サイババが帰って来るよ

Count down to the Golden age

エゴを払拭して世界を変える

2015-09-30 00:00:03 | 日記
私たちの認知している世界のすべては、実は私たちが創り出しているといわれていますが、それには例外が一つだけあります。
外から人間の中に入ってくるものが一つだけ存在するのです。
それは、外的な対象物に執着することによって発生するエゴです。
この世俗的な欲望を切り取ってしまえば、エゴは自動的に消滅します。
外界から受けた印象を自分の中に取り込んで、それを真実と見なしてしまうのは有害です。
人間は外で見たものを自分の中で複製して作り出すことができるので、自分が再び創ったと勘違いするからです。
ところが、実は、外界で見るものは、すでにその人の中にある(アートマ)の記憶を呼び起こすだけなのです。CWSSBp110

ポニョ:以前、霊界って零かい?なんてふざけたタイトルの記事を紹介したけれど、その中で面白かったのは、霊界ってそれぞれの亡くなった人が創り出している想像の世界やってことや。

ヨシオ:本来の世界は創造主ブラフマンが創造した世界があるんやけれど、一人ひとりの人間はそのブラフマンの雛形なんや。聖書にも、
主は自らの形に似せて人を創られた。という記述があるやろ。人は神様と同じような創造のパワーを持っているので、自分なりの霊界を創り出す事が出来るんや。でも悲しいかな、人は霊的に進化する過程で、牛や犬や羊などの動物から生まれ変わって来ているから、動物的な獣性をその魂に刻み込んでいるんや。だから、自分で自分の霊界を創り出す時に、本来のブラフマンが創造した世界とは違う、歪んだ世界を創り出してしまうんや。

ポニョ:だから、ババは獣的な性質を取り除くことが、人として生まれた大きな課題やと言っておられるんやな。

ヨシオ:もし、その獣的な性質を自分の中から取り除けたら、人が創り出す世界は全くブラフマンと同じ愛の世界になるんや。ところが獣的な性質を持っているために、この世界は愛で満たされているのに、それが見えずに目の前に繰り広げられるいろんな事件や出来事に、自分の思いや感情を上乗せしてしまうんや。そして自分は、それは好きだとか嫌いだとかという好き嫌いの感情をこの世界に投影して、自分なりに色付けした世界を創り出してしまうんや。その結果、執着、憎悪、溺愛、欲望などを自分の性格の中に取り込み、それがカルマの因子を創り出して自らの霊体に刻み込み、生まれ変わる原因となるんや。だから、自分が見たり聞いたりした自分の外側にある対象物を、執着心などによって自分に取り込んで、エゴを発生させない事が大切なんや。その為には、自分の周りにあるもの全てを、移りゆくもの、過ぎ去るものであって、一時的でいつかは、消え去るものという思いを持ち、それに対して欲望を持たぬように努力しなければならないんや。そのように、努力して行けば「私」「私のもの」というエゴも影を潜めて行くようになるんや。

エゴはどこから生まれるのでしょう。
どうしていつもエゴに悩まされるのでしょう。
人間の持つ無知によってエゴが起こります。
~宇宙の大きさが分かっていたらエゴなど起こるはずはありません。
宇宙はどれほど大きくて、自分はそれに比べてどれほど小さいか忘れてしまったときに浅はかな考えが浮かぶのです。SGc31

ポニョ:でも、この世の中に生きている限り、物と常に付き合って生きて行かなければならないから、難しいぜよ。例えば、バイクや車が欲しくて買おうとした場合、どうしてもそれに執着してしまうぜよ。

ヨシオ:その場合でも、例えば車が欲しいという欲望が湧いて来たら、その車の良いところだけを宣伝してる広告物を見るのではなくて、その車をすでに所有している人たちのうち、あまり良くないとコメントしている人たちのレビューを見ると、だんだんその車に対する情熱が冷めて来て欲望が無くなって行くやろ。そんなふうにして欲望をコントロールしながら毎日の生活を送って行くと、欲望に裏付けされたエゴが頭を持ち上げなくなって、平安で落ち着いた人生を歩むことが出来るんや。

ポニョ:欲望や執着に裏打ちされたエゴか…。ってことは、欲望や執着を抑えればエゴも自然に無くなって行くってことなんやな。

ヨシオ:その欲望や執着は一体どこから来るかと言えば、それは無知からなんや。つまり、自分の周りにあるもの全てのものは全ては神で、その神が自分自身であるにも関わらず、それらのものを自分から分離した物と見做してしまう事なんや。

ポニョ:自分は神で、全ては自分なのに、それらを神と見れずに自分から離れた物と見做して、それらに対して欲望を持ち、手に入れた後もそれらに執着するってアホやぜよ。それを無知や無明と呼ぶって本当にその通りやぜよ。という事は、無知が欲望や執着の原因で、エゴは、その欲望や執着から派生してるって事なんやな。という事は、無知の闇を英知の光で照らし出したら、エゴが消え去り、人々が「私」「私のもの」という思いが消えて、お互いを兄弟姉妹のようにいたわり合って生きて行ける、理想的な社会を作れるって事になるよな。

エゴと執着を取り除かない限り、人生で何かを成し遂げることはできません。
謙虚さと忠実さがあれば、どんなことでも成し遂げることができます。
道徳、霊性、肉体、さらには政治といった人生のあらゆる領域において、人は献身的に振る舞わねばなりません。
そのとき初めて、成し遂げた仕事が栄光のうちに輝くことでしょう。17/2/07

ヨシオ:その無知を取り除く為に、ババは神の化身としての一生涯を費やして、人類を啓蒙されて来られたんや。

ポニョ:ババの御講話だけでも、すごい量やもんな。おいらも、少しずつ読んだけれど、しばらくすると何を読んだかさっぱり覚えてないことがあるぜよ。おいらは記憶力は良い方なんやけどな。

ヨシオ:ババの講話を読んで、心に触れる言葉があればどんどん、マークを付けて行って、後でそれらの言葉を抜き書きして行けば心に残って行くやろ。また、問題意識を持ってババの教えに接すればもっとハートに教えが響いて来るやろな。でもババの言葉は、その時に話す人たちの霊的なレベルに合わせて変わって来るので、その御言葉を一体誰に、どのような状況で言われたのかを吟味して読まないと、あの時に言われた言葉と、この時の講話で言われたことが矛盾してるとか、御自分で言われたことを、また違う講話で否定されているとかと言って、自分で自己矛盾に陥ってババを疑うようになり、ババから離れて行った人が少なからずいるよな。

ポニョ:そういや、おいらの周りにもいたな。

ヨシオ:ババが言われた言葉をその言葉としてだけ捉えて読めば、さっきも言ったように人や状況に応じて違うアドバイスをされるので、矛盾を感じて疑いの心が湧いてくる人もいるけれど、ババの話をハートで読めば、自らの心に響い来て、それがやがて自分の良心の囁きとなって自分に返って来るんや。つまり、ババの言葉がだんだん自分の言葉になって行くんや。それは、「私」「私のもの」というエゴを少なくして行けば行くほど、顕著に現れて行くようになるんや。

ポニョ:ババも、一人ひとりの帰依者が私の真似をして、神である私のようになれるために、人の姿を取ったと言っておられたよな。そういや、聖者ラーマクリシュナさんは、ハヌマンの事を思い過ぎて、ハヌマンのような尻尾が生えて来たもんな。それってすごい集中心やぜよ。でも、どうやって尻尾が生えて来るんやろな ?ラーマクリシュナさんの心が綺麗で、そのマインドパワーの集中力によって、自らの霊体に変化を来たせて、それが肉体に影響を及ぼさすことが出来るんやろか?

ヨシオ:人の持っている信仰心は、人を神に変える力を持っているんや。特に人が持っているイメージする力、想像力は、ブラフマンが宇宙を創造した力と一緒で、心を神の思いで満たし、エゴを払拭すると、その人のマインドパワーは世界を変える事が出来るんや。ババがリシケシュのあるアシュラムに行かれた時に、そのアシュラムの僧侶は、アシュラムを維持する為の費用を捻出するために、奔走して本来の霊性修行に割く時間を削っていたんや。ババはその僧侶にこう言ったんや。「あなたは、エゴで汚れていない心を持っている数人の聖人がいれば、全世界を変えれるという事に、まだ気付いていないのですか?」と…。

あなたが聖なる英知の炎を見ることができないのは、エゴがあるからです。
エゴはどのようにしてあなたの心に入るのでしょう?
それは、あなたが真実の道を手放したときに、あなたの心に侵入するのです。
あなたが、真の自己を知らずに、世俗的な思いや感情を育てるときに、あなたは利己的になります。
エゴを取り除くには、世俗的な思いや感情をコントロールしていなければなりません。
エゴを取り除かないままに英知を獲得することはできません。
アートマ(真我)のまばゆい光を見るには、心を覆っているエゴというすすを取り除かなければなりません。23/1102
リシケシュに行かれた時のババです

こちらもどうぞ
「ええ子はエゴが無くエコ人生」
http://blog.goo.ne.jp/saiponics/e/01db408e01609427ec96d9cc8b94c372


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