内田康夫/徳間文庫
1989年10月15日初版。1993年10月10日第20刷。久々の浅見さん登場。この作品はシリーズで言えば115冊あるうちの初期の作品。読んでみるとなんとなく初々しい。この作品は東京、福島、鳥取を背景にする。そして今回の話しの謎めいた小道具は「根付」。江戸時代の飾り職人ならわかるが、今時商売として根付の製作が成り立つものかどうか、それはともかく、「美濃路殺人事件」で「和紙」が、「竹人形殺人事件」では竹人形がそうであったように、今回は「根付」が話しを成り立たせる。どんなものにせよ、歴史ある古いものは何となく不思議な魅力があるものだ。
面白かったのは、柴山亮吾に言わせた「高村光太郎・智恵子」論である。別段「高村光太郎・智恵子」の遺した作品をたくさん読んだわけではないが、今まで断片的に映像化されたものを折に触れて見てきたイメージからすると、かなり偏屈なというか、独自な視点で見ているように思う。教科書にあるようなキレイで表面的なものの裏に、実は精神的な苦痛、苦悶、独善といったようなものが渦巻いているような気配が伝わってくる。そしてそれは結構納得できてしまい、「高村光太郎・智恵子」に対して、既存イメージの変質を余儀なくされたことは確かだ。
ラストシーン、光光コンビのやりとり
高村光太郎の「人に」は、誰でも聞いたことくらいはあるだろう。このあまりにも有名な詩をストーリーに織り込んで、最後の最後まで徹底的に利用する著者のしぶとさには感嘆する。ここまで来ると、それとわかっていながらもそれを楽しむという古典落語的「面白さ」である。いやまったく。
松村善雄さんの解説
その中に「推理小説は「殺人事件」をテーマとする」というのがある。なるほど、毎週毎週~殺人事件が起きるはずだ。こんな大前提があったとは知らなかった。更に「推理小説は健全文学である」というのは「イギリス人の老後」という話を聞けば判るような気もする。しかし、決して不健全とは言わないまでも、ちょっと違うような気がしないでもない。
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