龍の声

龍の声は、天の声

「一票が国を変える」

2015-11-30 07:21:03 | 日本

笹川陽平さん(日本財団会長)のインタビュー「一票が国を変える有権者の笑顔と民主化への思い」が掲載されている。ミャンマー選挙。記者は、市ノ澤充さん。
以下、要約し記す。



ミャンマーで8日、民政下で初めてとなる総選挙が行われ、民主化の象徴であるアウン・サン・スー・チー氏(70)率いる国民民主連盟(NLD)が過半数の議席を獲得し圧勝しました。笹川陽平日本財団会長(76)は日本政府から選挙監視団の団長を委嘱され、現地で指揮を執りました。半世紀にわたる軍事政権下で、時には欧米の抵抗に遭いながらも人道支援を続けてきた笹川会長にお話を伺いました。

・記者
笹川会長は1974年から、笹川記念保健協力財団を通じてミャンマーのハンセン病対策活動をはじめ医療面での支援を続けてこられました。今回、日本政府から選挙監視団の団長を委嘱されたのもそうした経緯からですか?

・笹川
はい、その通りです。ミャンマーは70年前までは東南アジアで最も豊かな国の一つでしたが、政治的混乱によって今では最貧国の一つとなってしまいました。4年前、テイン・セイン大統領(70)が民主化を目指してから外資が増え、民主化の道が開かれました。私は当時から活動を続けていましたが、軍事政権との付き合いに対して意見を受けたこともあります。

・笹川
政権の善悪に関わらず、人道支援はそこに住む人たちを助けることが目的です。ミャンマー政府と15の少数民族との戦いは70年前から続いていますが、私たちの活動は少数民族の間でも知れ渡っています。そうした民族間を仲介するミャンマー国民和解担当日本政府代表の職責にもあるので、選挙監視団の話につながったんだろうと思います。

・記者
笹川会長はテイン・セイン大統領とスー・チー氏双方と親しく、比較的容易に直接連絡の取れる稀有な存在と言われていますね?

・笹川
テイン・セイン大統領とは長い付き合いになります。人格者であり、「民主化を成し遂げなければ民衆が疲弊してしまう」という危機感を抱き、努力されてきました。スー・チー氏とも、これまで何度もお会いしています。あれだけの苦難を乗り越え、未来に向かって透明性ある政治をしたいという彼女の努力が今回実りました。近々ミャンマーに行きスー・チー氏に会いますし、テイン・セイン大統領とミン・アウン・フライン国軍司令官にも会います。

・記者
来年3月の政権移行まで、国軍・与野党ともに指導層は気が抜けませんね?

・笹川氏
そうですね。大統領も国軍司令官も明言していますが、来年3月の新大統領就任に向けて引き継ぎも順調に行われるでしょう。
私は毎年、国軍の指導者層を日本に招待しています。「民主主義国家における軍隊とはどうあるべきか」を考えていただこうと、武道や日本語教育をはじめさまざまな学びの機会を提供しています。ミャンマーの優秀な人材や政権運営の経験者は国軍出身者が多く、今後の民主国家建設のためにも彼らの力をいかに活用するかが重要です。

・記者
選挙自体は公正に行われたのでしょうか?

・笹川
選挙によらない25%の軍人枠(定数166)が批判されていますが、それでも民選枠(同498)のうち390議席以上をNLDが取りました(定数498のうち7選挙区で選挙が中止になり、実質的な過半数は329議席)。軍政下の選挙管理委員会に公平性が保てるのか不安の声が当初ありましたが、欧米の監視団など国外から1000人、国内の非政府組織(NGO)9000人の計1万人が監視する中で、選管と担当者は非常に協力的でした。

・記 者
大きなトラブルもなく?

・笹川
投票前日と投票日に10カ所ほど訪れましたが、どの投票所でも選管の方は私たちの質問にきちっと答え、雰囲気も良かったです。1つの投票所に投票場所が4カ所に分かれたところがありました。混乱しないのかと心配でしたが、担当者は「事前に説明しているから心配ない」と答えました。事実、投票が始まった午前6時には200~300人が整然と列をなして、全員が証明書を持参しスムーズに投票が行われました。

・記 者
早朝からそんなに有権者の列が?

・笹川
民主的ルールでの選挙は初めてなので、うれしかったのでしょう。投票を終えた彼らの笑顔は非常に印象的でした。自分たちの一票で国を変えられるんだという希望が、民主主義の原点がありました。投票を終えた有権者は出口で、二重投票防止のために青色のインクを小指に塗られました。「私も行ってきたよ」と小指を見せ合って微笑む人々の姿が目に焼き付いています。

・記 者
二重投票防止のインクは日本政府による支援の一環と伺いましたが?

・笹川
はい。日本政府は国連開発計画(UNDP)と連携して、48時間経つと消える特殊インクを提供しました。ほかの選挙での実施例は把握していませんが、有権者には抵抗なく受け入れられたようです。同じく日本政府からの支援として、電気の通じていない地域での夜間投票を可能とするためにランタンを提供したりしています。

・記 者
投票終了間際にも混乱はありませんでしたか?

・笹川
終了時刻の午後4時に殺到した場合、「敷地内にいる人には全員投票させよう」と事前に決めていましたが、実際には多くの人が早々に投票を済ませたため、終了間際に来る人はほとんどいませんでした。

・記 者
開票もスムーズに行われたのでしょうか?

・笹川
私たちのいた開票所では、オーストラリアとオランダ、タイの監視団も立ち合いました。開票の際には1票ずつ「これはNLDです」「これはUSDP(連邦団結発展党)です」などと言って各党の箱に入れていきます。棄権票があると、立候補者の政党関係者が集まって確認したうえで次の1票に進む。こうして事前投票分の開票の際には200票開票するのに1時間以上もかかりました。想像以上に丁寧に行われたというのが総合的な評価です。

・記 者
新政権が取り組むべき喫緊の課題は何だと思いますか?

・笹川
少数民族武装勢力との停戦を早期に実現し、国を統一できるかどうかが最大のテーマです。少数民族15グループのうち8グループとは停戦合意しています。民族側も政府側も連邦国家になりたいという大枠では一致しています。政権与党となるNLDはこれまでの経過をきちんと聞き取り調査したうえで、合意文書の詳細を分析することから政権運営を始める必要があります。
前回は、ミャンマー総選挙において、日本政府から選挙監視団団長を嘱託された笹川陽平日本財団会長に、現地での選挙状況をうかがいました。今回は、ミャンマー総選挙を通じて、わが国の選挙と政治、そして有権者に対する思いを語っていただきます。

・記者
日本では来夏の参院選から選挙権年齢が18歳以上に引き下げられますが、若年層の投票率は改善するのでしょうか?

・笹川
投票率の低下は深刻な課題だと思います。ミャンマー総選挙では、投票を終えた有権者がインクの付いた小指を笑顔で見せ合う場面が本当に感動的でした。私たち日本人はそういった選挙のありがたみを忘れてしまいました。自分たちの一票で国が変わるんだという民主主義の原点に立ち返らなければいけません。

・記者
民主的な選挙が当たり前にある国と、今までなかった国との差でしょうか?

・笹川
ミャンマーでは民主的な選挙は50年間なかったですからね。
情報を正確に伝えるメディアが必要

・記者
日本では2013年にネット選挙が解禁され、私たち政治山ではインターネット投票の研究や検証も推進しているのですが、投票率向上の施策としてどのようにお考えでしょうか?

・笹川
インターネットの利用には大賛成です。しかしその前に、政治家の資質を判断できる材料を揃える必要があります。今は候補者のプロフィールくらいしか紹介されませんが、それだけでは不十分です。
現職ならば、今までどの委員会に出席し出席率は何割か、どんな発言をしたかなど最低限の情報を有権者に提供するべきです。議員の年収は諸々の手当、それに政策秘書の給料などを含めると議員一人におよそ1億円が必要です。参議院議員の場合は特に、6年間何の成果がなくても毎年それだけの経費が必要なのです。それに国会運営費を加算すると議員一人にいくら費用がかかっているのか不明です。比例選出の議員の中には、委員会の出席率が極端に悪い人もいるようです。

・記者
参議院は衆議院のカーボンコピーとも言われています。

・笹川
私は衆院300、参院100程度に定数是正すべきだと考えています。現状の在り方であれば参議院は無用です。戦後の参議院は政党の枠を超えた不偏不党の緑風会という会派が結成され、衆議院とは一線を画した独自性を見せていましたが、今は衆議院と同じ党派で同じ議論をしているのだから意味をなさなくなっています。
河野太郎 行革担当大臣も一生懸命仕分けをしていますが、政治家は何よりも先ず自分たちの身を削らなければいけません。

・記者
衆議院の選挙制度についてはどう考えますか?

・笹川
衆議院は小選挙区制を廃止して中選挙区制に戻すべきです。小選挙区にしてから政治家同士の切磋琢磨が見られなくなりました。中選挙区制なら常に有権者の声に耳を傾けないといけませんが、小選挙区の場合は議員の資質よりも政党政治で決まってしまい、選挙区の声が議会に届かない。地に足のついていない、宙に浮いたような政策になりがちです。

・記者
参議院改革は鳥取・島根と徳島・高知で合区にする区割りの変更にとどまっています。

・笹川
違憲状態を回避するための小手先の変更で、与野党で野合しているだけでしょう。本来は国民の声をどう反映させるかが国会議員の仕事なのに、裁判官の判決だけを気にして技術論に陥っています。日本の将来を考えたらもっと大胆な改革をしなければ善政とは言えません。

・記者
来年から有権者となる若者にメッセージをお願いします。

・笹川
選挙権は権利であると同時に国家に対する責任でもあります。投票行為は権利の中で最も大切で、また重要な義務でもあるのです。権利と義務の両方を備えた国民としての役割を果たす自覚を持ってほしいです。「デートがあるから無理」などというのはとんでもない話で、自分たちの一票が国を動かし、未来を変えるという意識で最優先に考えてほしいと思います。

・記者
いまの政治家に対してもメッセージをお願いします。

・笹川
議論にも上らない重大問題は、国会運営のあり方です。実に非効率で、いつでも総理大臣が待機していないと重要な委員会が行えない。国際会議出席のために出国すると、野党はすぐに「国会軽視だ」の一点張り。総理より詳しい役人や大臣がいくらでも答弁できるのに審議拒否となる。

なぜそうなるかと言えば、総理との応酬が映像で流れ、それが自分たちのPRになるからです。国会中継は必要ですが、本来の役割の阻害要因となり、非効率な国会運営になっていると思います。

日本の総理大臣は世界で最も忙しい国家の首相です。オバマ大統領は昨年1年間で100回以上ゴルフをしたと言われています。安倍総理はたったの11回です。ところが、「11回もゴルフしていた」などと叩かれる。精神衛生上、健全でなければ国策を決める正しい判断は行えません。政治家は小手先の人気取りよりも、日本のことを考えて行動してほしいと思います。










「日本の祈りの輪を拡げよう」

2015-11-29 08:49:13 | 日本

菅家一比古さんから「言霊の華」第三五四号が届いた。
以下、要約し記す。



現在(いま)、自由主義世界を脅かすテロ組織ISIL、アルカイーダ、タリバンの存在は、きっと人類を悩ます試練と言える。話せばわかる相手ではない。日本式調和、宥和(ゆうわ)など全く話にならない。報復が報復をもたらす連鎖が生まれ、これからも多くの血が流れるに違いないだろう。彼らにとってイスラム教以外の異教徒は、全て悪であり敵なのである。イスラム教の中にあってもISILにとっては、スンニ派以外は敵なのである。他の宗教、宗派の存在など認めない。

欧米列強における過酷な植民地支配は、イスラム教国家に対しても同じであった。広大な中東諸国地域、イスラム世界の北アフリカ地域を始めとしたアフリカ全土は、イギリス、フランス、ドイツ、オランダ等の苛烈な植民地支配を受けていた。この時、白人、西欧、資本主義に対する憎悪が芽生えたと言ってもいい。即ち、西欧世界はイスラム世界のエネルギーを奪い続けた。宇宙の法則の一つに「エネルギーを奪うものは奪われる」がある。必ずツケを払わされるようになっている。

ハロウィーンの馬鹿騒ぎなどは、敬虔(けいけん)なイスラム教徒にとって憎悪の対象でしかない。快楽享楽に溺れる行き過ぎた近代文明に対するアンチテーゼ(否定)が、イスラム世界の反撃なのかもしれない。

西欧近代主義の元々が、植民地支配、搾取、市場原理で成り立ってきたのですから、リベンジは当然なのである。いくら報復しようがテロは根絶できない。私などは毎朝の禊(みそぎ)の時、ただ祈るしかない。禊しながら祈る。一見無力のように思えるこの行為でも、地球全体を覆っている怒り、憎悪、怨恨、エゴイズム(利己主義)、強欲の想念の浄化に繋がっていると信じている。この祈りが日本人の祈り、日本国の祈りとなり、世界にお届けしたい。それによって世界の業想念波動は、祓われ浄(清)められて行く。

既に祈り続けておられる存在がある。それは天皇陛下である。陛下の祈りは国内に留まってはいない。世界人類平和の為、日々祈り続けておられるのを波動で感じる。天皇陛下に続け!皆の想いを結集し、熱い祈りの輪をつくり、この祈りを世界に届けていこう。

「日本の祈り」を世界へ。




「言葉」

2015-11-29 08:47:15 | 日本

松本守正さんのブログ「言葉」について記す。


自分の口に一番近いところにあるのは 自分の耳。自分が言った言葉は自分が一番先に聞き、一番多く聞いている。
自分が聴いて心地よい言葉を使っていますか?
私はいつも自分を鼓舞する言葉を仲間にも自分にもかけている。







「チャレンジャー」

2015-11-29 08:46:26 | 日本

松本守正さんのブログ「チャレンジャー」について記す。


失敗に慣れていない人は失敗を恐がり、結局はチャレンジしない人である。
挫折や失敗の経験が多い人は多くチャレンジしている人である。
失敗を恐れる理由は全くない!
だから私はチャレンジし続ける!










「人気者」

2015-11-29 08:45:36 | 日本

松本守正さんのブログ「人気者」について記す。


今いる環境で 人気を簡単に上げる方法をご紹介します。
その方法とは「スピードを上げる」ことたったこれだけ

●明日締切の仕事を、今日中にやり終える。
●納期よりも3日早く納品する。
●トイレから早足で戻ってくる。
●返事を間髪(かんぱつ)をいれずにする。
●電話をすぐにとる。

これらのことを ほかの人に比べて早いスピードで やってしまう。
するとたちまち 人に好かれるようになってしまう。
スピードアップは 自分力を高める上で必須な要素なのである。











「理化学研究所コンツェルンと原子爆弾の開発・大河内正敏②」

2015-11-28 07:56:51 | 日本

◎戦前日本の原爆開発史

平野貞夫氏が、「昭和天皇の極秘指令」の中で、戦前日本の原爆開発史を記述している。非常に興味深い裏舞台を明らかにしている。

日本は、米国に遅れること1年後の1940(昭和15).4月、原爆開発研究に着手する。1941(昭和16).4月、航空技術研究所長の安田中将が、理化学研究所の大河内正敏所長に「原爆製造に関する研究」を正式に要請した。仁科芳雄博士が責任者となり、研究を進めて行った。1943(昭和18)年初め、東条英機首相兼陸相が、川島虎之輔大佐に「アメリカとドイツで原爆製造計画が相当進んでいる。もし我々が遅れたら戦争に負ける。ひとつお前が中心になって製造を進めろ」との指示を与えている。陸軍は、仁科博士の研究をサポートしながら原爆開発に乗り出していくことになった。その研究は、仁科博士の「仁」をとって「二号研究」と呼ばれた。海軍の原爆開発は、1943(昭和18).5月、京都大学の荒勝文策教授に原爆開発研究を委託したことから始まる。しかし思うように進捗せず、1945(昭和20)年初め、仁科研究室に開発の協力依頼し、「F研究」を立ち上げる。

平野貞夫氏が、「昭和天皇の極秘指令」の中で、戦前日本の原爆開発史を記述している。非常に興味深い裏舞台を明らかにしている。

昭和天皇が、原爆開発研究を快く思わず制約し始めたと云う。1945(昭和20).2月当時の海軍航空本部嘱託で、ウランについての情報を担当していた岩田幸雄氏は次のように証言している。杉山元・元帥が私邸で岩田氏に話した内容とのことである。杉山元帥は次のように語った。


「岩田君、君は軍籍の無い一民間人であるにも拘わらず、この戦争では日本軍の為に挺身して偉大な貢献をしてくれ心から感謝している。その労苦に報いるためにも、一日も早く新兵器(原子爆弾)を開発し、劣勢を挽回すべく懸命の努力をしていたが、事情があって残念ながら新兵器製造は中止した。実は御上(天皇)から強いお叱りを受けたのだ」。


◎概要
「自分としては猶予は赦されず、製造を急がせていた。そして完成すれば最初にハワイに落とし、その威力を示し、戦況を日本軍有利に導く計画であった」。

◎概要「日本が原爆開発を本格化させた段階で、当時首相だった東条英機がその旨を昭和天皇に上奏した。東条首相としては、『戦局は極めて困難な状況下にあり、起死回生の決定打として、天皇にお喜びいただけるものと思って申し上げた』のだが、昭和天皇は『意外に強い口調で反対された』」。


◎概要
「昭和天皇のご叱責は次のような観点からのものであった。『数カ国が、新兵器開発を競っているとのことだが、日本が最初に完成し使用すれば、他国も全力を傾注して完成させ使用するだろうから、全人類を滅亡させることになる。それでは人類滅亡の悪の宗家になるではないか。またハワイに投下する計画とのことだが、ハワイには、日本の同胞が多数移住し、現地アメリカ人民と共に苦労し、今日を築き上げたところだ。そのような場所に新兵器を製造することには賛成できない』」。


◎概要
「天皇陛下のそういう態度に接して、東条首相は、天皇陛下のご意志に反することは出来ないと尻込みし始めた。私は、敗戦となれば日本が滅びてしまい、全てをなくしてしまう。そう考えて製造促進を主張した。次のように述べた。『参謀総長の立場に在る者として日本を敗戦に導くことはできない。戦争とは結果に於いて勝利を導くことが肝要であり、今の日本は手段を云々できる時ではない。勝てば天皇にお喜び頂けるに違いない。そして天皇が希求される世界平和を実現できるではないか』。私はこういって東条首相を説得したが、結局同意は得られず、1944(昭和19).2月に参謀総長の座を東条に譲り、野に下った」。


◎概要
「ところが、同じ年の7月、東条内閣が総辞職して小磯国昭内閣が誕生し、私は再び陸軍大臣として入閣した。復帰した私は、秘密裏に再度原爆の開発を急がせることを決定したのだが、新兵器を積むロケットの燃料製造過程で誤爆事故が突発し、再び昭和天皇の知られるところとなった。天皇陛下に呼ばれた私は、『まだやっていたのか!』と強く叱責され、誠に面目なく、これ以上開発を進めることは出来なくなった」。


◎概要
「私は、日本が勝っても負けてもこの責任はとる覚悟だ。例え勝てたとしても天皇陛下の大御心を煩わせた罪は万死に価する。更に、多くの部下をしに至らしめた責任から逃れることはできない。ここで話した事は誰にも話さないでくれ給え。このことを知っている者は天皇陛下と東条と自分だ。いずれにしてもその時が来れば自決してお詫びする覚悟だ」。(杉山元帥は、杉山メモを残し、敗戦直後に自決した。そのメモには昭和天皇との原爆開発遣り取りの記載は無い)


これによれば、昭和天皇が、「人類滅亡の悪の宗家になる。人類滅亡の原因が我ら大和民族であってはならない」として原子爆弾の研究禁止を通告したことになる。これにより、軍部の核兵器研究は極度に内密に研究されて行くことになった。しかし、このことが昭和天皇に知れ渡り再度研究の禁止が通告されている。

広島、長崎に原子爆弾を投下された。昭和天皇は玉音放送の中で次のように抗議している。

「敵ハ新ニ残虐ナル爆弾ヲ使用シテ頻ニ無辜(むこ)ヲ殺傷シ惨害ノ及フ所真ニ測ルヘカラサルニ至ル而モ尚交戦ヲ継続セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招来スルノミナラス延(ひい)テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ斯(かく)ノ如クムハ朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子(せきし)ヲ保シ皇祖皇宗ノ神霊ニ謝セムヤ是レ朕カ帝国政府ヲシテ共同宣言ニ応セシムルニ至レル所以ナリ 」。

日本は、8月6日の広島市への原子爆弾投下、8月9日の長崎市への原子爆弾投下で被爆し、8月14日にポツダム宣言を受諾した(調印は9月2日)。敗戦後、GHQにより理化学研究所の核研究施設は破壊された。なお、この際に理研や京都帝大のサイクロトロンが核研究施設と誤解されて破壊されており、その破壊行為は後に米国の物理学者たちにより「人類に対する犯罪」などと糾弾されている(ただし、京都帝大のサイクロトロンの「ボールチップ」と呼ばれる部品は関係者の手で保管され、現在は京都大学総合博物館に収蔵されている)。その後、占領が終了するまで核分裂研究は一切禁止された。

「米国が日本を占領した直後にまず何をしたかと云えば、日本で行われている核研究に使われていた基礎的な実験装置をすべて破壊したことです。東大、京大、阪大、理化学研究所(理研)にあったこれらの装置の中には原子力開発とはあまり関係ない極めて基礎的な物理学の実験装置まで含まれていた。しかし、米国はそれらを全て破壊し、東京湾に沈めました。これが意味するのは、米国が日本に原子力研究を一切させないという意思表示でした」。

ニ号研究・F研究には当時の日本の原子物理学者がほぼ総動員され、その中には戦後ノーベル賞を受賞した湯川秀樹(F研究)も含まれていた。関係者の中からは、戦後に湯川を始め被爆国の科学者として核兵器廃絶運動に深く携わる者も現れるが、戦争中に原爆開発に関わったことに対する釈明は行われなかった。この点に関し、科学史を専門とする常石敬一は次のように批判している。

「少なくとも反核運動に参加する前に、日本での原爆計画の存在とそれに対する自らの関わりを明らかにするべきであった。それが各自の研究を仲間うちで品質管理をする、というオートノミー(自治)をもった科学者社会の一員として当然探るべき道だったろう」。

第二次世界大戦後の日本は、原子爆弾・水素爆弾などの核爆弾を含む核兵器を保有しておらず、開発計画もない。日本は国際原子力機関(IAEA)による世界で最も厳しい核査察を受け入れている国でもある(駐在査察官の人数も200人で最大)。2004年6月15日のIAEA理事会では日本の姿勢が評価され、「核兵器転用の疑いはない」と認定し、査察回数を半減する方針も明らかにされている。

1953.12.8日、アイゼンハワーアメリカ合衆国大統領が国連総会で「原子力の平和利用(Atoms for Peace)」と題する演説を行い、日本にも原子力を平和のために利用することの道が開かれてから、日本は原子力開発を非軍事に限定して積極的に行ってきた。理由は石油などのエネルギー源をほとんど海外に依存している事への危険感からである。
 1954年、初の原子力予算を成立させ、日本原子力研究所を設置した。これを皮切りに、複数の大学や民間企業が研究用原子炉を建設し、原子力発電を主目的として核技術の研究を再開した。更に核燃料サイクルの完成を目指して、高速増殖炉(常陽ともんじゅ)や新型転換炉(ふげん)、再処理工場(東海再処理施設と六ヶ所再処理工場)などの開発を積極的に行っている。この分野では核兵器非保有国の中で最も進んでおり、原料となる使用済み核燃料も大量に保有している。なお、原子力基本法では「原子力の研究、開発および利用は、平和目的に限る」と定められており、核燃料の供給国と結ばれた二国間の原子力協定でも、軍事転用や核爆発装置の開発が行われた場合の返還義務を明示している。

1969年、核拡散防止条約調印後、日本の外務省高官が西ドイツ外務省の関係者を箱根に招いて、核保有の可能性を探る会合を持っていた事実が明らかにされた(2010.10.3日、放映のNHKスペシャル「核を求めた日本」で、元外務事務次官の村田良平(2010.3月、死去)の証言その他による)。当時の佐藤内閣が、専門家の意見を集めた上で内閣情報調査室に極秘に核兵器の製造能力についての報告書を作成させていた事実も明らかにされた。報告書では外交・内政上の障害を理由に「有効な核戦力を持つには多くの困難がある」と結論づけていた。これらの背景には1964年に中国が核保有国となったことが挙げられている。

この報道を受けて外務省は、省内で調査をおこなった結果を同年11月29日に報告書として発表した。それによると、日本と西ドイツの外交当局者が1969年に「政策企画協議」を東京で開催した後に箱根で懇談した事実を確認し、「政策企画協議」自体は「自由な意見交換が目的で、政策の交渉や調整の場ではない」としたものの、西ドイツ側関係者の証言などに基づき、日本の核保有の可能性に関連する発言が「何らかの形でなされていた可能性を完全に排除できない」と結論づけている。


<了>










「理化学研究所コンツェルンと原子爆弾の開発・大河内正敏①」

2015-11-27 08:19:27 | 日本

鬼塚英昭 著『黒い絆 ロスチャイルドと原発マフィア』 より、要約し2回にわたり記す。



理研軍事コンツェルンとして知られる理化学研究所は、金沢藩典医の息子で、タカジアスターゼの発明者として世界的に著名な高峰譲吉博士が、アメリカでの見聞から国民科学研究所の必要性を提唱して誕生したものである。この構想が直ぐに実現したのは、第1次世界大戦が勃発した為、ヨーロッパからの輸入品が途絶して困り果て、戦争の為に国産技術の開発が急がれたからであった。

開戦翌年の1916年に総理大臣・大隈重信が発起人となって設立が始動すると、東北帝国大学の物理学教室内に「臨時の理化学研究所」を設置して研究を進めていた物理学教授・本多光太郎が、その年末に早くも大発明を成し遂げた。

磁石鋼の輸入が途絶えていたこの時、永久磁石として従来のタングステン鋼の4倍という世界最強の磁力を持つコバルト合金のKS磁石鋼を発明したのである。KSの名は、第3代住友財閥総理事・鈴木馬左也の仲介で、本多らの研究を資金面で支援した日本一の持丸長者、15代目・住友吉左衛門の頭文字から命名したものであった。

以来、日本はこれに続く三島徳七のニッケル合金によるMK鋼、本多グループによる新KS鋼と発明が続き、世界一の磁石を誇る国家となった。

翌1917年には、澁澤榮一を設立者総代として、創立委員に和田豊治(武藤山治と並ぶ紡績業界の巨頭)、『金色夜叉』大橋新太郎、物理学部長に長岡半太郎、化学部長に池田菊苗(味の素発明者)らが参加して、国家の研究開発組織として理化学研究所が設立された。

この翌年に設立されたのが、同じ和田豊治と大橋新太郎を専務理事としてスタートした日本工業倶楽部である。理研と工業倶楽部は、一方が国家、一方が民間によって運営される兄弟であった。理研は国家ぐるみの機関であるから、大企業及び大学と連携して、いわば日本の天才を結集した組織となり、次々と発明発見が成された。

文部大臣だった菊池大麓が理研の初代所長に就いた。

菊池大麓は時代からの名門学者一族・箕作家(みつくりけ)の出だが、文部大臣となるや、巧みに仕組んだ教科書疑獄事件によって、文部省が教科書の記述内容を管理し、道徳教育を狙って国定教科書制、つまり今日の教科書検定制度の基を生み出した人物である。

従兄弟の箕作麟祥(みつくりりんしょう)の女婿が、土星型原子モデルを提唱した世界的物理学者・長岡半太郎であった。

長岡半太郎は本多光太郎と共に、第1回文化勲章を受ける。半太郎の息子・正男は戦時中に軍需産業として日本最大の光学兵器メーカーだった日本光学工業に入り、戦後に社長となって、カメラメーカーのニコンを育てた人物である。

2代目所長は、朝鮮の京釜鉄道を完成した古市公威(ふるいち こうい・近代日本土木工学の父)である。


☆大河内正敏
1921年に、その後を継いで3代目所長に就任した大河内正敏〔戦後、A級戦犯として巣鴨拘置所に収監。保釈後、公職追放。大多喜天然瓦斯の創業者〕は、理研創立に参加した人物だが、ここから理研の性格が一変した。ここまで登場した人物とは全く異なるのが、コンツェルン総帥となった大河内の出自であった。

大河内家は、徳川家康と遠祖を同じくする松平家の後裔に当る。上総(かずさ)大多喜藩(千葉県大多喜町)の最後の藩主で、幕末に老中を務め、戊辰戦争で幕府の軍事指揮官を務めた大河内正質の息子が、理研の所長・大河内正敏であった。

正敏本人は、愛知県三河吉田藩主の世嗣(せいし)であった。そのような徳川譜代の名門であるから、正敏の妹は、1908年の長者番付で最上位の大関、資産額では全国8位という銘酒白雪醸造元の小西新飢右衛門に嫁いでいた。

因縁ながら、この小西家が、公家の近衛家の資金源であった。大河内と同時代に総理大臣として登場する近衛文麿〔日本放送協会の第2代総裁として戦前のラジオを独占、ナチスのプロパガンダ放送同様、ラジオ放送を戦意高揚に巧みに利用した人物〕の生家である。

大学を卒業後にドイツ・オーストリアに留学した大河内正敏は、東京帝国大学の兵学科の教授となり、理研の運営を任されると、1927年、昭和2年恐慌の年に、理研を純粋な研究開発機関から、理研自身がその発明発見を事業化して利益を上げる商業組織に切り換えた。

ビタミンBの発見者として、また蛋白質研究の第1人者である鈴木梅太郎(1874-1943)が人造清酒の醸造に成功したのも理化学研究所であった。理研は満鉄、住友、古河らと共同で事業を興しながら、直系23社の他、満州特産工業など傍系8社を支配して、コンツェルンと呼ぶに相応しい大組織となった。

陸軍大臣・東條英機の同意を得て、安田武雄中将が大河内所長に秘密研究を依頼し、仁科芳雄博士のもとで、博士の名を取って「ニ号研究」が開始されたのは、真珠湾攻撃開始のほぼ半年前のことであった。

この原爆製造研究は、アメリカのマンハッタン計画と比較にならない粗末なものだったが、少なくとも日本が、理論的にはその新兵器の可能性を知り、開発に取り組んでいたということだ。

戦前、軍部には二つの原子爆弾開発計画が存在していた。陸軍の「ニ号研究」(仁科の頭文字より)と海軍のF研究(核分裂を意味するFissionの頭文字より)である。これを確認する。


◎陸軍のニ号研究・F研究の経緯

1938年、ウラン鉱山の開発が行われる。
1940年、理化学研究所の仁科芳雄博士が安田武雄陸軍航空技術研究所長に対して「ウラン爆弾」の研究を進言したといわれている。研究には理化学研究所の他に東京帝国大学、大阪帝国大学、東北帝国大学の研究者が参加した。
1941.4月、陸軍航空本部は理化学研究所に原子爆弾の開発を委託した。
1942年、アメリカ合衆国によるマンハッタン計画が開始される。
1943.1月、同研究所の仁科博士を中心にニ号研究が開始された。この計画は天然ウラン中のウラン235を熱拡散法で濃縮するもので、1944.3月に理研構内に熱拡散塔が完成し、濃縮実験が始まった。ニ号研究に投入された研究費は、当時の金額で約2000万円であった。ちなみに、アメリカのマンハッタン計画には、約12万人の科学者・技術者と約22億ドル(約103億4千万円、当時の1ドル=4.7円)が投入されている。


◎海軍のF研究の経緯

1941.5月、京都帝国大学理学部教授の荒勝文策に原子核反応による爆弾の開発を依頼したのを皮切りに、1942年には核物理応用研究委員会を設けて京都帝大と共同で原子爆弾の可能性を検討した。こちらは遠心分離法による濃縮を検討していた。

当時は岡山県と鳥取県の県境に当たる人形峠にウラン鉱脈があることは知られておらず、1944年から朝鮮半島、満洲、モンゴル、新疆の地でもウラン鉱山の探索が行われたが、はかばかしい成果がなかった。同年12月に日本陸軍は福島県石川郡石川町でのウラン採掘を決定、1945年4月から終戦まで旧制私立石川中学校の生徒を勤労動員して採掘させた。しかし、そこで採掘される閃ウラン鉱・燐灰ウラン石・サマルスキー石等は、ごく少量であり、ウラン含有率も少ないものであった。一方、日本海軍は、中国の上海におけるいわゆる闇市場で130kgの二酸化ウランを購入する。

当時、チェコのウラン鉱山がナチス・ドイツ支配下にあったので、ナチス・ドイツの潜水艦(U-234)による560kgの二酸化ウラン輸入も試みられたが、日本への輸送途中でドイツの敗戦となり、同艦も連合国側へ降伏してしまった。こうして、どちらにせよ原子爆弾1個に必要な臨界量以上のウラン235の確保は絶望的な状況であった。

また、技術的には、理化学研究所の熱拡散法はアメリカの気体拡散法(隔膜法)より効率が悪く、10%の濃縮ウラン10kgを製造することは不可能と判断されており、京都帝国大学の遠心分離法は1945年の段階でようやく遠心分離機の設計図が完成し材料の調達が始まった所だった。
 原爆の構造自体も現在知られているものとは異なり、容器の中に濃縮したウランを入れ、さらにその中に水を入れることで臨界させるというもので、いわば暴走した軽水炉のようなものであった。濃縮ウランも10%程度ものが10kgで原爆が開発できるとされており、理論自体にも問題があった。しかし、1999年9月の東海村JCO臨界事故は、この構造で爆弾にはならないが、殺傷可能な兵器になることの悲しい証明となった。

1945.5.15日、アメリカ軍による東京大空襲で熱拡散塔が焼失したため、研究は実質的に続行不可能となった。その後、地方都市(山形、金沢、大阪)での再構築をはじめたが、同6月に陸軍が研究を打ち切り、7月には海軍も研究を打ち切り、ここに日本の原子爆弾開発は潰えた。原爆投下の直後の1945年8月14日のポツダム宣言受諾時、日本の原爆開発は最も進んだところでも結局は基礎段階を出ていなかった。









「大河内正敏とは、」

2015-11-26 08:24:35 | 日本

大河内 正敏(おおこうち まさとし)1878年12月6日生~1952年8月29日没(満73歳)身長は180センチ。東京府出身。子爵。東京帝国大学工学部卒業。勲二等旭日章。東京帝国大学教授工学博士(造兵学、弾道学)。貴族院議員。理化学研究所の3代目所長。理研産業団の創設。物理学者であり実業家である。子は大河内信定、大河内信敬。孫は女優の河内桃子。無名時代の田中角栄を引き立てたことでも知られる。

大河内正敏は「人を見る眼が特に秀でて、偽物は直ちに見破られ真面目な研究者をよく保護育成」した。


◎来歴・人物

旧上総大多喜藩主で、子爵大河内正質の長男として東京浜松町に生まれた。のち旧三河吉田藩の子爵大河内家の養子となり、最後の藩主・大河内信古の娘を妻に迎える。学習院初等科時代は、大正天皇の御学友であった。慶應義塾幼稚舎、学習院初等科、第一高等中学校を経て、東京帝国大学工学部造兵学科に入学。

1878年(明治11年)生
1903年(明治36年)東京帝大を首席卒業、講師となる。その後私費でヨーロッパに留学。
1911年(明治44年) 帰国後、東京帝大教授に就任。
この頃寺田寅彦と共同で飛行弾丸の流体的な実験を行う。
1914年(大正3年)工学博士となる。
1915年(大正4年)2月27日 貴族院子爵議員補欠選挙で初当選。
1918年(大正7年) 原内閣の海軍省政務次官。
1921年(大正10年)9月30日 山川健次郎(東大総長)の推薦により、理化学研究所の所長に登用される。
理研に主任研究員に自由をもたせる研究室制度を導入するとともに、研究成果の事業化を進め、理研を国際的な研究機関にまで育て上げた。
1925年(大正14年)東大教授の職を辞し理研の所長職に専念。
1925年(大正14年)6月15日 正三位となる。
1927年(昭和2年)ピストンリングに関する研究成果の事業化を目的に理化学興業株式会社(後のリケン)を設立、同社は日本で初めて実用ピストンリングの製造を開始。
その後も76におよぶ理研グループ(理研産業団)の会社を興し、理研産業団を新興財閥の一角を占めるまでに成長させる。
1930年(昭和5年)4月1日 勲四等に叙され、瑞宝章を授けられる。
1930年(昭和5年)7月19日 貴族院議員を辞職。
1934年(昭和9年)4月2日 東京物理学校(東京理科大学の前身)第4代校長となる。
1936年(昭和11年)5月 東京物理学校理事長を兼務。
1937年(昭和12年)9月 東京物理学校理事長を辞する。
1938年(昭和13年)2月10日 貴族院子爵補欠議員選挙で当選[2]。
1943年(昭和18年) 内閣顧問に就任。
1945年(昭和20年)12月6日 軍需産業、内閣顧問、原爆製造計画の責任により、戦争犯罪人としてA級戦犯に指名される。
1945年(昭和20年)12月13日 巣鴨拘置所に収監される。
1945年(昭和20年)12月25日 東京物理学校校長を辞する。
1946年(昭和21年)4月 釈放。
1946年(昭和21年)4月7日 貴族院議員を辞職。
1946年(昭和21年)10月 理化学研究所所長を辞任。
理化学研究所所長を辞任するまで、理研グループ企業の特許使用料で広い分野の研究者たちの自由な研究を支えた。
所長辞任後に 公職追放となる。
1951年(昭和26年)8月6日 公職追放を解かれる。
1952年(昭和27年)8月29日 脳梗塞で死去、享年73。勲二等に叙され、旭日重光章を追贈される。
墓所は、埼玉県新座市の平林寺(松平信綱以来の菩提寺)













「三島由紀夫について」

2015-11-25 07:55:12 | 日本

三島由紀夫(みしまゆきお)1925年(大正14年)1月14日~ 1970年(昭和45年)11月25日。戦後の日本文学界を代表する作家の一人。

1970年11月25日、自衛隊の市ヶ谷駐屯地で東部方面総監を監禁。その際に幕僚数名を負傷させ、部屋の前のバルコニーで演説してクーデターを促し、その約5分後に割腹自決を遂げた。この一件は世間に大きな衝撃を与えた。


『生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか・・・。われわれは四年待った。最後の一年は熱烈に待った。もう待てぬ。自ら冒涜する者を待つわけには行かぬ。しかしあと三十分、最後の三十分待とう・・・』


代表作は小説に『仮面の告白』『潮騒』『金閣寺』『豊饒の海』四部作など。戯曲に『鹿鳴館』『近代能楽集』『サド侯爵夫人』など。人工性・構築性にあふれる唯美的な作風が特徴。

2014年(平成26年)1月2日にノーベル財団から発表された資料により、三島由紀夫が1963年のノーベル文学賞の有力候補6人の中に入っていたことが明らかになった。
三島は「技巧的な才能」に注目され、受賞に非常に近い位置にいた。なお、6人の中には、サミュエル・ベケットらがおり、三島由紀夫の他に谷崎潤一郎、川端康成らも名を連ね、日本人4人が候補となっていた。


「武」とは花と散ることであり、「文」とは不朽の花を育てることだ。

死は行為だが、これほど一回的な究極的な行為はない。

行動家の世界は、いつも最後の一点を附加することで完成される環を、しじゅう眼前に描いているようなものである。

初恋に勝って人生に失敗するというのは良くある例で、初恋は破れるほうがいいと言う説もある。

初めから妥協を考えるような決意というものは本物の決意ではないのです。

男の虚栄心は、虚栄心がないやうに見せかけることである。

秘密は人を多忙にする。怠け者は秘密を持つこともできず、秘密と付合うこともできない。

言論の底には血がにじんでいる。

純粋性には、一寸ゆるめるということはありえません。

人間の弱さは強さと同一のものであり、美点は欠点の別な側面だという考えに達するためには、 年をとらなければならない。

小心で優柔不断らしい女が、男を不幸にしている。

現実というものは、袋小路かと思うと、また妙な具合にひらけてくる。

守るという行為には、かくて必ず危険がつきまとい、自己を守るのにすら自己放棄が必須になる。

世の中でいちばん平凡なことが、いちばん奇跡的なのだ。

この世のもっとも純粋な喜びは他人の幸福を見ることだ。

愛するということにかけては、女性こそ専門家で、男性は永遠の素人である。

美というものは本来微妙な均衡の上にしか成立しない。

この世には幸福の特権がないように、不幸の特権もないの。

衝動によって美しくされ、熱望によって眩ゆくされた若者の表情ほどに、美しいものがこの世にあろうか。

目に見えるものがたとえ美しくても、それが直ちに精神的な価値を約束するわけではない。

悲しみとは精神的なものであり、笑いとは知的なものである。











「頑張れない部下のやる気を上げるカウンセリング技法」

2015-11-24 08:29:08 | 日本

藤田耕司さんが「頑張れない部下のやる気を上げるカウンセリング技法」を教える。



 私は大人数で飲むことよりも2人で飲むことの方が多い。2人で飲みに行くと複数人で飲みに行った時には聞けないような深い話がよく聞ける。

特に「あの出来事があって自分は変わった」というような自分の生き方を変えるきっかけとなったことの話を聞くのが好きだ。

◎若者を変えた優しい祖母の一言

高校時代、部活に熱中していてあまり勉強はしなかった。部活を引退後も勉強に身が入らず集中力も散漫で、ずるずると大学を受験した結果、どこの大学も受からなかった。

働きに出ている両親に代わって自分を育ててくれた祖母にその結果を伝えた。穏やかで優しい祖母は、その結果を聞くと目を真っ赤にして、震える声で「よく頑張ったな。つらかったな」と自分を励ましてくれた。

祖母が泣く姿を初めて見た。「よく頑張ったな。つらかったな」。そう言われ、情けない気持ちと後ろめたい気持ちでいっぱいになった。

頑張ったなんてとても言えない。もう二度とばあちゃんを泣かしてはいけない。その思いで一念発起し、浪人生活を始めた。そして、猛勉強の末、翌年、第1志望の大学に合格した。

給料のほとんどは売り上げに連動して支給される会社で営業マンとして働いていた。朝から晩まで歩き回って頭を下げて回るも、契約が取れないため給料はかつかつ。

家族を養うのも危うい状態で、経済的にも精神的にも追い詰められていた。今の自分の歳を考えると転職も厳しい。悲壮感が漂う自分を会社の同僚たちは次第に避けるようになっていた。

そんな時、上司から呼び出された。体育会系の兄貴肌の上司だった。自分のふがいない成績を見て、一喝されるかと思いきや、上司はこう言った。

 「実はな、ここだけの話、俺も昔は売り上げが上がらなくて大変な思いをしたのよ。だから、今のお前の気持ちはよく分かる。確かに結果は出てないけど、でもお前が一生懸命頑張ってるのは俺もよく分かってるんだよ」

 結果を残せていないにもかかわらず、上司は自分が頑張っていることを認めてくれた。嬉しかった。と同時に、結果を出せていないことの情けなさと上司に対する申し訳なさがこみ上げてきた。

そしたら涙がぽろぽろこぼれてきた。一喝されるよりもはるかに心にスイッチが入った。それ以後、高い結果を出している同僚に頭を下げて営業の教えを請うて回った。


◎共感が安心と勇気を与える

恥も外聞もなく、がむしゃらだった。そして、今では毎年表彰されるほどの成績を残すようになった。

共感は人に安心と勇気を与える。共感はカウンセリングの基本でもある。
本気で相手と向き合い、しっかりと共感しながら話を聞くことによって、相手は心を動かされ、時に涙することさえある。

プロのコーチやカウンセラーは深く話を聞くための準備として、クライアントの感情にしっかりと寄り添い、同じ目線に立ち、クライアントが人には言えないことでも言えるような「場」を作る。

問題の本質を探る前に、まず「あなたの気持ちは分かる」「私はあなたの味方だよ」「大丈夫だよ」といった安心感を与える。

安心感が与えられると、クライアントは次第に心のガードを解く。その後、心の中のわだかまりを引き出せるようにクライアントに優しく問いかけ、話してくれた言葉の一つひとつを噛みしめるように受け止める。

そうやってクライアントの心はだんだんとほぐれていく。心はほぐれると弾力性を帯び、活力を取り戻す。

パフォーマンスが低い部下に対して、「もっと頑張れ!」「こんな成績でどうするんだ!」と叱ることが必要な場合がある。

しかし、いくら叱っても部下が心をがちがちにガードしている状態では、その言葉は相手の心の奥に届かない。

言葉が心の奥に届かなければ部下の行動や考え方を根本的に変えることはできない。心のガードを解いてもらうためには相手と同じ目線に立ち、共感することが必要になる。

「頑張れ」と言う前に「よく頑張ったな」とこれまでの労をねぎらい、「こんな成績でどうするんだ!」と言う前に「お前が大変なのは俺もよく分かる」と部下の苦悩を理解する。


◎心のガードを解いてやる

こういった共感が相手に安心感を与え、心のガードを解いていく。ノーガードの状態で言われた言葉は心の奥に届き、それがたった一言であったとしてもズシンと心に響く。

何も言わなくとも共感を示すだけで、部下は勇気とやる気を取り戻すことだってある。そして、この人のためならと奮起できる。

先にご紹介したエピソードにおいて、大学に受からなかった報告をした際に祖母から叱られたとしたら、果たして一念発起できただろうか。

成績のふがいなさを上司からただただ叱責されていたら、恥も外聞もなくがむしゃらになるほどの奮起ができただろうか。
いずれの場合も、相手が自分の気持ちを理解し、共感してくれたことで、勇気とやる気が湧き、奮起することができている。

同じ叱るにしても味方になってから叱った方が敵として叱るよりもはるかに相手を動かす力を持つ。

「この上司は自分の気持ちを分かってくれる」
 そういう気持ちを抱くことができれば、部下は大きな安心感と勇気を持って仕事に臨める。

できていないところを見つけて「もっと頑張れ」と言う代わりに、できているところを見つけて「よく頑張ったな」と声をかける。そんなやりとりが部下を奮起させ、人生を変えることだってある。

人の人生を変えるほどの影響力――。それは相手の気持ちを理解しようとすることなくして得られる力ではないだろう。









「ヨハネの黙示録と最後の審判」

2015-11-23 09:54:02 | 日本

滝沢泰平さん、天下泰平のブログ「ヨハネの黙示録と最後の審判」について、考察する。
以下、要約し記す。



◎6.天の戦い、地における獣の増大、地の刈り入れ(12章-14章)

1.女を見た。太陽を着て、月を踏み、12の星をかぶる(12:1-6)
2.天で戦いが起こった。サタンが地に投げ落とされる(12:7-12)
3.赤い竜が神の民を迫害する(12:13-17)
4.獣が神の民と戦うために海の中から上ってくる。いのちの書に名が記されていないものはこれを拝む(13:1-10)
5.獣が地から上ってくる。獣の刻印を付ける (13:11-18)
6.エルサレムのシオンの山の子羊(14:1-5)
7.三人の天使が裁きを宣言する(14:6-13)
8.鎌が地に投げ入れられる(14:14-20)


◎ヨハネの黙示録(第12章)

【また、大いなるしるしが天に現れた。ひとりの女が太陽を着て、足の下に月を踏み、その頭に十二の星の冠をかぶっていた。

この女は子を宿しており、産みの苦しみと悩みとのために、泣き叫んでいた。
また、もう一つのしるしが天に現れた。見よ、大きな、赤い龍(りゅう)がいた。それに七つの頭と十の角とがあり、その頭に七つの冠をかぶっていた。

その尾は天の星の三分の一を掃き寄せ、それらを地に投げ落した。龍は子を産もうとしている女の前に立ち、生れたなら、その子を食い尽そうとかまえていた。

女は男の子を産んだが、彼は鉄のつえをもってすべての国民を治めるべき者である。この子は、神のみもとに、その御座(みざ)のところに、引き上げられた。

女は荒野へ逃げて行った。そこには、彼女が千二百六十日のあいだ養われるように、神の用意された場所があった。

さて、天では戦いが起った。ミカエルとその御使(みつかい)たちとが、龍と戦ったのである。龍もその使たちも応戦したが、勝てなかった。そして、もはや天には彼らのおる所がなくなった。

この巨大な龍、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれ、全世界を惑わす年を経たへびは、地に投げ落され、その使たちも、もろともに投げ落された。

その時わたしは、大きな声が天でこう言うのを聞いた、

「今や、われらの神の救と力と国と、神のキリストの権威とは、現れた。
われらの兄弟らを訴える者、夜昼われらの神のみまえで彼らを訴える者は投げ落された。

兄弟たちは、小羊の血と彼らのあかしの言葉とによって、彼にうち勝ち、死に至るまでもそのいのちを惜しまなかった。

それゆえに、天とその中に住む者たちよ、大いに喜べ。

しかし、地と海よ、おまえたちはわざわいである。

悪魔が、自分の時が短いのを知り、激しい怒りをもって、おまえたちのところに下ってきたからである」。

龍(りゅう)は、自分が地上に投げ落されたと知ると、男子を生んだ女を追いかけた。
しかし、女は自分の場所である荒野に飛んで行くために、大きなわしの二つの翼を与えられた。そしてそこでへびからのがれて、一年、二年、また、半年の間、養われることになっていた。

へびは女の後に水を川のように、口から吐き出して、女をおし流そうとした。
しかし、地は女を助けた。すなわち、地はその口を開いて、龍が口から吐き出した川を飲みほした。

龍は、女に対して怒りを発し、女の残りの子ら、すなわち、神の戒めを守り、イエスのあかしを持っている者たちに対して、戦いをいどむために、出て行った。
そして、海の砂の上に立った。】


※泰平
ヨハネの黙示録の12章は、女性と太陽と月、それに赤い龍などが登場するが、これは2015年10月の天体の配置図を表現した内容であり、人間の女性の影を今月の天体図に貼り付け、太陽や月の位置、また火星や龍座の位置などを照らし合わせると12章の物語の謎が少し解けるようである。

そうすると、今は聖書の最終章であるヨハネの黙示録のちょうど中間地点までやって来ているわけであり、最後の審判の前に聞こえる有名な『天使のラッパ』が鳴り響く時期もすでに終わったことになる。

この天使のラッパは、ヨベルの年の「大贖罪日(9/23)」の聖なる日に吹かれるラッパであるとも考えられていたが、実はこの辺の時期には、イスラエルにいなくとも、不思議と“ラッパ”の音を聞いている人がいたようである。

それは現実的に楽器のラッパの音を聞いたわけではなく、別次元から聴こえてくるラッパの音であり、まるで耳鳴りのような音が一定時間消えずに聴こえてくるような現象が各地で起こっていたようである。

これは、目に見えない世界やエネルギーなどに敏感に反応する人々が同じ音を聞いていたことからも、単なる幻聴や耳鳴りではなく、どうやら“この世界の周波数が変化している音”である可能性があり、いわゆる次元上昇と言われる現象が実際に起こり始めているように思える。

つまり、黙示録における「天使のラッパ」とは、この世界を構成している周波数が変化する音であり、微細で高周波なエネルギー空間へと地球自体が変化していて、その中で人々の周波数も変化しているのだと思う。

この世界そのものが高次元へとシフトしていくと、その過程においては低次元の存在は淘汰されていく可能性があり、そういった意味で旧時代、旧世界の産物の中には崩壊するものが出てくるのかもしれない。

もちろん、聖書を含めたあらゆる予言の中には、その旧時代の産物の中に“人類”も入っており、人々も魂を磨いて周波数を変化させないと、変化の波についていけずに淘汰される「最後の審判」が警告されている。日月神示などは、その象徴的な予言書かもしれない。


◎「日月神示」(上つ巻第一帖)

「富士は晴れたり、日本晴れ。神の国のまことの神の力をあらはす代となれる。仏もキリストも何も彼もはっきり助けて、しち難しい御苦労のない代が来るから、みたまを不断に磨いて一筋の誠を通してくれよ。

いま一苦労あるが、この苦労は身魂をみがいて居らぬと越せぬ、この世初まって二度とない苦労である。このむすびは神の力でないと何も出来ん、人間の算盤では弾けんことぞ。日本はお土が上がる、外国はお土が下がる。都の大洗濯、鄙(田舎)の大洗濯、人のお洗濯。今度はどうもこらへてくれというところまで、後へひかぬから、そのつもりでかかって来い。神の国の神の力を、はっきりと見せてやる時が来た。

嬉しくて苦しむ者と、苦しくて喜ぶ者と出て来る。神は神の国、神の力でないと何にも成就せん。人の力で何が出来たか、みな神がさしているのだ。いつでも神かかれるように、綺麗に洗濯しておりてくれよ。戦は今年中と言っているが、そんなちょこい戦ではない、世界中の洗濯ざから、いらぬものが無くなるまでは、終らぬ道理がわからぬか。臣民同士のいくさでない、カミと神、アカとあか、ヒトと人、ニクと肉、タマと魂のいくさぞ。

己の心を見よ、戦が済んでいないであろ、それで戦が済むと思うているとは、あきれたものぞ、早く掃除せぬと間に合わん、何より掃除が第一。さびしさは人のみかは、神は幾万倍ぞ、さびしさ越へて時を待つ。神が世界の王になる、てんし様が神と分らん臣民ばかり。口と心と行と、三つ揃うたまことを命(みこと)というぞ。神の臣民みな命(みこと)になる身魂、掃除身魂結構。六月の十日、ひつくのかみ。」


※泰平
ということで、この秋から来年以降にかけて黙示録も後半へと入るわけだが、次の7番目の物語は《7.最後の七つの災い 神の怒りが極みに達する(15章-16章)》という天災・人災などのオンパレードとなっている。

個人的には「4.第四の鉢:人間が太陽の火で焼かれる。それでも神を冒涜し、悔い改めない(16:8-9)」と出てくる“太陽の火”は、原発や原爆を象徴しているような気がしており、まだこの先にも原発事故や核戦争が起こりそうな予感を感じさせる。

その次の《8.大淫婦の裁きとバビロンの滅亡(17章-18章)》に出てくる“バビロン”とは、今の世界を支配する都(国)とも言われており、これはアメリカなのか、バチカンなのか、はたまたそれ以外の陰の都なのかわかりませんが、これまで世界を牛耳っていた中枢地域が滅亡することが予言されている。

とはいえ、これらは割とストレートに黙示録を解釈したものであり、黙示録に隠された暗号は何通りもあって奥が深いものだとは思うが、1つの参考としては興味深い見解だとは思う。

実際は、あと1年で最後の審判も起こって黙示録が終わり、救世主の到来と共に聖書の物語が完全に終了するとは思えませんが、これから2020年頃に向けての数年の間は新時代への切り替えのため、様々な面で大きな変化が生まれる時期が続いていくように思える。

その過程において、経済の仕組みが少しずつ変わったり、宗教が1つに統合されていく、また国境や人種というあり方も変化していくと思うが、その中で日本の役割というものが大事な時期に入ってくるとも思う。










「アルガン油とは、」

2015-11-22 07:07:09 | 日本

アルガン油(アルガンゆ、Argane oil)は、モロッコ原産の植物油。アルガンオイル。

アカテツ科の広葉常緑樹アルガン(Argania spinosa)の種子から採取される油。硬い種子を石で割り、ペースト状にすり潰してから搾油するという、非常に手間が掛かる工程を経て製造される。かつては家内制手工業で限定的に生産されてきたが、消費量が拡大するにつれ、アルガンの自生地であるモロッコ南西部のアガディールを拠点とした生産組合が増加している。


◎用途
モロッコのベルベル人の間では、クスクスなどに用いる食用油、またスキンケアなどに用いる薬用、化粧用の油として利用されてきた。20世紀後半、ビタミンEの含有量や不飽和脂肪酸量が評価され、化粧品用の基油または油を直接利用されるようになった。













「黒しょうが(黒生姜)の効用」

2015-11-21 08:50:18 | 日本

黒しょうが(黒生姜)とは、東南アジアのタイ、ラオスの熱帯原生林地帯原産の天然ハーブの一種である。ショウガ科の植物で、原生林の中に自生している。
黒しょうが(黒生姜)とは言っても、よくスーパーで目にする生姜とは成分が違う。

タイでは「クラチャイダム」と呼ばれおり、日本では「黒ウコン」とも呼ばれているが、正式名称と言われれば、「クラチャイダム」になる。

黒しょうが(黒生姜)の特徴は、独特の香りや苦味が強い。根を切ってみると紫色をしている。

タイでは1000年以上の歴史を持つ天然の健康食材であり、お酒に黒しょうが(黒生姜)を漬けたものを飲んだり、スライスしたものを煎じて飲んだりして、昔から元気の源の滋養強壮をして親しまれていた。

黒しょうが(黒生姜)の効果は、精力増進、性機能の改善に効果があるほか、疲労回復、肝臓の強化、血糖値を下げる、免疫力を高めるなどといった老化防止や美肌効果まで、人間が健康な生活を維持するために必要な効果を発揮してくれる。

黒しょうが(黒生姜)には、血管拡張作用がある必須アミノ酸やアルギニンという成分を多く含むだけでなく、細胞の 代謝に必要なアミニ酸を各種含んでいるので、ダイエット効果もある。

黒しょうが(黒生姜)の成分には、アミノ酸、ミネラル、ビタミンなどいろいろな成分がバランスよく含まれており、その中でもアルギニンや亜鉛、ポリフェノールといった成分が注目されている。強い抗酸化作用を持っているのが、一般的なウコンとの違いである。


中でも代表的な成分の効果・効能は、

◎アルギニン
黒しょうが(黒生姜)に含まれる「アルギニン」は、アミノ酸の一種で、血管を拡げて血流をスムーズにする効果がある。血流が良くなることから、冷え性に対する効果をはじめ、代謝を促進することで脂肪を減らす働きも期待することができる。さらに、血圧を下げたり、EDを改善する効果も期待できるとされている。
アルギニンは成人男性には欠かせない精力増強成分の一つだが、疲労回復や老化予防にも効果があり、若返り効果もありますので美肌効果も期待できる。

◎アスパラギン酸
黒しょうが(クラチャイダム)に含まれる「アスパラギン酸」は、タンパク質を代謝してエネルギーとしたり、毒素を体外に胚珠する津働きがある。さらに、ストレスに対する抵抗を高め、疲労回復効果もあるとされている。

◎アントシアニン
黒しょうが(クラチャイダム)に含まれる「アントシアニン」は、ポリフェノールの一種で、眼精疲労や視力改善に即効性があるとされている。抗酸化作用が高いため、生活習慣病の予防にも効果が期待できる。

◎クルクミン
黒しょうが(黒生姜)には、「クルクミン」という成分が含まれている。
クルクミンは、ポリフェノールの一種として知られ、肝臓の働きを助ける効果やコレステロールを低下させる効果があるとされている。アルコールを分解する働きがあるため、二日酔い対策にもなる。




















「試み」

2015-11-21 08:49:24 | 日本

松本守正さんのブログ「試み」について記す。


何事かを試みて失敗する者と何事も試みないで成功する者との間には
測り知れない相違がある。
何度失敗してもいい。
悩み 工夫し 何度でも試みることが大切なのだ。
その先に 必ず明るい未来が待っているのです。









「異質との出会いと調和」

2015-11-21 08:48:31 | 日本

菅家一比古さんから「言霊の華」第三五三号が届いた。
以下、要約し記す。



◎人間成長の要

夫は暑い暑いと言ってエアコンをつけまくる。妻は寒い寒いと言って消しまくる。
夫は暗いのはイヤだと言って電気をつけまくる。妻は電気代が勿体無いと消しまくる。
妻は身体の為だと言って山盛サラダ、野菜づくしの料理を出してくる。俺は山羊ではないぞと「メェ~イ、メェ~イ」言いながら口、運ぶ。
妻、水道代が勿体無いと湯量(風呂)四分目。夫、タップリ目が好きだと七分目。夫は妻を「小市民」と決めつける。

実はこれ、我が家の日常風景です。一見対立しているかのように見えるが、全く違っていて、相(あい)補っている相補関係なのである。「世界」が違っていていいのである。

「異質」を避けていたり、嫌っているだけでしたら調和力が身に付かない。そして人間成長など望めない。違えば違う程、面白いもの。自分の足りないところを実に教えられる。

現在(いま)人気のTBSの番組「下町ロケット」では、佃製作所の佃社長(阿部寛)が多くの社員の反対や抵抗を、短気を起こさず辛抱強く乗り越えている。やがてその熱意は社員どころか、大手の取引先になるであろう大企業の社員たちまで巻き込んでいった。

社員にとっても佃社長は「異質」である。それを乗り越えた社員たちや、反抗ばかりしていた娘も人間成長を遂げることができた。一人のひとを受け容れることにより、多くの異質を受け容れる器が準備される。

「いまのあなたが丁度いい」「いまの妻(夫)で丁度いい」「いまの社員(社長)で丁度いい」

全く私に合った丁度いい妻がいたもんだ! と諦めるしかない、感謝の毎日である。(笑)