つむじ風

世の中のこと、あれこれ。
見たこと、聞いたこと、思ったこと。

神田八つ下がり

2013年10月03日 19時00分32秒 | Review

-河岸の夕映え-
 宇江佐真理/徳間文庫

  2005年6月15日発刊の初版。以下の6編が集録されている。著者の文庫本は大方文春文庫なのだが、これは何故か徳間文庫である。

・どやの嬶(御厩河岸) 神田須田町の和泉屋の娘おちえと舟宿「川藤」のお内儀のこと。
・浮かれ節(竈河岸) 幕府小普請組、三土路保胤の暮らし。
・身は姫じゃ(佐久間河岸) 和泉橋の橋の下の姫(敏子)と伊勢蔵・おちか夫婦の話し。
・百舌(本所・一つ目河岸) 藩校「稽古館」の教官を退いて江戸で暮らす
 横川柳平と津軽の常盤村で 暮らす実姉おひさのこと。
・愛想づかし(行徳河岸) 居酒屋に勤める出戻りのお幾と魚河岸で人足として
 働く(三枝屋の息子)旬介との暮らし、そして二人の別れ。
・神田堀八つ下がり(浜町河岸) 貧乏旗本の冷や飯食い青沼伝四郎とその将来を
 心配する薬種屋「丁子屋」の菊次郎、町医者佐竹桂順の話し。

 ここに集録された6編は、すべて「河岸」を背景にしている。河岸にちなんだ小品とでも言うのだろうか。江戸は運河(堀)の町なので、他の作品でも何かにつけて「河岸」は出てくる。従って特別に珍しい訳ではないが、著者にとって、何某かのこだわりがあったのだろう。

 自分の我が儘、思い違い、勘違い、期待や羨望、情けなさ、悔しさ、惨めさなど、人生がいかにままならないものなのか、じっくり読み聞かせる話しだった。一話一話が形容し難い作品なのだが、「どやの嬶」では何不自由なく我が儘に育ったおちえが舟宿「川藤」のお内儀の胸の内を知り、自らを振り返える。そして覚悟を決める成長過程が何とも言えない。「浮かれ節」など、閑職サラリーマンを彷彿させるような身動きままならない話しだった。そこで鬱になったところで、「身は姫じゃ」でほのぼのした話しが入る。「百舌」では思いもよらない周囲の人々の思いが今頃になって身に染みてくる。「愛想づかし」の「お幾」は何とも哀れだった。

 「神田八つ下がり」は、実は「おちゃっぴい―江戸前浮世気質―」の続編なんだとか、物語として続き物ということではないようだが、同じ登場人物がいるという点で、続編もどきになっているようだ。それを知っていたら「おちゃっぴい」を先に読んだものを、ちょっと残念なことをした。

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