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龍の声

龍の声は、天の声

「韓国の戦時徴用訴訟」

2013-11-29 06:39:39 | 日本

中国の「尖閣上空に防空識別圏」設定と言い、韓国の「戦時徴用訴訟」と言い、日本を舐めるのもいい加減にしないと怒るゾー!限界ギリギリまで待つのが日本人の習性だが、そろそろ、やったろかい。「高倉健の唐獅子牡丹」になるぜよ!
以下、無法なと言うか、阿呆なと言うか、「韓国の戦時徴用訴訟」の現状をまとめた。


韓国で戦時中の韓国人徴用に対し、日本企業に賠償支払いを命ずる判決が相次いでいる問題を受け、日本政府が韓国政府に対し、日本企業の敗訴が確定した場合は「重大な国際法違反だ」として、国際司法裁判所(ICJ)への提訴など法的対応を取る方針を伝えていたことが24日、分かった。来年早々にも韓国最高裁の判決が出る可能性があり、日本政府は被告となっている日本2企業に対し、安易に賠償命令に従わないよう求めるなど準備を進めている。

日本政府関係者によると、今月8日にソウルで行われた日韓次官級協議で、杉山晋輔外務審議官と韓国の金奎顕(キム・ギュヒョン)外務第1次官が徴用工問題についても話し合った。杉山氏は、日本企業の賠償責任について、巨額の賠償金と引き換えに両国間の請求権放棄を定めた昭和40年の日韓請求権協定により「『完全かつ最終的に解決済み』と確認した」と強調。元徴用工の個人請求権を認めたソウル高裁の判決自体が「明確な国際法違反だ」とし、日本側が賠償を支払う義務がないことを改めて指摘した。さらに、韓国最高裁で日本企業の敗訴が確定した場合、日韓請求権協定に基づき韓国側に協議を求める方針を伝えた。韓国側が協議に応じなかったり、協議が不調に終わったりしたら、ICJへの提訴のほか、第三国の仲裁委員を入れた処理を検討すると表明した。

日韓外交筋によると、韓国政府は司法権の独立などを理由に、裁判に関与することに否定的な見解を示した。杉山氏は、仮に韓国側が日本企業に対する財産差し押さえなどを行えば、「日韓関係が相当深刻な事態になる」と警告した。

日本政府は、韓国最高裁の判決を控え、新日鉄住金と三菱重工業と協議を重ねており、2企業の敗訴が確定しても賠償金を支払わないよう求めている。両社が賠償金支払いに応じてしまったら日韓請求権協定を日本側から覆すことになるからで、両社とも日本政府に理解を示しているという。
朝鮮半島の日本統治時代に戦時徴用された韓国人らが個人補償を求めた訴訟で、被告の新日鉄住金(旧新日本製鉄)は韓国最高裁で敗訴が確定すれば賠償に応じる意向であると一部で報じられた。自民党の片山さつき総務政務官は「絶対に賠償金を支払ってはいけない」「韓国との経済関係を見直し、日本企業を守る仕組みを作る」と語っている。
韓国司法は異常というしかない。元徴用工の賠償請求権問題は、日韓両政府とも1965年の日韓請求権協定で「完全かつ最終的に解決された」という立場だが、ソウル高裁は今年7月、新日鉄住金に計4億ウォン(約3500万円)の賠償を命じる判決を下したのだ。
新日鉄住金は19日、HPに「ソウル高裁の判決は不当と考えており、7月30日に大法院(韓国最高裁)に上告した。今後、当社の主張の正当性を明らかにしていく(抜粋)」とのコメントを掲載した。だが、韓国司法は法律よりも「反日世論」に便乗しており、どんな判決が出るか分からない。

韓国最高裁が“無法判決”を下した場合の対応として、(1)日韓請求権協定第3条に従って仲裁委員会を開く。(2)日韓投資協定の仲裁裁判規定を用い、国際司法裁判所に提訴も考える-などを提案するとしている。
だが、いずれも韓国政府の同意が前提となるため、実現性は低い。といって、手をこまねいているわけにはいかない。他にも日本企業が被告となった同様裁判も進行中であり、日本政府としては放置できない。
国家間の条約や協定を無視した判決を出す国が、まともな法治国家といえるのか。経済パートナーとしても信頼できない。韓国での異常事態は、世界各国に向けてアピールするべきである。







「中国の防空識別権に怯え、誤った行動に出たJAL&ANA②」

2013-11-29 06:37:07 | 日本

国境を接する国では相互に調整のうえ、相手の領域内に設定している国もある。従って重複しているから問題だ、あるいは隣国の領域が入っているから問題といったことは的外れと言える。

日本の場合、占領軍が線引きした防空識別圏をそのまま受け継いでいるわけであるが、防衛省の訓令でこれを規定し、そして国際社会に公開している。

防空識別圏の根拠が法律でなく、内規の訓令に過ぎないことからも分かるように、他国の航空機に対して何ら義務を課すものではなく、自衛隊に対し対領空侵犯措置の基準として示したものにすぎない。

日本の防空識別圏はAIPで公表され、防空識別圏に入る航空機には事前に飛行計画を求めている。だが、これすら義務ではなく、自発的協力ベースである。これまで近隣諸国の軍用機が通報してきたことはほとんどない。

日本の防空識別圏は、民間機に対し飛行計画を求めていると報道しているメディアもあるが、これも誤りである。民間機については、ICAO(国際民間航空機関)により各国のFIR(Flight Information Region: 飛行情報区)が設定されており、民間機の飛行情報は各FIRが管理している。

FIRは航空交通の円滑で安全な流れを考慮して設定されたものであり、日本周辺は防空識別圏より広い範囲が設定された「福岡FIR」が管轄し、民間機の飛行計画を掌握し、航空機の航行に必要な各種の情報の提供などを行っている。

自衛隊は防空識別圏を飛行する民間機の飛行計画をFIRから入手して照合することにより、彼我識別を実施するわけであり、自衛隊から民間機に対し事前に飛行計画を要求しているわけではない。

今回の件を受け、全日空や日本航空は、早速この防空識別圏を通過する台湾便などの運航で中国当局に飛行計画を提出したという。中国当局は、こういった民間機の情報は上海FIRを通じて得ているはずだし、全く不必要な過剰反応と言える。

結果的に中国の不当な行動に加担することになったのは極めて残念である。

また、中国外務省の秦剛報道官も「外国の民間航空機が防空識別圏内を飛行する自由はいかなる影響も受けない。識別圏は正常に飛行する国際民間航空を対象としたものではない」と述べている。また26日、国土交通省からも「従来通り」のお達しが下されている。

今回の防空識別圏という名の「管轄空域」の設定は、中国による力を背景とした現状変更の試みであるのは間違いない。

「現状を一方的に変更し、事態をエスカレートさせ、不測の事態を招きかねず非常に危険」と安倍晋三首相は述べている。またチャック・ヘーゲル米国防長官は「地域の現状を変更し、不安定化させる試みだ。一方的な行動は誤解と誤算の危険性を増大させる」と非難している。
中国が声明どおりの行動を取れば、東シナ海上空の航行の自由は制限され、米軍・自衛隊の警戒監視活動や共同作戦、あるいは米軍単独の軍事行動が妨げられる。まさに「接近拒否/領域拒否」そのものである。

楊宇軍報道官は「国際社会のルールにのっとったものであり、中国が自衛権を行使するために必要な措置だ」と述べる一方、「準備が整い次第、他の防空識別区を順次設置する」と述べ、南シナ海でも同様な防空識別圏を設定する用意があることを示唆している。

南シナ海では「9ダッシュライン」で囲まれる南シナ海の約9割の領有権を主張し、実効支配を強めている。今回、東シナ海上空を事実上、自国の領空として実効支配に乗り出したが、これを許すと第1列島線内が、事実上中国の領域となる。シーレーンを依存する我が国としては死生存亡がかかる。

台頭する中国に対し、国際規範を守り、責任ある利害共有者として誘導していくという関与政策は、唯一無二の対中国政策である。だが、関与政策には長い年月を要すため、独善的で邪な誘惑に駆られないよう、状況がどう転んでも対応できる備えヘッジ戦略が欠かせない。

今回の事例はまさにヘッジの時であり、今後の関与政策の試金石となろう。米国、韓国、豪州、台湾、東南アジア諸国など、共通の国益を有する国が協力、連携し、スクラムを組んで、防空識別圏の撤回を迫ることが強く求められている。


<了>







「中国の防空識別権に怯え、誤った行動に出たJAL&ANA①」

2013-11-28 06:58:10 | 日本

中国の防空識別権問題に関していい論文があった。
以下、2回にわたり記す。


11月23日、中国国防省は東シナ海上空に防空識別圏を設定したと発表した。発表には防空識別圏設定に関する声明と規則を定めた公告も含まれ、同日午前10時(日本時間11時)から施行された。

中国空軍は早速、TU154情報収集機、Y8電子偵察機を尖閣諸島の北約40キロまで飛行させ、防空識別圏を巡航させたことを表明した。

この防空識別圏には沖縄県の尖閣諸島も含まれ、我が国の防空識別圏とも重複する部分が多い。同日、外務省の伊原純一アジア大洋州局長は中国の韓志強駐日公使に電話で厳重抗議した。米政府も同日、中国に外交・軍事ルートで強い懸念を伝え、素早い対応を示した。

メディアも一斉に取り上げた。だが、不意打ちをくらったせいか、的外れの議論が多い。今回の中国の動きに関し、何が問題で、何が譲れないかを明確に整理しておく必要があるだろう。

新たに設定した中国の防空識別権が日本の防空識別圏と重複しているのが問題なのではない。また「我が国の固有の領土である尖閣諸島の領空を含むもので、全く受け入れられない」という抗議も、厳密に言えば正確ではない。

問題は、公海上に設定した防空識別圏が中国の管轄権が及ぶような空域になっていることである。つまり防空識別圏とは言いながら、あたかも領空のような空域を設定し、国際法で認められた公海上空の飛行の自由を妨げていることなのである。

しかもその中には我が国の領空(尖閣諸島)が含まれており、尖閣諸島の領空があたかも中国の領空であるかのごとき設定をしていることである。

中国国防省の公告に拠ると「防空識別圏は中国国防相が管理する」としたうえで「圏内を飛行する航空機は飛行計画を中国外務省または航空当局に提出する義務」を負わしている。また「圏内の航空機は、国防省の指令に従わなければならない」とし「指令を拒み、従わない航空機に対し、中国は防御的な緊急措置を講じる」と明記している。

これは、国際法上の一般原則である公海上の飛行自由の原則を不当に侵害するものであり看過できない。

中国高官は「防空識別圏を設けるのは、日本人の特権ではない。私たちも設定することができる」と語っている。そのとおりであるが、今回設定したのは、防空識別圏の名を借りた中国の「管轄空域」だと言っていい。

そもそも防空識別圏とは排他的且つ絶対的な主権の及ぶ領空に近づいてくる国籍不明機が敵か味方かを区別するために、領空の外側に設けた空域である。

国際法上の規定はなく、各国はそれぞれ国内法で独自に定めている。だが当該国の管轄権が認められるわけではない。従って公海上である限り、防空識別圏内であっても外国機が何ら飛行を制限されることはない。








「中国、尖閣上空に防空識別圏」 

2013-11-27 06:52:22 | 日本

中国首脳陣よ!

調子こいて、日本に対して、あまりに舐めたことをしていると「高倉健の唐獅子牡丹」になるぜよ。肝に銘じとけよー。喝―ツ!
以下、無法な「中国、尖閣上空に防空識別圏」に関する動きをまとめてみた。


23日、中国国防部は東シナ海に防空識別圏(ADIZ)を策定したと発表した。同日午前10時(中国時間)より効力を発揮する。防空識別圏に進入する航空機はフライトプランを中国当局に提出すること、中国当局の指示に従うことが要求される。従わない場合は「防御的緊急対応をとる」ことが予告されている。中国が東シナ海上空に防空識別圏を設には、尖閣諸島が含まれているため、日本の防衛識別圏と重なり、両国間の緊張が高まるのは必至である。

国営新華通信などを通じた発表によると、中国の防空識別圏は朝鮮半島の南側から台湾の北側まで、日本の南西諸島に沿うように設定された。発表された図は尖閣諸島を「領海線」で囲んでいる。公告によると、防空識別圏を飛ぶ航空機は飛行計画を中国外務省または航空当局に提出する義務を負う。また、国防省が防空識別圏を管理する。

中国国防部の楊宇軍(ヤン・ユージュン)大佐は、防空識別圏は国際法にかなったもので問題はなく、民間機の運用に影響を与えるものではないと強調した。しかし問題は中国が策定した防空識別圏が尖閣諸島上空をも含むこと。日本メディアはスクランブル発進した日中戦闘機が対峙する場面が増え、緊張はさらに高まると予測している。

中国政府が東シナ海で防空識別圏を設定した背景には、日米同盟と対抗する意図がある。今月中旬に発表された中国版NSC「国家安全委員会」の設置計画と並び、習近平政権の“強硬姿勢”を国内外にアピールする狙いがあるとみられる。トウ小平時代以来の中国で30年来続けられた、主要国と対立せず低姿勢を貫く「韜光養晦(とうこうようかい)外交」が終了し、中国が“強兵路線”に転じたことを強く印象づける。

中国メディアによると、東シナ海防空識別圏の設定によって、中国空軍の同空域における活動範囲はこれまでの10倍から12倍に拡大した。

「圏内を飛ぶ飛行機は、飛行計画を中国外務省または航空当局に提出する義務を負う」うえ「中国国防省の指示に従わなければならない」との規定は、同空域で訓練や演習を行う航空自衛隊や在日米軍の活動を制限したい思惑があるとみられる。

しかし、中国軍はこれまで、日本の防空識別圏を「国際法上の根拠がない」と批判し、戦闘機などを頻繁に進入させてきた経緯がある。日米両国も、中国の防空識別圏を無視してこれまで通りの活動を続ける可能性が大きい。しかし、その際、中国空軍が過激な反応を示せば、武力衝突の危険は一気に高まる。日中関係筋は「中国がこのタイミングで防空識別圏を設定したことは、東シナ海を危険な海にする危ない行為だ」と批判した。

中国を改革開放に導いたかつての最高実力者、トウ小平は、1980年代から「韜光養晦」を外交の基本方針に掲げた。方針は胡錦濤時代まで続けられたが、習近平政権は民族主義をあおる「中華民族の偉大なる復興」などをスローガンに掲げた。中国外務省関係者は「胡錦濤前国家主席が提唱した『和諧(調和のとれた)世界』という理念はいま実質否定された。外交政策は協調から対抗に変わった」と語った。

外交方針の転換について、ある共産党筋は「習政権が発足して1年、経済や治安、環境など内政がうまくいっていないため、外国に強い姿勢を示すことで求心力を高めたい思惑がある」と指摘している。
米政府筋は23日、中国が尖閣諸島の上空に、防空識別圏を設定したと発表したことへの強い懸念を表明した。一方、オバマ政権は中国に対する協調主義的な「関与」を強めており「抑止」の相対的な低下が懸念される。

政府筋は「尖閣諸島(沖縄県石垣市)は日本の施政下にあるというのが、米政府の見解だ。(米国による日本の防衛義務を定めた)日米安全保障条約第5条の適用対象であり、防空識別圏の設定は、さらなる緊張をもたらす措置として懸念される」と語った。

オバマ政権は、軍事的にはアジア太平洋地域における中国の海洋進出拡大に対抗し、再均衡戦略という抑止政策を、一方外交では協調主義的な関与政策を、いわば「車の両輪」として進めている。

だが、中国が尖閣諸島の上空に防空識別圏を設定したことは、少なくとも尖閣諸島問題においては抑止が機能していないことを意味する。その上、バランスは関与に傾きつつあり、中国を過度に刺激しないという“低姿勢”ぶりも目立つ。






「国会用語③」

2013-11-26 06:44:41 | 日本

◎衆議院と参議院で違い

国会議事堂の建物の正面から向かって左側が衆議院、右側が参議院である。見た目にも同じように見える衆議院と参議院だが、一体どのような違いがあるのか。

国で唯一法律を作れる場所、それが国会である。衆議院も参議院も、法案を審議したり、首相を選んだりするが、求められる役割や任期、人数などに違いがある。

新しい法律を作ったり、国の予算を決めたりする時、国民にとって本当に必要な法律であるか見極める必要がある。「大切な税金の使い道だから慎重に議論すべきだ」という考えに基づき、例えば衆議院で話し合ったことを参議院でもう一度審議する。これを「二院制」と言う。

参議院には、衆議院が可決した法案が行きすぎていないかチェックしたり、足らない内容を補足したりする役割が期待されている。参議院が「良識の府」と呼ばれる所以である。

一方で衆議院には、いくつかの項目で参議院に対して優越が認められている。首相の指名、予算の議決、条約の承認などの議決は、衆議院と参議院で違う判断をした場合、衆議院の議決が国会の議決となることになっている。(衆議院の優越)

衆議院は480人の議員で構成されていて任期が4年なのに対し、参議院は議員の数が242人で任期は6年である。うち半分の議員が3年ごとに改選される。そして衆議院には解散があるが、参議院にはない。

立候補できる年齢も違う(被選挙権)。衆議院は満25歳以上の国民であるのに対し、参議院は満30歳以上の国民が立候補できる。

このように、参議院は任期が長く、解散がないことにより、衆議院と比べて議席の変化が安定している。参議院は、衆議院より広い視野で冷静に判断することが求められているのである。


◎大臣、副大臣、政務官と官僚の関係

この解説の前に、まず2001年に行われた中央省庁再編を説明しなければならない。この年、それまで1府21省庁だった行政機構が、1府12省庁にスリム化された。大蔵省が財務省に、文部省+科学技術庁が文部科学省に、運輸省+建設省+国土庁+北海道開発庁が国土交通省になるなど、大規模な中央省庁再編が行われたのである。

この時、各省のポストも大幅に改革された。大臣の下に「副大臣」と「大臣政務官」の2つのポストが新設された。両者はどちらも大臣の補佐役の役割を果たすが、立場が異なる。

副大臣は大臣の下に置かれ、大臣の命を受けて省庁の政策全般を司る。また、大臣が不在の際はその職務を代行し、国会で答弁することも。一方、大臣政務官はその省庁の特定の政策や企画に参加して、大臣を補佐するに留まる。

なお、各省庁において大臣は1人だが、副大臣や大臣政務官は複数人いるケースが目立つ。人事改定前の大臣政務官の人数は、たとえば財務省や経済産業省は2人、外務省は3人、復興庁は4人。1人しかいないのは法務大臣政務官である。

中央省庁再編以前は、各大臣の下には「事務次官」と「政務次官」の2つの役職が置かれていた。事務次官は中央省庁の官僚たちのトップに位置し、大臣を事務方として支える役職である。政務次官は大臣を政治の面で支える役割を担い、建て前としては両者の立場は対等であった。
ところが当時、政務次官のポストには、当選したての若手議員が政策の勉強のために就くことが大半だったのである。そのため、官僚たちは大臣の言うことは聞くものの、政務次官の言うことは無視するケースも。「いてもいなくても支障がない」という意味で、中央省庁の「盲腸」と揶揄されていた。

そこで、2001年の中央省庁再編時に政務次官を撤廃し、副大臣と大臣政務官を新設。大臣の下に副大臣を置き、事務次官よりも高い立場を与えた。大臣政務官に特定分野の政策を担当する議員を起用することで、大臣、副大臣、大臣政務官による「政治家チーム」の強化を図ったわけである。

日本の政治は、選挙で選ばれた国会議員の中から総理大臣を選出し、総理の任命で内閣が組織。さらに、大臣が各省庁のトップとして、官僚たちに指示を出すのが本来の形である。ところが、実際は官僚が絶大な力を持ち、「官僚主導」になっているとの批判が相次いだ。2つのポストの設置には、そのような状況を是正し、「政治主導」を強めるためという背景があったのである。


<了>








「国会用語②」

2013-11-25 08:38:10 | 日本

◎法律ができるまで

国会は「唯一の立法機関」と憲法で規定されているように、法律をつくるのが国会の最大の仕事である。どのような流れで法律ができるのか、見てみる。

日本の法律はすべて、国会での審議を経て生まれている。つまり、法律案は衆議院と参議院の両院で審議されて可決されない限り、法律として成立しない。官僚が原案を作成したり、内閣が閣議決定した段階では、ただの「案」にすぎない。

法律案はだれでも国会に提出できるわけではない。提出できるのは、内閣と国会議員だけである。議員による法律案の提出や、それによって成立した法律は「議員立法」とも呼ばれる。しかし日本では、内閣提出の法律案が成立することが圧倒的に多いのが現状である。

<閣法>

内閣が提出する法律案の原案は各省庁で作成される。それらは閣議にかけられる前に、すべて内閣法制局によって審査が行われる。内閣法制局のチェックは、憲法や他の法律との整合性、立法内容の妥当性など法律的な観点や、立案の意図が正確に表現されているか、のような技術的な観点などから幅広く行われる。審査を経た法律案は閣議決定され、内閣総理大臣から国会に提出される。

閣議とは、簡単に言うと「すべての大臣が集まる会議」のことである。窓を背にした総理大臣を囲みながら、重厚なソファに大臣が腰掛けるシーンがテレビニュースで放送されるが、それは閣議が始まる前の撮影用の一場面である。

閣議決定は、内閣の意思を決定をすることである。内閣として法律案を国会に提出する場合も閣議決定を経る。法律を成立させるのは国会の役割なので「閣議決定した」という報道があった時点では、法律はまだ成立していない。

つまり「○○法案を閣議決定した」というニュースは、「これから○○法案が国会で審議されることが決まったよ」というメッセージを伝えているのである。
閣議では、法案のほか答弁書を閣議決定する場合もある。

<議員立法>

一方、国会議員が法律案を作成する場合は、衆参それぞれの法制局がアドバイスやチェックを行う。衆議院議員が立案する際は衆議院法制局、参議院議員の場合は参議院法制局がサポートする。審査が終わると、議員がそれぞれが所属する議院に法律案を提出する。国会議員は法律案を出せるが、たった1人で提案することはできない。衆議院議員の場合は議員20人以上の賛成が、参議院議員の場合は議員10人以上の賛成が必要である。また、提案したい法律案が予算を必要とするものであれば、さらにハードルは上がり、衆議院で50人以上、参議院で20人以上の賛同者がいないと提案できない。これは、自分の選挙区や支持団体の利益のための、いわゆる「お土産法案」の乱発を防ぐ目的だといわれている。

内閣法制局は政府が国会に提出する法案が憲法や法律に矛盾していないかをチェックしている。政府の憲法解釈に助言する役割もあり、政府見解を緻密な論理で組み立てるのも内閣法制局である。

内閣法制局は「法の番人」とも呼ばれ、政府が国会に法案を提出するにあたり憲法をはじめとする既存の法体系と矛盾がないかを審査するための役所である。また政府の公式見解などが憲法に抵触しないようにチェックするのも重要な仕事になる。内閣法制局のチェックは非常に厳しいことで有名で、ちょっとした矛盾やミスも許されない。このため法案作成を担当する霞ヶ関のキャリア官僚は、法制局のチェックを受ける際には夜も眠れないといわれている。通常、内閣法制局長官は内部昇格するのが慣例である。

内閣法制局がこれほどの力を持っているのは、国会で成立する法案のほとんどが政府提出であり、本来の姿である議員立法がほとんど行われていないという日本独特の事情がある。三権分立を原則とする民主国家においては、本来、法案の作成は国会議員の仕事であり、法律が憲法違反かどうかを判断するのは裁判所の役割である。

内閣法制局という行政府の一組織が、実質的に日本の憲法解釈や法案の審査機能を担っているという状況は、三権分立が軽視され、官僚主導政治となっている日本の未熟さの象徴であると指摘する声もある。


◎国会での審議の流れ

法律案が提出されると、いよいよ国会での審議が始まる。一般的には衆議院から審議が始まるパターン(衆議院先議)が多いが、参議院から先に審議が始まる場合もある。ここでは衆議院先議の例で国会審議の流れを見てみる。

法律案が衆議院に提出された場合、まず衆議院議長が、法律案の内容を踏まえて審議するのにふさわしい委員会(例:経済産業委員会や厚生労働委員会など)を選ぶ。委員会では、本会議での審議に先立ち、法律案の詳細な審査を行う。

手順としては、内閣提出であれば担当大臣が提案理由説明を行い、法律案の内容や意義を説明する。審査は主に質疑応答形式で行われ、法案提出者に対して法律案の課題や問題点をただし、明らかにしていく。重要法案の審査では、参考人を呼んで意見を聞いたり、公聴会を開いて、利害関係者から意見を聞いたりすることもある。十分に審査が尽くされたと判断されると、法律案は採決にかけられる。委員会としての結論が出されたら、次は本会議で審議されることになる。

ちなみに委員会での審査の結果、必要があれば修正案が作成される。また可決された後、政府が法律を執行する際の注意点などを示す「付帯決議」が付けられることもある。

本会議では、委員会での審査結果を踏まえて審議される。そして採決が行われ、衆議院としての最終的な結論を出す。本会議で可決されると、法律案は参議院に送付される。新聞やテレビのニュースで「法案が衆議院を通過しました」と報じられる段階で、ここでもまだ法律案は成立していない。

参議院でも、衆議院の時と同じように、委員会から審査が行われ、本会議で審議された後、採決される。参議院の本会議でも可決されれば、晴れて法律として成立する。

しかし、衆議院で可決された法律案が、参議院では否決されることもある。参議院が否決するなど、両院で異なる議決がなされた場合、法律案を成立させるには2つの方法がある。

一つは「両院協議会」を開いて、衆参両院の代表が意見の一致を図る方法。話し合いの結果、成案が得られた場合は、それぞれの議院で可決されると成立する。

もう一つは「衆議院の再可決」である。衆議院で出席議員の3分の2以上の多数で再び可決された場合は、法律となる。








「国会用語①」

2013-11-24 07:48:03 | 日本

案外知っているようで、わかっていない国会運営について、「国会用語」をもとに、3回にわたり学ぶ。


◎国会の召集と会期

国会には3種類ある。「通常国会」と「臨時国会」、そして「特別国会」である。それぞれ開催の目的が違う。

<通常国会>
通常国会は、国会用語としては「常会」という。会期は150日間で、憲法52条にあるように、毎年1回必ず召集することになっている。時期については、1月中に召集されるのが常例とされている。記事冒頭にある「年明けからやっていた国会」は、この通常国会のことである。
通常国会で審議される一番重要なテーマは、何と言っても新年度の予算である。国の会計年度は4月1日から翌年の3月31日までなので、新年度予算を3月31日までに成立させることが重要になる。そこで、いわゆる「年度内成立」をめぐって、しばしば与野党の駆け引きが繰り広げられる。
予算と予算関連法案が成立すると、次はその時々の政治テーマや重要法案の審議に移る。通常国会は会期が長いので、予算以外にも多くの法案が提出され、成立する。

<臨時国会>
臨時国会は、その字の如く、臨時に必要になった場合に開かれ、通常国会を補完するような会期で開かれる。「臨時」とついてはいるが、慣例的に、毎年9月などの秋に召集されることが多く、補正予算や新たな政治テーマ、重要法案などを審議する。
開催のための具体的な条件は、(1)内閣の必要に基づく場合(2)衆参いずれかの議院の総議員の4分の1以上の要求があった場合(3)任期満了による衆議院選もしくは参議院選の後、である。
会期の規定は特になく、召集の目的に応じて変わるので、1日で終わる場合もあれば数カ月にわたることもある。

<特別国会>
特別国会は、衆議院解散による総選挙の後に召集される。召集とともに内閣が総辞職するので、両院で内閣総理大臣の指名が行われる。

<本会議・委員会・閉会中審査>
国会の会期中には、国会議員全員が出席して法案などの審議を行う「本会議」と、本会議で審議する案件の予備的な審査を少人数の議員で行う「外交委員会」「法務委員会」等の「○○委員会」がある。委員会は閉会中でも開ける。
また、閉会中審査とは、国会が閉会している間に重要な案件を審査することである。国会は1年中開かれているわけではない。


◎施政方針演説と所信表明演説の違い

国会が始まると行われる首相の演説。実は、開かれた国会の種類やシチュエーションによって名称が違う。「施政方針演説」と「所信表明演説」である。臨時国会で首相が行うのは所信表明演説だが、よく似たこの2つの演説にはどんな違いがあるか。どちらの演説も、衆議院と参議院の本会議で行われる点では同じである。しかし、以下の点で違う。
施政方針演説は、首相が毎年1月に召集される通常国会で行う演説で、その年の内閣全体の基本方針を示すもの。一方、所信表明演説は、臨時国会の冒頭や、首相が選出される特別国会で行われる演説で、どちらかというと首相の個人的な考え方を示すものである。所信表明演説は、通常国会中でも首相が交代した場合には行われる。
施政方針演説では合わせて、財務相の「財政演説」、外務相の「外交演説」、経済財政担当相の「経済演説」も行われ、「政府4演説」と呼ばれる。所信表明演説の場合は、必要に応じて大臣演説も行われる。


◎政府演説に対して行われる代表質問

こうした首相や大臣の演説に対して、国会議員が質問する機会が設けられる。これが「代表質問」である。代表質問は、各党の党首・代表や幹事長クラスの有力議員が質問に経つことが多く、政府演説とともにテレビでも中継される。衆議院・参議院でそれぞれ2日ずつ行われ、質問時間は、基本的に所属議員が多い順に長く割り当てられる。
ただ施政方針演説や所信表明演説、それに対する代表質問も、憲法や国会法上の明確な規定があるわけではない。また、政府演説も代表質問も、慣例的に衆議院から先に行われている。








「ニームって何?」

2013-11-24 07:46:29 | 日本

家庭菜園の虫対策を調べていたら、「ニーム」というものがすごいと聞いたので、いろいろ調べてみた。

アフリカのスーダンで、イナゴの大群が大襲来し、ありとあらゆる木の葉や野菜類を瞬く間に食べ尽くされたことがあった。しかし、荒涼とした景色の中に、緑々と残る木(ニーム)をドイツの昆虫学者が目撃したことがきっかけで研究されることとなった。その後、インドで「村の薬局」と言われていたニームが、欧米でも注目を集めるようになった。

ニームの木は高さ15~20mにも達する無毛の常緑高木である。

インドでは「ミラクルニーム」と呼ばれるこの木は、万病に効く、白蟻などのいかなる害虫も寄せ付けない木、として有機肥料や紙、衣類などの保存用等に広く利用されている。

家畜の餌やお茶として飲まれていることからも判るように、人間には非常に安全で有効性が高く、害虫には大敵だ。

効用としては、害虫に対する忌避(退去)、摂食障害、脱皮阻害があり、アブラムシ・ハダニ・スリップス・オンシツコナジラミをはじめ250種類以上の病害虫に効果があると報告されている。







「インド太平洋の地政学」

2013-11-23 06:49:42 | 日本

白石 隆さんの論文「中国の活発な首脳外交とインド太平洋の地政学」は極めて重要な内容である。われわれ日本人の誰もが、シーレーン、東アジア、それは精々台湾や尖閣列島ぐらいにしか意識がない。しかし実際のシーレーンは、中東、インド洋、東南アジアを経て、台湾、尖閣、日本国内へと続く。よって、それらのどの地域においての問題発生も、すべて我が国に直接的に影響を与える。今回は「インド太平洋の地政学」について、学ぶ。


10月上旬、インドネシア・バリ島でアジア太平洋経済協力(APEC)首脳会議と環太平洋パートナーシップ協定(TPP)交渉首脳会合、ブルネイで東南アジア諸国連合(ASEAN)首脳会議をはじめ、日本・ASEAN首脳会議、ASEANプラス3(日中韓)首脳会議、東アジア首脳会議などの一連の「ASEANプラス」の首脳会議が開催された。

その首尾はほぼ予想通りだった。APEC首脳会議はアジア太平洋自由貿易圏(FTAAP)実現をめざす方針を確認した。しかし、TPP交渉の首脳会合では「大筋合意」が見送られた。広く報道された通り、その一つの理由は、政府機関の一部閉鎖で米国のバラク・オバマ大統領がアジア歴訪を取りやめたことにあるだろう。一方、東アジア首脳会議はASEANを中心とする東アジア地域包括的経済連携(RCEP)交渉の早期実現で一致した。また、南シナ海の領有権問題について、中国とASEANの合意に基づいた「行動規範」の策定作業を「歓迎」するとともに、2002年の「行動宣言」の履行を重視することを強調した。

中国はこの前後、極めて活発に首脳外交を行った。習近平国家主席は10月2日、ジャカルタでインドネシアのスシロ・バンバン・ユドヨノ大統領と会談し、軍事協力の強化で合意した。10月4日にはマレーシアでナジブ・ラザク首相と会談、ここでも軍事も含めた関係の強化で合意した。10月13~15日には李克強首相がベトナムを訪問し、中越両国で南シナ海共同開発に関する協議のための作業グループを設置することで合意した。さらに李首相は10月23日、訪中したインドのマンモハン・シン首相と国境防衛協力協定に調印した。

中国のこうした活発な首脳外交を見て、メディアでは、中国と東南アジア、インドの地政学的関係が変わりつつある、といったコメントが散見される。しかし、そういう結論を出すのはまだまだ早計である。南シナ海の領有権問題についても、それ以外の問題についても、中国がこれからも大国主義的に力によって現状変更を試みようとする限り、これに対応、対抗する動きがなくなることはない。

ベトナムはカムラン湾に外国海軍艦船の補給・整備施設などをロシアと共同で建設しているほか、ロシアから潜水艦を購入し、潜水艦基地の建設も決めている。また、今回のAPECにあわせてバリ島で開かれた日越首脳会談で、安倍晋三首相とベトナムのチュオン・タン・サン国家主席は、海洋安全保障分野における連携推進で合意した。インドネシアは太平洋とインド洋を結ぶシーレーンの要衝であるスラウェシ島のパルに潜水艦基地を整備し、今年末から運用する。また、現有2隻の潜水艦を2024年までに10隻以上に増やすとともに、米国から攻撃用ヘリコプター8機を購入する計画である。インドは2012年にロシア製原子力潜水艦を配備し、今年8月には初の国産空母を進水させた。11月中には、ロシア製空母がインドに引き渡される。また、シン首相は10月下旬、モスクワでロシアのウラジミール・プーチン大統領と会談し、次世代戦闘機の共同開発推進など、軍事協力の一層の強化についても合意した。

さらに、オバマ大統領が今回、アジア歴訪を取りやめたからといって、それで米国がアジア重視の戦略を転換するわけでもない。米国は「リバランス」の名の下、アジア太平洋地域における米軍のプレゼンス拡大のために、太平洋と大西洋に50対50の割合で展開する米海軍艦船の比率を2020年までには60対40とするとともに、攻撃型潜水艦、第5世代戦闘機、新型巡航ミサイルなどを新たにアジアに投入する予定である。これに伴い、米国は太平洋に展開する空母については6隻体制を維持し、対潜水艦戦能力などを備える沿岸海域戦闘艦(LCS)を配備しつつあり、また、太平洋地域における共同軍事演習、米艦船の各国への帰港なども増やしている。

日本も、フィリピン、マレーシア、ベトナムに対し、巡視船供与など、海上保安機能の強化のための支援を行っている。これは「戦略的政府開発援助(ODA)」の一環として実施されており、2012年の米軍再編計画見直しに関する日米共同文書にアジア太平洋地域沿岸国に対するODAの「戦略的な活用」が明記されている通り、米国の「リバランス」と密接に連動している。

アジア太平洋あるいは最近使われるようになった「インド太平洋(Indo-Pacific)」の地政学的変化を理解するには、こうした動きを見る必要がある。そうした観点からすれば、最近の中国の首脳外交は、2008年以降の中国の大国主義的行動が引き起こした問題に対する弥縫(びほう)策、またはダメージ・コントロールと考えた方がよい。






「遊びごころとチャレンジ精神」

2013-11-22 08:56:17 | 日本

菅家一比古さんから「言霊の華」がきた。
今回もまた素晴らしい。



一昨日、吉田ソースのオーナーで米国で最も有名な日本人である吉田潤喜会長が当社を訪問された。話題は原発問題にまでおよび盛り上がった。

吉田会長も原発の怖さ、問題の深さはよくご存知である。そこで出た話題と言うのは、核廃棄物の始末のことである。「スペースシャトルなどに大量に積んで宇宙に捨てて来るのはどうか」と言うのである。

そこで私は「それは宇宙が大迷惑です。一層のことお日さまにお許しいただいて、お日さまに向けてロケットごとぶっ放したらどうですか。お日様でしたらきっと全部溶解して無にしてくれるのではありませんか。ただし問題が二つあります。それはコスト計算と万一打ち上げに失敗した時のことです。」

そう言いましたら会長は「そんなネガティブなことは言わないでよ」と大笑い。それにしても宇宙もお日さまも大変迷惑な話である。しかしふと思った。「この突拍子もない奇天烈(きてれつ)な発想から、実は物事は始まり発展し具現化して来たのではないかと。それが科学技術であり、学問であり、数々の事業だったのではないのか。」

無邪気で明るい吉田会長は、実に遊び心を持った自由と冒険心、チャレンジ精神の持ち主である。失敗を恐れない会長は、過去4度の倒産の危機に見舞われながらも米国のソース王と言われるまでに大成功したのは、この遊び心があったからだと確信した。遊び心とは心が束縛されないこと、即ち、執着しない、囚われない、拘らない心のことである。

心はいつも楽しみ、嬉しみで満ちている。眉間にシワを寄せ氣むずかしくしていたのでは強運は訪れない。吉田会長は全てに楽しんでおり喜んでいるかのようである。どうせやらねばならない仕事なら、楽しんでやるに限る。







「北朝鮮のアングリーバーズはもっと怖い」

2013-11-21 06:59:44 | 日本

長谷川良さんが「アグリ」掲載していた文章が実にユニークな発想で面白い。だが、案外この様にして北朝鮮が崩壊&再生していくのかもしれないので、以下、要約して記す。


欧州の北朝鮮問題専門家、ウィーン大学東アジア研究所のルーディガー・フランク教授は訪朝時に北朝鮮製のタブレットを買ってきた。価格は138ユーロ、488の電子書籍、ゲームの無料アプリが入っている。ただし、北ではインターネットへのアクセスがないという。

旧東独時代、平壌に留学したことがあるフランク教授は「Samjiyonと呼ばれるタブレットには約30のアプリ、14個のゲーム、488の電子書籍が入っている。中・小学校の全教科書も電子化されている」と説明し、金正恩第1書記が誇示する“made in DPRK”のタブレットにそれなりに満足しているという。
 
興味を呼んだ点は、北製タブレットに今、ユーザーに大人気の「アングリーバーズ」(Angry Birds)のアプリが入っていることだ。スマートフォンでアングリーバーズのゲームを楽しむ若者の姿をよく見かける。親鳥が自分の卵を食べようとする豚を怖い顔して追っ払う。本来、心温まる話だが、北では、誰がアングリーバーズか、誰が豚かで全く異なる2通りの解釈ができるのだ。

平壌指導者たちは「卵を奪おうとする豚は米国であり、それから必死に守ろうとする親鳥は金正恩第1書記だ」という見方だ。もう一つの解釈は、独裁者金ファミリーに弾圧され、飢えに苦しむ北の国民こそアングリーバーズであり、国民を搾取する金正恩政権は豚だというのだ。欧米のメディアは金正恩第一書記を実際、子豚と呼んで報道しているほどだ。金正恩氏にとって、絶対許されない、危険な解釈だ。

北の国民がタブレットを初めて手にし、自身をアングリーバーズと考え、「卵を奪おうとする豚の姿は金正恩第1書記」と見なして興じるかもしれない。「卵を奪った豚たちに復讐する母鳥」という筋は平壌指導者には決して快いプロットではないはずだ。それにしても、「どうして北のタブレット製造者はアングリー・バードの無料アプリをサービスしたのか」という疑問は残る。

「その懸念は取りこし苦労に過ぎない。なぜならば、普通の北の国民は138ユーロもするタブレットを買うことなどできないからだ」と反論されるかもしれない。もっともな意見だ。それでは購買力のある人民軍の家庭や労働党幹部の子弟たちがタブレットを買い、アングリーバーズに興じる場面を想像してほしい。ひょっとしたら、このシナリオのほうが一層危険かもしれないのだ。党・軍幹部の子弟たちが心の中で、金正恩氏を豚役にして楽しむかもしれない。思い出してみてほしい。故金日成主席と故金正日労働党総書記の親子は生前、ルーマニアの独裁者二コラエ・チャウシェスク大統領夫妻が処刑される場面を見て、震え上がったといわれているのだ。

若い金正恩第1書記は「わが国でもタブレットを製造できる」と内外に誇示したいのだろうが、アングリーバーズのアプリをサービスしたのは大きな不幸の始まりかもしれない。多分、金第1書記はアングリーバーズのストーリーを慎重にチェックしなかったのだろう。繰り返すが、アングリーバーズは北の政権崩壊を導く前衛部隊となるかもしれないのだ。

ちなみに、米韓日が連携しても崩壊できなかった北の独裁政権がアングリーバーズのアプリで倒れるとすれば、デジタル時代の“21世紀の革命”がどのようにして引き起こされるかを示す最初の実例となるだろう。






「外郎売りの科白」

2013-11-20 08:36:11 | 日本

先日、静岡県小田原市の老舗(しにせ)「ういろう(外郎)」に行ってきた。「ういろう」とは、名古屋の食べる「大須ういろ」だと思っていたが、本当は、ここが元祖で、「ういろう」とは、何と屋号であった。そして、本来の「ういろう」とは、粒状の丸薬の名前である。もちろん食べる「ういろう」も売っており、濃密で美味いが。この粒状の丸薬は、腹痛、心臓、等々、万病に効くと言われており、かの水戸のご隠居の「この紋所が目にはいらぬかー」と出す、その印籠の中の薬でもあったと言われている。値段は高いが、すごい漢方である。
また、「外郎売りの科白(ういろううりのせりふ)」は、昔から、アナウンサーや演劇などの発音の基本を身につける上でも有名である。「外郎売り」は宙(そら)でも言えるくらい何度も練習したらしい。随分と悩まされたカツゼツの勉強だと言う。

今回は、二代目 市川団十郎の「外郎売りの科白」を学ぶ。


「外郎売りの科白」

拙者(せっしゃ)親方と申すは、お立ち会いの中にご存知のお方もござりましょうが、
お江戸を発って二十里上方、 相州(そーしゅー)小田原一色町をお過ぎなされて青物町を登りへおいでなさるれば、欄干橋(らんかんばし)虎屋藤衛門、只今は剃髪(てーはつ)致して円斎と名乗りまする。

元朝(がんちょー)より大晦日までお手に入れまするこの薬は、昔、ちんの国の唐尽、外郎(ういろー)という人、わが朝へ来たり、帝へ参内(さんだい)の折りからこの薬を深く籠(こ)め置き、用ゆる時は一粒(いちりゅー)ずつ冠の隙間(かんむりのすきま)より取り出す。 依ってその名を帝より「とうちんこう」とたまわる。即ち文字(もんじ)には「頂き・透(す)く・香(にお)ひ」と書いて「とうちんこう」と申す。

只今は、この薬、事の外世上に弘まり、方々(ほーぼー)にせ看板を出し、イヤ小田原の、灰俵の、さん俵の、炭俵のと、色々に申せども、平仮名をもって「ういろう」と記せしは、親方円斎ばかり。

もしやお立ち会いの中に、熱海か塔の沢へ 湯治にお出でなさるるか、又は、伊勢御参宮の折からは、必ず門違いなされまするな。

お登りならば右の方、お下りなれば左側八方が八つ棟、表が三つ棟、玉堂造り、破風には菊に桐のたうの御紋を御赦免あって、系図正しき薬でござる。

イヤ最前より家名の自慢ばかり申しても、ご存知ない方には、正身の胡椒(こしょー)の丸呑み、白河夜船、さらば一粒食べかけてその気味合いをお目にかけましょう。

先ずこの薬をかように一粒舌の上にのせまして、腹内へ納めまするとイヤどうも言えぬは、胃・心・肺・肝がすこやかになりて薫風(こしょー)候(のど)より来たり、口中(こーちゅー)微涼を生ずるが如し。

魚(ぎょ)鳥・茸・麺類の食い合わせ、その外、万病速効ある事神(かみ)の如し。 
さて、この薬、第一の奇妙には、舌のまわることが、銭独楽(ぜんごま)がはだしで逃げる。
ひょっと舌がまわり出すと、矢も楯もたまらぬじゃ。

そりゃそりゃ、そらそりゃ、まわってきたわ、まわってくるわ。

アワヤ候(のんど)、サタラナ舌(ぜつ)に、カ牙(かげ)サ歯音(さしおん)、ハマの二つは唇(しん)の軽重、開合(かいごー)さわやかに、あかさたなはまやらわ、おこそとのほもよろお。

一つへぎへぎに へぎほし はじかみ、盆豆(ぼんまめ) 盆米(ぼんごめ) 盆ごぼう、摘み蓼(だて) つみ豆 つみ山椒、書写山(しょしゃざん)の社僧正(しゃそーじょー)、粉米(こごめ)のなまがみ 粉米のなまがみ こん粉米の小生(こなまが)がみ、繻子(しゅす)・ひじゅす・繻子・繻珍(しゅちん)、親も嘉兵衛 子も嘉兵衛、親かへい子かへい 子かへい親かへい、古栗(ふるくり)の木の古切口(ふるきりぐち)、雨合羽(あまがっぱ)か番合羽(ばんばっぱ)か、貴様のきゃはんも皮脚絆(かわきゃはん)、我等がきゃはんも皮脚絆、しっ皮袴(かわばかま)のしっぽころびを、三針(みはり)はり長にちょと縫うて、ぬうてちょとぶんだせ、河原撫子(かわらなでしこ) 野石竹(のぜきちく)、のら如来(にょらい) のら如来 三(み)のら如来に六(む)のら如来。

一寸(ちょっと)先のお小仏に おけつまずきゃるな、細溝(ほそどぶ)にどじょにょろり。 
京の生鱈(なまだら) 奈良生学鰹(ならなまがつお)、 ちょと四五貫目、お茶立ちょ茶立ちょちゃっと立ちょ茶立ちょ、青竹茶筅(あおたけしゃせん)でお茶ちゃと立ちょ。

来るは来るは何が来る、高野の山の おこけら小僧、狸百匹 箸百膳(はしひゃくぜん) 天目百杯 棒八百本。

武具・馬具・ぶぐ・ばぐ・三(み)ぶぐばぐ、合わせて武具・馬具・六(む)ぶぐばぐ、菊・栗・きく・くり・三菊栗、合わせて菊・栗・六菊栗、麦・ごみ・むぎ・ごみ・三むぎごみ、合わせてむぎ・ごみ・六むぎごみ。
あの長押(なげーし)の長薙刀(なぎなた)は、誰(な)が長薙刀ぞ。

向こうの胡麻(ごま)がらは 荏(え)のごまがらか、真(ま)ごまがらか、あれこそほんの真胡麻殻。

がらぴいがらぴい風車(かざぐるま)、おきゃがれこぼし おきゃがれ、ゆんべもこぼして 又こぼした。

たあぷぽぽ、たあぷぽぽ、ちりから、ちりから、つったっぽ、たっぽたっぽ一丁だこ、落ちたら煮て食お、煮ても焼いても食わぬ物は、五徳鉄弓(ごとくてっきゅー)・かな熊童子に、石熊・石持ち・虎熊・虎きす、中にも 東寺の羅生門には 茨木童子がうで栗五合(ごんご) つかんでお蒸しゃる。

彼(か)の頼光(らいこう)の膝元(ひざもと)去らず。

鮒(ふな)・金柑(きんかん)・椎茸(しいたけ)、さだめて後段(ごだん)な、そば切り、そうめん、うどんか、愚鈍な小新発知(こしんぼち)、小棚の、小下の、 小桶に、こ味噌が、こ有るぞ、小杓子(こしゃくし)、こ持って、こ掬(すく)って、こよこせ、おっと合点(がってん)だ、心得たんぼの川崎、神奈川、程ガ谷(ほどがや)、戸塚は、走って行けば灸(やいと)を摺(す)りむく、三里ばかりか、藤沢、平塚、大礒(おーいそ)がしや、小磯の宿を七ツ起きして、早天(そーてん)早々相州(そーしゅう)小田原とうちん香(こー)、隠れござらぬ貴賎群衆の、花のお江戸の花ういろう、あれあの花を見てお心を、おやわらぎゃっという。

産子(うぶこ)、這(は)う子に至るまで、此の外郎(ういろー)の御評判、ご存知ないとは申されまい。

まいつぶり、角出せ、棒出せ、ぼうぼうまゆに、臼(うす)・杵(きね)・すりばち、 ばちばちぐゎらぐゎらと、羽目を弛(はず)して今日(こんにち)お出での何茂様(いずれもさま)に、上げねばならぬ売らねばならぬと、息勢(いきせー)引っぱり、東方世界の薬の元締め、薬師如来も照覧あれと、ホホ敬って、ういろうは、いらっしゃいませぬか。







「世界最古の会社 金剛組」

2013-11-19 07:36:45 | 日本

「世界最古の会社 金剛組」について学ぶ。


大阪市天王寺区にある株式会社金剛組の創業は、1400年以上昔の西暦578年の飛鳥時代であり、世界で最も古い現存する会社である。この会社は、神社やお寺を建てる堂宮大工の集団である。堂宮大工と言うのは、神社仏閣を専門に建てる大工さんのことである。金剛組の最初の仕事は、聖徳太子が発注主と言われる大阪・四天王寺の建立である。四天王寺、1400年の間に焼失・倒壊したのが計7回。それを、その都度再建してきたのが金剛組なのである。今日、金剛組で働く堂宮大工は約120人、この120人は8つの組に分かれていて、金剛組が受注した仕事を各組に割振るという仕組みになっている。

では、この「世界最古の会社 金剛組」の歴史をみる。

〔578年〕 
聖徳太子の命を受けて、海のかなた百済の国から三人の工匠が日本に招かれた。このうちのひとりが、金剛組初代の金剛重光である。工匠たちは、日本最初の官寺である四天王寺の建立に携わった。重光は、四天王寺が一応の完成をみた後もこの地に留まり、寺を護りつづける。

〔593年〕
創建時、四天王寺は当初計画にあった廻廊と講堂の建築を残していた。これらの完成は八世紀の初め、創建時から百数十年を経た奈良時代前期のことである。その時すでに初代金剛重光はこの世にはなく、その技術と心は二代目から三代目へと代を重ね、後世に受け継がれていった。

〔1576年〕
1576年(天正4年)、石山寺の戦いに巻き込まれ、四天王寺は、支院を含め伽藍全体が焼失す。
豊臣秀吉が全国を統一したあとの1597年(慶長2年)、秀吉により四天王寺支院・勝鬘院(愛染堂)の多宝塔が再建された。多宝塔にある雷除けの銅板に、「総棟梁金剛匠」との銘が残されている。この多宝塔は、大阪市内では最古の木造多宝塔として、国の重要文化財に指定された。

〔1614年〕
大阪冬の陣で四天王寺焼失。焼失の後まもなく、江戸幕府によって四天王寺の再建が開始される。金剛家当主、第25代是則が伽藍の再建を命じられた。


〔1842年〕
茨城県水戸市にある偕楽園は、金沢の兼六園、岡山の後楽園とともに日本三大公園の一つ。1842年(天保十三年)、水戸藩主徳川斉昭 が造園したこの園の一郭に、往時の文人墨客が遊んだ<好文亭>がある。数奇屋造の端正な美しさを誇ったこの重要文化財は、昭和の戦火を浴びて焼失。昭和33年復元後、再び火災にあい、同47年、再度復元された。金剛組は、宮大工としての優れた技術をかわれ、この二度にわたる復元工事に参画している。

〔1868年〕
江戸時代までは、金剛家は四天王寺のお抱えの宮大工であり、毎年、定まった禄にあずかっていた。しかし明治に入ってこの関係は一変する。まず、1868年(明治元年)にいわゆる神仏分離令が出され、後年その余波を受けて四天王寺は寺領を失う。当然、禄は廃止。金剛組にとってもまさに試練の時代がはじまった。以後、他の寺社にも進出することとなる。

〔1934年〕
昭和に入っても、金剛組の苦難の道は続く。第37代金剛治一は、無類の職人気質。今でいうところの営業活動などさらさら念頭になく、金剛組は極度に困窮。ついに、1932年(昭和7年)第37代は、これを祖先に詫びて先祖代々の墓前で自殺してしまう。しかし、妻よしえが歴代初の女棟梁として第38代を継ぎ、東西に奔走して難をのがれた。折も折、1934年(昭和9年)、室戸台風のため四天王寺五重塔が倒壊。金剛組に再建の命が下る。

〔1955年〕
戦時中は、護国神社や軍神の造営などの神社関係の仕事はあったものの、寺院関係の仕事はぷっつりと絶えてしまった。そればかりか政府による会社統廃合策で、他社に併合される危機にも見舞われた。このような苦境のもと、金剛組は軍事用の木箱を製造するなどして、辛うじて社の命脈を保った。そして1955年(昭和30年)、株式会社金剛組が誕生。第39代金剛利隆は経営の近代化を図り、以後金剛組は広く一般建築をも手掛けることとなった。第二次世界大戦の戦火、あるいは台風、地震、火災など、昭和に入っても全国各地の社寺は度重なる戦火・火災に見舞われた。そして戦後これらを復興するにあたり、防火・防災・経済性にすぐれる鉄筋コンクリート工法が脚光をあびた。このような時代の要請をうけて、いち早く同工法による社寺建築に着手した。そして金剛組は鉄筋コンクリート工法でも、日本建築本来の優美さや、木のあたたかみなどを損なわない独自の工法を開発した。

〔1980年〕
埼玉県に関東営業所を開設。5年後には関東支店となり、続いて埼玉県鶴ヶ島市に加工センターを開設。これにより、関東での本格的な木材加工が可能に。以後の全国的な展開の中で、本社に次ぐ一大拠点となっていく。

〔2006年〕
高松建設株式会社の出資を受け、新生 金剛組として再出発。創業以来1430年余にわたる伝統の技術と心、ならびに従業員・宮大工といった人材をすべて引き継いで新たなスタートを切る。現在、金剛組が擁する宮大工の数は約120名。最近ではこの伝統の技を知りつくした力に加えて、最新技術と伝統工法の融合を図り、いつまでも歴史に残る社寺建築をつくりたいと願う若い力が大きく育っている。

〔2008年〕
親会社の持株会社化に伴い、株式会社高松コンストラクショングループの一員となる。






「神の実在を実感した神様の道」

2013-11-18 07:56:56 | 日本

わが輩の先生である椛島有三さんが、このたびの遷御(内宮)に参列された時の体験談が書かれてある文章があった。
内宮での遷御の儀が、如何に厳粛で人知を超えた神の世界であるのか、以下の体験談の素晴らしさを共に共有したいと思う。


10月2日、私は光栄にも内宮の遷御の儀に参列させていただいた。その時、何と言う風だろう?と思えるような普通の風とは違った「ゴーツ」と神宮の森全体に響き渡るような風の音を聞いた。
その不思議な風の音がしたときは、丁度、天照大神さまのご神体を奉安していた正殿の鍵を開ける瞬間、そして、いよいよ正殿から出御になる時であった。天照大神さまが、まさに出御されるその時に、神宮の森全体に響き渡るような風が吹いたのである。私はそれを聞き不思議な心に支配された。

また、私は普段聞かない、鳥か動物か何の鳴き声か分からないような声を聞いた。内宮の遷御の儀を奉仕された方々にお聞きしたところ、それは鹿の声だったそうである。茨木県にある鹿島神宮の参拝のしおりには、「古来、鹿島神宮には鹿が生息したといわれている。奈良の春日大社にご神体をお運びする時、そのご神体は鹿に乗って御進幸されたとなっている」のであるが、天照大神さまがお遷りになったときに、ご神体をお運びする鹿が現れたのも、古来伝説の通りだったと思った。

私は遷御の儀の時、参道沿いの一番前列の椅子に座っていたが、天照大神さまが出御され新しいお宮にお遷りなる直前に、古いお宮から新しいお宮に至る約300メートルぐらい参道に白い布が敷かれるのである。その白い布は神様がお通りになる道である。

白い布は、最初に臨時祭主の黒田清子(さやこ)様、鷹司(たかつかさ)大宮司、そして秋篠宮(あきしののみや)殿下、約120人の神職の方々 、安倍晋三総理大臣を始めとする各界の代表の方々が参進されるときには全くなかった。人が通る道には白い布は置かないのです。人々が参進して、旧いお宮の中に入り終わった後に、白い布が敷かれ始める。夜8時の出御の10分までには、その白い布を敷き終わらなければならない。丁寧に、そして本当に全力を尽くして神様のお通りになる道を300メートル、古いお宮から敷いていくのである。命がけの行動だと思うほどに真剣に白い布を敷いていくのである。ここは神様がお通りになる道だ、ここを神様がお通りになることによって、はじめて遷御は成り立つ、御遷宮は成り立つ、完成する、これをすることがわれら伊勢神宮神職の全ての任務であるといってもいいくらいに、真剣に白い布を敷いていかれた。

そしてそれを敷き終わった後に、遷御の儀が始まり、天照大神さまが、その白い布をお取りになって、新しいお宮にお移りになった。その時、参道を見たら、もうそこには白い布が無いのである。神様がお通りになった後の白い布を、後から後から一瞬のうちに、神職の方が巻き取っておられたのである。そこは神様だけがお通りになる道だったのである。

遷御の儀は、 20年に1回、神様が約30分から40分の間、お外にお出ましになるのである。後は、新しい正殿の中にお鎮まりになる。神様がお出ましになる約30分から40分の間は必ずお守りする、守り抜く。そのためには神様の道が絶対に必要だと白い布を真剣に敷き、真剣に巻き取っていくのである。

私はそこに天照大神さまの「実在の観念」、神様がそこをお通りになると言う「実在の観念」を感じずにはいられなかった。







「国歌、君が代の和歌」

2013-11-18 07:53:30 | 日本

一、君が代は 千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで


二、君が代は 千尋(ちひろ)の底の さざれ石の 鵜の居る磯と 現るるまで


二、君が代は 千代ともささじ 天(あめ)の戸や いづる月日の 限りなければ



このように、わが国「日本の国歌 君が代」は、日本国が永遠に続く、否、続いてほしいという切なる祈りの詩でもある。
「君が代」を大いに歌いつづけ、永遠の繁栄を祈り続けようではないか!