サイババが帰って来るよ

Count down to the Golden age

地震で自信が出来た(上)

2017-01-17 16:00:06 | 日記
愛は社会への奉仕という形で表される必要があります。
愛は、他の人々に捧げ、他の人々と分かち合わなければなりません。
そうすることで、愛は互恵的な、絶えず拡大していく体験となるのです。24/11/87

ポニョ:あゝイヤダイヤダ。気になるニュースが入って来たぜよ。トランプがイラクやアフガニスタンに攻め入ったのはアメリカ史上最大の間違いだったと言って認めたけれど、同じインタビューで、ロシアがシリアでテロ組織に対する爆撃で人道問題が発生したとロシアを非難し始めたんや。報道が間違いであれば良いけれど、そうじゃなかったら世界は平和から程遠い所に置かれるぜよ。

ヨシオ:でもキッシンジャーがロシアとアメリカを仲良くさせて、中国とロシアの関係にクサビを入れたいって言ってたやないか。その画策はどうなったんや。

ポニョ:トランプの次期国防長官は中国にも強行姿勢を取ると表明したんや。これらの表明が本当だとすると、世界はとてもやばい方向に向かっているぜよ。

ヨシオ:一度思いっきりやばい状態にならないとサイババさんが帰って来れないやないか。だからそれらのニュースは良い事なんや。ポニョはカリカリ来すぎや。もっと落ち着けや。パンダと写真を撮るみたいに。


ポニョ:はいはいそうですね。よく分かりましたでござる。イライラ。でもこの写真自撮り棒で撮ったんやろか?すごい面白いぜよ。

ヨシオ:ポニョは普段ニコニコしているけれど、カリが来やすいもんな。昔の俺とそっくりや。

ポニョ:さて今のおいらの精神状態と反対やけれど無理して今日の話題に入って行けば、全てのものの中に神様を見るという霊性修行はとても良いな。毎日いろんなものに神を見る事が出来るようになっていくんや。普段今まで何気なく見ていたものでさえ、神聖なものに見えて来るし、以前誰かと話していた時に、その時はそれほど気にしていなかった言葉が、今になって思い返せば、「ああ、あの時にアドバイスしてしてくれたのは、ババさんやったんや。」って思えるようになったんや。

ヨシオ:目の前に神さんがいるのにそれに気がつかないってアホみたいやけれど、いつも謙虚になり、どんな人と話したり会っている時にでも、神さんがその人を通じて話しているんだと注意して耳を澄ませば、その人の言葉の中や、態度、行為を通じて神さんがメッセージを送り届けてくれるのが分かるんや。ババさんがインタビュールームで、「君たちには見えないかもしれないけれど、私から見たらこの世には愛しか見えないんや。」と言われた事がある。この世は創造主が自らを多数にして、その多数になった自分が一つの自分を見、そして多数の自分が、元の一つの自分に戻って行くゲームをして遊んでいるプレイグランドなんや。その多数になった自分の一つひとつの役割はすでに決まっていて、いつ産まれていつ死ぬか、生きている間にどれだけ元の一つの自分に近づけるのか、またその多数になったひとつの自分が自分だと思い込んでいる自分が、どれだけ元の大きなひとつの自分が実は自分だったんだと気付けるかは、すでに事前にセットしてあるんや。でも多数になった小さい自分はそれが自分だというエゴを持っているので、何をやっても、やらなくても全て自分がやったと思い込んで、失敗して後悔したり、逆に成功したりすると鼻持ちならないくらいプライドを膨らませてしまうんや。

ポニョ:その小さい多数の中のひとつになった自分は、何をやっても言ってもそれは、自分がやったとか、自分が言ったとか思い込んでしまうんやな。本当はもうすでに仕込んであるのに。

ヨシオ:仕込んであるって、さすがにポニョの家は小さな食堂をやってただけに、口から出て来る言葉が違うな。料理を仕込んでいるんやないんやで。

ポニョ:そうですかね。仕込みってとても大切なんやで。昔、おっ母が小さな食堂をやっていた時に、いつも朝早くから起きて野菜を切ったり炒めたりして料理の仕込みをしていたぜよ。そういう働き者のおっ母の背中を見ておいらは大きくなったんや。仕込みと言えば今日は阪神大震災22周年やけれど、その日も今日のように寒い日やったぜよ。その頃、おいらはあんたのいるオーストラリアにしばらくお世話になった後、信州にスキーに行ってたんや。そこでテレビやラジオのニュースを聞いて、いても立ってもいられなくなってなけなしの貯金から大枚十数枚を引き出し、昔、店で使っていた包丁を二丁持って神戸に駆けつけたんでヤンス。その前に一体何が必要なのかを現地のボランティアの人に聞くと、下着が足りないと言われたのでニチイで男女二種類の下着やパッチなどをたくさん買ってリュックサックに詰めて持って行ったんや。そして西宮からいろんな人に車やバイクに乗せてもらって、被災地の人たちが避難している幼稚園に三百人ぐらいの人たちがいると聞いてその幼稚園に炊き出しに行ったんや。でも水は断水してるし、料理の仕込みも出来ないので、仕方なく神戸のサイセンターに行ったら、なんとセンターでは水が出ていてそこで炊き出しの準備をしようとしたんや。どういうわけかインド人の人たちは何処かに避難していたのか誰もいなかったので、センターに来ていた日本人だけで仕込みをしたんや。仕込みをする前に先ず何が食べたいかと避難所の人達に聞くと、皆さん暖かい豚汁を食べたいと言ったんやけれど、おいらは菜食やしとても困ったな。でもその当時サイババの帰依者になったばかりやし、まだ時々付き合いで魚や肉を食べていたから、近くの商店に行くと、なんと野菜と豚肉を売っていたので思い切ってそれらを買ってサイセンターに持って行くと、半分ぐらいの人たちが「ここで肉類を調理したらいけない」と言われたので仕込みを諦めていたら、三ノ宮サイセンターの山本さんという方がやってみましょうと言われて仕込みをし、若い男性が小型バンを運転して幼稚園まで連れて行ってくれたんや。そしてそこでお腹を空かせて待っている三百人ほどの被災者に、仕込み終えた野菜を大きな鍋に入れ、その辺の倒壊した家の木材を燃やしてカレーや汁ものを毎日作って炊き出しをしたんや。でも鍋が小さくて百五十人分しか作れなくて、避難している人たちのうちの半分ぐらいの人にしか当たらなかったぜよ。でも毎日、サイセンターの人たちが助けてくれて嬉しかったな。

ヨシオ:じゃあ、サイセンターで寝泊まりしたんか。

ポニョ:いや、サイセンターは料理の仕込みやら食器を洗う為に使わせてもらっただけで、寝泊まりは避難している人たちと同じ幼稚園でしていたんや。でもめちゃ感動したのは、近くの八百屋さんが、炊き出し用に使う野菜を買いに来ている事を知るや否や、どの野菜も全て原価で売ってくれたんやで。それってすごいやろ。

ヨシオ:なかなか出来ないよなそういう事は。でも震災直後によく八百屋さんが営業してたな。

ポニョ:おいらが行ったのは震災からもう二週間近く経ってからなんや。だからあちこちの店が開いてたな。でも狭い通りなんかは瓦礫で埋まって通れないし、ぺちゃんこになった家があちこちにあるし、一階は全壊してその上に二階部分がそのまま乗っている家が多かったぜよ。それにまだ犬を使って行方不明者の捜索もしていたぜよ。おいらは被災者の皆さんと幼稚園に住んでいたけれど、夜は暖房設備が無いのでとても寒かったな。おいらは幼稚園の玄関で毛布を二枚敷いて寝たけれど晩中ガタガタ震えて寝れなかったぜよ。気温が二度まで下がったんや。お年寄りも小さいお子さんもたくさんいたので可哀想やったな。

ヨシオ:ポニョのようなアウトドア派の人間が寒くて寝れないんやから、普通の人たちはもっと大変やたやろな。

ポニョ:お金が無くなって来たので最後の一食の仕込みをしていたら、東京のサイセンターからも応援の人たちが来て、サイの組織で正式に炊き出しをしますので、ベジタリアンカレーを作って下さいと頼まれたんや。それで帰依者の人たち三人で仕込みをして、指定されたいつもと違う避難所に仕込みをした材料を持って行くと、他のボランティアの人達が三つの炊き出しをやっていて、たくさんの被災者来ていたぜよ。そこに東京から来ている青やんも見かけたけれど、とにかく調理場が三人しかいないので忙しくて会えなかったな。

ヨシオ:別に青やんに会うために行ったわけじゃないからええやないか。でも地震の時は冬やったから寒かったやろな。

ポニョ:被災者のリクエストでカレーや暖かい汁ものにしたんや。でも今でもサイの帰依者になっているのに豚汁を作ったことが良い事やったかなと悩むんや。

ヨシオ:俺が被災者やったら飢え死にしても肉類は食べないやろな。大体俺は一週間や二週間断食しても平気やから。

ポニョ:あんたが食べるか食べないかではなく、おいらが豚肉や魚を炊き出しに使った事なんや。被災者が豚汁を食べたいと言っているから、そのリクエストに応えて作ったんやぜよ。

ヨシオ:ポニョが心からそうしたいと思えば、神さんにその行為を捧げてやればええやないか。俺はそういう事は嫌やから、ポニョとは別に菜食の炊き出しをするやろな。人それぞれ違うからどっちでもええやないか。飢え死にしそうになっている人に取り敢えず食べてもらうんやから。なんでそんな事で悩むんや。それにクリシュナやシルディババ、キリストさんも肉や魚を食べておられたし、ラーマクリシュナさんも好物は魚のカレーやったんや。サイババさんも肉食は霊性修行者には良くないけれど、肉体労働やスポーツをしている人は食べても良いと言っておられる。最近亡くなったフィリスクリスタルさんもサイババさんから魚を食べなさいと言われたんや。もちろん俺はサティアサイババの帰依者やから、サイババさんが「肉食をする人、酒を飲む人、ギャンブルをする人は私の帰依者ではない」と言われたから、飢え死にしても肉や魚を食べないし調理も絶対にしないけどな。

ポニョ:あんたはそういうキャラやもんな。でも被災者のお子さんが、お茶碗に小さな口を付けて美味しそうにおいらが作ったカレーを食べる姿を見て嬉しかったな。幸せな気持ちが心の底から湧いて来るんやで。ジワーッと。サイババさんが奉仕は自分の為にするって言われたけれど、本当にそうやなって思ったぜよ。特にみんなから美味しかった。ありがとうって涙を浮かべながら言われた時は、まるで自分が天使になったような気がしたぜよ。

ヨシオ:ポニョが天使になるって、ポニョ天やな。

ポニョ:ポニョ天って…あのね天丼を食べてるんやないんやから、縮めて言わないでくれますか。それでその時に思った事は、ババさんが言われたように奉仕って人様のためではなくて、本当に自分の為にやっているんやなって感じたぜよ。ここで最近見つけた興味ある記事を紹介しようかな。このお医者さんはミャンマーで一万人以上の子供たちの命を救って来たんや。しかも無償で働いてるんや。すごい人やで。このお医者さんはこんな事を言ってられるんや。

僕らが幸せになる方法ってたった一つしかなくて、周りを喜ばせる以外ないんですよ。

人を幸せにできる人間ていうのは、自分が幸せな人間だけです。ただし、自分が幸せになる方法は、他人を幸せにするしかない、他人を喜ばせるしかない、という。

だから、僕がやってることは、自分のため。だって僕は、ミャンマーの人たちから「助けてくれ」って言われたわけでもなんでもないんです。僕は彼らの現状に我慢できなくて、この現状を変えたいと思っているからやっている。それをやることによって、彼らが感謝してくれる。そのイメージが追加されて、今の僕があるんです。だから、続けることができるんです。


また、死についても

自分の背中を押すには、自分の生を死から逆算するしかないですね。死を感じない生なんて密度がない。僕ら医者は、目の前で多くの他人が死ぬ経験をするんですが、自分には(死が)訪れないと思いがちなんですね。

でも僕は、人が死ぬたびに「明日は自分の姿」と意識しています。だから、今日やれることはやろうと。それが自分の人生を生きたことになるから、という意識です。

若いからって、自分の死が遠いっていうわけでもないと思うんですよね。三十何歳くらいでガンになって亡くなられている方も多いですし、突然の事故死もある。実際に友人2人を事故で亡くしてます。ですからやっぱり、「私が今できることってなんだろうか」っていうのを毎日考える。そういうことができるようになると、自分の背中を押すことができると思うんですよね。

http://hrnabi.com/2016/05/17/10952/より引用しました。

ヨシオ:ふーん。偉いお医者さんやな。

知識を用いて人類に奉仕することは医師の義務です。
~サイ病院の医師は、神の御手に使われる道具である、という感情で働いています。23/1/94

ポニョ:そうやろ。そういう困窮しているところに直接行く人ってやはり顔つきが違うよな。顔つきと言えば、普段はあんたの顔みたいに怖いイメージしかない、近くの山口組の会長の家の井戸が一般に開放されていて、みんなそこまで行って水をもらいに行ってたぜよ。いつも長い行列が出来ていたな。

ヨシオ:普段はヤクザの御殿の前を通っても、こんな豪邸を建てやがって、悪い事をしてこれだけよく金を巻き上げやがったなとか思いながら白い目で見ていた組長の豪邸に、水をいただきに上がりました。ありがとうございます。とかなんとか言って入って行くって面白いよな。人って見かけで決めたらいけないんやで。

ポニョ:見かけと中身が一緒な人を私は知っている。

ヨシオ:さっきからうるさいっちゅうに。

人に奉仕をする事によって利己心は無くなって行きます。
思いを良い行いをすることに向ければ、心は内心のおしゃべりから遠ざかるのです。VVc18
https://m.youtube.com/watch?v=6bdlaVW1yVM
























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