龍の声

龍の声は、天の声

「徒然  令和2年大晦日におもう」

2020-12-31 07:00:44 | 日本

◎令和2年5月13日

酒(ささ)のへに まぶたに浮かぶ皐月(さつき)世の
月もよきかな 風もよきかな

天空の星空みつむ とこしえに
流れしときも とわにかわらじ


◎令和2年5月14日

晴れ渡る風吹きそめし梶ヶ谷の
小道を急ぐ 大山詣で

くむ酒に思う我が身の底のそこ
天地不可思議 五月の空は

今日もまた時ぞかわらじ過ぎゆく日なれ
己が誠ぞ 常に変わらじ


◎令和2年7月17日

梶ヶ谷は 雨もまたよし 晴れもよし


◎令和2年9月

「漢は黙ってサッポロビール」ではありませんが、私は30歳頃までは武闘派、行動派で過ごしていました。ほとんど本など読んだことがありませんでした。

しかし、歳と共に実にいい人脈に恵まれました。先輩方や諸先生、人物に出会い、自己の内面を磨くことの重要性に気付かせていただきました。

それからは一歩一歩、本当に一歩一歩、難解な本はすぐに眠たくなるので、なるべく好きな本を読む。座っていると眠たくなるので、立って読む。歩きながら読む。

特に自己啓発、明るくなる本を読み続けました。

もちろん古代から現代までの歴史書や国体に関する書。中国の書、宗教書、自己啓発書、武士道、戦記物等々。特に政治にまつわる書物は肌に合っていました。

今もそうです。

人間界に生を受け、残された貴重な人生です。少しでも内面を高める自己の魂を高める。このような日々を目指して、お酒の合間、合間に精進努力をしております。

そうですねー!
もっと早く気付いておれば、まあ、東大京大、そして総理大臣くらいにはなっていたと思われます。

えっへん!

しかし、東大京大、総理大臣になるのが、そんなに偉いとは思っていません。たまたまそうなっただけのことです。
役職は偉いが、中身は空っぽ。知識は豊富だが知恵が無い創造力が無い、そう言った人達が如何に多いことか!

自己の内面を磨くことの方が一段、重要だと、私は確信しております。


◎令和2年9月8日

天を仰ぎ見れば
われ天とともにあり
下界の人
何処にかあらん


◎令和2年9月10日

億万長者になるためには、

「使命」を持つこと。
その使命に向けて「行動」すること。
行動を起こすためには論理や理屈だけでは不十分。
だから「感情」に目を向けること。

そして、逆境に恐れない感情へと変化させるには、
「身体の動き」を取り入れることが重要である。


◎令和2年師走 靖国神社にて

「天高く 師走詣の靖国は 銀杏吹雪に舞うみたまかな」


◎令和2年12月15日

昭憲皇太后(明治天皇の皇后)が、忠臣蔵 大石蔵之助らの面々に対し、
心情を嘉賞された御詠歌

「梅の花 雪にうもれて 人しれず はるをやまちし 山科のさと」

この歌は、強く胸をうち、涙が溢れてきます。


◎令和2年大晦日におもう。

「自分の道は自分で進む 生まれた時から死ぬ日まで
真実一路心から 祈り続ける俺たちに 厳しすぎるぜ今年の風は」

鶴田浩二の歌ではありませんが、令和2年の年の瀬に思う。

春から世界中に蔓延したコロナ禍により、今迄の生活様式や価値観が世界規模で大きく変わりつつある。
また私たちが期待していた「自立ある国創り」の動きも、この夏、突如として安倍政権が辞任した。

特に国民運動としての憲法の改正への目途がやっと立ってきたと思いきや、現状は闇雲の中に入ってしまった。
長年の夢と希望の道、悲願成就への道が混迷化してしまったのである・・・・。

今の思いを、この心の内を、誰に何を言えばいいの?
天国に逝った父母や家内を偲んで問いかけております。





















「宝くじ当選金!等、所得税がかからない収入のいろいろ」

2020-12-30 04:07:13 | 日本

お給料など通常の収入はその金額に応じて「所得税」が課税されます。しかし、収入の種類によっては所得税が非課税で、確定申告する必要がないものも存在します。詳しく見てみましょう。


◎所得税がかからない収入とは?

所得税は、個人の所得に対してかかる税金です。通常はその所得額に応じて5~45%の税率で計算されます。ただ、次のような例外もあります。

●社会政策上の配慮によるもの 経済的に困窮している人、立場の弱い人、事故の被害者などを救済するために以下のような給付については、税金がかからないよう配慮されています。 ・生活保護のための給付 ・雇用保険の基本手当(失業手当)、育児休業給付、健康保険の出産手当金 ・損害保険金、損害賠償金、慰謝料や見舞金(※社会通念上、妥当な金額の範囲内) ・障害年金、遺族年金(※老齢年金は課税対象)


◎臨時収入も非課税

非課税になるのは、困っている人を救済するための給付だけではありません。

■宝くじの当選金 宝くじの購入代金の中にすでに税金が含まれていて、その時点で支払済みとみなされるため、当選金はその額に関係なく非課税です。ちなみに、当選金を親族などに贈与した場合は贈与税がかかります。

■衣類や家具等や生活用動産の売却による所得 例えば、衣替えの際に出てきた「もう着ないだろうな」という服を、フリマアプリに出品して売却できたときの売上金などがこれにあたります。事業として行うものではなく、あくまで生活上出てくる不用品を売った場合が該当します。 そのほか、ノーベル賞の賞金やオリンピック・パラリンピックのメダリストに贈られる報奨金なども非課税となっています。


◎給与所得でも所得税がかからないケース

前述のとおり、雇用されている方が毎月受け取るお給料(給与所得)には所得税がかかります。ただ、以下のような例外もあります。

■通勤手当(月15万円まで)、出張旅費 本来は会社が支払うべき費用を代わりに支払い、その分が給与に上乗せされて返ってきただけ、という認識になるため非課税です。

■主婦(主夫)のパート収入が103万円以下の場合 所得税は、所得から所得控除を差し引いた金額に対して課税されます。主婦(主夫)がパートとして働く場合、「給与所得控除(最低55万円)」+「基礎控除(48万円)」=103万円が所得控除となり、その金額を超えるまでは所得よりも所得控除額が大きくなるので税金がかかりません。 ちなみに、パート収入が103万円以下の場合は配偶者控除、201.6万円未満までは配偶者特別控除の対象になるため、夫婦のもう片方が会社員で給与所得が1220万円以下の場合は、そちらの所得税負担も減らすことができます。


◎意外と知られていない所得税と確定申告

お給料以外に一定額以上の収入があれば確定申告が必要になる可能性がありますが、先述のとおりその対象にならないものもあります。 確定申告が不要なのに手続きの準備をしてしまったり、確定申告が必要なのに無視していた、ということのないように、ご自身の収入がどういう類のものなのかきちんと確認しておきたいですね。












「日本人の惻隠(そくいん)の情を尋ね求めて」

2020-12-29 04:44:24 | 日本

菅家一比古さんから言霊の華が届いた。
以下、要約し記す。


日本人は、古来から「惻隠の情」を重んじて来ました。人を労り、憐みの心を大切に羽含(はぐく)んで来た歴史的伝統があったのです。きっとそれは「母心」に拠るものでしょう。殺される運命にあった源頼朝、義経兄弟を救ったのは、平清盛の母、池禅尼(いけのぜんに)でした。

幼い頼朝、義経兄弟を見た池禅尼は、清盛に助命を嘆願します。そして清盛の心は動かされ、頼朝は伊豆に流され、義経は京都山奥の鞍馬寺に預けられます。20数年後、この兄弟によって平家は滅ぼされるのですから、歴史とは皮肉なものです。

しかしこの事により、武家政権が始まり封建制度が確立され、江戸時代、明治、現代へと繋がり、日本はアジアで唯一の近代国家へと発展の名乗りを上げたのです。

歴史の常識として、封建制度を経験しない国の近代化は難しいとされて来ました。アジアで唯一日本のみが封建制度が成功し、600年間も武家政治が続きました。

その始まりこそが、源頼朝による鎌倉幕府だったのです。若し池禅尼、清盛母子の「惻隠の情」が無かったら、歴史はどうなっていたことでしょう。

先人たちを見ても一流と言われる人々は、例外なくこの「惻隠の情」の持ち主でした。即ち「母心」の持ち主です。西郷隆盛は薩摩兵児(へこ)達に「おいの命を上げもんそ」と言って、我が子を抱き抱えるかのように共に死んで逝きました。最後まで弁解せずに。

西南戦争の終結により、日本全国の武士による叛乱は治まりました。明治近代国家は西郷に始まり、西郷の死によって更に本格化して行ったのです。「惻隠の情」は一面、弱さ脆さを感じるかも知れません。「そんな綺麗ごとでは生きていけない」「そんな生ぬるい時代ではない」と。しかし武士の時代でも「武士の情」と云うほど、その側面は大切にされていたのです。

今の時代、保守の論客同士のバトルの応酬が盛んです。闘う相手が違うだろうと思うくらいやり合っています。皆信念と主張を持っていますから、違うのは判ります。しかし批判が非難となり、非難が怒りとなり、その怒りが憎悪となるのです。

百田尚樹さんの本、「鋼(はがね)のメンタル」も、高須クリニックの高須克弥院長の本、「炎上上等」もとても面白く読みました。が、私にはとてもそのようなメンタルの強さがないのが口惜しいです。だから争わないのです。いえ争えないのです。

しかし反日家、反日組織に対しては全く別です。とことんやります。それは己(おのれ)のためだけではなく、国家のため、未来の世代のためだからです。愛国保守の人々は闘う相手を間違えてはならないでしょう。

私は己に打ち克つ人に惹(魅)かれます。良寛様や、太宰治のような人間の弱さや脆さを美に変えた人々です。三島由紀夫先生もそうだったかも知れません。自らの弱点から逃げず向き合い、「人生」という作品を綴り、後世に残しました。皆「惻隠の情」の持ち主です。

「惻隠の情」のふるさと、その源流は天皇及びご皇室にあります。常に世の中、人々に寄り添い、祈り続けるその大御心こそ、我々国を愛する人々が目指すべき究極の道なのです。
 












「身体にお礼を言う」

2020-12-28 07:02:36 | 日本

小林正観さんが、いい文を掲載している。

⇒           
私たちは、人によって違いますが、1日に5時間とか8時間の休息をとります。

それから
週休が欲しい」
「月の休みが欲しい」
「年の休みが欲しい」と言います。

でも、人間の臓器は、全然お休みをしていません。
もちろん、夜も寝ていません。
土曜日になったらお休みする、日曜日になったらお休みするということがない。
月に1回や2回休ませろ、というのもありません。

私たちは、この心臓や膵臓や肝臓や腎臓に対して感謝することもなく、

「自分の欲しいものが手に入らないんだ」
「あれをどうしても手に入れたい」

というようなことばかりを言っています。
しかし、どうして今こうやって笑顔で生きていられる私、そして私のすべての臓器や細胞に対して感謝の心を持たないのでしょうか。

これは臓器だけではありません。

「私」が今、笑顔で生きていられるということは、すべてありとあらゆる存在の人から、「為し合わせ」としていただいているのです。
(「為し合わせ」とは、お互いにしてあげることで「幸せ」という言葉の語源です。)
私たちは、心臓や肝臓や膵臓からたくさんのことをしていただいているのにもかかわらず、お礼を言ったことはないと思います。
このような存在にもお礼を言ってみてはいかがでしょうか。

たとえば、右手で心臓に手を当てて、「愛しています。ありがとう」と言ってみてください。
それだけで心臓は、ものすごくやる気になることでしょう。
自分がいかに恵まれているか。

笑顔で生きていられる「私」がどれほど幸せであるか、ということに気が付いた方がいいと思います。
幸せの本質というのは、していただいていることに対して、「私」もおかえしをして、喜びがキャッチボールされること。

それが幸せという言葉の意味です。
        
         










「亡国を知らざれば、これ即ち亡国」

2020-12-27 07:04:56 | 日本

西村真悟さんが掲載している。以下、要約し記す。


言うまでもなく、尖閣の領土・領空・領海の防衛と我が国全土への核攻撃に対する防衛そして北朝鮮に抑留されている拉致被害者救出は、我が国の存立がかかった深刻な課題だ。
しかし、我が国政治の中枢は、もっぱらウイルス禍と桜の会の再発症に目を向けたままで、これらの深刻な課題に無関心で年末年始を過ごそうとしている。
まことに、明治の政治家である田中正造翁の「亡国を知らざれば、これ即ち亡国」という警告は、現在の我が国に見事に当てはまるではないか。

中共が尖閣を奪えば、そこに必ずミサイル基地を造り、台湾と沖縄本島は中共の掌中に入る。
これ、七十五年前に、アメリカ軍に屈服せざるをえなかった大東亜戦争末期の状況の再現である。
つまり、全日本の屈服ではないか。
にもかかわらず、我が国政治は、中共の共産党政治局常務委員でもない役者のような下僚が、東京に来て外務大臣の眼の前で、「尖閣は中共の領土だ」と言い放っても反論もしない。
この外務大臣の態度は、日々過酷な尖閣警備に当たる海上保安庁の巡視船乗組員と出動命令をまつ自衛隊員の士気をズタズタにする所為ではないか。

また地上においてイージス・アショアの配備を断念するのならば、間髪を入れず、一瞬の空白も無く、代替手段の構築に入るとともに、大陸と半島にある敵基地撃破能力の増強に着手しなければならない。
しかし、我が内閣は、イージス・アショアを六月十五日に断念すると発表したと同時に核に対する防衛という深刻な課題そのものが無くなったかの如くである。
核からの防衛とは、核ミサイルが発射されるのを待っていて、それを迎撃するだけではなく、そもそも核ミサイルを発射させない為に敵ミサイル基地を撃破しなければならないのだ。
敵ミサイルは移動式車両から発車されるから敵基地の攻撃は無意味だという論者がいるが、それは違う、無意味ではない。
ミサイルは、基地から移動し基地に戻り、整備点検等のメンテンサンスは基地で行う。
ミサイルが基地にあるときに破壊すればいいではないか。
また、基地のミサイル運用の中枢機能と通信システムを破壊することには重大な意義がある。
しかし、内閣が、この年末になって決めたことは、イージス艦二隻の増強だけで、敵基地撃破の課題は先送りで思考停止だ。
そして尖閣防衛強化策はない。

これ、痴呆の発症か?
即ち、「日本国憲法というマッカーサーの手下が書いた文書」を守って国を滅ぼす痴呆である。
この状況、国際社会から見ても異様だ。

現在の我が国こそ、北からロシア、北朝鮮、中共の核ミサイルに狙われている世界で一番核攻撃の脅威に直面している国家だ。
そこで、菅総理は、かつての西ドイツのヘルムート・シュミット首相の如く、アメリカと談判して、我が日本にロシア、北朝鮮そして中共の核弾頭ミサイルに対抗する核弾頭ミサイルを導入すべきである。
その動きの中で、我が国内で激しい反核運動が起こるであろう。
しかし、この運動は、明らかに我が国内の中国共産党分子とシンパが仕掛けるものである。
従って、菅首相は、シュミット首相のように国民に問いかけるべきだ。

中共や北朝鮮の習近平や金正恩の手下になるより死ぬほうがましか?
死ぬより習近平や金正恩の手下になるほうがましか?

その上で核弾頭ミサイル導入を実現されたい。
軍人と呼ばれた梶山静六師に学んだのなら、お国の為に命を懸けて核ミサイルの脅威から国家と国民を護られたい。














「日本人として忘れてはならない日」

2020-12-26 07:19:14 | 日本

堀内明日香さんより「言霊の華」が届いた。
以下、要約し記す。

⇒ 
大東亜戦争終戦後、勝者となった連合国は自らの正義を演出するため敗者側日本に戦争犯罪人を創り出し、訴追し裁くという手段をとった東京裁判。しかし、この裁判の結論は、最初から決まっているものでした。東京裁判は『勝者からの一方的裁き』『復讐のための裁判』に過ぎないものでした。
 
戦犯の汚名を背負わされ、A級戦犯とされた28名のうち7名が 絞首刑。他にアジア各地で行われた軍事裁判でもB級戦犯、C級戦犯に指名され、1000名以上の日本人が命を奪われました。
 
A級戦犯として罪障一切を一身に引き受けて、絞首刑されたその日は、当時の皇太子殿下のご生誕の日でした。日本人への『見せしめ』のためでしょう。それは連合軍にとってはクリスマスイブの前夜祭でもあり、イブを迎える前にA級戦犯を処刑し葬ったのです。
 
しかも火葬されたあとの遺体を残骨捨場に廃棄。それを三文字正平弁護士と興善寺住職市川和尚が夜、命懸けで忍び込み遺骨を奪取。しかし遺骨が入り交じっていたために各遺族に分けることもできず、一時、人目を避けて伊豆山中に密かに祭られていました。そして昭和35年、三ケ根山頂に殉国七士のお墓と慰霊碑が建てられたのです。

私は宝塚時代を経て社会人となり、34歳の時に熱海の興亜観音に菅家先生とご一緒し、この真実を知りました。日本では近現代史の真相を未だに国民に伝える努力が払われていないことが、悔しくてなりません。

今月、日米開戦の日には菅家先生、美し国中部代表幹事の大須賀広士先生とA級戦犯の眠る三ケ根山へ懇ろに鎮魂供養をして参りました。菅家先生は号泣しながら『申し訳ございません、ごめんなさい』と祈っておられました。
 
東京裁判や三ケ根山の真実を次世代へ繋げなければ、真実の歴史は読み解くことができないと感じてなりません。歴史の真実を知り、先人たちの痛みを知ることにより、我々日本人の生き方は変わっていくものと実感いたします。
 
開戦せざるを得なかった当時の為政者たちは、ぎりぎりまで悩み、追い詰められ、座して死を選ぶか、立って活路を開くかの選択を迫られたのです。何も無謀な戦争に踏み切ったのではありませんでした。A級戦犯の方々も国の犠牲者であることに何ら変わりはないのです。
 
昭和30年、国会によって戦犯事項は撤廃されました。この時点で既に法律上戦犯はいないのです。















「美しい笑顔になるために」

2020-12-25 06:54:21 | 日本

菅家一比古さんから言霊の華が届いた。
以下、要約し記す。


笑いの効用はよく知られており、作り笑いでもいいからそうしていれば心が晴れ、運が良くなると、よく聞く話です。確かにそれは本当でしょう。笑いが絶えない家庭、職場、仲間たち、思い浮かべるだけで微笑ましくなります。

日本神話を見ても、常に神々が笑っています。それも可々大笑いです。笑いとは和来です。やはり日本は性善説の国であることは間違いありません。

ところがユダヤ・キリスト教、イスラム教世界では、神は決して笑いません。笑わないどころか、怒(いか)ってばかりです。人間は原罪を負ったのだから、当然と云えば当然なのかも知れません。やはり性悪説そのものです。

父なる神の国の人々は、神がそうであるように同じく裁きの構造を持つようになり、善悪闘争を繰り拡げるのですから、戦争の歴史は果てしなく続くのです。だから赦しと慈悲の対象を求め始めることにより、心の中に安心や平安を得ようとします。

その対象こそが、人類の罪を背負って十字架で死んでいったイエスであり、我が子を抱き寄せる聖母マリアでした。この存在は「笑い」があってはなりません。人類の罪と苦悩と悲しみを背負っているのですから、笑っていられると困るのです。

だから聖書の中のイエスは、笑ったり微笑んだりの記述や場面はありません。実際には弟子たちや庶民たちと楽しいおしゃべりや笑いがあった筈です。聖母マリア像も聖画も全て優しげではありますが、微笑んでおらず憂いを持ち、俯(うつむ)いており、真っ直ぐこちらを向いてくれてはおりません。

そう云えば天照大神もそうです。高天原の神々があれだけ笑っているのに、古事記を読む限りそのような場面や様子はないのです。ただただ光の存在として温かで柔らかで全てを包み込んでおられる。一身に世の無明を背負い、浄化し癒す女神、母神として坐(おわ)し続けています。

だからこそ高天原の神々も世の人々も、明るく軽妙に生きられ笑っていられるのです。誰かが、何モノかが、私のため、人のため、背負って下さっている。泣いて下さっている。祈り続けて下さっている。だから私の背負っている荷は軽く、前を向いて生きられるのです。

そういう身近な存在がいるのだとしたら、きっとそれはお母さんに違いありません。或いは、「母のような存在」。私流に言いますと、「母性救済者」的な存在。

「君看ずや双眸(そうぼう)の色語らざれば憂い無きが如し」これはお釈迦様のことを詠んだ詩(うた)です。ブッダの眸(め)は、まるで憂い無きが如く澄んでいる。しかし心は人類救済のために日夜泣き悲しんで祈っているという意味です。

有名なレオナルド・ダ・ヴィンチの「モナリザの微笑」があります。あのモデルとなったエリザベート夫人は幼い我が子を亡くし、悲嘆と苦悩、絶望の中にありましたが、それをダヴィンチがケアし続けます。そして漸く、その絶望と悲嘆の中から立ち上がった時に見せた微笑の瞬間を捉えた絵だったのです。

人に勇氣と希望、光をもたらしてくれる笑顔、微笑とは、多くの悲しみや苦難がつくり上げたものです。そのような笑いが本モノの笑いであり、笑顔なのです。我々の背後で泣いて下さり祈って下さる存在があるからこそ、我らの重荷は軽くなり、明るく楽しく笑い合い、前に向かって歩き続けられるのです。

その存在こそ母であり、日本の場合、天皇皇后両陛下の祈りに違いありません。そしてあの世からも祈られ、見守っておられる存在に氣づくべきです。今も尚、神々やご先祖、英霊の霊魂が生きて、現代を生きる我等のため守護し導いておられるのです。











「尖閣諸島、この年末年始が危ない!」

2020-12-23 09:42:21 | 日本

西村真悟さんが掲載している。
以下、要約し記す。


令和二年晩秋のアメリカ大統領選挙の投票日は、十一月三日で、バイデン氏が獲得した選挙人の数はトランプ氏の獲得数より多いと発表されてはいるが、投票に関して民主党による大規模な不正があったと主張するトランプ氏の法廷闘争という異例の展開を見せている。
要するに、誰が次期大統領になるのか未だ確定していない。
しかし、権力の空白はなく令和三年一月二十日まで、トランプ氏がアメリカ大統領である。
そこで、果たして民主党による大規模な不正があったか否かであるが、ニューヨークに定住して会社を経営している尊敬すべき友人から電話があった。
彼は、開票状況がおかしいと言った。
深夜まで「開票速報」を見て、就寝し、朝起きてTVをつけると、トランプの票数は眠る前と同じなのにバイデンの票だけ数十万単位で増えているのだ、これは、おかしい、むちゃくちゃだ、と言った。

我が国のマスコミには、未だ、アメリカは民主主義のモデルの国だという前提で報道しているのがあるが、アメリカの民主主義ほど操作されているものはない(日本もそうだが)。
特にアメリカのリベラルは要注意だ(日本のリベラルも)。
この度の大統領選挙において、民主党はトランプ氏を人種差別主義者の如く非難し、黒人差別反対の運動を煽って選挙に利用した。
そして、民主党系の州知事は、トランプ政権を非難し、州内での警察の取り締まり活動を中止した。
すると、治安が崩壊し、夜は黒人による暴行と略奪が横行した。
さらに、人種差別反対運動は、反米運動になっていった。
中共とロシアが喜んで、この反米運動を煽っているのが分かる。
この状況を見て、アメリカ人のアン・コールター女史がF・D・ルーズベルト大統領からクリントン大統領までの「アメリカを誤らせた民主党の60年」を書いた「リベラルたちの背信」(草思社)という本の冒頭の次の一節を思い出した。
「リベラルたちには尋常ならざる背信の才がある。世間話の最中でも、いきなり反米的な態度をとる。彼らだってアメリカを愛している、とだれもが言うが、それはちがう。この国が内外の攻撃にさらされるたび、彼らは敵側につく。それが連中の正体だ。」

アメリカのマスコミは、ほぼリベラル一色であり、アメリカに倣う我が国のマスコミもほぼリベラルだから、米日の報道はバイデン氏を次期大統領として扱っているが、実は十二月七日の今もまだわからんということだ。
とはいえ、この報道に乗っかって既に十一月九日にカナダ首脳が、同十日にイギリス、フランス、ドイツの各首脳がバイデン氏と電話で接触したことに焦った外務省が、十二日に、菅総理とバイデン氏の十五分間の電話会談をセットした。
通訳が入った十五分の会談では挨拶以外ろくな話はできない。
しかし、官房長官は、電話会談の成果として六項目の課題が話し合われたと説明し(眉唾)、
特に、バイデン氏が尖閣諸島の防衛に日米安保条約第五条が適用されることを認め、北朝鮮に拉致された日本人救出にアメリカが協力すると発言したことを挙げた。
正直言って、この電話会談の「成果」を喜ぶ我が国の内閣に愕然とした。

そもそも、現在のアメリカ大統領は、トランプ氏ではないか。
今まさに、今夜または明日の朝、尖閣諸島魚釣島に中共軍民兵が大量に上陸してくるかも知れない時に、大統領でもないアメリカのおっさんに尖閣諸島を守ると言ってもらって喜んでどうする。その確認をとりたいのなら、総理大臣たるものは、トランプ大統領に電話して「貴殿が大統領選挙に忙殺されている時には言えなかったが、今、まさに尖閣があぶない、こちらは自衛隊を出動させるから貴殿には日米安保条約五条の発動をよろしく頼む。」と言うべきではないか。
中共が得意なのは、日本が大統領でもない者の話に安心している「この空白」の「隙を突く」ことなのだ。
この電話会談、危機を呼び込みかねないと思う。
さらに言っておきたい。

独立国家であるわが国政府の第一の任務は、血を流すことを覚悟の上で国民を守り国土を守ることではないか。
これが、国家の存立に責任をもつ者の覚悟である。
それを総理大臣たる者、我が国の国民と国土を独力で守り抜くという根本が欠落し、最初からアメリカさんの助けがいるという前提で、短い十五分の電話で国土と国民救出を頼み込むとは何事か。
総理大臣は、自分はアメリカの僕(しもべ)で我が国はアメリカの属国だとでも思っているのか。
バイデンという御仁は、本気で日本はアメリカの属国だと思い込むではないか。
この御仁は、選挙中、演壇で女房をと間違えて他の女の人を抱きしめにいったと友人に聞いている。
バイデン氏は、第二次世界大戦に勝利し、世界の覇者である超大国となったアメリカの栄光を築いたのは民主党のF・D・ルーズベルト大統領とその副官だったトルーマン大統領だと思っている。
同時に、この民主党政権が、軍国主義の日本を占領統治して民主国家に改変したと思っている。
四年前のトランプ大統領が誕生した選挙の時、トランプ氏が選挙中に「日本も核兵器をもてばいいじゃないか」と言った時、オバマ政権の副大統領だったバイデン氏が、「トランプは無学で愚かだ。

日本が核兵器を持てないように我々が日本の憲法を作り日本に与えているのを知らないのか」
と言ったのだ。
こういう認識をもっているバイデン氏に、一億円の宝くじに当たった者にいそいそと手をすりあわせて援助を頼み込む者の如く、早速、日本の総理大臣が日本の領土と国民の救済を頼んでくれば、彼は、本当に日本は属国だと思い込む。
長期の安倍政権で官房長官、拉致問題担当大臣を勤め、今、総理となった菅氏に聞く。
この九年間、自力で北朝鮮から拉致被害者を救出するために、自力で尖閣を守るために、如何なる措置を決断し実施してきたのか?

中共は、尖閣周辺の公船(実は軍艦)を二隻態勢から四隻態勢に増強するとともに船自体を巨大化させている。
そして、既に尖閣領海内で操業する我が国の漁船を領海から追い払って「施政権」を行使しているではないか。
この既に着々と開始されている中共の尖閣への軍事侵略に対し、我が国は、断固として自衛隊を出動させる段階にある。
菅総理は、自衛隊に出動準備を下令しているのか?
最後に、全く違う角度からバイデン氏の発言の意義を指摘しておく。
それは、日本には核兵器が持てないような憲法をアメリカが作って与えてあるというのは真実である、バイデンは嘘を言ったのではない。
ここから必然的に、如何なる結論が導かれるか。

それは、「日本国憲法」は、我が国を占領していたアメリカが書いて「日本国憲法」という題をつけて占領中の我が国に押しつけたものであるから日本の憲法ではない、無効だということだ。
「戦後体制からの脱却」とは、まさに「日本国憲法体制からの脱却」に他ならない。
菅総理、まるでアメリカの属国であるかのような電話会談になったのは貴官の責任ではない。
「日本国憲法」の為だ。

よって、迫り来る、いや、現にある危機克服のために、まず、「交戦権はこれを認めない」と書かれている(第9条2項)「日本国憲法無効宣言」をされ同時に自衛隊に出動を命じられよ。










「新型コロナ無害化 1分で最大99.9%以上を確認」

2020-12-23 09:42:21 | 日本

「還元発酵乳酸菌エキス」で新型コロナ無害化 1分で最大99.9%以上を確認/奈良県立医大、炭プラスラボ

炭プラスラボ株式会社(神奈川県横浜市)は、12月4日、奈良県立医科大学(奈良県橿原市)との共同研究において、新型コロナウイルスが「還元発酵乳酸菌エキス」により、無害化する効果を確認したと発表した。基礎研究段階のため、人への効果は未確認なものの、試験管内にてウイルスが1分間「還元発酵乳酸菌エキス」に触れることで最大99.9%以上(検出限界以下まで)感染力を失っており、感染対策の一つとして期待できる。

実験は同大微生物感染症学講座の研究チームが実施した。実験では「還元発酵乳酸菌エキス」を使用。試験管内でウイルスと「還元発酵乳酸菌エキス」を混ぜ、経過時間ごとの感染力を持ったウイルスの量を検査した。時系列測定により、感染力のあるウイルスは1分間で1000分の1以下にまで減少した。

炭プラスラボは、人への効果について「可能性の段階」とした上で、乳酸菌発酵エキスに含まれる抗菌ペプチドの除菌効果は確認されており、「抗菌ペプチドとポリフェノールによる特許出願済製法」で作られた「還元発酵乳酸菌エキス」を飲むことで同じような効果が期待されると説明している。

「還元発酵乳酸菌エキス」はインフルエンザウイルス、ネコカリシウィルス(ノロウィルス代替)、豚コロナウィルスなどを不活性化することが既に確認されており、新型コロナウィルスでも同様の効果が有ると推測される。
















「母なるものの喪失と日本人」

2020-12-23 06:19:41 | 日本

菅家一比古さんから言霊の華が届いた。
以下、要約し記す。


「かなしい」とは「悲しい」であり、「哀しい」でもあり、そして「愛(かな)しい」でもあります。かなしみを極めたものこそ「愛」なのです。仏教的表現では「大悲」とでも言えるでしょう。

維摩(ゆいま)経には「衆生(しゅじょう)の病は痴と有愛(うあい)より起こり、菩薩の病は大悲より起こる」とあり、「観音大悲」と云う言葉も知られています。

「離れているから悲しい、別れているから悲しい」。一つにしよう、一つになろう、自他不二、自他一体、そして自他同化に向かわしめる心が「悲が動く」なのだと。日本の底流には、この情感が常に存在しているような氣がしてなりません。

松尾芭蕉の句に「秋深し隣は何をする人ぞ」は、一見ごく普通の句に思えがちですが、そこには芭蕉自身の深い宗教性や、人間観が秘められております。日本人独特の寂寥(せきりょう)感、孤高性や儚さなどの無常観です。それは和歌、俳句、日本文学の多くの作品の中にも滲み出てきます。

芭蕉の先程の句には、隣人の生活風景ばかりではなく、心の風景までもが自らの心の風景と一体となって詠み込まれているに違いないでしょう。

平家物語は、日本人の心象風景が見事に作り上げたものです。「滅びゆくものへの共感、哀切、惻隠が琵琶法師の奏でる音と語りにより、美的となって日本人の心を捉えました。源氏も三代で早々に滅びたにも関わらず、「滅びゆく美」とはならなかったのです。

源氏が滅んでも人々の涙は誘いませんでした。平家一族は其々家族愛が深く、強い絆で結ばれ、栄華も滅亡も皆一緒だったのに比べ、源氏の棟梁である頼朝は次々と弟たちを殺害して行きました。その後の執権、北条氏は遂に天皇に弓を引いたのです。

西国武士団と東国武士団の決定的違いは、その雅性と文化性にあります。西国武士たちは常に和歌や連歌(れんが)に勤しみ、大陸や朝鮮半島の文化を自由に取り入れます。

特に村上水軍等は連歌興行に力を入れ、言霊の力を磨いて行きました。合格しなければ船長になれません。言霊によって天候をも左右すると信じられていたのです。西国武士団はやがて明治維新の中心に躍り出て、遂に東国武士団の江戸幕府を滅ぼしたのです。

今年は三島由紀夫先生没50年の年でした。これまで三島由紀夫先生の死に関して多くの人々が論評し、本も出されてきたにも関わらず、三島先生の「悲しみ」について語ったものがあまりにも少ないと感じます。いまここで述べるには無理があるように思いますが、少しだけ触れてみたいと思います。

冒頭の「悲しみ」についてに戻ります。三島先生は悲しかったのだと思わずにおれません。美しい日本の破壊とは、きっと「母」なるものの喪失だったのです。幼い自分を一人残して立ち去って行く母。その後を追いかけ「お母さん!お母さん!何処に行っちゃうの、僕を置いて何処に行っちゃうの!」。

そしてとうとう道の中に転び、地面に座り込み、泣きじゃくりながら遠くなっていく母の後ろ姿を見ている。母なるものの喪失・・・。それが深層にあったのだと思います。何故なら今の私がそうだからと云うしかありません。













「生命の働きは生きる真剣さから生まれる」

2020-12-22 07:16:51 | 日本

菅家一比古さんから言霊の華が届いた。
以下、要約し記す。


人はよく命を賭(懸)けると口にしますが、「命を賭ける」とは、観念では解っていても、具体的、現実的には中々出来るものではありません。しかし特攻隊や西太平洋、シナ大陸で戦死した英霊たちは、まさしく命を賭けました。賭けたと言うよりか捧げました。

幸か不幸かその場面に直面したのでした。この時、観念など吹っ飛んだに違いありません。現代において、死を覚悟したり、直面することなどほとんどありません。せいぜい臨終間際でしょう。

豊かな時代と社会の相続人である我々は、生きる緊張感があるでしょうか。それは死を意識してはじめて生じるものです。研ぎ澄まされた生きることへの緊張感があってこそ、我々は物事を成し遂げることが出来るのです。真剣になればなる程、あるいは追い込まれる程、産霊(ムスヒ)の力が働き、生命(いのち・霊魂)の働きが活発になるのです。

アルピニストで美し国の副代表である野口健さんは、何度も死に直面しました。それどころか多くの仲間たちが眼前で死んでいくのを体験しました。そしてエベレストの八千メートルあたりから、沢山の遺体がそのまま凍って放置されているのを見て来たのです。

きっと先の大戦で生死をさ迷った兵士たち、そして亡くなった英霊たちも同じだったことでしょう。近代文明に生きる豊かな社会の相続人たちの、ヒューマニズムと云う病が生きる真剣さを奪ってしまっています。

日本のために命を捧げていった偉人たち、英霊たちの姿をしっかり知り、学んで行くことにより、生命の重み、意味、尊さが判ってきます。この原稿を真珠湾攻撃、日米開戦の十二月八日に書いております。













「曼荼羅(まんだら)とは、②」

2020-12-21 08:01:57 | 日本

目標達成の強い味方、マンダラチャートについて綴らせていただきます。

マンダラチャートのテンプレートを用意しておりますので、準備して読み進めていただけると幸いです。


◎マンダラチャートとは

こちらがマンダラチャートです。9×9の81マスで構成されたフレームワークで、夢や目標の達成のために何をするのかを整理することができます。

野球選手の大谷翔平が高校生時代に目標達成のために書いたことで有名なこのフレームワーク。真ん中に「目標」、その周りに目標を実現するために必要な要素をいれる構成になっています。


◎マンダラチャートの作り方

マンダラチャートは以下の4ステップで作ることができます。
①「目標」を真ん中(濃オレンジ)に記入
②「目標」を実現するために「必要な要素」を周り(薄オレンジ)に記入
③「必要な要素」を実現するために必要な要素を周り(白)に記入
④特に注力するものを選ぶ
それぞれ図と合わせて解説していきます。(テンプレートはこちら)

①「目標」を真ん中(濃オレンジ)に記入
まず初めに、真ん中に目標を記入します。達成したい時期に限りはありませんが、初めは3年後や5年後の近い将来、達成したい目標を立てるのがオススメです。

いきなり遠い将来のことを考えると、この後に行う「必要な要素」を出すのが難しくなることがあります。

僕の場合は5年後に設定しました。
②「目標」を実現するために「必要な要素」を周り(薄オレンジ)に記入
真ん中に入れた目標を実現するために必要な要素を8つまで考え、記入します。

まずは迷わずに書き出してみることをオススメします。後に出てきますが、ここで記入した必要な要素を、さらに細分化する際に、内容や表現が変わることがよくあるので、「仮で記入しておく」という気持ちでも問題ありません。

実際、僕のマンダラチャートの場合は「マインドセット」は、「気持ち」という言葉を入れており、後のステップを経て、適切な言葉が「マインドセット」だと思い記入をしました。

目標を実現するために必要な要素を記入し終えたら、次のステップに行く前に矢印の先にある薄オレンジに転記しておきましょう。

③「必要な要素」を実現するために必要な要素を周り(白)に記入
「目標」を実現するために「必要な要素」を実現するために必要な要素を8つ出します(ややこしい)。つまり、さらに細分化を行います。ここでは「具体的な内容や行動がイメージできる状態」まで落とし込むのがオススメです。

イメージができる状態まで落とし込めない場合は最低限何かしら記入をしておくと、後からアップデートできるので、曖昧な表現でも記入をしておきましょう。

僕の場合は「知識」のところがまだまだイメージが沸いていない状態で、具体的な行動に落とし込めていないので、メンタルヘルスなどについて調べていく中でアップデートすることにしました。
④特に注力するものを選ぶ
白部分の64個を一気に行うことができるのであれば問題ないのですが、おそらく難しい。ですので直近で注力したいことを数個ピックアップしましょう。少しずつ注力することで、無理なく目標達成に近づくことができます。

僕の場合は「2020年」で区切り、8つピックアップをしました(赤枠)。
マンダラチャートをシェアしよう
この手のフレームワークは「作って満足する」ということが起こりがちです。

作って終わらないようにするために、個人的にオススメなのが「シェア」をすること。周りに知ってもらうことで、責任感を感じて毎日意識・行動をするようになります。


<了>










「曼荼羅(まんだら)とは、①」

2020-12-20 07:36:22 | 日本

曼荼羅の語源の「マンダラ」とは、もともとサンスクリット語で“まるいもの”という意味です。巷でささやかれているような「マンダラはサンスクリット語で本質や神髄」というよりも、単にシンボリックな図柄を表現しているようです。

曼荼羅は密教で悟りを開く(修行)のために生まれた絵です。いろいろな仏様が描かれています。

密教とは、大日如来を本尊とする仏教の一流派です。そのほかの特徴は、難解のひとこと。言葉ではっきり分かる仏教の教えを「顕教(けんぎょう)」と言いますが、これに対して、言葉だけでは分からないものごとの真理、仏への道を説いています。また、修行のような体感を重視していたり、曼荼羅のような絵柄を使って直感的に悟れるのも密教の特徴です。師匠から弟子に口伝や体験で教えが受け継がれることが多く、「秘密の仏教」と認識されることもあります。とてもバリエーションに富んでいて神秘的なのです。


◎曼荼羅の歴史について

古代インドを起源とする曼荼羅。当時崇められていたバラモン教やヒンドゥー教でも、神や仏の世界を図形やシンボルで描いていました。これが密教にも取り入れられたと考えられています。

曼荼羅のルーツは、古代インドで土壇と呼ばれる土に描かれたイラストとされています。土壇は説話(仏教の教えを広める会)の会場の目印であり舞台です。「壇」には、領域という意味があり、仏像などを安置し供物などを供えます。ちなみに日本では葬儀の祭壇のように、木製の壇が多く作られてきました。仏様が大集合している、ポピュラーな曼荼羅の絵は、布に描かれたものが始まりと言われています。

曼荼羅は密教の広がりとともに、アジア圏を中心に伝わっていきます。北はチベットから、南はスリランカまで、その他、東南アジア、中国などにも浸透していきます。

日本には、奈良時代に密教が、平安時代に曼荼羅が伝えられました。空海が初めて持ち込んだとされています。
◎曼荼羅の構造
曼荼羅は、時代によって描かれてきた内容が異なりますが、ベースは正方形や円で描かれています。図形の中で最も安定した形で繰り返し描きやすいこともあり、選ばれたようです。

よく目にする中後期密教の曼荼羅には、さまざまな菩薩や如来といった仏様が配置されています。アイドルグループのユニット編成ばりに種類があり、目立つ仏様やユニットの狙いもそれぞれ違います。以下は、主な構造の一例です。

大きく書かれた仏様を「中尊(ちゅうそん」)」と言います。信仰の中心になるもので、守護尊とも呼ばれます。AKB48のセンター的役割を果たし、常に目立つところにいます。曼荼羅はシンメトリーになることが多いので、中尊を核に、そのほかの仏様や、方形の城郭、円形の仏塔(お釈迦様のお墓のようなもの)が配置されます。東西南北には門があり、それぞれの門を守護するように4つの仏様が配置されることが多いです。

曼荼羅の絵は、内(中尊)から外に向かって、また、外から内に向かって見ていきます。日本密教では、前者を仏が衆生を救済する姿に例え、後者を衆生が仏になるために努力することに結び付けています。曼荼羅は難しくなりがちな密教の教えを分かりやすくしてくれます。


◎曼荼羅の種類(基本の4種と流派によるもの)

曼荼羅にはいくつかタイプがあり、国、時代、宗派によって絵柄が異なります。ここでは、基本の4種と、日本でみられる代表的な3つの曼荼羅を紹介します。


◎四種曼荼羅

日本に普及している真言密教には大きく4種の曼荼羅があり「四種曼荼羅」と呼ばれます。それぞれ描かれているモチーフ、意味合いが異なります。詳細は次の通りです。

①大曼荼羅
仏様(如来や菩薩)の姿をそのまま描いて、仏の世界を表現。すべての曼荼羅の基本。

②三味耶(さんまや)曼荼羅
仏様をシンボルに置き換えて描いたもの。阿弥陀如来は蓮華、宝生如来は宝など。衆生救済、慈愛に焦点が当てられている。

③法曼荼羅
すべての仏様が悟りに入った状態「禅定」で描かれている。文字で抽象的に書かれることが多い。仏教の真理、仏の智慧を表している。

④羯磨(かつま)曼荼羅
大日如来以外はすべて女尊で描かれている。羯磨とは、業(カルマ)、行為のこと。実際に行う供養に特化した曼荼羅。

この4種の曼荼羅に、一印、四印の曼荼羅を加えて基本の6種になることもあります。さらに、日本曼荼羅のパイオニア、弘法大使・空海が示した曼荼羅のとらえ方は上記ともまた違っています。知れば知るほど曼荼羅の世界は広く深く渦巻いていきます。

他にも、経典や流派などで呼び方の異なる曼荼羅があります。以下では、代表的なものを紹介します。
◎両界曼荼羅(りょうかいまんだら)
真言密教でよく用いられる曼荼羅です。以下で紹介する「胎蔵界曼荼羅(たいぞうかいまんだら)」と「金剛界曼荼羅(こんごうかいまんだら)」を合わせたものを指します。2つの曼荼羅は、ルーツは違うものの、どちらも大日如来をテーマに描かれたものです。そのため、唐の僧によってまとめられ、悟りの世界である胎蔵界と、知恵の世界である金剛界の2つセットで紹介されるようになりました。

日本では掛け軸にまとめて描かれることが多いため、同じ壁面に飾られますが、正式には東西別々に飾ります。インドでは、西が正面となるように胎蔵界曼荼羅を、東が正面となるように金剛界曼荼羅を祀ります。
◎胎蔵界曼荼羅(たいぞうかいまんだら)
胎蔵界曼荼羅は、『大日経(だいにちきょう)』に基づいて悟りの世界そのものを表現したものです。大日経は、日本密教におけるもっとも重要な経典のひとつです。

「胎蔵(たいぞう)」は母親の胎内で子どもを守り育てるように、悟りの本質も育ち生まれてくる、という意味を持つ言葉です。

中央に描かれた赤い蓮の花、そしてその中に大日如来や菩薩が描かれているのが大きな特徴です。赤い蓮の花は人間の心臓をあらわしています。どんな人も仏になる素質を秘めており、大日如来の慈悲でその道が開かれることを絵に表したものです。

もともと胎蔵曼荼羅(たいぞうまんだら)と呼ばれていましたが、金剛界曼荼羅(こんごうかいまんだら)と対にして扱われるようになると、呼応するように「界」が付けられ、胎蔵界曼荼羅という名が定着したと言われています。
◎金剛界曼荼羅(こんごうかいまんだら)
金剛界曼荼羅は、経典『金剛頂経(こんごうちょうぎょう)』に基づいて、大日如来の智慧や道徳の世界を表現したものです。金剛は最も硬い金属、もしくはダイヤモンドを意味しており、大日如来の知恵がダイヤモンドのように堅固で、何ものにも屈しないことを示しています。

月輪を組み合わせた絵柄が特徴で、9つの曼荼羅を1つにまとめた構成であることから、「九会曼荼羅(くえまんだら)」の別名を持つことでも知られています。













「本覚讃とは、」

2020-12-19 07:04:28 | 日本

本覚讃(ほんがくさん)は、本覚思想を要約した56文字の偈であり、天台宗や修験道でよく唱えられる。


◎由来

妙法蓮華三昧秘密三昧耶経の冒頭の偈から抜粋し作られた。本覚思想を要約したものなので、天台宗の勤行で唱えられる。また、修験道でも般若心経や真言、不動経など並んで修行時によく唱えられる。高野山真言宗でも金剛峰寺奥の院の御廟橋を渡る際に唱える。
本覚讃の解釈本として良源著と伝わる「本覚讃 註本覚讃」や源信著と伝わる「本覚讃釈」がある。


◎全文

帰命本覚心法身(きみょうほんがくしんぽっしん)
常住妙法心蓮台(じょうじゅうみょうほうしんれんだい)
本来具足三身徳(ほんらいぐそくさんじんとく)
三十七尊住心城(さんじゅうしちそんじゅうしんじょう)
普門塵数諸三昧(ふもんじんじゅしょさんまい)
遠離因果法然具(おんりいんがほうねんぐ)
無辺徳海本円満(むへんとくかいほんえんまん)
還我頂礼心諸仏(げんがちょうらいしんしょぶつ)















「礼讃文とは、」

2020-12-18 07:25:57 | 日本

人身受け難し、いますでに受く。仏法聞き難し、いますでに聞く。
この身今生において度せずんば、さらにいずれの生においてかこの 身を度せん。
大衆もろともに、至心に三宝に帰依したてまつるぺし。

自ら仏に帰依したてまつる。
まさに願わくは衆生とともに、  大道を体解して、無上意を発さん。
 
自ら法に帰依したてまつる。
まさに願わくは衆生とともに、  深く経蔵に入りて、智慧海のごとくならん。
 
自ら僧に帰依したてまつる。
まさに願わくは衆生とともに、  大衆を統理して、一切無碍ならん。

無上甚深徴妙の法は、百千万劫にも遭遇うこと難し。
我いま見聞し 受持することを得たり。
願わくは如来の真実義を解したてまつらん。

日々の日暮しの中で、仏教徒として、この礼讃文を大切に拝読させていただき、大切にすべきものを見失わないようにしたいものです。
このように、言葉が非常に難しいので、意味がよく分からなくても無理はありません。しかし、ここには、浄土真宗のみならず、仏教徒としての基本的な味わいが語られています。生まれがたい人としての命を賜ったこと、聞きがたく遇いがたい仏法に遇い得たことを喜び、その上で、仏・法・僧の三つの宝に帰依していくことが、ここには語られています。

宝物に関して、お釈迦様と実子ラーフラとの有名なエピソードがあります。お釈迦様には、出家前に授かった長男がいらっしゃいました。愛する我が子は、出家の決意を揺るがします。それで、お釈迦様は、その子にラーフラ(障害をなすもの)と名づけたのです。お悟りを開かれ仏と成った後、お釈迦様は、カピラ城で実子ラーフラと対面します。その時、ラーフラは、お釈迦様に「私に宝物をください」といいます。これは、釈迦族の王位継承権を保証してほしいという意味だったのですが、お釈迦様は、ラーフラに「壊れる宝がよいか、壊れない宝がよいか」と聞きます。子どものラーフラは、当然、「壊れない宝がいい」と答えます。お釈迦様は、「それなら、み教えを聞く身になりなさい」といって、ラーフラをそのまま出家させたと言われています。

私達が、普段、宝物にしている財産や地位や名誉や健康、家族でさえも壊れるものです。無常の風にすべて吹き飛ばされていきます。壊れていくものは、私自身の人生を命を、本当の意味で支えることはできないのです。真実に目覚め、私どもを目覚めさせてくださる仏と、そのみ教え(法)と、その教えに従って生きる人々の和やかな集い(僧)こそ、生きとし生けるすべてのものにとって、何よりも尊い、かけがえのない宝物と成り得るのです。

仏教徒とは、この三種の宝物を賜り、そして、その宝物に守られ、導かれる者のことをいうのです。大切にすべき宝物は、私の欲望を満たすものではありません。私を惑わし、迷わすものを宝物だと錯覚して過ごす私達です。日々の日暮しの中で、仏教徒として、この礼讃文を大切に拝読させていただき、大切にすべきものを見失わないようにしたいものです。