サイババが帰って来るよ

Count down to the Golden age

それからのラーマ【10】

2015-12-22 00:00:02 | 日記

ポニョ:前回はクリシュナがバガヴァッド ギータの中でどの様に悪魔について述べているかを紹介しました。

ヨシオ:もう悪魔の話はやめようぜ。いつまでやったら気が済むんやポニョ吉は。

ポニョ:飽くまで悪魔の話をしたいけれど、あくまで今日限りにしとこか?さあというわけで今日の話のカーテンが開くました。

ヨシオ:ちょっと訛ってますよ。何が開くましたや。

ポニョ:前々回のラーマの話でおいらが重い白かったのがラーマの次の話や。

彼らの心は、欲望、怒りと他の情熱の発祥の地です。彼らは両親や師または年長者を無視します。彼らは「良い人物」または「神」に対して言及する事を、非常に嫌悪します。彼らの知性は鈍いのです。彼らの行為は不埒(ふらち)そのものです。彼らのような人間を、将来やって来るカリユガという時代で大量に観察することが出来ます。

ヨシオ:カリユガという時代で大量に観察出来ますってとこか?確かに面白いよな。ラーマの時代はトレタユガでその前がクリタユガと言って、天国にいるインドラ神が率いる天使軍団と地上にいる悪魔軍団が真っ二つに分かれて大戦争をした時代やな。

ポニョ:その頃、善と悪が大きく二つに分かれていたんやろ?そしてラーマの時代になると天国と地上の戦いから。同じ地上にある二つの善と悪の戦いになって、次のドワパラユガになると、同じ国の中にある善と悪の戦いになり、最後においら達が今生きているカリユガでは、一人の人間の中での善と悪との戦いになって来るんやったな。でもどうしてそんな風になるんやろうか?最初は綺麗に善と悪が分かれていたのに、だんだん混じって来るんやろかな?面白いよな。

ヨシオ:創造主ブラフマが世界を創られた時は、たった一つで安定し、至福に満ちていた存在を、自分自身を自分自身で見ようと欲したんや。だから一つであるはずのものが二つになったんや。それが陰と陽、ポジティブとネガティヴ、プラスとマイナス、オスとメス、そして善と悪に分かれたんや。それがだんだんポニョが言った様に混じり合って、カリユガになれば一人ひとりの中に善と悪が入ってしまう様になったんや。

ポニョ:何度考えても面白いぜよ。おいらが子供の頃ひょっこりひょうたん島という人形劇がやっていたやろ。その中に博士というのがいて、生水を海水から作る方法を見つけたんや。それは海水って塩水やから、砂糖をいっぱい入れたら中和されて生水になるって話やったけれど、それと同じ事やぜよ。だって、塩と砂糖に代表される善と悪が最後には混じり合ってカリユガに突入するんや。

ヨシオ:どこが一緒やねん。そんな例を持って来ても何にも意味が無いやないか。

ポニョ:そのひょうたん島の話のオチは、ドンガバチョがその水を飲んで、辛い辛い甘い甘い病になったんや。はっはっは。

ヨシオ:どこが面白いねん。まだ頭脳発育指数は子供のままやなポニョは。というわけでラーマは人々を集めて貴重な講話しましたが、今日はその紹介です。

ある日、ラーマはアヨーディアの市民たちが教師たちやバラモンと一緒に、宮殿に集まるように望みました。彼らはダルバールホールで一堂に会し、快適な座席を提供されました。ラーマはホールに入って来て、彼らに次のような講話をしました。:

「市民たちよ!教師たちよ!そしてバラモンたちよ!今から私が話す事を心を落ち着かせて最後まで聞いてください。私はプライドや利己的なうぬぼれでもってあなた方に話そうと思っているわけではありません。また、私があなたの君主だということを宣言しようとしてるわけでもありません。また、あなた方を悪の道に引きづり込もうとしてるわけでもありません。しかし、あなた方が私の話を聞いた後、それは良い事だと思ったら、是非私が指し示した道を歩んで下さい。でも、あなた方に一言言っておきたいのは、私にとって、私自身の言葉を忠実に守る者達だけが親しい者となるのです。そういう人たちは私の兄弟同然なのです。また、もし私が間違った事を言っていると思ったら、どうか遠慮せずにすぐに指摘して下さいね。

皆さん、人として生まれるという事は、とても稀な機会であるという事を、ヴェーダやプラーナ、そしてこの国の全ての賢者によって認められている事です。人間として生まれるという事自体は、それまで何度もいろんな生き物として生まれ変わって来て、徳を積まないと得る事が出来ないくらい稀な機会なのです。神々でさえ、人になって生まれ変わりたいなぁと願っても、そう簡単に人になれるわけではありません。人間として誕生するという事は、解脱への扉を開く事が出来る機会を持てるという事なのです。人として生まれ変わる事は、数多くのいろんな種類の霊性修行が出来、そこから益を得ることが出来るという事を意味するのです。人の肉体は官能的な喜びを得る為に使われるべきではありません。また肉体を、天国に行く為の道具や天国での喜びを得る為の玩具や快楽を得る為に使うべきでもありません。これらの喜びを得たとしても、それはただ束の間の間だけの事なのです。それらは恒久的なものではなくて、再びあなたを誕生と死の苦しみの連鎖に連れ戻します。したがって、これらの喜びは結局のところ、悲しみをもたらすだけなのです。唯一愚か者のみが、これらの官能的な快楽の追求に明け暮れるのです。このような喜びは、人にとっては実は毒物なのです。甘い蜜の代わりに毒物を求めることが適切な事なのでしょうか?毒を切望する人は、善良な人だとは言えません。彼らは、まるで願望成就の宝石を投げ捨てて、ガラス玉を好む愚か者のようです。
天から授けられた肉体を、世俗の生死を繰り返す海を渡り切る事に使わなかったら、その人は不幸と言うか、知性が鈍いとしか言いようがありません。そういう事をする人は、自分自身で自らを殺害し、自らの進歩を阻害しているのと同じ事で、自分自身の敵なのです。そのため、人として生まれた限りは、神が全ての人々の内にアートマとして存在することを悟り、その全ての人の中に鎮座される神様に奉仕する事が、最も適切な神様への礼拝となるのです。心の中におられる神様の御心を察してそれに従い、全ての仕事をその神様に捧げるように活動をして下さい。

市民の皆さん!幸せを今、そしてこれからも望んでおられる皆さん!
私の言葉に耳を傾けて下さい。私の言葉をあなたの導き手として、そして目標として聞いて下さい。神様と自己実現に至るの為の道の中で、神への信愛の道が一番容易なのです。この道を歩めば心に喜びをもたらすのです。ですからこの信愛の道を歩んで下さい。識別とまやかしを暴いて行く英知の道は困難で、多くの障害物が待ち受けています。と言うのも、心の動きを消すことなど、ほとんど不可能に近いからなのです。そして、英知の道という困難な道を歩んでいる者でさえ、彼らの心の中に、私への帰依心と信愛を持っている者だけが、私にとって親しい者となれるのです。

信愛に匹敵するものは何もありません。 信愛に制限はなく、しかも無料です。これは、人々にすべての喜びと楽しみを付与します。そして、あなた方に次の事を強調して言っておきますが、信愛というものは、あなた方が良き帰依者と通じ合い、彼らと交わる事によってのみ広がりを持つのです。」
ラーマは講話を続けて言いました。
「私の王国の臣民達よ!私は、あなた方がまだはっきりと把握していない重要な真理をあなた方に伝えたいと思っています。それはシヴァとケシャバの区別をしないで下さいという事です。神は一つであることを信じましょう。名前と姿が違うだけで、宇宙霊は同じなのです。その宇宙霊が、あなた方全ての中に同じように内在しているのです。」
ラーマの口から、直接これらの甘露のような教えを聞いて、市民たちが恭しく敬意を持ってラーマに頭を下げました。そのうちの一人は、感謝の気持ちを表すために前に進み出ました。
そして彼は、
「主よ!私たちはあなたを、私たち自身の生命以上に、あなた様の事を親しいお方だと思っています。私たちの身体は健康で頑丈に作られていますが、それは何にも増してあなた様のおかげです。我々の家庭は喜びと幸せに満ちていますが、これもあなた様のおかげです。これら全ての事は、あなた様の祝福によるものでございます。あなた様が私どもから悲しみを取り去り、あなた様のお近くに、私どもをお惹きつけになられました。

王様!どこの誰があなた様のように、私どもにこの様な教えを愛で持って授けて下さるお方がいましょうか?自分の両親でさえ、自らの欲望を満たすために私共に何かを頼んで来る有様です。私どもに、何かあなた様に捧げれる物なんてあるのでしょうか?それにあなた様に物を捧げなくても、あなた様は私どもに天国の至福を得させる為にこうして講話をして下さっています。その御講話は私たちをとても満足させました。」と述べました。
そして「あなた様とあなた様の優れた信者は、悪魔の種族を滅ぼす事によって、世界に対して言葉に出来ないくらい素晴らしい奉仕をされました。我々は、あなた様の様な親切で思いやりがある国王や友達、父を得ることは出来ません。」と人々はラーマの御前に、自らを啓発してもらった喜びを表明しました。
ラーマも、人々の霊的な事柄について学ぼうという熱意と、人々のラーマに対する忠誠心を嬉しく思いました。市民たちはラーマの元をおいとまし、自分の家に戻って行きました。人々はこれまでずっと教えられて来た貴重な真理の数々を、ラーマによって再び思い出す事が出来たのです。







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