素盞鳴尊
此大神は天明六年丙午年(1786)五月吉日辰日旧幕府地頭猪子佐太郎氏の信仰に基き尾張国海東郡津島町に鎮座の(現今県社)津島牛頭天王宮(つしまごづてんのうぐう)の御分霊を当所字東側現今県道の中央へ*市神の**崇敬し三鎮齊し維新までは津島牛頭天王奉称して明治四年(1871)より当所西側境内六坪の地に移転し無格社にせられ社号を八雲神社改称し明治二十三年(1890)当所大火の節旧殿は焼失し仝年七月信徒の寄附金を以て現今の社殿再建し今般神社の崇敬上設備完全を期するため村社菅谷神社境内に移転および社号改正の儀を明治四十年(1907)五月九日付を以て埼玉県知事の御許可を得て社号津島神社と改正の上同年七月拾四日に移転祭執行す
『菅谷神社及境内神社公認経歴』(菅谷神社)より
*文字は「伊」(い)であるが、「江(へ)」の誤記として改めた。
**「乃」の文字から「の」としたが「市神の崇敬し」では意味不明。
参照:津島神社については、愛知県津島市のHPから「津島神社」、津島市観光協会HPより「尾張津島天王祭」。