龍の声

龍の声は、天の声

「海賊とよばれた男 出光佐三とは、②」

2014-09-30 12:18:01 | 日本

「出光佐三の大恩師 日田重太郎とは如何なる人物なのか?」

出光佐三の大恩師 日田重太郎とは、高等遊民である。
高等遊民とは、明治時代から昭和初期の近代戦前期にかけて多く使われた言葉であり、大学等の高等教育機関で教育を受け卒業しながらも、経済的に不自由がないため、官吏や会社員などになって労働に従事することなく、読書などをして過ごしている人のことである。
だが日田重太郎は、たんなる高等遊民ではない。筋金入りの高等遊民である。日田重太郎は、出光が苦境に見舞われるたびに叱咤激励し「絶対に諦めるな。もし失敗してすべてを失えば、一緒に乞食をしようじゃないか!」と。以下、出光佐三と日田重太郎の深い深い、人間模様を学ぶ。


出光佐三は1885年、福岡県の宗像市に生まれた。
福岡商業高校を3位の成績で卒業し、一高等のナンバースクールに次ぐ神戸高商に入学したエリートであった。にもかかわらず、卒業後、丁稚奉公の道を選んだ。優良な大企業に就職してゆく学友は「おまえは学校の面汚しだ。」と罵倒した。しかし、将来独立を考えていた佐三は気にしなかった。仕事の基礎を一から覚え、人間の基本を叩き込むのは丁稚が一番手っ取り早いと考えたからである。

そんな一風変わった佐三を神戸商高時代から一廉の男と目を付けていた人物がいた。息子の家庭教師を頼んだことが縁で知り合った日田重太郎である。日田は徳島、淡路島、神戸などに土地を持つ資産家であった。若くして実家近くの宗像大社や神様を崇敬し、エリートの神戸商高出身にも関わらず丁稚を就職先に選ぶユニークさに惚れ込み、丁稚をしている佐三のところへ度々訪ねるという熱の入れようであった。最高学府を出ながら、前垂れのはっぴ姿で自転車に乗って集金に駆け回る潔い佐三の姿に大きな可能性を感じていたのかもしれない。

齢を重ね、佐三25歳の頃、藍物問屋を営んでいた佐三の実家の家業が傾き、苦しい生活を強いられるようになった。家族の為に、と佐三は独立を決意したものの、資金の当ては無かった。そんな佐三を見て、日田重太郎は出資を申し出たのである。その額は6千円。現在の8千万から9千万円という大金であった。しかも、「この金は貸すのではなく、もらってくれ」と申し出た。

さらに、日出は資金を提供する際、以下の3つの不可思議な条件を付けた。

一、従業員を家族と思い、仲良く仕事をしてほしい。
二、自分の主義主張を最後まで貫いてほしい。
三、私がカネを出したことを人に言うな。

日田の支援を受け、佐三は船がその帆いっぱいに風を受けて走り出すかのように一生懸命働いた。商売においてはフェアプレーにこだわり、袖の下(リベート)を要求する顧客には、「そんなことをしてまで売ることはない」と突っぱねた。そんなやり方をしているうちに日田からもらった資金は、3年間で底をついてしまった。失意のうちに廃業を決意した佐三は、日田の元に報告の為、訪ねた。佐三の事である。激怒されても仕方があるまい。その時は一生かかっても償ってゆこうと腹を括っていたことと思う。
 
しかし、日田から返ってきた反応はまたもや意外なものであった。
「3年で駄目なら5年、5年で駄目なら10年と、なぜ頑張らない。幸い、神戸にまだ私の家は残っている。それを売れば当面の資金には困らんだろう」3年前、3つの条件を申し渡した時と何も変わらぬ前のめりの勢いで意気消沈する佐三に喝を入れた。

「こんな尊い人がいるものなのか・・・日田さんの家を売らせてたまるか!!」

その時に佐三は心から沸々と湧き上がってきたことであろう。事実、日田はこの時以来、親戚筋から「出光と手を切れ!」と再三に渡り、言われ続けた。その時、日田は、ド迫力と言わざるを得ない一言を親戚に言い放つのである。

「出光となら無一文となっても構わない」

佐三はこんな尊い人に迷惑を掛けてはならないとこれ以上の出資を受ける事なく、命懸けで邁進する事に決めた。復活の為、佐三がまず手掛けたのは、漁民や運搬業者の機械船への燃料油の売り込みであった。陸では縄張りがあって自由に売れなかったので、佐三は海上で漁船を待ち構え、油を販売した。高価な灯油の代わりに安い軽油を提案し、漁師たちに大きな利益をもたらしたのである。これが佐三が海賊と名づけられたゆえんである。そしてついに、2、3年後には下関、門司一帯の漁船や運搬船のほとんどを掌握してしまい、大企業出光興産の基礎を築くまでとなった。

その後、佐三は破竹の勢いで成長し続け、1956年には、ついに日本一の製油所を建設する事ができた。製油所建設の竣工式に、佐三は大恩人である日田重太郎を招待した。82歳の高齢になっていた日田に佐三は、「すべてあなたの御恩のおかげです・・・」
と述べた。

人間にはこんなに美しい宝を造り出す能力が備わっているのである。








「海賊とよばれた男 出光佐三とは、①」

2014-09-29 07:14:14 | 日本

遅ればせながら、百田尚樹著の「海賊とよばれた男」読んだ。真に、ド偉い男が日本にいたものである。わが輩は、出光佐三に『大日本人』の称号を与えたい。諸君もまだこの本を読んでいないのならば、是非とも拝読していただきたい。
以下、5回にわたり記す。



『海賊と呼ばれた男』の読書感が「かめちゃんのブログ」載っていた。よくまとまっており、わが輩も同感の箇所が多々あったので、以下に、要約し記す。



百田尚樹「海賊と呼ばれた男(上・下)」を読了した。
この本は出光興産創業者の出光佐三と 日章丸事件を描いた小説である。
小説に登場する社名は「出光興産」が「国岡商店」、「出光佐三」が「国岡鐵造」になっている。
これから、特に感動した部分を紹介する。


◎国岡商店は戦前、満州や中国で広く石油販売店を展開し、多大な販売実績を上げていた。それが敗戦で海外の資産をことごとく失ってしまった。終戦後の石油が全くない時代に、社員に何か仕事をということで国内の支店や営業所で、ラジオ修理や農業や漁業などあらゆる仕事を探した。旧海軍の石油タンク底に溜まった、泥と混ざった油を人海戦術で汲み上げるような人が嫌がる仕事までした。巷には1000万人を超える失業者が溢れていた。それでも一人の首切りもしないで、仕事がなくて故郷で待機している社員にも
給料を支給した。苦しい時は苦労して集めた骨董を処分してまで、給料を支払ったという。それは社員は皆家族という思いから。普通は苦しくなったら、従業員の首を切るところを、彼は絶対に首切りはしなかった。

その時の国岡鐵造の社員への言葉である。
「愚痴をやめよ」、「愚痴は泣き言である。亡国の声である。婦女子の言であり、断じて男子のとらざるところである」、「日本には三千年の歴史がある。戦争に負けたからといって、大国民の誇りを失ってはならない。すべてを失おうとも、日本人がいるかぎり、この国は必ずや再び立ち上がる日が来る」


◎「ぼくは生産者から直接、消費者に販売したいんです。そうすれば生産者も消費者もともに潤います。それを全国の広い地域で行うことができたらと思っています」


◎主人公、国岡鐵造が神戸高商4年時の卒業論文のテーマは「筑豊炭田の将来について」だった。国岡鐵造は石油と比較して当時の花形産業であった石炭の将来は悲観的と書いた。石炭の将来が暗いと考えたのは石油と比較したから。熱効率は軽油や重油の方が上回っていた。精製コストを考えると石炭に軍配が上がるが、それはいずれ技術革新でどうにかなると思った。


◎卒業後の就職は大きな商店よりも小さな商店で何もかも自分でやる経験をしたいと小さな商店を選択した。そして台湾で大手の三井物産をしのいで小麦を売る契約を多くとってきた。彼は店の売り上げを飛躍的に伸ばし、商店の丁稚から番頭に昇進した。
一方で、生家は没落していった。


◎「国岡商店はイランの石油を購入することによって、彼を助け、また日本の石油業界の未来に貢献する。今や日章丸はもっとも意義のある矢として弦(つる)を離れたのである。行く手には防壁防塞の難関があり、これを阻むであろう。しかしながら弓は桑の矢であり、矢は石をも徹すものである。ここにわが国は、はじめて世界石油大資源と直結したる確固不動の石油国策の基礎を射止めるのである。この矢は敵の心胆を寒からしめ、諸君の労苦を慰するに十分であることを信じるものである。諸君もすでに知っておるように、イギリスはイランの石油を積んだ船にはあらゆる手段を取ると宣言しておる。したがって今から日章丸とわれわれは、戦場に赴くことになる」

上の文章は、これからイランのアバダンに向かうと新田船長が日章丸の乗組員に告げたあと読まれた国吉商店店主の手紙の一節。

これに対して乗組員からは「日章丸、万歳!」、「国吉商店、万歳!」、「日本、万歳!」という声が。この本のクライマックスである。

敗戦に打ちひしがれた日本国民がさぞかし興奮したことだろう。
「航路変更承知、画期的重大任務を自覚、乗組員一同結束高く、意気天を衝く」が新田船長から国吉商店に届いた電文。


◎「私は、人間を信頼するという考え方を広めていくことこそ、日本人の世界的使命と言っています」


◎この本に出てくる会社(「国岡商店」=出光興産)には出勤簿もなければ、組合もない、定年もない。この会社のルールがなぜ他の会社でできないのかとアンドレ・マルローは対談で国岡鐵造に質問をした。

彼はこう答えた。
「社員に対する信頼がないからです」と。

マルローは、その考え方は国家にも当てはまるだろうかと訊ねた。

国岡は「あらゆることに当てはまります」と答え、上の「人間を信頼することこそ大事」との言葉を付け加えた。

彼の徹底した人間信頼、人間尊重の精神は本当に凄い。

この小説は巨大企業を一代で築き上げた男の波乱万丈の物語ですが、国際石油資本の唱える「世界の秩序」、通産官僚やそれに癒合する他の石油各社が主張する「業界秩序」、そして、国岡鐵造ら国岡商店が掲げる、努力した者が報われる「自由競争的発想」との絡み合いがこの物語を面白くさせている要因である。


◎小さいものが大きなものに向かって挑戦する姿勢に読んでいながら拍手をしている自分がいた。


◎彼の会社で部下に国岡が一度も言わなかった言葉、それは「儲けよ」という言葉。商店なのに不思議である。


◎彼は歳をとっても、いろいろなものに興味を示し、90歳を超えるまで若い人と一緒に研修会に参加した。いくつになっても勉強しようという気力を見習いたいと思う。


※わが輩の読書感

読書中、わが輩が至る所で気が付き感動したことは、戦前戦後の時代の流れの中には、国岡店主やその社員や関係者以外にも、官僚や金融銀行マンの中にさえ、今日では見られぬ「本当の日本男児が沢山いた」ということである。そしてこれらの人々は、たまたま国岡商店に遭遇し、人生の輝きを放った。なぜそれが出来たのか?その理由は、日々の日常生活の生き方そのものにあるのではないのか。このようや立派な信念を持ち続けていた結果にほかならない。そしてそれは、その人の人生のほんの一コマに人生の輝きとして噴出した。いわゆる「天地正大の気」でもある。
我もまたかく有りたい!日々の鍛錬を怠らず、今後訪れるであろう人生のホンの一コマにすべての輝きを発したいものである。










「陰陽五行説とは、③」

2014-09-28 07:51:46 | 日本

【腎の働き】

◎「腎」の働き ⇒「水」

・水は、自然な状態では外力が加わらなければ静かで動かなかったり、動いたとしても下へ向かうだけである。冷たく水面も平坦である。水の行に属するものは、金の性質によって縮んでいき、縮みきって動きの無くなった処に水の性質がある。つまり静的で動物が冬眠をするように小さくじっとしているのが水の気である。
方角では北、季節では冬、一日のうちでは夜という様に五行の内では最も陰の気が強いものである。
 
・腎は「作強の官」
人体の生命活動を維持する基本的な栄養物質、すなわち「精」を貯蔵し、五藏六府に供給し、健全な働きを維持している。全身に精力を賦与し粘り強さや根気を生み出している。 

・腎は精を蔵す
生殖用の精も貯蔵する。これは、先天的(親から受け継いだ)な腎気が、後天的な(生後に食物などから取入れた)五蔵の精気と結合して出来たもの。その生成、貯蔵、輸送はすべて腎が管理している。腎に病変が起こると、遺精、早漏、精液不足、性欲減退などが生じる。

・腎は成長、発育、生殖能を司る
子供の腎気は親からの先天的な精気を受け継いだもので、発育成長を促す基礎となる。乳幼児(胎児も含め)では発育に影響し、思春期では精の成熟に影響し、壮年期は精機能に影響し、老齢期は老化に影響する。女子では7年ごとに、男子は8年ごとに腎気の年齢的消長があるとされる。
先天性の発育不良、早老化現象、不妊、精子不育、遺精、陽痿

・腎は「命門の火」の管理者
腎は左右に二個有り、その働きは異なっている。右腎を命門という。命門は元気の根本で、親から受け継いだ先天の気(腎気)を貯蔵する。命門の火は五藏六府、発育成長、生殖のエネルギーとなる大本である。

・腎は水液を主る
腎は水を蔵して、全身の水分代謝を管理し、命門の火はこの働きを助けて全身に津液を分布させたり、排泄させたりする。
尿量減少、小便不利、浮腫、夜間頻尿、多尿

・腎は骨を主り、髄を生じ、脳に通じる
腎は骨と髄の成長発育と関係している。腎は精を蔵し、精は髓を生じ、髓が骨を養っている。骨の一種である歯、歯髄、歯齦(歯肉も)、牙の形成と維持に関与する。脳は髓の海といい、腎は脳(髓)と深く関係し、は思考力、判断力、集中力を保持する。
腎気不足は
<骨髓>腰が重怠い、骨が痛む、四肢に力がなくなる。
<脳髄>思考力の鈍り、健忘、眩量、耳鳴り、視力低下

・腎は上は耳に開竅し、下は二陰に開竅し、その華は髪にある
腎気は耳に通じ、腎和すればよく五音を聞くという。腎の異常は耳鳴り、耳聾を生じる。二陰とは前陰=生殖器、後陰=肛門のことで、生殖と二便の排泄に関わる。腎の異常は腎水と命門の火が不足して、便秘や尿量の減少が生じてくると浮腫や、逆に水様性の下痢・尿失禁・早漏・遺精などがおこる。腎が健やかだと髪は黒々と太く艶があるが、弱まると白髪や脱毛が生じてくる。

・腎は納気を主る
呼吸能を維持する。呼吸は横隔膜の上下によるが肺は横隔膜を上に引き上げ肺から息を出すが、腎は横隔膜を引き下げて肺<天の気>に空気を取り入れる。
呼吸過多、吸気が困難(肺では吐気が困難)、呼吸が浅い、息切れ等
 

◎腎の気の異常
・臍下不仁、下肢倦怠、脚痿弱、下肢脱力


◎腎の水の異常
・下腹部浮腫、下半身浮腫、下腿浮腫、下腹部肥満、下半身の冷え、腰脚冷重・冷痛、足冷え


◎泌尿器機能低下
・多尿、頻尿、小便清利、遺尿、乏尿、小便難


◎生殖器機能低下
・精力減退、失精、夢精、遺精、陰痿、月経不順
 

◎腎によい食べ物
・納豆、豆腐、味噌、芋、つけ物、マツタケ、海苔、昆布、寒天、鮎、はまぐり、カニ



※西と東の腎の病気の考え方

◆西洋医学でいう腎臓病は、急性慢性の腎炎、腎不全、腎孟炎などで、主な症状として、蛋白尿や血尿、尿量の増加あるいは減少、浮腫、血圧上昇、腎機能の低下による血中老廃物増加、貧血などが起こり、症状の悪化と共に進行する。西洋医学では一般に「食塩の摂取を減らし」「ストレスや過労を避け、特に風邪を引かないように」「刺激物を避け」「肉食を少なくする」といったような指導をしている。

◆漢方(東洋医学)では「腎は先天の本」というように多くの機能を司っており、腎が弱まると様々な症状が出てくるし、また腎は身体のエネルギーを蓄える働きがあると考える。よって西洋医学的な病状のほかに例を挙げると、インポテンツ、糖尿病、痛風、冷え性、腰痛、神経痛、リウマチ 脱毛、白髪、婦人病、難聴、耳鳴り、足腰の弱り、夜間頻尿、夜尿症、視力低下など。更に老化現象にも腎の衰えと考える点も西洋医学と大きく異なっている。漢方では腎臓の病気に対しての食養生も単なる食塩制限だけでなく、広く腎を補益してその機能を助け高めるような食物を積極的に摂取することを勧めている。
腎炎や慢性腎不全のような現代医学で難病といわれる腎臓疾患に村して、漢方の全身的な考えや食養生は良い結果を及ぼす事が少なくない。



<了>







「陰陽五行説とは、②」

2014-09-27 09:13:02 | 日本

【心の働き】

◎「心」の働き ⇒「火」

・火の行に属するものは、火が燃え盛る様に動的なエネルギーの解放された拡がりきった性質がある。木は順調に上へ伸びるだけではなく停滞したり、枯れてしまう事もあるが、火は上へ向かって燃え盛るのみである。木の性質によって伸びていき、行き着いた先に火の性質があるわけである。
方角では南、季節では夏、一日のうちでは昼という様に天(陽)の気、つまり太陽の作用が最大な時である。五行の内では最も気が強いものである。

・心は「君主の官」
神に通じる最高の指導者とされ、聡明さ、英知はここから発現する。

・心は神を主る、神は神を蔵す
精神の中枢で、すべての生命活動は神により統率されている。意識水準を保つ、覚醒や睡眠のリズムを調整する。

・心は血脈を主る
血を循環させ脈の働きを司る。

・心は舌に開竅し、その華は面にあり、汗を主る
心に病変が有れば舌色は紅く、又は、淡白になり、もつれて言語不能に陥る、心気の不足は味覚の異常となる。舌は心の他に、脾胃との関係も深い。心と血脈の働きが衰弱すると血脈の流れが悪くなり、顏色が蒼白となり光沢が無くなる、心気が不足すると薄黒いか青紫になる。
 

◎心の気の異常
・心悸、動悸、結滞、息切れ、呼吸困難、

 
◎循環器能障害(心臓ポンプの働きの低下による)
・手足冷え、四肢厥逆、血圧の低下、意識混濁、胸内苦悶感、心不全

 
◎心の熱症状
・心に熱がこもると、心煩、心中煩躁、心中懊濃、胸部熱感


◎心によい食べ物
・胡麻、ナス、ごぼう、みつば、レンコン、うなぎ、酒、ビール、ウイスキー、お茶、コーヒー、紅茶、わさび、トウガラシ、落花生、玉ねぎ、天ぷら、油揚げ



【脾の働き】

◎「脾」の働き ⇒「土」

・土の行に属するものは、土の中にものを埋めた時に、それが種であった場合は芽が出たり、動物の死骸であれば腐食するという様な変化をさせる性質がある。
方角では中央、季節では土用と言う様に、土は全ての中間点であったり、物事を変化させたりする。五行では木と金、火と水の性質が相反するが、どちらにも属さないのが土である。季節の土用というのは暦上のすべての季節、立春、立夏、立秋、立冬の前18日間をいう。つまり各季節のラスト18日間は土用がくるので、夏だけではなく年に4回もあるわけである。そして、いきなり冬から春になるのではなく、この土用の18日間で次の季節へと変わるわけである。
 
・脾は「倉廩の官」・脾は運化を主る
倉は穀物を蓄えるものが倉で、米の倉が廩。倉廩とは飮食物の倉庫を意味する。胃は水穀<飲食物>を受納し脾は精微を運化し、これにより人体に必要な各種の栄養分を供給する。飲食物を運化し精微物質<精という栄養物質>を抽出して全身に運搬すると同時に、体内の津液をも運搬する。食物を消化吸収し水穀の気を生成する。脾の機能が衰えると食物の精気が全身にゆき渡らず、腹部膨満、腹鳴、下痢、消化不良、食欲不振などが起こる。血色不良、津液が停滞し、浮腫が生り、下痢や小便不利などが起こる

・脾は統血する
血流を滑らかにし血管からの漏出を防ぐ。脾の弱りは慢性の血便、慢性の月経過多、子宮出血などが起こる。

・脾は肌肉・四肢を主る
筋肉の形成と維持にあずかる。飲食物を全身に輸送し、この精気により肌肉は生成される。脾の異常は全身に精気が回らず、肌肉の栄養が欠乏し全身が痩せ、四肢に力がなくなる。

・脾は口に開竅する
脾の異常があると、口唇は青白くなり、ツヤを失う。
 

◎脾の気の異常
・噫気、噎、ガス腹、腹虚満、腸蠕動亢進、乾嘔


◎脾の水の異常
・よだれ、薄い唾液、胃内停水、呑酸、軟便、下痢、水様便、泄利下重


◎脾の気と水の異常
・嘔吐、腹鳴


◎消化機能低下
・食欲不振、胃腸虚弱、消化不良、食後倦怠感、胸焼け、胃のもたれ、心下痞、食滞、悪心、便秘、下痢


◎脾によい食べ物
・米、麦、砂糖、ビスケット、小麦粉、ジャム、カステラ、パン、飴、栗、しるこ、生菓子



【肺の働き】

◎「肺」の働き ⇒「金」

・木、火の様に枝葉を広げて高揚していく一方だと動的なエネルギーが膨大しすぎてしまう。それを防ぐため刃物で植物の枝葉を切り落とすような作用が必要となる。金の行に属するものは、物事を小さくする、縮める、下げるという性質を持つ。上(陽)に向いていたものを下(陰)に向ける。つまり陽極まれば陰となるという自然の法則により、下げる、弱めるのが金の気である。
方角は西、季節は秋、一日のうちでは夕方という様に、金は終わりとか、静的な方向に行く様を表す。晩秋と言う言葉は金のイメージとして解りやすい。

・肺は「相傅の官」
君主である「心」を補佐する宰相の役を果たし、体の血液の循環を調整し、気血を調整して、五蔵をよく強調させる。血液の異常では肺に対する治療も大事なことがある。

・肺は気を主る
呼吸により宗気<天空の気>を吸入し、天の気を生成して全身に運ぶ。この天の気の一部は飮食の精気と合して真気(元気)ともいうなり、生命の維持作用となる。

・肺は宣発・粛降を主り、水道を痛調する
水穀の気の一部から血と水を生成する。

・肺は皮毛を主り、鼻に開竅する
皮膚の機能を制御し、その防衛力を保持する。肺で吸入された天の気<陽気>は、全身にめぐらされ、全身を包むように分布し、保護する。この陽気は喜温や体温の変化に従い調節作用を行う。例えば、寒いときは縮んで膚(皮膚)を緻密にさせ、発汗を止めるし、暑いときは、伸びて肌を弛緩させ、発汗させる。このバランスが乱れると肌は外邪にもろくなり、いつも風邪ばかり引くとなるのである。


◎肺気の異常
・咳、咳逆上気、胸満、胸中痞、喘、喘鳴、息切れ、喘咳

◎肺の水の異常
・咳嗽、薄い喀痰、水涕、胸中満悶、胸水、胸痛


◎肺によい食べ物
・卵、大豆、小豆、黒豆、牛乳、牛肉、豚肉、鶏肉、バター、チーズ、チョコレート、鯛、かつお節、かまぼこ、醤油、餅、シュウマイ












「陰陽五行説とは、①」

2014-09-26 07:38:50 | 日本

「陰陽五行説」について、以下、3回にわたり学ぶ。



東洋医学では自然の現象を長い間の観察より5つの事象に分類して物事を考えてきた。
この陰陽五行説は、太陽と月を象徴とする陰陽論と、五つの元素(木火土金水・もっかどごんすい)を根本とする五行説との組み合わせであり、中国の戦国時代(紀元前5~3世紀)に誕生した。日本には紀元6世紀の大和朝廷の頃に儒教や仏教と共に伝来した。暦、天文、地理、兵法、医療、占いなどの原理とされ、特に天武天皇は「五行説を重視し陰陽寮と呼ばれる機関を設立し研究した。

陰陽の考え方は、相反する性質を有する2つの気が相互に影響するものとして分類された。

五行は循環して泊まるところのない「木火土金水」を万物創世紀の元素と考えた。
木から火を生み、火によって土(灰)を生み出し、土から金を生み(採掘され)、金から水を生み出し(金属に水滴がつきやすく)、水から木を生ずるような関係を相生(そうせい)といい、それぞれが相手を生み出す循環の関係であり、1つでも欠けると全てに影響を及ぼすとされた。
また、木は土の養分を吸い取り、土は堤防となり水をせき止め、水は火を消し、火は金(金属)を溶かし、金は(金属の)釜で木を切り倒すと言う、相手を害する関係を相剋(そうこく)と言う。

以降に述べるのは、漢方における陰陽五行説である。





【1】五蔵の病気の特徴

・肝臓に傷害のある方は、顏色が青く、眼光に異様な光があって、目がつり上がっていたり、怒りっぽい性格で、酸っぱいものを好む。又、春になると病気が悪くなったりする。

・心臓に病気の素因があるものは、赤ら顔で、舌がもつれて言葉尻がはっきりせず、性格は陽氣でよく笑い、苦みのあるものを好み、病気は夏に属する。平素陽気で多血質なひとが突然心臓麻痺や脳溢血などの循環器系の疾患を患ってしまうことがある。

・脾(胃腸)が弱かったり、傷害がある人は、顏色は黄色を帯びている。日頃より物事を思い過す性格だが、よく物忘れをする。唇が厚く時々熱っぽく腫れたりする。甘い味が好きで、病気は四季の土用に属し、俗にいう季節の変わり目(季節と季節の変わり目の18日間)に体調を崩しやすい。

・肺に故障のある人は、顏色が白く(蒼白で)、常に憂いがちな性質である。ビリ辛い味が好きで、皮膚が弱い。病気は秋に属すので、秋口に呼吸器病が悪化する。

・腎臓に病気があると、顏色は黒く、性格は神経質であったり、臆病であったりする。耳の異常を起こしやすく、塩辛い味(しょっぱい味)が好きで、冷え性(特に足腰)である。病気は冬に属すので、冬になると膀胱炎を起こしやすかったりする。





【2】五臓(肝心脾肺腎)のはたらき


◎体の臓器、五臓の分類
・肝臓=木
・心臓=火
・脾臓=土
・肺臓=金
・腎臓=金


◎この五行象意の相性
・肝臓は心臓を生む。
・心臓は脾臓を生む。
・脾臓は肺臓を生む。
・肺臓は腎臓を生む。



【肝の働き】

◎「肝」の働き ⇒「木」

・木の行に属するものは、木などの植物が地(陰)から出て天(陽)に向って伸びていき枝葉を広げるという様な性質を持つ。物事を伸びやかにさせるのが「木」の気である。
方角は東、季節は春、一日のうちでは朝という様に物事の始まり、そして動的な方向に進んでいく様を表す。

・肝は将軍の官
外敵<病邪>を防ぐ一切の思慮、計謀を司る。

・肝は疎泄を主る
新陳代謝を行う。

・肝は血を蔵す
血を貯蔵して体の血量を調整して、全身に栄養を供給する。

・肝は筋を主る
筋の緊張と筋の運動を維持する。

・肝は目に開竅し(目眩や目病)、その華は爪にある(爪の病変)
肝は血を受けてよく視るといい、かすみ目、めまい、眼の乾燥、夜盲症などは肝の異常と関わりがある。また肝以外では特に心、腎と深い関係がある。肝の血が不足すると、爪が柔らかく厚みが薄くなり、色が淡白となってツヤが無くなる。

・精神活動を安定させる
官は思惟の中心で、思考思索をめぐらす。肝気が弱くなると思惟活動が鈍り、ぼんやりし、無気力になる。
 
・肝臓と腎臓は片方だけが悪くなることは少なく、病気が永引けば肝の影響が腎に及んで両方共に弱り(相生関係という)、また肝の働きが弱まりはやがて脾の働きにも影響して弱まってくる。(相剋関係)


◎肝気の異常

・肝臓は精神作用の内の「魂」を主宰すると定められている。「魂」という字は気魂、精魂という語に示されるように、努力、鋭敏、果断、周到、整頓など心的作用のうちの積極的な良い方面を代表する。物事をはじめたら徹底的にやらねば気が済まない、すべてを几帳面に整頓する性格である等がこれに当たる。そこで肝臓機能が異常に亢進していると、これらの特性を極端に発揮する肝症病みになる。反対に肝気が衰えている人は、この方面の精神能力が欠如している。

・「百病は気より生ず」と言うように、体内の故障を真っ先に反映するものは気分である。肝臓病者の精神について著しい者は「怒」および感情の興奮である。当然睡眠と深く関わってくる。

・人が寝る時は血は肝に藏まるのだが、肝実質の傷害で納まるべき血が妨げられることになると不眠が生じてくる。これは言葉を換えると「肝が昴ぶる」という状態である。

煩驚、易驚、恐怖、驚恐、驚狂、易怒、多怒、粗暴、怒悲、焦燥、いらいら、不眠、気欝、ノイローゼ、血の道、感情不安定、神経過敏、譫語、狂躁、癇症、顏色蒼白
 

◎筋緊張の亢進

・「肝は筋を主る」とは肝が肉体的に関係するところを意味する。筋とは主に筋肉のことである。その主な病変は攣急という筋の硬直や痙攣性諸疾患は肝臓の病気とされる。

肩こり、腹直筋の緊張、筋の痙攣(こむら返り)、諸々の痙攣症状(胃痙攣、痙攣性の咳)など
 

◎解毒機能の低下
・腺病質、炎症、化膿傾向、皮膚病、顔色浅黒い、皮膚暗褐色


◎肝によい食べ物
・桃、柿、梨、梅、ブドウ、イチゴ、バナナ、ソーダ水、小松菜、大根、スイカ、キュウリ、酢、寿司









「懐かしがられる存在」

2014-09-25 06:59:11 | 日本

菅家一比古さんから「言霊の華」が届いた。
以下、要約し記す。



先日、体力をつけるために東京都立川市にある昭和記念公園に行ってきた。美しいコスモス畑は圧巻だった。そして日本庭園を歩き散策を楽しんだ。

昭和記念公園に行った理由はもう一つある。公園に隣接している「昭和天皇記念館」を見学するためである。未だ一度も行ったことがなかった。久し振りに昭和陛下のお顔とお声をVTRで拜見した。

米国訪問や欧州旅行のご様子も出てきた。心の底から懐かしさがこみ上げ、涙が止まらなかった。まるで亡き父や母の懐かしい面影を見ているかのように。

昭和天皇さまが何故こんなにも懐かしいのか。

それはきっと、その御生涯を通して無私なる生き方、神への祈り、国民の幸せと安心、平和を切に願われる祈りに因るものだと思われる。その内的な因縁があるからこそ「愛の復元力」が私たち国民の心に働くのだと思う。

私のために泣いて下さったご存在があり、私のために祈り続けて下さったご存在がある。その無私なる存在によって知らず知らずに浄化され生かされていた。親の愛とはそういうものだろう。

だから懐かしいのである。愛の復元力が私の中に働いている証拠である。たとえ横道に外れようが、遠回りしようが、必ず立ち直るようになっている。しかし果たして、この頃の親は子どもたちから懐かしがられているのだろうか。

だから中々子どもたちが立ち直れないでいるのでは?社長は社員に懐かしがられているのだろうか?教師は生徒に果たしてどうだろうか?

懐かしがられる存在になりたいものである。






「戦後日本に教育はあったのか」

2014-09-25 06:58:29 | 日本

菅家一比古さんから「言霊の華」が届いた。
以下、要約し記す。




私がまだ幼い頃、吉展(よしのぶ)ちゃん誘拐事件が起き、社会は大騒ぎになった。殺人事件でも起きようものなら、大々的にニュースになっていた。時代は進み、日本はバブル経済に踊り、人々の生活は豊かになりながらも拝金主義がまかり通り、心は荒んでいく一方だった。

国民全体が人間として、日本人として、誇り、恥じらい、生かされている喜びと感謝を失ったかのようである。

今から十九年前、オウム真理教の事件が起き、連日TV報道がなされ、まるで巨大ホラー映画を観ているかのようだった。その三か月前に起きた阪神淡路大震災のニュース報道がかすんでしまったほどである。

ホラー映画はあくまでもバーチャルな世界のつくり話だが、この二、三十年の社会を騒がす事件はあまりにもホラー映画もどきが多い。身の毛もよだつ残忍な事件が後を絶たない。どうしてしまったのか日本人。

これは実に日本の霊性がグチャグチャになってしまったからに他ならない。それは鎮魂システムの崩壊に因るものである。家庭教育から何が消えてしまったのか。そして学校教育から何が消えてしまったのか。

それは「型(かた)」である。それにより「恥じらい」と「清らかさ」と「潔さ(誇り)」が消えた。そして慈悲(愛)。教育とは受験勉強とは別ものである。

いかに人間性を育てるか。その土台づくりの上に人それぞれの特性を見い出し、その能力を引き出してあげること。これが親と教師の務めである。

戦後日本に実は教育がなかったと言ってもいい。その原因が日教組にあったことは言うまでもないことである。







「徒然」

2014-09-24 07:25:23 | 日本

◎激励文

お元気ですか。
人間として、この世に生を受けるは、沢山のご先祖様、お父さんお母さんのお陰です。
感謝をして、少しでも喜んでいただける生き方をしたいものです。
強く生き抜く力の源泉は、自分のことではなく、周りの為に、命を燃やし続けることです。
どんな状態でも、ゴミの一つも拾えるはずです。
お酒を片手に、ゴミ拾いをやりましょう。



◎剣道の極意

「己がまつ毛の如し」

目に見えないが、極意はすぐ近くにある。



◎今の政党とは?

金、金、金の自民党。見て見ぬ振りの民主党。あとの党は落ち葉会。



◎「身ども」とは?


わたし。おれ。▽自称の人称代名詞。

・出典は、「萩大名 狂言」からである。

「ここな人はみどもをおなぶりやるか」
(訳)ここにいる人はわたしをおいじめになるのか

<参考>
自分と同等の者、または目下の者に向かって、やや改まった気持ちで用いる。室町時代から、はじめは武士の間に用いられ、後には町人や女子でも用いるようになった。




◎四神獣とは、

大相撲の土俵上の吊屋根の四隅に4色の房が垂れ下がっていっるが、これを四房(しぶさ)と言う。
四房のそれぞれの色は四季と天の四神獣(しじんじゅう)をあらわし、五穀豊穰(ごこくほうじょう)を祈念しているともいわれている。

正面東側 (東北)青房 東方の守護神 青龍神(せいりゅうしん=青い龍)春
向正面東側(東南)赤房 南方の守護神 朱雀神(すざくしん=赤い鳥)  夏
向正面西側(西南)白房 西方の守護神 白虎神(びゃっこしん=白い虎) 秋
正面西側 (西北)黒房 北方の守護神 玄武神(げんぶしん=黒い亀)  冬

この天の四神獣は、土俵を守る意味で四隅に祀(まつ)られている。




◎天下乱れ、忠臣いずの時代迫る

終戦後、来年で70年。日本は、今までにない、戦後最大級の大きな変化が目前に迫っている様な感じがする。今の国情は、どこをみてもおかし過ぎる。これまでの高経済の状態が、これからも続くとは限らないと思う。何故なら、日本人のもっとも大切な核心部分に、内面の変化がおこっており、国を護るという信念から、まわりの為に尽くそうと言う人間観から大きく外れているからである。現象界の外面は平穏無事に見えるが、根本を忘れられている以上、内面からの崩壊が起これば、瞬く間に崩れていく。

戦前の日本人は、まさか、大東亜戦争になるなんて誰も思っていなかったはずである。今も同じである。だが、これこら如何なる時代が訪れるかは誰もわりません。時代の大きな変化の力を誰も止めることは出来ない。
大きな変化の時!

将に、「天下乱れ、国滅ぶ」また、「天下乱れ、忠臣いず」の時代へとすすむだろう。







「高等遊民」

2014-09-20 00:57:38 | 日本

面白い言葉「高等遊民(こうとうゆうみん)」に出会った。今でいうところの「自由人」かもしれない。わが輩も常々、何ごとにもとらわれない人間、自称「自由人」であるが、今回は、この「高等遊民」について学ぶ。



高等遊民とは、明治時代から昭和初期の近代戦前期にかけて多く使われた言葉であり、大学等の高等教育機関で教育を受け卒業しながらも、経済的に不自由がないため、官吏や会社員などになって労働に従事することなく、読書などをして過ごしている人のこと。閲覧できる範囲では『読売新聞』明治36年(1903年)9月25日の「官吏学校を設立すべし」での論説が、高等遊民に触れられている最も古い資料である。また、一時期は上級学校への入学や上級学校卒業後の就職が叶わなかった者が高等遊民となり、高等知識を持った彼等が自然主義、社会主義、無政府主義などの危険思想に感化され、それらが社会問題に繋がると考えられていた。

高等遊民はなんら生産的な活動をせず、ただ日々を雅やかに過ごしたり、学問の延長として己の興味のある分野(趣味の活動を含む)を追い求めていたりした。夏目漱石が作中にしばしば用い、『それから』の長井代助、および『こゝろ』の先生、川端康成の『雪国』の主人公のように、しばしば文学のテーマとしても取り上げられた。石川啄木は、旧制中学校卒業後に立身出世がかなわず父兄の財産を食い潰して無駄話を事業として生活している者を遊民としていた。

最終的に昭和初期満州事変・日中戦争へと続く対外戦争の中で起きた軍需景気により、就職難が解消し、国家総動員体制の元で何らかの形で戦争へ動員され、高等遊民問題は解消に向かっていった。






「漢方医に学ぶ」

2014-09-20 00:56:24 | 日本

【1】気血水について

・漢方では体の中には気(エネルギー、元気の元)と血(体液のうちで赤い色のあるもの、血液など)と水(体液のうち色のないものや精微物質、精液など)がある。

・正常時には、これらが過不足なく(気が中心となって)身体を巡っている。ところが病的な状態になると様々な症状を表す。気、血、水の理論では、病的な症状は気血水の内のどれが不良を起こしているのかで変わってくる。

・臨床上では単独で変調を来していることはまれで、お互いが複雑に絡み合っているのが普通である。

・おなじ頭痛という症状でも、気の変調によるもの(例:のぼせて頭痛がする)や血の変調によるもの(例:首から上の血行不良で頭痛がするもの)、水の変調によるもの(例:体内にだぶついた水分が上半身に集まって頭痛を起こす)などがある。ほかにも色々な原因がある。漢方治療では根本の原因をただす治療を行うので、若干の時間はかかるが、鎮痛剤を長く飲み続ける上に量が増えてくるといった様なことはなくなってくる。



【2】気の異常

漢方の気とは体を動かすエネルギーのようなものである。このエネルギーは生まれながらにして親から受け継いだ「先天の気」と生まれた後に飲食物から得られる「後天の気」とに分けられる。気は正常なときには身体を巡っているのだが、何かしらの原因によって動きが悪くなったり(気欝)、動きすぎたり(気逆)、不足(気虚)したりする。

(1)気虚
気力が沸かない、何となくだるい、元気が出ない、根気が無くなった、動作が物憂い、食欲が落ちた、手足がだるい、良く風邪を引く、内蔵が下がっている、便が柔らかい、下痢しやすいなどは「気虚」という気が少なくなっている状態である。このようなときには朝鮮人参や黄耆という気を増やす生薬をよく使う。黄耆と人参の配合された処方は参耆剤(じんぎざい)といって気虚の治療の基本形である。

(2)気欝(気滯)
気分が重く憂鬱、頭が重い、喉がつまった感じがある、季肋部(肋骨の下の方)が使えた感じがする、腹が張る、朝起きにくい、ガスが良く出る、などは気の巡りが悪くなった状態で、ひどくなるとノイローゼになったり、不眠症になったり、ヒステリーになったりすることもある。そのほかに張ったような痛みが生じる。この状態が進行すれば、胃腸の機能が低下して血液が不足(血虚)したり、ストレスなどにより血行不良(於血)を生じる。このようなときには厚朴、紫蘇葉、枳実、香附子などを生薬として使う。また、気欝の時には肝の気の巡りも悪くなっていることも多いので、肝にたまった血の流れを改善することも考える必要が出てくる。

(3)気逆
気の動きは上に上がったままで下がらなくなった状態である。お腹のあたりから何かが頭の方に突き上がってきて、にっちもさっちもいかなくなった状態である。呼吸がしにくくなったり、激しい頭痛や心動悸や臍周りの動悸がしたり、のぼせて顏が真っ赤になったりもする。上の方に気が上ってしまったために、足が冷えたり、精神的に不安感が強くなり、すぐ物事に驚いたりもする。激しい腹痛発作におそわれる方もいる。このような状態を気が逆上した「気逆」という。このようなときは、上りつめた気を引きさげる桂枝を中心に甘草をよくつかう。桂枝と甘草の組み合わせはとても効果がある。



【3】血の異常

古人は体液のうちで赤いものを「血」と呼んでいた。現代医学では、赤血球や血小板などが血に相当する。血の異常は血の少なくなった状態と血の流れが悪くなった状態がある。飲食物やストレスなどによって血液の流れが悪くなった状態を「於血」と呼ぶ。於血があることで様々な疾患が引き起こされてくる。典型的なものに高血圧、脳血管障害などである。この於血を去る薬は駆於血剤と呼ばれている。

(1)血虚
文字通り血が少なくなった状態である。血が少ないことで、全身に栄養を送ることが出来なくなってくる。血の中には水分もあるので身体が乾燥気味になったりもする。血が少ないことは気も少なくなっているので、前述した気虚の症状も伴う。貧血状態だから、身体の血液循環も良くなく、冷え性になったり、顏色不良、痩せ、脾に血が巡らずに働きが弱くなり出血しやすくなる(脾は統血を司ると言う)等が症状としてわかりやすい。当然の事ながら治療には増血作用のある生薬の当帰、川弓、地黄、芍藥、阿膠などを使う。

(2)於血(血於とも言う)・・・・於は「やまいだれに於」と書く。
新選漢和辞典には「於」は血の循環が悪くなって起こる病気とある。この於という字に更に血が付いているのだから血の流れが悪いことは一目で想像できる。

現代人はストレスが多くなっているために気の巡りが悪く、その結果として血の巡りも悪くなっている。さらに食生活の悪さから、ますます於血の状態が悪くなる。血の流れが悪いことで免疫力も低下する。更に女性では子宮という臓器を持っているために、男性に比べて血に関する色々な病状を起こしやすい。生理に伴う症状や閉経前後に起こる更年期症状等が良い例である。

また全身で見ると高血圧に伴う様々な症状、血栓が出来たり、痔が出来たり、便秘したり、腹痛が起こったり、狭心症等になったり、とても命に直結するような病状が多い。漢方ではこのような血の流れが悪くなったときにでも血の流れを改善する薬があるし、最近の研究では駆淤血剤(淤血を改善させる薬)を服用することで、血球が酸化されずに柔らかさを保てるために、細くなった血管を詰まらせることなくするりと流れることが分かってきた。

於血によって引き起こされる症状は、目の周りの色素沈着(くまどり)、顔面の色素沈着、皮膚のかさつき、歯茎が暗赤色、舌が暗赤紫色になったり、クロっぽい斑点が出来る、舌の裏の静脈が太くクロっぽい、皮膚に蜘蛛の巣のような血管が浮いて見える、内出血しやすい、手のひらが赤い、臍の周りに圧痛がある、便秘、イボ痔などである。

このような状態があれば手遅れにならないように早めに治療しょう。於血を改善する薬は駆於血剤といい、牡丹皮、桃仁、当帰や芍藥(血虚でも使う)等がある。これらでも駄目なときには滅多に使わないが動物の生薬を使うこともある。


◎於血を引き起こす原因 

・運動不足 、ストレス、心身の疲労、長期間の病気、食事の不摂生(肉食の多食、加工食品の多食など)、生活環境の変化(過度の冷房や暖房)、虚弱体質


◎於血とかかわりの深い病気

・神経痛、リウマチ、関節炎、筋肉痛 、冷え症、肩こり 、皮膚癌揮症、アトビー性皮膚炎、乾性湿疹、慢性じんましん、外傷性癖血性序痛(ねんざ、打撲) 、疲労、血管神経性頭痛、脳外傷後遺症の頭痛、半身不随後遺症 、動脈炎、静脈炎、血栓性血管灸、動脈硬化症、高脂血症、高血圧症 、月経困難症、生理痛、不妊症 、慢性胃炎、胃潰瘍、十二指腸潰瘍、慢性胆嚢炎、胆石症、腫瘍、できもの、前立腺肥大、慢性前立腺炎 、慢性腎灸、ネフローゼ、水腫 、性機能障害、不妊など、肝炎、肝硬変、気滞血

「日本の怨霊伝説が物語るもの」

2014-09-20 00:55:24 | 日本

菅家一比古さんより「言霊の華」が届いた。
以下、要約し記す。



先日(八月二七日)、大阪で「偉人を語る会」があった。大阪天満宮のすぐ近く、美し国の会員で弁護士であられる西中務先生のオフィスである「エートス・ステーション」が会場だったので、菅原道真公(八四五年~九〇三年)の生涯の話をした。

天神伝説誕生物語が出来る迄の軌跡を語った。天神様と云えばいつの間にやら学問の神様、受験の神様になってしまったが、天神信仰の実際はそのようなレベルでない。

何故亡くなられてから怨霊(おんりょう)になったのか。藤原時平をはじめ清貫(きよつら)、菅根(すがね)、源光など、道真公を策略で陥れた人々はことごとく怪死を遂げた。それどころか醍醐天皇もそれが原因で亡くなり、皇太子保明(やすあきら)王、その子慶頼(よしより)王もわずか五歳で亡くなった。

この凄まじい霊威と祟りは、後の時代に登場する崇徳(すとく)天皇の怨霊の凄まじさにも似ている。

怨霊になった道真公は死の直前まで大宰府の天拝山(てんぱいざん)の麓にある紫藤(しとう)の滝で毎日禊し、天拝山山頂に登り、遥か東方の皇居を遥拝し、身の潔白を訴え祈り続けたのである。

保元の乱(一一五六年)に敗れ讃岐に流された崇徳天皇(上皇)は、自らの血で三年間『血書五部大乗経』を書き上げ、国家鎮護、平安のためにこれを朝廷に贈った。しかし後白河天皇をはじめ、当時の朝廷の為政者たちはそれを受け取らず、讃岐に送り返した。この時から崇徳帝は生きながらにして大魔王と化したのである。

道真公にしても崇徳帝にしても共通して言えるのは、正義とは、信義とは、忠義とは、道義とは、誠とは、尊皇とは、純一とは、中心帰一とは・・・それを訴えているのである。

後世に永遠なる日本、悠久なる日本を残すため真実を訴え、決して記憶から消滅させないため怨霊となり、震撼させることにより人々に警告を発したのである。そして全国でその数第三位、四千社に及ぶ天神社のお社が現存している。

七生報國(しちしょうほうごく)で有名な、後醍醐天皇の忠臣・楠木正成公。
幕末、その精神を受け継ぎ、二十九歳で散って逝った吉田松陰先生。

「身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも とどめおかまし 大和魂」(留魂録)

その執念はまさに怨霊化と云っても過言ではないと思う。だから日本を守るため犠牲となって逝った英霊の霊魂(みたま)の鎮魂供養、感謝を決して怠ってはならないのである。日本を最後まで守ろうとしたその執念はいまだ生きている。消滅していない。







「大和魂とは、」

2014-09-20 00:54:28 | 日本

平安時代中期ごろから「才」「漢才」と対比的に使われはじめ、諸内容を包含するきわめてひろい概念であった。江戸時代中期以降の国学の流れのなかで、「漢意(からごころ)」と対比されることが多くなり、「日本古来から伝統的に伝わる固有の精神」という観念が付与されていった。明治時代以降、過剰に政治的な意味が付与されるようになり、第二次世界大戦期には軍国主義的な色彩を強く帯び、現状を打破し突撃精神を鼓舞した。
日本人には日本人としての徳目がある。それらを総称して大和魂と呼ぶ。
その徳目の検証であるが、

・「和」  争いをやめ仲良くする心。

・「誠」  誠意を尽くし嘘偽りをしない心。

・「潔」  桜の散り際のような潔さを尊ぶ心。

・「清」  穢れを嫌い清浄を求める心。

・「情」  他を思いやり自分の事のように心を重ねること。

・「尽」  自分を犠牲にしても相手に尽くそうという心。

・「根」  根気と不退転の決意を持つこと

・「誉」  礼儀を重んじ恥を知ること

これらの心を古来日本人は重視してきた。したがってこれらをもって大和魂と言って差し支えない。

日本民族固有の精神である。勇敢で、潔いこと尊ぶ心である。和魂、大和心ともいう。

本居宣長はこう詠んだ。

「敷島の大和心を人問わば  朝日に匂ふ山桜花」

また、維新への道筋を開いた輝かしい先駆者の一人、吉田松陰が刑に就く前夜、こう詠じている。

「かくすればかくなるものと知りながら  やむにやまれぬ大和魂」

本居宣長、吉田松陰に共通するのは、大和魂(心)は、心穏やかで清く相手を上下関係で見ることなく互いに和する(例えば教えあい学びあう)という精神であった。








「日下開山とは、」

2014-09-20 00:53:28 | 日本

日下開山(ひのしたかいざん)とは、現在の大相撲の最高位である横綱にあたると共に、横綱に相当する力士に与えられた名誉・称号としての呼称である。また、現在でも放送などで横綱のことを「日下開山」と呼ぶことがあるが、昔の横綱の印象を引きずっている為か、三重ノ海や大乃国のような三番手四番手の横綱を日下開山と呼ぶことはまずない。

横綱力士の別称。室町時代から〈天下一〉という言葉が流行したが,この呼称が1682年(天和2)に禁令になったため,武芸者,芸能者らは,これに代わって〈日下開山〉を用いるようになった。日下は天下,開山は寺の開祖,宗教の権威者を意味したところから,無双の優れた者の代名詞となった。その後江戸中期のころまで強豪力士を日下開山と呼び,江戸後期には横綱免許を受けた大関力士をさすようになり,明治のころに横綱力士の別称として定着した。










「修行によって身に付く超能力(六つの神通力)とは、」

2014-09-20 00:52:15 | 日本

正統な仏教の修行によって煩悩を捨断し、心をどんどん透明にしていくと、本当の自分――真我が本来持っている神秘的な力が発現する。それが、六つの神通力(六神通)である。

これらを身につけることにより、修行者は、大宇宙の構造をはじめ、過去から未来に至るまでの時の流れ、そしてこの世界を支配するカルマの法則のすべてを理解し、自在に生きることができるようになる。

六神通とは、以下のものを指す。


◎神足通

(空中浮揚やテレポーテーションを行なったり、化身を自在に使って、高い世界へ飛んだりすることのできる能力)


◎天耳通

(神々の声を聞いたり、遠くの音を聞いたりすることのできる能力)


◎他心通

(他人の心を知る能力)


◎宿命通

(自分や他人の前世(多くの過去世)を知る能力)


◎死生智

(転生先を知ったり、生きながらにしていろいろな世界とつながることのできる能力)


◎漏尽通

(完全なる絶対なる神の叡智)


この六つの神通力は、解脱・悟りに至る修行の過程で、だれもが身につけていくことができるものである。



「仙人とは、」

仙人(せんにん)は、中国の道教において、仙境にて暮らし、仙術をあやつり、不老不死を得た人を指す。羽人、僊人ともいう。道教の不滅の真理である、道(タオ)を体現した人とされる。

仙人は基本的に不老不死だが、自分の死後死体を尸解(しかい)して肉体を消滅させ仙人になる方法がある。これを尸解仙という。羽化昇天(衆人のなか昇天することを白日昇天という)して仙人になる天仙、地仙などがあるが位は尸解仙が一番下である。西遊記において孫悟空は「妖仙」などと蔑称されている。神仙、真人もほぼ同義だが、用いられ方にニュアンスの違いがある。

仙人になるために修行をする者は「道士」(羽士)「方士」と呼ばれる。後世専ら、道士は道教修行者一般をさした。方士である徐福は秦の始皇帝の命を受けて東海の仙島に仙薬を求めて出航した。徐福は日本に逢着したともいわれ、日本各地に徐福伝説が残る。中国の軍師として知られる呂尚や諸葛亮なども仙術を修得していたと付会された。
なお、一般に仙人といえば白髯を生やした老人というイメージがあるが、韓湘子など若々しい容貌で語られる者や、西王母、麻姑仙人(仙女)などの女性の仙人の存在も多く伝えられている。

また、仙人は禁欲に徹する必要があるとする伝説もあり、たとえば久米仙人や一角仙人
は色欲により神通力を失っている。


◎仙境

仙人は主に高い山の上や仙島、天上などの仙境(神仙郷、仙郷、仙界)に住む。仙境とは俗界を離れた静かで清浄な所、神仙が住むような理想的な地を指す。(中国の)東海に蓬莱、方丈、瀛洲の三つの仙人の島(三島)があるともいう。仙人がいる、あるいはそこにいけば仙人同様になれる聖地を故事になぞらえ桃源郷と呼ぶこともある(桃花源記)。


◎成立

仙人の伝記集として前漢末には劉向の『列仙伝』、東晋には葛洪の『神仙伝』が記され、『封神演義』『八仙東遊記』など古典小説や戯曲にもよく登場する。ヨーロッパの隠者に類似する。また、仙人になるための修行である仙道=不老不死を追求する技術ということから、シルクロードを通じ、ヨーロッパの錬金術と相互に影響しあった部分もある。


◎仙人の修行法

修行方法には呼吸法や歩行法、食事の選び方、住居の定め方、房中術までさまざまな方法がある。いずれにせよ心身の清浄を保ち気としての「精」を漏らすことは禁物であり、「精」を練り気、神に変え仙人となるための仙丹にまで練らなければならない。また派によっては呪符や呪文を用いることもあった。内丹術を中心とした仙人になるための修行法は「仙道」と呼ばれることが多い。


◎煉丹術(錬丹術 外丹術)

不老不死などの霊効をもつ霊薬「仙丹(金丹)」をねる煉丹術(中国での錬金術)がある。これは錬金術そのもので水銀(丹)を原料とする。このため、仙道の求道者、乃至不老不死の探求者、唐の皇帝などが仙薬を服用して水銀中毒になる、などの事例も多かった。


◎内丹術

鉱物を原料に金丹を練って服用する外丹に対し、自己の体内に存する精・気・神を薬物として自己の身中に丹を生成する煉丹術を内丹という。道教研究者によれば、内丹説は隋代の蘇元朗に始まるという。外丹術が盛行した唐代には内丹術と外丹術は並存しており、当時の書物である『上洞心経丹訣』などは内丹と外丹を双修すべきことを説いているが、外丹術は宋代には下火になっていった。一方、内丹術は唐末五代に隆盛し、五代の成立と言われる『鍾呂伝道集』や『霊宝畢法』の出現をもってひとつの完成形が示され、北宋に著された『悟真篇』によって大成して、南宋以降にさらに発展していった。北宋の張伯端のように、出家を否定し道教教団とは関わりのないところで修行し弟子に伝える修煉の士もいたが、出家主義をとる全真教に取り入れられた内丹術は道観のなかで「口伝」によって受け継がれてきた。現在では種々の修法があり、およそ700の流派があるともいわれる。北京・白雲観を大本山とする全真教の龍門派からは明末に伍冲虚、清代には伍冲虚の教えを受けた柳華陽を輩出し、この両者は、本来は「口訣」を旨とした「修法」の概要を書物に著した。その丹法は伍柳派と称され、多くの一般賛同者を外部に得て、政治家や軍人、文人などの在家修行者を増やした。現代に伝わる内丹術のひとつの形式は、武息・文息という吐納(呼吸法)により体内の丹田に気を練ることを基本とする。


◎房中術

男女で気を巡らす術。体を接触させることは絶対条件というわけではない。


◎導引術

現代では気功法という。各種体操とそれにともなう吐納(呼吸法)により体内の気を巡らせる。


◎調息

長く大きく呼吸をし息を長くとめる。


◎胎息

また自らの先天の気がまわりだすと胎息(胎児の呼吸)という無呼吸にも似た状態の呼吸となるよう修行した。


◎辟穀(へきこく)

五穀(米、麦、粟、黍、稗)を断つ「辟穀」(へきこく)を行なった。必然的に松の実など植物性の食物が主体となった。


◎その他

霊地、霊木などの気を体内にとり入れる修行もあり、これを俗に「霞を食っている」などという。誤解されがちではあるがこの場合の霞とは朝日と夕日のことを指しており、逆に霧や本当の霞などは食べてはいけないものとされている。








「秋の夜長」

2014-09-19 08:23:42 | 日本

地下鉄の広告、に以下の短歌がのっていた。
もう、秋だなー。

「きみ想う 秋の夜長は ほろにがし」



吾輩の和歌である。

「人の世を いく度重ねて 歩くとも 秋の夜長の 人ぞ恋しき」

「名月や 影に隠れて 吹く風の   想い懐かし 夜長の君は」