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【小倉百人一首】63:左京大夫道雅

2014年07月27日 00時16分36秒 | 小倉百人一首
左京大夫道雅

今はただ 思ひ絶えなむ とばかりを 人づてならで いふよしもがな

本名は藤原道雅。儀同三司こと藤原伊周の息子。


 高階貴子┏伊周━道雅
   ||━╋隆家
兼家┳道隆┗定子
  ┃   ||━敦康親王
  ┃   一条┏後一条
  ┃   ||━┻後朱雀
  ┗道長━彰子


以前にも書いたとおり、道隆の息子たちは叔父である道長に権力を奪われたため、その後はぱっとしない。25歳のときには近衛府の次官である左近衛中将に任じられ、翌年には後一条天皇の践祚に際して天皇の秘書長官ともいうべき蔵人頭に任じられた。が、わずか8日で解任させられてしまう。
ちなみに蔵人頭はこの道雅の例でもそうだが、基本的に他の官職と兼任が当たり前で、近衛中将との兼任の場合は「頭中将」と呼ばれる。『源氏物語』の主要人物で、光源氏の友人でもあり政敵でもある頭中将の呼び名もこの官職に由来している。もっとも物語に登場する頭中将は本名が明かされず常に官職名でしか記載されていないので、その後官職が代わって内大臣、太政大臣という呼び名になるが。

そしてこの道雅は祖父が関白だったにも関わらず従三位までしか登れなかった。また、素行が乱暴であることから荒三位というあだ名をつけられている。三条天皇の皇女と密通したために勅勘をこうむったというエピソードもある。

ちなみに妻は紫式部の夫として知られる藤原宣孝の娘だが、紫式部の娘ではない。


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