磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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203This is our prayer.

2006年10月07日 | Ra.
ラヂオアクティヴィティ[Ra.]
第二部・国境なき恐怖

十四、サダコと「子どもの平和の像」

203This is our prayer.



バーバラが画面に出ている。

「それでは、ここから、アメリカでのサダコの広がりをお話しされていただきます。でも、『サダコと千羽鶴』を書いたのは、カナダ・サスカチュアン州出身のエレノア・コアさんです。エレノアさんが新聞社の記者として日本に行かれたのは、一九四九年でした。エノレアさんは、日本文化に強い関心を示していたのです。でも、広島市に行ったとき、もう二度と行きたくないと思ったそうです。それから十二年後、アメリカの雑誌の契約社員として台湾で仕事をしていたとき、再び広島市を訪れることになったのです。その時、エレノアさんは、美しい街に生まれ変わった広島市を見ました。そして、平和記念公園のきれいな像を見つけたのです。それが“原爆の子の像”だったのです。この一九六二年には核実験が百七十回も行われていた東西冷戦時代だったのです」

「まったく、何度、全人類を殺したら気がすむのだろうなあー」
とマイクはデッカイ態度で話した。

「でも、エレノアさんが『サダコと千羽鶴』の本にたいして、「真珠湾で死んだ少女の話を書くように」と言われたそうです。なにか、そちらでも、そんな人がいましたよね。問題がちがうということもわからないのですから、困ったものですね」

「誰のこと? うーん?」

「おまえのこと、マイク」
と勇気は呆れている。

「ロスアラモスという地名をご存知でしょうか」
「知っているよ、アメリカのニューメキシコ州のロスアラモスで、広島や長崎の原爆をつくったのもロスアラモス研究所だよ」

「ロスアラモスの町は人口一万八千人、半数は研究所に関わる仕事をしているといいます。そこにあるブラッドバリー科学博物館では、ロスアラモス研究所の歴史と業績が展示されています。広島の原爆資料館とは違い、原爆が第二次世界大戦を終わらせるのに役立ったことを強調する内容です」

「そんな町と、サダコとがどう関係しているの?」と勇気は話す。

「町の中心の公立メサ図書館にある小学生向け図書コーナーにはエレノア・コアの『サダコと千羽鶴』が何冊も置かれてあるというのです。それも小学生に最も人気のある本の一つだそうです。特に、千羽鶴が贈られてきてから、よく読まれるようになったというのです。それが、この写真ね」

図書館の中央の吹き抜けに長さ三メートルを超える千羽鶴の束が吊るされている。
「これはサダコの影響なのよ」
「そのくらいはわかるさ。でも、どうしてそうなったのさ」とマイク。

「この折り鶴を折ったのは、「キッズ・コミティー」のメンバーだったのです。この千羽鶴を手渡しているのが、デビッド・ロソフ君です。これが写真よ」

「まだ、子どもだなあー」
「偉そうなこというなよ。バーバラさんに嫌われてしまうぞ」と、勇気。

「ロソフ君は日本の子どもたちがサダコの像をつくったのを知って、僕たちも何かしたいと思いついたのよ。それが、「キッズ・コミティー」の始まりだったのよ。ピザ屋さんに集まって自由な討議をしたのよ。話し合いで、「子どもの平和の像」をつくろうと決めたのよ。“原爆の子の像”の姉妹像としようとしたのよ。いい試みだと思うわよ。どこかにいる石頭の人よりはね」

メンバーはマイクを見つめていた。

「ロスアラモス郡議会の前にある、公園にその「子どもの平和の像」の第一候補としたのよ。子どもたちは、ロスアラモスを平和な時代を象徴する町へと変えたかったのです。でも、マイク、マイクじゃなくって、大人たちの反対にあいました。ロスアラモスは大勢の子どもを殺した武器を作った場所ではなく、悲劇的な戦争を終結させるのに大きな役割を果たした場所として歴史に残ってほしいと大人は願ったのです。そして、姉妹像を置くのなら、真珠湾のほうがはるかにふさわしいと子どもたちに話したのです。それだけでなく、今もサダコのような子どもが殺されているのですから、飢えている子どもたちを救う方が大切と大人は話しました。なぜ、そのような子どもたちが生まれるか、彼らは考えもしませんでした」

「リメンバー・パーラー・ハーバーは復讐の論理であって、すぐに目には目だなあー。まったく、呆れたものだ。ヒロシマはノー・モアだよねえ、バーバラ」

「それはやっと、どうにかわかったのね。大人たちは第二次世界大戦のことで、心の傷をもっているのだと子どもたちは思いました。子どもたちは、未来のことを考えているのに、これでは話しがあうわけがないと思いました。そして、建設は否決されました」

「悲しいことだよね」と勇気は残念そうである。

「でも、アルバカーキの美術館が設置することを許してくれました。すでに三万ドル以上の募金も集まっていたし、デザインは公募で選ばれたテキサス州の高校生の作品と決まっていました。そして、ついに一九九五年八月六日に、除幕式がおこなわれました。地球の形をした像の内側には、色とりどりの千羽鶴がつるされ、外側に巻かれた帯には、こう書かれてあります。

This is our cry.
This is our prayer.
Peace in the world.

これは“原爆の子の像”に書かれてある言葉を英訳したものです。三年後には古都サンタフェに移設されました。それは、建設予定地だったロスアラモスに少しでも近づけるためだそうです」








閑話休題

アンデルセンの童話の
「裸の王様」を思いだしますね。
大人たちは、原爆が悪いとは、
未だに理解していない。

ヒロシマを知るということは、
悪夢を知ることだけではない、
むしろ、悪夢に打ち勝つことを、
教えてくれているといって、
いいのではないでしょうか?

それとも、ストックホルム症候群のように、
自分自身が悪夢と同化しますか?
アメリカのほとんどの大人のように……。

サンタフェの千羽鶴






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