龍の声

龍の声は、天の声

「イチロー引退会見に学ぶ超一流の確固たる心得」

2019-03-31 06:04:15 | 日本

◎「人より頑張ってきたとは言えない」の真意

「いちばん印象に残っているシーンは?」と聞かれたイチロー選手は、「この後、時間がたったら、今日(の試合)がいちばん、真っ先に浮かぶことは間違いないと思います。それを除くとすれば、『今までいろいろな記録に立ち向かってきましたが、そういうものは自分にとってたいしたことではない』というか、それを目指してやってきましたが、『いずれ後輩たちが抜いていくので、それほど大きな意味はない』というか、今日の瞬間を体験すると、すごく小さく見えてしまいます」とコメントしました。

さらに、「引退の決断に後悔や思い残しはない?」と聞かれたイチロー選手は、「今日の球場での出来事……あんなものを見せられたら後悔などあろうはずがありません。もちろん、もっとできたことはあると思いますし、結果を残すために、自分なりに重ねてきたことはありますが、『人よりも頑張ってきた』とはとても言えないし、そんなことはまったくないですけど、『自分なりに頑張ってきた』ということはハッキリ言えるので、『重ねることでしか、後悔を生まないということは
できないのではないか』と思います」とコメントしました。

「いずれ後輩が抜く記録はたいしたことではない」「人より頑張ってきたとは言えない」。どちらのコメントも、「イチロー選手がいかに他人と比べず、自分の仕事に集中していたか」を物語っています。

「生きざまでファンの方に伝えられたことは?」と聞かれたイチロー選手は、「生きざまでというのはよくわかりませんが、“生き方”と考えるならば、あくまで“はかり”は自分の中にあって、『自分なりに“はかり”を使って限界を見ながら、ちょっと超えていく』ということを繰り返していく。そうすると、『いつの日からか、こんな自分になっているんだ』という状態になって。だから少しずつの積み重ねでしか自分を超えていけないと思うんですよね」とコメントしました。


◎イチローらしい進化のプロセス

さらに、「『一気に高みに行こうとすると、今の自分の状態とギャップがありすぎて続けられない』と僕は考えているので、地道に進むしかない。進むだけではなく、後退もしながら、あるときは後退しかしない時期もあると思いますが、自分が『やる』と決めたことを信じてやっていく。それが正解とは限らないし、間違ったことを続けてしまうこともあるんですけど、『そうやって遠回りすることでしか、本当の自分に出会えない』という気がしています」と穏やかながら熱っぽく語りました。

「『最低50歳まで現役』と公言していたが、日本に戻ってプレーする選択肢はなかったか?」と聞かれたイチロー選手は、「なかったです。理由はここでは言えないですね。ただ、『最低50歳まで』と本当に思っていました。それはかなわず有言不実行の男になってしまいましたけど、『その表現をしてこなかったら、ここまでできなかったかな』という思いもあります。だから難しいかもしれませんが、『言葉にして表現することは、目標に近づく1つの方法ではないか』と思っています」とコメントしました。

イチロー選手は「プロで成功したことは?」と聞かれたときも、「『成功かどうか』はよくわからないですし、まったく僕には判断ができません。だから僕は成功という言葉が嫌いなんですけど。『メジャーリーグに挑戦する』ということは大変な勇気だと思いますが、『成功すると思うからやってみたい、それができないと思うから行かない』という判断基準では後悔を生みますし、やってみたいなら挑戦すればいい。そのときにどんな結果が出ようとも後悔はないし、基本的にはやりたいと思ったことに向かっていったほうがいいですよね」とコメントしました。


◎「成功」という言葉に振り回されなかった

「ファンの存在とは?」と聞かれたイチロー選手は、「何となく日本の方は『表現することが苦手』という印象がありましたが、(今回の2試合で)完全に覆りましたね。内側に持っている熱い思いが確実にあって、それを表現したときの迫力はとても今まで想像できませんでした」とコメントしました。

さらに、「あるときまでは、『自分のためにプレーすることがチームのためになるし、見ている人も喜んでくれる』と思っていましたが、ニューヨーク(ヤンキース)に行ったあとぐらいから、『人に喜んでもらうことがいちばんの喜び』に変わりました。その点で、『ファンの方々の存在なくしては、自分のエネルギーがまったく生まれない』と言っていいと思います」と続けたのです。

2つの共通点は、「あっさりと自分の変化を認めている」こと。イチロー選手は、「野球の求道者」などと言われ、変わらないことを美徳としているように思われがちですが、実際は自分の変化をサラッと認めてしまう人物でした。プロ野球選手に限らず、立場や役職が上の人や、実績を残した人が、このような変化を公言することで、懐の深さを感じさせることができます。
また、「引退して何になるのか?」と聞かれたときも、「そもそも、カタカナのイチローってどうなるのか……“元イチロー”になるのかな。どうしよっか。何になるか……監督は絶対無理っすよ。これは“絶対”がつきます。本当に人望がないので。それくらいの判断能力は備えています」とコメントしました。


◎回答を断っても愛される人柄

「(新加入の後輩)菊池雄星投手と抱擁の際にどんな会話を交わしたのか?」と聞かれたイチロー選手は、「それはプライベートなので。雄星が伝えることは構いませんが、僕が伝えることではないですね。それはそうでしょう、だって2人の会話だから。しかも、僕から声をかけているわけで、それをここで僕から『こんなことを言いました』と話したらバカですよね。そんな人間は絶対に信頼されないもんね。それはダメです」とコメントしました。


◎「誤解を恐れない」ポジネガ・ネガポジ変換

「野球が楽しくなる瞬間はあったか?」というポジティブな質問にもかかわらずイチロー選手は、「やはり力以上の評価をされるのは、とても苦しい。もちろんやりがいがあって、達成感を味わうこと、満足感を味わうことはたくさんありました。しかし、『楽しいか』というと、それとは違います」とネガティブなコメントを返しました。

また、「選手生活の中で得られたものは?」というポジティブな質問に対しても、「『まあ、こんなものかな』という感覚ですね。200本(年間安打)をもっと打ちたかったですし、できると思ったし、メジャーに行って1年目にチームは116勝して、次の2年間も93勝して、『勝つのってそんなに難しいことじゃないな』と思っていたんですけど、勝利するのは大変なことです。この感覚を得たのは大きかったかもしれないですね」とネガティブなコメントを返しました。

その一方で、「かつて『孤独感を感じてプレーしている』と言っていたが、ずっとそうだったか?」というネガティブな質問に対しては、「現在それはまったくないですね。アメリカでは、僕は外国人ですから。外国人になったことで人の心をおもんぱかったり、痛みがわかったり、今までなかった自分が現れたんですよね。体験しないと自分の中からは生まれないので、孤独を感じて苦しんだことは多々ありましたが、『この体験は未来の自分にとって大きな支えになるんだよ』と今は思います」とポジティブなコメントを返しました。


◎ビジネスの大半は団体競技であり個人競技

最後に、ぜひ紹介しておきたい名言を2つ挙げておきましょう。
イチロー選手は、「苦しい時間を過ごしてきて、『将来は、また楽しい野球をやりたいな』と思うようになりました。これは皮肉なもので、『プロ野球選手になりたい』という夢がかなったあとに、あるときから、またそうではない野球を夢見ている自分が存在しました」「『プロ野球でそれなりに苦しんだ人間でないと、草野球を楽しむことはできない』と思っていたので、これからはそんな野球をやってみたいと思います」と語っていました。

もう1つの名言は、「野球の魅力はどんなところか」と聞かれたときの「団体競技なんですけど、個人競技だというところ。『チームが勝てばそれでいいか』というと、全然そんなことはないですよね。個人としても結果を残さないと生きていくことができません。その厳しさが魅力であることは間違いないかなと」というコメント。













「老子道徳経⑤」

2019-03-30 06:03:15 | 日本

64章
安定のうちは維持し易く、未だ兆しの無いうちは謀り易い。脆いうちは溶かし易く、微かなうちは散らせ易い。まだ事なきうちに行い、乱れなきうちに治める。両手で抱くほどの木も、微小な存在から始まり、九層の台も、些細な土の積み重ねから始まり、千里の行も、一歩から始まる。為す者はこれをやぶり、行う者はこれを失うことになる。聖人はこれをわきまえ、無為でいてやぶらず、無執でいて失わないのである。
民は事に従うとき、常に完成の手前でこれをやぶる。初心の如く終始慎めば、事をやぶることは無い。聖人は不欲を欲し、得難き品を貴重としない。不学を学び、大衆の過ぎたる所をもどす。このように万物の自然を助け、敢えて為さないのである。

65章
いにしえの善く道を行う者は、それで民を明るくしたのではなく、それで愚かにしたのである。民が治め難いのは、智が多いからである。だから、智を以って国を治めるのは、国を害することである。智で国を治めないことが、国の幸いである。この両者を理解することは、法則の理解である。常に法則をわきまえること、これを玄徳、不思議な能力という。玄徳は深く、果てしない。万物と共に返りくる。そして然る後偉大なる順応へと行きつくのだ。

66章
湖や海、江海が百谷の王と言われる所以は、それがよく低いところにあって、それで百谷の王となっているのである。民の上に立つことを欲すなら、必ず言葉を慎み、民の先頭に立ちたいと欲すなら、必ず身を後ろに置くことだ。
聖人は、上に立っても民は重みを感じず、前に立っても民は害を感じない。だから天下が喜んで推すことを厭わないのだ。争うことがないのだから、天下でこれと争えるものが存在しないのである。

67章
天下皆、私のことを愚かなようだと言う。そもそも大きいからこそ、愚かに見えるのだ。もし愚かならば、すでに小さな人物となっていただろう。私には三つの宝があり、それを保持している。一に慈しみ、二に慎ましさ、三に敢えて天下に先んじない行いである。
慈しみを持っているからこそ勇ましく、慎ましさを持っているからからこそ広く、天下に先んじないからこそ指揮者となれる。いま慈しまずに勇ましくなろうとし、慎まずに広がろうとし、後ろに居ずして先んずるならば、死ぬ。
そもそも慈しみがあれば戦いに勝ち、それにより守れば固い。天を救わんとして、慈しみによって守られるのである。

68章
善の士は武ならず。善く戦う者は怒らず。善く敵に勝つ者は争わず。善く人を用いる者は下る。これを不争の徳といい、これを用人の力といい、これは配天ともいわれる。古の法則である。
※配天・ハイテン=配は合の意で、天道に合うと読むという。《詩経》《荘子》にも登場

69章
用兵についての言葉がある「こちらは敢えて主とならずに客(迎戦)となり、敢えて少しも進まずに大きく退くべし」これは行うに行う所無く、袖をまくるに腕無く、執るに兵無く、引くに敵が無い状態である。
禍は敵を軽んずることが大である。敵を軽んじれば私の宝をほとんど失う。だから敵と対して互角ならば、哀しむものが勝つのだ。

70章
私の言は甚だわかり易く、甚だ行い易い。しかし天下に理解できるもの無く、行えるものが無い。言には本源があり、事物には要点がある。これを理解しないから、私を知ることが出来ないのだ。私を知るものが稀なのは、つまり私が貴い存在なのだ。聖人は粗末な服をまといつつ、珠を抱いているのである。

71章
知っていながら知らないとするのは上である。知らないながら知るとするのは短所である。聖人に短所がないのは、その短所を短所として認識するからであり、だからこそ短所がないのである。

72章
民が威を恐れないようになると、大いなる圧力がかかる。しかしその居の存在を狭めること無く、その生の存在を圧しないことだ。そもそも圧迫しないからこそ、圧迫もされないのだ。これにより聖人は、自らを知りつつ自らを明らかにせず、自らを愛しながら自ら貴としない。だから表す事を棄てこれを取るのだ。

73章
勇敢であれば殺され、勇敢でなければ活きる。この両者、利があるか害があるかで決められる。天に目をつけられたとなると、その理由は誰にも判らなくなる。天の道は、争わずに善く勝ち、言わずして善く応え、招かずして自ずから来させ、ゆったりしながら善く謀る。天網は細かく広く、目こぼしはない。

74章
民が死を恐れなければ、死による脅しができようか。もし民が常に死を恐れるならば、秩序を乱す者があって、私はそれを捕捉し殺すことができる。しかし敢えてできようか。常に刑を司る者が殺すのである。そもそも刑を司る者に代わり殺すのは、大工に代わって削ることである。そもそも大工に代わって削る者は、手を傷つけずに行うことはまずできないであろう。

75章
民が飢えるのは、上が税を多く搾取するからであり、これにより飢える。民が治め難くなるのは、上が干渉するからであり、これにより治め難い。民が死を厭わないのは、上が生を求めることに熱心だからであり、これにより死を厭わない。そもそも生に執着しない者こそ、生を貴ぶものよりまさるのだ。

76章
人の生まれたときは柔く弱いが、死ぬときは堅く強いてしまう。万物は草木のように柔く脆いが、その死の時は枯れる。だから堅強の者は死の徒であり、柔弱の者は生の徒である。これにより強兵は勝たず、堅い木は折れる。強大なものは下位にあり、柔弱なものは上位にある。
※木強則折=木強則共、木強則兵とも

77章
天の道は、弓を張る様に似ている。上部を抑え、下部を引上げて、余りがあれば減らし、不足があれば補う。
天の道は、余りがあれば減らし不足ならば補う。しかし人の道はそうではない。不足なものを減らし余りあるところに献上する。余っていながら天下に献上できるものはいるだろうか。それは道をわきまえる者のみだ。これにより聖人は、成しても頼らず、功があっても居座らない。それは賢をあらわす事を欲しないからである。

78章
天下に水より柔弱なものはない。またそれでいて堅強に攻めることができ、これに勝るものはない。それをかえる存在が無いからである。弱いものが強いものに勝ち、柔は強に勝るのは、天下だれもが知らぬものはないが、行うものもない。聖人はいう「国の垢を受けるもの、これを社稷の主といい、国の災いを受けるもの、これを天下の王という」正言は反するが如しである。
※社稷・シャショク=社は土地の神、稷は穀物の神で、これを祭る行事が国の大事だったので、国を指す言葉になったという

79章
大いなる怨みを和らげると、必ず怨みは残る。なぜにそれを善しといえようか。聖人は左契をとり、人を責める事はしない。有徳は契を司る者で、無徳は徹を司る者。天道には情けは無く、常に善の味方である。
※契=契約に用いる手形、割符。※左契=割符の左側。左の請求で、右が契約に応じるが、請求権は右という。※徹=周王朝の税法。とても軽い税という。《孟子》に登場

80章
小規模国家の民。什伯の器はあっても使わせないようし、民が死を重く感じ遠方に移ることがないようになれば、舟や車があっても乗ることが無く、甲冑武器があってもそれを見せる場も無くなるだろう。
民が復古し、縄を結い文字とし、食を美味いとし、服を美しいとし、住居で安んじ、暮らしを楽しめば、隣国を向こうに見て、鶏や犬の鳴き声が聞こえてきながら、民は老衰に至るまで、互いに往来することはないであろう。
※什伯の器=十百の器で諸々の道具。十百の有能な人材。十百の武器。など

81章
信言は不美で、美言は不信である。善者は不弁で、弁者が不善である。知者は不博で、博者は不知である。聖人は積まない。ことごとく人の為にし、己はますます有する。ことごとく人に与えながら、己はますます多くする。天の道は、利して害せず。聖人の道は、為して争わず。

以上


<了>










「老子道徳経④」

2019-03-29 05:24:37 | 日本

47章
外に出ずして天下を知り、外を見ずして天の法則を知る。その出具合が遠くなるほど、その知ることはますます少なくなっていく。ゆえに、聖人は出歩かずして知り、見ずして認識し、行わずに事を成す。

48章
学問を修めると日に日に増すが、道を修めると日に日に減る。減らした上にまた減らし、ついには無為の境地に行きつく。無為でありながら事を成す。天下を取るのは、常に事を行わない態度を以ってである。事を行うことになれば、天下を取るに足りない。

49章
聖人は常に心無く、民の心を我が心とする。私は善を善とするが、不善もまた善とし、善を得る。私は信を信とするが、不信もまた信とし、信を得る。聖人が天下に在る時、ひかえて慎み、天下を治める時、ぼんやりとしたありさまでいる。民は皆耳と目をこらすが、聖人は全てを閉ざす。

50章
生まれて出てやがて死に入る。生にあるものは十のうち三あるが、死に入るものも十のうち三である。生にある者が、死に移っていくのも、また十のうち三である。そもそも何ゆえか。それは生に生きることに執着するからである。
聞き察するに、よく生を養う者は、陸を行くのに猛獣に出会うことが無く、軍に入ったときも兵装で身を固める事が無い。猛獣もその角を振るう場所無く、爪を振るう場所無く、兵も刃を撃つ所が無いのだ。そもそも何ゆえか。それは死の条件が無いからなのである。

51章
道が生み、徳が養い、物が形どり、器が完成させる。だから万物、道を尊び徳を貴ばないものはない。道を尊び、徳を貴ぶのは、だれかの命を受けたのではなく、常に自然なのである。
だから道が生み、徳が養う。成長させ発育させ、完成させ熟させ、養護し保護する。生み出しても持たず、行っても頼らず、長となっても仕切らない。これを玄徳、不思議な能力という。

52章
天下には始源がある、それは天下の母と言えよう。その母体を認識できたなら、その子である万物も知ることが出来る。子がわかったなら、その母に返り守る、そうすれば生涯危機に遭うことはない。
穴を閉ざし、門を閉ざせば、終身まで疲れない。穴を開き、事をなせば、終身まで救われない。小さなものを見ぬくことを明智といい、柔を守ることを真の強さという。その光を用い、明智にたちかえるなら、身のわざわいは消えるだろう。これを常に道に従うことという。
※兌=あな、耳目口などの感覚器官

53章
私に少しでも知恵があるなら、大道を行くに、わき道にそれることを恐れるだろう。大道は甚だ平坦であり、民は小道を歩きたがる。宮廷は甚だ清められるが、田畑は甚だ荒れはて、倉は甚だ空である。綺麗な服を着け、名剣を帯び、大いに飲み喰らい、余るほど財貨を保有する。これを盗人の奢りという。盗人の奢り、道にはずれたことである。

54章
よく建てられたものはひき抜けず、よく抱えたものは脱しない。子孫は続き祭祀も絶えない。身に修めるなら、徳は確かなものとなり、家に修めるなら、徳は増え、郷に修めるなら、徳は長く続き、国に修めるなら、徳は豊かになり、天下に修めるなら、徳は広く行き渡る。
身の修め方で人を観察し、家の修め方で家を観察し、郷の修め方で郷を観察し、国の修め方で国を観察し、天下の修め方で天下を観察する。私が何によって天下を知るかといえば、これを以ってである。

55章
深く徳を含むものは、赤子のようである。赤子には蜂や蠍や蛇類も刺さず、猛獣も襲わず、猛禽も掛からない。骨は弱く筋も柔らかいが、握りこぶしは固い。雌雄の交合を知らずに赤子の陽物が勃つのは、精が最高だからである。終日号泣して赤子が声枯れしないのは、調和が最高だからである。
調和を知ることを常の道といい、常の道を知ることを明智という。命を増そうとするのは不吉で、心で気を煽るのは強いるという。物は壮んであるほど老いるが、これは道に従わないことである。道に従わなければ早くに亡ぶ。

56章
知者は不言であり、言者は不知である。その感覚を塞ぎ、その門を塞ぎ、その鋭さを挫き、その光を和らげ、塵と同じくする。これを玄同、不思議な同一という。
このような者には親しむことが出来ず、疎遠にすることも出来ない。利を得ることも出来ず、害を与えることも出来ない。貴ぶことも出来ず、卑しくすることも出来ない。だからこそ天下で貴いものなのだ。

57章
国を治めるに正をもって、兵を用いるに奇をもって行うが、天下を取るには事を行わないことである。私が何をもってそのことを知るかといえば次のような事からである。天下に禁則が増えると、民は自由を失い貧しくなる。民が利器を多く用いると、国家はよく混乱する。民が知恵をつけると、悪事が盛んに起こる。法令を詳細に立てると、盗賊が多く現れる。
ゆえに聖人は言う「私は何も特別な事をせずに民は自ずから変化し、私は静かにじっとしていながら民は自ずから正しくなり、私が事を行わずに民は自ずから富み、私が欲を無くして民は自ずから純朴になって行く」

58章
政治がぼんやりしていると、その民は純朴である。政治が行き届いていると、その民は小賢しいものである。災いある所に福が潜み、福ある所に災いが隠れている。この関係の巡りの極みは誰にもわからない。そこには規準が無いのだろうか。正が返り奇となり、善が返り妖となる。人が迷うのは、昔から続くことなのだ。
聖人はこれをわきまえ、方正でも判断せず、廉潔でも傷つけず、真直でも押し通さず、光っていても輝きを見せないのだ。

59章
人を治め天を行うには、節約を心掛けることである。節約しているからこそ、早々に従う事が出来る。早く従えば、徳を重く積み重ねることと言える。徳を重く積めば、勝てないことは無くなる。勝てないことが無くなれば、限界が無くなる。限界が無くなれば、国は保たれる。国を保つ母体により、長久を得ることだろう。これを固く深く根を張り、長久に生存する道というのだ。

60章
大国を治めるのは、小魚を料理するようなものだ。道に従い天下を治めれば、鬼も祟る事は無い。鬼の祟りが無くなるだけでなく、その祟りが人を傷つけることも無くなる。鬼の祟りが人を傷つけることが無くなるだけでなく、聖人もまた人を傷つけることが無くなる。そもそも両者が傷つけることがないのだから、徳がまた巡り帰ってくるのである。
※鬼=死者の魂、精霊など

61章
大国は下流である。天下が交じるところであり、天下の雌である。雌は常に静かで雄に勝つが、静かにしていることによって謙るのである。大国が小国に謙ると、小国を取ることになり、小国が大国に謙ると、大国を取ることになる。だからあるものは謙って小国を取り、あるものは謙って大国を取る。
大国は他国を養うことを望むだけであり、小国は他国に従うことを望むだけである。とすれば両者、それぞれの望みを叶えるに、大いなる存在が下流となる方が難事である。

62章
道は万物の根源である。善人の宝である。不善人を保つ存在である。美言にも高い位を手に入れさせ、美行にも人をのし上がらせるのだから、不善の人といえど、それをなぜ見捨てることができようか。
だから天子を立て、三公を置くとき、両手で抱えるほど大きな壁を、駟馬の車の先頭に置くことがあるが、それは座っていながら道を進言するに及ばない。昔よりこの道を貴ぶのは何故か。求めれば得られ、罪あれど免れられる、と言われるとおりではなかろうか。だから天下で貴いものなのだ。
※壁・ヘキ=儀式に用いられる、平たいドーナツ型の環状の珠。※駟馬・シバ=四頭引きの馬と車を指す

63章
無為を行い、無事を働き、無味を味わう。小を大と考え少を多と捉え、怨みには徳で報いる。難事に於いては易しいうちによく図り、大事に於いては小さいうちに行う。天下の難事も、必ず易しいところから始まり、天下の大事も、必ず小さいところから始まる。聖人は大きな事を行わずにいてこそ、大きな事を成し遂げられるのである。
そもそも、軽く許諾するのでは信に乏しくなり、多く行えば難事が増えるのだ。聖人であっても難しいとするからこそ、難しいことは無くなるのである。










「老子道徳経③」

2019-03-28 05:56:46 | 日本

35章
大いなる形を把握するものの所に天下は集まる。集まりながら害なく、広く平穏で安定する。
娯楽やご馳走をみせれば、通りすがりの者でさえ足をとめるが、道を言葉で表しても、淡白すぎて味がない。見ようとしても見えず、聞こうとしても聞けず、用いようとしてもうまく制御できないのだ。

36章
もし縮めたいと思えば、拡大し尽くさせることだ。もし弱めたいと思えば、増強し尽くさせることだ。もし廃れさせたいと思えば、興隆し尽くさせることだ。もし奪いたいと思えば、与え続けることだ。このようなことを微明、微妙なる明智という。柔く弱いものが剛く強いものに勝つのだ。
魚は淵をはなれないからこそ安全であるように、国も利器をむやみに人に示さないものなのだ。
※利器=明智ある人物でも可

37章
道は常に無為、特別なことをせずにいて事を成す。諸侯がもしこの働きを守れたなら、万物は自ずから成長を遂げるであろう。成長しながらもなお余計なふるまいを望む者がいれば、わたしは無名なる純朴の働きをもってこれを鎮めようと思う。無名なる純朴の働きは、無欲な状態をもたらすであろう。欲なく静かであれば、天下は自ずから安定するであろう。
徳経(38~81章)

38章
上徳は徳を徳とせず、徳を備える。下徳は徳を意識して、徳を無くす。上徳は特別なことをせず、足跡を見せない。上仁は行いながらも、足跡は見せない。上義は行いながら、足跡を残す。上礼は行って、これに応じないとなると、腕をはらい引っ張り込む。とすれば、道を失い其の後に徳があり、徳を失いその後に仁があり、仁を失いその後に義があり、義を失いその後に礼があるのだ。
礼とは、忠と信が薄れて生まれたものであり、乱れのはじまりである。他に先んじる智識とは、道の華であり、愚のはじまりである。ゆえに立派なものは、その厚みに身を置き、その薄みに居らず、その実に身を置き、その華に居ない。薄みと華を捨て、厚みや実を取るのだ。

39章
昔から一を得るものは、天は一を得清らかで、地は一を得安寧で、神は一を得霊妙で、谷川は一を得満ち足りて、万物は一を得生み出している。諸侯は一を得それで天下の主となった。それぞれそのようにさせる存在が一である。
天は清らかで無ければ、恐らく裂けるであろう。地は安寧でなければ、恐らく廃れるであろう。神は霊妙でなければ、恐らく絶えるであろう。谷川は満ち足りていなければ、恐らく涸れるであろう。万物は生み出さなければ、恐らく滅するであろう。諸侯は主でなければ、恐らく頓挫するであろう。
このように貴いものは賤しいものを本にすえ、高きは低きを基にすえる。ゆえに、諸侯は自らを孤とし寡とし不穀とし、これは貴いものが賤しいものを本にすえているということではなかろうか、そうであろう。だから、数々の栄誉を求めるものは栄誉を無くす。宝玉も石ころも欲さないのだ。
※孤・寡・不穀=孤独、すくない、不善。など

40章
優れた士は道を聞くと、勤めてこれを行う。中の士は道を聞くと、あるかないか判らず。下の士は道を聞くと、大いにこれを笑う。下に笑われるくらいでなければ、これを道とするに足りない。
この格言にこのようなものがある。「明確な道とは曖昧のようであり、真の前進は後退するかのようであり、真の道路は起伏があるようである。上徳は低い谷のようであり、広徳はムラがあるようであり、建徳はたるんでいるようであり、質朴と純真は変わりやすいかのようであり、純白は汚れているようであり、確固な形には角が無いかのようなのだ。大器は晩成し、偉大な音は耳では捉えられず、偉大な象徴は形として見えない」
道は隠れ名がない。その道こそが、よく力を与えてよく事を成すのだ。

41章
返り進むが道の動き。軟弱こそが道の働き。天下万物は有として生ずるも、有は無として道から出ずる。

42章
道が一を生み、一が二を生み、二が三を生んで、三が万物を生み出す。万物は陰を担ぎ陽を抱き、沖の気の干渉によって調和を為す。人の憎むのは、孤や寡や不穀といったことだが、王や公はそれを自ら称す。だから物を損なうことで益を受けることがあり、益したことで損なうこともあるのだ。
人の教訓は、私もまた教え伝えよう。「力でおし切ろうとする者は、真っ当な最後を遂げられない」私はこのことを教えの根本としたい。

43章
天下の最も柔らかなものが、天下の最も堅強なものを支配する。象無きものであってこそ、隙間も無いところまで入ることが出来る。私はこれにより、無為が有益であることを知った。不言の教えと無為の益は、天下にこれに及ぶものはほぼ存在しない。

44章
名誉と身体ではどちらが大切なものであろうか、身体と財産とではどちらが重い存在であろうか。得ることと失うことではどちらが害であろうか。
大いに惜しめば必ず大いに費やすことになり、多くを貯蔵すれば必ず多大な損失を受けることになる。充足を知るものは屈辱を避けることができ、止まることを知るものは危険を避けることができる。いつまでも長らえる事ができるのだ。

45章
真の完成は欠損があるようであり、その働きは疲弊することがなく、真の充満は空であるようであり、その働きは困窮することがない。真直は屈折しているようであり、巧妙は稚拙であるかのようで、達弁は訥弁であるようである。動き回れば寒さに勝ち、静かにしていれば暑さに勝つ。清らかで静かなものが天下の主となるである。
※躁勝寒、静勝熱=寒勝熱、静勝躁、として、寒は熱に勝ち静は躁に勝つ。でも可

46章
天下に道が行われているときは、伝令馬は退けられ耕作に用いられる。天下に道が行われていないときは、軍馬が郊外ちかくで活動する。欲をふくらませることが大いなる罪であり、充足を知らないことが大いなる禍いであり、むさぼり続けることが大いに痛ましい行いである。だから、足るを知る充足は、不変の充足なのだ。









「老子道徳経②」

2019-03-27 05:50:37 | 日本

20章
ハイとアアの言動にどれほどの差があろう。美醜の間にどれほどの差があろう。人の慎むものは、こちらも慎まないわけにはいかないが、ぼんやりしてどれほど慎むべきか判断しにくい。
大衆はいかにも楽しそうで、ごちそうを受け、春の日に高台から見晴らしているかのようだ。わたしはひとり静まり何の気配も示さず、まるでまだ笑うことを知らない赤子のようだ。疲れ果て身の置き所もないようだ。大衆は皆有り余るほどあるのに、わたしはひとり全てを失ったかのようだ。わたしの心はいかにも愚かで、混沌として明確でない。
世俗のものはきらびやかで輝いているが、わたしはひとり暗みに沈む。世俗のものは利口に分析するが、わたしはひとり悶々としている。まるで、みなもにたゆたうようであり、ひゅうひゅう止まぬ風のようでもある。大衆はだれもが貢献するが、わたしはひとり頑固な能無しだ。わたしはひとり周囲と異なっている。根本に養われることを大切にするのだ。
※太牢・たいろう=牛、豚、羊の三種そろった高級供物。美味しいごちそう。

21章
大きな徳を備えた者は、ひたすらに道に従う。道というものは、おぼろげでとらえどころがない。おぼろげでとらえどころはないが、その中には何かが存在する。とらえどころがなくおぼろげではあるが、その中に何かの形がある。奥深くほの暗いなか、かすかに精気が存在する。その精気は純粋で、そのなかに確かなものが存在している。
今より昔に及ぶまで、その名が消えることはない。それは根本から諸々を統べるのだ。わたしがどうして根本から諸々を統べている事が解るのか、それは道をもってである。

22章
つま先立ちでは長くは立てない、大股歩きで遠くは行けない。自らをあらわす者はかえって認められず、自らを善しとする者はかえって善さがあらわれない。自らを称賛する者は成功せず、自らを誇るものは存続できない。
これらは道からいうと、余分な食料、余計な行動である。余分な食料、余計な行動は万物がそれらを嫌うであろう。だから道をわきまえた者はそのような行いはしないのだ。

23章
曲がりくねれば全うでき、屈折すれば真っ直ぐになれ、へこめば溜まり、破れれば新たになれる。ひかえめならば得られ、多ければ惑う。これをわきまえた聖人は道を行い、天下の模範となるのだ。
自らをあらわさずにいてかえって明確にし、自らを善しとせずにいてかえって善さをあらわす。自らを自慢せずにいて功を得、自らを誇らずにいて存続する。そもそも争わないからこそ、天下に争うことのできるものがないのだ。古にいう、曲がる者は全うできるというのは、決して虚言ではない。真の姿のまま全うし源へと返せるのだ。

24章
音無き言は自然である。だから暴風は長続きせず、暴雨も長続きしない。これをおこすのはなにか、天地である。天地をして尚続けることの出来ないものを、人の手では騒いでも続けられない。これをわきまえ道に従う者は、道と同じくし、徳に従うものは、徳と同じくし、失に従うものは、失と同じくする。
道と同じくしようとするものには、道から受け入れられ、徳と同じくしようとするものには、徳から受け入れられ、失と同じくしようとするものには、失から受け入れられよう。誠実さが足りないと、受け入れられないものだ。

25章
あらゆるものを混成したものがあり、天地よりも先に生まれている。寂しく静まりおぼろげで、独立して不変であり、どこまで行っても危機は無い。それは天下の根本といえよう。
わたしはその名を知らないが、道と呼び名をつけ、強いてこの名から大と呼ぶ。大であれば広がり進み、広がり進めば遠くなり、遠くなればまた返ってくる。道が大であれば、天も大、地も大、王もまた大である。宇宙には四つの大があり、王はその一つを占める。人は地を模範とし、地は天を模範とし、天は道を模範とし、道は自然な行いを模範とする。

26章
重きは軽きの根本となり、静けさは騒がしさを統率する。これをわきまえた君子は、行動するときいつも荷物を従えて、公的に栄華であっても、私的にはそれを離れ静かなものだ。大国の主を天下より軽く扱ってよいものだろうか。軽ければ根本を失い、騒がしければ王の立場は失われる。

27章
善い行動は足跡を残さない。善い言葉は傷跡を残さない。善い算術は計算道具に頼らない。 善い戸締りはカギも閉めずに開けられることは無い。善い結びは縄紐もないのに解くことができない。
これをわきまえた聖人は、常に人を活用するから、どのような者も見捨てることは無い。また常に物を活用するから、どのような物も見捨てることは無い。これを明智に従うという。
このように善い者は、善くない者の師となり、善くない者は、善い者の反省機会となる。しかしその師を大切にせず、その機会を大切にしないのでは、智を有したとしても大いに迷うこととなるであろう。これを要妙、微妙なる真理という。

28章
雄雄しさを知りながら、雌雌しさを守れば、天下の谷間となろう。天下の渓谷となれば、真の徳が離れることは無く、赤子の状態へと戻れよう。
明白を知りながら、暗黒を守れば、天下の模範となろう。天下の模範となれば、真の徳が狂うことは無く、果て無き無限状態へと戻れよう。
栄光を知りながら、屈辱を守れば、天下の谷川となれよう。天下の谷川となれば、真の徳が満ち足り、純朴の状態に戻れよう。
荒木が散れば道具が出来る。聖人はこの働きを用い、それを長や官とする。だから細切れに割く事はしないのだ。

29章
天下を取ろうと望み動いても、私にはそれが成し得ないことだとわかる。天下は神器であり、何かしかけることはできず、つかむこともできない。しかけようとすれば敗れ、つかもうとすれば失う。
ものごとは、進むものがあれば追うものもあり、穏やかなものがあれば激しいものもあり、強いものがあれば弱いものもあり、成長するものがあれば壊れるものがあるのだ。これをわきまえた聖人は偏ることなく、奢れることなく、傲慢にならない。

30章
道をもって主を補佐するものは、武に頼って天下を取る事はしない。そのような事をすれば害が還ってくるものだ。軍の駐屯した所は、地が荒れ茨や棘のある植物が生え、大戦のあとは、必ずや凶作となるであろう。
善者は勝利するだけで、追撃を強いることはしない。成果をあげて誇らず、成果をあげて鼻にかけず、成果をあげて驕れず、成果をあげてもそれは止むおえない事であったとする。成果をあげても強いないのだ。
物事は強壮であるほど老衰する。これは道に従わないということだ。道に従わないのでは早々に滅することになるであろう。

31章
軍事というものは不吉な器であり、ひとはこれを嫌い、道をわきまえるものはこれを行わない。君子は普段左を貴ぶが、有事の際は右を貴ぶものだ。
軍事というものは不吉な器であるから、君子はつかうべきではなかろう。止むおえず使うことがあっても、執着なくあっさり行うのが好ましい。勝っても美徳とはならない。これを美徳とするのは、人を殺めることを楽しみとしていることだ。人を殺めることを楽しみとしては、天下を得たいと望んだとしてとても成しえるものではない。
吉事では左を上とし、凶事では右を上とする。副将軍は左に座し、大将は右に座するが、これはつまり喪の礼法を行っているのだ。多く人を殺めたときは、哀しみ悼みすすり泣き、勝利したとしても、喪の礼法を行う。

32章
道は常に無名である。純朴は小さくとも、上手く臣として用いることはだれにも出来ない。諸侯がもし純朴を守ることができたなら、万物が自らの下に集まるであろう。天地は和合し甘露を降らし、民は命令せずに自ずからまとまる。
始めて加工され名がつけられる。名がつけられたなら、止まることを知るべきだ。止まることをわきまえたなら危険はまぬがれよう。
道が天下にある様子を例えるなら、大海が川谷の流れを集めているようなものであろう。

33章
他人を知るのは知恵の働きで、自らを知るのは明智である。他人に勝つのは力があるからで、自らに勝つのは真の強さである。充足を知るのが真の豊かさである。努めて行い続けるのが真の志である。自らを見失わないことが長続きすることである。死して滅びないのが真の長寿である。

34章
大いなる道は溢れるように左右に行き渡る。万物はこれを頼みに生まれるがそれを言葉にしない。功を成してもそれを我が物とせず、万物をつつみ養っても、それらの主とならない。常に無欲なのは、小さい存在と呼べるが、万物がここに戻り帰っても、それらの主とならないのは、大いなる存在と言えよう。
これをわきまえた聖人がその偉大さを成しているのは、自らを偉大としないからこそ、その偉大さを成すことができているのである。










「老子道徳経①」

2019-03-26 05:46:14 | 日本

1章
道と示すことができる道は道ではなく、名と示すことのできる名は名ではない。無名は天地の始まりであり、有名は万物が生まれる母体である。
故に無欲であれば微妙なるところを認識できるが、欲望にとらわれるなら末端現象を見るに止まるであろう。この両者は、根本は同じであるが名は違う呼び方になる。根本の同じところを玄(奥深い深淵)と名づけ、そこから諸々の素晴しい働きをもつものが生まれるのである。

2章
世間皆、美しいモノを美しいモノとしてとらえるが、それは醜いモノで、世間皆、善いモノを善いモノとしてとらえるが、それは善くないモノである。有る無し、難しい易しい、長い短い、高い低いというものは、互いに相手が存在するからこそ差が生まれるのだ。音色と肉声は、互いに相手があるからこそ調和しあい、前と後は、互いの存在によって順序づけられる。
聖人はこれをわきまえ、無為の立場に身をおき、不言の教えを行うのだ。
万物に動きがあってもそれについて発言せず、物を生み出してもそれを生み出したものとせず、成功してもそれに頼ることはない。功を成してもそれに居座らないのだ。居座らないからこそ、離れることもないのである。

3章
優れた者を大事にしなければ、民は争わない。入手困難な珍品を貴重としなければ、民は盗みをしなくなる。欲を刺激するものを見せなければ、民は心を乱さない。
聖人はこれをわきまえ、人を治めるときには、心を空にさせ、その腹のほうを満たし、望みを弱め、その骨のほうを強くする。民を無知無欲の状態にして、知者がたぶらかそうとしても無効とするのだ。
このように無為(特別なことをしない自然な行動)をとれば、物事は上手く治まるのである。

4章
道は空っぽであるが、その働きは無尽であり、満ちることが無い。底なしの深淵のように深く、それは万物の根源であるらしい。
そしてそれは、全ての鋭さをくじき、紛れを解き、輝きを和らげ、全てのチリと同化する(和光同塵)。たたえられた水のように奥深くて、どうやら何かが存在しているらしい。私はそれが何であるかはわからないが、万物を生み出した天帝のさらに祖先であるようだ。

5章
天地の働きに仁はなく、物事を芻狗のようにいとも簡単に扱う。聖人の行動も仁があるわけではなく、人民を芻狗のようにいとも簡単に統べる。
天と地の間にあるこの世は、例えるなら風を送る吹子のようなものであろう。空っぽでありながら、生まれ出て尽きることなく、動けば動くほど生まれ出る。
多言はたびたび困窮するから、空の状態を守るに越したことはないであろう。
※芻狗・すうく=祭礼に用いられるワラ製の犬人形。祭礼が終わると廃棄処分される。

6章
谷の神は滅びず、それはいわゆる玄牝(神秘なる産みの働き)である。神秘なる産みの働きをこなす門、これはいわゆる天地の根源である。永遠に若々しく存在するようであり、その働きは尽きない。

7章
天は長久、地は久遠。天地が永久の存在である所以は、自ら存続しようとしないからこそ、長く存在することができるのである。
聖人はこれをわきまえ、わが身を後ろに置きながら先んじ、外に身を置きながらも存続する。それは欲を持たず無心であるからではなかろうか、だからこそ己を貫けるのであろう。

8章
上善とは水のようなものである(上善水のごとし)。水は万物の助けとなり、争うことが無い。多くのものが蔑み避ける位置に止まっている。これは道の働きに近いといえよう。
住むには地面の上がよく、心は深いほうがよく、仁は与えるほうがよく、言葉は信義を守るがよく、政事は治まるほうがよく、事は有能なのがよく、動くは時世のるのがよい。このように争わないからこそ間違いも起こらないのである。

9章
器を満たし続けようとするのはやめたほうがよい。鋭利に鍛えたものも長くは維持できない。金宝が家中に満ちている状態はとても維持し続けられない。富み驕れると、自らを滅ぼすことになる。
事を成し遂げたら、身を退く。それが天の道というものである。

10章
さまよう肉体をおちつけ道を守り、それから離れないでいられようか。気を集中して柔軟に行い、赤子のようになれようか。神秘なる心の鏡を清め、落ち度のないようにできようか。民を愛し国を治め、それで能無しのようにできようか。万物が出でる門が開閉するとき、静かでいられようか。隅々まではっきり解っていて、それで何事もせずにいられようか。
ものを生み、ものを養い、生み出してそれを生み出したものとせず、事を成してもそれに頼らず、長となってもしきらない。これを玄徳(奥深い徳)という。

11章
車輪は30もの棒が中央に向かい、中央がそれを支えることで出来ている。しかし、中央になにもない穴があってこそ車輪として機能する。土をこね固め、それで器は出来ている。しかし、器の中心が何も無いくぼみであってこそ器として機能する。戸や窓に穴を開けて家は出来る。しかし、家の中が何も無い空間であってこそ家として機能するのだ。
このように存在して利を為すのは、そこに空の働きが機能しているからなのである。

12章
五色をまじえ込み入った装飾は目をくらませる。五音をまじえ込み入った音楽は耳を痛める。五味をまじえ込み入った料理は味覚をそこなう。乗馬狩猟の歓楽は人の心を狂わせる。入手難の珍品は人の行いを誤らせる。
これをわきまえた聖人は、腹を満たすことにつとめ、目(感覚)を満たすことはしない。外にあるものは棄て内にあるものを取るのだ。

13章
寵愛か屈辱かでビクビクしている、それは大きな害となるものを、わが身のように貴重とするからだ。
寵愛か屈辱かでビクビクするというのは何であるか。それは寵愛を上と考え、屈辱を下と考えて、上手くいくかとビクビクし、失敗するかとビクビクする。これが寵愛か屈辱かでビクビクするという事であろう。
大きな害となるようなものをわが身のように貴重とするというのは何であるか。それは大きな害となるのは、自分に身体があるからである。自分に身体がなければ心配するようなことがあろうか。
このように天下を治めようとするよりも、わが身を大切にする者にこそ天下を託すことが出来る。天下を治めようとするよりも、わが身を愛する者にこそ天下をあずけることが出来るのだ。

14章
見ようとしても見えない、それを夷(形の無いもの)と名づける。聞こうとしても聞こえない、それを希(音の無いもの)と名づける。探してもとらえられない、それを微(微妙なるもの)と名づける。この三者はつきとめることができない。これらはもともと、混じり合って一つなのだ。
その存在の上だから明るいわけでなく、その存在の下だから暗いわけではない。おぼろげな存在で明確にできず、結局は無の物へと戻り帰るのだ。これを状態無き状態、形無き形といい、おぼろげなものと呼ぶ。
迎え見ても先頭が見えず、追い見ても後姿が見えない。古来の道を行い、それをもって今の物事を仕切れば、おおもとの始源を知ることができよう。これを道の紀元という。

15章
古来の道をなす者は、微妙なる働きの事に通じており、その深さはとてもはかり知ることができない。はかり知ることはできないが、強いてその姿をあらわすことにしよう。
冬の川を渡るようにためらい、あらゆる方向からの危険を恐れるようにグズグズし、姿勢を正した客のように厳粛で、氷がとけるように素直で、荒削りの木のように純朴で、谷のように深く、濁っているように混沌としている。
濁っていながら静かで徐々に清らかになるという事が誰にできようか。安定していながら動いて生み出していくという事が誰にできようか。道を守り行うものは、なにかで満ちることは望まない。満ちようとしないからこそ、失敗したとしてもまた新たになることができるのだ。

16章
空虚となることを極め、静けさを篤く守る。そうすると万物はすべて成長していくが、私はそれらがまたもとに戻る様子が見える。
物は盛んに茂っていくが、やがてはそれぞれの根に帰っていくものだ。根に帰るというのは静寂に入ることといい、それは本来の運命にもどることという。運命にもどるというのは常道といい、常道をわきまえている明智と呼ぶが、常道を知らないと、的外れの行いをしでかし悪い結果におちいる。
常道をわきまえていればいかなることも包容できる。いかなることをも包容できればそれは偏りなき公平であり、公平であればそれは王者の徳であり、王者の徳であればそれは天の働きであり、天の働きであればそれは道に通じ、道に通じていればそれは永久である。こうなれば生涯を通じて危機に陥ることは無いであろう。

17章
最上の者は、下々の者からその存在のみ把握されるだけである。その次は、親しまれ称えられるものである。その次は、恐れられるものである。その次は、侮られるものである。
誠実さが不足していると、信用されなくなるものだ。ゆったり構え発言を慎重にしていれば、それで事を成し遂げられ、民は皆、我々の行いで自然に成し遂げたというであろう。

18章
道が廃れて仁義が始まり、知恵が現れ偽りごとが起きた。親族が不和となり、慈愛と孝行が必要になった。国家が乱れ混濁し、忠臣があらわれた。

19章
聖を絶ち智を棄てれば、民の利益は百倍にもなろう。仁を絶ち義を棄てれば、民は孝行と慈愛をとりもどすであろう。巧みを絶ち利を棄てれば、盗賊はいなくなるであろう。
この三つの言葉ではまだ説明が足りないので、そこでさらに付け加えておくことにする。素をあらわにし純朴さを守り、利己心を抑え欲を減らし、学を絶ち憂いを無くす。









「老子道徳経の読み方」

2019-03-25 05:37:51 | 日本

早島正雄さんの「老子道徳経の読み方」について学ぶ。



道家(どうか)の思想の原点は、いうまでもなく老子が著したといわれる『老子道徳経』(一般には『老子』といわれている)である。

では、老子とはどんな人物で、老子道徳経とはどんなものなのだろうか。
老子は、司馬遷の『史記』によると「楚(そ)の苦県(こけん)の厲郷(らいきょう)、曲仁里(きょくじんり)の人で、姓は李(り)氏、名は耳(じ)、字(あざな)は伯陽(はくよう)、おくりなして聃(たん)という」となっている。

また『史記』には、老子に教えを請うた孔子が、「鳥は飛ぶもの、魚は泳ぐもの、獣は走るものくらいは私も知っている。走るものは網でとらえ、泳ぐものは糸でつり、飛ぶものは矢で射ることも知っている。だが、風雲に乗じて天に昇るといわれる竜だけは、私もまだ見たことはない。今日、会見した老子はまさしく竜のような人物だ」といったと記されている。

だから、もし老子が実在する人物であったなら、孔子と同じ時代、紀元前五世紀頃の人だということができる。
実在する人物であったならというのは、老子は生没年代も明確ではなく、また、老子道徳経の内容や文体を考察すると、一人の人物の頭脳から生まれたものとは考えにくく、その頃の道家の思想を集大成したものと考えられるからである。
しかし、老子が実在の人物でないとしても、それによって老子の思想的価値が下がるわけではない。逆に、儒教が孔子、仏教が釈迦、キリスト教がイエスの主観から生まれたのに対し、老子道徳経は、多くの頭脳の集積から生まれただけに、より普遍性を持ち、真理をついた思想ということができる。

この老子の思想の中核を成すものが「無為自然」の思想である。これは「宇宙の現象には、人の生死も含めて、必然の法則が貫徹していて、小さな人為や私意は入り込む余地はないのだ」という考え方が基本になっている。

つまり、人間などというものは、宇宙から見ればゴミのような小さい存在であり、人生は人の力ではどうにもならない自然の一コマに過ぎない。
しかし、人間はそういうことも分からずに、さまざまな我執(がしゅう)に振り回されてあくせくしている。人は生まれる前は“無”、そして死んでしまえばまた“無”に帰るわけで、自分のものなど何もない。これに気づき、くだらない見栄や欲を捨てれば、人生はもっともっと楽しくなる。これこそが人間として最高の生き方であるという考え方だ。

これまで日本では、この老子の思想というものはあまり重要視されてこなかった。孔子の儒教に比べて冷遇されてきたとでもいうべきだろうか。それは、時の権力者にとって、すべてにおいて儒教のほうが都合がよかったからである。
封建時代という階級社会では、修身や治国を「……してはいけない」調で説く儒教の教えは歓迎されても、「我執を放(ほ)かして楽しく生きましょう」という思想が受け入れられるはずがなかったのである。

しかし、現在道家の思想が静かなブームを呼んでいる。なぜだろうか。それは、今日あふれるほどの物質文明の恩恵をこうむるあまり、精神的な拠り所を失っている人々が非常に多いからである。人生とは何なのか、幸福とは何なのかを考えた時、はたして明確な答を示してくれるものがあるだろうか。富、名誉、そんなものは死んでしまえば何にもならない。
答えは一つ、「健康で楽しく生きること」ではないのか。それが人間としての生き方の原点ではないのか。それを前面に打ち出してうたってきたのが道家であり、老子なのだ。
まさしく老子は生きているのである。
今日ほど老子の思想が注目されている時代はない。

老子道徳経の“道徳”とは、宇宙には人為の及ばない法則(道)があり、万物はその道から本性(徳)が与えられる、というところから出たものである。モラルの意味ではない。















「孫子の兵法について学ぶ③」

2019-03-24 05:58:19 | 日本

「兵とは詭道なり!」

戦争とは、敵をだます行為である。

だから、本当は自軍にある作戦行動が可能であっても、敵に対しては、とてもそうした作戦行動は不可能であるかに見せかける。本当は自軍がある効果的な運用のできる状態にあっても、敵に対しては、そうした効果的運用ができない状態にあるかのように見せかける。

また、実際は目的地に近づいていながら、敵に対しては、まだ目的地から遠く離れているかのように見せかける。実際は目的地から遠く離れているにも関わらず、敵に対しては、既に目的地に近づいたかのように見せかける。

こうした、いつも敵にいつわりの状態を示す方法によって、

・敵が利益を欲しがっているときは、その利益を餌に敵軍の戦力を奪い取る。
・敵の戦力が充実しているときは、敵の攻撃に備えて防禦を固める。
・敵の戦力が強大なときは、敵軍との接触を回避する。
・敵が怒り狂っているときは、わざと挑発して敵の態勢をかき乱す。
・敵が謙虚なときはそれを驕りたかぶらせる。
・敵が安楽であるときはそれを疲労させる。
・敵が親しみあっているときはそれを分裂させる。
・敵が自軍の攻撃に備えていない地点を攻撃する。
・敵が自軍の進出を予想していない地域に出撃する。

これこそが兵家の勝ち方であって、そのときどきの敵情に応じて生み出す、臨機応変の勝利であるから、出征する前から、このようにして勝つと予告はできないのである。



「兵は詭道なり」の一節

兵は詭道なり。
ゆえに能なるもこれに不能を示し、用なるもこれに不用を示し、近くともこれに遠きを示し、遠くともこれに近きを示し、利にしてこれを誘い、乱にしてこれを取り、実にしてこれに備え、強にしてこれを避け、怒にしてこれを撓だし、卑にしてこれを驕らせ、佚にしてこれを労し、親にしてこれを離す。
その無備を攻め、その不意に出ず。これ兵家の勝にして、先には伝うべからざるなり。
「兵は詭道なり」は、孫子の兵法の第一章「計篇」で出てくる一節です。


◎「兵は詭道なり」の現代語訳

戦争とは、騙し合いである。
だから、本当はできることもできないように見せかけるし、必要であっても必要でないように見せかける。また、実際は目的地に近づいているのに遠く離れているかのように見せかけ、目的地から遠く離れているのに近づいたかのように見せかける。
敵が利益を欲しがっている時は利益を餌に敵を誘い出し、敵が混乱していればその隙に奪い取り、敵の戦力が充実している時は敵の攻撃に備えて防禦を固める。 敵の戦力が強大な時は戦いを避け、敵が怒り狂っている時はわざと挑発してかき乱し、敵が謙虚な時は低姿勢に出て驕りたかぶらせ、敵が休息十分であれば疲労させ、 親しい間柄であれば分裂させる。
こうして敵が攻撃に備えていない地点を攻撃し、敵が予想していない地域に出撃する。このように、兵家の勝ち方とは臨機応変の対応によるものであるから、あらかじめどのような方法で勝つかは人に話すことはできないのである。


◎「兵は詭道なり」の解説
孫子は戦争について「兵は詭道なり」と説き、戦いは所詮、敵と味方の騙し合いと考えました。
できることをできないように見せ、できないことをできるように見せる。そういった虚実の駆け引きが戦いの本質であり、相手の裏をかくことで弱者が強者に対峙したり、勝てる戦いに持ち込むのが兵法ということになります。
その意味では、兵法は臨機応変のもので常に定型の「勝利の方程式」ではありませんから、兵法を知らない他人から見るとわかりにくいものなのかもしれません。







「孫子の兵法について学ぶ②」

2019-03-23 05:43:35 | 日本

◆兵は国の大事にして、死生の地、存亡の道なり。
◆勢とは利に因りて権を制するなり。
◆兵は詭道なり。
◆能なるもこれに不能を示す。
◆その無備を攻め、その不意に出ず。
◆算多きは勝ち、算少なきは勝たず。
◆兵は拙速を聞くも、いまだ巧の久しきを賭ざるなり。
◆善く兵を用うる者は、役、再籍せず、糧、三載せず。
◆智将は努めて敵に食む
◆兵は勝つことを貴び、久しきを貴ばず。
◆百戦百勝は善の善なるものにあらず。
◆上兵は謀を伐つ。
◆小敵の堅は大敵の擒なり。
◆以って戦うべきと、以って戦うべからざるを知る者は勝つ。
◆彼を知り己を知れば、百戦して殆うからず。
◆先ず勝つべからざるをなして、以って敵の勝つべきを待つ。
◆善く戦う者は、勝ち易きに勝つ者なり。
◆勝兵は先ず勝ちて而る後に戦いを求め、敗兵は先ず戦いて而る後に勝ちを求む。
◆勝兵は鎰を以って銖を称るがごとく、敗兵は鎰を以って銖を称るがごとし。
◆戦いは正を以って合し、奇を以って勝つ。
◆戦勢は奇正に過ぎざるも、奇正の変は勝げて窮むべからず。
◆善く戦う者は、その勢は険にしてその節は短なり。
◆勇怯は勢なり。 疆弱は形なり。
◆善く戦う者は、これを勢に求めて人に責めず。
◆善く戦う者は人を致して人に致されず。
◆攻めて必ず取るはその守らざる所を攻むればなり。
◆進みて禦ぐべからざるはその虚を衝けばなり。
◆兵を形するの極は無形に至る。
◆兵の形は実を避けて虚を撃つ。
◆兵に常勢なく、水に常形なし。
◆迂を以って直となし、患を以って利となす。
◆兵は詐をもって立つ。
◆その疾きこと風の如く、その徐かなること林の如く、侵略すること火の如く、動かざること山の如し。
◆その鋭気を避けてその惰気を撃つ。
◆佚を以って労を待ち、飽を以って饑を待つ。
◆窮寇には迫ることなかれ。
◆君命に受けざる所あり。
◆智者の虜は必ず利害に雑う。
◆用兵の法は、その来たらざるを恃むことなく、吾の以って待つ有ることを恃む。
◆必死は殺さるべきなり、必生は虜にさるべきなり。
◆辞卑くして備えを益すは進むなり。  辞疆くして進駆するは退くなり。
◆しばしば賞するは、窘しむなり。
◆兵は多きを益とするにあらず。
◆慮りなくして敵を易る者は、必ず人に擒にせらる。
◆これに令するに文を以ってし、これを斉うるに武を以ってす。
◆敵を料りて勝ちを制し、険阨遠近を計るは、上将の道なり。
◆戦道必ず勝たば、主は戦うなかれと曰うとも必ず戦いて可なり。
◆卒を視ること嬰児のごとし、故にこれと深谿に赴くべし。
◆兵を知る者は動いて迷わず、挙げて窮せず。
◆呉人と越人と相悪むも、その舟を同じくして済り、風に遇うに当たりては、その相救うや左右の手の如し。
◆これを亡地に投じて然る後に存し、これを死地に陥れて然る後に生く。
◆始めは処女のごとくにして、敵人、戸を開き、後には脱兎のごとくして、敵、拒ぐに及ばず。
◆利にあらざれば動かず、得るにあらざれば用いず、危きにあらざれば戦わず。
◆主は怒りを以って師を興すべからず、将は慍りを以って戦いを致すべからず。
◆利に合して動き、利に合せずして止む。
◆爵禄百金を愛みて敵の情を知らざる者は、不仁の至りなり。
◆明君賢将の動きて人に勝ち、成功、衆に出づる所以のものは、先知なり。
◆聖智にあらざれば間を用うること能わず。  仁義にあらざれば間を使うこと能わず。
◆善く兵を用いる者は、例えば率然の如し。  率然とは常山の蛇なり。  その頭をうてば尾いたり、その尾うてば頭いたり、その中をうてば首尾ともにいたる。
◆衆を治むること、寡を治むるが如きは、分数これなり。
◆上下欲を同じくする者は勝つ。
◆兵未だ親付せざるにこれを罰すれば服せず。  故にこれに令するに文をもってし、これを斉するに武をもってす。
◆千里を行けども労せざるは、敵なき地を行けばなり。
◆攻め取りて、その功を修めざるものは凶なり。
 









「孫子の兵法について学ぶ①」

2019-03-22 05:48:56 | 日本

『孫子』は今から二千数百年前の著作物です。競争社会を生き抜くための智恵は、今もって古びることなく、最善の道筋を私たちに教えてくれます。


「1」勝敗は戦う前に決まる

◎無計画の行動から勝利は生まれない

・戦いは国家の一大事である。兵とは国の大事なり
・敵味方の情勢を冷静に判断する。之を知る者は勝ち、知らざる者は勝たず
・戦いは敵をあざむくことである。兵とは詭道なり
・戦う前に勝算が多ければ勝つ。算多きは勝ち、算少なきは勝たず


◎経済が戦争を作している

・長期逗留は兵の士気を下げる。勝つに久しければ則ち兵を鈍らせ鋭を挫く
・戦いをとにかく早く終わらせる。兵は拙速なるを聞く
・軍の食糧は敵地で調達する。用を国に取り、糧を敵に因る
・勝利を尊重するが長期戦は避ける。兵は勝つを貴び、久しきを貴ばず


◎敵の力を損なわず謀略で攻める

・戦わず敵の兵を屈服させるのが最善。戦わずして敵の兵を屈す
・最上の軍は敵の謀略を破る。上兵は謀を伐つ
・兵力差に合わせて軍を動かす。十なれば則ち之を囲む
・将軍は国の補佐役である。将とは、国の輔なり
・勝利を見極めるポイントは五つ。勝ちを知るに五有り


「2」形勢と戦術で勝利をつかむ

◎必勝の形を立ててから戦う

・敵が勝てない態勢を整える。先ず勝つべからざるを為す
。劣勢のときは守備を選ぶ。つべからざる者は守なり
・戦上手は勝ちやすい敵に勝つ。善く戦う者は、勝ち易きに勝つ者なり
・勝算ある戦いに勝つ。勝兵は先ず勝ちて而る後に戦いを求む
・軍事は緻密な計算が必要。勝兵は鎰を以て銖を称るが若し


◎集団の勢いが勝利をもたらす

・大軍を統率する技術が必要。衆を治むること寡を治むるが如し
・正攻法と奇襲を利用して勝つ。戦いは、正を以て合し、奇を以て勝つ
・集団の勢いに乗じて勝つ。激水の疾くして、石を漂わすに至る
・形と利を示して、敵を誘導する。利を以て之を動かし、卒を以て之を待つ
・巧みに戦う者は集団の勢いを使う。善く戦う者は、之を勢に求めて人に責めず


◎敵の空虚を撃ち、充実を避ける

・敵を操り、主導権を奪われない。善く戦う者は、人を致して人に致されず
・理想の軍は神出鬼没である。善く攻むる者は、敵其の守る所を知らず
・自軍を隠して、敵を分断させる。人を形せしめて我に形無し
・戦いの前に敵の虚実を知る。之を策りて得失の計を知る
・無形の軍に対応策はない。兵を形すの極は無形に至る
・水のように柔軟な軍の形が理想。夫れ兵の形は水に象る


「3」軍や戦局を柔軟にとらえ、動かす

【◎軍の機先を制し、争いを有利に運ぶ

・軍を万全の状態で移動させる。軍争より難きは莫し
・外交や地形の情報を探る。諸侯の謀を知る者
・戦況に応じて巧みに変化させる。其の疾きこと風の如し
・軍の統率は身勝手な行動を許さない。此れ衆を用うるの法なり
・敵の気力を制御して勝つ。
・地勢が及ぼす影響を軽んじない。高陵には向かうこと勿かれ


◎局面の変化に柔軟に対応する

・軍や君命を固定観念でとらえない。塗に由らざる所有り
・総合的・大局的に利害を判断する。智者の慮は、必ず利害を雑う
・統率者には五つの禁忌がある。将に五危有り


「4」地の利を生かして戦に勝つ

◎地形に配慮して行軍する

・行軍時は四つの地勢に注意せよ。そ軍を処き敵を相る
・利のある場所に軍を布陣する。此れ兵の利、地の助なり
・危険をもたらす地勢を避ける。必ず亟かに之を去り、近づくこと勿かれ
・わずかな情報で迅速に行動する。衆樹の動く者は来たるなり
・敵の布陣や行動から策を見抜く。半進半退する者は誘うなり
・兵との信頼関係は飴と鞭で築く。是れを必取と謂う


◎地形を生かし、兵を大切にする
・行軍を困難にする地形がある。地形には通ずる者有り
・敗北は将軍の過失である。天の災いに非ず、将の過ちなり
・地形は勝敗に大きな影響を与える。地形なる者は兵の助なり
・兵をわが子のように大切にする。卒を視ること嬰児の如し


◎九つの地に応じて迅速に攻める

・戦地の形勢を把握して対処する。用兵の法、散地有り
・敵の要所を攻めて態勢を崩させる。先ず其の愛する所を奪わば、則ち聴かん
・敵地への侵攻は、深く徹底的に。深く入れば則ち専らにして、主人克たず
・俊敏に連携をとり、死角を排する。善く兵を用いる者は、譬えば率然の如し
・情報は役割に応じて管理する。能く兵の耳目を愚にし
・敵の油断を誘い、迅速に攻める。始めは処女の如し


「5」実を得て戦いを終わらせる

◎火で効果的に攻め、利ある戦いをする

・火攻めには五種類の方法がある。凡そ火攻に五有り
・火攻めも変化に応じて攻撃を変える。火攻は必ず五火の変に因りて之に応ず
・水攻めより火攻めが優位。火を以て攻を佐くる者は明
・怒りや恨みで戦争を始めない。利に合えば動き、利に合わざれば止まる


◎間諜を活用して情報戦を制する

・大軍の遠征は莫大な犠牲を伴う。百姓の費、公家の奉、日に千金を費やす
・勝敗は人の知性で予測する。先知なる者は、鬼神に取るべからず
・間諜を用いるのに五つの方法がある。間を用いるに五有り
・優れた間諜には優れた主が必要。聖智に非ざれば、間を用うること能わず
・攻撃対象の城や人物の周辺を調べる。吾が間をして必ず索りて之を知らしむ
・優れた間諜の活躍が国を助ける。兵の要にして、三軍の恃みて動く所なり














「軍神 杉本五郎&『大義』③」

2019-03-21 05:48:52 | 日本

◎逸話

杉本は一人の老師(師家)に参禅を請い願ったのだが、断られている。「軍人が座禅などするより、軍人の職務に全うすることが禅である」と断れれたのである。ところが、杉本は「山岡鉄舟は禅の修行の結果、解脱して生死を乗り越え、明治維新において顕著な働きを演じたことを例に出して、禅の修行をしたいことを老師に説得し、ようやく禅門に入ることを許された。広島の仏通寺の山崎益州管長のことしか書いてないが、山崎老師に参禅する前の話である。

杉本は禅の修行を徹底して行った。土曜、日曜の休日には、仏通寺にやってきて座禅を組んだ。ほとんで寝ることなく、夜坐をした。車を利用することなく歩いて寺にやって来た。片道8キロという道のりを、夜中でも灯りがなく歩いてきた。ときには暗闇のなか、溝のなかに足を滑らすこともあった。たとえ大演習のあとでも疲れた様子を見せることなく、座禅、参禅をおこなった。また、職場である連隊のどこでも座禅をするものだから、連隊で座禅をすることを禁じられている。

また、杉本は己の修行に厳しいだけでなく、雲水や管長と言われるような人に対しても厳しく対処している。「大悟徹底しているなら、世間に出て、人々の救済をなぜしないのか。世間は大変なときに安穏と寺で暮らしているのは許せない」と。

杉本は軍務や禅に一生懸命で、身なりを一切構わない無骨な武人であった。そのこと自身は素晴らしいことであるが、親族が「それでは嫁がきてくれない」と心配をしだした。そこで杉本の叔父が杉本に言った。「嫁を貰い、子孫を残すことは軍人として、お前のよく言う、大君のおぼしめではないのか」。杉本は意外にもこの申し出をすんなりと受け入れた。そして言った。「ただし2つの条件があります。1つは嫁は絶対に俺に服従のこと。2つ目は軍人である俺はいつ死ぬか分からない。死んだあと子供たちを立派に育ててくれること」。叔父は困った。2つ目は軍人の妻になるのだから仕方がないとして、1つ目のことについて納得して嫁になってくれる女性などいないからである。時代は大正時代。男女同権などということまで言われだした時代である。絶対服従を認める女性がいるだろうかと叔父は思った。実は叔父は叔父の姉の娘のさざえ(?)のことが頭にあった。さざえは大人しく、いつも針を動かしているような女性だが、絶対服従となると、抵抗があるだろう。杉本とさざえとは親戚であるので、顔をあわすことはよくあった。しかし、二人が会話するような場面はほとんどなかった。

そこで、叔父は杉本に言った。「何がなんでも、絶対服従はおかしい」。杉本は言った。「そのようなことはありません。天皇に対して我々は絶対服従であり、主人に妻が絶対服従であることがどこがおかしいのでしょうが。それを認めないことこそ、無責任というものです」。

なんとか結婚式をとりおこなうまでになった。披露宴は自宅で行われた。親族縁者が集まって宴となった。その時、花婿である杉本はいつのまにか姿を消してしまった。そしてある男が客に接待をしだした。実はこの男こそ杉本であるのだが、だれも杉本であることに気づかない。杉本の接待の仕方は融通無下であった。相手に応じて接待の仕方を変えるのである。大きな声で歌っているかと思えば、真面目な態度で議論をしている。全く普段の杉本とは違っていた。最後に杉本はさざえの前に進み寄って言った。「そこではなく、上座に座って下さい」。それまでに自分が座っていたところにさざえを座らせ、さらに言った。「いまから一番大切はことを言いますから、よく聞いてください。これから、貴女に陛下の股肱(ここう)(けらい)をお預けします。よろしくお願いします」

さざえはそれまでの杉本の客を接待している姿を観察していて、杉本の普段には見せない、それでいて、杉本の本質的な人間性を見ぬいたのである。。杉本の言葉に少し笑みを浮かべて頷いた。











「軍神 杉本五郎&『大義』②」

2019-03-20 05:44:16 | 日本

◎杉本五郎中佐にみる国体認識と彼の生き方

戦前・戦中には杉本中佐のことは誰でも知っているような有名な人であったようだ。というのは、彼が息子たちに書いた遺言をまとめて本にした『大義』が、延べ130万冊売れるようなベストセラーになったからである。

杉本は昭和12(1937)年9月に支那事変の戦闘で戦死している。弁慶ではないが、立ったまま往生を遂げている。敵の手榴弾を浴びて倒れた杉本中佐は、軍刀を杖にして、立ち上がり、号令をかけ、倒れることもなく遙か皇居の方向に正対、挙手敬礼をして絶命したという。

杉本の国体論は当時の国体論のなかでも極右のものである。国体論に共通することは万世一系の天皇を中心とする考えであるが、杉本の天皇観は以下のようになる。

「万物を創造したる創造主の神。天皇は絶対であり、諸道、諸学全て天皇に帰する。小さい虫からそよかぜまでの森羅万象は、天皇の心の現れである。だから世界は天皇の所有物である。釈迦、イエス、孔子の信仰は邪道にして、武士道でさえ、藩主に対する忠誠に留まるなら邪道になる。君子への忠誠まで昇華しなければ、本物の武士道とはならない。全て天皇に帰するのが聖道。天皇の前には己を無にし、天皇のために命を捧げることが大事である」。

杉本の国体論での天皇は一神教の神と同じである。狂信的で古来からある天皇信仰とは違う異質のものである。

ところが、このような天皇信仰、国体論がもてはやされ、杉本の本が130万冊も売れた現実を直視しなければならない。ただ単なる軍国主義と片付けてしまうと、当時の人々の心が浮かんでこない。


【緒言】

私の子、孫たちに、根本とすべき大道を直接指導する。
名利など、なにするものぞ。
地位が、なんだというのか。
断じて名聞名利のやからとなるな。

武士道は、我が身を犠牲にする心(義)より大きなものはない。
その義の、もっとも大事なものは、君臣の道である。
出処進退のすべては、もっとも大きな大義(君臣の道)を根本としなさい。

大義を胸に抱かないなら、我が子、我が孫と名乗ることを許さない。
たとえ貧乏のどん底暮らしとなったとしても、ただひとえに大義を根幹とする心こそが、私の子孫の根底である。

(原文)吾児孫の以て依るべき大道を直指す。名利何んするものぞ、地位何物ぞ、断じて名聞利慾の奴となる勿れ。
士道、義より大なるはなく、義は君臣を以て最大となす。出処進退総べて大義を本とせよ。大義を以て胸間に掛在せずんば、児孫と称することを許さず。一把茅底折脚鐺内に野菜根を煮て喫して日を過すとも、専一に大義を究明する底は、吾と相見報恩底の児孫なり。孝たらんとせば、大義に透徹せよ。

第二章 道

天皇の大御心に然うように、「自分」を捨て去って行動することが、日本人の道徳というものです。
では、天皇の御意志・大御心とはどういうものなのでしょうか。
その答えは、御歴代皇祖皇宗の御詔勅にあります。

その詔勅のすべてが、大御心の発露となっています。
わけても明治天皇の教育勅語は、最も明白に示された大御心の代表的なるものと拝します。
いいかえると、天皇の御意志は、教育勅語に直接明確に示されている。

ですから私たちは、教育勅語の御精神に合うように「自分」を捨てて行動すること。
それが、日本人の道徳観です。

その教育勅語の根本にある精神は、個人の道徳観の完成にあるのではありません。
天壌無窮の皇運扶翼にあります。

天皇の御守護のために、老若男女、貴賤貧富にかかわらず、ひとしく馳せ参じ、死ぬことさえもいとわないこと、これが日本人の道徳の完成した姿です。
つまりそれは、天皇の御為めに死ぬことです。

このことを言い換えると、天皇の御前に、「自分」とか「自己」とか「私」とかは「無い」という自覚です。
何も無いということは、億兆とその心は一体であるということです(「無」なるが故に億兆は一体なり)。

私たちは、天皇と同心一体であることによって、私たちの日々の生活行為は、ことごとく皇作、皇業となります。これが、日本人の道徳生活です。

つまり、日本人の道徳生活必須先決の条件は、「自分というものを捨て去ること」、すなわち、「無」なりの自覚に到達することです。

(原文)天皇の大御心に合ふ如く、「私」を去りて行為する、是れ日本人の道徳なり。天皇の御意志・大御心とは如何なるものなりや。御歴代皇祖皇宗の御詔勅、皆これ大御心の発露に外ならず。別けて明治天皇の教育勅語は、最も明白に示されたる大御心の代表的なるものと拝察し奉る。換言すれば、天皇の御意志は教育勅語に直截簡明に示されある故に、教育勅語の御精神に合う如く「私」を去りて行為すること、即ち日本人の道徳なり。而してこの御勅語の大精神は「天壌無窮ノ皇運扶翼」にして、個人道徳の完成に非ず。天皇の御守護には、老若男女を問はず、貴賤貧富に拘らず、斉しく馳せ参じ、以て死を鴻毛の軽きに比すること、是れ即ち日本人道徳完成の道なり。天皇の御為めに死すること、是れ即ち道徳完成なり。此の理を換言すれば、天皇の御前には自己は「無」なりとの自覚なり。「無」なるが故に億兆は一体なり。天皇と同心一体なるが故に、吾々の日々の生活行為は悉く皇作皇業となる。是れ日本人の道徳生活なり。而して日本人の道徳生活必須先決の条件は、「無」なりの自覚に到達することなり。











「軍神 杉本五郎&『大義』①」

2019-03-19 05:42:05 | 日本

軍神 杉本五郎&『大義』について学ぶ。



杉本五郎(すぎもと ごろう、明治33年(1900年)5月25日 - 昭和12年(1937年)9月14日)は、日本の陸軍軍人。遺言本『大義』が大ベストセラーとなり、当時の思想に影響を与えた。


◎生涯

広島県安佐郡三篠町(現在の広島市西区打越町)生まれ。少年期から将校に憧れ、大正2年(1913年)、質実剛健を伝統とする広島藩の元藩校である旧制修道中学校(現修道中学校・修道高等学校)入学。大正7年(1918年)修道中学校を卒業し、陸軍士官候補生として広島の歩兵第11連隊に入隊。しかし同年起こった米騒動は、日本帝国の内部的危機の開始を告げる大事件となり、国体安泰の安易な夢が一瞬に打ち破られ、杉本の深刻な思索と悲壮な人生が始まった。小作争議が激化し日本資本主義の屋台骨は揺らぎ始め、ロシア革命の影響で社会主義が台頭、また軍事的封建的支配の圧迫が加わり、社会に暗い圧迫感と絶望感が充満した。兵営の中から混乱した世の中を眺めた杉本は、危機を直感し自ら救世の先達になる決意を固めたのでは、と言われている。しかし軍隊に入った杉本には窓は一方にしか開かれておらず、皇国の精神を発揚し実践するための勉学と修養とに全精神を傾倒していく。

大正8年(1919年)陸軍士官学校(33期)本科入校。大正10年(1921年)同校卒業。歩兵少尉に任官、再び歩兵第11連隊附となり、陸軍戸山学校、陸軍科学研究所で短期間の教育を受ける。また軍務の傍ら広島から毎週1回は必ず三原市にある臨済宗大本山・仏通寺に修養に通い出征までの9年間これを続けた。本来個人の精神的な修養原理である禅を国家論や道法論、人生論に持ち込み、独自の思想を形成していく。

昭和6年(1931年)、満州事変では第5師団臨時派遣隊第2大隊第8中隊長として出征、中国天津方面で軍事行動ののち帰還。この後、出世コースである陸軍大学校受験をしきりに薦められたが、「中隊長という地位が私の気持に一番よく叶っている。これ以上の地位につきたくない」と拒否、「兵とともに在り、兵と生死をともにしたい」と願った。実際は、上官の受験への強い勧めに抗しきれず、一度だけ陸軍大学を受験している。結果は不合格であった。息子同然である兵の身上をよく調べ、貧しい兵の家庭へは、限られた給料の中から送金を欠かさなかった。昭和11年(1936年)勃発した二・二六事件に対しては「皇軍の恥」として、共産主義に対すると同様に不忠の汚名をかぶせ非難した。翌昭和12年(1937年)支那事変(日中戦争)が勃発。同年8月少佐に昇進、第2中隊長のまま、長野部隊に属し中国激戦地に従軍。同年9月、山西省広霊県東西加斗閣山の戦闘に於て戦死。岩壁を登って敵兵約600の陣地へ、号令をかけながら突撃。手榴弾を浴び倒れたが、軍刀を杖としてまた立ち上がると再び号令をかけ、倒れる事なく遥か東方、皇居の方角に正対、挙手敬礼をして立ったまま絶命した。38歳の生涯であった。


◎大義

死の寸前まで四人の息子への遺書として書き継がれた20通の手紙を妻へ送っている。これに接した同志らによって、これは私蔵すべきでない、と20章からなる遺書形式の文章『大義』として昭和13年(1938年)5月に刊行された。これが青年将校や士官学校の生徒など、戦時下の青少年の心を強く捉え「軍神杉本中佐」の名を高からしめ、終戦に到るまで版を重ね29版、130万部を超える大ベストセラーとなった。本書は戦時中の死生観を示す代表的な著書とされ、天皇を尊び、天皇のために身を捧げることこそ、日本人の唯一の生き方と説いている。本書を読み杉本に憧れ軍人を志した者も少なくない。文中、幾ヶ所も伏字があり、これは杉本の思いがあまりにも純粋で、当時の権力者をも容赦せず、軍部の腐敗や軍規の緩みなども手厳しく批判した箇所といわれる。あまりに純粋な言行を煙たがれ激戦地に送られた、という噂が戦後出た。

本書にも登場する仏通寺の山崎益州管長は「少佐の次の大尉でなく、中尉の上の大尉でない。中隊長としても、他と比較することの出来ない「絶対の中隊長」であり「永遠の中隊長」であった」と述べている。

大山澄太の『杉本中佐の尊皇と禅』、山岡荘八『軍神杉本中佐』、城山三郎『大義の末』、奥野健男『軍神杉本五郎の誕生』、中桶武夫『軍神杉本五郎中佐』などの関係本がある。近年、城山がブームとなっているため、城山に多大な影響を与えたといわれる杉本もよく取り上げられている。その他広島で被爆死した映画監督・白井戦太郎が1938年、大都映画で 『噫軍神杉本中佐 死の中隊』という映画を製作している。

仏通寺の境内に杉本を記念する小さな碑と、渓流を隔てた岩壁に杉本の大書した「尊皇」の二文字が残る。












「徒然3」

2019-03-18 05:39:54 | 日本

「先人の心に学ぶ」

◎目に見えない、肉体の中に意(こころ)が在り、意(こころ)の中に志を立てるのである。志を大きく持つか小さく持つか、「鉢」の大小に依って定まる様に、人は志」の大小に依って定まる。大志を抱く者は、この「鉢」を取り除けばよい。

◎時は夢幻の如くに浪費してしまう。
「朝起きて夕に顔は変らねど いつの間にやら年寄となる」

◎小人とは、教養なく度量が狭い人を言う。この為に人は、日頃に心の修養と胆力を練り上げて、艱難に対処のできる様に心を練り上げておかねばならない。

◎消防士が炎々と燃えあがる猛火の中に泰然として立つのも、荒れ狂う怒涛の中に自若として働くのも、皆、鍛錬と経験とによって得た確固たる自信と牢乎(しっかりしたさま)たる覚悟とがあるからである。

◎「金々と騒ぐ中にも年が寄り その身が墓に入相の鐘」

◎「外からは手も付けられぬ要害も 内から破る栗のイガ哉」

◎色と味
「美しき花によき実はなきものぞ 花と思はず実の人となれ」
柿、梨、栗などの実を付ける花は、実を付けない芍薬(しゃくやく)、牡丹(ぼたん)、百合(ゆり)の花のように美しい花は咲かせない。花を取るか、実を取るか。 
色、美しくて、味、まずきものあり。

◎「咲く花の色香にまして恋しきは 人の心の誠なるけり」
お互いの容貌を見て好きになるのではない。好き嫌いは、己の心が教えるのである。そこには心と心が通じ合うのである。

◎「忠恕(ちゅうじょ)即ち、「思いやり」の義
大人、君子、偉傑の士は、己立とうと思えば人をも立て、己達しようと思えば人をも達する。仁の意義はここにある。

◎雅量とは、心の正しく広いこと。

◎人は、金の乏しいとこれを嘆くが、それよりも人物の少ないことを残念に思う。

◎今の日本に要するものは金にあらず、寧ろ大人物の登場であろうと思う。
















「徒然2」

2019-03-16 07:06:49 | 日本

◎誰も予想だにしなかった人物が、誰も予想しなかった偉業を成し遂げる。

◎威風堂々たる道義国家日本を広く天下にしろしめすのだ。

◎返さなくてもいい金がある。それは日本のために使う金である。

◎世の万物はすべて道といえる。陰陽の調和や剛柔の兼備もしかりだ。

◎統治の理想は、無為自然だと思うか?
人は天理を前にしても、受け身にならず主体的に動くべきである。つまり事を成すためには自らが行動し、水のごとく流れに乗るべし。

◎如何にその機会を掴むのか?
機会があっても潮時でなければ大事は成せぬ。潮時でも機会がなければ、やはりだめである。機会があり、潮時であっても、相応しい者でなければ大事は成せない。さらに時世は破竹の勢いにある。それらの条件が揃うことが重要である。

◎世を正すには力がいる。その度量が必要だ。

◎楠正成
戦は大事なもののために戦うこと。大事な者のために死ぬことは負けとは言わぬものである。それゆえ、勝ち目負け目の見栄えなく、唯一心不乱に戦をするのみである。
死ぬだけが武士の道ではない。武士が一番大事にしなければならないのは、二つとない命である。如何なる道を志そうとも、命無きもとで何が出来ようか。武士の一番の恥は無益な死である。この国生まれ、少しでも報いることができたとすれば、惜しくはない命である。

◎平田精耕
生きていることが目的である。生きているということのために、我々は生きている。鉛筆は書くためにある。通常は何かのために生きている。しかし我々は、「生きていること自体が目的である。」

◎この有限な体の上に無限が現じていく。有限が会って無限が現成していくわけである。お互いに、この体の上に現れるより他に仏の姿が現れていく場所がない。

◎道は必ず拓けるもの、すべては天命である。

◎草莽とは、
本来は民間に会って地位を求めず、国家的危機に際し、国体護持への忠誠心に基づき行動に出る人を「草莽の臣」という。

◎独りでいても寂しくない男たれ
寂しさを受け止めるということは、自分と向き合うことである。そうすることがで内面を豊かにすることができる。その為には、実は一人でいる孤独の時間がとても大切である。寂しさが成功のためのエネルギーを生み出す。