事であれ、警察であれ、マスコミ、Net民も含めて」人のやることの不確実さを感じない訳にはいかない。人のやることだから誤認も誤解もあるだろう。だからこそ常に襟を正し、組織内でモミ消したり、必要な事項に目を瞑ったり圧力に屈するようなことがあってはならない。しかし、市民感覚のズレた判官(判事)が神のごとく全てを見通し、罪の全てを測り、裁量を下すことの傲慢さが恐ろしい。




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告発者

2015年08月06日 12時05分19秒 | Review

 江上 剛/幻冬舎文庫

 2014年6月10日初版、2014年7月31日第二刷。またもや「銀行モノ」。「カネと権力」の話は「銀行モノ」にかぎると言わんばかりの典型小説。今回は広報部の若手、関口裕也が主人公。ちょっと浮き上がってしまうのを懸命に抑えてのヒーローだ。合併後の中の出身行による派閥と覇権争い。さもありなんという情景が延々展開される。

 実際、銀行をモデルにしているが創業者一族の経営にしろ、合併統合にしろ、人の集まるところ似たような派閥、覇権の争いは常々付き物だといってもよいくらいで、何も銀行だけに限らない。近々では大塚家具の父娘による経営方針の違いによる会社を二分する争いがあった。東芝歴代社長の権力闘争とそれに伴う会計不正処理などもあった。口では株主優先だとか、顧客第一だとか言いながら全く違う所に全神経とエネルギーを費やしているのだから笑ってしまう。グローバル企業がとんだローカル企業だったりするのだから面白い。しかし、銀行というのはその社会的使命から言って矛盾と乖離の典型であることは確かだ。そこに爽やかな風を吹き込むのが今回の主人公。

 銀行の「貸し渋り、貸し剥がし」に会ったグローバル・エステートの進藤継爾社長、自殺未遂で植物化してしまう。大東TVの記者木之内香織は実は進藤の妹だった。復讐を誓った香織の捨て身の反撃はハニートラップだった。ちょっとこの辺は創作過多でリアルさに欠けるが、元行員という著者の経歴もあってかなかなか読み応えのある468pだった。解説者山田厚史によれば「沈黙の羊たちに奮起を呼び掛ける一冊」であるらしい。




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いねむり先生

2015年08月01日 11時36分05秒 | Review

 伊集院 静/集英社

 2011年4月10日初版、2011年4月30日第二刷。エッセイ風回顧録。嫁を亡くしてからの当面の生活、心境を「いねむり先生」との付き合いを通して語る。KさんやIさんも登場するが、伊集院さんにとって「いねむり先生」との出会いは特別のものだったようだ。
 思うのだけれども、先生は特別なことは言わないけれど「鏡」のような人で、先生と付き合うと自分の気持ちや、いやな自分、内面のすべてが投影されてしまうようで、喜び哀しみといった心境の変化も何故か素直に受け入れられる。先生は観音様か仏様なのかもしれない。

 持てるものすべてを失ってもモガキながら何とか生きている。KさんやIさんの包容力もあるけれども唯一心の支え、生きる張りは「旅打ち」だけ。先生と「旅打ち」しているうちに何かが溶け出して、自分を振り返って見ることもできるようになった。(先生は「鏡」のような人だから)

 しかし、先生にしても他の登場する方々にしても伊集院さん自身にしても人はどうしてこうもモガキながら生きねばならないのか、「大人の流儀」や「別れる力」とは違う赤裸々に語る伊集院さんの人生の一時期を凝縮。この頃すっかり書く気力も失せていた小説も、その後「浅草のおんな」で復活、「人生、捨てたもんじゃあないよ」ということで、今後の作品に期待したい。



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