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不義理をしたくない我が心

2015年12月16日 | 自分 -
仕事上のことで、大変お世話になった方。

その人の訃報が届いた。


    


感謝 の気持ちがあふれてくる私にとって、
それを冷静に受け止め、かなり冷酷に感じ取れる言動が ( 感謝よりも )
先に口にでる人の意識には ( 壁のような ) 隔たりを感じる。
彼女自身も、同じように お世話になった人の訃報なのに・・・。

複雑な想いは途切れず、ずっとモヤモヤとしている。

   冷水を浴びせられたような衝撃だった・・・。



社会は、違う個の集まり ( 集合体 ) で、
多様な個性や価値観を 認めあうものではあるが・・・
お互いを尊重しあうことで、理解も深まり、
より良い人間関係が 築けるものである。
だから、ちょっとした矛盾を感じたり、現実的に
理想的ではない自分の感情を受け止めることに対して
複雑な想いに かられる。


       


ちょっとした言葉の端々に、その人自身の本性を感じ取った時、
私自身の心模様も こういう形で感じ取られているのかと・・・
そんな風に思う。
            他人は、自分の鏡のようなものだ。

私は、他人の評価を気にするタイプではないけれど、
社会や人様に対して 「 不義理をしたくはない 」 と強く思う。

だから、お世話になった人には、どんなことがあろうとも、
心から 感謝 して、心の底から 哀悼 の気持ちを捧げたい。

    そう思うんだ。  純粋に、そう思うだけなんだ。 
    誠意を尽くしたい。


過去に囚われる思考回路

2015年12月16日 | 出来事 -
私が焦点をあてようと努力しているのは 「 」。
常に、「 今を生きる 」 ことを意識している。

しかし、一部の人の思考回路では、( 現在の話なのに )
「だから、これまで・・・してきたんじゃないの?!」
という過去の事実を前面に出して、交渉や説得を試みようと
する人がいる。
5年も6年も前のことは、「 過去 」 でしかない私には
会話の途中で 確認をしなければいけないことが多々ある。


変えられない 「 過ぎ去った過去 」 を引き合いにだされても・・・
の話をしている私にとっては、ひとつの過去事例としてしか
受け入れられない。

しかし、このような会話は 繰り返される。
その人自身の思考回路が変わらない以上、会話の流れは
いつも同じことになるからだ。


過去の成功した結果は リスペクトしつつも、
現状の課題・議題は 「今、起こっていること」 。

決して相手を否定しているわけではないが・・・
この事実は、なかなか理解してもらうことは 難しい。

手順を踏みながら、丁寧に話し込むことに限る。



しかし、諦めることはしたくないので、「 まただ 」 と
小さな嘆息をひとつ。
そして、瞬時に、「 前に進もうとする私 」 と出会う・・・。