サイババが帰って来るよ

Count down to the Golden age

愛の話はすぐ泣けるシリーズ

2018-11-30 04:00:54 | 日記
皆さん方は、様々な村を訪れて、貧しい人々に奉仕をしています。
これ以上に偉大な奉仕はありません。
この奉仕という富は、何千万ルピーという金銭よりもはるかに偉大です。25/12/00

ポニョ:Qは今日も投稿していませんので、いきなりレギュラー記事に入りますね。しかしそれにしても、ヒラリーたちは、よほど金欠なんでしょうね。飛行機のエコノミークラスに夫婦で乗っているのを目撃されたり、カナダで資金集めの為の集会を催したのですが、人が全然集まらず、ガラガラで目も当てられなかったようです。最後にはチケットの投げ売りをして、六百五十円ほどで売りに出しても、誰も買わなかったようです。しかも、健康に問題があるのか、途中で咳き込んで話せなくなったようですね。可哀想なお人です。

気になる動きは、支配層たちは携帯やメールでコンタクトし合っても、Qたちが、NSAの盗聴システムを使って全て読んでしまうので、直接会って話合わないといけないのです。数日前にオバカが、ヒューストンにいるブッシュのところのわざわざ出向き、JFK暗殺に関与したブッシュと直接会って、良からぬ話をしていました。トランプを暗殺しようとでも、話し合っていたんでしょうか。懲りない面々です。
https://thehill.com/blogs/blog-briefing-room/418594-obama-meets-george-hw-bush-during-visit-to-houston#.W_3t6oDq_FQ.twitter
と言う事で、今日は、愛の話はすぐ泣けるシリーズの第二回目をお送りします。今回のエピソードは、サイババさんが創設され、人々を新しい愛に満ち溢れたゴールデンエイジに先導して行く為のサイの組織が、如何にして世界を変容させて行くのかが良くわかるエピソードです。題して「愛の村よりサイラム」です。それではお楽しみ下さいね。

バーラタのいにしえの文化は、村には今も残存していますが、町や都会では失われてしまいました。
実のところ、都会ではあらゆる方法によって私たちの文化が汚されています。
それゆえ、村に行き、村人たちが何を必要としているのかを知り、村人たちの苦しみを和らげるような奉仕をしなさい。
今、快適さや贅沢を求めて町や都会に移り住む人々がいます。
そうして彼らが最後にたどり着くのは悲しみや困難です。
こうした結果 は彼らが自分で作り出したものです。
「幸せは、幸せからは得られない」―幸せは、困難を経て初めて得ることができるものです。1/1/04


ブルーマウンテン山脈の高原の街ウーティにあるサイの組織が、ウーティから十キロ離れた山に囲まれた三百世帯の村を奉仕の対象として選び、みんなで食料などを携えて行きました。
村の名前はメラカヴァッティと言い、時折、霧が村を覆い、雲がかかる事も珍しくない高地に位置する素晴らしい山々のパノラマが見れる村です。
サイババの奉仕グループはサイババさんの80歳の誕生日を祝って、彼らの3年間に渡る奉仕活動プロジェクトを立ち上げ、この村を奉仕活動の拠点として選択しました。
彼らはまず、村の波動を浄化するために、村中を列を組んで早朝にナガサンキルタンという神の栄光を歌って練り歩きました。それは2001年3月の事でした。

ナガサンキルタンが終わると、それぞれのメンバーは、三百世帯すべての家を訪問し、ラドゥなどの食料とヴィブティ(神聖灰)の包み、そしてスワミの写真を配布しました。
奉仕グループは、最後に、通りの奥まったところに位置する、今にも壊れそうな老朽化した家に入りました。
そこで、彼らは信じられないものを見たのです。それはじくじくと湿った陰湿で不潔な床の上に、湿った薄い一枚の布を敷いて、身体の不自由な中年の女性が一人で横たわっていたのです。
その女性の目は虚ろで、彼女の貧困と、どうしようもないくらい酷い人生の絶望感を漂わせていました。奉仕活動者と一緒に来ていた何人かの村人たちは、その女性の悲惨な状況を説明しました。

彼女の健康状態は非常に悪く、二十年以上もこの状態で、周りから孤立して生活していました。 彼女が親から受け継いだ狭い耕作地を人に貸すことで、わずかな収入を得て、いくばかりかの食料を口に入れて、その不自由な肉体と魂をこの世に生存させていたのです。
彼女は親戚や家族もいなくて、もちろん未婚のままでした。 彼女は30歳だったときに、突然、腕と脚の両方の感覚が無くなって麻痺してしまい、その機能を失ったのです。それ以来二十年間の間、孤独と貧困に一人で立ち向かいながら辛うじて生き延びて来たのでした。
しかし、この哀れなか弱い女性にも、サイの神聖な愛の光が差し込む時がやって来ました。
この哀れな状態に置かれた女性の話を聞いた奉仕グループのリーダーとメンバーたちは、この女性に深く同情し、その酷い情景は彼らの心の琴線に触れて、涙を流さぬ者はいませんでした。そしてすぐさま、この女性のお世話を、サイの組織の全総力をあげてすることをグループの会議で決議しました。 そして早速、ベッド、マットレス、毛布を購入し、彼女は、湿った冷たい床に敷かれた不衛生な一枚の布の上で寝ることから解放されたのでした。
それ以降、奉仕のメンバーは神の手足となって、その女性のお世話を始めたのです。
それは、このようにして始まりました。まず、毎日一人のメンバーが交代で食べ物を持参し、一日中彼女と一緒に滞在して、二十年間誰とも話す相手がいなかった彼女の話し相手となり、彼女の世話をすることになりました。毎日のように、奉仕メンバー達が入れ替わり立ち替わり彼女の家を訪ねて、話を聞くことによって、身体が不自由で、誰とも話す機会が無く孤独だった彼女の心を癒しました。

やがて数ヶ月が経ち、村の人々もそのサイの帰依者達による奉仕を毎日見て、自分たちも目覚め始めて立ち上がりました。そうです。村人たちの良心が目覚めたのです。 彼らは、シュリサティヤサイババの神聖な名の下に、サイのボランティア戦士たちが、その女性だけではなく、彼らの村に住んでいる高齢者、麻痺の女性、身障者などの世話をするために、遠くウーティからやって来て、無私の心で自分を犠牲にし、愛でこれらの社会的弱者の世話をしているのを目のあたりにして、今まで自分たちがそういう弱い立場にいた同じ村人たちに、何もして来なかった事を恥ずかしく思うようになりました。
村人たちは、そういった村の弱い立場にある者たちの世話をするのは、自分たちの義務だと感じ始めました。そうです! ゆっくりと、彼らの心の中に同胞に対する愛が芽生えてきたのです。そして、彼らの心が優しさと思いやりに包まれ始めた頃、その村を統括するパンチャーヤト(村の役員会)が召集されました。

その村の役員それぞれが、サイの奉仕グループの働きを驚きの気持ちで見て知っていました。彼らは、サイの奉仕グループのメンバーたちはいつも笑顔で、雨の日や嵐にも関わらず、遠い道のりをやって来て、村の弱い立場の同胞たちに寄り添って、毎日食料と愛の心を持ち寄ってお世話をしているのを、そっと見ていたのです。
役員会において、全ての役員はサイの奉仕グループを褒め称えました。そして、自分たちの村に住んでいる身体の不自由な同胞たちを、サイの奉仕グループを見習って、自分たちで世話をしようと決議したのです。

村は国家にとって最も価値ある資産です。
もし、皆さんが村人に適切に奉仕をすることができるのなら、それに勝る偉大な奉仕はありません。
「村への奉仕は、ラーマ(神)への奉仕」です。
町や都市で行われる奉仕には満足できるものはありません。
都会の人々は、無関心で自己中心的です。
たとえ隣家に泥棒が侵入しても、彼らは気にしません。
一方、村では、ほんの小さな事件でも村人全員が集まります。
そのような種類の一体性と同朋意識が、村にはまだ存在しています。
一体性のあるところに神性があります。
神性があるところに至福があります。
ですから、皆さんは今住んでいる村の発展のために誠実に働きなさい。
このようにして、皆さん全員がそれぞれの村の発展のために働くべきです。
皆さんの活動は政治的活動のようになってはなりません。
さまざまな種類の人々と関わることによって、それは政治的活動に変わります。
私はそのような状態を好ましく思っていません。
どこにいても、バジャンに集い、分離状態を許してはなりません。
すべてが一つになるべきです。
どこにいても、協力と一体性の精神で奉仕活動に従事しなさい。
不調和を起こしてはなりません。1/1/03

その村の役員会の決議がされるや否や、瞬く間に30人以上の村人たちが、自分も人の役に立ちたい、世話をしたいと言って手を上げました。そして毎日、その30人の世話人たちは、一人ひとり順番に手分けして彼女の世話をする事になったのです。 彼女は自分の家の一室をババの礼拝室にし、奉仕者の当番の順番を書いてある紙を、宝物のように大事にして祭壇の横に保管しました。
サイの奉仕グループの奉仕活動は、村人たちが立ち上がっても途絶えることはありませんでした。彼らは必要が生じたときには、すぐに支援し続けました。 この支援の動きは、全ての村人たちの心を変え、今では多くの村人たちが自分の同胞のため奉仕する意欲を持ち、何か自分も奉仕をやってみたいと思うようになったのです。

村に出向き、見てごらんなさい。
村に入るとすぐに、素朴な村人が尋ねます。
「ようこそ! どこから来られましたか?
お国はどちらですか?」
村人たちは尊敬の念をもって話しかけ、あなたのことを気遣います。
しかし、都会にあっては親子間でさえもそうした気遣いをすることはありません。
人々は非常に機械的な態度で日々の決まった仕事をこなし、お互いを気遣うことはありません。こうした状況を招いた原因は現代の教育にあります。
「教育の目的は人格を培うことにある」といわれます。
今日の人々が高貴な人格を失ってしまったために、尊敬や崇敬の心もまた次第に失われつつあります。
親でさえもこうした状況を生み出す原因の一端となっています。
村の親の中には子どもを都会の学校に送り出す人もいます。
そうした親は子どもに高等教育を受けさせ、学位をとらせたいと願うのです。
親の動機は間違いなく良いものですが、子どもたちは都会で悪い道に入ってしまいます。
村にいたときは年長者を敬い親に従順であった子どもたちも、高等教育を求めて都会に入ったとたんに、故郷で培ってきた尊敬・崇敬・良き人格・謙虚さといったすべての善良な資質を失ってしまうのです。20/11/02

彼らは、その身体が不自由な女性の家の修理をしようと考えました。まず床や壁のひび割れを修理し、新しく壁を塗り直しました。次は、雨漏りのする屋根を修理し、彼女の家をまるで自分が住む家のように心を込めて改修し始めました。 そのような寛大な無私で愛の心から湧き出た奉仕は、やがてその家が新しい外観を取り戻して、新築のような輝きを得ることが出来ました。 彼らは改装された台所で、彼女の食べ物を調理開始しましたので、彼女のために毎食、暖かい食べ物を調理しました。ウーティの高地で寒冷な気候に耐えれる暖かい食事を目の前で作れるようになり、彼女の健康のためにも非常に喜ばしい事でした。

村人たちは、その麻痺した女性に奉仕をしたいと志願した30家族にだけ割り当てていた世話係の志願者が多過ぎて、スケジュールを作る世話人は、喜びの悲鳴を上げなければならなくなりました。というのも、それはまるで、村人たちが奉仕をしたくて競争をしているようにも見えたからなのです。
ほとんど全ての村人が、彼女の家の改修や掃除に関わったので、やがて彼女の家は村の公民館のようになり、 村のすべての重要な活動は、彼女の家で開催されるようになりました。 彼女の家は、村人たちの純粋な心から湧き出た愛の優しさと、同胞を思い、救いの手を差し伸べ、お互いに協力して、助け合って奉仕活動をして来た人々の喜びのシンボルとなりました。
暗く湿った陰気な家は、メラカヴァッティ村のすべての活動のために輝く、愛のセンターになったのです。 以前のように自己中で、身障者や他人の事などに関心が無く、身体の不自由な女性を二十年間も無視して来た村人たちは、その女性への愛の奉仕によって、その冷たかった心と態度を反省し、今までの罪を取り戻すかのように心が入れ替わって、競って奉仕に励むようになりました。おかげでこの村は、大きな愛の村へと変貌したのでした。

今、学生は高潔な生活の価値を忘れてしまっています。
親の目の前であってもタバコを吸うことをためらわないのです。
悪い習慣がますますはびこりつつあります。
しかし、村の状況はいささか異なります。
村の子どもたちは年長者や両親の前で自制して行動します。
親の健全なしつけが村ではまだ機能しています。
町中や都会ではそうしたしつけは見られません。
青年は、喫煙し、友人にタバコを差し出し、映画館に行って非常に多くの悪癖に耽るのです。
彼らを自制させ、悪癖から引き離すものは何もありません。
なぜ彼らはこのような振る舞いをするのでしょう?
それは現代の教育が原因なのです。
彼らは年長者・両親・社会に対する尊敬の念をもっていません。
誰かに間違いを指摘されると、「なぜ間違いの罪を恐れなくてはいけないんだ? 私のタバコを私が吸うのは私の勝手だ」といって議論をし始めるのです。20/11/02

2004年9月に、その村のあるニルギリ地区の80の村で、順番に交代でバジャンを開催しようという話が、サイの組織で持ち上がりました。メラカヴァッティ村にもその順番がやって来て、バジャンの会場を彼らの活動の中心になっていた、その女性の家でしようという話になりました。そのために、たくさんの人々を収容出来るように、よく装飾を施された仮設小屋が家の前に建てられました。バジャンは夕方に始まりました。 すべての村人たちは偉大な熱意を持って献身的に、そして、愛を込めて神への讃歌を歌いました。 当初ウーティからやって来て、この女性のために毎日通って来た人々も、特別の感慨を持ちながら、涙を流して歌い続けました。そこに集っていた多くの村の人々も、その思いを共感していました。神への讃歌の歌声は、人々の思いと共に一つになり、尊神サイババへと繋がって行ったのです。その日、その身体の不自由な女性の家は、完全に神の愛で満たされて、そこに参加した全ての村人たちの頬を涙で濡らしたのです。

身体の不自由な女性は、家の中のベッドに横たわりながら、その神への讃歌を、至福の喜びで胸を震わせ、サイババへの感謝の気持ちで涙を流しながら聞いていました。外の仮設小屋では、多くの村人たちが、お互いに助け合う事によって、素晴らしい愛で満ち、平安になった村を嬉しく思い、神への感謝の気持ちと、その無限の愛に対する思いが一つの大きな神聖な想念の力となりました。その瞬間、身体が不自由な女性の身体に、不思議な、奇跡的で、言葉に出来ない程の重大な変化が訪れていました。
それは二十年間にも渡って感覚が全くなかった手足に、感覚が戻って来たのです!

彼女はその不思議な感覚を、もうとっくの昔に忘れかけていました。しかしその感覚が戻って来たのです。彼女は手足の感覚が戻って来た事が、自分でも信じられませんでした。彼女は自分が誰の助けも要らずに、自分一人でベッドから起きあがられる事が出来ると気が付き、ゆっくりとベッドの上に座って次に立ち上がってみました!そして、自分の手や指が動く事を確認して狂喜に包まれ、サイババに感謝するために、皆がいる家の外に作られた仮小屋の中のサイババの祭壇に走って行きました。

その時まで、村人の誰一人、彼女の身の上にそんな重大な奇跡が起こったことを気付いていませんでした。村人達は、その頃心が一丸となって神への讃歌を歌っていたからです。しかし、彼らは驚くべきものを見たのです。そう、祭壇に飾ってあるサイババの写真の横で、あの身体が不自由だった女性が、歓喜に溢れて曲に合わせて踊り狂っているではないですか!その光景を見た途端、バジャンを歌っていた歌手を始め、サイの奉仕メンバーと全ての村人たちは、今、自分の目の前で繰り広げられている神聖な奇跡が信じられませんでした。すべての人々の目から涙が出て来ましたのでした。
スッバンマさんです


その神の不思議な御業は、そこにいた全ての人々の心を打ちのめしました。人々は、神聖な神の奇跡によって、自分達の目の前で、二十年間の間一度も起き上がれなかった女性が踊るのを見て驚愕しました。その奇跡は、そこにいた全ての人の心の中に神聖な灯火を点けたのです。彼らの心はサイババと一体となりました!
それはどのようにして可能となったのでしょうか?それは、神がサイの奉仕グループの人々に宿り、神の慈悲と恩寵によって、その身体の不自由な女性への奉仕の機会を与え、人々の固く冷えた心を変えて行かれたのです。愛の力だけがこういう奇跡を起こせるのです。愛の力だけが真に偉大なのです。愛の力だけが、人を愛の化身、神の化身として変容さすことが出来るのです。誰が二十年間寝たきりだった身体の不自由な女性に、感覚を取り戻させ、神の讃歌のリズムに乗って踊らせることが出来るでしょうか?それは神のみが出来るのです。神の無限の愛と慈悲、そしてその教えを守ることによって得られる恩寵によって、人の心を変容させて奇跡を起こすことが出来るのです。
この女性はバジャン会の後、人々の前で感謝の言葉を述べた後こう言いました。「ババ様が前日の夜、私の夢の中に現れました。そしてババ様は、私の手足の麻痺を取り除く為に、私の手や足をマッサージして下さったのです。」と衝撃の事実を明らかにしました。

目の前で起こった奇跡を自分の目で見、そして、その女性の説明を聞いてそこにいた村人たちは全て、サイの愛の偉大さを理解しました。今ではその村全体が変貌し、三百世帯の全ての人々がサイの奉仕メンバーとなって密接に協力し合っている、とても力強いサイセンターが出現しました。そして村長を始め、他の村人たちの間に飲酒などの悪い習慣が以前はびこっていたけれど、その奇跡の一件以来、それらは一瞬にして影を潜め、今ではとても平和な愛に満ちた村になったのです。このように、二十年間も身障者を無視してエゴがいっぱいの自己中心の「私」「私のもの」という思いでいっぱいだった村は、人々の心を神への愛で満たし、困窮者の中に神を見て奉仕することによって変貌したのです。
この奇跡の物語は、やがて遠くの地方まで伝わり、多くの人々の頬を涙で濡らしたのです。

神への信愛と全てのものに対する至高の愛で満たされた心は、何と清らかでしょう。
そのような人々のみが、無私の奉仕をすることができるのです。
その他の人々は、ただ口先だけの人であり、無私の精神で奉仕をしている振りをしているだけなのです。
すべての人は皆神の子であり、神こそすべての内にあって行為を促している力であるという信念を固く持つもののみが、社会奉仕の真のメンバーであるということができるのです。JV