メリークリスマス!

2015年12月25日 | ナンセンス -
メリークリスマス!

今年も、慌ただしい 師走 となりました。

また、一年が、 という間に、過ぎていきましたねぇ。



たまごの殻を使ったクリスマスツリーです。

よく見ると、ツリーごとに、飾られているものが
少しずつ違うのがわかります。
造花などの他、まつぼっくりや、ハッカクなども(笑)。




背景の緑に映えて、
ちょっとばかりユニークなクリスマスツリーでした。

Merry Christmas  and  Happy New Year!


「 逝き方 」 を考える

2015年12月25日 | 雑感 -
突然、友達から電話が、かかってきた。
東京から脱出したい。
  どこでもいいから。
  とにかく離れたいのよねぇ
 」



母親の介護をしながら、一人で専門的な仕事をしつつ
頑張っている友達は、 ・・・ 現在 ・・・
とても疲れているのかもしれない。
そう感じた。
私には、単なる旅のお誘いには聞こえなかったからだ。

彼女は、現在独身の 「 天涯孤独(予備軍)の女性 」 だ。

その一人娘を高齢出産したお母様は、老人ホームで今、
しっかりとした脳細胞のまま、元気にされている。
娘である彼女は、定期的に顔を見せに行っているらしい。


   


彼女には、高収入を得られる仕事があるので、
経済的に困ることはないが、自分の老後に関しては
少しばかりの不安があるようだった。

高額収入を維持していても、
いつまでも働けるわけじゃないし、
何時どうなるか わからない。

預貯金がたんまりあるとはいえ、老人ホームにおける
毎月の支払い金額が20万円相当はかかるので、
いつまで続くものやら・・・(本人談)。






高齢者の半数が、「 最期を迎えたい場所 」 として
自宅 を選んでいる。

終末期医療については、いろいろなケースがあり、
ご本人の選択も多種多様な場合があるようだ。
しかし、結局は、「 長く生きる 」 ことよりも、
「 どのようにして生きていきたいか 」 ということが、
人生の終末期の貴重な時間を過ごす際には
大切な要素になるのではないだろうか。


晩年の生き方は、「 逝き方 」 でもある。

「 生きたいという意欲 」 や 「 おぼろげに感じる幸福 」、
「 手応えのような生きがい感 」 などは、日常生活の中で
意識しておくべきポイントかもしれない。
それらを感じられなくなった時、「 自力で楽しく生きる気力や
体力が低下した 」 と判断してもよいのかもしれない。

     
         


親を看取るのは、子供の役目だと、私は思う。
親は、その死に様を、子供にちゃんと見せて、
人生の先輩としての役割を果たすべきだ。

親と子の「 切っても切れない関係 」 だからこそ、
たまに ものすごい疲労感を感じてしまうのだろうが、
親子は ( やはり ) 特別な関係だと思う。

気持ちがあれば悲哀に満ちてくるし、負担に感じていたら
悲壮感が満ちる。

健康的で、建設的な終末期医療を考えた時には、
毅然とした高齢者の 「 死生観 」 が成立していないと
なかなか難しい。



現状、親の最期を、子供が決めているのが多いようだが、
もうワンステップあがって、「 逝き方を決めた親 」 が
出てきてもいい頃だと思うし、そのような形態が 自分も
納得 ( 満足 ) できるのではないかとさえ感じる。

簡単なことではない。
だからこそ、早めに心を決めておくことが
後になって違いを産みだすように思えてくる。

決して暗く淋しい話ではなく、人生の終末にむけて、
準備や覚悟ができることで、残された時間を安心して暮らし、
心穏やかに暮らせる可能性があるように思う。
尊厳ある最期 こそ、人として有意義に生きられる要素では
ないだろうか・・・。

      


今年は無理だから、来年は彼女のプチ旅行に付き合おうと
思っている。
私も、リフレッシュしたい。

そして、時間をかけて、これまでの “ あれやこれや ” を
ゆっくりと聴いてあげたいものだ。