龍の声

龍の声は、天の声

「人工的異常電磁波は周波数に関わらず全て有害である」

2017-11-30 05:42:53 | 日本

滝沢泰平さんのブログに「人工的異常電磁波は周波数に関わらず全て有害である」について掲載されている。
以下、要約する。



これを提唱したのは、電磁生体学の世界的権威でノーベル賞に2度もノミネートされたロバート・ベッカー博士(ニューヨーク州立大)。

ロバート・ベッカー博士は、人工電磁波の持つ10の危険性について以下のように述べています。

電磁波の10の有害性
1)発ガン作用がある(イニシエーター効果)
2)発ガン細胞の成長を促進する(プロモーター効果)
3)成長細胞に悪影響を与える(お腹の中の胎児に奇形が起こる)
4)胎児の異常発育が起こる
5)神経ホルモンが変化する
6)異常行動が起こる※高圧線の側に住んでいる人の自殺が4割増すのはセロトニンが激減するから
7)生理的リズムが阻害する(不眠症)
8)ストレス反応(アドレナリンが発生する)
9)免疫機能が低下する(メラトニンが激減する)
10)学習能力が低下する

博士が電磁波の危険性を提唱していた時代よりも今はさらに文明も科学も進歩し、一方で電磁波問題はより身近の家庭内や生活のすべてにまで深く関与してくるようになりました。

日本人のガン患者の増加、精神疾患の増加は、単なる生活習慣の問題だけでなく電磁波を中心とした生活環境の問題も関係していることは、テレビや新聞のメディアは伝えていません。

一昔前までは、高圧電線の近くに住むことだけ注意していれば良かったものの、今はコンピューター技術が生活の至る場面に広がり、さらに携帯電話の基地局だけでなく、今は空港から駅、店舗から自宅に至るまでWiFiが張り巡らされ、情報取得に便利になっていく一方で電磁波への不安は強まるばかりです。

様々な電磁波が身近に迫ってくる中、今となっては大人だけでなく、小さな子供からお年寄りまでも当たり前に使っているスマートフォン。

スマートフォンは、小型パソコンというよりは小型電子レンジのようなものであり、これまでのガラケーと呼ばれる携帯電話とは比較にならないほど強い電磁波を発生することが問題視されています。


◎4ミリガウス。

これはWHOの国際がん研究機関が、2001年10月「事実情報(ファクト・シート)」で、電磁波により「4ミリガウスを境に小児白血病発症の危険が倍増する」と発表した値です。

1979年以来行われてきた高圧送電線などによる生活中の電磁波と小児白血病に関する20件近い疫学調査を分析評価したものであり、通常、小児白血病の発症率は10万人に3~5人といわれています。

日本でも同じような研究調査が行われ、子ども部屋の電磁波が平均4ミリガウス以上の環境では、やはり白血病の発症頻度が2倍以上になることが分かりました。

ただ、その当時の結論では、平均4ミリガウス以上の強い磁力環境にさらされているのは、日本では人口の1%以下となるとされていました。

ところが、スマートフォン時代の到来とともに、WiFi環境も整って日常的に電磁波が飛び交い、小さな子供も動画を見たりゲームをするためにスマートフォンを利用する機会が増えました。

放射能もまた電磁波の1つでありますが、放射能には気遣っていながらも、意外にも無頓着になってしまうのが日常的な家電の電磁波であり、家庭環境はもちろん、外の世界を出歩くにも電磁波対策は必須の世の中となっています。

そして、最近は「走る電子レンジ」と表現される電気自動車の電磁波問題もあります。

プリウスを使った測定では、走行中だと通常の自動車の約3倍となる10ミリガウスの電磁波が放射されているそうです。

小さな子供は電気自動車では車酔いがしやすいようですが、その理由の1つにこの電磁波が影響しているのでは?という説もあります。

乗る機会は車に比べて圧倒的に少ないかもしれませんが、新幹線は電磁波の影響はかなり強く、常時28.5ミリガウス、窓際では最大300ミリガウスになることもあると言います。

思わず景色を求めて窓側を選びたくもなりますが、新幹線はなるべく通路側の席を選択することをオススメします。

とはいえ、これまで伝えてきた電磁波の脅威は主に電子レンジなどからも発せられるマイクロ波の高周波であり、今もっとも危険視されているのは、高周波よりも低周波、その中でも超低周波と呼ばれる微細な周波数の電磁波です。

高周波は、電磁波としては強力ですが、発信源と距離を置いたり、何かで遮へいしたりと物理的に対策をとれば問題はありませんが、この超低周波はまるで空気のようにどこにでも入り込み、鉄だろうがコンクリートの壁だろうが、すべて透過して人体の奥深くまで届いてしまいます。

実は、世の中には超低周波も2種類あり、古来より自然界にある自然波の超低周波と近代になって人間が生み出した人工波の超低周波があります。

この太古の昔から存在していた自然波の超低周波によって生命が生み出され、またDNAや細胞、ミトコンドリアに直接働きかけて生物の進化を促進させてきたようですが、一方で近代に生まれた人工波の超低周波は、真逆の作用があり、DNAや細胞を破壊して生命活動に大きな支障をもたらすものとなっています。

現時点では、人体は自然波の超低周波も人工波の超低周波も区別がつかず、すべて取り込んでしまっており、そのことを電磁波について世界的な権威をもつ増川いづみ博士は以下のように危惧しています。


◎超低周波について

超低周波には人工波と自然波の2種類があります。

超低周波とは、生体内から発している、私たちが普段何も電気性を感じない微弱な電気に近似したものです。

本来太古の地球は地磁気で覆われ、宇宙からの強い放射線帯から守られていました。

そのうち超低周波だけが深海までも届き、ミクロの生物を育んできました。

それらのミトコンドリアに共振して細胞の複雑化に関与し、魚類から長い期間を経て哺乳類へと進化の一端を担ってきたのです。

自然界の最後の産物である人類の細胞内にもミトコンドリアが生命活動にとって今なお重要な役割を持っています。

自然界の超低周波は人工的に作られたデジタルな波と違って、生命を維持するための優しいリズミカルな波を持っています。

一方、高圧送電線や、あらゆるアンテナ類、通信機器類から発せられる超低周波は、自然界の超低周波にどこまでも近似しているため、生命波に共振して細胞の深部まで透過しやすいのです。

しかしながら実は全く異質な信号を持っているため、生命の根幹部分に触れ細胞に損傷をもたらしてしまうのです。



増川博士の電磁波のお話は、非常に勉強となるため是非一度お時間あるときに詳しくご覧ください。

通常、防ぎきれない電磁波である超低周波を防ぐには、物理的に遮へいするでのはなく、このマイナスの人工波を補正して自然波に変換させて体内に取り込むようにする手法を増川博士達の研究グループは完成させました。

その研究期間と研究費は想像を絶する膨大なものを費やしたようですが、そこで発見したのが「活性エネルギーのある生特殊なバイオ溶液は電磁波を吸収する」という原理であり、それを応用して生み出されたのが「テクノAO」という世界的に普及している超低周波も防ぐ電磁波防御製品です。

世界最先端の本物商品を世に紹介してきた故・船井幸雄先生は、今から13年も前に増川いづみ博士のこと、テクノAOのことを世に発信していますが、13年経った今でも、この技術を上回る電磁波防御製品は登場していません。船井幸雄のいま知らせたいこと(2004年2月26日)


◎電磁波について

先月の8日に、工学博士で電磁波について日本でもっとも詳しい一人の増川いづみさんという女性が訪ねてきました。私も、今電磁波について調べているところなのですが、増川さんから、興味深い情報をお寄せいただきましたので紹介したいと思います。

・目に見えないけれど有害な電磁波に対策を!

目まぐるしく進歩するIT社会では、携帯電話やパソコン、またテレビ、電子レンジなどの家電製品を手離すことができません。この便利な機器から電磁波が出ていて体に有害なのでは?と不安に思っている方が増えてきました。ただ、この電磁波の中でも超低周波が最も危険という事実はまだまだ知られていません。また「電磁波が出ているかもしれないが、何も感じないから害があるかどうかわからない」という方もいるのではないでしょうか。目に見えない電磁波は、大気汚染や酸性雨、添加物や残留農薬などのように知らず知らずのうちに私たちの健康を蝕み、「21世紀の新しい公害」とまでいわれています。ところが、日本では「危険と証明されたわけではないから安全」として電磁波に対する法的な規制がありません。欧米では既に「危険な可能性があるなら少しでも回避しよう」という「予防原則」に立って、政府主導で対策が進められているのですが。わが国では、電磁波問題は個人で賢明に判断し、自身と家族の健康を守らざるを得ないのが現状です。

・その疲れ、体の不調は、電磁波も原因です!

目の奥の疲れ、ドライアイ、頭痛、イライラ、集中力や記憶力の低下、慢性疲労、不眠症・・・こうした不調の原因の一つとして挙げられるのが、電磁波です。最近の研究では、電磁波の中でも特に超低周波電磁波は、脳や遺伝子など生命の根幹に関わる機能に重大な悪影響を及ぼすことが指摘されています。

1.脳内ホルモン「メラトニン」の分泌低下と不眠症
脳の松果体で分泌される脳内ホルモンの一つメラトニンは、不眠症や老化防止の妙薬としてもてはやされていますが、電磁波を浴びるとこのメラトニンの分泌が激減することが判明しています。メラトニンの分泌低下は、感情のコントロールができない、体内時計が狂って眠れない、老化が早い、免疫が下がる、成長ホルモンや性ホルモンの分泌も衰えるなど、私たちの健康に大きな影響を及ぼします。

2.携帯電話の電磁波で鶏卵の死亡率が6倍に
フランスのモンペリエ大学での実験によると、鶏卵に携帯電話を通話状態にして電磁波を連続曝露すると、何もしなかった卵のグループの平均死亡率が11.9%だったのに引き換え、電磁波を曝露したグループは72.3%と、6倍になる結果がでました。これは、胎児にも影響が出る可能性があるということで、フランス政府では特に妊娠中の女性は携帯電話がお腹の近くにこないよう注意を促しています。

3.パソコン作業の4人に3人はドライアイ
現在ドライアイにかかっている患者数は全国で約800万人。パソコン作業に従事する4人に3人がドライアイ症状で悩んでいるといわれます。目が乾いて、角膜が露出し、感染症や視力低下を招くこのドライアイの原因は、空気の乾燥、コンタクトレンズの使用やストレスのほか、電磁波による角膜の被爆(やけど)もあることが臨床データで判明しています。

・防ぎきれない超低周波電磁波から身を守る「テクノAO」

超低周波電磁波は、ガラス、金属、コンクリートなどあらゆる物質を透過し、人体をも突き抜けます。したがって、電磁波をカットする、吸収する、減衰させる、などの謳い文句の「電磁波防護グッズ」では防ぐことができません。

この防ぎきれない超低周波電磁波に、世界で唯一対応するのが「テクノAO」です。フランスで8年の歳月をかけて開発され、さらに8年をかけ世界各国の大学・病院など公的機関による豊富な臨床データでその効果が科学的・医学的に検証されています。 





<了>













「皇統継承は、退位ではなく譲位だ!」

2017-11-29 05:48:44 | 日本


西村真悟さんが「皇統継承は、退位ではなく譲位だ!」について述べている。
以下、要約し記す。



今上陛下から皇太子殿下への皇位の継承とは、皇統の継承つまり皇統連綿のことであり、即ち、これは、「皇嗣即チ践祚シ祖宗ノ神器ヲ承ク」(真の皇室典範)ことである。
よって、「退位」ではなく「譲位」と呼ばねばならぬ。

しかるに、昨年八月八日の陛下のお言葉を承けた法律においても、この度のマスコミの言葉使いにおいても、「退位」という言葉のみを使う。

何故か、「日本国憲法」と題する文書の第四条には、「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」とあるので、今上陛下は、御自ら、皇統を皇嗣即ち皇太子に「譲る」とこはできず、神器を皇太子に「譲る」ことはできず、できるのはただ「退く」だけ、あとは誰かがやるという「理屈」だ。

これは、一種の皇統の切断ではないか。
これでは、皇統の継承、皇統連綿、万世一系、に、ならんではないか。

では、この我が国の、歴史と伝統を無視した「理屈」を平然と押しつける元凶は何処にあるのか。
それが、戦後体制、即ち、「日本国憲法体制」である。
そして、この体制下での仕事に全身全霊を挙げて固執する官僚組織である。
そう、女の子にカネを渡して酒を飲んで体に触って歓談することを、貧困調査だと言ってのけることができる者が出世する組織だ。
この組織は、たとえスターリンの下でも金正恩の下でも優秀な仕事ができる組織であり、マッカーサーの下で優秀さを発揮した実績を誇る組織、よって、未だにマッカーサー憲法に忠実で我が国の歴史と伝統を無視する組織だ。
つまり、所詮、親分が強い指示を与えれば、その通り動く組織である。

安倍内閣は、加計学園問題で、この組織の出世頭の「屁理屈」の馬鹿さ加減に辟易したのであるから、この重要問題をこの組織に任せず、強い指示を出してその通り動かさねばならなかった。
ましてをや、安倍内閣は、「戦後体制からの脱却」を掲げ「日本を取り戻す」ことを目的とするのではなかったのか。
では、何故、この度の皇統の継承、皇統連綿という、我が国、日本が、日本であるための最深かつ最重要の要(かなめ)のことに関し、官僚組織の屁理屈に流されずに、皇統継承の深奥を直視して、適切な用語を重視して、言葉において、戦後体制から脱却し、日本を取り戻そうとしないのか。

私は、平成二十八年八月八日の今上陛下のお言葉に関して述べられた次の皇后陛下のお言葉を思い起こし、胸が痛む。
  
八月に陛下の御放送があり ・・・謹んでこれを承りました。
ただ、新聞の一面に、  「生前退位」という大きな活字を見たときの衝撃は大きなものでした。
それまで私は、歴史の書物の中でもこうした表現に接したことが、一度もなかったので、一瞬驚きとともに、痛みを覚えたのかもしれません。
私の感じ過ぎであったかもしれません。













「外国で自衛隊と名乗ると笑われる?! 英訳すると護身隊」

2017-11-28 06:04:36 | 日本

デイリー新潮編集部が「外国で自衛隊と名乗ると笑われる?! 英訳すると護身隊」と題して掲載している。
以下、要約し記す。



総選挙で自公政権が圧勝し、いよいよ憲法改正が現実の政治課題に入ってきた。安倍総理は現在の憲法9条の2項に加えて「3項」を創設し、そこで「自衛隊」の存在を明記することで、これまでの憲法論義に終止符を打つというプランを示している。

しかし、そもそも「自衛隊は軍隊ではない。自衛のための組織である」という「虚構」を維持したまま、憲法にまでその名称を規定してしまうことは妥当なのだろうか。元陸上自衛隊トップの陸上幕僚長を務めた冨澤暉氏は、近著の『軍事のリアル』の中で、「自衛隊という名称は、極めて不都合」と指摘している(以下、同書に則して記述)。


◎自衛隊は英語に訳すと「護身隊」になる

昭和30年代のこと、陸軍士官学校を卒業した幹部自衛官がアメリカの軍学校に留学した。そこで、幹部自衛官は、「我々は陸軍(army)ではなく陸上自衛隊(ground self-defense force)である」と説明したら、クラスで爆笑が起こったという。その人は、なぜ自分が笑われているのか分からなかったが、それが「侮蔑の笑い」であると知り、帰国後に自衛隊を辞職してしまった。

この幹部自衛官は、なぜ笑われてしまったのか。それは、米国人にとってself-defenseという言葉は、国際法上の「自衛」ではなく、刑法上の「正当防衛」をイメージさせるからである。例えば、自分の身を守るための「護身術]は、英語ではart of self-defenseと言う。だから、self-defense forceという言葉を聞くと、彼らの耳には「護身隊」とか「正当防衛隊」と聞こえてしまうらしい。「世界秩序や国家を守る軍隊ではなく、専ら自分の身を守る部隊」というものは、少なくとも世界の軍隊の常識では考えられない。

自衛隊と米軍など他国の軍隊との協力関係が進み、日本の事情を理解するようになった軍事・外交関係者は増えているから、昭和30年代ほどではないだろうが、駐在武官などで「自分はself -defense forceの所属である」と話して同様の侮蔑を受けた人は多数いると言う。


◎自衛隊を「自衛軍」にしても同じ

数年前、自民党が憲法改正草案を検討していた当初、冨澤氏の元に「自衛隊」を「自衛軍」と規定するらしい、との情報が流れてきた。何人かの元自衛隊関係者と話をしてみたが、「自衛隊」を「自衛軍」にしたところでself-defense forceという英語表記は変わりそうにない。そこで、せめて「国防軍」にしてくれ、と申し入れをしたという。そのこともあったのか、現在の自民党憲法草案には「国防軍」の表記があるが、「長年慣れ親しんだ『自衛隊』でいいじゃないか」という意見は国民だけでなく、国会議員の間にも根強い。

しかし、冨澤氏は、「軍事や安全保障は国際的な問題であり、国内外で共通する言葉で討論しなければ議論にならない」と言う。「自衛隊は軍隊ではない」という虚構は、国内では通用しても国外では理解されまい。現代の軍隊が、「戦争のための国家組織」というより「国際社会の平和と安定を協力して守るための装置」となっている今、「共通の土壌」の必要性は、より高まっている。

冨澤氏は、「陸上自衛隊は陸軍(army)、海上自衛隊は海軍(navy)、航空自衛隊は空軍(air force)と位置づけるのがやはり理にかなっている」と述べている。











「イデオロギー選挙の終焉」

2017-11-27 05:57:17 | 日本

堀江和博さん(1984年生)が「イデオロギー選挙の終焉」について述べている。
以下、要約し記す。



2017年総選挙、自民党、立憲民主党のマニフェストより:アゴラ編集部
総選挙はイデオロギー対立だったのか
与党の勝利で終わった総選挙。民進党が分裂状態に陥り、希望の党や立憲民主党が誕生したことを踏まえると、やはり日本では二大政党制は難しく、穏健な多党制が落ち着くべき位置なのだろうかと思う選挙であった。それはそうと、総選挙を経て一つ検証してみたいことがある。それは、今回の選挙において「保守や革新、リベラルといったイデオロギーが、有権者の投票行動に影響を与えたかどうか」という点である。

小池都知事は改革保守を標榜し希望の党を立ち上げ、民進党保守派の代表格だった前原氏は革新系と決別し、排除された側の立憲民主党はリベラルの結集を訴えた。ここで保守・革新・リベラルといった用語の定義には触れないが、いずれにしても彼らは、「イデオロギー」を目印にして政党を分別・行動していることは紛れもない事実である。しかし、当の有権者はどこまでイデオロギーを目印にしているのであろうか。それは果たして有権者の投票行動に影響を与えたのであろうか。


◎一億総中道化する日本

日本の有権者は20年前と比べ確実に中道化している。
1983年では、各世代ともに自民党が保守、共産党が革新の両端を位置付けていたが、2013年となると総じて中道化しており、20~40歳代においてはその差はごく僅かとなっている。


◎維新を共産より革新と理解する有権者

最も面白いのが、維新の党を共産党よりも「革新」と見ている有権者が、20~40歳代に多いという結果だ。しかも、20歳代にいたっては公明党を自民党よりも「保守」と判断している。前者は、既得権益を打破しようとする維新のイメージを「革新」に位置づけたのであろうし、後者は、公明党の穏健なイメージを「保守」と位置づけたのであろう。ただいずれにしても、これらが示すのは、40歳以下の世代では従来の保守・革新というラベルがほとんど機能していないということだ。

安保闘争や東西冷戦を目の当たりにしてきた高齢層にとってみれば、政党間のイデオロギーは明確なラベルとして機能してきたし、時代がそれを必要としてきた。しかしながら、東西冷戦が終結し、55年体制が崩壊、新党ブームが生まれた1990年代前半頃から、有権者にとってイデオロギー対立は重要な指標でなくなった。戦後長年対立してきた自民党と社会党が連立内閣を成立させたことも、それを象徴している。


◎今回の総選挙はどうだったのか

今回の与党の大勝は、イデオロギー如何ではなく「ゴタゴタしている野党よりも、与党の方がマシ」という野党への負イメージが大きく作用したことが正直なところであろう。イデオロギーよりも「イメージや雰囲気」が重視されている傾向は今に始まったことではなく、小泉チルドレンや小沢チルドレンが誕生したようにこの20年間政界で繰り返されてきたことである。

もちろん、保守や革新、リベラルといったようなイデオロギーラベルは、投票率の高い高齢層を中心に依然重要な意味を持つ。しかし、これから10年・20年経過すればほとんどの世代でイデオロギーによる政党位置づけの意味が無くなる時代がやって来る。イデオロギーに代わる政党ラベル、有権者の政党を認識する指標は何になるのだろうか。ようやく、「政策」の中身、政治の「実績」が問われる時代がやってくるのか。それとも、移ろいやすい「イメージや雰囲気」が支配する時代に一層なるのか。

前者であることを望みたいが、現実はそう甘くは無いであろう。











「ナポレオンヒルの成功哲学」

2017-11-26 06:05:54 | 日本

ナポレオンヒルは、貧しい新聞記者だった頃、偶然出会った鉄鋼王カーネギーから依頼を受けて全米で500人もの、いわゆる成功者と面談し何故彼らが成功したかを詳細に調べて回ったそのリポートがいわゆる「ナポレオンヒルの成功哲学」です。



<要約>

①人間は自分の運命を自分で決定できる。
②あなたの心構えを変えれば総てが変わる。
③あなたの目標は何ですか?それをまず決めなさい。
④自分はそれを必ず得られると、確信しなさい。
⑤最高の財産はあなたの中にあります、それを掘り起こしなさい。
⑥富は予期しもしない形である日訪れます。
⑦富は分かち与えなさい、そうすればさらに増えます。
⑧チャンスはいつも意外なところからやってきます。
⑨強く願いなさい、そうすれば叶います。
⑩あなたが心に思うように現実化します。
⑪怠けてはいけません、常に真摯でありなさい。
⑫恐れてはいけません、その恐れの原因を分析しなさい。
⑬総てにやがて報いがやってきます、ですから悪事をしてはいけません。
⑭あなたが現在どうであろうと、それは過去のあなたが作り出した結果です。
⑮悩むのは最大の愚行です、時が来れば総てはなるようになります。
⑯失敗の原因はあなたが決断しなかったからです。
⑰逆境の中には大きな利益の種子が隠れています。それを探しなさい。
⑱小さな失敗であきらめては居ませんか?大いなる目標に向かってさらに進みなさい。
⑲ある方法が失敗したら別の方法でチャレンジしなさい
⑳心のスイッチを成功の側に押しましょう。
㉑明日でなく今日やりましょう。
㉒不幸や不運は虚像です。何も問題ではありません、
㉓やたら勤勉で唯々正直であるだけでは成功しません、大きな目標を持つことが大事です。
㉔あと一歩前進しなさい。
㉕あなたより知恵が優れた人がいたらその人に協力を仰ぐことをためらってはいけません。
㉖学歴など何の関係も有りません。強力な願望を持った人が成功したのです。
㉗あなたにあった仕事を選びなさい、人間には向き不向きがありますから。
㉘あなたの周りの否定的な人に従ってはいけません。
㉙「あなたがして欲しいと思うことを他人にもしてあげなさい。」これが人生成功の黄金律です。
㉚あなたの中に総ての財産・成功・富・問題への答えがあります。

あなたはそれを引き出せばそれで良いのです。
これが世界の「秘密の奥義」です。




「成功哲学とは?」


成功哲学とは、ナポレオン・ヒルが提唱した目標達成のための思考や手段を法則化したものです。500人の成功者に20年かけて取材、分析し、法則化しました。自分の人生を自分のものにするために有効な考え方が書かれています。成功している人はどんなことを考えているのだろうと、考えたことはないでしょうか。成功法則にはそんな成功者の知恵が詰まっています。


◎成功哲学の15の法則

1.卓越性を追求することへの誓い

まず、自分が誰よりも成功するにふさわしいを信じて疑わないことです。誰よりも抜きん出た存在であることを追求することです。


2.人生で求めているものをはっきり自覚すること

自分がなりたい姿を明確化することで初めて、今すべきことがわかります。あいまいなイメージではどこにもたどりつけません。


3.不屈の精神力

逆境の中には、すべてそれ相応か、それ以上の大きな利益の種が含まれているとナポレオン・ヒルはいっています。逆境の中でも常に求めているものに向かって行動し続けることが大事です。


4.生涯学習

学校を卒業したら学習は終わりではなく、むしろそこからが学習の始まりです。
自分が求めている知識もわかってきます。そこで学習することでどんどん世界が広がります。生涯にわたりインプットを行うことで、常に新しい目線を手に入れることができます。


5.時間を有効に使うこと

人生は、どのように時間を使うかで決まります。
ささいなことではなく、1番リターンが見込める大事なことに時間を使うことが重要です。些細なことに気を取られて、求めていることをできないで終わる人生は後悔を生みます。


6.トップを模範とする

求めている業界で最も成功している人を模範とすることです。できれば直接会って、学ぶことが大事です。成功している人を模倣することが重要です。


7.常に誠実を大切に

人から信頼されるのは、誠実な人間です。信頼されない人間からものを買いたい人も一緒にビジネスをしたい人間もいません。誠実な人間は、周りから信頼されます。
誠実でないというだけで、他の部分がどんなに優れていてもすべてが台無しになります。


8.創造力を駆使する

どのようにすれば求めている成果に効率よくたどりつけるかを、常に頭を使って創造的に考え続けることは重要です。


9.性エネルギーを活用する

性欲を自己実現へのエネルギーへ転換します。性欲を無駄に発散させてしまい、大きなエネルギーを無駄にしないようにします。


10.自分がしてほしいことを相手にする

言葉のまま「自分がしてほしいことを、相手にする」です。キリストやブッダ、ムハンマド、孔子などが共通して言っていることでもあります。
逆に、自分がして欲しくない態度は相手にはしないということでもあります。


11.プラスアルファの魔法

常に求められた以上の仕事をすることです。世界は、求められた以上の仕事した人によって作り上げられてきたことを認識します。


12.マスターマインドを使うこと

マスターマインドとは、2人以上の統一した願望や目標を持った人間の集まりのことです。同じ目標を持った創造的な人間と活動することが大切です。


13.価値を構築し、提供すること

毎日、何かしらの価値を生み出し、周りに提供することが重要です。お金が大事なのではなく、価値を与えることが自分を豊かにし、結果的にお金もついてきます。


14.感謝すること

現在の状況に感謝をすることです。
たとえ逆境にいたとしても、それは自分を成長させてくれるチャンスが与えられたを考え感謝することで、プラスに価値を転換できます。


15.他人の批判を恐れない

自分の人生は自分で作らなければ、求めているものにはたどりつけません。他人の批判を恐れていては他人に人生を作られることになります。
 











「安岡正篤先生 至福の言霊」

2017-11-25 05:49:11 | 日本

【道徳と宗教ー敬と恥】

人の人たる所以は、「道徳」を持っていることである。それは「敬」する心と「恥」ずる心に現れる。
敬する心は、人が限りなく発達を望み、未完成なものに満足せず、より完全で偉大なものに憧れるところから生まれてくる。そして、敬する心が生まれると、必ず恥ずる心が生まれてくる。

敬する心と、恥ずる心は相待関係のものである。
しかし、今日の教育はその大切な敬する心を省みなくなっている。
それは、戦後西洋教育が「愛する」ということのみを重んじる教育であった、ということが一番の原因である。
愛というものは、女性―母の特性であります。愛のみを強調した結果、大事なのは母だけと言うことになり男性―父の存在価値が次第に薄れて行ったのです。

家庭において、子供は本能的に母親に「愛」を、父親に「敬」を求める。人間は敬する気持ちを持つと、自らその敬するものに少しでも近づこうとする気持ちが起こってくる。
愛とは別の憧憬を、その敬の対象に持つようになる。
これを「参」―さんずる、まいると言う。これが更に進むと、側近く仕えたくなる。

「侍」-はべるとか「候」-さぶらうとなる。
日本語の「参った」というのは、単に好きとか、愛するというのと意味が違う。
相手を敬の対象として、己の理想像として礼讃するのです。

この「敬」の心が主体となり、一連の精神が発達し、作り上げたのが宗教です。人間は敬することを知ると、自ら恥ずることを知るようになります。

そこから、つつしむ、いましめる、おそれる、修める、という心理が発達する。
これが宗教に対する道徳の本義です。従って、道徳の中に宗教があり、宗教の中に道徳がある。

仰ぐー敬する。省みるー恥ずる。この相対性心理が人間の根本的な「徳」である。
 

【眉毛を惜しまず】

人相学上、眉の間、眉宇(びう)は非常に大事なものである。
心配事や問題があればあるほど、眉宇を開くようにしなければならない。
「眉毛を惜しむ」とは、滅多に喋らないことを言う。喋って舌を使いすぎると、心臓を痛める。
心臓を痛めると、眉の毛が抜ける。
眉毛を惜しまず人を導こうとするのは、老婆心と同じく貴い心である。



【命は吾より作す】(めいはわれよりなす)

人間には「宿命」がある。これは「とどまる」ということである。
しかし、学問修養することで、人間を創ることができる。命を知り「知名」命を立てる「立命」することになる。
自分の「命」を生み、運んでいくことで「運命」に変えていく。
動いて止まらないから「運命」という。「運命」にするか「宿命」に堕させしむるか学問修養次第である。
命は吾より作すものである。


【言 霊】
  
言葉や文字は、決して単なる符号とかでなく、もっと生命もあり、精神のこもったもので、昔から言霊と呼んで、霊という字を当てはめるほどの生き物です。
優秀な民族は必ずその民族の言葉、文字を非常に大切にしている。


【八 変】
  
自分が変われば相手が変わる。相手が変われば心が変わる。
心が変われば言葉が変わる。言葉が変われば態度が変わる。
態度が変われば習慣が変わる。習慣が変われば運が変わる。
運が変われば人生が変わる。


【孟子の言葉】
  
生来、人間には「人に忍びざるの心」がある。

惻隠の心(他人の不幸を見て見ぬふりの出来ない)
羞悪の心(自らの不正・悪を恥じ憎む)
辞譲の心(互いに譲り合う)
是非の心(善悪を見分ける)

この四つが四端つまり四つの徳の芽生えであり、人は心を養い育てることでそれぞれ、仁・義・礼・智の四徳を実現できる。


【人に嫌われぬ為の五か条】

「初対面に無心で接すること」
「批評癖を直し、悪口屋にならぬこと」
「努めて、人の美点・良所を見ること」
「世の中に隠れて善い事が行われているのに平生注意すること」
「好悪を問わず、人に誠意を尽くすこと」


【正 気】(せいき)
  
現在の日本には廟堂(びょうどう=天下の政治をつかさどるところ)に正気というものがない。
まして民衆の間に正気などは求め得るべくもない愛とか平和とか文化などを唱える前に、民族の正気を振興することが指導者の根本問題である。これを拱手(手をこまねいて何もしないこと)して懦弱(だじゃく=気持ちに張りなくだらけていること)に流されるならば、日本の将来は暗黒時代を迎えるといっても過言ではない。


【六 全】
  
「自處超然」(ちょうぜん<自ら処すること超然>)自分自身に関してはいっこう物に囚われないようにする。
「處人藹然」(あいぜん<人に処すること藹然>)人に接して相手を楽しませ心地良くさせる。
「有事斬然」(ざんぜん<有事には斬然>)事があるときはぐずぐずしないで活発にやる。
「無事澄然」(ちょうぜん<無事には澄然>)事なきときは水のように澄んだ気でおる。
「得意澹然」(たんぜん<得意には澹然>)得意なときは淡々とあっさりしておる。
「失意泰然」(たいぜん<失意には泰然>)失意のときは泰然自若としておる。


【六中観】

「忙中閑有り」ただの閑は退屈して精神が散漫してしまう。
忙しい人の方が沢山の本を読むし、人生を楽しんでいる
「苦中楽有り」苦労のない所に楽しみはない。楽しみと苦しみは紙一重。
「死中活有り」時には死んだつもりになって頑張りたい
「壺(こ)中天有り」現実の世俗的生活の中に自らが創って行く別天地
「意中人有り」私淑できる人物を、或いは理想的人物を心の中に持っている
「腹中書有り」断片的知識でなく、しっかりした哲学を腹の底に納めている


【四 耐】
  
「耐 冷」「耐 苦」「耐 煩」「耐 閑」
「冷に耐え、苦に耐え、煩に耐え、閑に耐う」 更に進むと、「四不」と為す

「不激」興奮しない
「不躁」ばたばたしない
「不競」くだらない人間とくだらない競争をしない
「不随」人の後ろから、ノロノロとついて行くことをしない

「冷に耐え、苦に耐え、煩に耐え、閑に耐え、激せず、躁(さわ)がず、競(きそ)わず、随(したが)わず、以て大事をなすべし」


【縁尋機妙 多逢聖因】
  
良い縁がさらに良い縁を尋ねて発展していく様は誠に妙(たえ)なるものがある―
これを縁尋機妙(えんじんきみょう)という。
亦、いい人に交わっていると良い結果に恵まれる。これを多逢聖因(たほうしょういん)という。
人間はできるだけいい機会、いい場所、いい人、いい書物に会うことを考えなければならない。


【四つの誤り】

今の世にはびこっている思想に、間違った思想が四種類ある。
第一は「ひ辞」〈偏った議論〉、
第二に「淫辞」〈でたらめの議論〉
第三「邪辞」〈胸に一物を持って言う邪(よこしま)な理屈〉、
第四「遁辞」〈責任回避の逃げ口上〉 である。〔孟子〕


【陶冶する】

最高の教育を受けた人間も、その後の自己陶冶(とうや)を缺(か)いては、 立派な人間には成り得ない。
極劣悪な教育も、自己陶冶によっては、なお改善され得るものである。いかにも人間は陶冶次第です。
「陶」というのは、焼物を造る、「冶」というのは、冶金の冶で、金属を精錬することであります。
土を粘り、焼いて、陶器を造る。 鉄を鍛えて鉄器を造るようなもので、人間もやはり、焼きを入れ、鍛えるということをやらなければ、ものになりません。


【お辞儀の意義 】

たいていの人は、お辞儀というのは「相手に敬意を表する」ことと思っているが、それは第二義である。
第一義は相手を敬するということではなくて、「自らを敬す」ということである。
例えば仏典にお辞儀ということを説いて、「吾を以て汝を敬し、汝を以て吾を敬す」と言っている。
つまりお辞儀をするということは「自分が相手に敬意を表すると同時に、相手を通じて自分が自分に対して敬意を表する」ことである。

鳥獣はお辞儀をするということを知らない。ということは、自らその真理、価値というものを尊重することを知らない。
まだ精神生活が発達していない。人間になると初めてそれが発達してきて、お互いに挨拶をする。
お辞儀をするということは、お互いに相敬するということであり、自ら他に挨拶をするということは、同時に他を通じて自己を敬すということだ。
そこにお辞儀というものの厳粛な意義がある。


【 但惜身命と不惜身命】

お互いがこうして生きている。考えてみれば、これくらい不思議なことはない。
この悠久なる時間と、この茫漠たる空間の中にあって、たまたま時と所を一にしてこうしているという、こんな不思議なことはないということがわかれば、この現実、この刹那、この寸陰(わずかの時間)、この場、この身というものが、何よりも大事なのである。

無限に愛惜すべきものになる。これを「但惜身命」という。
それを把握するためには、取りとめのない日常の身命などは、値打ちがない。
これは不惜身命(身命を惜しまぬ)である。
真に道を得るためには、それこそ不惜身命でなければならない。
何が故に身命を惜しまぬかといえば、但惜身命――本当の身命というものを限りなく愛するからである。
真の自己・真の存在というものを限りなく愛着するが故に、この取りとめない、はかない、迷える身命など、問題ではない。命がけで命を惜しむ。但惜身命なるが故に、不惜身命。不惜身命にして、但惜身命になる。


【 母 】
  
明治初期に、儒者としてもクリスチャンとしても、又教育家文学者として典型的な君子人、中
村敬宇(けいう)に「母」と題する名文がある。
「一母有り。四才児を携えて一牧師に問うて曰く、子を教うるは何才を以て始めと為すかと。
牧師對(こた)えて曰く、汝の笑顔の光、小児を照せしより、子を教うるの機會始まると、鳴呼、世、固(もと)より此の母の機會を失う如き者多し。
今世の人、口を開けば聊ち文明と曰い、而してその本原に昧(くら)し、余嘗って謂う、国政は家訓にもとづき、家訓の善悪は則ち、その母にかかわる。母の心情、意見、教法、礼儀は其の子他日の心情、意見、教法、礼儀なり。斯(ここ)に知る、一国の文明は、その母の文明に本づくことを。」


【七 養】
  
時令(季節)に順(したご)うて以て元気を養う。
思慮を少うして以て心気を養う。
言語を省いて以て神気を養う。
肉慾を寡(すくの)うして以て腎気を養う。
嗔怒(いかり)を戒めて以て肝気を養う。
滋味を薄うして以て胃気を養う。
多くの史を読みて以て胆気を養う。
  
春には春の、秋には秋の生活様式がある。同様に寒帯には寒帯の、熱帯には熱帯の飲食起臥の方則がある。
夏は夏らしく、冬は冬らしくというように暮らしておれば生命力は健康である。
心気は同時に心臓の気である、活力である。思慮を少くし安らかにすることが養心の秘訣である。
必用もないのにベラベラ喋舌るようなことはその人間を最も浅薄にする。
黙養という言葉がある通り、神気を養うには、くだらぬお喋舌はせぬことだ。
飲食女色は腎を弱め、嗔怒は肝を傷め、脂っこいような食物は胃に悪い。
古今の治乱興亡に通じることは、胆気を養って度胸を造る。
一時一処の成敗得失くらいに転倒せぬからである。


【さむらい】
  
さむらいとは、より偉大なるものへの敬侍である。
この偉大なるものに敬侍し、没我になって生きるところに、功利の世界、物質の生活から、忽然として道徳の世界、精神の生活に転生することが出来る。
このゆえに武士は常に如何に生くべきかといわんより、如何に死すべきかの工夫に生きた。
五十年の徒なる生活を犠牲にしても、尊い感激のある一瞬を欲した。
この身命を喜んで擲ちたい事業、この人の為に死なんと思う知己の君、渾身の熱血を高鳴りせしむべき好敵手、此等を武士は欲した。
この躍々たる理想精神は凝って所謂武士気質なるものとなり、頑固とまで考えられる信念、極端とまで驚かれる修練となったのである。


【海 老】
  
海老(えび)は永遠の若さを象徴しているというので、めでたいものとされる。
というのは、あれは生ける限り何時(いつ)までも殻を脱(ぬ)ぎ、固まらない。
ことに万物がぼつぼつ固くなる秋に、彼は殻を脱する。生ける限りよく殻を脱いで固まらぬ、いつまでも若さを失わない、よく変化していくという意味で、海老はめでたい。
自己の殻、学問の殻、仕事の殻、会社に入れば会社の殻、役所に入れば役人の殻から、なかなか脱けられぬものであります。これが脱けきらぬと、人間が固まってしまう。


【人生の五計】
 
「生計」―漢方養生訓の合理性
我々は如何にして生きるか。肉体的・生理的にどう生きていくか。これが生計であり、養生法とも言える。
「身計」―いかに自己を処するか社会人・職業人として如何に我が身を処していくか。
「家計」―人間教育の根本は家庭教育にあり、教育は主として家庭にある。
人間は、四つの要素からなる本質的要素~徳性であり道徳性である
付属的要素~知や技など文化文明を発達する過程で作り上げたもの。
「老計」―人生の佳境を味わうための計りごと
老には、三つの意味がある。

一つは年をとる。
二つは練れる。
三つは”考”に通用して、思索が深まり、完成するという意味。

馬齢を重ね、経験を積み、思想を深め、自己人生を完成させる努力の過程である。
若い時に味わえなかった、分からなかった佳境に入って行くこと。
伊藤仁斎「老去佳境に入る」
「死計」-生死を超越した死に方、生き方
如何に死すべきかは、如何に生きるべきかと同じこと。
死とは、人間の性霊が限定された生から、無制限の生に遷化(せんげ=この世の教化を終え、他の世に教化を移す。高層や隠者などが死ぬこと)するこである。




<了>








緊急事態! 「外国人地方参政権を成立させた地方自治体ー覧」

2017-11-24 06:03:32 | 日本

これは由々しき問題である。
怪しからん!


例えば反日自治体=川崎市では投票資格を持つ外国人は約1万9000人!
早晩、反日在日外国人市会議員が誕生する事は間違いない!
 
※参考 ~常設型住民投票権~
8月19日に神奈川県川崎議会で成立した「常設型住民投票条例」では、立法、公職の罷免等の意志決定を日本に3年以上「滞在」していれば投票権を持てるというわけです。

国民主権の一大事です。
常設型住民投票権が各地で成立し始めています。




◎現在、成立しているのは以下の都市です。

 
「●」は現在も外国人に選挙権がある都市。
「×」は合併等によって排除された都市。


●埼玉県富士見市
●埼玉県上里町
●埼玉県美里町
●群馬県桐生市
●広島県広島市
●千葉県我孫子市
●埼玉県坂戸市
●広島県大竹市
●三重県名張市
●東京都三鷹市
●青森県山陽小野田市
●神奈川県逗子市
●大阪府岸和田市
●神奈川県大和市



×愛知県高浜市(同日投票に関する規定の廃止)
×群馬県中里村(2003年4月1日。万場町との合併(神流町)に伴い廃止。)
×群馬県境町(2005年1月1日。同日投票に関する規定の廃止)
×岡山県哲西町(2005年3月31日。大佐、神郷、哲多町との合併(新見市)に伴い廃止)
×茨城県総和町(2005年9月12日。古河市、三和町との合併(古河市)に伴い廃止)
×香川県三野町(2006年1月1日。高瀬町、山本町、豊中町、仁尾町、財田町、詫間町との合併(三豊市)に伴い廃止)
×石川県押水町(2006年1月1日。高瀬町、山本町、豊中町、仁尾町、財田町、詫間町との合併(三豊市)に伴い廃止)
×長野県木曽福島町(2005年11月1日。日義、開田、三岳村との合併(木曽町)に伴い廃止)
×群馬県伊香保町(2006年2月20日。日義、開田、三岳村との合併(木曽町)に伴い廃止)
×山口県岩国市(2006年3月20日。由宇、周東、玖珂、錦、美川、美和町、本郷村との合併(岩国市)に伴い廃止)
×鹿児島県金峰町(2005年11月7日。加世田市、大浦、坊津、笠沙と合併(南さつま市)に伴い廃止)
×北海道静内町(2006年3月31日。三石町との合併(新ひだか町)に伴い廃止)
×北海道三石町(2006年3月31日。静内町との合併(新ひだか町)に伴い廃止)
×長野県和田村(2005年10月1日。長戸町との合併(新ひだか町)に伴い廃止)

 

【県議会方針】

・埼玉県議会:「2009年12月22日 外国人地方参政権に慎重な姿勢を求める意見書を議決」
・群馬県議会:「反対の意見書を議決」
・広島県議会:「採択なし」
・千葉県議会:「2009年12月22日 外国人地方参政権に反対する意見書を議決」
・三重県議会:「外国人地方参政権には賛成の立場」
・東京都議会:「都知事方針のみ。賛成反対の議決なし」
・青森県議会:「2010年3月12日 外国人地方参政権に反対する意見書を議決」
・神奈川県議会:「2001年に慎重な姿勢を求める議決をしたまま変更なし」
・大阪府議会:「平成22年2月定例議会において橋下知事は議論尚早を名言」
 

上記地域に住んでらっしゃる方。是非議会へ抗議をお願いいたします。
また、ご自身の住む議会にて選挙権の詳細をお調べ頂き、上記以外で付与されていた場合は是非とも対応をお願いします。
 
 
 









「感謝の石とは、」

2017-11-24 06:01:07 | 日本

感謝の石とは、ポケットや財布に入れて持ち歩く小さな石です。

ただの石ですが、それを持つことによって幸福や幸運など、必ず良い出来事を呼び込みます。どんな石でもかまいません。重要なことは、その石があなたにとって「感謝の石」であれば良いのです。 時々、ポケットから取り出して「感謝の石だ!」と思えれば良いのです。

「感謝の石」の役割はただ1つ。あなたに感謝の気持ちを思い起こさせることです。
英語でリマインダーReminderと言います。

感謝の気持ちは人間社会の中で一番重要な感情です。誰が、何か、良い事をしてくれた時に、その人に対して「ありがとう」と感謝の気持ちを表す。すると相手も喜びます。感謝の気持ちを常に持った人には、人々に良く評価されます。当然、そのような人には人々が集まり、その人を助け、一緒に幸せを分かち合うものです。

ところが、感謝の気持ちは実に忘れがちな感情なのです。
だから、「感謝の石」をリマインダーとして持って、感謝の気持ちを相手に表すことを忘れないようにするのです。

感謝の気持ちは「ありがとう」と表現します。

是非、あなたも「感謝の石」をポケットに持ち歩いてみてください。


















「あなたの脳のはなし」

2017-11-23 06:26:26 | 日本

神経科学者が解き明かす意識の謎『あなたの脳のはなし』著者 デイヴィッド・ イーグルマン(翻訳:大田直子)が実に素晴らしい。ご一読を!
以下、要約し記す。



我々は"現実"をありのまま受け取っているわけではない。いったん視覚情報や触覚情報といった身体表面から情報を受け取り、それを脳で解釈することによってはじめて"人間用に最適化された、人間用の世界"を構築する。我々はある種のフィクションの世界を生きているわけだ。

我々は現実をありのままに受け取っているのではなく、脳が解釈し編集した結果を受け取っているに過ぎないわけだが、この件について、興味深い例がいくつもある。たとえば、失明してから40年以上経ってから、物理的損傷を回復できる幹細胞治療によって、目が見えるようになった男性が存在する。

それまで暗闇だった世界が突然くっきりと物が見えるようになるのだから、男性にとっては素晴らしい体験になるだろうと思うところだ。が、実際にはそうではない。新しい角膜は正常に機能し、脳に外界の情報を送り込むが、彼の脳はその情報を即座には理解することはできなかったのだ。顔も認識できなかったし、人間、車、植物、建物といったものが何なのか理解できず、奥行きもうまく認識できないために目が見えなかったときよりもスキーが下手になってしまった。

つまり視覚系とは単につければ見えるようになるというカメラのようなものではなく、脳の方で「視覚情報を適切に解釈する」過程が必要だが、40年も目がみえなかった彼はその能力が発達していなかったのだ。結局、手術から15年が経っても、よく物体を理解する必要がある時は、触ったり、持ち上げたり、聞いたりといったほかの感覚を用いなければいけないという。当たり前のように行なっている「世界を見る」という行為も、裏では複雑な認識処理が走っているわけだ。


◎自由意志の感覚

「自由意志」をめぐる最新のトピックもひときわ刺激的だ。たとえば、磁気パルスを放出して脳の運動皮質への刺激を加えると、被験者が一方の手を他方より好むようになるのだが、この性質を用いた興味深い実験がある。この実験では、第一に、被験者は画面が赤になった時にどちらの手を上げるかを決定し、次に画面が緑になったところであらかじめ決めていた動きを実行する。

この時、赤になって決定が行われた後に磁気パルスを放出し行動に誘導を加えても、最初に決めた手を上げるに違いないのだから、どちらを上げるかの割合は変わらないはずだ。ところが、実際には操作され誘導された手を上げる可能性が高くなる。しかも、被験者は自分は元々自分があげたかった手をあげたのだと報告する。つまり、上げたかった手が途中で変っていることに気づかず、自由意志で誘導された手を動かしたとおもいこんでいる可能性が高いのだ。『TMSが手の動きを起こしているのに、被験者の多くは自由意志で決定したかのように感じている。』

この辺のトピックは『あなたの知らない脳──意識は傍観者である』で語られていたけれども、事例などが全般的にアップデートされているのが良い。

本書では他にも、ニューロンの発達と記憶の形成について、我々はどうやって決断するのか?という仕組みについてなど無数のトピックについて解説/紹介していく。たとえば決断をめぐる章では、オキシトシンと呼ばれるホルモンを投入されることで自分のパートナーをより魅力的に感じる、"きずなを強める"効果とそれがもたらす決断への影響を論じ、別の章では"危機的状況下において時間が遅く流れるように感じるのは、記憶の錯誤である"と結論付けてみせる。
 我々は人の表情をみるときに、ミラーリングといって自身の顔の筋肉が引きづられるが(そのおかげで長年連れ添った夫婦はお互いに似てくるという)、しわを減らすためにボツリヌス毒素を顔の筋肉に注入した人々は、筋肉が麻痺しミラーリングを適切に行えなくなってしまうことで、他者の感情を特定する能力に衰えが出るという──などなど、比較的脳科学関連のポピュラー・サイエンス本を日常的に読んでいる人であっても、知らなかった! と楽しめる話題が多いだろう。


◎未来について

この手のポピュラー・サイエンスではありがちともいえるが、"これから先、脳科学方面で何が起こり得るのか"という未来を語る章も、まるでSFを読むようにして楽しませてくれる。

たとえばマシンを体に直接つなぐ技術は向上しつつあり、目がみえずとも耳が聞こえずとも、人工内耳や人工網膜により直接神経系に情報を送り届けることで感覚を取り戻す試みが行われている。

また、感覚器官の代替として、別方面からは感覚代行というアプローチがある。たとえばカメラからの視覚情報を電気パルスに変換し、舌の上で刺激として展開する技術がある。これをうまく使いこなせるようになった視覚障害の人たちは、ボールをバスケットに投げ入れたり、はてはロッククライミングまで出来るようになる(舌の刺激で岩の角や割れ目が判断できるらしい)。つまり、「舌で見る」ということが可能になるのだ。『感覚代行が実証しているように、脳はどんなものでも入ってくるデータを取り込み、それをどう利用できるかを考え出す』

視覚はもともと入力器官の存在するデータだが、そもそも入力器官の存在しないデータを感覚代行として取得する事も考えられる。ツイートや株式変動などを常に感覚器官で(視覚のように、舌などで)取得できるようにしたら、何も見ずとも新しいデータを取得し続けられるかもしれない。

記憶とは正確なビデオカメラのようなものではないし、自由意志と思い込んでいるものは何らかの操作/影響を受けた結果かもしれないし、我々が現実だと思いこんでいるものは所詮脳が解釈した結果に過ぎない──などなど、現実に対する思い込みを本書は次々と暴き立てててくれる。











「ぎっくり腰の治し方」

2017-11-22 05:56:29 | 日本

①ぎっくり腰が起こる原因
 
「そもそも突然くるぎっくり腰に原因なんてあるの?」「重い荷物を無理に持ち上げようとするとなるんだよね。」こういった認識がすでにぎっくり腰の落とし穴と言えます。ぎっくり腰の原因は日頃の生活の積み重ねに存在しているのです。

悪い姿勢が続く、腰に負担のかかる動作をよくする。などによって腰に疲労が溜まり、やがて耐え切れなくなった筋肉が炎症を起こし、ぎっくり腰になります。
 
また姿勢が悪くなくとも、同じ姿勢をとり続けることで、腰回りの筋肉が固まってしまうので、これもぎっくり腰発症の可能性を高めてしまいます。
 
オフィスワークやスマホなど前かがみによる腰の負担が大きいので現代病ともいわれています。
 

②ぎっくり腰の治し方
 
「原因もわかったことだしもう大丈夫だね。」いえいえ、もしあなたがぎっくり腰になった場合、正しい治療法を知らないと慢性化してしまうのですよ。これもぎっくり腰の落とし穴ですね。
 
ぎっくり腰になったらまずは楽な姿勢をとり安静にしましょう。少したって気持ちも落ち着いてきたら次は患部を冷やしていきます。これは炎症をそれ以上広げないために行います。(*凍傷の危険があるため保冷材は避けるようにしてください。)
 
また腰を支えるためにコルセットをまくことも効果的でしょう。痛みがひどいうちに温めることは炎症を加速させるので絶対してはいけません。
 
三日から一週間たつと痛みがだんだんと引いてきますが、この時にやってはいけない動作、治療法があります。


◎自分で患部をマッサージ

これは誰かにやってもらうならいいということではなく、素人の判断で勝手にマッサージをすることで余計に傷ついてしまうのでやめましょうという意味です。
 

◎痛みがあるか確認する動き

痛みがとれたかのように思っても、腰へのダメージはまだ残っています。無理に動かすことで、炎症がぶり返すのでやめましょう。
 

◎自分なりのストレッチをする

実際、専門家によるストレッチは存在していますが、独断で患部を伸ばしたりすることは悪化の原因につながるのでやめましょう。
安静にすることとアイシング、これらをやって順調に痛みがとれて来たら、次はお風呂やホットパックで患部を温めましょう。
 
血行の流れをよくすることで筋肉を柔らかくして症状を抑えるのを助けます。
 
安静がいいからといってずっと動かずにいると、また筋肉が固まってしまって再発しやすくなります。
 
かといって、無理な動きは逆効果なので、適度にリハビリ感覚で動きましょう。
 
再発を予防するためには姿勢をよくすること、負担のかかることは極力さけること、同じ姿勢ばかりしないこと、です。再発を防ぐことも治療に大きく関わるので心がけてくださいね。
 
治療法ももちろん大事ですが、原因を知って予め防ぐことが一番です。日頃から気を付けてぎっくり腰とは無縁の人生にしましょう
 

◎ぎっくり腰の痛みを和らげる寝方

ぎっくり腰になったばかりの状態では寝る時も安静に且つ動かさない(固定)様に寝ることが必要です。
柔らかすぎる布団やベッド、マットレスは、頭や腰などの重い部分が沈み、痛みが生じます。
 
ぎっくり腰ではなくとも、沈み過ぎる布団やマットレスは腰に負担をかけるので、体全体に重さを
分散させる ”体圧分散”のマットレスが今ではおすすめです。
 

◎ぎっくり腰におすすめのマットレス
 
また、腰に負担が掛からない寝方としては、横向になり、両足の間に布団や枕をはさんで寝ることで
負担を減らす事ができます。
 

◎ぎっくり腰になった時の応急処置方法
 
「ぎっくり腰」とは、なんらかの原因で腰椎が瞬間的にずれてしまい、腰の筋肉がその負荷に耐えられずに炎症を起こしてしまうことです。また、ぎっくり腰は、急性腰痛とも呼ばれています。
 
痛みを感じて検査をしても、椎間板や神経痛もみられません。ぎっくり腰になる原因には様々なことが考えられますが、大きく分けて、「筋肉疲労」、「骨格の歪み」、「急な負荷」といったことが主な原因として考えられます。
 
筋肉が慢性的に疲労していると、ぎっくり腰になりやすくなります。腰の筋肉の疲労がたまっているところに無理な体勢で、重いものを中腰で持ち上げたり、よろめいたりした際には負荷の許容量を超えてしまい症状として発生します。
また、毎日仕事などで立ちっぱなしや座りっぱなしの状態を続けていると体の柔軟性が失われ、使う骨格や筋肉に偏りができ骨格の歪みへとつながり、周囲の筋肉へ負担となってしまいます。
 
ぎっくり腰になった際の応急処置としては、患部の炎症を拡大させないために冷やすことが重要です。
 
炎症はそのままにしておくと周りの細胞を巻き込んでしまいますので、まずは冷やすことで細胞の生体反応を鈍らせることができます。
 
この際に患部を温めてしまうと、炎症をひろげてしまうことになるため、冷やことが効果的です。
そして、患部を冷やしながら痛みが少ない体勢で安静にするようにします。
痛みがあるなかで無理に動いてしまうと、炎症の拡大につながってしまいます。
 

◎ぎっくり腰になったら病院に行った方が良い?
 
結論からいうと、ぎっくり腰になったら痛いのを我慢してまで病院に行く必要はありません。
発症から1日目が最も痛みがひどく、2~3日安静にしていると次第に痛みが引いていきます。
他の原因がなければ、1~3週間すると自然に治っていきます。
 
ぎっくり腰は急性腰椎症と言われており、急に腰に痛みが走ります。その痛さから、魔女の一撃とも言われています。
その通り耐え難い痛みなので、無理に動いてしまうと腰部の炎症を悪化させてしまいます。
 
行くのであれば整形外科が妥当ですが、何時間も待たされる可能性もあるので、それならば家で安静に休んでいた方が良いです。
1~3日は安静にして、痛みが和らいで歩けるようになったら病院を受診すると良いでしょう。

 
◎痛みのピークを過ぎてから
 
そのまま放っておく人も少なくないようですが、ぎっくり腰以外に何か他の病気が隠されている可能性もあるので、痛みのピークを過ぎたら病院に行くと安心です。
他の病気として考えられるのは、椎間板ヘルニア、座骨神経痛、骨の異常、などです。
 
発熱、嘔吐、胸痛、しびれ、排泄障害、などの症状が現れて悪化するようであれば、誰か介助できる人に助けてもらって、タクシーで整形外科に行くのが最善の方法です。
家に市販の消炎鎮痛剤があれば、とりあえずそれを飲んでみても良いでしょう。
 
生理痛や頭痛の時に飲む薬が消炎鎮痛剤で、これで痛みが和らぐこともあります。
すぐに病院に行かなくても良いけれども、2~3日経ったら受診してみると安心できます。
 

◎ぎっくり腰の治し方:湿布で治るの?

自宅でできる対処法としては、まず、冷たい湿布で冷やすという方法が効果的です。
 
冷たい湿布がないというときは、冷やしたタオルやアイスバックなどを使いましょう。
 
ぎっくり腰のときは、腰に急な炎症が起こっているので、冷やすことで炎症を抑えることができます。
 
そのため、ぎっくり腰が起こった直後は冷湿布などで患部を冷やすという方法が最も効果的なのです。
 
すぐに温めてしまうと逆に症状が悪化してしまうことがあるので注意が必要です。
まずは冷やすということを頭に入れておきましょう。
 

◎痛みが治まってきたら
 
痛みが治まってきたら今度は温湿布で患部を温めます。
温めることで血行が良くなるので、症状が回復しやすくなります。
患部だけを温めるのも良いのですが、全身を温めるとより効果的です。
 
湿布を貼り続けていると肌が弱い方の中には、かぶれが起こることがあるので、体を起こすことができるようになったら入浴で全身を温めると回復を早めることができます。
症状が落ち着いてきたら病院に行き改善方法を相談しましょう。
 
冷湿布と温湿布があれば急なぎっくり腰にも対処することができます。
ぎっくり腰の心配がある方は、両方の湿布を準備しておくとよいでしょう。
 
 
◎ぎっくり腰が完治するにはどの位の期間がかかるの?

ぎっくり腰になったその瞬間、動けないほどの激痛に襲われてしまいます。なった直後の痛みは激しい痛みですが、痛みが続く期間はそれほど長いものではありません。
 
しかし回復に向かっているのに腰に負担をかけてしまったり、間違った対処をしてしまうと、悪化につながったり腰痛が慢性化してしまうこともあります。
 
ぎっくり腰が治るまでの期間はどれくらいなのでしょうか。またどんな手当ての仕方がよいのでしょうか。
 

◎ぎっくり腰になってしまった直後
 
ぎっくり腰になってしまった直後は、多くの人が慌ててしまうことでしょう。そこで慌てて動いてしまうと悪化することになります。
 
ぎっくり腰になった直後はなによりも動かないことが大切です。動かないということが応急処置なのです。
 
最初の痛みが少しずつひいてきたら腰を動かさないように気を付けながら横になりましょう。腰を動かさないように、あるのであればクッションのようなものを腰にあて、痛みが和らぐ姿勢をとります。
 
このようにぎっくり腰になってしまった直後にきちんと安静にすることで、治るまでの時間が短くすむのです。
 
ぎっくり腰になってしまった日は体内に熱がこもるので、夕方から夜にかけて痛みが増してきます。
ぎっくり腰の原因は筋肉が炎症を起こしてしまったことによるものなので、氷や水を使って冷却します。温めてしまうと悪化してしまいます。
 

◎翌日以降
 
翌日も安静を心掛け、少しずつ足の指先や足首を動かしてみます。2、3日すると痛みが治まってきますが無理は禁物です。
 
痛みが治まるとともに筋肉の炎症もひいてきているので、この後は温めるようにします。
1週間後には通常の生活が送れるようになるでしょう。
 

◎ぎっくり腰になったら冷やすの?温めるの?
 
ぎっくり腰になった場合、患部を冷やす方が良いのか温める方が良いのか迷ってしまう事は少なくありません。
 
ただ合わない処置をしてしまうとなかなか治らないと言う事にもつながるので、正しい処置を知っておく必要があります。
 

◎まず、ぎっくり腰になったばかりの時は冷やします。
 
これは患部が炎症を起こしており、痛みを感じているからです。
痛みがある程度良くなるまではしっかりと冷やして炎症を抑える事を重点的に行います。
 
そうする事によって、次第に痛みが軽減して行く場合が多くなります。
またこの時は出来るだけ腰を動かさない事が重要で、無理に動かしてしまうとなかなか炎症が治まらないと言う事も決して珍しくありません。
 

◎ある程度痛みが引いたら、次は温めます。
 
痛みを感じている時、炎症を起こしている時に温めてしまうとより痛くなってしまう事もありますが、痛みが引いてからは今度は回復する方に目を向けなければいけません。
 
その為、炎症を起こしていた筋肉に栄養を送る必要が出て来ます。
その働きを活発にする方法の一つが温めると言う事です。
 
ぎっくり腰は冷やす、温める、どちらかの処置をするだけで良いと言う物ではありません。
腰の状態に合わせてどうするかと言う事を決める必要があります。
 
良く分からない場合は、最初に痛くなってからは冷やす事、痛みが治ったら温めると言う事を行うだけでも大丈夫です。
 
またある程度炎症も治まって動く事が出来るようになったらコルセット等で固定するとより腰に負担を掛けずに済みます。
 
 
◎ぎっくり腰に効く薬

重たいものを持ち上げて思わず腰に負担がきてしまい、ぎっくり腰になり痛い思いをされた方も多いのではないでしょうか。
 
朝起きたらぎっくり腰が余計にひどくなり激痛が走ったというケースも少なくないと思います。
 
整骨院や整形外科にすぐにいければよいのでしょうが、日々仕事に終われるサラリーマンやOLの方はそう簡単に病院に通えないという人も多いでしょう。
 
そのような場合は、即効性のある痛みを和らげる鎮痛薬を薬局で買うしかありません。
 
では具体的にどのような薬がぎっくり腰に効くのでしょうか。
おすすめの薬は、「ロキソニンS」です。
 
薬にふくまれている成分が痛みの原因となってる物質を分解し、痛みを抑える効果を発揮してくれます。
 
眠くなる成分が含まれていないことも働く人にとっては嬉しいものです。
注意しなければならない点は、ロキソニンSが、薬で一類に分類されていることです。
 
一類のためドラッグストアで取り扱いがあっても、薬剤師がいている時間しか販売されません。
最近は、登録販売者が増え、薬剤師による薬の販売が減少する傾向にあります。
薬剤師を常に雇っている薬局か、薬剤師のいる時間を事前に調べて購入しましょう。
 
しかし、薬はあくまで応急処置です。
薬を飲んで痛みが緩和され、治ればよいですが、それでもぎっくり腰が治らない場合は、時間のあるときに病院を受診することをおすすめします。痛み止めに加えて、効果の高い湿布を出してくれるでしょう。









「イタドリの効用」

2017-11-21 06:02:30 | 日本

イタドリとは、たくさんの節がある多年草で、道ばたや土手などに生えている植物です。4~5月に採取できる柔らかい新芽は、山菜として古くから煮物や炒めものにして食べられてきました。また、乾燥させた根は虎杖(コジョウ)または虎杖根(コジョウコン)という名前で、生薬に利用され、利尿効果があることから膀胱炎、膀胱結石、月経不順、閉経などの治療に効果的です。
イタドリの特徴は、繁殖力が旺盛なことです。風に運ばれた種子は、アスファルトを突き破って芽を出して生長し、群生地ができるほどの爆発的に数を増やします。19世紀にイギリスに輸出された際、在来種を駆逐してしまう恐れがあることから、世界の侵略的外来種ワースト100に指定されました。
イタドリの新芽に含まれる酸味には、肝臓の働きを助けて体をデトックスし、利尿作用によって排出を促します。また、乾燥させた根は、便秘や月経不順、膀胱炎の改善に効果を発揮してくれる漢方として、昔から扱われてきました。他にも、乾燥させた根と甘草を合わせて、咳を止める漢方薬としても利用されたり、葉に止血作用があったり、傷の傷みを和らげてくれる効果がある植物として「イタドリ」の名前がついたともいわれています。


◎見分け方

根茎は木質で長く地中をはい、節があって、ところどころに芽を出します。春先には竹の子状に若芽が伸び草丈が2メートル近くになります。
茎は円柱状、中空で若いうちは水分を多く含んで柔らかく、古くなると木質化します。葉は互生して柄があり、長さ10センチから、15センチの卵状楕円形で先が尖り、縁がわずかに波をうっています。
雌雄異株で、夏には枝端と葉のわきに総状花序をつけ、白色か紅色の小花をたくさんつけます。

◎採集と調整
秋から冬にかけて、地上部が枯れた頃に根茎を掘り採り、水洗いして長さ5センチから10センチに切り、風通しのよい所で、天日乾燥させます。
これが生薬の虎杖(こじょう)、虎杖根(こじょうこん)といいます。


◎どうやって食べるの?
10~11月頃、茎や葉が枯れたら根を掘り、水洗いをして干してください。1日8~10gをコップ3杯分の水で半量になるまで弱火で煮つめ、ガーゼなどでこし、食間3回に分けて服用するといいですよ。ただ、エモジンというお腹が緩くなる成分が含まれているので、食べ過ぎには注意してください。

世界の侵略的外来種ワースト100に指定されているように、イタドリは、他の植物の生育を妨げる恐れがある植物です。また、アスファルトやコンクリートを突き破るほど強靭な性質をもつことから、川沿いの堤防を決壊させるといったライフラインへの被害も心配されます。

イタドリを駆除するには、イタドリを吸汁して育つ虫、タドリマダラキジラミを増やすことが効果的といわれています。もともと、イタドリマダラジラミは日本に自生しているため、イタドリの被害は抑えられています。ただ、除草剤では完全に駆除できないことから、場所によっては土を全て掘り起こして根を除去し、さらに除草剤をまいて枯らすなど大掛かりな駆除策がとられています。


◎イタドリの食べ方は?ジャムの作り方を紹介!

葉が開く前、紅紫色の斑点のあるタケノコのような形をした新芽を使って、ジャムを作れます。爽やかな酸味があり、パンに塗るだけでなく、紅茶やお菓子に加えるとおいしいです。また、肉料理の下味に使うと、肉が柔らかくなり、オリーブオイルや酢と混ぜればさっぱりした魚介サラダにぴったりのドレッシングも作れます。葉が開いたあとでは、新芽が硬くなってしまうため、その前に収穫して作ってみてくださいね。


用意するもの
● イタドリの新芽:10本
● 水:大さじ2
● キビ砂糖:イタドリの半分程度の分量
● レモン汁:少々
● 煮沸消毒したビンなどの保存容器:1個


☆作り方
ピーラーでイタドリの皮をむき、適当な大きさ切って筋をなるべく取り除く
2. イタドリを色が変わる程度にさっとゆでて、1時間ほど水にさらす
3. 水気をよく切り、水と一緒にミキサーに入れてペースト状にする
4. ペーストを鍋に入れて砂糖、レモン汁を加え、アクをとりながら、弱火で好みの固さになるまで煮つめる
5. 煮沸したガラス容器に入れて冷ます


◎食べ方

若芽をつんで、茹でてから、よく水にさらします。酢味噌やゴマ和え、酢の物、汁の実、油いためなどにします。
生のままは、天ぷら、即席漬けなどに、また、そのまま塩をふり生食も結構いけます。

若いイタドリは、茎が柔らくて水分に富み、酸味があるので、食べますが食べ過ぎますと、下痢をひきおこすことになるので注意します。
地方によっては、採取したイタドリを小川の流れに1~2日間つけておいてから、水気をとり塩漬けにして、冬場の山菜料理にします。

常用量では問題はないが、蓚酸が多いので食べすぎには注意しましょう。
春に伸び出すタケノコ状の若い茎を折り採り、皮をむいて生食、または塩で揉んでサラダにしたり、漬け物とする。特に少し酢を垂らし、マヨネーズ和えにすると美味しい。イタドリの味は、料理の腕しだいです。
4~6月、若い茎を折りとり、熱湯で茹で、あるいは重曹を入れて茹で、或いは少量の塩を入れて茹で、流水にさらし、酢のもの、煮ひたし、納豆あえなどに。皮をむいてから、さっと熱湯をくぐらせるか、熱湯をかけて2分間ほどおいて、冷水にとり、6~7時間水にさらす方法でも、下ごしらえができる。
これらを二杯酢、三杯酢、酢味噌和え、油炒めとする。ごま油で炒め、醤油と化学調味料で味付けして、すりごまを入れるとおい。
若い茎のカラシ醤油漬けも美味しい。皮をむいて塩漬けとして置き、随時、塩抜きして使うと良い。
軟らかい葉は、天ぷらにできる。

イタドリのごま油炒め 
春、手で折ると、ぽんと折れる所から採集する。曲げておれない物は繊維が硬くなっており、食べにくい。強い酸味をとるため、皮を剥いて短冊切りにし、茹でる。水に一昼夜ほどさらしてから、ごま油で炒め、醤油と化学調味料で味付けする。最後にすりごまを入れると美味しくいただける。


◎効用

イタドリの名前の由来は「痛取り(いたどり)」の意味で、痛みを取るからとされています。
擦り傷、切り傷などに、柔らかい若葉をもんで患部に塗布すると出血を止めて、痛みを和らげる作用があるとされますが、実際には小さな傷の出血を止める程度です。

古来中国では、「虎杖根(こじょうこん)」と言って、古くから火傷(やけど)の妙薬として用いられていました。

山野に大群生してジャングルを作る多年草ですが、戦時中はタバコの葉の代用として、タバコの原料に用いられました。


【1】虎杖根に甘草を加えて琥珀色になるまで煎じ、冷やして茶代用としたものは「冷飲子」と言い、咳、渇きをとめるので夏の飲物として最適である。

【2】虎杖根を1日5~20g煎じて服用すれば健胃、緩下、利尿、通経剤として消化不良、老人・婦人の常習使秘、浮腫、神経痛、リウマチ、肋膜炎、尿閉、夜尿症、膀胱炎、膀胱結石、婦人病、月経困難、喘息、風邪などに効果がある。また血糖値を下げる作用があるので糖尿病にも効果がある。

【3】煎液で罨法すればヒョウソに効果がある。

【4】新芽を煎じて服用すれば解熱剤となり、またリウマチにも効果がある。

【5】根を風呂に入れて浴湯料とすれば湿疹に効果がある。


◎実証例

①埼玉県・藤井 美代子さん/65歳
夫婦に笑顔が戻ってきた!『イタドリ』試して正解でした。還暦を過ぎた頃からは、畳の上に椅子を置いて座るのが当たり前。「もう、若い頃とは違うんだ」って、和室なのに椅子に腰かけている自分が、なんだか情けなく感じて。グルコサミンやコンドロイチンも試して、たどり着いたのが『イタドリ』でした。夫婦そろって、若い頃のように一緒に買い物に出かけたり、散歩や旅行だって楽しんでいます。こんな気持ちは久しぶり!それに、直に感じる畳の感触が懐かしくって。「歳だから」なんて諦めずに、何でも試してみるものですね。おかげさまで、夫婦で笑い合える時間が増えました。

②埼玉県・岡崎 知恵子さん/58歳
主人と始めた蕎麦屋は、ありがたいことにたくさんのお客様に来ていただけてね。お昼時時になると、1階と2階を行ったり来たりを何往復も繰り返すんですよ。こんなことを30年も続けてたら、ガタがくるのも当然よね。でもね、一段一段立ち止まってたら、せっかくのお蕎麦が伸びちゃうでしょ?だから、『イタドリ』には感謝してます。お客様に呼ばれたら、「はーい」って返事する前にタタタッて駆け上がっちゃうんだから。この店の看板娘ですもの(笑)。いつまでも元気よく、笑顔でいないとね!

③愛媛県・山下 重利さん/65歳
鯛の養殖業を始めて40年。この仕事は体が資本なんだ。水揚げの時なんて、何十メートルもある網を引きずり上げる。若い頃はなんてことなかったけど、体は正直なもんだね。還暦を過ぎて、気持ちに体が追い付かなくなってくるんだ。そんな時に出会ったのが『イタドリ』。「グルコサミンだけじゃない」ってのは頼もしいよね。いつまでも仕事を続けていきたい意欲だってあるし、積み上げてきた技術は誰にも負けんって気概もある。それを気持ちだけじゃなくて、行動で表せている今が本当に楽しいんだ。

④愛媛県・山下 重利さん/65歳
外でかけっこをしたり、縄跳びをしたり、子どもたちと一緒に走り回ったり。幼稚園の先生をしている私にとって、こうして子どもたちを近くで感じられることがとても嬉しいんです。窓越しに子どもたちを見守っているなんて、私には耐えられない!『イタドリ』みたいなサプリメントに出会えてよかったわ。

⑤北海道・斉藤 芳造さん/55歳
僕は「厩きゅうむいん務員」っていう、馬の世話をする仕事をしているんだ。小さな職場だから、世話は全部自分一人でやらなきゃならない。つまり、替えがきかないんだ。
だから、『イタドリ』が僕には欠かせないよ。自分の何倍もある馬の体を洗うのだって、チョチョイのチョイってもんだ(笑)。しゃがんで、立ち上がって、背伸びして…周りからも「若いね」なんて言われるよ。この仕事に〝定年〟はないからさ。いつまでも続けていくために『イタドリ』には、まだまだ世話になるよ!

⑥埼玉県・佐藤 キミエさん/79歳
朝早くに家を出て、スッと1歩を踏み出す。散歩は私の生活の一部なんです。『イタドリ』を飲むのと一緒ですね。外に出て歩くと気持ちがいいし、誰かに会って挨拶したり、おしゃべりしたり。もう楽しみで仕方がないの。この先も娘に世話はさせたくないですし、自分の事は自分で出来るように、この先も『イタドリ』と一緒に、自分で歩き続けていきますよ。

⑦茨城県・石川 よう子さん/58歳
女将の仕事、はりきっています!宴会の準備や、客室の布団敷き、お料理を運んだりと1階と2階を行ったり来たり、女将の仕事は結構大変なんです。でもね『イタドリ』に出会って良かったわ。1日中動きっぱなしでも、お客様の前ではもちろん、従業員の前でもずっと笑顔でこなせてるの。まだまだ現役で頑張るわよ♪

⑧北海道・一戸 健さん/74歳
前後左右、ビュンと走りまわっているよ!バスケットボールの審判をやっていてね。前後だけじゃなく、左右にだって動かなきゃならないし、もちろん歩いている暇なんてないよ。ビュンと走って、コートの中を休みなく動き回る。気力も体力も申し分なし! いつまでも若々しいおじいちゃんでいられそうだね。

⑨北海道・一戸 健さん/74歳
庭いじりも快調です!
私の日課は「庭いじり」。少しでも放っておけば、植木は伸び放題、足元だって雑草だらけになってしまうから、毎日の世話が欠かせないんだ。『イタドリ』に出会ったのは還暦を迎えた頃だったかな。しゃがんで雑草をグイッと抜いたり、不安定な脚立の上で踏んばったり、一つ一つに自信が持てるんだ。綺麗な庭を見ると、気持ちも明るく晴れやかになるってもんだ。これも『イタドリ』のおかげだよ。私にとって、女房以上のパートナーになったんじゃないかな(笑)。













日本のこころ

2017-11-20 05:51:03 | 日本

〔1〕日本国の成立ち

わが国は、神武天皇が即位された日(紀元前660年2月11日)に建国しました。以来、2677年間(西暦2017年現在)、皇室が連綿として続いており、今上陛下は、125代目に当たります。天皇は時間的連続性の象徴であり、世界の国々の中で、最も古い歴史を持っています。



〔2〕日本国の特徴

日本国は神代の昔より、私たち国民も、山も川も草も木も国土も、すべてが神々の生命の顕れであると受取ってきました。その神々への祭主が天皇であります。日本はこのような悠久の歴史をもっています。
また歴史上、幾多の国難にも出会いましたが、「革命」ではなく、「維新」という伝統的思想と行動により乗り越えてきました。維新とは、建国の理想に還ることであります。



〔3〕武士道精神とは

国に報いる心をもつこと。  
礼儀正しくすること。
武道に優れ、勇気のあること。  
真心をもって約束を守り、相手にたいするつとめを果たすこと。   
生活などが贅沢でなく、つつましく倹約すること。 

武士道精神は、日本人特有の精神文化、規律のとれた習慣、周りを思う道徳心など、このような歴史の中より醸成されてきました。



〔4〕日本人の理想

私たち日本国民は、子は親に孝養をつくし、兄弟、姉妹は互いに力を合わせて助け合い、夫婦は仲むつまじく解け合い、友人は胸襟を開いて信じあい、そして自分の言動をつつしみ、すべての人々に愛の手をさしのべ、学問を怠らず、職業に専念し、知識を養い、人格をみがき、さらに進んで、社会公共のために貢献し、また法律や、秩序を守ることは勿論のこと、非常事態の発生の場合は、真心をささげて、国の平和と安全に奉仕しなければなりません。
そして、これらのことは、善良な国民としての当然のつとめであるばかりでなく、また、私たちの祖先が、今日まで身をもって示し残された伝統的美風を、さらにいっそう明らかにすることでもあります。
またこのような国民の歩むべき道は、日本ばかりでなく、外国に行っても間違いのない道でありますから、父祖の教えを胸に抱いて立派な日本人になるよう心掛けましょう。



〔5〕わたし達が志すもの

自立ある国創りと万邦協和であります。
歴史と伝統文化を否定すれば、その民族と国家は滅びてしまいます。このことは世界の多くの歴史が教えてくれています。
また、日本は世界史から見ても、特に「和」や「助け合い」を重んじてきた国といえます。奪い合って得る仕組みや他人の不幸の上に成り立つ幸福には限界があります。今、世界に求められていることは、お金の価値を中心に据えた物質的競争社会から、愛情を中心に置く「助け合い社会」へのシフトと言えるのではないでしょうか。日本の底力は、信念を貫き大義を重んじる武士道精神や和から生まれる団結力にあると世界各国からも高い評価を受けています。
日本人の「美徳」を世界に発信しましょう。












                                           















「日本が韓国・北朝鮮にできる三大卓袱台返しの秘策」

2017-11-19 06:38:26 | 日本

アゴラの八幡和郎さんが「日本が韓国・北朝鮮にできる三大卓袱台返しの秘策」について掲載している。以下、要約し記す。



韓国の文在寅大統領は、徴用問題についての個人請求を否定しないようなことを言うし、慰安婦問題も蒸し返す流行りたい放題だ。

金正恩も「日本を沈める」とかいい放題だ。そんななかで、何かパンチの効いた対抗措置はないのかといえば、簡単ではないが、ないわけではない。

別にそんなことをしたいわけでも、するべきだとも思わないことは、特に強く念を押しておくが、南北の卓袱台返しの連続に指をくわえて見ているだけでは芸がない。いざとなれば、こっちも「究極の対抗策はあるのだぞ」ということはシミュレーションしてよいのではないか。私も何か落とし穴がないか、専門的に研究したわけでもないので、もし、ご指摘があれば歓迎だ。

(1)日本人が半島に残した個人財産への補償を要求

(2)対北朝鮮経済協力の拒否(統一時も含む)

(3)三代目以降に特別永住者の地位を認めない事


(1)日本人が半島に残した個人財産への補償
日韓基本条約締結に伴う協定及び交換公文形式で放棄されているが、ポーランドやチェコでもドイツ人資産の返還もされており、向こうが個人請求権を言うなら蒸し返しはあり得る。また、北朝鮮に対しては国有財産も含めて白紙だ。

(2)対北朝鮮経済協力の拒否(統一時も含む)
この点については、近く別途、書くが、日本は日韓国交回復時にいわゆる植民地支配について賠償は行わなかったが経済協力をした。北朝鮮はなお賠償を要求していたが、日朝平壌宣言で経済協力とすることで合意している。しかし、条約でもないし、その後の北の暴虐はこれを反故にする十分な理由となる。

(3)三代目以降には特別永住者という扱いをしない
日韓の合意で「資格は2代目まで継承できることとし、3代目以降については25年後に再協議する」とし、1991年に入管特例法により3代目以降にも同様の永住許可を行い、朝鮮籍、台湾籍の永住者も合わせて特別永住許可として一本化された。しかし、この制度を永久に維持するかどうかは日本が決めることだ。

また、現在、日本に帰化するときは、韓国が帰化希望者に要求しているような、忠誠宣言は要求していないが、これは、世界の常識にしたがって要求するべきものだ。



もちろん、これらを本当に発動すべきだと私が考えているわけではない。ただ、頭の体操はしておくべきだ(あくまでも、あまりひどい要求や脅しが続くなら可能な対抗措置の整理が必要という意味)。

韓国は、こんどは戦時中の日本企業による徴用について、損害賠償を個人がすることは、日韓基本条約の埒外だと裁判所が判決を出し、韓国で事業をしている企業が払わされたりしている。

戦時中のことだから、出征により内地で不足した労働力を補うため、朝鮮半島から雇い入れていたし、「国民」ですから徴用もあった。そのなかで、過酷な条件で働かせた案件もあったこともあるだろう。ただ、朝鮮半島出身者について特に非人道的な扱いを広汎にしたという説得的な材料はいまのところない。

しかも、請求権は日韓基本条約で放棄している。そういう意味で、無茶苦茶だが、こうした動きを止めるには、こちらも卓袱台返しで対抗するしか方法はない。








「大日本帝国憲法は今も生きている」

2017-11-18 06:01:11 | 日本

西村真悟さんが、「大日本帝国憲法は今も生きている」について記している。
以下、要約し記す。



「現在の我が国の憲法」は何処に如何にして存在しているのか、である。
「我が国の憲法」とは何か、それは如何にして存在しているのか、が分からずして、そもそも改正論を唱えられないではないか。

私の考え、直感は、我が国の憲法は、万世一系の天皇を戴く我が国の歴史と伝統の中に存在している、というものである。

しかし、こう言い切ってしまえば、本通信で、これから述べることがなくなるので、この私の論を横に置きながら、現在の戦後の主流とは違う法学の伝統が京都にあることを指摘して、昭和二十一年十一月三日に公布され同二十二年五月三日に施行された「日本国憲法」と題された文書とは別の「憲法」の体系があることを指摘しておきたい。

現在の司法試験や国家公務員試験を受けて法曹界や中央官僚界に生きる者達は、ほとんど東京大学教授が書いた憲法の教科書で学び答案を書いて合格してゆく。

つまり、江戸時代には昌平坂学問所の漢学が公的な権威を付与され、役人や幕府の御用学者には、昌平坂学問所で学んだ者が就任したように、戦後の現在は、東京大学教授の教科書を使った者が法曹界や役人界に送り出される。
そのロングセラーの「権威ある教科書」を書いた典型が、戦前は、大政翼賛会大賛成で、戦後は、「八月革命説」を唱えて日本国憲法の正当性を基礎づけた東京大学の宮沢俊義教授(明治三十二年生)である。

しかし、昭和二十年の八月に、革命などあるものか、馬鹿馬鹿しい。

こうゆう教科書という出発点が、馬鹿馬鹿しいのであるから、これで学んだ我が国の高級官僚や学者に、おっかしいのが出てくるのは当然ではないか。
「おっかしいの」とは、集団的自衛権や安保法制は違憲であるという学者や、カネを支払って若い女と酒を飲み、歓談など、をすることを貧困調査という役人である。
馬鹿、遊んだのではないか。

この昌平坂学問所の幕府の覚えめでたき学者に対して、京都には、戦前戦後の変節のない憲法学者がいる。
佐々木惣一教授(明治十一年生)と弟子の大石義雄教授(明治三十六年生)の京都学派が存在した。
京都大学の佐々木教授は、戦後、憲法にGHQの意向を取り入れることを嫌い、昭和二十年十一月二十四日、内大臣府御用掛佐々木惣一として昭和天皇に「帝国憲法改正の必要」を奉答した。

この佐々木博士の改正案は、百条からなる。
そして、第一条から第四条までの「天皇」の規定は、大日本帝国憲法を何ら変更させず、そのまま踏襲しているものである。
この佐々木博士の弟子の大石義雄教授は押しつけ憲法論や憲法無効・失効論そして改憲論を展開し、「保守反動の大石」という名誉ある呼称で呼ばれた学者である。
安保法制が違憲だという現在の学者の呼称と比べられよ。

次に、大石義雄先生の、最晩年の一文を紹介する。
江戸時代にも、幕府の昌平坂学問所における学問だけがあったのではなく、山鹿素行や広瀬淡窓や山田方谷などの幕府以外の在野の高士が学を唱えた。
そして、栄達のための幕府の官学よりも、在野の彼らの学問が社会の為になり社会を変革してゆく原動力となった。
それと同様に、戦後の現在、幕府の官学に匹敵するのはGHQの書いた「日本国憲法」である。
従って、このGHQの「日本国憲法」だけが、「憲法」だと思い込んで、「何をどう改正する」とか
「条文は全てそのままにして加憲する」とか言っているよりも、我が国の歴史を見つめ、一体、今、「生きている憲法」は何かを考えるために、大石義雄先生が、昭和五十四年三月に編纂した「大日本憲法制定史」(明治神宮編)の跋文を読んで戴きたい。


◎「大日本帝国憲法制定史」跋文

大日本帝国憲法は、明治天皇が皇祖皇宗の遺訓を体して欽定されたものであるから、大日本帝国憲法の精神的な基礎を為す日本思想を理解することなくしては、大日本帝国憲法の制定史を語ることはできないのである。

大日本帝国憲法は、現憲法から見れば旧憲法である。
しかし、社会は刻々として変わる。
占領目的達成の手段として作らされた現憲法も、いつまでもつづくといふわけにはゆかないのであり、いつかは変わらなければならないだろう。
その時は、大日本帝国憲法の根本精神が新憲法の名においてよみがへって来るだろう。
この意味において、大日本帝国憲法は、これからの日本の進路を示す光として今も生きているのである。
 
昭和五十四年三月吉日

大日本帝国憲法制定史調査委員長
京都大学名誉教授  法学博士 大石義雄










「差別などなかった。最後の証人が語る、日本の朝鮮統治の真実」

2017-11-17 05:59:34 | 日本

伊勢雅臣さんが「差別などなかった。最後の証人が語る、日本の朝鮮統治の真実」について掲載している。



日韓関係をぎくしゃくさせている原因のひとつとしてあげられることの多い、日本による「朝鮮統治」。朝鮮総督府で官吏をされていた西川清氏の著書『朝鮮総督府官吏、最後の証言』の内容を引きながら、朝鮮統治時代の日本人と朝鮮の人々との関係性について、メルマガ著者の伊勢雅臣さんが分析・解説している。
以下、要約し記す。 
 

◎朝鮮総督府の「一視同仁」チームワーク
 
朝鮮総督府で官吏をされていた人が、当時の体験を語った貴重な本がある。本年7月、102歳で亡くなられた西川清氏の『朝鮮総督府官吏、最後の証言』だ。表紙の帯には「おそらく総督府の実態を語れるのは私が最後だと思います」との発言がある。
 
この本の裏表紙にある写真が、西川さんの証言のすべてを物語っている。そこでは4人の若い男性が桜の木の下で、肩を組んでいる。キャプションには「1934年 官吏仲間と楽しく花見する西川氏」とある。
 
一人は着物を着ているので日本人と分かるが、他の3人は洋服だ。そのうちの一人が西川さんで「大和系日本人」、残る2人の青年には「朝鮮系日本人」と注意書きされている。
 
仲良く肩を組んでいるので、そのような注意書きがなければ、誰が日本人で誰が朝鮮人だか全くわからない。西川さんの朝鮮総督府での業務体験を読んでいくと、日本人と朝鮮人が一体となったチームワークで仕事をしていたことがよく窺われる。
 
 
◎町の周囲の山が禿山だった
 
西川さんは昭和8(1933)年18歳で和歌山県の熊野林業学校を卒業し、校長の斡旋で朝鮮総督府に就職した。朝鮮といっても、当時は内地(国内)、外地(朝鮮、台湾)とも同じ日本だったので、日本国内の遠い地方に行くという感覚だった。任地は江原道(こうげんどう)。「道」は日本で言えば「県」にあたり、江原道は朝鮮半島の東海岸、南北ではちょうど中程にあった。
 
朝鮮に行ってまず驚いた事は、釜山(プサン)や京城(ケイジョウ、現ソウル)など町の周囲の山が禿山だったことです。
 
…朝鮮にはオンドルという薪(まき)を焚いて床を暖める設備がどこの家にもありました。朝鮮は非常に寒くなりますから、このオンドルには大量の薪が必要です。しかし、朝鮮には植林をするという技術もなく、指導者もいなかったので、街に近い山々にはほとんど樹木がなくなっていました。 (『朝鮮総督府官吏 最後の証言』桜の花出版編集部/星雲社)
 
西川さんの最初の仕事は、この禿山に植林をすることだった。まず土が流れないよう、70~80センチの段々を作り、そこに木を植える。植林は土砂崩れや洪水防止のために急務であった。また海の近くに植林することで、漁場に栄養が行き渡る。西川さんは日本の林業学校で「樹のない国は滅ぶ」と教えられていた。
 
朝鮮総督府は1911年からの30年間で、5億9,000万本もの植林を行った。朝鮮全人口の一人あたり約25本という膨大な数である。西川さんはその一翼を担ったのである。
 
 
◎日本人官吏と朝鮮人官吏の給与も出世も平等だった
 
昭和11(1936)年に朝鮮総督府は地方官吏養成所を設け、西川さんはその第1期生として京城で1年間学んだ。江原道からは5人が送られたが、そのうちの2人は朝鮮人だった。養成所の第1期から朝鮮人も選ばれて、幹部候補生として育てられたのである。幹部ともなれば、日本人の上司となることも、ごく普通であった。
 
昭和18(1943)年、西川さんは江原道の21の郡の一つ、寧越郡の内務課長に昇進した。寧越郡は7つほどの村を管轄しており、全体で60名ほどの職員がいた。どこの郡でも郡守はほとんど朝鮮人で、寧越郡も例外ではなかった。西川さんは朝鮮人郡守の下で内務課長を務めたわけである。
 
給与も出世についても、日本人も朝鮮人も全く差別はなかった。ただ内地から来た日本人には外地手当が支給された。したがって内地に働く日本人官吏と、朝鮮で働く朝鮮人官吏は同じ給与だったようだ。これは現在の多くの日本企業の海外法人よりも公平である。
 
その後、西川さんは道庁に移って課長補佐になったが、そこでも朝鮮人の方がずっと日本人よりも多く、また道庁の部長もほとんど朝鮮人であった。ここでも朝鮮人の上司に仕えたのだが、西川さんは全く違和感はなかったという。朝鮮人の上司は、西川さんをとても可愛がってくれた。
 
朝鮮統治では、「皇民化」で当時の朝鮮人を軍国主義に染め上げようとした、などとの批判が現在されているが、それについて西川さんはこう答える。
 
皇民化政策について勘違いしている方が多いのです。日本人も朝鮮人も皇民だったということです。皇民化とは日本と朝鮮の格差や差別をなくすためのものだったと思います。
(『朝鮮総督府官吏 最後の証言』桜の花出版編集部/星雲社)
 
道庁内では各課ごとに野球チームを作り、野球大会をやっていた。朝鮮人は野球がとてもうまく、朝鮮人だけのチームもあったが、そこが一番強いかというと、そうではなかった。なぜか朝鮮人と日本人の混合チームがいちばん強かったと言う。個人の能力の高い朝鮮人とチームワークに優れた日本人の強みがうまく補完し合うからだろう。
 
朝鮮は、日韓併合後の最初の20年で、人口も米の生産量も2倍となるなどの高度成長期を迎えるが、その原動力の一つが、この日本人と朝鮮人のチームワークだった。
 
 
◎朝鮮人は日本名を名乗る権利があった
 
朝鮮人に日本名を名のらせる創氏改名が強制されたというのも、戦後の神話である。
 
道庁の朝鮮人官吏の人でも、創氏改名しない人はたくさんいました。はっきりと覚えていませんが、私の周りでは半数以上といったところでしょうか。「創氏改名しろ」と言う命令があったのなら、朝鮮人の官吏は、真っ先に改名しなければならなかったでしょう。
 
総督府の組織の人間である官吏の朝鮮人が、国の言うことを聞かないと言う事はできません。それが名前を変えなかったという事は、創氏改名は自由だったということです。
(同上)
 
むしろ朝鮮人が日本名を欲しがったと言う話も聞いたくらいだった。「あの当時は同じ日本人なのだから、したかったらしたらという感じでした。無理にしろということではありません」と西川さんは回想する。実際に「氏の創設は自由 強制と誤解するな」という総督からの注意が新聞記事でも残っている。
 
 もし、創氏改名が出来なければ差別になります。日本人と同じと言っておきながら、朝鮮人が日本名に変えることができないとなると、これは一つの矛盾となります。朝鮮人は日本名を名乗る権利があったのです。
(同上)
 
「徴用は、強制というより納得するように話すんです」
 
現在、朝鮮人労働者を日本内地で働かせた「徴用」は「強制労働」とレッテルを貼られ、当時の日本企業に損害賠償を求める裁判まで起こされている。
 
西川さんは寧越郡の内務課長時代にこの「徴用」に取り組んだ。徴用とは戦時下の労働力不足に対応するための国民に対する勤労動員である。内地では昭和14(1939)年から実施されていたが、朝鮮では昭和19(1944)年9月に開始された。
 
朝鮮総督府が各道庁に朝鮮人男子青年の人数を割り当て、道庁は郡に、郡は面(村)に人数を割り当てる。ただし、西川さんの前任者は、10人の割り当てがあっても、5~6人しか集められなかった。
 
西川さんは10人の割り当てに10人集めた。その成績が非常に良いと言うことで総督府の事務官が理由を聞きに、西川さんの所にやってきた。逆に言えば、徴用は法律上は強制であっても、実際には言うことを聞かない朝鮮人も多かった、ということである。
 
どうやって集めたかと言うと、面長(村長)とか、関係の人にきちんと説明して、本人にも納得するように説明してもらう事でした。…
 
徴用は、強制というより納得するように話すんです。それをしっかりと話をしないで、集めようとするから、皆、嫌がって日本に行かないことがわかりました。
 
私はきちんと、日本に行って、日本人と同じ仕事をして、賃金もきちんともらえると、係官に説明をしてもらったのです。
(同上)
 
これが「強制労働」の実態だった。
 
 
◎「従軍慰安婦」の強制連行はなかった
 
「従軍慰安婦」の強制連行などは無かった、と西川さんは断言する。もし「従軍慰安婦」の強制連行があったら、徴用と同じように人数の割り当てがあり、内務課長がその人数を集める責任を負うはずだ。内務課長であった西川さんがそれをしてなかったという事は、強制連行の事実がなかったと言うことになる。
 
百歩譲って、西川さんが嘘をついていたとしても、まだまだ反証がある。西川さんの周囲には、郡長や部長レベルも含め多くの朝鮮人官吏がいた。もし朝鮮人女性をトラックで無理矢理連行するような事があったら、それらの朝鮮人官吏が黙って見ていたはずがない。必ず大騒動が各地に起こったであろう。
 
さらにもう一つの証拠として、当時の行政の厳格な文書主義がある。戦後、西川さんが帰国して、再就職する際に、政府から履歴書を再発行してもらった。そこには朝鮮に渡った18歳からの経歴、役職、給与までが克明に記録されていた。コンピューターもない時代に、総督府は一人ひとりの官吏にまで、このような詳細な記録を残していたのである。
 
終戦後の引き揚げの混乱の中でも、総督府は「特別輸送乗車船証明書」を発行している。これは引き揚げの交通費を免除するためのもので、印刷された用紙に名前を書き、公印まで押している。
 
もし総督府が行政命令として慰安婦を集めていたら、その命令書や執行報告書、そして集められた慰安婦たちの一人ひとりの記録が残されていたはずだ。西川さんは引き揚げ時には書類はすべて道庁に残してきたというから、もし慰安婦の強制連行があったら、その膨大な証拠書類が出てこないわけがないのである。
 
 
◎朝鮮人志願兵への応募30万人
 
「従軍慰安婦」とは対照的に、朝鮮人志願兵の記録は詳細に残っている。朝鮮人の第一回志願兵募集が始まったのは昭和13(1938)年だった。応募者は2,976人と倍率が7倍を超えたので、採用者を増やして480人が採用された。
 
志願者は年々増え続け、昭和18(1943)年には30万人にも達した。採用予定者は5,300人で、倍率は約57倍だった。この年にはさらに幹部候補の募集も行われた。
 
日本の軍隊の特徴は、日本人と朝鮮人を混在させた点にあった。そのため朝鮮人上官の下に日本人兵が配置されることもあった。そこでは朝鮮人上官が日本人の部下を怒鳴りつけたり、殴ったり、靴を磨かせていた事も、当時の軍として普通に見られたようだ。
 
アメリカでは、白人部隊と黒人部隊が完全に分かれ、黒人の上官の下に白人の部下がつくことなど、ありえなかった時代の話である。
 
靖国神社には、日本軍として戦った朝鮮人兵士約2万1,000人以上が英霊として祀られている。「一視同仁」、すなわち、日本人も朝鮮人も同じ「皇民」である、とする精神が軍隊内での処遇においても、慰霊においても実践されていたということである。
 
 
◎「私たちは、恥ずべきことは何一つしておりません」
 
終戦の玉音放送を、西川さんは自分の机で聞いた。よくは聞き取れなかったが、「忍び難きを忍び」などの天皇陛下のお言葉を聞いて負けたということがわかった。道庁の中で、朝鮮人官吏の様子については特に変わった様子もなかったようで、記憶に残っていないという。
 
西川さんは翌日も、職場に行った。
 
私は机の身近なものなど片付けて、それ以上はもう自分は必要ないから触らずに帰ってきたわけです。何も朝鮮と戦争した訳でもないから、朝鮮を差別したこともないし、内鮮一体でやってきたわけだし、私たちは、恥ずべきことは何一つしておりません。
 
朝鮮人と日本人と一緒になって、一生懸命やりましょうということだけで、仕事をしてきたわけです。江原道庁で、見られて都合の悪い書類なんて何もありませんでした。総督府は善政を敷いたのです。
(同上)
 
日本の朝鮮統治は「植民地化」ではなく、「合邦」、企業で言えば「合併」であった。そして西川さんたち朝鮮総督府官吏は、日本人も朝鮮人も「一視同仁」、「内鮮一体」の理想に忠実に、良きチームワークを発揮してきたのである。
 
玉音放送の2、3日後、日本人が一人二人とコソコソと引き揚げてることを聞いて西川さんは人事課長の所へ行って、提案した。
 
戦争に負けて国は三等国以下になったとしても、我々国民はそのまま世界の一等国民ではありませんか、こそこそと逃げて帰るような事はしたくないです。現在、春川(シュンセン)に約1,000人位いると思われる日本人全員が一カ所に整然と引き揚げて、流石(さすが)日本国民だ、綺麗な引き揚げ方だったと、朝鮮人から言われるような引き揚げをしませんか。
(同上)
 
その言葉通り、在留邦人たちは一体となって、西川さんが仕立てた列車で釜山に行き、収容所で1ヶ月、船を待って、日本に帰り着いた。「一等国民」として、誇りに満ちた引き揚げ方だった。