日本の伝統的木造建築物「五重塔」がもつ「心柱(しんばしら)」にちなんで命名したものである。
五重塔は地震による倒壊がほとんどない。
激震に見舞われたとき、隣に建つ御堂が倒れても木塔だけが残るケースも多い。
かの伊東忠太(建築家・建築史家)も、「関東大震災でも五重塔はまったく損害がなく、 歴史上、五重塔が倒れたケースを知らない」と伝えている。
1995年の阪神・淡路大震災においても、兵庫県にある15の三重塔はほとんど無損傷だった。
一方で、コンクリート造の三重塔にはヒビが入った。
三重塔、五重塔は「多重塔」という形式で、その基本的な構成は、一重ごとに軸部・組物・軒を
順次組んで積み重ねていくものである。
内部の真ん中は、相輪(そうりん)という塔の先端部を支持する心柱だけが一本でつながっている。
つまり、真ん中のところは、吹抜けの中空構造になっていてそこに心柱が立っているという格好である。
寺院建築の様式は仏教とともに中国から伝わったが、その中国の塔には心柱がない。
一方で、日本では三内丸山遺跡の巨木跡や諏訪神社の御柱(おんはしら)、伊勢神宮の心の御柱(しんのみはしら)、「天御柱神」「国御柱神」というように、柱信仰が古くからあった。
とすると、多重塔における心柱は、信仰の対象という意味合いだったとも考えられる。
この心柱は、古くは法隆寺の五重塔のように根元を地下に埋めた堀立柱のものから、地上の礎石の上に立てられるようになり、塔の一層目の梁上に立てられるようになって、江戸時代後期には、日光東照宮の五重塔のように心柱を上から吊り下げる構法までと、さまざまである。
ただ、いずれにせよ、心柱が、塔体の木造架構系から構造的に独立し、中空構造になっている。
五重塔が倒れない理由は、心柱が振子となって制振効果があるという説、心柱と塔体の振動が牽制し合って効果があるという説、一層ごとに互い違いにくねくねと揺れることで倒れないという説、そもそも木組でできているので接合部には「遊び(余裕)」があるので、そこで力を吸収できる、などさまざまな説があり、100%には解明されていない。
ただ、心柱が、全体の安定化に何らかのかたちで寄与していると推測されている。
さて、東京スカイツリーの「心柱制振」は、同じく塔であり、中空構造をしていて、その中に構造的に独立した柱をもっている。
五重塔からダイレクトに取り入れたシステムではなく質量付加機構という既知の原理に則ったものだが、もちろん当初より五重塔の話は知っており、潜在意識のうちのことなのか、五重塔に一脈通じるものがある。
そこで、いまだ解明されていない日本古来の業への敬意を込めて「心柱制振」と名付けた。
◎心柱のふしぎ
数ある日本建築の中で仏塔は本格的な木造の高層建築であり、その姿形の美しさ、構造の巧みさは他の追随を許さない。しかも、高層建築でありながら地震や大風、とくに地震に対しては驚異的ともいえる強さを発揮する。
心柱は五重塔の構造の中でも、別格の神秘性をもって位置づけられている。
それは、宗教的意味合いのみならず、耐震性の根源を心柱に求める説や、何十トンもある希少な巨木を運搬・加工させた権力・財力、それらをつなげて30メートル以上の高さに直立させる職人技など、我々の想像力を十二分にかき立ててくれる存在である。
◎大黒柱 と心柱
スカイツリーには、五重塔の心柱と同じ技法が用いられているのは有名。
何故、五重塔は倒れないのか?
其れは仏教伝来によりもたらされた日本の文化革命の始まりであろう。
五重塔が倒れないのは、地震に因る揺れを ”心柱” のしなやかさが逃がす 「柔構造建造物」 だからである。
現代の住宅は釘や金物で接合すが、塔は差し込み接合で、塔の五つの部分は独立した重箱形式。
それでも地震で揺れが生じると、塔の中心に心柱が通してあり、此の心柱が共振し揺れを逃がすからだ。
日本人には古来より 「大きい巨木信仰」 があり、直径1mを超すような ”心柱” 技術を民家にも応用した。
家を作るとき地震に因る揺れを逃がす工夫に、”心柱” ならぬ一尺もあろうかとする ”大黒柱” を用いた。
いわゆる 「巨大な一本の柱 ”心柱”」 こそ安心感をもたらすという事であろう。
”大黒柱” ・・・一家の主を大黒柱というが、安定した経済状態をもたらし、家庭の揺れを防ぐ人の事である。
近年、家づくり技術は大きく進歩(?)したと言われるが、”巨木” と ”差し込み式” には敵わないのか。
科学進歩第一主義が持て囃さるが、古来よりの技術を再確認する必要もあろう。