NO.65 「真の首相諮問機関を構築せよ!」
日本は、世界の大不況の影響を受ける中で反省と再起の道を模索している。そして、政治(政治家)も行政(公務員)も経済(会社員)も農業(百姓)もあらゆる業種が従来の価値観や主義主張から脱皮し根本的な変化をおこしつつある。では、一体どのように変化しようとしているのか・・?それは唯物論社会から唯心論社会への変化(覚醒)かもしれない。
百姓の宇根豊氏は、この変化について「国民のための百姓学」の中で分かりやすく説いている。①ファミレスに行き家族連れを見ていると、「いただきます」と言って食事をする家族はほとんどいない。どうしてか?ちゃんとカネを払っているから、お礼はカネで済ませているから!と言う。しかし「いただきます」とは、「命をいただく」という感謝の気持ちである。カネを払っている云々ではない。食べ物はすべて、もともとは生き物である。これらの生き物の命をいただいて私たちは生きている。そのことに感謝するのである。②一個百円のキャベツと一個百円のゴルフボールがある。価格は同じでも、果たしてどちらも同じ価値だろうか?そのものを使用する時に感じる価値の大きさではなく、生産コストによって価格が決められる。そしてそれがいつのまにか百円なら同じ価値だと錯覚するようになってしまった。確かにカネになるものを優先し重視したい気持ちはよくわかる。けれども、そういう人々がカネにならないものを見下すようになったことが問題である。③不作よりも豊作がいいに決まっている。しかし、この人間の根源的な欲求が、「多収」や「労働時間の短縮」「生産性の向上」と言い換えられると、とたんに意味と価値が変質してしまう。豊作と多収はまったく違う。「豊作」は、お天道様に感謝する気分で満たされている。ところが「多収」は、時代の要請に基づいて為政者が主導し百姓がそれに答える価値である。④農業の理想を持続と再生産に求めたい。この場合の持続とは百姓を含めて生き物の命の持続であり生き物の命の再生産である。
宇根氏は百姓である。首相諮問機関の有識者といわれる層ではない。しかし現下の日本において何をどうすればいいのかがわかっている人物である。この様にわかっている人物はあらゆる業種にたくさんいるはずである。それらの人材を結集し実践することこそ、真の首相諮問機関である。喝―ツ!(平成21年6月20日投稿)
日本は、世界の大不況の影響を受ける中で反省と再起の道を模索している。そして、政治(政治家)も行政(公務員)も経済(会社員)も農業(百姓)もあらゆる業種が従来の価値観や主義主張から脱皮し根本的な変化をおこしつつある。では、一体どのように変化しようとしているのか・・?それは唯物論社会から唯心論社会への変化(覚醒)かもしれない。
百姓の宇根豊氏は、この変化について「国民のための百姓学」の中で分かりやすく説いている。①ファミレスに行き家族連れを見ていると、「いただきます」と言って食事をする家族はほとんどいない。どうしてか?ちゃんとカネを払っているから、お礼はカネで済ませているから!と言う。しかし「いただきます」とは、「命をいただく」という感謝の気持ちである。カネを払っている云々ではない。食べ物はすべて、もともとは生き物である。これらの生き物の命をいただいて私たちは生きている。そのことに感謝するのである。②一個百円のキャベツと一個百円のゴルフボールがある。価格は同じでも、果たしてどちらも同じ価値だろうか?そのものを使用する時に感じる価値の大きさではなく、生産コストによって価格が決められる。そしてそれがいつのまにか百円なら同じ価値だと錯覚するようになってしまった。確かにカネになるものを優先し重視したい気持ちはよくわかる。けれども、そういう人々がカネにならないものを見下すようになったことが問題である。③不作よりも豊作がいいに決まっている。しかし、この人間の根源的な欲求が、「多収」や「労働時間の短縮」「生産性の向上」と言い換えられると、とたんに意味と価値が変質してしまう。豊作と多収はまったく違う。「豊作」は、お天道様に感謝する気分で満たされている。ところが「多収」は、時代の要請に基づいて為政者が主導し百姓がそれに答える価値である。④農業の理想を持続と再生産に求めたい。この場合の持続とは百姓を含めて生き物の命の持続であり生き物の命の再生産である。
宇根氏は百姓である。首相諮問機関の有識者といわれる層ではない。しかし現下の日本において何をどうすればいいのかがわかっている人物である。この様にわかっている人物はあらゆる業種にたくさんいるはずである。それらの人材を結集し実践することこそ、真の首相諮問機関である。喝―ツ!(平成21年6月20日投稿)